日々つまらなくなっていく日本経済新聞のなかで異彩を放つ渡辺淳一先生のいけいけどすけべ連載小説「愛の流刑地」のえろえろじじいぶりは、勢いのなくなった同紙のなかでもう誰も止められる人はおりません。
もう73歳になるというのに、まったくもってすごいことであります。
札幌医科大を卒業後、同大の整形外科講師を経て作家になった渡辺氏は、37歳で直木賞をもらっていますから、とても順調にいけいけ路線を歩んでこられ た方です。
ばりばり硬派の日経に、この御大が連載小説を書いた最初は、「遠き落日」ほかで吉川英治文学賞を得た5年後(1985年)の「化身」でした。中年男の秋葉が自分より遙かに若い24歳の霧子を、美しくえろえろな女に作り上げてゆく、 というある意味ポルノな作品でしたが、まだまだ抑制がきいていました。
タガが外れて日々えろえろえろえろになったのは、日経で2回目の連載小説「失楽園」であることは、よく知られているかと思います。
あれから9年めの「愛の流刑地」。朝っぱらからこんなもん読んで仕事が始められるのか日経新聞と未だ縁が切れない日本のサラリーマンは。
渡辺先生は、お金に苦労なさったことはないようですが、信用という点で嫌な思いをさせられた自営業者のお一人でありました。
以下の文章は、「作家の信用度」と題して「噂」1971年11月号に書かれたものです。文中「去年」とあるのは、したがって70年のことになります。同人誌 「くりま」に作品を発表していた渡辺氏は、69年に医大講師をやめて上京、その翌年には『光と影』でいきなり直木賞という幸運に恵まれます。
《酒やマージャンで一時的に借金ということはよくあったが、それ以外にさして大きな借金というもの、幸か不幸か私はまだしたことがない。ものは考えよ うだが、これはこれなりに一応、恵まれたほうだと単純に思っていたのだが、 それは大変な考え違いというものだった。
それと気付いたのは去年の初めだが、東京にいて、いつまでも高い部屋代を払っているのも馬鹿らしいということで、手っとり早いところ安いマンションでも買おう、ということになった。
頭金さえ揃えば、あとは十年、十五年というローンがあり、怪しい稼ぎながら、その程度ならなんとか払えるだろうとたかをくくったのである。ところがこれが大変な誤算であった。そのマンションは民間のだから、入居者の収入基準などというむずかしいものはいらない。むしろある程度以上なら、収入は高いにこしたことはない、というわけである。〔中略〕
ところがこのローン適用の資格審査というのがやたらとむずかしい。前年、前々年の年収証明書、保証人を二名、その各人の年収証明と、やたらと書類ばかり要求し、最後に決まったのが、失格だというのである。
私はいささか頭にきて、「理由はなんだ」ときくと「年収に問題がある」という。それで「これだけあれば十年ローンでは充分だ、むしろ楽すぎるではな いか」と文句を云うと、「いまの年収でなく、それの継続性に疑問がある」という次第。要するに銀行側の云うのには、いまの年収は充分でもそれが十年先みまで続く保証はない、というわけである。》
私なら、銀行員だって十年先の保証などあるまい! と言うところであり、『売文生活』にも書いたとおり同じような場面で実際そう言ったこともあるわけですが、そこは御大、さすがに育ちがよろしい。
《云われて私は呆然としたが、考えてみるともっともである。
たしかに今日、私の原稿が売れているといって、明日も売れるという確証はない。実際明日にでも私が死んだり、死ななくても書痙かノイローゼにでもなったら終りである。》
彼の後輩たちのためにも、もうちょっとがんばってほしかったところですが、御大が関心あるのは同じ後輩でも「若くて美しい女性」限定ですから、がまんしてやってください。
《彼等の云うところによると、年収などは高い必要はない、ローンの適用基準 ぎりぎりでもいいから堅い商売の人がいいというわけだ。「低くても公務員や一流会社の方なら問題はございません」という。なるほど世にもの書きほど小さな経営はない。》
そこで納得してはいけない。
この旧パラな発想が銀行を死に追いやるのだ。
ホリエモンの逆襲を見ていても、このあたりのぬくぬく高給体質に憎悪があるのかもしれない、と今ふと思いました。
渡辺氏は対照的に、そもそもが公務員的です。
《俺だってかつては大学に勤めていた公務員なのだ、と云ったところであとのまつり、その時になって初めて公務員の偉さを知ったというものだ。》
普通なら賃貸を続けるところですが、御大はこういたしました。
《やむなくローンの適用はうけず、親戚の顔のきく銀行から金を借り、それで一時払いをして、あとはそちらの銀行に金を返すというしかけ。》
初めからそうせんかいッ。
で、その借金を御大はどうしたか。
《腹いせに大急ぎで返してやった》
……。あはっ、そうきましたか。
実を言えば渡辺淳一先生は、札幌医大を辞めてすぐに東京でフリーになったわけではなく、いや一旦はそうしたのですが、筆一本では食えずに墨田区の病 院で臨時雇いの医師として高給をもらって働いていたのです。
それがどうした、というわけではありませんが。
なお、上記のエッセイはのちに『雪の北国から』(中公文庫)に収録されています。再録にあたって一部修正が施されていますが(例:手っとり早いところ安いマンションでも買おう、ということになった。→ 手っとり早いところ安いマンションでも買おう、と思い出した、等)、引用にあたり初出のままと しました。
「ガッキィファイター」2005年03月04日号に掲載