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走り出した市民ランナー

 

[Part1] 東京マラソン、「自分を褒めたい」心をつかむ

 

日本の市民マラソンブームの「火つけ役」とされるのが2007年に初めて開催された東京マラソンだ。「前身」の東京国際マラソンには2時間30分以内で走るトップランナー300人前後が参加していた。それを3万人規模の一般ランナー向けの大会に衣替えしたのが当たった。


なぜ多くの人が走り始めたのか。

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東京マラソン財団事務局長の早野忠昭(52)は「ナルシシズム」をキーワードに挙げる。「健康に良い、ダイエットに優れているという理由だけでは、多くの人は集まらない。人間が本来持っている『ナルシシズム』に訴えたことが成功の本質だ」と説明する。


初めて自分で自分を褒めたい──。こんな名言を残し、国民を感動させたのは1996年アトランタ五輪女子マラソンの銅メダリスト、有森裕子だった。早野は東京マラソンの企画段階で考えた。
「一流選手に限らず、実はみんな、頑張った自分が好きなはずだ」


東京マラソンが一つの舞台装置とすれば、ランナーも、沿道の声援者も、大会スタッフも役者だ。「あとは演出監督として、役者たちの内面に光をあて、人間ドラマをいかに作り出せるか」
早野は、いろんなランナーが走る動機を想像しながら、舞台をイメージした。ビール好き。ファッション好き。寂しがりや。音楽好き……。


30歳まで長崎県内の高校で体育教師だった。「『体育』から『スポーツ』へとどう脱皮させていくか。ランニングを楽しいと思ってもらうには、人の心に引っかかるような『フック』を見つける必要があった」
役者に集まってもらうには、キャッチコピーが重要だ。第1回の大会コピーは「東京を走ろう」。2回目以降は「東京がひとつになる日」。みんなでドラマを作る、そんな意味合いを込めた。


そのためにこだわったのが制限時間。国内の市民マラソンは5~6時間以内だった が、東京マラソンは「7時間」。完走率を高めるためだ。公道を警備する警視庁が求めたのは5時間だったが、最後は都知事の石原慎太郎が押し切ったという。


狙いは的中する。1年目は雨天にもかかわらず、完走率は96.3%。初回は8万人足らずだったマラソンの参加希望者数は5年後に約30万人と4倍近くに膨れあがった。多くの市民ランナーにとって、観戦するだけの遠い存在だったマラソンが、自分もできる身近なスポーツへと変わったのだ。


沿道の住民の協力を得るうえで、効果的だったのはテレビ放映だった。
「都庁前で3万人のランナーがスタートを切る場面が放映されたことで、最初は公道の長時間閉鎖に反発していた人の多くが、『年1回のお祭り』と思い直してくれた」と大会関係者はいう。


マラソンコースは地下鉄の路線沿いに設定されている。公道が長時間封鎖されても、地下鉄で移動できるという立地条件にも恵まれた。
東京マラソンの参加料は1万円だが、警備費や記念品などで参加者1人にかかる経費は5万円。差し引き4万円分は企業からの協賛金に支えられている。


ただ、景気に左右されやすい協賛金が細れば、行政の財政負担が膨らむ恐れもある。それを防ごうと、東京都と日本陸連は今年6月、東京マラソンを主催する財団法 人を共同出資で設立した。
日本では行政の主導色が強い市民マラソンだが、海外では非営利組織が運営するスタイルが一般的。その形に近づけ、収益源を増やす関連イベントや会員制の導入などを検討している。独立採算を目指した国内初の試みの成否は「マラソンビジネス」の将来を占う試金石となる。事務局長の早野は2012年の大会で、初めてレースディレクターを務める。


東京マラソンの人気とともに、マラソンランナーのすそ野も広がり、市民マラソンは日本全国各地で開催されるようになった。距離の短い大会も含めると全国で年間約1600大会にも及ぶ。


市民ランナー向けの月刊誌「ランナーズ」を発行するアールビーズが運営するウェブサイト「RUNNET
(ランネット)」を経由した大会参加登録数は延べ93万人(2009年)。5年前の3倍以上になった。フルマラソンの年間の完走者も6年前の2倍、16万人に拡大している。

(都留悦史、築島稔)

 

(文中敬称略)

 

 

 

 

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