……『サムライブルーの料理人 ─ サッカー日本代表専属シェフの戦い』
「お、西さん、気合いが入っているね。勝負をかけましたね」
二○一○年六月二十三日夜、食事会場で選手に出す夕食を準備していた私にスタッフの一人が声をかけました。
たしかに「今こそ勝負をかけるときだ」という思いで、その日は思い切って品数を増やしました。明日こそ、ぜったいに勝たねばならない戦いです。調理にはおのずと気合いが入りました。南アフリカ北部にある街、ルステンブルグ郊外の自然公園のなかにあるホテルで、私はデンマーク戦前日の公式練習のためにスタジアムに出かけた日本代表の選手とスタッフたちがホテルに帰ってくるのを待っていました。明日、六月二十四日はワールドカップ南アフリカ大会、グループリーグの最終戦となるデンマーク戦です。日本は初戦のカメルーン戦に1対0で勝利し、第二戦の対オランダ戦には0対1で敗北しましたが、デンマークと勝ち点で並んではいたものの得失点差で上回って二位につけていました。
試合前日のスケジュールは、試合当日と同じように組まれています。試合開始時間の二十時三十分に合わせた公式練習のために、選手たちはロッジから車で十五分ほどのところにある、試合会場となるロイヤル・バフォケン・スタジアムに出かけました。
二十二時三十分ごろ、スタジアムから帰ってきた選手たちがいつもと変わらないリラックスした雰囲気で食事会場に入ってきました。その日の夕食にはウナギを用意しました。ビタミンB1、ビタミンB2とビタミンEを豊富に含み、ごはんがすすむウナギは試合前によく出すメニューです。南アフリカ大会では高地での試合が二試合組まれていたため、高地対策として鉄分を豊富にふくむ食材を使った料理を頻繁につくりました。
ルステンブルグも標高一四○○メートルの高地にあります。明日はしっかり走ってもらいたい、という思いから、鉄分が多いレバーを炒めて辛味噌で和えた料理も出しました。選手の皆さんの目の前で調理するライブクッキングでは、牛ヒレステーキを焼き、パスタの種類もふだんより多く用意しました。私の「勝負をかけた」という意気込みが伝わったのか、選手は皆、旺盛な食欲でたいらげてくれました。この時点ではまだ選手たちの間にぴりぴりした緊張感はなく、むしろ笑い声まで聞こえて、なごやかな空気が漂っていました。
そして試合当日の六月二十四日。十六時三十分からおにぎりやうどんなどの軽食をとったあと、ミーティングがありました。終わって部屋から出てきた選手たちの表情は、それまでとがらりと変わっていました。笑顔は消え、視線は鋭くなり、「闘う顔」になっていたのです。サブメンバーの選手たちもふくめ、全員が「ぜったいに勝つ!」と身体全体から強い闘志をみなぎらせていました。彼らがこの試合にかける気迫が私にも伝わってきました。
私もサポートスタッフとともにスタジアムに入り、ロッカールームからピッチに向かう選手たちを見送ったあと、サブメンバーや監督、コーチが座るベンチの後ろにある席で試合を観戦しました。一点目となった本田圭佑選手のフリーキックが決まったとき、跳びあがって隣にいたスタッフと抱き合いました。遠藤保仁選手のフリーキックがゴールして二点目が入ったときには、勝利を確信しました。さらに岡崎慎司選手の三点目のゴールが決まったときには、喜びがはじけました。試合後、ピッチから引き上げていく通路で選手たちを出迎えました。中澤佑二選手が私の顔を見てやってくると「西さん、やったよ! やりました!」と言ったので、思わず抱き合いました。阿部勇樹選手は涙を流しながら私の手を強く握り「西さん、やりました」としぼりだすように言い、私も強く握り返しました。
選手たちがロッカールームに引きあげたのを見届けて、私は急いで宿泊しているホテルに帰りました。夕食の準備をするためです。試合後の夕食には必ずカレーとアイスクリームを出します。野菜がたくさん入ったカレーはビタミン類を多く摂ることができ、ごはんもしっかり食べられ、試合後の疲労回復に効果があるだけでなく、疲れている選手にとっては食欲をそそるメニューなのです。またふだんは甘いものを控えている選手たちも、試合後にはアイスクリームで元気を取り戻しています。
食事会場にあらわれた選手たちの表情からは、グループリーグを突破したという喜びや安堵感はもう消えていました。リラックスはしていましたが、それ以上に「つぎだ、つぎ!」というあらたな闘志がわき起こっているようでした。
その様子を見て私も再び闘志を燃やしました。
さあ、決勝トーナメントだ!
日本から持参した食材が残り少なくなったので、あらたに手配しなければなりません。うれしいことに、選手たちとともに、私の厨房でのワールドカップの戦いはまだ続くのです。
(「はじめに」より)
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サムライブルーの料理人
サッカー日本代表専属シェフの闘い 西 芳照 著 ジーコ、オシム、岡田、ザッケローニ監督のもと、世界で戦う選手たちを「食」で支えてきた専属シェフが初めて語る、W杯の秘策と感動の舞台裏。W杯の勝利のメニューとレシピ掲載! |