きょうのコラム「時鐘」 2011年11月20日

 貴重な「加賀白菜」を栽培する農家が紙面で紹介されていた。大変な手間がかかり、畑で「顔を見ない日はない」そうである

白菜のどこに、どんな「顔」がついているのか。門外漢にはチンプンカンプンだが、篤農家(とくのうか)はちゃんと顔色を読み取り、困っていれば手厚く世話をし、笑顔なら一緒に喜ぶのだろう。プロの言葉は味わい深い

稲は「主人の足音を聞いて育つ」そうである。足しげく田に出向いて手を掛けると、豊かな実りをもたらす。モーツァルトの曲が流れる酒蔵で生まれた日本酒を飲んだことがある。美味だったが、日本の名曲や演歌を聴かせてできた酒も飲みたくなった。もっと舌になじむかもしれない

田や畑、酒蔵などで「対話」を重ねながら、豊かな味をつくり出す。食事の時の「いただきます」は、食材の命だけでなく、育て上げた人たちの労苦も一緒にいただくことを、あらためて知る

そんなプロの営みが、放射能汚染騒ぎの直撃を受け、ついにコメにも及んだ。かの土地の稲は、何度SOSを叫んだのだろうか。それとも、降り掛かる災難に、無言で耐えたのか。農家の無念さが胸に迫る。