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〈プロメテウスの罠〉第3シリーズ 観測中止令(1)~(9)

11月 16th, 2011 | Posted by nanohana in 3 政府の方針と対応 | 3 隠蔽・情報操作と圧力
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朝日新聞 長期連載 第3シリーズ 2011.11.7~
複数のブログなどからの転載です。

〈プロメテウスの罠〉は朝日新聞の長期連載シリーズです。
第1シリーズ 防護服の男 2011.10.3~
第2シリーズ 研究者の辞表 2011.10.17~

■観測中止令:1 突然、本庁から電話

3月31日、気象庁気象研究所の研究者、青山道夫(58)は日本から届いたメールに驚いた。モナコで国際原子力機関(IAEA)の会議に出ていたさなかだった。

「放射能観測をやめろって? 半世紀以上続いてきた観測なんだぞ」

気象研は1954年から放射能の研究をしている。きっかけはビキニ環礁で行われた米国の水爆実験だった。57年からは大気と海洋の環境放射能の観測を始め、一度も途切れることなく続けてきた。いまや世界で最も長い記録となり、各国からも高く評価されている。

それをなぜやめなければいけないのか。よりによってこの時期に。

メールの主は茨城県つくば市にある気象研の企画室調査官、井上卓(47)。31日午後6時、本庁の企画課から突然、電話があったという。

「明日から放射能観測の予算は使えなくなる。対応をよろしく、と」

放射能が観測史上最高の値を示している時に、なぜやめるのか。聞き返したが、本庁は「その方向で検討してもらうしかない」という。

井上は途方に暮れた。

あと6時間で今年度も終わる。その最後の日の退庁時刻も過ぎたころになって、明日からの予算を凍結するなんて聞いたことがない。

しかし、本庁の指示とあれば考えている時間はない。井上は分析作業員を派遣していた業者に電話した。

「突然で申し訳ありません。派遣職員の方に明日からは出勤しないよう、連絡いただけないでしょうか」

放射性物質の分析という特殊な技術を持つ人材と補助業務をする専門の職員を「放射能調査研究費」で雇っていた。その予算がなくなれば、明日からの給料は払えない。

「所内関係者を集めろ」
「会計課は送別会のはずだぞ」
「電話して呼び戻せ」

企画室はてんやわんやとなった。

気象研での放射能研究の中核は、地球化学研究部の青山と環境・応用気象研究部の五十嵐康人(53)だ。
家に帰っていた五十嵐が呼び出された。企画室の職員が説明した。

「福島原発事故に対応するため、関連の予算を整理すると文部科学省から本庁に通達があったそうです。緊急に放射能を測らなければならなくなったので、そっちに予算を回したいと……」(中山由美)

第3シリーズ「観測中止令」はお役所の論理について考えます。十数回の予定です。敬称は略します。


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■観測中止令:2 無視して採取続けた

 気象庁気象研究所の研究者、青山道夫(58)は4月3日、モナコの国際会議から帰国するなり、企画室に飛び込んだ。

 「放射能観測の予算凍結ってどういうことですか。本庁にもう一度確かめてください」

 調査官の井上卓(47)は答えた。「文部科学省が予算を配分してくれないのだそうです」

 青山は文科省に連絡を入れた。

 「今もっとも放射能観測が必要とされているときに、測るのをやめろとはどういうことですか」

 担当は文科省原子力安全課の防災環境対策室である。その調整第一係長の山口茜から返事があった。

 「気象庁から放射能調査研究費は必要ないとの回答をいただいています」

 気象庁がそういった? 青山は納得できなかった。

 茨城県つくば市の気象研の敷地に、2メートル四方と1メートル四方の計三つの正方形の器が空を向いている。そこに雨をためることで大気中に漂う微粒子を集めて、放射能を測る。

 別な装置では、大気中の微粒子をフィルターでつかまえて測る。さらに太平洋を航行する船に海水をくんで来てもらって分析する。こうした観測が1957年以来54年間にわたり、途切れることなく続いてきた。

 地球環境の変化は、長年にわたって観測し続けることでとらえることができる。昭和基地で空を見続け、南極のオゾンホールを世界で初めて発見したのは、気象研の研究者だ。欠測があってはならないと、懸命に観測をつなげてきた。

