チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[27535] 【習作】アマガツ【オリジナル】
Name: 三二一◆02c59522 ID:068f191e
Date: 2011/05/05 01:57
プロローグ

『さらに、科学者たちはこう述べた。
 「われわれは、新しい生命形成が何であるかを発見しなければならない。エネルギーがある場所で分離するとすれば、それはいつもどこかほかの場所で再結合しているということはあり得る」
 そして、それ以後のすべての実験で、それが立証されたのである。科学者たちは、エネルギーの再配分は全くロスがないことを発見し、“エネルギー保存の法則”という、物理的宇宙の新しい解釈をつぎのように定式化した。「物理的実験によって、エネルギーは作り出すことも失うこともできないことが明らかになった」と。つまりエネルギーは、保存されているだけでなく、有限なのであり、ひとつの閉じられたシステムなのだ。』――バックミンスター・フラー『宇宙船「地球号」操縦マニュアル』



 先崎明尚が息子と手をつないで会場に入ると、内部は活気に溢れていた。沢山の人で賑わってい、外国人も多く目につく。この十年で開発された新素材や電脳、ナノマシンなどの展示が立ち並ぶ。企業向けの専門的な紹介より、それらを日常生活に生かす商品の展示に人が集まる。漂流物を取得してからの十年を振り返った展示もある。
 やはり一番の目玉は装着型外骨格、パワードスーツの最新鋭機だ。正午には実動モデルでのダンスパフォーマンスがあるらしい。今までの鉄骨とチューブを組み合わせたような搭乗者剥き出しの骨組ではなく、息子が朝見る特撮が現実になったようなスマートで流麗なフォルム。置いてきたはずの少年心を掻き立てる。

 十年前、地球圏に近付く巨大物体が発見された。精査したところ地球外生命由来と思われる宇宙船であり、信号に応答しなかったため強引に回収し中を調べた。その結果、簡素な船内には生命反応は無く、三メートル大の異星人型外骨格だけが装甲を貫く無数の棘で固定されていた。ISSで検疫の後下ろされた地上での調査の結果、船体は大気圏を脱出するのみの簡易ロケット、外骨格には搭乗者も動力源も電脳も欠落していることが判明した。期待された地球外生命体との交流は無かったとは言え、ハード面では船体や外骨格から燃料や建材などの新素材、電脳に人工筋肉やナノマシン、スラスターなどの新技術を獲得し、ソフト面でも外骨格の内部構造や宇宙船が飛来した航路を逆算することにより、異星人の形態や惑星の大まかな位置が予測できた。
 二十一世紀になって「NASAと付いていれば売れる」時代が(日本限定で)再来した。

 十年の歩みを紹介するブースでは、漂流していた外骨格の構造が解説されていた。外骨格と言うが、元々はあちらの作業着らしきものをベースにしているらしい。インダストリアルな、こちらのツナギに要所を金属で補強したデザインの基本構造を、更に人工筋肉とその先端が結合した装甲が正に外骨格として要所の金属と癒着しているらしい。
 放射状にのびた五本の爪は、本来四本指だった異星人が便利なように付けた人工指で、地球上でパンダが持った六本目の指と同じだと説明されている。
 まるで爪先立ちのシルエットで一体化したようなくるぶしの無い、ヒレのような脚部といい、陸上生活に不向きな形態と、内部構造から復元された容姿から、異星人は初期鳥類のように爪をスパイクにして樹上生活を送っていた生物の末裔ではないかと推測されていた。機体解説の横には異星人の生活想像図が掛けられており、そこには幾何学的な、フラーレンを複雑にしたようなジオデシックドーム状の建造物の中を、外骨格の素体が壁面にスパイクを食い込ませながら縦横無尽に歩きまわり、足のバーニアから噴射しながら跳躍して別壁面にショートカットする様が描かれている。ダチョウを人間に近付けたような異星人の形態予想図は、子供の頃読んだ恐竜人類を連想させる。

 光速に達しない宇宙船が別の星系に辿り着くまでには天文学的な時間がかかり、漂流物の意図も送り出した異星人の存続も分からないが、電波を発信する以外にも宇宙船を送る計画が持ち上がっていた。今回一般公開となる最新型の外骨格は、漂流物の解析した機能を人間用に調整した、彼らの技術を消化し我がものにした集大成なのだ。



 イベントブースまで行くと輪をかけて人で埋まっていた。報道の姿も眼に入る。隙間をかいくぐって前列に進むと、ステージ後方には漂流物が飾られている。琢磨を肩車する。今回のイベントのために米国から輸送されてきたそれは、外国では愛称が付けられているが、日本では漂流物またはドリフ、あるいは単に外骨格と呼ばれていた。こうして直に見ても、人間味は感じられない。人間離れした長く太い首と角、全体的に鋭角的でおどろおどろしいフォルムのため、直立したドラゴンか怪獣のようだ。バイザーに光は無く、顎を覆う増加装甲は牙を剥くように逆立っている。

 首や掌に震えを感じ、見上げると琢磨が泣いていた。
「おい、どうした?」
 やがて決壊し、火がついたように泣き出す。あやしながらその場を離れる。

 ステージを離れ、やや落ち着いた息子に自動販売機で買ったコーラを差し出す。周囲を見渡すと同じように幼い子供を宥めている大人が目立った。なんとなく胸騒ぎがするが、動く外骨格はこの目で見たい。軽快な音楽が聞こえてくると明尚は親心と好奇心の間で板挟みになった。

「あの、どうしました?」
 声をかけられ顔を上げると、見知った顔があった。
「淀海さん家の……」
「紬です。先崎さん達もいらしてたんですね。どうかしましたか?」
 近所に住む家のお嬢さんだった。詳しく覚えていないが、高校生だったか。目尻の垂れた優しげな顔をしている。
「ああ、琢磨の奴が急に泣き出してね。新型を見にわざわざ来たのにどうしたんだか」
「どうしたんでしょう。他にも泣いている子供が目につきますが」
 そう言いながら彼女はしゃがみ込み琢磨と目線を合わせ、微笑みかける。
「どうしたの?」
 明尚はイベントブースのほうに目が行ってしまう。
「琢磨君は私が見てますから、行ってらしたらいかがですか?」
「いいんですか?」
「私もちょうど休みたいところでしたし、あとで感想を聞かせてください」
「ではお言葉に甘えて」

 人ごみをかき分けていくと、色別にペイントされた機体が軽快にヒップホップを踊っているところだった。解説で見た漂流物の基本構造に似ている。元々は人間とは異質なプロポーションを、人間向けに調整したのだ。
 漂流物が立ち上がる。観客たちからどよめきが起こる。ついに稼働させることに成功したのか。心憎い演出だ。
 観衆の全員が全員、一緒に踊り出すことを期待したそれは、挙動不審になった黒いペイントの機体に接近し、爪で貫き、観客席に投げつけた。



 あちらこちらで炎が燃えている。開放型ドームは熱がこもり、唯一の逃げ場である青空に黒煙が昇っていく。初夏の熱い日差しに白い雲が空を渡っている。涼しげで清浄な大気を見上げるのは、もの言わぬむくろの群れだ。ある者は引き裂かれ、ある者は逃げ惑う人々の足で踏み潰され、ある者は炎に焼かれた。

 殺戮の坩堝を徘徊するのは鋼の巨人だ。三メートルを超える巨体は角張った装甲で形を成し、その隙間、関節には毛羽立って黒縄じみた人工筋肉の束が蟠っている。鋭い角や牙、爪を持ち、鬼を連想させる。力強い部分部分が全体に集まると奇妙に歪み、生きた者とは思えない。そんな異形が、酸鼻な風景を歩む。

 一歩一歩、刻々と巨体が近付いてくるのを先崎琢磨は息を殺して見つめていた。未だ十を数えない出来ていく途上の体は、崩落したガレキの隙間に、姉だろうか、少女と共に収まり、非力な身を脅威から隠していた。少女は後ろから抱き締めながら涙目で自分と少年の口を押さえている。泣いているのは悲嘆と恐怖からばかりではない。辺りに散らばり、至近にもある数分前まで生きていた死体からは、血臭とと糞便臭が物理的な刺激として目鼻を蹂躙する。

 奇怪に揺れて化物が歩く。揺れるのは足首が無く、爪先立ちのシルエットで一体化した下肢を持つためで、動作はともかくその理由は奇怪ではなかった。少年はそれを見ている。凝視している。間断なく涙は流れて血走った目に最低限の視界を確保し、激情のままに溢れた鼻水は嗅覚からの過負荷を遮断して明晰な思考を補助する。鼠が誰に習わなくても巣穴の奥深くに隠れる如く、気配を殺し、威嚇を殺し、被食者に残された最後の武器、情報を逃すまいと捕食者を見つめ続ける。その視線の熱を感じたのか、化物の首が少年の隠れている方を向く。

 次の瞬間、化物は雄叫びをあげて飛来した何者かに殴られ、押し飛ばされる。飛来したのは別の外骨格であり、こちらは大柄だが人間サイズで、化物と対照的に突起が無く、曲線的で均整のとれたフォルムは人を落ち着かせる効果がある。鮮やかな赤で流麗なマーキングがされており、企業名と機体名を図案化したものと知れた。先程までステージ上で踊っていた一機だ。化物を殴打したのは建材の一部だったと思しき鉄骨である。外骨格から化物へ怒号が飛ぶ。低く、どっしりした男の声だ。

「言葉が通じるなら動きを止めろ。お前が何者だろうとこれ以上殺させない」
 化物が起き上がる。顔面を強打して数メートル吹っ飛んだのに平然としている。足首が無いので踏ん張りが利かない代わり、激突したエネルギーがそのまま運動に流れたのもあるが、そもそも苦痛を感じる器官を持っていないようにも見える。
 三メートルを超える巨躯に対し、人間の範疇の外骨格はあまりに非力。男が鉄骨を腰だめに構えると同時、別の外骨格が数体駆けつけた。男の赤に対し、他も各々別の色で差別化されている。

「リーダー!」
「動ける人々の避難が終了しました」
「よし、次はこいつを取り押さえるぞ。……ウム!」
 化物がリーダーと呼ばれた赤い機体に突進する。予期していた以上の速さで接近し腕を振りかぶる化物に、フルスイングしていた鉄骨を無理矢理軌道を変えて迎撃するが、支えきれず後ろに倒れ、覆いかぶさられてしまう。太いH形鋼に爪が食い込み、じわじわと裂け目を広げていく。その光景に、緑の機体が武器を探す。

「離れろ!」
 男の声で黄色の機体が馬乗りになっている化物の背を更に駈け上り、角を掴んで首をへし折ろうとする。だが全身の力に倍力機構を加上しても、首はわずかに反るだけだ。化物が空いている左手で貫こうとする。それをのけぞって避けるとバランスが崩れ、咄嗟に跳躍する。ただし、手は放さずに。強化された全身のバネに加えて大重量の慣性が加わり、化物の背ものけぞる。しかし、そのまま倒れると期待された巨躯は数瞬動きが遅くなったと見えた後、轟音と共に逆方向に折れ曲がり、同時に振り落とされた手刀は鉄骨を両断して赤い機体のヘルメット、中身はおろか下の床面まで切り裂いた。轟音は亜音速に達して音の壁を叩いた証であり、角を握っていた黄色の機体がゆっくりとくずれおちる。急激なGに脳が頭蓋骨に激突したのだ。

