あさがおさん観察日記 '11

2011年11月21日(月) 04:07

ゲームにやれることをやろう

 東日本大震災の発生直後とか、鯖江モノポリー祭の第一報が出るか出ないか辺りの頃など、何度か書いたテーマなのですけど、今このタイミングで改めて思うところを書いてみます。

 今年3月11日の東日本大震災と福島原発1号機での事故発生以降、スポーツや芸能など様々なジャンルの方々が「被災地や被災者のため」「勇気や元気を与えたい」などのコメントを口にされて、それぞれの道に取り組まれています。ただはっきり言ってしまいますけど、おそらくそういう方々の多くが本音としては「怖い」のだと思います。こんな大変な時期に自分はスポーツとか音楽なんてやってていいんだろうか。それこそ半年くらい休業して現地でボランティアをやった方が他人様の役に立つんじゃないか。そういう不安を間違いなく抱えていると思うのです。

 ならば実際のところどうなのか。例えば震災からわずか18日後の3月29日に開催された東日本大震災復興支援チャリティーマッチ「ザックJAPAN VS Jリーグ選抜」の試合。確かにあれを見て「こんな大変な時期にサッカーなんかやってんじゃねえよ」という方は少なからずいました。ただそういう声が結構被災地の外から聞こえてきていたのに対して、一方でそれこそサッカーどころじゃないはずの被災者から「こんな素晴らしい試合を良くやってくれた」「勇気と元気をくれてありがとう」という声が多数聞かれたかと思います。それはその他のスポーツにしてもアーティストのコンサートなどにしても同じでしょう。ただしこの「勇気や元気をもらった」という台詞は、おそらくその慈善活動をされたスポーツ選手やアーティスト自身の「ああ、俺達も今までやって来た道で人に貢献できるんだ。だからこのまま続けていいんだよね」という本音でもあるんじゃないかと思います。そういう意味でスポーツや音楽は確かに多くの人達を幸せにした。そうであれば続けることには何の問題もないでしょう。

 じゃあ一方でゲームの世界はどうなのか。まあはっきり言ってしまうと世間一般の感覚としては「そんな趣向品に使う金があったら寄付しろや」になりますよね。 (^^; だからコナミやタカラトミーなどの大企業は早々に義援金や各種寄付の提供を申し出ましたし、ブシロードみたいな規模の企業ですら「この期間の売上の1%を寄付します」とか言って、更にそこに上積みして義援金を送られています。(確か木谷社長は自ら被災地に出向いて子供達にヴァンガードのデッキを進呈されたはずです。)そういう流れに少なからぬ個人ショップなども同調されていました。やはりみんな不安だし怖いんですよ。大きな災害を機に自分達が忘れ去られ、自社の商品が真っ先に「買わない」「売らない」の対象になってしまうことが。逆に言うと、こういう時期にそういった危機感や恐怖心を感じられない企業や組織があったとすれば、私からすると感覚がどうかしているとすら思います。ちょっと鈍感なのも大概にしいやとか言いたくなります。

 そこで改めて考えてみたいのが「こういう大変な時期にゲームには何が出来るのか?」ということです。ゲームはイベントへの動員力などに関しては、プロスポーツや著名アーティストのコンサートなどに到底かなう物ではありません。しかし規模の大きなイベントにはかなりの労力と少なからぬ資金、そして何よりもそれ相応の施設が必要になりますから、なかなか簡単には開けません。少し前に、かのレディー・ガガが被災地でのコンサート開催を熱望されたものの、受け入れ態勢が整わなくて断念したという話を伺った記憶があります。確かに有名になればなるほど動員力は増すのですが、逆に言うと機動力には劣るようになるわけです。じゃあゲームのイベントはどうなのか。例えば「どこか被災地にあるお店でゲームのイベントをやろう」と思い立った場合、確かに動員力としてはプロスポーツや有名アーティストに大きく劣るでしょうけど、それこそ参加希望者を収容できるだけの広さがあるどこかのスペースを借りられれば、一人ないしは数人のボランティアの手で開催することが可能です。

