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[30501] 【習作】クロスオーバー(オリジナル・異世界転移・最強陣営・組織運営)
Name: 黒夢◆7b6f2400 ID:9922a8f8
Date: 2011/11/14 17:27
内容としては、異世界転移・最強陣営・組織運営が主です。
なお、本作品はオリジナル板で投稿されているむちむちぷりりんさんの『オーバーロード』に多大な影響を受けている事を表明しておきます。

*11/14 少し書き方を変える事にしました。どうやら短文短期間投稿は私の気質に合わないようなので、長文投稿に変更します。序章1の下記部分は新規投稿分です。



[30501] 序章1 そして伝説は始まった
Name: 黒夢◆7b6f2400 ID:9922a8f8
Date: 2011/11/14 17:06


『神話のような光景だった。
 否。神話すら霞み果てる光景だった――
                by:■■■■』





 そこは玉座の間であった。天井は高く、間取りは広い。
 大勢の賓客を招いて盛大な舞踏会すら開ける程に広大な部屋だ。

 床には不純物の一切無い漆黒の石畳が敷き詰められ、中央には純白の絨毯が黒を引き裂くかのように伸びている。
 両面の壁と天井は黒と白のチェック柄で統一され、余計な装飾は無い。場を盛り立てる調度品すら、何一つ飾られてはいなかった。楕円形の階段が十数段と連なる部屋の最奥には○の中に×を組み込んだ刻印が大きく掘られ、その真下には玉座が一つ置かれている。既存の物質に当て嵌まらない不思議な光沢を放つ玉座は、この慎ましい部屋の中で唯一、華美な装飾が施されていた。

「こちらへ――」

 不意に声が響いた。
 声変わり前の幼く高い男の子の声音は、厳格な場に相応しい瀟洒な空気を纏っている。

 玉座の傍ら。恭しく一礼する少年こそが、声の主であった。
 歳の頃は、背格好から十代前半ぐらいだろうか。肌は白く、銀色の髪が肩口で揺れている。服装はラフな燕尾服に純白のフリルが大仰に取り付けられた奇天烈なものだ。恐ろしい程に端正な貌は幼いながらも妖艶な魅力で溢れ、薄く開かれた黄金の瞳は情欲に濡れているようにも見えた。

「――――――――――」

 少年の声に引かれ、無言で進み出たのは黒髪黒目の男だ。
 背丈は低く、顔立ちは良く言って美醜の狭間。集団の中では埋没してしまいそうな取り留めて特徴の無い男である。そんな男が妙な雰囲気を放つ漆黒のマントを羽織り、細々とした装飾が丁寧に施された純白の服を着込んでいる。凡そ平凡な男には似つかわしくない格好は違和感の塊でしかなかったが、側に控える少年は当然のように男を受け入れていた。

 やがて男は玉座の前で立ち止まると、僅かに瞳を揺らがせる。
 けれど、それも一瞬のことだ。男は何かを振り払うかのように浅く深呼吸をすると、おもむろに玉座へ深く腰かけた。
 そして男は直視する。その玉座から、段下に広がる光景を。


 ――英雄がいた。魔王がいた。神々がいた。


 人にして人を超えし者達が。あらゆる魔を統べる者達が。神秘と奇跡を綾取る者達が。


 其処にはいた。


 身の丈ほどもある剣を背負う者がいた。
 ――野獣の如き気配を漂わせる男がいた。
 ――――あらゆるものに愛される聖女がいた。


 巨大な両翼を誇る四本腕の怪物がいた。
 ――特定の形状が無い無貌の存在がいた。
 ――――鋭利な牙と爪を誇示する魔獣がいた。


 壮麗な気配に身を包む光の化身がいた。
 ――甲冑を身に着ける巨大な彫像がいた。
 ――――飽くなき探求心を内包する龍がいた。


 玉座の間は、そうした存在で溢れていた。
 その全てが数多の世界で伝説を残した者達であり、これから伝説を創る者達だ。
 彼等は一様に列を成して佇みながら、物音一つ立てずに玉座へ座る男を一心に見ていた。

「――――――――」

 その圧倒的な光景を一瞥した後、男は気だるそうに天井を見上げる。
 まるでチャス盤のような天井を胡乱な瞳で眺める男の胸中は、何とも言えない心持ちで一杯であった。

(どうしてこうなった……)

 つまるところ、男は――早坂宏平(はやさか こうへい)は、現状を大いに嘆いていたのである。









 運命の転機は唐突に訪れた。
 その日、昼を少し過ぎた頃に大学から帰宅した早坂宏平は、真っ直ぐに自室へと向かっていた。

 早坂とて、大学に入学する前は一人暮らしに憧れたものだが、二年も過ぎれば当時の憧憬も随分と薄れている。
 やはり物心つく前から住み慣れた一軒家は掛け替えのない空間なのだろう。社交的な友人達に色々な場所――それこそ冗談では済まされないような場所も含めて、連れ回される事が多い早坂だが、居るだけで心が落ち着く空間は今のところ自宅だけだ。もちろん、その中でも自室が別格なのは、あえて触れるまでもあるまい。

 軽い足取りで早坂は階段を上り切ると、直ぐ手前の扉を開ける。
 そこが、小学校の中学年頃に両親から与えられた早坂の自室であった。二階部分は家族の自室として、両親の部屋、弟の部屋、早坂の部屋、そして父親の仕事部屋がある。玄関に靴が無かったので、他の家族が外出中なのは早々に分かっていた。これから遣る事を考えれば、不躾な弟の乱入が無いのは好都合である。

「さて、と」

 使い古された四角い木製テーブルの上。そこにポツンと置かれたノートパソコンの電源を入れると、早坂は手早くパスワードを入力する。以前、弟が勝手に使って面倒な事態に陥った経験から、念を入れて複雑なものを設定している。最初は面倒に思っていた早坂であるが、今ではキーを見ずとも入力できた。慣れとは、そういうものだ。

 ノートパソコンが立ち上がるまでの時間を利用して、早坂は手早く大学の荷物を片付けると、一階のリビングから紙パックの麦茶とコップを持って来る。コップに並々と注いだ麦茶を飲み干す頃には、ノートパソコンの起動は完了していた。座椅子に腰かけて脚を伸ばし、有線マウスを握る。そして迷わず、デスクトップの左端の天辺にあるアイコンをダブルクリックした。

 暫しの間を置いて立ち上がったシステム表示は、複雑な記号を次々に流していく。
 数秒後、ディスプレイは唐突に黒で覆われ、直ぐに別の画面が表示された。画面中央には『create system Ⅳ(クリエイトシステムⅣ)』という無骨なタイトルロゴが浮かんでいる。幾つもの選択項目が画面下に並ぶソレは、紛れも無くゲームのスタートメニューであった。早坂は慣れた様子で項目の一つ、『設定の続き』にカーソルを合わせてクリックする。途端、幾つもの分割メニューがディスプレイを埋め尽くした。

「後少しなんだよなぁ」

 カチカチとマウスを操りながら、様々な項目をチェックしていく早坂は、隠し切れない愉悦に口元を綻ばせる。
 それも当然だろう。何せ早坂は、この『クリエイトシステムⅣ』の設定だけで、一カ月半以上もの時間を掛けているのだから。