 立ち上がった化物がその無防備な背中に足を上げる。
「させるか!」
 目の前の光景に理解が追い付いていなかった青い機体が本能的にもう一本の足に体当たりする。踏ん張りの利かない体は容易にバランスを崩した。
「足!」
 新たな鉄骨を見つけてきた緑が膝に杭のように突き立てる。しかし一体化した膝当てに阻まれた。
「足だ!足を潰せば動きが鈍る!」

 見出した活路に声が裏返る。対抗し得ない怪力と頑丈さを相手にする以上、このチャンスを逃したら確実な死が待っているのだ。か細い希望が恐怖に拍車をかける。蛮声をあげて左足の人工筋肉に腕を突っ込む。数束を掴み、渾身の力で千切ろうとする。もがく爪の襲撃を、青が鉄骨で弾く。毛羽立った束が伸び、足が曲がる。次に来る動作に総毛立ちながら脛を両足で蹴りつける。瞬間、体験したことのないGが圧し掛かり、視界が赤くなる。自分とは比較にならない力で蹴られたのだ。しかし手は放さない。収縮で硬化した人工筋肉は同時に最も脆くなり、負荷が一点に集中したため千切れ飛んだ。黄色が行った跳躍に、それを阻んだ化物の怪力そのものを利用したのだ。

「人間舐めんな……っ」
 ガレキの塊に落下して弾き飛ばしながら拳を握る。限界以上の負荷がかかった指部は剥落し、露出した素手も所々黄色や白が混じっている。だが動くし、脳内麻薬が分泌されているのか麻痺しているのか、痛みを感じない。着地し、前を向いて愕然とした。中学生ぐらいの少女と小学生ぐらいの少年がうずくまっている。姉弟だろうか、少女は自らと少年の口を塞いでいる。自分が激突したガレキの間に隠れていたらしい。新たな生存者を見つけたことで、朦朧としていた意識に活が入る。ここで寝ているわけにはいかない!

 目を動かすと、起き上がろうとする化物を青が必死に邪魔しているところだった。仰向けなことと片足が不自由なことからなんとかなっているが、その左足も千切れた束の一つ一つが繋がりなおそうと悶えている。緑は駆け出し、途中である物を拾って蠢く束に押し通す。貫いたのは先の尖ったH型鋼、赤い機体が使い化物が切り裂いた半分である。もう一本を手に取り、右足にも突き刺す。ひしゃげながらも貫通し、怪力の筋繊維も邪魔のせいで全力を発揮出来ない。自由を奪い、余裕が出来たことで気付いたことが口をついた。

「中に誰もいない。無人機だ」
 青は無言で上半身を捌いている。話す余裕がない。構わず思考をまとめるために青は喋った。
「疲れる筈がない……。手足を切ってバラバラにしよう。無理なら串刺しだ」
 鉄骨を用意し、化物の爪で尖らせ関節を貫く。左肘も刺してルーチンワークの予感に化物に対する侮蔑も生まれた頃、化物の動きがピタリと止まった。
 すると、化物は今まで振り回すだけだった掌で肘のH形鋼を掴んで抜き、寝そべってから倒立して起き上がると、両腕で移動しながら二人に襲いかかった。



[27535] 第一話
Name: 三二一◆02c59522 ID:068f191e
Date: 2011/05/05 01:58
第一話『選抜/親睦/封印目視』

 大人が屈んだのと同じぐらいの大きさの背嚢を背負い、青年が歩いている。石ころだらけの山の斜面である。青年は長身で、体格は登山服に隠れているが動きはしなやかだ。細く柔らかい髪質と柔和な顔立ちは軟派な印象を与えるが、本来なら涼しげな目は吊り上がり、三白眼で前方を睨んでいる。無言で歩きながら時々手に持った地図とコンパスを見る。水筒の水を飲む。
 ある地点まで来ると地図と見比べながら進む方向を変えた。向かう先には机に載ったノートPCがあった。画面を開き、スリープを解く。IDを打ち込む。すると以下の文字列があらわれた。
『63+38= 』
 思わず舌打ちする。次に目を閉じて深呼吸し、答えを入力する。続いて新たな問題。入力するとまた新たに問題。都合十回ほど二桁の計算を繰り返すと、次に進むべきポイントが表示される。
 ご丁寧にスリープモードにしろと書いてある指示通りに操作し画面を閉じると、同じ受験生が近付いていることに気付く。若い女だ。肩に食い込む背嚢を背負い、荒んだ三白眼をしている。服に付けた小物入れから菓子パンを取り出しながら齧っている。親の仇を見るような目が交差した後、男は無言で立ち上がり、歩きだす。女はPCを立ち上げる。荒野に舌打ちが響き渡った。



 数時間後、男は麓の集合地点に辿り着いた。リミット三十分前。背嚢を下ろし、計器に載せる。25キロ。規定クリア。隣では軽過ぎると告げられた男が抗議していた。
「運が悪かったんだ。温情をかけてくれ」
「運が味方しないなら合格しないほうがいいということだ。諦めろ」
23キロ。出発時には飲料水を含めて届いていたが、計られるのは到着時だ。必要なエネルギー源は別途背負わなければならない。活力を求めるほど重くなる。

 試験官が言う。
「ラストだ。背嚢をここに載せろ」
 自分の目線ほどの台だ。それに上げるには酷使しきった足腰と背筋のみならず、腕も総動員しなければならない。熱くむくんで水っぽい、重い体に鞭を打ち、硬質な重さの背嚢を持ち上げる。頑丈な布が掌を擦るのも、指から腰から間断なく溶けた鉛が首筋を通って脳に流れ込む感覚も、もう馴染み深い。筋肉が張りつめて上げる悲鳴に、裂けろと命じ、食いしばった歯が砕けそうな危険信号と恐怖に砕けろと突き放して力を供給し続ける。背嚢はゆっくりと持ちあがり、体は深刻な損傷に至ることなく台に載せた。膝をつき、滝のように次から次へと汗が流れ落ちて水たまりをつくる。
「時間まであちらで休んでいろ」

 教えられたプレハブに半信半疑で這うように進むと、同じように登山服を着た年かさの男がパイプ椅子に座っていた。
「コーヒーを飲むかい?」
 暫し見渡し、辿り着いた青年は口を開く。
「マジで?」
 これはコーヒーを進められたことへの答えではない。全て理解した顔で先にいた男がうなずく。今までの行程では、終わったと思ったら別の試験が始まったのだ。先程の背嚢挙げもまた然り。
「俺は三十分前からここにいる」
年 かさの男がそう言うと、男は呆れたような笑顔になってパイプ椅子に座った。時計は午後五時を指そうとしている。

「二人だけか」
「俺が一番で、お前が二番だ」
「そうか。アドバイスのおかげで規定を下回らずにすんだよ。感謝する」
「どうしたしまして」
「そう言えば、すごい女にあったよ。パンを食いながらあれを背負う女だ」
「理に適ってるが剛毅だな。女傑か?」
「いやそれが若い……」
男が言葉を切って窓を見る。
「彼女だ」

 二人が窓を開けると、女性が一人、集合地点に辿り着いたところだった。背負った背嚢の重みでガニ股気味になり、余裕のない表情は酷薄だが、顔立ちの美しさは保っていた。
「小柄で華奢な様子だな」
「俺も驚いた。あと五分じゃ間に合わないか」
 辿り着いても一度下した背嚢を高台まで持ち上げなくてはならない。しかも小柄なのでハードルは他の二人より高い。

 女が登山服を片肌に脱いだ。Tシャツとインナーだけをつけ、片腕が露わになる。二人が驚いたのはその細さだ。所々直線的な輪郭と影が走るのは筋肉のカットが出る、脂肪の少ない証拠だが、無駄なく引き締まった体と言え、大荷物を背負っての山歩きに耐えきれるとは思えない。月並みだがモデル並の肢体であり、実用を度外視して外見にのみエネルギーを注いでこそ到達し維持しうるプロポーションだ。

 直観的に二人に浮かんだのは「その体では持ち上げられないだろう」であり、次に事実背負ってきたことから来る驚愕である。実体験に裏打ちされた知識として、通常あの筋量では持ち上げられない。仮に持ち上げても長くはもたない。体を壊す。だが彼女は現に長時間背負って歩き通した。ここから導かれる答えは、彼女は非常に優れた肉体的素質を持っている。もしくは大変根性がある。実体験からすれば不可能事だが、同時に二人は経験的に、世の中には異常と思える怪力を発揮する人々がいることを知っていた。

 タイムリミットまであと三分。女は脱いだ袖をねじると横ぐわえにし、しゃがんで背嚢の両側面を掴んだ。すると背嚢は弧を描いて持ち上がり、担ぎ上げた肩で一旦溜めをつくった後、放り投げられて台に載った。力士が米俵を放り投げるような力技。
 こうして時間ぎりぎりで三人目が通過した。



 試験官と共に彼女が来た。険がとれ、最前と打って変わって明るい雰囲気を纏っている。
「はじめまして。俺は津具村光太郎。通過おめでとう」
 年かさの男が手を差し出す。
「はじめましてありがとう。響三輪です。これから宜しく」
 女がそう答えて握手を交わす。そしてもう一人に向き直った。ちょこん、と小首をかしげる。
「さっき会いましたよね」
「ええ、俺は先崎琢磨です。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
「君達三人がヤソマガツ監視隊の選抜試験合格者である。明朝八時に研究所に集合。これから三十分後にここを引き払う。以上解散」

 試験官が退出すると、三人は大きく息をついた。
「失礼」
 三輪がパイプ椅子に腰を下ろす。
「お疲れ様」
「これからどうする?」
「風呂入って飯食って寝る」
 これは琢磨。
「右に同じ」
 これは三輪。
「そこは親睦がてら飲みだろう……琢磨は未成年だから仕方ないが」
「あ、私も未成年です」
 二人は驚いて三輪を見る。
「私、そんなに大人び……年取って見えます?」
 複雑な顔で三輪が笑う。津具村がなだめる。
「年齢相応に若々しいと思うよ。ただ……」
「ただ?」
「その若さで、それも女性がヤソマガツに近づきたいなんて珍しいと思ってね」
 琢磨がうなずく。実社会から半分以上はみ出ているあれに興味を持つのは、因縁があるか、かなりの変人だ。
「ああ、あれにはあまり興味無いです。関連するから入隊しただけで」
「では、何に?」
 三輪が嬉しげに笑う。
「装着型関節駆動機――強化外骨格です」
 なおさら珍しいとは、二人とも言葉を飲み込んだ。