 それを、福島原発事故から1カ月もたっていないこの時期に、なぜやめろというのだろう。

 青山の同僚、五十嵐康人(53)は「気象庁がいったん決めたのなら、もう元には戻らないだろう」と考えた。だが青山も五十嵐も研究者として、観測を中断することなどできなかった。予算凍結を無視して観測を続けることにした。

 「予算がないなら、金を使わなければいい。分析は後回しにしても、サンプルだけは取り続けよう」

 海水採取を委託した日本郵船の船は、予算凍結を連絡する前にすでに出航していた。

 大気中の微粒子をとらえるフィルターは、休日や夜中にも出てきて交換した。フィルターなどの消耗品が足りなくなると、別の大学や研究機関の研究者がこっそり分けてくれた。(中山由美)

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■観測中止令:3 放射能「高過ぎる!」

 東日本大震災が起きた3月11日、青山道夫(58)は茨城県つくば市の気象庁気象研究所にいた。棚の本がどさどさ落ちて床に散らばった。

 揺れがおさまると、ヘルメットをかぶり、サーベイメーター(放射線測定器)をつかんで研究室を飛び出した。所内には放射性物質だの薬品だの危険な物がある。

 「異臭がするぞ」
 「ガラス割れてないか」

 所内を走り回った。玄関のタイルがはがれ落ち、壁にひびが入っていた。安全点検が終わり、一息ついたのは夕刻だった。

 テレビが福島原発のニュースを伝えている。「原子炉が冷却できない状態になっており、放射性物質が漏れる可能性があります」

 翌12日午後3時30分ごろ、福島原発で爆発が起きた。破片が飛び散り、白煙がもくもくあがり、広がる様子がテレビ画面に映し出された。

 約170キロ離れたつくば市にも、間違いなく放射性物質が飛んでくるはずだ。観測態勢を強化した。

 大気中に漂う微粒子を集めるフィルターの交換は、これまで週に1回だった。12日夜から12時間ごと、その後6時間ごとに増やした。サーベイメーターを持って何度も屋上に上がった。茨城県のモニタリングポストの数値を頻繁にチェックした。

 風向と風速を読んだ。放出された放射性物質が届くとすれば、14日か15日のはずだ。

 15日朝、屋上の放射線量を調べた。午前8時45分、毎時2.2マイクロシーベルト。

 集めた大気中の微粒子の放射能を測ってみた。同僚の五十嵐康人(53)が分析装置にかけ、うなった。

 「測れない! 高過ぎる」

 赤、オレンジ、緑……、パソコンの画面いっぱい、放射線のエネルギーを示す線が無数に飛び出している。いったいどれがどの放射性核種なのか、よくわからない。故障かとさえ思った。これまで経験したことのない高レベルの放射能だった。

 通常の測り方では無理だ。雨水は水で薄めてから分析し、換算した。フィルターで集めた微粒子は、放射線を測る検出器から離すため、10センチほどの透明な容器を逆さに置き、その上に載せてから測った。

 ヨウ素132は1立方メートル当たり113ベクレル。セシウム137は14ベクレル……。異常な数値だ。

 観測中止令が出たのは、そんな観測が続いていたころのことだった。(中山由美)

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■観測中止令:4 せっぱつまった事情

 気象庁気象研究所が今年度受け取るはずの「放射能調査研究費」は約4100万円だった。

 国の放射能調査研究費の総額は約10億4300万円だった。それを文部科学省が取りまとめ、関係各省庁に振り分けた。

 輸入食品の放射能を測る厚生労働省。米国の原子力潜水艦の寄港時のモニタリングをする文科省と海上保安庁と地方自治体。離島の空間線量を測る環境省などだ。うち気象庁分は4%、分析にかかわる人件費が多くを占める。

 気象庁に予算見直しの電話を入れたのは、文科省原子力安全課の防災環境対策室の職員だった。
 担当の山口茜係長は説明する。

 「予算を緊急の放射線モニタリングに回したい、と財務省がいってきたのです」

 空間線量や土壌、食品、水……緊急に測らなければならないものが山ほどある。福島原発近隣だけではすまない。動員する人員も相当数になる。かなりの予算確保が必要だ。そのため、まずは放射能関係の予算から回せないか、と財務省も文科省も考えたのだと。