 切っ掛けは、二ヶ月半前に見つけた一通のメールだった。

 ノートパソコンのメールボックスを何気なく開いてみたら、宛先不明のメールが受信されていた。
 そもそもパソコンのメール機能をほとんど使わない早坂に覚えがある筈も無く、即座に迷惑メールの類だと判断して削除しようとしたのだが、何故か削除できず、それどころか勝手にメールが開かれると、添付されたシステムをダウンロードし始めた。

 予想外の事態に慌てた早坂は、ノートパソコンの強制終了も含めたありとあらゆる手段で阻止しようとしたのだが、結局は無駄に終わった。さらには謎のシステムのインストールまで自動で行われる始末。この時点で早坂はノートパソコンの買い替えを真剣に検討し始めていたのだが、インストールが終了してから恐る恐るパソコンを操作しても不具合は見つからない。

 念の為に有料のウイルスソフトによるシステム探索も行ってみたが、やはり問題点は見つからなかった。
 ただ、デスクトップに表示された見慣れぬアイコンが、削除を受け付けずに左端の天辺を陣取っているのを除いて。

 不安を抱きながらも問題無く使用できるノートパソコンを手放す踏ん切りもつかず、ズルズルと一ヵ月が過ぎた頃。
 不意に早坂は操作を誤って件のアイコンをクリックしてしまった。思わず「あっ」と声を漏らすが、もう遅い。
 起動し始めるシステム画面を見て、今度こそ買い替えかと早坂が悲壮な覚悟を決めた時――その画面は表示された。

 それが、後に早坂宏平の人生を大いに狂わせる【彼等】の創造機、『クリエイトシステムⅣ』との出会いだった。

 予想外のゲーム画面に当時の早坂は一瞬、思考を停止させた。
 この一ヶ月間、常に思い悩んでいた諸悪の根源が、まさか唯のゲームであるとは思ってもいなかったのだ。

 憤懣遣る方無い、とまでは言わないが、多大な不満を胸中に抱いていた早坂は、何となくログインのアイコンを押してみた。けれど、それは『設定が完了していません』の表示と共に拒否される。何の事かと訝しみながら、戻されたタイトル画面のメニューを確認すると、早坂は右下の方に『設定の入力』という項目を見つけた。


 ――仮に。早坂がココで興味を失っていれば、話は全て終わっていたかもしれない。


 けれど、早坂は然して何も考えずにクリックしてしまった。


 パッと表示されたのは、項目に示されていた通り、設定の入力画面であった。
 尤も、それは通常のゲームのように簡易的なモノではない。文字通り、ありとあらゆるモノをゼロの状態から入力していく、そんな入力画面であった。唯一、指標として定められているのは何らかの組織を創設する事と、拠点・設備・人員・財宝などの各大項目ごとに設けられた上限数値の範囲内で設定を行う事のみ。後はゲーム内のデータバンクから好きな情報を選択して、入力できる仕組みであった。

 この時点で早坂は、『クリエイトシステムⅣ』に並々ならぬ興味を抱いた。
 元々、戦略シミュレーションゲームや都市育成ゲームなど、手間暇を掛けるゲームを好んでいた早坂にとって、こうまで自由度が高いゲームは垂涎ものであった。何より、選択できる世界観設定がファンタジーなのが気に入った。現実を舞台にするゲーム設定には食傷気味だったのだ。

 色々と設定項目を覗いて見ると、写真と見間違うリアリティの参考画像が用意されているのに気付く。それも調べれば調べるだけ、まるで無限に収録されているかのように入力できるデータが出てくるのだ。唯一の難点は一度入力した情報が削除できない事だろう。試しに『魔王デスピア』というキャラを入力して判明した事だ。十分以上に高スペックなキャラの為、大して痛手にならなかったのが不幸中の幸いであった。

 ともあれ、これだけの高度な設定が可能なゲームに、友人達から凝り性と称される早坂が惹かれるのは時間の問題であった。
 まず一週間かけて基本項目の把握に努めた早坂は、さらに一週間の期間を経て設立する組織の方向性を定めると、一ヵ月以上の時間を注ぎ込んで着々と組織を創設していった。そして今日。最後の設定――拠点:『カバラの樹皮』の内装が完了した。

「ようやく……終わったかぁ」

 感慨深げに画面を見やっていた早坂は伸び伸びと背伸びして、そのまま座椅子に深く寄り掛かる。
 掛かった期間は一ヶ月半。早坂とて、唯の設定に時間を掛け過ぎているという思いが無い訳ではなかったが、その分だけ満足できる組織に仕上がった。各大項目ごとに設定された一〇〇万単位のポイントを、一ポイントすら無駄にせずに全て使い切ったのだから、その執念は病的とさえ言えるだろう。

「――ああ、いや。違うな」

 不意に。早坂は身を起こすと画面に向き直る。

「まだ始まってすらいなかったんだ」

 設定に集中するあまり忘れていたが、これからゲーム本編をスタートするのだ。
 目的と過程が盛大に入れ替わっていた事に今さら気付いて、思わず早坂は苦笑する。
 マウスを握り、カーソルを動かす。設定画面から出ると、直ぐにログインの項目にカーソルを移動させた。

 ドクンと。いつもよりも高く心臓が脈打つのを早坂は自覚した。

 あの手この手で早坂は『クリエイトシステムⅣ』の情報を集めたが、該当は一切無し。少なくとも通常の販売経路から発売された経緯は無く、メールに添付されているゲームという情報からも見つからなかった。つまり、これは内容もクリア条件も分からない、未知のゲームなのだ。

「――ふぅ。バカらしいな。ゲームだぞ、コレ」

 緊張している自分が滑稽で、早坂は自嘲する。
 それで吹っ切れたのか、迷わずログインをクリックした。

 以前は門前払いされたが、今回はスムーズに起動画面が現れる。そこでは入力設定が表示され、ユーザーによる最終確認を促していた。とりあえず、早坂は最重要な拠点・人員・財宝の項目を流し見て、最後に配下の忠誠度を確認する。一通り問題が無い事を確認すると、スタートを選択した。ポンっと。軽いポップオンの後、短いシステム表示が画面中央に現れる。

『これよりシステムをスタンバイします。よろしいですか? はい・いいえ』

 早坂は、その文面に僅かな違和感を覚えた。スタンバイも何も、既に起動している筈だ。
 今更な確認に内心で首を傾げながらも直ぐに『はい』をクリックして――早坂宏平は世界から消えた。


 前触れも。予兆も。何もかも無く。当然のように。早坂宏平は消失した。


 繰り手を失ったノートパソコンは、常に無い甲高い音を立てながら次々とシステムを立ち上げていく。
 ディスプレイには見慣れぬ記号が飛び交い、不可思議な文様が席巻し、声のようなモノまで混ざり始めた。
 それが一分ほど続いた後、唐突に画面がブラックアウトした。その一瞬後、白い文字が、薄らと浮かぶ。

『スタンバイが確認されました。これより「クリエイトシステムⅣ」は起動準備に入ります』

 それが最後。ブツンと音を立てて文字が消え、数秒後には常と変らぬデスクトップ画面が表示される。
 けれど。そこには二ヶ月半もの間、左端の天辺を陣取っていたアイコンの姿は、無かった――