 周囲の客から職場からの解放感と弛緩した空気が垂れこめる料理屋で、三人が杯を干す。
「明日もあるから軽くで切り上げよう」
 達成から来る高揚感を、年長の津具村がやんわりと抑える。
「明日はいよいよ現場ですね。監視隊とは言え、どんなことを望まれてるんでしょうか?選抜は徹底して体力頼みでしたが」
 ウーロン茶を傾けながら三輪が疑問を口にする。
「それは分からない……が、選抜の意図は大体予想がつく」
 魚の身をほぐしながら津具村が語る。
「まず根本的には体力だが、それ以上に重要なのが、限界に接してどれだけそれに耐えられるか、だ。極端な話、外骨格があれば筋力的な差異なんて無効化されるからな。休みなく続けられた運動も、なにも知らせずに、終わったと思ったら次が始まるメニューも、身体と精神を限界に連れていって見極めるためだろう。……警察で試験を受けた時からの類推だが」
「今日の最終試験なんかは最たるものだな。延々重い荷物を持ちながら山を登って問題を解く」
 トンカツをつつきながら琢磨は言った。
「あの問題はどういう意図があったんでしょう。延々簡単な計算を解かされ続けましたが」
「一応そうやって集中力を探るテストもあるにはある。が、それにしては問題数が少なかったな。あれはよく分からない」
 三輪の問いに津具村が首をひねる。語らいながら三人は箸を動かしている。琢磨はトンカツ定食。津具村は鯖の味噌煮定食。三輪はマーボー豆腐定食。

 食事を済ませると改めて自己紹介に移った。
「私は外骨格が好きでして。選抜に参加したのは興味本位です。詳細は分からないですが、肉弾戦を主眼においた外骨格なんて異例ですよ。軍隊は論外にしても警察でも非致死武器の発砲を前提にしているのに」
 三輪が瞳を輝かせる。

「俺は警察からの出向だ。閑職扱いされてるからな、のんびりやるさ」
 津具村が言う。

「俺はあれが暴れた時の生き残りだ」
 琢磨が話すと、舞い上がっていた三輪が申し訳ない顔になる。軽く笑顔を浮かべて沈んだ空気を払う。
「別に家族も失ってないし気にすることないよ。十年間何も無ければ危機感も薄れるさ。これは個人的な欲求だ」
 虚空を見つめ、琢磨は獰猛な笑みを浮かべた。
「あの野郎ぶん殴る」



 機械油の臭いが鼻をつく。広々とした一室には白銀に輝く鎧武者が壁に並んでいる。外宇宙漂流物研究所、ヤソマガツ監視隊用外骨格の格納ハンガーである。
「座学で説明したとおり、それが君達がこれから操縦する外骨格、玉串だ」
 琢磨は最寄りの機体の前に立つ。ヒトが作りだした外殻は、見るからに重厚で力強く、意外なほどに古代の鎧に似ていた。肩を覆うまで兜が広がり、一見して頭と胴が一体化したようである。神社の名前や念仏がペイントされているのが、ますます泥臭い。

「この機体、防具が過剰なように見えますが、何発ぐらい耐えられるんですか?」
 別の機体を同じように眺めていた三輪が、案内役の職員に問う。
「搭乗者の安全性を最優先に設計されている。後々訓練の際に詳しく説明するが、この機体はこれでも回避型なんだ」
「これだけ仰々しくてですか?警察でもこれだけの重装そう無いですよ」
 これは津具村。警察から出向している彼らしい感想だ。職員も肯いて同意する。
「想定している状況が違うからだ。軍用は無論のこと、警察も火器を持った相手に立ち向かう。しかしヤソマガツは遠距離攻撃力を持たず、パワーが未知数だが動きが目で追えるので、軽量が行動性と防御力を兼ね備えるために、火器以前の大鎧と似た形状になったんだ。重量だと民生の面影を残している」
 部屋を横切りながら職員は続ける。

 軽量、重量とは外骨格の区分で、四肢に装着して直感的に動かせるのが軽量。人間が中に入るため、胴体と肩股関節の制約から、装備次第でシルエットが変わっても、プレーンなプロポーションは胴長でずんぐりしている。重量はコックピットに手足が付いたもので、人体生理に制約されないため多様な運動と機能を搭載出来、各種耐久力も高い。本末転倒的な無人機を含めて百花繚乱の形態を誇る。
 「着る」軽量と「乗る」重量に分けられるが、操作方法によるもので運用ではどちらも同じ現場で分業することが多い。ここにも空だが重量用と思しきハンガーがあった。

「もちろんあちらが持っていないからと言ってこちらが火器を使わないわけではないし、当時の鎧そのままでなく要請に合わせてある。大体、鉄砲伝来以前だって弓矢による遠距離攻撃が主力だったしな。――これが近接で主力のチェーンソーだ。古代中国の戈を模しているが、柄を外すことも出来る。」
 職員が前に立った壁には長大な柄と、くの字型に大型の刀身が付いたチェーンソーが数振り掛かっていた。どういう使いかたをしたのか所々塗装が剥げ、細かなへこみや傷がついているのが、凶悪で頼もしい。
「次に、下層監視室へ行こう。火器もそこで見れる」



 エレベーターの二重扉が開くと、白く塗られたコンクリートの長い通路だった。天井が高い。下る前に着るのを促された防寒具が大袈裟でないほど寒い。白色LEDが煌々と照らす長い直線を曲がると、やや広いスペースを空けて再び左手に長い直線。その先は物々しい隔壁に続いている。通路には一定の間隔で給電装置が付いていた。
「この通路はヤソマガツを地上に出さないための最後の防御ラインとなる。そのため、地下という制約の中で出来る限り突入を警戒した造りになっている。突入では語弊があるが、上からでなく下からのにね」
 職員が壁面パネルにキーコードを打ち込むと、直線的に入り組んだ隔壁の歯が開く。薄暗い空間の手前には、背を向いてうずくまる二機の大型の重量外骨格と、傍らには一抱えもある複雑な面取りがなされた直方体があり、奥に目を凝らすと円柱状の空間を五つの部屋が囲んでいた。

 一歩踏み入れると、鳥肌が立つほど寒い。白い息を吐きながら職員が解説する。
「ここがヤソマガツを閉じ込めている区画であり、万一修復された際にはレールガンで足止めする。修復を遅らせているうちに増援が再び封じ込め、それが適わなかった場合は後退しながら先程の地点で遅滞戦闘をする。随所にあった非接触給電パネルはそのためだ」
 職員が片手を上げると、二機の外骨格も片手を上げて挨拶を返した。
「だがそれは最悪のケースであり、それ以前に対処するのがここの通常の任務である。つまり、肉眼での監視と修復への妨害だ。こちらへ」

 促されるまま、三人は一つの部屋の前へ移動する。それはコンテナを頑丈にしたような立方体であり、複数のかんぬきで閉ざされた扉には覗き窓が付いていた。覗くと、薄明かりの下に白いもやが溜まり、床一面に細かな破片が散らばっているのが見えた。津具村と三輪の二人は訝しげに眺めていたが、琢磨の心臓は早鐘を打つ。

「これがヤソマガツだ。モニターで監視しているが、即応も兼ねて肉眼でも監視する。前回にして最初の暴走時、民間人の抵抗によって機動力が落ちていたこれは、通報によって駆け付けたSATの重火器によって破壊された。しかし粉々になりながら修復は止まらず、結局はそれまで抵抗していた民間人の言うとおり、破片の集合を人力で防ぎ続けるという原始的な手段を取らざるを得なかった。結局それは十年経った今でも変わらず、修復はおろか稼働する理屈も分からないまま、粉々のパーツを更に分割して液体窒素で動きを遅らせ、時折邪魔をすることで悲劇の再発を防いでいる」

「ちょっと待って下さい」
 覗いていた三輪が振り返る。
「他はともかくとして、稼働の理屈が分からないとは?これの技術研究が外骨格に限らず科学技術を格段に引き上げたはず。電気仕掛けの人工筋肉で動くのではないのですか?」
 体が震える。脳が酸素を求めるが、吸った空気も体を冷やす。壁面に手をつくと、手袋越しに冷気が伝わってきた。
「平気か」
 津具村。
「平気だ」
 琢磨。職員が回答する。
「構造的にはその通りだ。だが、度重なる調査の結果、この機体には動力源や制御機能は搭載されていない。事件後でもだ。今判明している限りでは、これはガランドウの木偶だ」
 三輪が息を呑む。

「上に上がるぞ」
 再び待機している外骨格と挨拶を交わし、給電設備が埋め込まれた長い通路を歩く。曲がり角を過ぎて琢磨の呼吸も整った頃、エレベーターの扉が視界に入って三人は一瞬立ちすくんだ。行きの際の「下からの突入を警戒している」の意味を理解し、背筋が凍る。迷宮、ラビリンスとは入れないためでなく出さないためなのだ。
 エレベーターの扉には、種々のお札がびっしりと貼られていた。




[27535] 第二話
Name: 三二一◆02c59522 ID:068f191e
Date: 2011/11/18 00:06
第二話『訓練/考察/慰霊/訓練』

 耳元で鳴り続ける風音のような電装系の駆動音と共に、一時的に閉ざされていた視聴覚が回復し、同時に体が軽くなる。同じように着用を終えた三輪が画面に映った。
 玉串のヘッドアップディスプレイは頭蓋越しに脳波を読み取り、表示やデバイスを切り替える。外骨格着用時専用のインナーは人工筋肉への電位の伝達を補助すると共に防護服でもあり、それでいて通気性も良く、足の先も五本に割れて着心地がいいのだから申し分ない。未だ琢磨はやったことがないが、音楽を流すことも可能で、監視中にこっそり利いている職員もいるらしい。

 監視隊に入って一カ月、高校を卒業したばかりで未だ外骨格の免許を持たない琢磨と三輪は、まず軽量型の免許を取らされた。外骨格、特に軽量型は操作の大部分が自動化されているので公的な免許は年齢が達していればすぐに取得できるのだが、隊で求められている外骨格の役割は動作の補助ではなく、底上げであり、そのため二人は訓練に明け暮れていた。生身では出来ない高速移動や筋力、軽快さを達成することが求められる。
 機体そのものはそのように造られているのだから問題無いのだが、中で揉みくちゃに捻じられるのは生きた人間であり、元々そういう風に出来ていない人体には負担が大きい。故に免許自体は一週間で取得したものの、次の一週間は民生用の軽量機で、三週間目からは玉串で、反復練習を繰り返すことで動きに体を慣らすと共にカンを覚えた。一ヶ月目の今日は、外骨格の大きな特徴であり、普及した最大の要因でもある、ある機能を訓練することになっていた。

 装着すると手始めに、走る。敷地内に描かれたトラックで1500Mを4分で走る。次に反復横跳びを高速で行い、バク転、側転、宙返りなどのアクロバットを行う。これらは自分のペースで動ける分、初心者用のメニューであるらしい。勝手が違う跳躍は成功するまで何回も失敗した。