 文科省は関係するすべての省庁に見直しを打診した。しかし総額の半分、約5億円を占める米原潜のモニタリングは削れない。日米安保条約に基づいているためだ。

 気象庁に尋ねた。「気象研究所の放射能観測はモニタリングでしょうか、それとも研究でしょうか」

 放射能を測ったデータを公表してもらえるなら、そのまま「緊急モニタリング」とすることができる。

 しかし気象庁企画課調査官の平野礼朗(よしあき)(41)は、研究なのでデータはすぐには公表できないと答えた。
 「今年度の放射能調査研究費は必要ありません」

 すんなり受け入れてもらえたので、山口はほっとした。

 「こちらから観測中止を求めたのではありません。予算の見直しをお願いしたら、気象庁から研究であってモニタリングではないと、予算の返還に応じていただいたのです」

 電話を受けた平野の説明は、やや異なる。「3月31日夕のぎりぎりになって文科省が連絡してくるなんて、よほどせっぱつまった事情があるんだと思いました」

 平野は、文科省からの電話を放射能観測の中止令と受け取った。

 「それに、放射能観測は気象庁本来の業務ではないですから。優先度は低いのです」(中山由美)

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■観測中止令:5 まさかそれが日本で

 放射能観測を自力で続けていた気象庁気象研究所の青山道夫(58)は、放射能による環境影響の研究で国際的に知られている。

 今夏、広島市が原爆の放射性物質の飛散状況を解明する論文集を作成した。「黒い雨」など放射性物質がどんな影響を及ぼしたかを解析し、国内外に知らせる目的でつくられた。青山はそれをまとめた専門家の一人だった。

 気象研に勤務したのは1984年春だった。研究所の庭を歩いて、四角い器が空を向いているのを見て、思わずにやりとした。

 「私が気象大学校時代につくったのと、そっくりだったのです」

 青山は奈良県の高校を出て、千葉県柏市にある気象大学校に進んだ。理系の難関校だ。「給料がもらえるんですよ。4年で6年分の勉強ができると聞いて、いいなと思った」

 1学年15人という少人数なのも気に入った。学生ながら、本格的な実験や研究もできる環境だった。

 天気や気象のことより、地球のことに興味を持った。水銀やカドミウムはどう運ばれ、循環するのか。大気中に漂う微粒子に付く物質を調べてみようと、大きな器をつくって校内の路上に置き、雨を集めた。自分で考えた装置だが、それが気象研のものとそっくりだったのである。

 77年春に卒業。気象庁の長崎海洋気象台に4年、函館海洋気象台に3年勤める。年間150日間は船に乗り、九州から沖縄、北海道周辺の海水を集め、分析した。

 84年春に気象研に呼ばれ、放射能観測を託される。主に青山は海、後に加わる五十嵐康人(53)が大気を監視する態勢ができあがった。

 60年代は米ソの大気圏核実験の影響で高い観測値が続いていた。しかし冷戦構造がゆるんで核実験が減り、大気圏核実験は80年の中国が最後となる。放射能は85年には過去最低となった。1メートル四方の口のある器で雨を集めていたが、測るのも難しくなってきたため、2メートル四方の大きな器までつくったほどだ。

 86年、チェルノブイリ原発事故が起き、再び跳ね上がる。観測の重要性が再注目されることとなった。

 最近になると、チェルノブイリ原発事故の影響も見えにくくなってきた。しかし、またどこかで原発事故が起きないとも限らない。そう思って続けてきた観測だ。

 「まさかそれが日本で起きるとは思いませんでした」

(中山由美)

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■観測中止令:6 ネイチャーに出そう

 英誌「ネイチャー」は、世界的にもっとも権威ある科学雑誌のひとつだ。そこに論文が載ることは、世界が知るということである。

 気象庁気象研究所の青山道夫(58)は4月、ネイチャー誌への論文掲載が決まっていた。テーマは「福島原発から出た放射性物質の海洋環境への影響」。

 青山に論文作成を呼びかけたのは、研究者仲間のケン・ベッセラーだった。米国のウッズホール海洋研究所の研究者だ。チェルノブイリ事故直後からの付き合いで、青山も1996年に3カ月、ベッセラーの研究所で研究したことがある。

