小和田雅子 醜悪なるもの


おめでとう皇太子さま・雅子さま―愛子さまお誕生記念写真集


 宮内庁の皇太子と雅子の日程を見てみると、雅子は、コーカソイド(ただし、アラブ系を除く)の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や来賓とは会っていない。香淳皇后(昭和天皇妃)の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子に愛子ともども3日も参列した。事実だけを連ねるだけで、その醜悪さに反吐が出る。
 母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎海軍中将の3男で、長男は隆、その長男が、江藤淳こと江頭淳夫(えがしらあつお)で甥にあたる。その甥は、江頭家を佐賀藩主鍋島家の手明鑓(てあきやり)という身分の下級藩士と推測しているが、史料や系図が一切なく、賤しい出自であると考えられる。
 佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って行って肥料にするほど吝嗇で、現在でも、車を合流させないなど、オランダ(インドネシアを徹底的に搾取し、それまで低かったオランダ人の身長が高くなった。独立にあたって金を取った。)に酷似している。この風土は、江藤新平(佐賀の乱)、牟田口廉也(盧溝橋事件独断専行、インパール作戦)など、試験の成績は良いかもしれないが、周囲や国家に百害をもたらした悪鬼を輩出している。詳細は調べていただければ良いが、独りよがりで意地汚く、とにかく、潔くない。出身者には「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。
 母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や家族を冒瀆し続けた。会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備員(を装った暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け「MINAMATA」を世界に知らしめた写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行していたが、この江頭豊の意を汲む暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは、時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと離婚後の1978年10月、アメリカで貧困生活の中、後遺症が元でスーパーマーケットで発作を起こし死亡。1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も、相談役としてチッソに君臨した正しく鬼畜である。
 こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン・スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せにはなってはならないと思う。
 江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。この小和田家の血筋もかなり怪しい。なりすまし説(朝鮮人疑惑)の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子ともども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されていたのは間違いないそうだ。
 売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。
さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、

出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切りを試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを閉めてしまった。

同じく、さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、
中途退職した二人の外務省OBの生きざま
 外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが、退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くような真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡したという。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省の質の低下を感じる。

防衛省OB太田述正ブログでは、
私は雅子さまとは面識がないのですが、防衛庁勤務時代の1981年に米国出張した折、外務省に本籍を置いたまま一時ハーバード大学の国際法の客員教授をされていた小和田恆氏に同大学の同氏の研究室でお目にかかったことがあります。
 当時防衛庁に出向していた私の部下の外務省キャリアを通じて、東京からアポイントをとったのです。
 その頃私は、日本の安全保障政策がいかに歪んだものであるかを訴える評論活動を匿名で行っており、「諸君」等に発表した拙稿のコピーを渡し、同趣旨の話をしました。
 しかし、小和田氏は、学者としてではなく、防衛庁キャリアを小バカにしている典型的な外務省キャリアとして、そして対米従属を当然視している典型的な外務省キャリアとして私にお接しになられた。
 それはとんだ誤解だと小和田氏はおっしゃるかもしれません。
 しかし、氏が日本の安全保障政策の現状と将来に深刻な危機意識を持っていた私とほんの少しでも共鳴しうるものを持っておられたとすれば、私がそんな印象を抱いたはずがありません。
 最初から露骨に私を小バカにしたような退屈そうな顔つきをされていた小和田氏は、20分ほど経ったか経たないうちに私に退去するよう促されたのですが、ニューヨークに国連から委嘱された仕事で赴く途中、(ボストンではもう一箇所某研究所を訪問しましたが、)わざわざ遠回りしてボストンに寄った私は、その程度で追い出されてたまるか、と氏に食い下がり、更に10分ほどねばってから部屋を退去した記憶があります。

渡辺亮次郎のエッセイ(リンク切れ) では、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持たすタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいんだから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。」とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしないだろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわからんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことをいいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから、小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。

 その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。 11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への謝辞が綴られ、父恆のコネで錚々たる面々に代筆させた。
前年の夏休みに小生がご父君(小和田恒・現外務事務次官)からの紹介でお目にかかり。経団連の食堂で昼食を共にさせて頂きながら、石油ショックに対するマクロ・ミクロの対応などについてお話をした。

よほど学歴にコンプレックスがあってのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で外務省に入省。これは小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)でオックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。大鳳会(創価学会)、世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。

Comments: (2)

2009.3.4 23:52:09 まこと : どんな事がでてこようと、事実は事実。しかし、その方を皇太子様ご自身が「この人なら」と選ばれたのです。雅子様のご先祖様が、悪事を働いたかもしれませんが、その報いはもう受けているのでは?世界にその名と顔を知られる立場になり、そしてプライベートも何もなくなり、その上、精神的な病に苦しんでおられる事実を否応なしに報道される。小和田恒氏が、仮に謙遜的でない人間だとしても、皇太子様は、恒氏と結婚したわけではないでしょう。小和田恒氏が、仮に謙遜的ではないからといって、雅子様も謙遜的でないとは限りません。オックスフォード大学で修士とれなかったからといって、普通の人から見たら十分な学歴です。皇族になるのにも、十分すぎるほどの学歴です。国費を無駄に使用したけれども、その分、皇太子妃として周囲の圧力や国民の好奇の目にさらされ、こんな風にブログに書かれる苦しみも与えられている。私なら、自分の先祖や両親のこと、妹のことで、こんなこと書かれていると思うと、帯状疱疹や精神病どころではないでしょう。すでに歯車は回りだしているのですから、皇室安泰を祈るしかないのでは。
2009.4.7 23:22:20 cnx : スパイシーの小和田雅子のプロフィールとして、全文転載されていた。
http://spysee.jp/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E9%9B%85%E5%AD%90

 このプログは共感できるところも多い。しかし、なんとも過激である。
http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/2009/04/blog-post_3755.html
> 日本が解放されれば必然的に、世界は変わる。世界秩序は根本的
> に違ったものになる。
>
> そのためには、現在の天皇制を廃止することが是非必要である。
>
> 現在の皇室は汚染されており、日本人を白人の妾にとどめる謀略に
> 組み入れられていると思う。
>
> 天皇制を廃止する以上は、全皇室の処刑が必要である。女子も含
> む。そうしないと、白人勢力が皇族の誰かを外国で反日天皇に担ぎ
> 上げ、ダライラマのように仕立て上げる可能性が高いからだ。
> 旧皇族も処刑しなければならない。恨むなら、雅子を追放できなかっ
> た皇室を恨むべきだろう。

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Title: 雅子妃は皇室の伝統も御公務も大切に考えてなどいない:雅子妃一派を強気にさせる3種類の"応援団"
Excerpt: ★絶対に「申し訳ない」と言わない雅子妃。 ★報道される言葉(話)と映像とが著しく乖離している。 ★本当に皇室を思っているのなら、人の上に立つ、国民の手本となる自覚を持つべき
Weblog: 雅子皇太子妃・皇太子御一家の現状は"第二の女系天皇問題"
Tracked: 2009.6.6 23:08:48