 一週間前から、ペアでの訓練が追加された。双方木製の棒を構え、一方が攻撃役として打ち込む。もう一方は出掛かりを抑え込む。防御役のほうが主旨であるらしい。生身でも寸止めでやらされたが、装着しては全力で行く。二人は上半身ばかり狙ってしまうが、教官役の先輩が見本を見せた時は足を打たれ転倒した。この程度ではダメージは無い。

「それでは、フィードバックの訓練を行う。まずは琢磨」

 一連の運動を終えて後、教官が二人に告げた。過去の動作記憶によるフィードバック。記憶しているのは外骨格の記憶媒体であり、これによって今まで一人の天才的技能は模倣ないし換骨奪胎して広まるしかなかったのが、別の機体、別の乗り手に共有され、そこから更に個々の工夫や偶然のファインプレー等が統合され、発展した。
 集合知と呼ばれるそれはインターネットが普及した頃から提唱され、また理想化されてもいたが、外骨格でなされた特異性はそれがアイデアのみならず身体技能に及んだことである。
それまで一人一人が修練を積むしかなかった、身体技能、技法が、機械の補助を受けることで任意に実現可能になったのである。極端な話、外骨格を装着すれば誰でもワールドレベルのファンタジスタを真似することが出来、新兵は一瞬にして古参兵のテクニックを身に付けた。
 装着者の身体的限界や活用センスというハードルは以前として存在するが、それまでと比べてマニュアル可能な技術を伝達するハードルは大幅に下がる。これは身体操作に関する労働集約から資本集約への転換である。孤独に研鑽を重ねるよりも、母集団の拡大に時間を費やしたほうが効果があるのだ。デモンストレーションではムーンウォークがなされたらしい。
 そのフィードバック機能の訓練だと言う。

「フィードバックをオンにしろ」
 琢磨は言われたとおり、アイコンを操作する。視界の隅に映る外骨格模式図の横に、『予測動作』の項が出現する。

「新たに現れた予測動作のアイコンを選択しろ」
 選択すると、『構え』や『カウンター』、『緊急回避』等の羅列が並ぶ。あとは能動的に動けば、それ従って統計的に優先順位の高い項目が表示される。或いは直接項目を選択する。いずれにせよ意識するだけで実行される。

「よし、では実際に体験してみろ。これからの攻撃を回避し続けるように」
 こちら側の画面を中継しているのだろう。準備が整ったところでそう言われる。棒が振り上げられる。反射的に、前に出て出掛かりを押さえようとしてしまうが、今は無手だ。振りかぶった腕まで届かない。天頂を越えて加速した打ち下ろしが接近する。
(ヤバイ……ッ)

 模式図が動くのを目の端に捉えた時、濁流に後ろから押し流される感覚に襲われる。硬い音と共に右足に軽い衝撃が伝わる。画面には地面が写り、模式図が高く右足を上げている。フィードバックがハイキックで迎撃したのだ。予想だにしなかった動作に股関節に熱い痛み。
 模式図が別の動作をするのと、教官が弾かれた棒を横薙ぎに振るのは同時だった。琢磨の体が深く沈み、膝、腕と支点をめまぐるしく代えながら足払いをする。
 棒の先端が兜に当たるが、大ぶりな半球状の傾斜が打撃を受け流す。足を払われたのと相まって教官が宙に浮くが、空中で回転して四つん這いに着地。すぐさま棒を横一線に両手で構え、押し出すように突進する。
 急激な旋回に情報処理が追い付いていなかった琢磨は、立ち上がりかけていたところを襲われ、咄嗟に手で受け止める。
 諸手で組み合い前のめり、というより腰が引けながら、新たな動作を無我夢中で選択する。

 束の間の無重力体験の後、目前の教官が消えていた。駆ける動作をしている模式図通り、股の痛みに耐えながら走る。
 数秒して頭が冷えたので振り返ると、三輪と教官がこちらを見ていた。アクロバティックに教官を乗り越えた背後を取った後、そのまま逃げ出したのだ。緊張の糸が切れ、しばし無言で見つめ合う。

「よし」
 教官の一声で琢磨の訓練が終わった。



 正午三十分前に訓練が終わる。格納庫に戻り、外骨格を脱ぐ。玉串を脱ぐ際は各種ロックを解除した後、頭部から外す。肥大した兜を持つため頭部は非常に重く、また電源を落とさないと頭部を外せないので、着脱は必然的に整備士の手を借りることになる。取りのけられると涼しく新鮮な外気を肌に感じる。空調は快適だが、生身で感じる解放感は格別だ。次に右腕を抜き、響三輪は右脇から簡易装甲を着けたまま脱出する。

 響三輪は思考する。
 初見でも思ったが、一般的な軽量機を経験してますます玉串の特異性を確認した。一般に、外骨格の搭乗口は、想定される危険の反対側、最も安全な位置に設けられる。建設用や災害救助用なら、崩落に備えて背面は厚く、脱出しやすいように前から着込む。警察などの法執行官用や軍用は前方から攻撃される可能性が最も高いので、背面から。対して、玉串の搭乗口は右脇にある。前もって右脇に膝まで覆う簡易装甲を着け、弱い搭乗口を補う。これなら前後左は堅固に覆われているし、弱点の右脇は通常なら武器を持っているので、格闘戦に限り攻撃が届く恐れは少なく、咄嗟の場合は腕で防ぐことが出来る。

 最初に知った時は呆れた。搭乗後に整備を行うのは当然だが、どうしてこんなに手間がかかる構造にしたのか。競技用の特注機ならともかく、これは体格さえ合えば女性でも乗れる量産機だ。そういった機体は乗りやすく、出やすいように余裕が設けられるものだ。この機体には、設計リソースの全てが稼働時のパフォーマンスに注がれているような、制約下で性能を突き詰めた印象を抱く。

 ディスプレイと一体化した兜は生身の首で支えきれないほど重いが、後頭部から鉢のように半球状に大きく広がった部位は肩まで覆い、猪首のシルエットには強固に首を支える機構と過剰なまでのバッテリーを隠している。板状の大型の肩当ては簡便かつ頑丈で、胴体から膝下まで覆う四角いスカートは、馬上にいることを前提に作られただけに、不格好な見た目に反して可動域が広く、腿当てと一体化して太くなった脚部でも動きやすい。それぞれ昔の大鎧のしころ、大袖、草摺を改造したものらしい。脇の簡易装甲は脇盾と言うそうな。

 騎馬が前提だったそれを人工筋肉による補助で徒歩用にし、騎射戦用の仕組みを削って素材を合金と炭素繊維と複合素材に変える。その他細かい修正を加え、人工筋肉で補いきれない攻撃力は武器自体に動力を仕込んで解決する。
 理屈は合う。筋は通っている。だが、腑に落ちないのは、破壊しきれない化物に対抗するためにこれだけの装備を造る前に、どうして原子にまで破壊するなり、元来たように宇宙へ放逐するなりしないのか?

 時間に気付き、頭を振って思考を切り替える。
 とんがった機体だが内装が快適で良かった。汗臭いのにも耐えられるが、臭いよりは清潔なほうがいい。
 そう結論づけて、三輪はシャワー室へ急いだ。



 正午、研究所それぞれの場所で全ての職員が目を瞑り、祈りを捧げる。現在ヤソマガツと仮称される宇宙からの漂流物が暴走し、大勢の犠牲者を出したのが十年前の今日である。一分間の黙祷の後、無言で散開。琢磨が備品のテレビを点けると、御影石の慰霊碑に集う人々が映し出される。去年までは、自分もそこにいたのだ。式典には研究所の所長や、十年前に暴走時に外骨格でヤソマガツと渡り合った今の先輩職員や、津具村の姿も見えた。モニターを注視する琢磨を三輪が心配そうに窺う。

「行きたかった?」
 軽く笑みを浮かべ、首を振る。
「俺はここでいい」
 拳を握る。思い出す度に恐怖と無力さに打ちのめされながら、体を鍛えた。ようやく今、対抗しうる場所に立っている。
「ここでいい」
 再び呟いた。



 ヤソマガツが放射状の五本の爪を振り上げる。力まかせに叩きつけられるそれを、前方に転がって回避する。ガラ空きの脇をくぐって振り返ると、三輪が長柄のチェーンソーで左膝の露出した人工筋肉を切断したところだった。
「運搬宜しく!」
「応!」
 立ち上がると同時に玉串の上半身に匹敵する大きさの下肢を抱え、脇目も振らず走り出す。無防備な背を、三輪が長柄を巧みに捌いて護る。注意を惹き付けている間に、津具村が右膝を切り離し、柄で弾き飛ばす。塊を再生が及ばないほど遠くに離し、解体する。関節を切り、装甲を砕く。四分五裂にし、津具村がレールガンで粉砕する。
 ヤソマガツはバラバラになった。

 ……モニターが切り替わり、見馴れた屋外の訓練場に変わる。お盆も近づく夏の一日である。
 三人は外骨格を纏ったままシミュレーションをしていた。傍からは見えない敵と戦っているようにせわしなく動いて見えるが、実際モニターに映る仮想敵と戦っている。人工筋肉が対応して動くことで、擬似的に衝撃や負荷を感じることも出来た。



 訓練後、反省のために外骨格を脱いで映像記録を囲んでいると、活力に溢れる三十代半ばの、壮年の男が現れた。監視隊の中でも最上級であり、かつてヤソマガツが暴走した際には着用していた外骨格を駆って被害の拡大を防いだ英雄だ。封印後は自らの体験を語り、玉串の仕様に影響を与えた男でもある。

「だいぶ慣れてきたようだね。だけど油断は禁物だ。仮想訓練での動きは、前回の記録に基づいてはいるが、あれの能力は未知数なんだ。亜音速を出したことさえある」
「あおん?」
三輪が珍妙な声を上げる。
「ああ。どうして常時出さないのか、そもそも明確な意識があるのかも定かではないが、一度亜音速を出したことがある」
そう言って、彼、盛口笹隆は琢磨を見つめる。
「君は……失礼、前から気になっていただが、どこかで会ったことがないかな?」
「十年前、あの会場で。助けてもらった生き残りです」
「そうだったか!そうか、君か!確か少女もいたはずだが、お姉さんかな?息災かね」
「近所のお姉さんです。元気で研究者をやっています」
「君はここを選んだんだね」
「ええ」
「君は覚えていないかね。亜音速」
「奇怪な印象ばかりだったので、どれがそうだったかは。けれど、やったことを不思議に思わない気持ちはあります」
盛口が頷く。
「そうだ。あれ、ヤソマガツは何をしても不思議ではない。しかしだからと言って厳戒態勢も維持出来ない。教訓を元に玉串を作り、戦法を講じるのが精一杯だ」
「戦法と言うと、攻撃は何より避ける。それが無理なら出掛かりを潰す。一対一でなく多対一で連携する。両断したら再生不可能なように遠ざける。……ですか?」
三輪が口をはさむ。
「一番大事な教訓を忘れている」
「……なんでしたっけ」
「遠距離攻撃の重要性だ。SATが間に合わなければ、今頃私は死んでいた。これは試合でも人間同士の戦いでもない。むしろ有害生物の駆除だ。相手が未知数の全力を発揮する前に、知恵を振り絞って対処するんだ。」