 ――奇妙な通路だった。

 光源も無く灯火が燈る空間は、上下左右が等しく白と黒の斑模様に彩られている。
 連々と続く通路には何も無かった。窓も。扉も。電灯も。燭台も。出入り口すら存在しない。
 始点と終点と多様性が考慮されず、まるで通路と言う概要だけを切り取って張り付けたかのような空間。

 誰が。何の目的で。どうやって造ったのかさえ定かではない通路。

 そこは変化とは無縁の静寂に包まれていた――その寸前までは。

 ヒュウと。何処からか、風が吹き過ぎる音色が響いた。

 隙間風ではない。風が迷い込める隙間なんて、この通路には端から存在しないのだから。
 出入り口が無く、隙間すら無い通路のいったい何処から、この風は吹いているのだろうか。
 停滞した時間が支配する通路に於いて、それは確かな異常だった。そして異常とは――兆候の別称だ。

 刻一刻と異常はより明確に、何らかの兆候として形を成していく。
 唯の風音に過ぎなかった風は、時が経つに連れて徐々に勢いを増し始めた。

 軽風から疾風へ。疾風から強風へ。強風から暴風へ。遂には台風の域にまで風は規模を強めていく。我が物顔で吹き荒ぶ台風は通路を縦横無尽に暴れまわり、激しく渦巻かれた風は乱気流を生み出すに至っていた。このまま勢力を増し続ければ、通路そのものの損壊に繋がりかねなかったが、それは寸での処で回避される。

 ピタリと。あれ程の勢力を誇っていた風が、何の前触れも無く吹き止んだのだ。
 拡散して、弾け飛んだ台風の渦は斑模様の壁を荒々しく撫で上げながら、散り散りに消えていく。
 結局、吹き荒んだ風は通路に何の爪痕も残す事無く、収まった。

 けれど――確かに変化は起きていた。

 短く刈り込まれた黒髪に胸元の無骨なネックレス、淡い青色のシャツの裾が風の余波で微かに揺れている。台風が渦巻いていた基点。まるで最初から其処にいたかのような自然さで、取り留めて特徴の無い男が佇んでいた。

 背丈は低く、顔立ちは幼い。それは、早坂宏平であった。

「……………………は?」

 茫然と早坂は呟いた。
 ポカーンと半開きの口を閉ざす事も忘れて、白と黒の斑模様の通路に立ち尽くす。
 早坂は、状況が理解できていなかった。空回りする思考は理解を遅らせ、時間だけを悪戯に奪い去っていく。やがて早坂は緩慢な動作で上下左右を意味も無く見回すと、左右の壁や床をペタペタと触り始めた。ひんやりと冷たい手触りが掌から全身に伝わると、徐々に思考が正常に巡り始める。そうして唐突に早坂は顔を蒼褪めさせた。冷や汗が溢れ、全身が震え出す。

「は、え、あ、なん、なん……」

 言葉に成らない衝動に体をふらつかせた早坂は、何も無い場所でたたらを踏むと、そのまま勢い良く尻餅をついた。

「痛っつッ……!」

 臀部を強打した早坂はじんわりと広がる鈍痛に呻く。
 けれど、その御蔭で多少は混乱から立ち直る事ができたのか、顔色が少しだけ回復していた。
 痛む個所を抑えながら、壁を支えにしてヨロヨロと立ち上がる。

「ま、待った。落ち着け。冷静になれよ……絶対に取り乱すな。慌てるなよー……」

 早坂は瞼を強く閉じて、声を震わせながら、自己暗示の如く口の中で何度も同じ言葉を反芻した。
 そうして十回は繰り返しただろうか。ようやく早坂は現実と向き合う覚悟を決めたのか、ゆっくりと瞼を開いていく。
 瞬間、視界いっぱいに飛び込んできた白と黒の斑模様にグラリと心を折られ掛けるが、自己暗示の成果か、寸での処で持ち直した。脅えた瞳で、改めて周囲を観察する。まったく見覚えの無いトンネルのような通路。前後には終わりの見えない道が続いている。白と黒の斑模様のせいだろうか。距離感や方向感覚が曖昧になって、乗り物酔いのような気持ち悪さが胸を締め付けた。

「――ココ、何処だ? なんで、こんな所に……」

 早坂は弱々しく吐き出して、直前の行動を想起する。
 一ヶ月半以上もの時間を掛けて、ようやく設定が完了したゲームを起動させようとしたら、次の瞬間にはココにいた――まるで意味がわからなかった。そもそも自室にいた筈なのにと思った処で、はたと靴を履いていない事に気づく。黒い靴下が、通路の斑模様を踏みつけていた。不幸中の幸いか、地面には埃すら見当たらないので汚れる心配は無さそうだ。

「……夢、じゃないよな」

 一瞬、本当は転寝でもしているんじゃないかと自分自身を疑うが、未だに鈍痛を訴える臀部が否定している。
 他にも誘拐、拉致、ドッキリ――様々な可能性を次々に思い浮かべるが、結局は情報が足りず、答えを保留するしかなかった。

「誰かいませんかーっ!!」

 早坂は通路の奥に大声で呼び掛けるが、返って来るのは無数に反響した自分の声ばかり。
 何度か繰り返して無駄と悟ったのだろう。早坂は、縋るような思いでズボンのポケットから型遅れの携帯を取り出した。

「……だよ、な。はぁ……」

 液晶画面に表示されている『圏外』の二文字を前にして、早坂は沈鬱な溜め息を吐いた。
 たった二文字が、人間を絶望の渦中に陥られる事を早坂は身を以って学んだ。

「どうしよう……」

 最後の希望を断たれて途方に暮れる早坂の姿は、外見相応に幼く見えた。
 諦観の念を抱きながら早坂は無造作に携帯を仕舞い直すと、存在しない出口を求めて歩き出そうとして――不意に携帯から流れ始めた聞き慣れないメロディに、動きを止めた。

「えっ!?」

 慌てて携帯を取り出し、液晶画面を確認すると、そこには一件の新着メール通知が表示されていた。
 反射的にボタンを押し込んで受信ボックスを開くと、確かに一通の未開封メールが最上段に存在している。

「なんだ、これ……?」

 早坂は思わず困惑の声を漏らした。それ程までに異様なメールだった。
 アドレス欄と件名には見た事の無い記号が並び、着信時間は99:99と表示されている。
 極めつけはメールそのものが七色に淡く点滅を繰り返して、大袈裟に存在を主張している処だ。

「そもそも、どうやって受信したんだよ……」

 電波は依然として圏外を表示している。一体このメールは何処から届いたのだろうか。

「…………」

 生唾を飲み込みながら早坂は逡巡する。
 わけがわからない状況の中で届いた得体の知れないメール。

 関連性を疑うなと言うのが無理な話だ。問題なのは、このメールを開封するか否か。開封すれば何か突破口を得られるかもしれないが、もし更なる異常が発生したらと思うと二の足を踏んでしまう。早坂としては、本当ならじっくりと悩んだ末に結論を出したい処だが、どうやらそうも言っていられないらしい。

「考える時間すらくれないのかよ」

 愚痴る早坂の視線の先には、バッテリーの残量表示があった。
 受信ボックスを開いてからというもの、パーセンテージで表されるバッテリーの減りが異様に早い。一秒に一パーセントずつ減少している。既に五〇を割り込んでいる為、決断する時間は一分すら無い計算だった。迷っている時間は、無い。早坂は浅く深呼吸をして、覚悟を決めた。

