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書生的ゴーストライター井伏鱒二が荻窪に自宅を建てた裏技

 のちに『黒い雨』『山椒魚』などで知られる井伏鱒二(明治31年〜平成5 年)は、広島県加茂村(現在の福山市)に地主の次男坊として生まれました。


 早稲田の仏文科を中退後、同人誌を転々とし、幾つかの会社に勤めては辞め、 ようやく昭和3年になって「鯉」を「三田文学」に、昭和4年に「山椒魚」を 「文藝都市」に発表することによって文壇で認められてゆきます。


 その直前(昭和2年5月)、まだ海のものとも山のものともつかぬ文筆修行 者兼フリーター時代に、井伏鱒二は都内郊外に土地を見つけ家を建てます。印 税も入ってこないのに、どうやって資金を工面したのでしょうか。


 なお、下記引用文中の( )内は、原文ではルビとして付されたもの。2行 目の「吝い」は、ケチな、という意味です。


《私はここ〔荻窪〕に家を建てるについて、郷里の兄貴から建築費を送っても らった。吝(しわ)い兄貴のことだから、いきなり金を送ってくれと言っては 承知しないので、少し高踏的でもあり衒学(げんがく)的でもあるが、とにか く希望に溢(あふ)れた青年の言うようなことを手紙に書いた。兄貴に向って、 自分はもう小説が書けないなどと、虚無的なことを言っては決してお金をよこ さない。といって、まるきり嘘(うそ)を言っては兄貴をだますことになる。 〔中略〕


 私は手紙にこんなように書いた。当今、最新の文壇的傾向として、東京の文 壇青年の間では、不況と左翼運動とで犇(ひしめ)き合う混乱の世界に敢(あ え)て突入するものと、美しい星空の下、空気の美味(うま)い東京郊外に家 を建て静かに詩作に耽(ふけ)るものと、この二者一を選ぶ決心をつけること が流行(はや)っている。人間は食べることも大事だが、安心して眠る場を持 つことも必要だ。自分は郊外に家を建て、詩作に耽りたい。明窓浄机(めいそ うじょうき)の境地を念じたいのである。
 兄貴が金を送ってくれたので、そっくり銀行に預け、家を建てる土地を探し に新宿駅から中央線の電車に乗った。》(『荻窪風土記』新潮文庫、P64〜 P65)


 さすが名文家と言うべきでしょうか。
 若き井伏氏は、今度は土地を手に入れます。氏は文章だけでなく、弁も立っ たようです。文豪の技は、もしかすると詐欺師に通じているのかもしれません。


《昭和二年の五月、私はここの地所を探しに来たとき、〔中略〕その辺には風 よけの森に囲まれた農家一軒と、その隣に新しい平屋建の家が一棟あるだけで、 広々とした麦畑のなかに、人の姿といってはその野良着の男しか見えなかった。 私は畦道(あぜみち)をまっすぐにそこまで行って、 「おっさん、この土地を貸してくれないか」と言った。相手は麦の根本に土を かける作業を止(よ)して、 「貸してもいいよ。坪七銭だ。去年なら、坪三銭五厘だがね」と言った。〔中 略〕
 私は貸してもらうことにした。帰りぎわに、「どこへ勤めているかね」と訊 くから、「勤めるとすれば、中央沿線の駅に勤めるんだ」と答えた。》(同書、 P18)


 こういういい加減なことを土地の農民に言って、井伏氏は一戸建ての新築を 手に入れたのです。
 当時、若き井伏鱒二の収入は、先輩作家の下請け原稿や、誰の著作とも知ら ぬままのゴーストライターとしての仕事によるものでした。


 もっとも、この自宅建築で井伏氏は大工に騙されてしまうのですが、氏の金 銭感覚にも問題があったようです。


《私は貧乏性だから貧乏がきらいなくせに、余分の金が五円も机の抽斗(ひき だし)にあると落着いていられない。何でもいいから使ってしまわなくては物 足りない。》(同書、P85)


 まあ、これは多くの文士たちに共通している性(さが)のようですがね。

「ガッキィファイター」2005年04月05日号に掲載

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