 三人が経験談に耳を傾けていると、琢磨と盛口の二人は所長に呼び出された。
「財団のほうから実験見学の招待が来ている。盛口君と先崎君の二人を指名だ」
「指名?」
盛口がいぶかしむ。
「責任者が淀海紬となっているのだが心当たりはあるかね」
琢磨が答える。
「あります。知人です」
「『ネビニラルの円盤』の実験だと書いてある。何のことか分かるだろうか」
「いいえ」
「同じく。私も分かりません。質問してみます」
「出来れば直接会いたまえ。先方に平日しか空きが無かった場合、有給を許可しよう」




[27535] 第三話
Name: 三二一◆02c59522 ID:068f191e
Date: 2011/11/18 00:06
 琢磨が案内された一室に入ると、散らかった部屋の奥で淀海紬がPCのモニターを睨んでいた。こちらに気付き、破顔一笑。

「久しぶり。親父さんは元気?」
「元気だよ」
 物静かだった彼女はヤソマガツと遭遇して以来、人が変わってしまった。無闇にテンションが高い。無理に気を張っているようだ。

「姉さんの名前で実験に招待されたけど、一体何の実験なんだ?どうして俺たちが呼ばれる必要がある?」
 紬が指を向ける。立てる。
「君ともう一人、盛口さんを呼ぶ理由と言ったら一つしかないよ。ヤソマガツに関することだからさ」
「一体どんな実験をするんだ?まさかあれのコピーでも造るのか?」
「あるよ。もう」
「なんだと」
 冗談半分で行ったことが簡単に肯定され、琢磨は気色ばむ。紬がひらひらと手を振って続ける。

「私達じゃないよ。十年前に、あれが暴走する前に技術研究の一環でコピー品が作られている。それも暴走したかどうかは知らないけどね」
「そんなことが出来たのか」
「そりゃあれはただの機械だし」
 紬は溜息をつき、立ち上がった。



「どこから話そうか。まず第一に、暴走以前でヤソマガツの技術解析は終了していた。だからイベントのためにわざわざ貸し出してくれたわけだし、私達を助けてくれた外骨格も造れた。」
 紬が冷蔵庫を開け、缶コーヒーを取り出す。

「粉砕した後、溶鉱炉に入れるとか硬化樹脂で固めるとか、色々試されたんだけど、結局再生を止めることは出来なかった。鉄が溶ける程度の熱じゃ分解されないし、どうしてそんな力があるのか分からないが、掻き分けて一つに集まってしまうんだ。そんな無茶苦茶な代物を物理的に阻止するために、一部分だけ海外へ送り返すことも考えられた。結果は、船員全滅」

「復活したのか。聞いたことないぞそんなの」
 それを受け取りながら琢磨が答える。向かい合って椅子に座る。外の広葉樹が風で揺れる。
「『二十一世紀のマリーセレスト号』っての、聞いたことない?」
 記憶を探る。

「聞いたような気がする……よく覚えていないが」
「日本を発ったアメリカ軍の船が一隻、無人でハワイに到着した。実は乗組員全員が消えたってのは嘘だけどね。本当は全員で殺し合ったんだよ」
「何故」
「理由は不明。運んでいた部分は腕の形に修復していたが、保管庫から出ていなかったとか。じゃあ何が彼らの駆り立てたのか――は今は関係ない。閑話休題」
 

「そんで日本に突っ返されたわけだけど、区分に困ってね。人を殺すという点では治安維持の警察の出番だが、人間が乗っていず、不断に邪魔しなければならないあれは、警察の手に余る。かと言って自衛隊では、兵器とも断定できず、かと言って災害救助の名目だとあれを天災と認めてしまう。体面がにっちもさっちも行かなくなって、半官半民の君達の研究所に投げたのさ。適切に作業すれば安全は確保されているしね」
 再びひらひらと手を振って仰け反る紬に、苛立って琢磨は口を開く。

「あれは、ヤソマガツは一体何なんだ」
「ヤソマガツ。意味は」
 仰け反った顔から眼球だけが向く。琢磨は黙る。

「八十禍津日神。記紀に出てくる神の名前であり、黄泉の穢れから生まれた、災厄を司る神である。勿論あれはそのものじゃない。大体が関係無い宇宙から来たものだしね。だが、あれに言いやすくて普段の語彙とは誤解されない名前を求めた結果、神の名の一部が与えられた。海外では別に呼んでるようだけどね。元々の名前が分からないから、どこもかしこも自分たちの立場に沿って好きなように呼んでるよ。例えばバチカンなら、デーモン。けど日本でアクリョウとかエビスとか言っても紛らわしいからねえ」

「そんな意味分からない危険物を、原子にまで破壊しない理由は三つ。一つはまだ自己修復の仕組みが分かっていないから。もう一つは危機を管理出来ているから。最後に、理解出来ないものに対して理解しようとするスタンスの組織の手元にあるから。あれが人を殺すことに恐慌をきたして破壊を支持するグループも、逆に神格化したり天の裁きだと言っているグループもある。何せあれを造った連中のことも仕組みも分からないんだから、言いたい放題さ」
「再三言っている、仕組みが分からないとはどういうことだ?分析は済んでいたんだろう?そして姉さんたちがやる実験はどういうもので、どう関わるんだ?」


 紬が身を乗り出す。顔が近い。
「分かってることと分からないこと、どちらが聞きたい?」
「分かってること」

「分かっていることは、あれは地球外生命体によって造られた異星人のパワードスーツみたいなもので、それが頑丈な素材で装飾され、装飾材の裏側、つまりパワードスーツと接する面には、あちらの言語らしき図形が刻まれている。というか、そう言う図形が浮かび上がるように設計された素材。自己結晶能力がある素材ね。装飾材だか増加装甲だかは非常に硬質かつ耐熱性がある。もっとも、素体のほうもかなり丈夫な素材で出来ている。パワーアシスト機能は電力で伸縮する人工筋肉。内部に搭乗者は無し。動力源無し。中継機をはじめとしてカメラなどのセンサーも電脳も電子機器は一切無し」

「……分からないことは」
「それが動いた理由。そもそも動力が無い。乗り手も制御系統も無い。なのに何故動いて、しかもよりによってあのイベントの時大惨事を引き起こしたのか。それと、どうして再生修復を行えるのか。素材自体は、こちらでも複製出来るぐらいの尋常な元素から成り立っているんだよ」
「ナノマシンとかそういうのじゃないのか?発見物の一つなんだろう?」

「ナノマシンでもエネルギー保存の法則は曲げられないよ。大体あれ、外骨格のほうにナノマシンは付いてない。付いてたのは船体のほう。外骨格の自己結晶化ってのは、へこみや穴なら直りますってレベルなんだよ。欠損は無理」
「だがあれは動いて直る」

「そう。事実として動く。直る。じゃあどっかの団体どもが言うように、物理法則が崩壊したのか?天にましますお偉いさんが証なり裁きなり下したのか?馬鹿言っちゃいけないよ。熱力学の大原則が間違ってたら、今頃私達はもっと楽な生活をしているよ。永久機関が作れるってことだからね」
「それで、それと実験、ネビニラルの円盤だったか、それがどう関係する」
 紬が珍しく言い淀む。渋面を作る。



「これは仮説だ」
「ああ」
「仮説ってのはデータからの予測以上に、直感によって導かれる。科学がオカルトや疑似科学と異なるのは、その仮説を検証することだ」
 言い訳するようにそう言って、訥々と語り出す。

「我々はあれに対処する最終手段として、再び宇宙に放逐することを考えている。しかし、ヤソマガツと呼んでいるあれは元々が、異星人による呪術、流し雛のようなものだと思う」

「あれの素体を覆う素材、人によっては増加装甲と呼ぶんだけど、機能的にはむしろ有害でね。あいつの足は後部が噴射口になっているんだけど、覆ってる素材が邪魔しているんだよ。あれが兵器なら、そんな無駄な事をするはずがない。飛ぶのは無理でも、蹴るなり跳躍なりで役立つからね。同様に、腰の後ろ、体幹に直結するしっぽの部分のハードポイントも覆われていた。素体各所にあるコネクターも同様。爪や角なんて仰々しいものを付けている割に、実際に役立つものはほとんど無し。しかもそんなものが本体以上に頑丈な素材で作られている。まるで、どうしてもその形を保たなければいけないように」

「あれに刻まれた図形は造った異星人たちの言語だろうけれど、素数との関連も付けられず、他との対話を目的としたものとは思えない。大体、船体も光速以下でただ慣性のまま漂っていただけだから、どこかに辿り着くことを意図したものではない。船体についてる電脳も、ハードは画期的だったが、中のソフトは自動で打ち上げるためだけのものだった」

「呪術と言ったが、呪術は比喩や混同が専門でね。それは科学でなく文学だ。それでも言うよ。言っちゃうよ」

「私達は目に見えない穢れに対して概念的な洗浄を行う際に、自分たちに似せた人形を川に流すけど、彼らは自分たちでなく穢れそのものに形を与えて放逐したのだと思う。邪神、厄神、悪神の姿として。彼らの民俗なんて想像しようもないけど、刺々しいのは捕食者の姿を擬人化したのかもね。実際、穢れを移すのでなく閉じ込めて放逐する話は地球にもある。たーくんはSFは読むかい?」
「あまり」

「SFの古典的テーマに、謎のオーパーツを調べたら時限爆弾だったというネタがある。知性体が生まれるまで眠っていた創造主とか、自分を復活させられるだけの技術を持った生き物を敵として殺戮する生物兵器とか。ヤソマガツをそう見る向きもある。けれど私はそう思わない。あれにはウィルスも閉じ込められていないし、さっき言った理由もある。広まるなら遺伝子というよりむしろミームだ」
「ミーム」

「意識の意の字で以って意伝子とか模倣子とか言われる、考え方や知識を自己増殖するものとの捉え方だよ。これ自体もミーム。人類以上に科学技術を発展させた彼らがどんな世界を見ていたか知らないけれど、迷信を捨てられなかった。それは大気圏を越える技術で作られ、私達に出会った」
「結局、姉さんはあれを、何だと考えているんだ。」

「意識の外殻。生き物を傷害する悪意の憑代。動力が元々備わっているなら発見された時微動だにしてなかったのもおかしいし、兵器なら発見された時に暴れるはず。私は、彼らの外骨格を模して作ったのが、その何者かが誤認して動き出すきっかけになったんだと思う」
 なおも紬は続ける。



「屋上屋を架すように、推測に推測を重ねるが、進んだ科学力を持っていた異星人がどの程度進んだ倫理観を持っていたにせよ、彼らにとって当船は「放逐すべきもの」である。既に暴走事件を経験している以上、それを単なる迷信と斬って捨てることは出来ない。そして、仮に彼らの意識が我々のものと似通っていた場合、流されたものは「悪、穢れ」であり、我々は封印を開けてしまった。舟とヒトガタという依代に寄り固められていたなにものかは、解き放たれて地上に満ち溢れてしまったのではないか。何があっても形態を維持しようとする依代の再生を遅らせようとすることは、ひょっとすると再生を完了させるよりも悪いことをもたらすのではないか。……この懸念の真偽を検証すべく、我々は前提となる未知のエネルギーの実在性を確かめるために『ネビニラルの円盤』の建造に着手した」

