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オウム裁判:悔悟の念、憤り、不安…死刑囚たちの手紙

広瀬健一死刑囚から記者に届いた手紙=毎日新聞東京本社で
広瀬健一死刑囚から記者に届いた手紙=毎日新聞東京本社で

 死刑を言い渡されたオウム真理教元幹部の中には確定前、本紙記者と東京拘置所で面会し、手紙をやりとりした死刑囚もいる。会話と文面には、悔悟の念や松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚に対する憤り、「極刑」への不安など、さまざまな心情がにじんだ。

 ■広瀬死刑囚

 「私の愚かさが悔やまれます」。地下鉄でサリンを散布した広瀬健一死刑囚(47)は06年に記者と面会した後、3通計24ページの手紙を送付し、悔悟の念を伝えてきた。

 早稲田大大学院で高温超電導を研究する科学者だったが、手紙では「松本死刑囚の『力』によって私の悪業が消滅し、解脱に導かれたと感じる経験をした。『神』といえる存在でした」と当時を振り返った。一方で「独善的な教義にとらわれ、被害者の生命、人生、生活の大切さに気づかずに奪ってしまったことは人間として恥ずかしい限りです」と逮捕後の心境を吐露。松本死刑囚については「神の姿は完全に崩壊した」「責任を放棄して自己の殻に閉じこもる姿は情けない限り」と怒りをにじませた。

 元弁護人の一人は「真面目過ぎたということに尽きる。道を誤らなければ社会に貢献する人材になっていたはずだ」と悔やむ。達筆な文面にはこんな記載もあった。「罪の重さは決して薄れるものではないことを、年月の経過に比例して強く感じます」【佐藤敬一】

 ■早川死刑囚

 「『終身刑より死刑の方がまし』と考えていました。しかし今では『終身刑があれば、その方がいいかな』と思っています」。坂本堤弁護士一家殺害事件の実行役だった早川紀代秀死刑囚(62)は、08年8月に記者に送った手紙の中で「極刑」への不安を隠さなかった。

 心境変化の理由を「確定すれば2、3年で執行される時代になったこと。『塀の内の生活』に慣れ、このまま続けていけそうに思えるようになったこと」と記した。

 翌9月に面会すると「以前の(著書で書いた)ようにおわびとか何とかいう余裕がない。死ぬ準備をするところやから。執行までの間、徹底的に修行したい。勝手かもしれませんが」と打ち明けた。

 09年7月の最高裁判決前に改めて手紙を送り、判決3日前に届いた電報にはこう書かれていた。「お詫(わ)びはマスコミへの回答等でできるだけです。(死ぬ準備とは)断食して瞑想(めいそう)に専念することです」【武本光政】

 ■岡崎死刑囚

 最初に死刑が確定した岡崎(宮前に改姓)一明死刑囚(51)は確定前、拘置所での面会時に「こういう犯罪が二度と起きないために、私にできることは言っていきたい」と語った。その後届いた手紙には「愚かな私にできることは潔く刑に服し、最期の日まで被害者のご冥福を願うことが全て」とあり、現役信者に「一日も早く眼を覚まして麻原(彰晃=松本死刑囚)から離れてもらいたい」と訴えた。【森本英彦】

 ■土谷死刑囚

 サリン生成役の土谷正実死刑囚(46)は死刑確定前の今年1月に拘置所で面会した記者の求めに応じ、2月に手記を寄せた。被害者や遺族に謝罪し、松本(麻原)死刑囚を2度目以降で「A」と略して「(逮捕後は)事件の悲惨な被害に対する罪悪感と、Aへの帰依心との間で葛藤していた」と明かした。

 06年に松本死刑囚の1審判決時の様子を雑誌で読み「詐病に逃げた」と確信し「帰依心がはっきりと崩れた」と告白。「個人的な野望を満足させるために弟子たちを反社会的な行動に向かわせた」と「A」を批判した。【伊藤一郎】

毎日新聞 2011年11月21日 12時29分(最終更新 11月21日 12時43分)

 

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