 おそらく日本国内の少なからぬゲームでは「自分達にはサッカーや桑田佳祐みたいな真似は出来ないから何もしなくていいや」という判断をして、結果的に何もしていないんじゃないかと思われる事例があるかと思います。そりゃあ確かにそういう世界と同じ事をやろうと思っても無理でしょう。でも逆に言えばそういう世界には出来ない事がゲームに可能な部分だってあるのです。例えば全国的に同日開催で何かイベントをやるゲームが「全国のイベント会場で一斉に義援金を集めよう!」という企画をやったらどうでしょうか。個々の会場から寄せられる金額は小さくても、まとまればそれなりになるんじゃないでしょうか。それをメーカー側が「トータルでこれだけ集まりました。ここにメーカーで加えた○○万円を寄付しました!」とかやると、おそらくそのゲームの世界の中に「それだけのお金をみんなで集めたんだ!」という一体感みたいな物が生まれると思うのです。またそういうアピールがファンの中に「確かにこんな大変な時期だけど、それでもゲームを遊んでいたって貢献は出来る。だからゲームを遊び続けてもいいんだ」という安心感を生み出すのです。

 更にここに加わるのが、いわゆる“お祭り効果”とでも言うのでしょうか。いつもだと400円でも高いと思うたこ焼きを、お祭の屋台だと500円で普通に買ってしまう。射的とか金魚すくいみたいに「こんなの取ってどうするの?」と後で言われてるのが分かっている物についついお金を出してしまう。そういう心理的な経済効果です。例えば私が地元企業や労働組合に出向いて「被災地に寄付したいので5千円下さい」とか言ったら、ほぼ100%門前払いされますよね(笑)。ところがこれが「モノポリーのイベントをやります。去年は人がこんなにたくさん集まりました。今年は被災地を応援する企画をやるのでご寄付いただけないでしょうか?」と言うと、交渉の持って行き方次第ではお金が出てしまうのです。 (^^; これは個人の視点から見ても同じでしょう。かなり以前から広告収入で色々な物を賄う施策は山ほど行われてきていますが、要するに「人を動かせばお金を動かすことは出来る」のです。そしてゲームには間違いなく人を動かす力がある。だったらその力を活かしてお金を動かせば、それで困っている人達の手助けをすることは出来ます。もっと言うと、それをずっと続けていれば、おそらく世間の人達に「こんな大変な時期にゲームなんかしてるんじゃねえよ」とは言われなくなると思います。それが要するに「ゲームが市民権を得た」という一つの姿なのです。

 とにかく東日本大震災や原発事故の後遺症は、今後何年かかって癒されるか全く分かりません。しかも日本はご存じの通りの地震大国であり台風大国なので、その間にも次々と大規模災害が起こるでしょう。(起こって欲しくはないのですが。)地球温暖化の影響からかゲリラ豪雨の頻度も上がっているという話があります。そういう中でゲームの世界がどういう貢献をなしていくのか。またそれをどれだけ世間一般に定着させ、それこそゲームの一部としてシステム化していくのか。その辺の工夫や具体的な施策が今後求められていくんじゃないかと思います。私個人はその1つの目標として、来年3月11日の東日本大震災1周年を考えるべきだと思っています。そこで何をするかを関係者が必死に頭を捻り、知恵を絞り、そしておそらく実施されるであろう多くの類似企画の中から、いかに多くの人達に「この企画には賛同できる」「面白そうだから是非参加したい」と選んでもらい動いてもらえるか。今から始めるのはむしろ遅いんじゃないかとも思うのですけど、是非やってみて欲しいと考えています。特に東日本大震災関連で大した貢献をしてこなかった(と内心思っている)ゲームの関係者は、そこが大きな試練の場になると思います。

※ 追記

 まあだからと言って、放射性物質による汚染が危惧される街中を、陸上選手に無理矢理走らせて「感動をありがとう」は、なんか色々と違うし間違っているのではないかと思うわけです。

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