「その、ネビニラルって言うのはどういう意味なんだ?」
「今造っているのはね、フーコーの振り子、あれに近い。あれは地球の自転を証明したけれど、この円盤は現代科学に拠らない力……便宜上マナと呼ぶけど、それの存在を検証する」
「マナ。ゲームか何かで聞いたことがあるな」

「元々はメラネシア地方の単語なんだけど、それを普及させたSF作家がいてね。その作家は超自然的な力は減少する一方のリソースだと仮定して、物語を紡いだ。その作品にはマナが存在する限り永久に回転する円盤が出てきて、それが止まったことでマナの有限性が明らかになる。マナの概念を取り入れた世界的にメジャーなカードゲームでは、この作家に敬意を表してネビニラルの円盤というカードが出てくる。ネビニラルとは作家名のラリー・ニーヴンを逆さに綴ったもので、建造している円盤のコードネームもここから来ている。カードと効果は逆だけどね」
 そう言って紬は手元の紙に『Larry Niven』と書いた。その下に続けて『Nevinyrral』。ネビニラル。

「今回の実験の目的は」
「不思議パワーの目視」
「マナという?」
「前提として、再三言うがあの漂流物の稼働原理はさっぱり分からない。エネルギー源も動力に変える機構も無し。科学的にはあれはただのガランドウの人形。だが動く。これは事実」

「仮に、何と呼んでもいいが不思議パワーの存在を仮定して、それであれが動いていると仮定を重ねる。それは既存物理を超えて効率的か無限大に思えるが――歴史的に見て本当に無尽蔵の動力源というのはあり得ない。人間の歴史は利用できる動力を発見する歴史だ。自分から他人へ。他人から動物へ。動物から化石へ、化石から電気へ。
 しかし、それらも莫大でこそあれ有限であり、酷使続ければ自分でも他人でも腹は減り、心身は壊れ、化石燃料は枯渇し、電力は切れる。新しい動力を見つける歴史は、リソースの浪費で立ち往生になりかける繰り返しでもある。未だ観測出来ないあれの動力源も、熱力学の大原則と人類の経験則から考えるなら、無限大とは考えにくい。
 地球史的に考えるならば、浪費で立ち往生したのは人間に限らない。植物ですら最初期には二酸化炭素を消費し尽くし、全球凍結を招いたことがあるんだ」
「それは……上手くやればあれのエネルギー供給を断つことが出来ると?」
「それを調べるのが今回の実験の目的となる」



 語り終えると日は暮れていた。夕食を共にし、再会を約す。別れ際、最後に紬がポツリと言った。

「あれが動いてる理屈を色々考えるが、擬似科学よりも迷信のほうに寄っていくよ。鬼だとか悪魔だとか、目に見えない何者かがあれを着て暴れていると考えた方が納得がいく。魂なんて無い、死んだらそれで終わりと考えるには、私たちはあまりに多くの死を背負い過ぎた」



第三話『Nevinyrral』



 その日はうだるような暑さだった。日差しは苛烈なまでに強くて白く、年を追う毎に夏が厳しくなっているように思える。それは琢磨が生まれる前から使い古された感想らしいので、そうなら今頃日本は生き物が住める環境ではないのだが、気温や湿度、紫外線といった測ることの出来るもの以外の、感覚的な何かがなんらかの悪化に気付いている気がする。日差しを遮るものが無い開けたところにいれば尚更だ。

 傍らに立つ紬の言葉に耳を傾けながら、自分も麦わら以外に日傘を借りればよかったと思った。日は既に高く、隠れる影もない。
「あの円盤一つ一つに、ヤソマガツから抽出した文様が刻まれている。それが幾つもシャフトに重ね合わされて、一本の巨大な円柱になるんだ。実験の模様はネットで配信される。事故が起きるか止まるまで全世界に中継」

 彼女が指す先には、四階建てほどの高さも巨大な塔が聳えていた。言葉の通り、軸となる太い円柱に幾つもの円盤が間隔を空けて刺さっているので、全体的には更に太い円柱に見えなくもない。台座に備え付けられ、二人が立つなにもない空間を中心に、何本も上から見て円形に配置されている。
「質問はあるかい?」
 日傘を手に紬が振り向く。

「とりあえず」
「うん」
「何故こんなど真ん中に連れてきたのですか」
「分かりやすいでしょう?」
 首肯。
「では次に、あんなに大きいものが動くのですか?」
「こう見えて中はほとんど中空だからね。構造的には馬鹿らしいほど単純だし、結構軽いよ」

「どうしてこんなに幾つも建てる?」
「小型の卓上模型では動くのを確認した。それを受けて大型のこれを造ることになったけど、費用はともかくパーツを造る手間は一も百も変わらなくてね。便宜上マナと呼ぶ力、その有無自体ははっきりしたから、各国での追試を待たずに、今度はそのスケールと限界を知るために大型を複数造ることになったんだ」

「限界?しかし今軽いと」
「ああ、一度に出せるパワーじゃなくてね。埋蔵量と言うか、性質だね。一つの柱に円盤を冗長化し、更にそれを複数同時に起動させる。小型の模型は回転数を上げたら素材が耐えきれず自壊したけど、今度はきちんと設計したスーパーカーボン製だ。これだけ巨大かつ複数を動かしたら、マナの消費はどれ程にのぼるか。枯渇するか再生可能か。懸念材料は山ほどあるけど、分からないからとりあえずやってみようってね。初めてちらつく手掛かりに待ちきれないんだよ」

「話を聞くと単純な構造に思えるが、どうして今まで誰もやらなかったんだ?」
「知らないよ。馬鹿馬鹿しくて試す気も無かったんじゃない?あとは半世紀前のSFを読むような物好きはもういないのか。ま、おかげでポスドク崩れの私に大役が廻ってきたんだけどね」

「最後に、どうして俺たちが呼ばれたんだ?外骨格まで一緒に」
「マナ仮説はヤソマガツの異常性を説明するためのものだから、あれに関わる人にも立ち会ってもらいたかったのが一点。もう一つは私の勘。懸念はあると言ったけど、マナの消費がどれほどになるとしても、何かが起こる予兆の段階で止めることが出来ると思う。
 だけど万一、ここも警備は充実しているけど、何かあったら、最も頑丈で動きやすい外骨格を持っているのは君たちだ」

 広場を去る前、琢磨は空を見上げた。青空は立ち並ぶ『ネビニラル』の最上部で丸く囲まれ、昼間なのにまるであの世への門が開いているようだった。



 実験区域に割り当てられた一画、琢磨たち外部の者がここまで来るのに使ったトレーラーまで戻ると、荷台から下ろされた玉串が整備班によって調整を終えたところだった。ここまで来るのに報道陣や抗議の人々、それを阻む物々しい警備を抜けてきている。

「我々は装着して待機と聞きましたが」
 盛口が紬に話しかける。
「はい。よろしくお願いします。あと三十分で開始時刻になります」
 紬が一礼し、退出する。残された二人は整備の手を借りて玉串を装着する。
「彼女は我々を招待した理由をなんて?」

 起動し、各部のチェックを終えると、非公開通信で彼が尋ねる。
「ヤソマガツ関係者に見せるためと、万一の備えだそうです」
「どんな事態を想定しているようだった?」
「分かりません。ただ、勘と」
「そうか……彼女も生還者だったな?」
「ええ、俺と同じく、盛口さんとも会ってるはずなんですが」
「あの時は無我夢中だったからな。そうか、彼女は研究者になったか。招待の際、我々を指名したのは彼女らしいが、確かに、動くあれを見た我々は、関係者と言えばこれ以上無い関係者だ」

 盛口の背を追って歩き出す時、この実験を聞いた時から漠然と感じていた不安の中身が分かった。
 超自然的な力が飛来したと言う。それは異星人の迷信に沿ったものだと言う。しかし、宗教迷信は地球にも有る。彼らの迷信に謂われが有ったのなら、我々の信仰にもなんらかの妥当性が有るのではないか。八百万の神々にも通じる遍在する力。それを消費してしまっては、恐ろしいことが起きないだろうか。
 あれで消費するのは、地球由来の超自然的な力ではないのか。


「しかし、だ」
 指定された待機地点まで移動しながら、盛口が非公開にもかかわらず声をひそめながら言う。炎天下だが外骨格の中は空調のおかげで涼しい。
「体験者ならなおのこと、五機しかない玉串を施設の外へ出せと言うだろうか。しかも此処の警備は異常に厳重だ」

 整備の際に玉串はデータリンクに組み込まれており、ディスプレイには実験区域のマップとそこに散らばる外骨格の位置が把握できた。目を転じると、重砲を載せた車の荷台に、スマートなシルエットの外骨格が乗っていた。
「あれなんかテクニカルだぞ。ここは本当に日本か?」
「テクニカル?」

「一般車両に火器を備え付ける、火力と機動力を兼ね備えたゲリラ戦の主力だ。こいつら移動砲台を用意してやがる。しかも外骨格は軍用だ」
「なるほど」

 琢磨は納得する。確かに外骨格なら、生身では固定するしかない重火器でも振り回せる。勿論移動力は極端に下がるが、車に乗せることでカバーするのだろう。わざわざ外骨格単体で解決しようとするより手軽で安価だ。装甲と人工筋肉を載せまくった玉串のほうが異常なのである。

「コードが車体と繋がっているのもありますが、もしや電源直結でしょうか」
「ああ、あ――……、そうだな。こりゃうちが持ってるのよりはるかに強いぞ、レールガン」
 弾体の射出に火力を用いないレールガンは、バッテリーの向上による実用化後も銃刀法のグレーゾーンだったが、それは用途と出力を限定した上である。そもそもが入手したくても火器以上に高価だという理由もある。それを大量に備えた警備と、また実験をこれだけの規模で行える点で、紬の所属する組織が大きな力を持っていることは間違いなかった。



 刻限になると共に、円盤が回転を開始する。最初は軸が内蔵するモーターによるものであり、それを止めてからは謎の力である。永久機関の紛い物であるそれは、異星の呪紋を刻んでチベット仏教のマニ車のように回り続ける。
「目的通りだが悪夢のような光景だね」
 紬がひとりごちる。
「この速度だとフライホイールの充電は大したことないかな~」

 その後、少しずつ一定間隔で回転数を上げていく。夏の照りつける日差しの中、一時間かけて設計時の最高速度に達すると、急速に空が翳り始めた。『ネビニラル』上空を流れる雲が、目に見えないものを取り込むように膨れ上がり、虚空からも湧きあがり、黒雲となって天を覆い尽くす。