 青山は3月末、モナコの国際原子力機関(IAEA)の会議に出席した。そこにベッセラーもいた。特別セッションで福島原発事故に関する青山の報告を聞いて、こういった。

 「ネイチャー誌に論文を載せよう。福島の事故は世界が注目している。早い方がいい」

 ベッセラーは、青山がつくった海水中の人工放射能のデータベースを高く評価していた。「日本からの発信は少なすぎる。今こそ、君の長年の蓄積を生かすときだ」

 青山は、研究者仲間の深澤理郎(まさお)(61)にも声をかけた。深澤は独立行政法人である海洋研究開発機構の研究者で、海水の動きについての権威だ。

 論文は3人の連名で出すことになった。4月18日、英文の素案がまとまった。

 「海洋中に出たセシウム137は事故から3週間たってもまだ減少していない」

 「海水1立方メートルあたり、福島原発の排水口付近で100万~5千万ベクレル、沿岸で5万ベクレル、30キロ沖合で千~5万ベクレル」

 「過去の大気圏核実験がもたらしたレベルより数けた高く、86年のチェルノブイリ原発事故で黒海やバルト海が汚染されたレベルより少なくとも1けた高い」――。

 比較のグラフも付けた。チェルノブイリ事故による黒海などの放射能は高い所で数千ベクレルだが、福島原発排水口付近はその約1万倍。30キロ沖では薄まり、黒海と近い値もある。

 ネイチャー誌は大きな関心を寄せ、ただちに掲載を決めた。

 青山は上司の地球化学研究部長、緑川貴(たかし)(58)に論文を見せた。緑川は「問題ないんじゃないか」といって、投稿計画申請に判を押した。

 しかし、問題は大ありだった。 (中山由美)

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■観測中止令:7 削除してくれないか

 
 気象庁気象研究所の青山道夫(58)は、ネイチャー誌に投稿を予定していた論文の素案を地球化学研究部長の緑川貴(たかし)(58)に見せた翌4月19日、企画室に呼ばれた。

 企画室長の韮澤浩(52)が「内容について、いくつか聞かせてください」といった。

 青山の上司である専門家の緑川が承認した論文について、企画室が説明を求めることなど、これまでなかった。不審に思ったが、論文の内容を解説した。

 25日、今度は所長室に呼ばれた。韮澤、緑川に伴われ、所長の加納裕二(60)と対した。

 「チェルノブイリ事故のデータは、川で運ばれた何百キロも先の海の話だ。福島沖の海と比べるのは、科学的におかしいと思う」と加納が切り出した。

 青山は「チェルノブイリ原発事故では放射性物質が川を通って海に出たわけです。離れていても川ではそれほど薄まりません」と説明した。

 福島の場合、原発の排水口付近の放射能は、チェルノブイリ事故による黒海の汚染の1万倍ほどにもなってしまう。だが、30キロ沖に離れると薄まり、同じレベルに下がっている値も示していた。

 2人が説明した、当時のやりとりを再現する。

 加納「専門家は判断できるかもしれない。しかしマスコミは、『福島の海はチェルノブイリ事故の1万倍の汚染』と書きかねないですよ」

 青山「東京電力や文部科学省が公表したデータをもとにしているので、数値に間違いはありません。海の汚染がひどいのは事実です。だいいち『1万倍』という具体的な数字はテキストに書いてません」

 加納「しかしグラフを見れば、そう読める」

 青山「それについては正しく理解してもらえるよう、報道用に日本語の解説もつくって配ります」

 加納「チェルノブイリ事故との比較を削れないものか」

 青山「削れば、残るのは核実験の影響による太平洋の汚染との比較です。『100万倍ひどい』なんて書かれることになりますよ」

 しかし加納は譲らない。

 「書き直さないなら、『気象庁気象研究所・青山道夫』の名前でこの論文を出すのは許可できない」

 削除を求められた部分は、論文の共同筆者であるケン・ベッセラーの担当した所だ。青山には削ることなどできなかった。(中山由美)

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■観測中止令:8 センセーショナルだ

 4月25日、青山道夫(58)らのネイチャー誌論文は、掲載直前に気象庁気象研究所の所長加納裕二(60)の許可が下りない事態になった。

 その夕、青山は共同筆者のケン・ベッセラーにメールを送った。「所長の承認が得られない。私の名前をはずして論文を出してくれ」

 しかしネイチャー誌は厳しかった。「所属機関のトップが反対する論文を掲載することはできない」

 論文は掲載とりやめとなった。共同筆者のベッセラーと深澤理郎(まさお=61)に何とわびていいか、青山には言葉がなかった。

 青山が属しているのは気象研の地球化学研究部である。その部長の緑川貴(たかし=58)が認めれば論文は問題なく公表できるはずだ。所長から不許可になった例はこれまでなかった。