「どうせ、今だって意味が分からないんだ。これ以上、どうなっても今更だよな」

 緊張に相貌を強張らせながら、早坂は震える指でメールを開封する。
 最悪、爆発さえ覚悟していた早坂の決意とは裏腹に、そこには日本語で、短い文章が記述されているだけだった。


『システムがスタンバイされました。
 下記ワードの音声認証がクリアされ次第、システムを起動します』


 開封と同時にバッテリーの減少は止まったが、端的な文章からは状況を打開するヒントは見つからない。
 それに気落ちしながらも、とりあえず早坂は指定された部分を読み上げる事にした。カチカチと本文を下げ、件の文章に目を通す。

「え? これって……」

 メールが指示する下記ワードとやらに表示されている文章――単語は、早坂にとって見慣れたものであった。
 何せ最近は毎日、とあるゲームのタイトル画面に表示されるソレを目にしていたのだから。

「【create system Ⅳ(クリエイト、システムⅣ)】……? どうして……」

 ゆっくりと。半ば茫然と紡がれた早坂の言葉に反応してか、メール本文の文章が変化する。


『音声認証がクリアされました。
 これより【クリエイト・システムⅣ】を起動します』


 その一瞬後。グニャリと視界が脈動した。

「なっ……!?」

 否。視界ではない。上下左右の壁を彩る白と黒の斑模様が急速に変化し始めたのだ。
 分離した白と黒は次々に正方形を形成すると、まるでチェス盤を形作るかのように整列していく。
 周辺が全てチェックの柄で統一された瞬間、それが一切に裏返り――気が付けば、早坂は広大な空間に立っていた。

「……ッ!? またかよッ!」

 二度目と言う事もあってか、早坂が気を取り直すのは早かった。
 すぐさま周辺を見回して、先程まで居た空間との違いに愕然とする。
 周辺には何も無かった。凹凸の無い真っ平らな地面が遥か彼方の地平線まで続いている。
 これまで天井があった頭上は、夜空よりも黒い漆黒の空に覆われ、足元には降り積もった初雪よりも白い純白が広がっていた。

「――すげぇ」

 暫し陥っている状況も忘れて、早坂は感嘆の声をあげた。
 自然では絶対にありえない幻想的な光景に早坂の心は瞬く間に奪われる。地平線で重なり合う完全な白と黒は、まるで世界の境界を描いているかのようだ。二〇年の人生の中で、純粋に何かを美しいと思えたのは早坂にとって初めての経験だった。

 仮に、これが最初に遭遇した異常ならば、ここまで素直に感動できなかっただろう。
 謎の通路という異常の前例があるからこそ、忌避無く目の前の光景に見惚れる余裕が生まれたのだ。

「……ん?」

 暫し景観に見惚れていた早坂だが、不意に携帯が震えた気がして液晶画面を見やる。
 また、メールの本文が変化していた。


『システムの起動を確認。起動者の名称を音声入力してください』


 早坂は眉根を顰めた。
 現代人として、こんな異常な場所で個人情報を開示する警戒感は少なくない。けれど、指示に従わなければ状況が進展しそうにないのは、これまでの事態から悟っていた。そもそも今さら個人情報の一つや二つ、明かした処でどうだと言うのだ。

「早坂宏平」

 半ば投げ遣り気味に早坂が名乗った瞬間、俄かに空間が鳴動した。
 今度は何だと丹田に力を入れて気を張っていると、その眼前に突如、純白の何かが現れた。

「うわっ!?」

 思わず早坂は大きく仰け反るが、気を張っていたからだろう。
 何とか踏ん張って、再び尻餅をつく事態は回避した。それに安堵の吐息を一つ漏らして、早坂は正面に向き直る。そこには相変わらず純白の何かがあった。いい加減、異常にも慣れてきたので唐突に現れたという事実はスルーする。気にするだけ無駄だと自分を納得させていた。重要なのは、眼前の物体の正体だ。

「何なんだ、これ」

 純白のソレは一見して機械のように見えた。格闘ゲームの筺体が近いだろうか。
 正面には正方形のディスプレイが備わっている。触れる事も憚れ、かといって視線を逸らす事もできずに持て余していると、不意に映像が浮かび始めた。ディスプレイには意味不明な記号が次々に表示されていき、最終的に短い文章だけが残される。


『第二マスター認証を【早坂宏平】で登録。設定完了。
 質問がなければシステムを承認してください』


 相変わらず意味がわからない。
 早坂は頭を抱えるが、質問の二文字に縋る様な心持で声を絞り出した。

「ここは何処なんだ? さっきから何が起こってるんだっ!?」

 最後は叫ぶように早坂は眼前のディスプレイを睨み付ける。返答は、簡潔だった。


『第二マスター権限では参照できません』


 淡々とした文面に向けて早坂は拳を叩き込みたい衝動に駆られるが、寸での処で自制する。
 ここでディスプレイを壊したら唯一の道標が失われてしまう。早坂はグツグツと煮え立つ憤懣を必死に飲み干した。

「俺が何を言ってるのか分かるなら、答えられる範囲でいい。少しでもいいから俺が巻き込まれてる状況を教えてくれ。本当に、頭がどうにかなりそうなんだ。『クリエイトシステムⅣ』ってあのゲームの事だよな? もしかして、アレが原因なのか?」

 早坂は限界だった。これまでは超常現象に流される事で心の安定を保っていたに過ぎない。
 それが【質問ができる立場】に一転して立たされた事で、現状に対する不安や恐怖、困惑が堰を切ったように溢れだしていた。


『第二マスター権限では参照できません』


 けれど早坂の願いも空しく、ディスプレイは同じ文面を繰り返す。
 それからは無意味な押し問答だった。自制も空しくタガが外れ、興奮した様子で早坂が何を喚き散らしてもディスプレイは同じ文章を返すだけ。数時間が過ぎて、先に折れたのは早坂だった。純白の地面に座り込み、荒く息を吐く早坂の表情は優れない。興奮するままに喚き散らしたのだ。元々の体力が平均以下の早坂の体調が崩れるのは当然であった。

 けれど、体力に反して内面は落ち着きを取り戻していた。溜まりに溜まった文句を吐き出した事で、多少はストレスが発散されたからだろう。息を整え終えた早坂は、改めてディスプレイを見上げる。


『質問がなければシステムを承認してください』


 そこには最初に表示されていた文章が再び浮かんでいた。
 未だに疑問や文句が尽きない早坂だったが、喚いたところで進展が無いのは実証された。
 なら、理不尽を踏み締めて前に進むしかない。決意を固めた早坂は、けれど最後に一縷の望みを掛けて尋ねる。

「……元の場所に戻る方法は?」

『第二マスター権限では参照できません』

「……はぁ」

 即答に、早坂は思わず溜め息を漏らした。
 質問は無いかと聞いておいて、これでは詐欺では無いかと思う反面、これ以上に何を言っても無駄だろうなという諦観が胸中を占める。グルリと周辺を見回すが、やはり目の前の筺体以外には何も無かった。