「実験中止。逆回転で制動をかけろ」
 軸に仕込まれていたモーターが配列を切り替えられ、円盤の回転と拮抗する。瀑布の如く雨が降り、遍く地上にあるものを叩く。突然の豪雨に研究者が機器の保全に追われる中、外骨格のカメラが円形に開いた広場の中心に、白いもやを見つける。
 その発見はまず外骨格のネットワークで、次にPCで監視していた研究者たちに気付かれる。大気より重いらしいそれは、一瞬大きく沸き立って霧散し、後にはギザギザに砕けた破片が散乱する。

 それは、管虫のようにねじれ、
 身をよじり、
 置換された氷面をひび割って一点に動き出す。

「あれは……」

「撃て!」

「ヤソマガツだ」

 琢磨、紬、盛口が同時に反応した。紬は警備担当のインカムを奪い取って叫ぶ。
「目標、円形広場中央!全機集中連射!分からないでもとにかく撃て!」

 同時に琢磨と盛口は駆け出していた。腰部後方に装備していたハンドチェーンソーを左右展開する。
「ネビニラル再加速!吸い尽くせ!」
 回線に紬の怒号が聞こえる。切迫した紬の声が届いた警備の面々は、それ以外に根源的な怖気のまま弾体を発射する。その頃には、既に頭部と胴体が形成されていた。それは人の枠を外れた体を持ち、鋭角的な角と牙を備えて……長く太い首を仰け反らせ、空を仰いだ。 雨の濁流をものともせず、むしろ建材にしているような速度で、四肢が構成される。射撃を正確にするためにテクニカルが接近し、琢磨達に警告が入る。

「あまり近づくな当てちまうぞ!?」
「銃だけじゃ倒しきれない。専門家だ、突入させろ」
 落ち着いた盛口の声。

「馬鹿かお前レールガンだぞ連射だぞ」
 盛口が共同通信帯で話すが、警備の外骨格は取り合わず、威力と消費電力を抑える速射モードにしてレールガンを浴びせかける。四散し、粉々になるヤソマガツ。

「これで倒せるなら玉串は造られねえ……」
 弾雨の外、天然の雨に打たれて立ち尽くしながら盛口の呟きが耳に入る。程なくして、射手達に動揺が広がる。

「バッテリーが半分を切った。これだけ食らってこの無人機はどうして動くんだ!?」
「こっちはもう切れる!あとはどうしろってんだ!」
「とにかく叩き込め!殴れるだけ殴っておくんだ!」
 数丁のバッテリーが上がり、破壊と拮抗していた再生力が優勢になり、所々欠けながらも瞬く間に四肢を形成する。

『意識の外殻』
 突入しながら、紬の言葉が脳裏をよぎる。彼女の予想通り、これは異星人が宇宙に流すほど忌み嫌った、人々を傷害する意思の憑代なのか。

 急襲する右爪を避け、カウンターで肘を切り裂く。強烈な抵抗を感じながらもダイヤモンド刃の回転は人工筋肉の束を両断する。ぬかるんだ地面を転がりながら振り向くと、盛口が左膝を両断したところだった。カメラが洗浄され、視界がクリアになる。
 バランスを崩したヤソマガツは、しかし残った二肢で身をよじって切断面を合わせ、瞬時に修復。砲撃が止んだ僅かな時間で、欠けていた部分も塞がる。

 こちらに向き直る。その側面をテクニカルの一台が激突する。ヤソマガツは押し流されながらもフロントを掴み、跳躍して荷台に着地。車体をエビ反りにするヤソマガツ。荷台に乗っていた外骨格は踏み潰される寸前に跳んで逃げる。

 ヤソマガツの巨体がたわむ。荷台から滑り下りながら、掴んだ車体を片手で投げつける。盛口と琢磨は左右に散開。両手のチェーンソーを構えて同時に攻める。
 ヤソマガツは、爪先立ちで一体化したシルエットを持つ、踏ん張りが利かず接地面の少ない脚をぬかるんだ大地に半ば埋めていたが、両手を交差して地につくと、腕を回しながら泥を跳ね上げて回転蹴りを繰り出す。
 咄嗟に体を沈めるが、泥の帯は幅広く、視界が覆われる。直後に頭に強い衝撃を感じて脳が揺れる。
 薄れる意識の中、反射的にフィードバックに任せ、四つん這いで着地する。叩きつける雨が泥をあらかた洗い流し、機械洗浄でカメラが復調する。同じようにヤソマガツも四つん這いで対峙する。

 一目見た時から分かっていた。これはこの世の外から来た化物だと。
 鼓動の音が頭蓋に響き渡り、鼓膜の震えが脈動にシンクロする。ブツ切れになった意識を、ノイズ混じりで繋ぐ。頭の後ろ側がチリチリする。
 ヤソマガツが立ち上がり、爪を振り上げる。墨を流したような雨空を背負う威容に死を受け入れた時、一条の光と共にヤソマガツが吹き飛ぶ。まだ稼働するレールガンの一撃だ。

「動けるか」
 盛口が駆け寄る。攻撃を受け流す傾斜がついた左側の頭部増加装甲が無くなっていた。自分の模式図も同じように欠けているのに気付く。この場で最も頑丈な装甲でさえ、かすった一撃を軽減するのが限度らしい。無茶苦茶な大振りに訓練した出掛かりを押さえる戦法も適用出来ない。バッテリーの一つがオシャカになり、稼働時間が大幅に減る。チェーンソーを本体電池に切り替え。

「あいつ、十年前より強くなってやがる。武器は使えるか」
「両方動きます」
「よし、では片方を誰かに渡せ」
「え?」

 ヤソマガツが顔を上げる。泥にまみれ、目があるべきところは隠れているが、微塵も変わらぬ動きで突進してくる。警備の外骨格が数機、ナイフ片手に殺到する。
「予備の電池でしか動かんが、今は手数が足りん。最低でも足を切らねば」
「分かりました」
 銃撃戦を想定し、装甲よりも回避に重点を置いた軍用の軽量は機敏だったが、スーパーカーボン製とは言えナイフ一本ではリーチも破壊力も足りない。ヤソマガツが反応すると同時、ヒットアンドアウェイで撤退する。

「使え!」
 本体からコードを切断し、チェーンソーを二人が投げる。二機が受け取る。
「硬い俺たちが前衛を引き受けるから、攻撃を頼む。まだ撃てる車両は逃亡を防いでくれ」
 盛口の提案と共に、全機が無言で配置につく。

 一体何が、何を見ているのか。取り囲まれたヤソマガツは頭を巡らせることもせず、大きく体を屈め、手を地につける。背がたわんで膨らみ、直後、四足歩行で琢磨に突進する。眼前に伸び上がる両の爪。今まで以上の力押し。

 横に避けた琢磨は、既視感と同時に後ろに飛び退く。腕と首を埋没させながら、胴の力で繰り出される蹴りの渦が、宙を舞う玉串の背面スレスレで空を切る。

 泥を撒き散らしながらヤソマガツが巨躯を持ち上げ、高々と上がった角の生えた頭を、最寄りの一機に振り下ろす。眼の辺りをチェーンソーが轟音と共に貫くが、頭部を両断されながらも両手が警備の外骨格を掴み、引き千切る。

 血と脳漿の霧を散らし、颶風のように次なる獲物へ接近したヤソマガツが、前のめりにくずれおちる。最初は恐る恐る、次は全力で蹴られ、最後に八つ裂きにされても修復は始まらない。

 その様を呆然と眺めていた琢磨は、豪雨にかすむ『ネビニラル』の回転がいつの間にか止まっていることに気付き、膝をついた。





[27535] 第四話
Name: 三二一◆02c59522 ID:068f191e
Date: 2011/11/19 00:04
(遺族からの提供資料と押収したPCに残されていた未送信文書)

9月17日
今日、オークランドで広洋丸に乗った。また一週間ほどで帰る。お土産を楽しみにしていて。

9月23日
すごいものを見た!今日(時間的には昨日)、当直をしていたら巨大な鯨が船を飛び越えたんだ!
あんな大ジャンプが出来る生き物がいるなんて信じられない。

君は笑うかも知れないが、自分の目で見れば海の広大さを信じるさ。

9月24日
君は元気かい?君は元気だろうか?あれ以降、船に変な気配がする。

最近、船がピリピリしてる。あと数日の辛抱なのに、みんなイライラしている。呂伽、君の言った通りだったかもしれない。




(未送信文書)
帰りたい。海はもう嫌だ。怖い。ここに居たくない。





第四話『海魔』





2035年9月22日



星々の明かりの下、一隻の船が黒々とした太平洋を行く。
船の甲板には様々な色の直方体が積み木のように重なっており、船橋の高さと船幅に匹敵する幅の塊が、船の前方から後方までを埋め尽くしている。
整然としたが故に資格を混乱させる巨大な直方体は、コンテナだ。



コンテナは、陸上輸送に使われるトレーラーをそのまま船に載せるというのが基本的なアイデアである。
風雨に耐える箱(コンテナ)に予め荷物を積んでおき、岸壁ではコンテナ単位で荷役を行う。

用途により色々な種類があるが、いずれも輸送する貨物を単一化する目的で作られた輸送用容器で、次の特性を備えている。
1 移動・積換えが容易で、雨天でも荷役できる
2 貨物の収納・取り出しが容易
3 鉄道・トラックなどにそのまま積換えて運べる
4 堅牢で長時間の反復使用に耐える

コンテナが成功したポイントは、世界共通の海上コンテナ規格とコンテナ専用船の登場、効率よく荷役できる岸壁設備や、陸上輸送のためのトレーラー。
そういった個々の発明が、輸送システムとして一つに統合された点にある。ITによって、荷物表などの情報の変更、取り扱いが容易になったことも後押しした。

海陸一貫のシステムが構築されたことで、それまでどこに何を置いてどう取り出すか、多大な労力と時間を費やしていた荷役作業が大幅に効率化し、所要時間が短縮。
海運革命はメイドインチャイナの安価な雑貨の輸出を行う、中国の急激な成長の一因となった。

通常、搭載コンテナ個数を20フィート・コンテナ(8フィート×8フィート×20フィート=2.4m×2.4m×6.0m)に換算して表わし、この換算をTEU又は20フィート換算という。

二十年前、外宇宙から飛来した異星人の漂流物によって各種分野にブレイクスルーが起こったが、普及し信頼性のあるコンテナのシステムは残った。
飛来前に建造された広洋丸も、一般的に船の耐用年数は二十年前後なので、老朽化しつつも現役で使用されていた。



広洋丸はフル・コンテナ船。
フル・コンテナ船はコンテナのみ積載輸送する船のため、船体はコンテナのサイズに合わせた無駄のない設計となっている。

甲板下、船体のほとんどにもコンテナが満載されている。

人員もコンテナ輸送に最適化され、300m近い全長と6000TEUを超える積載能力ながら、船員は23人しかいない。



その内の二人が、夜の甲板を巡回していた。一人は日本人の若い男で、垂れ目で中肉中背。ひげが伸び始める時間で、もう毛が濃い。名前は河津和久。三等航海士。
もう一人は浅黒い肌でほっそりしており、個々の動作が敏捷。彼、チュワン・ブンナークは、河津和久より年上だったが、一見して若々しい。甲板手。
二人とも落下した時の備えとして、蛍光色のライフジャケットを着用している。

