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きょうのコラム「時鐘」 2011年11月21日
一連のオウム事件は中川被告の上告棄却に続いて、21日の遠藤被告への上告審判決で裁判の上では一区切りとなる
だが、社会的にはまだ終わっていない。先週、金沢の教団施設(アレフに改称)に、公安調査庁が立ち入り検査した。全国の信者数は1000人をこえ、分派の「ひかりの輪」も200人をこすとの報道もあった アレフの施設は全国24カ所に及び、元代表の松本智津夫(麻原彰光)死刑囚の写真が飾られているという。教団は分裂しているが、片方が解体されても一つは残す意図があるとも言われる オウムとは何だったのか、様々に論じられてきた。理系高学歴者の弱さ、マインドコントロールされる体質、マスコミや警察力の非力も指摘された。半面、被害者の側に立った捜査や裁判の大事さにも目が向けられた。司法に投げかけたものは少なくない だが、人は忘れやすく歳月に流される。先ごろ裁判員裁判が進行する中で、死刑が「残酷か否か」論議された。オウム事件の直後ならあり得なかったろう。「罪と罰」の本質的バランスと「人間の尊厳」を問い直し、16年目の教訓としたい。 |