 地球化学研究部では、互いの研究を議論し合う情報交換会を毎週開いている。

 4月22日には、青山の論文の内容を紹介して議論した。問題があるとする意見は一人もなかった。研究者たちの意見は緑川と一致して「公表すべきだ」だったという。

 一方、所長の加納は、本庁の気象庁に論文を見せ、意見を求めていた。気象庁企画課長の関田康雄(51)はこう答えた。

 「チェルノブイリ事故時の海のデータと比べるのはサイエンスとしてどうでしょう。誤解を招くのではないでしょうか」
 関田は取材に対し、そう判断した理由を話した。

 「ふだんならいいのですが、こんな原発事故が起きた折、センセーショナルな数字が表に出て混乱を引き起こしたらまずい、と」

 研究者の論文発表の是非が、気象庁まで上がっている。異例だった。

 所長の加納は本庁勤めが長く、「研究畑」ではない。そういう管理職に、論文の科学的判断ができるのか。青山は納得できなかった。加納にメールで質問状を送った。所長室でのやり取りを文書にし、確認しておきたかった。

 趣旨は大きく2点だ。

 「マスコミが1万倍と書きかねないとの理由で、論文の部分削除を求めることは誤りです」
 「専門家でない人が所長になる場合があり、そうした所長が承認しないと論文が発表できないのは、研究所として制度欠陥と思います」

 質問状は関係各部長にも同送した。しかし20日間が過ぎても所長から回答はなかった。
(中山由美)

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■観測中止令:9 所長が謝ってほしい

 青山道夫(58)は4月27日、ネイチャー誌への論文投稿を止めた気象庁気象研究所の所長、加納裕二(60)に対し、質問状をメールで送った。しかし回答は来なかった。

 5月17日、所長に催促のメールを送ったが、やはり返事はない。

 「このままでは研究の発表もできなくなる」。青山は不満を強めた。

 見かねた地球化学研究部長の緑川貴(たかし)(58)が企画室に足を運んだ。緑川は室長の韮澤浩(52)から聞いた「所長の考え」を青山に伝えた。

 「チェルノブイリ原発事故との比較がフェアではないから承認できない、と。論文の中身がまったくだめだということではないらしい」

 科学的な判断ではないのか。「マスコミが騒いで、パニックになることを心配しただけなんですね」

 青山はますます納得できなかった。再び所長にメールを送った。

 「共同筆者のケン・ベッセラーと深澤理郎(まさお)に謝罪をしてほしい」

 ベッセラーは米ウッズホール海洋研究所の研究者で、ネイチャー誌への論文掲載を青山に勧めた友人だ。

 深澤は海水の移動についての権威だ。「海洋汚染は、福島原発によるものの方がチェルノブイリ原発事故の時よりはるかに高いのは事実。審査が厳しいネイチャーも掲載の方向で進めていた。沖にいくと薄まると書いてあった。風評をあおらず、むしろ抑える内容だったと思う」

 深澤の所属する海洋研究開発機構は、論文内容に異論を差し挟まなかった。深澤は「科学的に正しいかどうかは研究者の判断する領域。管理職の態度として『国の研究所の研究者という立場上、差しさわりがある』という理由ならまだ気持ちはわかります。納得はできませんが」と話す。

 気象庁では、企画課長の関田康雄(51)ら放射能の専門家ではない数人が議論。気になる点があるとして、「青山に書き直させた方がよいのでは」と気象研究所長の加納に意見を伝えていた。

 共同筆者への謝罪の要求に対し、加納からの返事はなかった。代わりに韮澤からメールが来た。

 「共著者に対する説明は、青山さんからしてください」

 そしてこう付け加えられていた。「まだ事故が収束の方向にあるのかどうかわからず、報道もさまざまな専門家・機関による発表やコメントを取り上げている現状では、(気象庁)企画課、所長から了解を得ることは難しいと思います」(中山由美)

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つづく(たぶん)

複数のブログより転載


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