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2009年5月

ETV特集「日本と朝鮮半島2000年」 NHKは韓国人に乗っ取られたのか?

今ネットでは、プロジェクトJAPAN「アジアの“一等国”」での台湾統治についての偏向報道が問題になっているが、この特集「日本と朝鮮半島2000年」も問題ありの番組だ。公共放送であるNHKの電波を使って韓国人の歴史プロパガンダを垂れ流した。

●ディレクターが韓国人

スタッフを見るとディレクターが田容承(*)という韓国人。何故、日韓の歴史問題という微妙な問題を韓国人に任せるのか。NHKはそこまで弛緩しきっているのか、あるいは朝鮮人にコントロールされているのか。韓国人が偏狭なナショナリズムに染まった教育を受けているというのはよく知られた事実だ。(韓国国定教科書URL => http://members.tripod.com/textbook_korea/fr_2.htm)日本の「自虐史観」と対極の「誇大妄想史観」である。特に日本に関しては、お笑いではあるが、先進の韓国が何でも教えてやったというふうに教え込まれているらしい。また、日本を貶めるためには歴史の捏造もお手のものである。そんな韓国人に任せてしまったらどんな内容になるかは容易に察しがつく。この番組は、後で疑問点を上げるが、まさに韓国人の言いたい放題の番組であった。

(*)田容承(チョン・ヨンスン)という韓国人について以下のような記事があった。(http://www.asahicom.com/tvasahistory.htm)この番組でディレクターを務めた田容承と同一人物だろうか。同一人物だとすると、NHKは暴力沙汰を起こすような人間をディレクターにしていることになる。

「2004.05.20 週刊新潮が報道ステーション関係者の暴力事件を暴露。韓国人ディレクター、チョン・ヨンスン(35)が日本人ディレクターを酒席で殴打。取材に対して「揉め事があったのは事実ですが、たいしたことはありません」と開き直る。番組内での北朝鮮や韓国に関する報道の仕方について意見が対立したことが暴行の原因」

●韓国人の歴史歪曲

一時はノーベル賞候補といわれたES細胞の黄禹錫に限らず、韓国人の学者の中には平気で嘘をつくものがいる。特に歴史に関しては、長年に渡って中国辺境の遅れた属国に過ぎなかったことへのコンプレックスの裏返しか、都合の悪い事実は認めず自国を祭り上げる。古代史のように物証が少なく真偽のはっきりしない場合には、自国に都合の良い作り話を作り上げるのは容易いことだ。近代史においても、韓国人が何とか隠蔽しようとしている歴史の一つに、韓国における近代資本主義が日本の統治時代に始まったという事実がある。この事実はハーバード大学のカーター・エッカート教授の精力的かつ精緻な研究「日本帝国の申し子により明らかにされた。19世紀末に朝鮮を訪れた英国の旅行家イザベラ・バードは、ソウル市街のあまりの「みすぼらしさ」にそれを描写するのもはばかられると述べた。そのような状態であった国が20世紀には経済発展を遂げた。その原点はかれらの言うところの日帝時代にあるのだ。しかし、未だに韓国の歴史学者達はこの事実を認めず、何とか日本の寄与を打ち消そうとしているらしい。

South_3Soule

イザベラ・バードが見たソウル("Korea and her neighbors" より )

●日本と韓国の歴史学者

ところで、日本の歴史学者にエッカート教授のような研究ができるだろうか。韓国の学者が歴史を歪めても日本の学者は反論せず、むしろ捏造歪曲に同調している者がいるようにすら見える。情けないことだ。この番組に登場した山尾幸久立命館大学名誉教授も余りにひ弱でキム・テシクとかいう韓国人学者の言いなりであった。以下にこの番組の中で疑問に思った点をあげる。私は歴史の専門家ではないので、どなたか歴史の専門家の方に批判していただきたい。

(1)広開土王碑について

碑文に書かれている内容のうち最も重要な「百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以辛卯年來渡[海]破百殘■■新羅以為臣民。」については説明せず、次のような韓国人学者の主張を流す。「当時の倭には加耶のような重装備の軍隊はなかったので、同盟のような対等な関係での支援だったとは思えません。倭人は加耶の鎧と兜で武装したので現代の感覚でいう救援軍とは言えません。加耶軍の中に倭の傭兵が多く加わったので、広開土王碑文に倭として現れた。」この発言は、何が何でも日本の寄与を矮小化したいという韓国人の歴史観の現れだ。傭兵が加わったからと言って前述のような倭についての記述を残すことはあるまい。何故、このような子供だましの発言をNHKは垂れ流したのか。

(2)任那についての記述の変化

任那についての教科書の記述が1973年と2009年では以下のように変化したとのことだ。2009年の教科書では任那は何故か括弧付きになっている。最近の韓国人による日本海呼称の改名運動などを考えると、教科書のこのような変化も、韓国人がシコシコと古代史を書き換えようとし、それに文科省が屈したのではないかと心配になる。任那は中国史料にも記載されていると聞く。何故括弧付きの表記になったのか。

[1973年の教科書] 朝廷は朝鮮半島の任那を足場にして、4世紀の末に朝鮮へ兵を送り、百済や新羅を従え、高句麗と戦った。562年 新羅、任那日本府を滅ぼす。

[2009年の教科書] 大和政権は、百済や小国が分立していた加羅(任那)地方の国々と結んで、高句麗や新羅と戦いました。

(3)韓国人学者の「先進」発言

韓国人学者の発言で目立ったのは「先進」のという言葉だ。例えば、「日本は大陸や朝鮮半島に先進的な文物を求めました」というような言い方だ。朝鮮半島に渡った日本人は労働力、日本に渡った朝鮮人は支配層。加耶は労働力として導入した日本人を軍事力として利用。仏教を日本に伝えたのは百済。飛鳥寺の起源は韓国。これらの発言は、韓国の国定教科書にある以下の朝鮮通信使に関する記述と根は同じだ。そんなに進んでいた朝鮮が19世紀末には何故イザベラ・バードの記述にあるような惨めな国になってしまったのか。江戸時代の平和で文化の花が咲いた日本が、何故、清辺境の遅れた属国に過ぎなかった朝鮮から学ばなければならなかったのか。この韓国人学者に是非聞いてみたい。

[韓国歴史教科書の朝鮮通信使に関する記述]

「また、日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し、朝鮮では通信使を派遣したが、その一行はおよそ400余人になり、国賓として待遇を受けた。日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。したがって、通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を日本に伝播する役割も果たした。」

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