「……覚悟、決めるか」

 物凄く嫌そうに吐き捨てながら、早坂は立ち上がる。

「わかった。システムを承認する。これで良いんだろう?」

 話が先に進まない以上は相手の要求に答えるしかない。それが融通の効かない機械ならば尚更だ。
 早坂の判断は間違ってはいない。間違ってはいないが、もう少し考えるべきであった。先程の『クリエイトシステムⅣ』という言葉の意味を。そうすれば、本当の意味での覚悟ぐらいは固められたかもしれない。尤も、既に意味の無い事ではあるが。


『システムの承認を確認。入力設定をランダム選択された現実世界に反映。
 これより多次元観測型多重位相転移装置四号【クリエイトシステムⅣ】を起動します』


 その文章を読み取った瞬間、再び早坂は世界から消えた。
 二度目の消失であった。残された純白の筺体は、新たな文章を浮かべていく。


『起動完了。【早坂宏平】から第二マスター権限を剥奪。
 該当人物の記録世界からの抹消をスタートします――完了。
 入力設定を最適化しています――完了。早坂宏平をインポートします――――』


 誰もいない空間で行われる純白の筺体による何か。
 その答えを知る者は、まだ誰もいない。




[30501] 序章2 かくして物語はめぐる
Name: 黒夢◆7b6f2400 ID:9922a8f8
Date: 2011/11/19 19:55


『彼等は思った。
 万夫不当の英雄を。唯我独尊の魔王を。傍若無人の神々を。
 寸分違わず再現できるのならば、それは創造に等しいのではないだろうかと。そう思ってしまったのだ――
                                              by:■■■■』





 一瞬の浮遊感の後、早坂宏平は見知らぬ場所に立っていた。
 前後左右は無骨な岩壁に囲まれ、等間隔に設けられた燭台に灯る蝋燭が、仄かに空間を照らしている。
 恐らく、正方形の部屋なのだろう。天井は不必要に高く、間取りは広い。そんな部屋の中心に、早坂はポツンと佇んでいた。

 まるで牢屋のように物寂れた空間でありながら、何処となく神聖な雰囲気が漂っているように感じられるのは、足元から立ち昇る翡翠色の光源の御蔭だろう。淡い点滅を繰り返す光の線は曲線状に伸びていて、何らかの模様を形成している。早坂は線に沿って茫然と視線を走らせるが、かなり巨大なようで全体像が見えてこない。けれど、複雑怪奇な文様は一定の法則に則って円状に描かれているようだ。

 漠然と。あるいは必然と。早坂は、ソレに思い至った。

「――魔法、陣……?」

 思わず口走った早坂であったが、不思議と間違っているとは思わなかった。
 直感として『これは魔法陣である』と、心根の何処かが結論付けていたのだ。現代日本で二〇年間の日常生活を営んできた日本人にしては、随分と夢見がちな思考の飛躍であったが、何てことは無い。その下地となる現実は『此処に送られる前に』既に完成させられていた。早坂にとっては、唯それだけのコトなのである。

「あー、変な通路に、凄い空間の筺体で、今度は密室か……まるで共通点が無いな」

 早坂は憂鬱そうに呟きながらも、差し足る混乱は見られなかった。
 あえて言うなら、歳不相応な達観の様相を随所に垣間見せている。悪く言えば、投げ遣りと言い換えても良いだろう。事実、早坂は早々に現状への理解を放棄していた。たび重なる一連の異常な体験から、遠からず何らかのアクションがあると予想していたので、受け身の姿勢でソレを待ち続ける。

「……ん?」

 そうして十分ほどが過ぎ去り、ジクジクと焦燥が心の殻を突き出した頃合い。
 変化は唐突に始まった。足元の魔法陣とは別に、正面の地面が眩く輝き出したのだ。琥珀色の光は薄暗い岩壁を染め上げ、陽光の下と遜色のない光源と化している。決して短くない時間を薄暗い空間の中で過ごしていた早坂は、咄嗟に瞼を閉じて眼球を護った。さらに片腕を強く目元に押し当て、光を遮断する。その時だ。ザリッと。砂を摺り付けるような音を捉えたのは。

 早坂は恐る恐る片腕を退けて、少しずつ瞼を開けていく。

 琥珀色の光の基点。そこには――悪魔がいた。悪魔としか形容できない、ナニかがいた。

 灰色の頭部の左右から伸びる捻じれた角。眼球全体を蒼一色で統一された瞳。鑢で削り取ったかのように平坦な鼻。一文字に結ばれた口からは鋭い歯が幾本も飛び出していた。体躯は人間の形をしているが、不自然な程に隆起した筋肉の鎧で隈なく覆われ、背中には折り畳まれた蝙蝠のような羽が一対生えている。身長は恐らく三メートルぐらいだろうが、圧迫感から倍以上に見えた。

「――――あ」

 死んだ、と。早坂は淡々と自らの行く末を結論付けた。
 これまで数々の理不尽な異常に耐え切った心が、ソレを見た瞬間に呆気なく崩壊した。恐怖という感情すら浮かんでこない。本当に、粛々と絶命の運命を受け入れさせる異様な雰囲気を眼前の悪魔は纏っていた。不意に、岩を擦り合わせたかのように無骨な音が密室に流れる。

【我が主よ、お待たせして申し訳ありません。誰が最初に主の御尊顔を拝謁する栄誉を賜るかで大いに揉めましてな。結果、主に最も早く選ばれた我が、お迎えに上がる事になりました】

「――――え?」

 無骨な音とは別に、流麗な日本語が直接、頭に伝わった。
 その奇妙な感覚に当てられて、早坂は埋没した意識を再浮上させる。良く良く悪魔を観察すると、片膝を地面に着きながら早坂の様子を真摯に窺っていた。それを認識した瞬間、眼前の悪魔から感じていた不吉な雰囲気は消失する。それに代わって恐怖の念が湧き立ち、早坂は少しずつ悪魔から遠ざかっていく。それを見て、心成しか悪魔は不思議そうに首を傾げた。

【……? どうされましたか、我が主よ】

「あ、るじ?」

 異様な存在を前にして、辛うじて早坂にできたのは、脳髄に響く言葉を反芻する事だけだった。
 既に早坂には冒頭の余裕は微塵も無い。これまでの異常では明確な第三者は居らず、ましてや悪魔なんて登場する予兆も無かった。異常に対して虚勢で構築したメッキは、この悪魔によって剥がされている。現在の早坂は、剥き出しの心で悪魔と対峙する羽目に陥っていた。

【ふむ。どうやら混乱しているようですな。我が主よ。我が相貌に覚えはありませんか?】

 ズイッと突き出された悪魔の強面に、思わず早坂は飛び退き掛けて――ハタと気付く。
 何かが記憶の琴線に引っ掛かる。昔ではない。ごく最近の事だ。早坂は、この悪魔を何処かで、確かに見た覚えがある。必死に思い出そうと記憶に潜って。潜って。潜って――やがてソレに辿り着く。

「あ……」

 気付いてみれば、何で直ぐに思いつかなかったのか不思議なぐらいであった。
 一ヶ月半以上の時間を掛けて、ノートパソコンを用いて構築したアレの一部。その中の一体に、確かに悪魔は含まれていた。というか、偶然とはいえ最初に選んだ覚えさえあった。ディスプレイに映し出されていた写真と大差ない画像と、眼前の悪魔が完全に一致する。思わず生唾を飲み込みながら、早坂は震えた声で、その名を投げ掛ける。

