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野球を教えられなくなった少年野球の監督 

放射能を逃れて避難生活、「故郷に帰れないのは屈辱」

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 「そのC区域と同じ線量になった浜通りをいま自動車が自由に行き来している。自動車から毎時30マイクロシーベルト出た友だちだっています。そんなもの、原発なら帰してくれない線量ですよ」

 では、政府が年間被曝許容量を1ミリシーベルトから20に引き上げたことをどう思いますか、と尋ねると、それまでにこやかだった渡辺さんの顔に怒気が走った。

 「まったく、とんでもないことです。原発の作業員だって、20ミリなんてめったに被曝しないのに」

 そして小4の息子さんを指さした。

 「なのに、この小さいのが浴びるっていうんですから」

 渡辺さんも、前回の木幡さんと同じことを言った。避難先から地元に帰ろうとしないと、こちらの方が間違っているかのように言われる、というのだ。もう地元はみんな普通に暮らしているのに。お金がほしくて逃げているのでしょう。ホテルで暮らせるから、いいね。

 危険だと思うかどうかは個人によって違うはずじゃないか。10年後に何が起きるか、誰にも分からないじゃないか。子どもの健康を祈って、最悪の事態に備えているだけじゃないか。それのどこがおかしいのか。

 渡辺さんがにこやかな顔で、元気な口調で言うので気づくのが遅れた。渡辺さんは猛烈に怒っているのだ。

 原発事故は、それまで平穏に暮らしていた南相馬の人たちの間に、争いと対立のタネをばらまいた。以前はなかったストレスを持ち込んだ。渡辺さんが長年バレーや野球の監督を務めて築き上げた人の輪も、ズタズタにしてしまったのだ。

 それは、飯舘村の愛澤卓見さんが言ったことと同じだった。放射能と同じくらい怖いのは「世間」なのだ。

 気丈な渡辺さん夫婦にとってほっとしたことは、息子たちが得意の野球のおかげで寒河江市の学校にもすぐ溶け込んだことだ。福島での就職先に出社できないままになっていた次女は、避難先になったホテルの支配人に見込まれ、そこで働き始めた。これもスポーツで鍛えたたくましさや礼儀正しさがよかったのかな、と思うと、よかったなあと感じる。

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