「魔王……デスピア?」

【然り】

 何処となく嬉しそうに肯定する悪魔――魔王デスピアを唖然と見やりながら、プツンと。
 色々と限界に達していた早坂は緊張の糸を断ち切ると、眠るように意識を手放した。
 意識が途絶える最後の一瞬。堅い何かに抱きかかえられ、狼狽した声が頭に喧しく響き渡るのを自覚しながら。





【閑話】

 カバラの樹皮。
 然る世界に根付く樹木から剥がれ落ちた表皮であり、その一欠片の呼称である。たかが欠片と侮る無かれ。広大な大陸を苗床として育ち、天をも見下す樹幹を拵えた巨大樹の欠片である。ほんの僅かな琥珀の塊さえも、大地に落ちれば山を築き、海原に落ちれば小島と化す。それ程の規模を誇るのだ。このカバラの樹皮とて、全体の三割強が地中に深く埋もれながらも小山の如き勇壮な姿は健在であった。

 けれど。雄々しき樹皮とは対照的に、身を任せる大地は何とも頼りない姿を晒していた。
 赤茶けた大地に広がるのは、大小様々な無数の岩石と、断崖の如く罅割れた地面のみ。それが延々と地平線の彼方まで続いている。荒れ果てた大地に生命の脈動は無く、一切の動植物が等しく排他されている。不毛の大地。あるいは死の世界。それが、この大地を形容するに足る言葉であった。

 強風に巻き上げられた砂埃が常に空を覆い隠している為か、樹皮の周辺は酷く薄暗い。陽光が最も冴える時間帯でさえ樹皮の影すらできないのだから、余程に分厚い砂の層が形成されているのだろう。仮に天空から一帯を見下ろせば、流動する赤茶の雲がつぶさに確認できるかもしれない。あまりにも過酷な大地の中心でカバラの樹皮は常と変わらぬ勇壮を世界に見せ付け続ける。

 まるで不落の孤城のように。樹皮の表面に設けられた、唯一つの城門を堅く閉ざして――

【閑話休題】





 ――急速に意識が浮上する感覚を朧気に自覚して、早坂宏平はベッドの中で目を覚ました。
 妙に頭がスッキリしていて、後を引く眠気が全く無い。普段なら適当な理由を並び立てながら布団に包まり、弟のスカイダイブが発動するまでベッドに齧り付いている筈なのだが。もしかしたら生まれて初めてかもしれない爽快な寝起きの感覚に早坂が戸惑っていると、不意に横合いから声を掛けられる。

「御目覚めになられましたか」

「え?」

 鈴の音のような女性の声に惹かれて早坂は反射的に振り向き――ゆっくりと目を伏せた。
 早坂は丹念に目元を揉み解して、浅く深呼吸をする。そうして平常心を心掛けながら改めて声の主を見やった。

「どうかされましたか? もしや、気分が優れないのでは?」

 見るからに豪華なドレスを身に纏う骸骨がいた。喋っていた。しかもにじり寄って来た。

「ぎゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!?」

「きゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!?」

 顔を突き合わせた一人と一体の絶叫の二重奏が甲高く広い室内を席巻する。
 その瞬間、バンッ! と骸骨が立つ側の重厚な扉が思い切り開き、黒い影が飛び込んできた。

「何事だ!?」

 野太く勇ましい声を張り上げた人物は鉄骨のような棍棒を片手で握り締めながら、周辺を隈なく見渡していく。
 暫しの間は警戒していたが、やがて異常が無い事を確信すると、深紅の絨毯が敷き詰められた床に棍棒の片底を下ろした。

「なんだ? 何も無いではないか!? 今の悲鳴はなんだっ!?」

 腹の底から吼え立てるのは、巨躯の男だ。彫の深い目鼻立ちは荒々しく、常から獰猛な強面を維持しているのか頬の筋肉が吊り上って硬直している。ざっくばらんに切られた髪は鋼色で、それ自体が金属のように見えた。張り裂けんばかりの筋肉は紺の服を千切り飛ばしかねない程に膨張している。いや、実際に二の腕の付近は破れ掛けていた。

「ご、御免なさいね。主様に釣られて、つい……」

 女声の骸骨は滑らかな白骨の頬に掌に相当する中手骨を押し当て、幾分か恥ずかしそうに供述した。
 それで大男は目を丸くしている早坂に気付いたらしく、凶悪な相貌を更なる極悪人に変える。どうやら笑っているらしい。

「おおっ! 目覚めたか、主人よ!」

 ズンズンと分厚い絨毯ですら吸収し切れない力を込めて歩み寄って来る大男に対して、早坂は嫌な予感を抱いていた。
 具体的には、あの熊すら締め殺せそうな両腕で、思い切り抱き締められそう。間違いなく、口からドビュって内臓が飛び出る。

「ちょ、ちょっと待った!!」

「むっ?」

 差し迫った危機に狼狽した早坂は、咄嗟にフカフカのベッドから上半身を起こして焦り気味に叫んだ。
 すると、外見とは裏腹に聞き訳は良いのか、意外にも大男は素直に立ち止まった。けれど幾分か不満そうな雰囲気を巨躯から大いに醸し出している。グリンと吊り上った双眸には、得体の知れない威圧が込められていた。それを宥めるように女声の骸骨はやんわりと告げる。

「主様は起きられたばかりです。過度なスキンシップは体に触りますから我慢してください」

「ぬぅ……そういう事なら仕方あるまい。俺とて、悪戯に主人を疲弊させたくはないからな」

 話し合う骸骨と大男を唖然と見やっていた早坂は、ふと猛烈な既視感に襲われた。
 これまでの出来事が走馬灯の如く脳裏に浮かんでは消えていき、意識が失われる前に逢った悪魔――魔王デスピアが映し出された処で、早坂は「あっ」と声を漏らした。不意な声に骸骨と大男は同時に早坂の方へと振り抜くが、それに頓着せずに早坂はゆっくりと骸骨に指を向ける。

「『死の令嬢』アナ・ヘッジス」

「はい。主様」

 白骨の指を絡み合わせて小首を傾げる様な仕草をする骸骨――アナから視線を逸らすと、続けて早坂は隣の大男に指先を合わせる。

「『島斬(しまぎり)』のエルゴ・テロス」

「おう、主人よ」

 大胸筋に覆われた胸を張って溌剌と応える大男――エルゴを茫然と見やった早坂は、視線を柔らかな毛布に隠された膝元に移す。
 思い出すのは一ヶ月半もの時間を掛けて入力した『クリエイトシステムⅣ』の設定画面。既視感を覚えて当然だ。この二人もまた、確かに早坂は吟味に吟味を重ね、創設する組織の一員として選択している。

(まさか、あの空間の白い機械って……)

 早坂が思い浮かべるのは美しい空間。謎の通路に続いて遭遇した二番目の異常。
 その空間の中心と思われる部分に設置されていた白い筺体は、最後の最後に意味不明な文面をディスプレイに表示していた。
 その中の一つには確か、こんな言葉があった筈だ。

『入力設定をランダム選択された現実世界に反映』

 つまるところ、アレは、そういう意味なのではないか。
 早坂はグルグルと脳内を旋回する疑問に、在り得ない解答を導き出そうとしていた。
 否。既に何度も超常現象を体験している身の上で、在り得ないなんて在り得ないと思い直す。

「あの、教えて……くれませんか?」

 自分でも驚くほどに掠れた声を、早坂は喉から絞り出した。

「ココは何処で、何ですか?」

 まるで否定して欲しいかのようにアナとエルゴに縋った早坂は、

「えっと、それは場所と組織という事でしょうか? それでしたらココは『カバラの樹皮』で――」

「――『クロスオーバー』だが……今さら何を言っているのだ、主人よ。俺達を無尽蔵の世界から選別した上で、指導者として率いるのは主人だろうに」

 ばっさりと。現実に切り捨てられた。

 ――クロスオーバー。

 それは早坂が『クリエイトシステムⅣ』で組織を創設する際に組織名として掲げた名称だ。
 入力設定に表示される詳細情報に拠れば、各キャラや物品などは全て数多の並行世界の中で一定以上の名声や悪名を獲得したモノであるとされていた。英雄には英雄の。魔王には魔王の。神々には神々の。それぞれ個別の伝説や逸話があり、その生き様がバックストーリーとして描かれている訳だ。

 既に早坂が会合を果たした『魔王デスピア』『死の令嬢』『島斬』も別々の世界で名を馳せた者達であり、本来は決して交わる筈のない存在である。彼等だけではない。早坂は基本的に出身世界が被らないように人員を選抜していた為、一部の例外を除いて彼等は文字通り生きてきた世界が根本的に異なっている。

 複数の別世界に属する伝説が一堂に会する組織。故に『クロスオーバー(交わる世界)』と早坂は名付けた。

 もちろんゲームのつもりで、だが。

「夢なら……醒めてくれ」

 意気消沈した様子で弱々しく呟く早坂は現在、何故かエルゴの肩に米俵の如く担がれていた。
 衝撃の事実が判明した後、全身の血の気を茫然と凍らせる早坂に告げられたのは、更なる訃報であった。
 何でも指導者の役割として、クロスオーバーに所属する全人員の前で挨拶をする事が勝手に決められていたらしい。早坂からすれば冗談ではなかった。悪魔や骸骨、ギリギリ人類だけでも食傷気味だというのに、それ以上の人外魔境に放り込まれる事が確定していたのだから。しかも本人の預かり知らぬところで。

 もちろん早坂は抵抗した。ベッドに齧り付いて徹底抗戦を訴えた。けれど所詮は現代日本の貧弱な大学生に過ぎない早坂の駄々なんて、元々の世界に於いて【一撃にて島を両断した】伝説を持つ英雄相手にはまったく通じなかった。あっさりとベッドから引き剥がされ、物のように連行されている。運ばれていく羊の気持ちを絶望と共に噛み締めている早坂を見兼ねてか、スゥとアナが寄り添ってきた。

「申し訳ありません、主様。エルゴさんは、見た目通り豪快な方でして……いつも私達も振り回されているんです」

 そう思うなら下ろすように説得してくれと早坂は文句を言いたかったが、ふとアナの何気ない言葉に違和感を覚えた。

「いつも?」

「はい。この間も主様を歓迎する宴席の用意で大いに担当者と揉めまして」

「何を言うか! 立食など堅苦しいモノは邪道であろうっ! 腰を据えて語り合ってこその酒宴だというのに、それをアガメム殿はまったく分かっていないのだっ!!」

「だから酒宴ではなく宴席だと何度も言ってますのに……」

 無駄な気迫を込めて力説するエルゴを物憂げな眼孔で見やるアナ。
 何処となく気心の知れ合う二人の遣り取りを傍目から観察していた早坂は、ふと違和感の正体に気付いた。
 全く別の世界の出身であり、これまで接点の無い二人が忌避無く言い合う光景は本来なら在り得ないのでは無いだろうか。
 特にエルゴとアナは、早坂の記憶に拠ればエルゴは魔族と、アナは人間と確執があるというバックストーリーが存在した筈だ。

(もしかして、俺が此処に来るまでの間にキャラ同士の親睦を深める猶予期間があったのか?)

 だとしたら早坂の懸念も二割程は減少する。少なくとも英雄、魔王、神々の勢力で世界を揺るがす大戦争が勃発する危険は薄れた。
 尤も、懸念の大部分はクロスオーバーの指導者に据えられている点なので気休めにもならないが。思わず漏れ出た早坂の溜め息に気付いたらしく、エルゴはグイッと野性味が溢れる横顔を近づける。

「どうした、主人よ。元気が無いではないか? 今からそれでは先が続かんぞ」

「……そう思うなら放してください。できれば元の世界に帰してください」

「それは先程も無理だと言ったであろう。俺達とて住み慣れた大地への未練は断ち切っているのだ。俺達の主人となる方ならば、むしろ率先して覇気を見せるべきだと思うのだがな?」

 挑戦的な瞳で早坂を見やるエルゴは何処となく面白そうだ。
 その様子から何を言っても無駄だと感じた早坂は胡乱気に目線を伏せた。

 当然、早坂は元の場所――世界に帰る方法を真っ先に尋ねていた。

 伝説の存在が跋扈するクロスオーバーの指導者なんて、冗談ではなかった。
 早坂にとってクロスオーバーとはゲーム内の組織であり、現実で率いるモノでは断じて無い。
 そんな役目を引き受けるつもりは毛頭無かった。けれど、エルゴとアナは無情にも告げる。

『元の世界に帰る術は無く、クロスオーバーの指導者である事は変えられない』

 あまりにも淡々とした宣告に早坂は文句を言う事もできなかった。
 無論、二人の語り口が真に迫っていた事もある。だが、それ以上にストンと。早坂は二人の言葉が真実であり、絶対に曲げられない既定の方針であると確信してしまったのだ。

 早坂宏平は、クロスオーバーの指導者と成るしか他に道は無い。

 そう心根の部分で、何故か早坂は納得していた。納得させられた。加えて、それからは何もかも見え方が変わってしまった。
 アレだけ不気味に見えた骸骨のアナを気にする事は無くなり、現実では縁の無い野性味溢れる大男であるエルゴに担ぎ上げられている現状に恐怖を抱かない。今ならデスピアが眼前にいようが気にもしないと、漠然と早坂は確信できた。理由は分からない。けれど、異常を異常として認識できなくなっているのは間違いなかった。故に現在、早坂が唯一恐怖を感じるのは、自分自身の変質についてだ。

(今の俺は――本当に『早坂宏平』なのか?)

 アイデンティティの崩壊さえ在り得る底知れない不安を、早坂は朧気に感じていた。
 それは数々の異常に巻き込まれるより。元の世界に帰れないかもしれない事より。ずっとずっと、怖い事だった。

 さておき。
 早坂が自己の変化に葛藤している間もエルゴとアナの脚は止まる事はなかった。

「着きましたよ、主様」

 やがてエルゴとアナは巨大な扉の前で立ち止まると、躊躇無く扉を開け放つ。
 重厚な見た目に反して滑らかに開かれた扉の奥を覗き見て、思わず早坂は息を呑んだ。

 そこは巨大な衣裳部屋であった。

 早坂の自室の優に数十倍――あるいは数百倍も広大な空間には所狭しと多種多様な衣服と装飾品が並んでいる。
 そのどれもが庶民である早坂では値打ちが分からない程に高貴な代物であった。けれど見覚えが全く無い訳ではない。何せ、こうした衣服や装飾品を用意したのは、ある意味で早坂なのだから。

 まだ全てがゲームだと思っていた頃に整えた拠点の内装の中には、確かに衣裳部屋が存在した。
 流石に衣服や装飾品をイチイチ吟味するのは手間なので、その大半は一定以上のランクを自動取得した物であるが、他の設定の途中で偶然目に留まり、何となく気に入った衣服等を纏めて放り込む倉庫のような使い方をしていた。

 その結果、中々に洒落にならない空間が出来上がっている。
 王族の衣装の隣に魔王の正装が並び、その対面に神の羽衣が揺れているのが、その証拠だ。あろう事か、記憶の片隅に残っている極上の呪いの衣装に、あらゆる魔を払う聖なるマントを羽織らせる物掛けまであった。どうやら呪いの方が勝っていたようで、オドロオドロしい雰囲気を醸し出している。絶対に近づきたくないと早坂は思った。

「カオスだ……」

 ゲームと思っていたシステムの設定に一ヶ月半もの時間を注ぎ込む事からも分かる通り、神経質で几帳面、尚且つ凝り性という面倒な性格の早坂には目に毒な光景であった。やはり自動設定に頼らず、一からキッチリキッカリ物品の配置を決めれば良かったと早坂が僅かに後悔していると、おもむろにエルゴの肩から降ろされる。その様は、まるで高所に登った子猫を摘んでいるかのようだった。

「俺達は此処までだ。主人は正装を繕った上で、玉座の間に参上してくれ。皆が待っている」

「いや、そんな急に言われても……」

 正装なんて生まれて此の方スーツしか着た事の無い早坂には、玉座の間なんて如何にも堅苦しい場に何が相応しいのか分からない。
 そもそもクロスオーバーの指導者の地位に納得した訳ではないのだ。確かに心根では「そうなるしかない」と理解しているが、感情の部分では未だに抗っている。相反する二つの思考に板挟みされている早坂にとって、その方向性を決しかねない全人員への挨拶という行為は回避したかった。尤も、豪快な気質のエルゴが、そんな苦言を取り入ってくれる手合いで無いのは、これまでの遣り取りで十二分に理解していたが。案外、その為にエルゴを早坂に着けていたのかもしれない。

(……ありえるな)

 ふと組織の参謀役に宛てた人物の詳細を思い出して早坂は憂鬱な気分になった。
 数多の世界に於いて最も知略面で有能だと判断したから早坂はその人物を選抜した訳だが、今となっては自分の首を絞める人事であったと悔いるしかない。少なくとも早坂には、あの化物を相手取って指導者の地位に座らずに済む未来を想像する事はできなかった。何だかんだと知らない内に玉座に座らされ、笑顔で両肩を抑え付けられるイメージが嫌にはっきりと浮かぶ。

(仕方ない……のか?)

 遅かれ早かれ指導者の地位に着くのなら、嫌々遣っているイメージを持たれるよりも自発的に取り組む事で人員の印象を少しでも良くした方が後々の為になるのではないかと早坂は考え始めた。そもそも何故、伝説に謳われる英雄や魔王、神々が早坂の下に着く事を了承しているのか判然としていない。漠然とそういうものだと早坂の心根は告げていたが、そんな不確定要素を素直に信じられる訳が無かった。かといって、と。早坂はそれとなくエルゴとアナを横目で見やる。

(直接聞くのも、なんかな……)

 何で自分に従うんですかと馬鹿正直に聞くのは憚れた。それで予想外の返答をされたら怖い。
 何時か聞かなくてはならない時が訪れるのだろうが、少なくとも今はまだ聞く気にはなれなかった。あーだこーだと煮え切らない態度を見せる早坂の肩が誰かに軽く叩かれる。肩越しに振り返ると、純白の骸骨がぬぅと覗き込んでいた。カタカタと剥き出しの歯が揺れている。

「…………」

 目覚めたばかりの頃ならば、この時点で気を失う嫌な自信が早坂にはあった。
 尤も、精神的に明らかな変質を見せている現在の早坂に動揺はない。衣裳部屋には驚いた癖にアナには何の反応も示さなくなった辺り、何か基準のようなものがあるのかもしれない。ともかく、早坂は胡乱な瞳をアナに向けた。

「……何ですか?」 

「一つ、お聞きするのを忘れていまして……デスピアさんの事です」

「デスピアって……魔王の?」

 思い浮かべるのは異常の最中で初めて遭遇した第三者にして、元々の世界では魔王の異名を誇る悪魔。
 その名の通り圧倒的な死と絶望を撒き散らしていた存在だが、今の早坂は然して気負い無く思い出せた。

(そういえば……そのままだよな、名前)

 偶然から選択してしまった経緯もあって、早坂はデスピアのバックストーリーを他の人員よりかは鮮明に覚えていた。
 それに当て嵌めればデスピア(絶望)という名はこの上なく適しているが、まさか元々の世界で同じ名前だった訳ではあるまい。当然のように日本語で話される事と並んで、謎の一つである。機会があれば解明したいと早坂は思った。もちろん、帰還の方法を探すのが先だが。

「デスピアさん、主様が倒れた事を大変に懸念しているようで……何か粗相でもしたのではないかと」

「ああ、いや、ちょっと驚いただけですから。あんな人、初めて見ましたし」

「では、デスピアさんが粗相を働いた訳ではないと?」

 念を押して確認してくるアナに妙な印象を抱きながらも早坂は迷わず首肯する。

「そうですけど……そんなに気にしてるんですか?」

「――はい。それはもう、気にしていました」

 両手をカチャリと合わせるアナを見て、何故か早坂は笑っているのだろうなと理解した。
 それで話は終わりなのか、クルリとドレスの裾を揺らしてアナは早坂の正面に向き直ると瀟洒に一礼する。

「それでは、主様。私達はこれで失礼します。玉座の間でお待ちしていますね」

「あまり時間は掛けんでくれよ、主殿。何せ俺は待つという行為が大の苦手なのでなっ!」

「もう、失礼ですよエルゴさん」

 アナは大仰に笑い声を上げるエルゴを諌めながら、揃って歩き去っていく。
 最後まで騒がしい二人の背中が通路の向こうに消えた処で、ハタと早坂は気付いた。

「あっ……服、どうしよう」

 一人残された早坂は開け放たれている衣裳部屋の前で途方に暮れた。
 いっそうの事、正装が着れなかったとでも言って挨拶をすっぽかそうかとも考え始める。結果として、未遂に終わったが。

「――それでは、主よ」

「え?」

 不意に。背後から声が響いた。穏やかな風が奏でる音色のような声が。
 慌てて早坂が振り返ると、そこには銀砂の髪を靡かせる十代前半の少年が、奇天烈な燕尾服を身に纏って佇んでいた。

「…………っ」

 その姿に早坂は思わず息を呑む。
 絶世の美貌に見惚れたから――ではない。相変わらず早坂の心根は機能麻痺を起しているようで、少年の相貌や雰囲気にも気圧される事はなかった。早坂が驚いたのは、少年の存在という唯一点。既に魔王や英雄と会合して分かっていた事ではあるが「やっぱりいるのか」という思いが胸中を通り過ぎていく。

「お召し物の支度を手伝わせて頂きます」

 朗らかに微笑む少年の名は、ミュスティカ。
 然る世界に於いて、自然と天界を繋いでいたとされる神である。


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