甲板部前面。
船倉は6個あり、そのいずれにも7段以上コンテナが重ねられている。
居住区を下に抱えた船橋は船尾寄りにあり、振り返れば赤と緑の舷灯が闇夜に光っている。

辺りは一面黒い膜のような海で、船灯に星明かりがかき消され、水平線も判然としない。それでも見上げれば陸の市街よりは星が見えた。

「空に何かいるのカズヒサ」

共に当直をしているチュワンが言った。社会から離れた海上で、密航は別として侵入者はまずない。
二人が見回るのは海上と天候の異常や積荷の確認のため、そして海賊の襲来を警戒してだった。
二人なのは、一人だといずれのケースでもヒューマンエラーが起きたら取り返しがつかないからだ。

「ああ、悪い。考え事をしていた」
「そう」
時は夜。23時。この時間帯は俗に新米ワッチ(当直のこと)と呼ばれる、経験の薄い者に割り振られる時間帯である。和久は二十歳。

「俺さー、出がけにカミさんと喧嘩したんだよね」
「奥さん怒らせると怖いよ。ウチはその度に機嫌取って物が増えるよ」

「だよなー。まあ土産も買ったしほとぼりも冷めたはず。そもそも行く時日本ではヤソマガツってブームがさ……」
「何、あれ?」

海に目を巡らしていたチャンソンが一方を指差した。甲板上を点検していた和久はそちらに顔を向ける。
柵に体重を乗せ、闇に眼を凝らすと、船から程近くで魚が跳ねていた。

「エサでもとってんのかな」
(こんな夜中に?)
疑問が浮かぶ。

「嫌な感じ。死骸にたかったり何かに追われてる時、あんな風に興奮するよ」
「ドザエモンがいるってか?」
そう言いながら更に凝視すると、魚群の先に泡が浮かび上がっていることに気付いた。それは急速に数と規模を増し、大海の水を持ち上げる。





船長である稲田厳央が気づいた時、警報を発令するには遅過ぎた。

21世紀初頭から、各種航海装置は電子化され、統合されている。
まず付近の海域や船籍を感知するソナーが、海中に巨大な影を捉えた。
この船に匹敵する巨体は、正体を見極める前に水中にあるべからざる速度で接近。自動衝突回避装置が作動する前に体を崩す激震に至る。

ブリッジの横に張り出した監視用ウィングにも海水がかかり、床に水が流れる。あらゆる非固定物が流れ落ちる騒音の中、歯を食いしばりながら手近な台に掴まり体勢を保つ。
ともすれば重力が足裏からグリップを奪い滑りそうな中、彼は首を巡らし事態を把握しようとした。
そして見た。

船窓の先に広がる星の海。砂粒のようなかそけき輝きを、水の海から盛り上がった影が隠している。
山と言うべきか塔と言うべきか。正確を期せば楕円の半分。それは急速に高さを減らし、最後に巨大な双葉のシルエットを見せびらかして沈んだ。

(鯨?……UMA?)

出現の名残を留めるのは、高い波と散乱した小物、いまだ小ぶりに揺れる船体だけだった。





甲板上、河津和久は必死で柵にしがみついていた。理性では何も分からぬまま、危険信号を発する本能に従う。

海水が圧倒的質量で叩きつけられ、粘性が落下に道連れにしようとする。
頭と肺が潰れるような衝撃。息を吐き出した口と鼻を襲う塩水の激痛。遠くなる意識と、抵抗する意識を根こそぎ奪う冷たい波涛。

どこまでも下へ誘引する奔流に揉まれながら、感触が無くなった掌に更に力を込める。
実時間にすればわずか数十秒。体感で数刻に及ぶ時間の拡張の中で、諸々の苦痛とそれを上回る恐怖に耐える。

何度浮いていると錯覚したか。幾度平衡感覚を喪失したか。力んで閉じた目に映るのは、夜空よりもまぶたの裏よりも冥い闇。
心でなく体で思う。そこは嫌だ。その気持ちが力を生む。



気配が変わった。おそるおそる目を開くと、甲板の上だった。揺れているが空気がある。
咳き込み、吸う。
甘い。

強張った指を意識して引き剥がす。
全身の力が抜けた。濡れてべとべとの着衣も気にならない。というかどうでもいい。
体を支えるのがだるい。視界の端に蛍光色を見つけ、同僚の無事に安堵する。

「あたっ」
そのまま後ろに倒れ込むと、後頭部に硬いものが当たった。腕を巡らせて拾う。

「……貝?」
星明かりでは心もとないが、扇形で滑らかな表面を持つそれは、大ぶりの貝と知れた。
見渡してみれば、辺りには同じ貝と腐ったような臭いを発する肉の断片が散乱していた。





9月23日



濡れた服を着替えるため、出入り口室(甲板から下の区画へ下りるための出入り口。風雨密戸の付いた小さな甲板室)から和久とチュワンが船内に戻ると、乗組員が整列していた。
皆、眠たげか理解が追い付いていない顔をしている。一瞬いぶかしんだが、すぐに点呼だと気付く。
付近の壁には、非常用の手斧が固定されている。

「甲板当直の河津和久とチュワン・ブンナーク、戻りました」
告げる。

船長の稲田厳央が振り向いた。白髪が混じり始めたが体つきはまだがっしりしていて、長年の経験は、穏やかで眠たげな容貌に自負と威厳を与えている。

その顔が、二人の姿を認めてくしゃくしゃと歪む。
「おお、無事だったか。これから捜索に行くところだったんだ」
「何とか命拾いしました」

「機関部で手を離せない者以外、全員ここに集まっている」
それを聞いて安堵した。

「コンテナのほうは一回りしましたが、落荷はないようです。甲板は落とし物が散乱してますよ。掃除しますか?」
「いや、夜のうちは二次災害の危険もある。異常が無ければ日のあるうちにすればいい」



薄汚れたベージュ色の廊下を歩き、自室に戻る。狭いながらも個室だ。
ベッドや机、卓上のノートPCや電話機など、おおよその家具は固定されており、筆記用具や掛け布団が転がっていることだけが、先程の名残だった。
シャワーを浴びて海水を流す。

眠りに落ちる前に、最前の出来事を妻にメールした。





夢を見た。

目の前にはチュワン・ブンナークがうずくまっている。自分は金槌を振り上げている。
同僚が前にかばうように挙げた腕はアザで膨らんで歪み、飛び出た骨の縁は赤く染まっている。自分はゲラゲラ笑って金槌を振り下ろす。
硬い感触。湿った音。

腕の隙間をついて叩き込み、血で濡れた得物を振り回す。
ゲラゲラゲラゲラ。

ゲラゲラゲラゲラ。





喉の痛みで目が覚めた。眼に映るのは白い天井と壁、合板の机。そっけない個室。しかし二重写しになる情景が頭を離れない。
上半身を起こし、膝を抱え、顎を乗せる。
「夢……?」

白い壁。机とノートPC。太いのと細いの、二本のコードが伸びてそれぞれコンセントとジャックに繋がっている。
「夢だよな……?」

ようやく現実感が戻ってきた。
「くそっ、気持ち悪ィ」
汗ばんだ体をタオルで拭う。

備え付けの電話が鳴っている。出なくても当直の前任者からだと分かる。
交代の際は念のため次の担当者を起こすのだ。受話器を取り、ぼやけた頭でもきちんと英語で応対し、外に出る。



出入り口室から外に出た和久は、猛烈な腐臭にぶつかって吐き気を催した。
甲板に出れば新鮮な外気に当たれると思ったのだが、昨夜のUMA(鯨?)が残していった腐肉が陽射しを浴びてボルテージを上げたらしい。

日差しで腐肉はひどい臭いがし、貝は間から肉がはみ出ている。盛り上がった肉は横長の目のようで、見るだけで胸がムカつくような邪悪な気配を発している。

海は照り返しで白く、日差しで生じた風にうねっている。

既に仕事に取り掛かったチュワンが、デッキブラシで前任者たちがまとめた腐肉の山を海に叩き落としている。
「おはよう」
「おはよう」

起き抜けで最悪の環境に置かれてチュワンの顔色も悪い。
夢で見た苦悶の姿がフラッシュバックし、言葉少なに挨拶をして、和久も臭い塊と貝の山を落とす作業に取り掛かった。






四時間後、食事をとっても気分が優れなかったのでジムへ向かう。

人間が緊張状態を保てるのは四時間前後だ。
だから船では、24時間を四時間ごとに六つに区切り、見張りや操船をする船員を3グループに分けて、四時間操船しては八時間休むと言うサイクルを、一日二回繰り返す。
この四時間の当直をワッチと言う。

最も経験の少ない和久は、船長や他先輩たちが起きている8~12時、20~24時の時間帯を任されている。
これを新米ワッチや殿様ワッチと言う。起きるのに楽な時間で、薄暮や薄明のような視界が怪しくなることが無いからだ。



ジムと言っても、狭い居住区の中、中央に卓球台、隅にペンチプレスが二台あるだけのささやかな空間だ。
ジムでは先客でチュワンと操舵手のソムチャーイ・ピバルがいた。ピバルは太り気味の中年で、今は茶褐色のたるんだ肌に血管を浮き上がらせてバーベルを上げている。
サポートについているチュワンは、既に何十回もつき合ったこれに飽きて、手持無沙汰にステップを踏み、シャドーボクシングの真似事をしている。



「卓球やろうぜ」
和久が呼びかけると、チュワンは躊躇なくラケットを握った。

「ちょっと離れるよ」
「ああ。この程度(の負荷)なら平気だ」

慣れた二人のやり取りを待ちながら、ピンポン玉を胸の高さに上げる。
「何賭ける?」
チュワンが聞く。

「晩飯。デザート」
娯楽の乏しい船内で一番の楽しみが食事だ。二番目が睡眠。
和久が答えると言葉の代わりにパンッとラケットを叩き、チュワンが前傾に構える。

合意は成った。後は勝負だ。
ピンポン玉を軽く放る。対角線ギリギリを攻めたサーブは、台を越えて床で跳ねた。

「あれ?」
「ハハッ」
チュワンが拾い、打つ。閃光のような打球は台に反射した後、全力ですぼめているピバルの口にすっぽりと嵌まった。

「ワリい!」
すぐさま拾い、目の前で手を拝むように合わせる。血走った目から顔をそらし、服で拭いて努めて明るく再開する。

「おっかしいな。力の加減が上手くいかない」
「俺もだ」
ピンポン玉は非常に軽い。そのため繊細な力加減が必要になるが、どこか体の信号が狂ったように力むことが止められないのだ。

再戦。
数合に渡る打ち合いの後、再び吸いこまれるようにカポッとピバルの口に嵌まるピンポン玉。
いつの間にか、かつてない重さのバーベルを単独で上げていたピバル。

しばしの沈黙の後、蛸のように突き出た唇から、吐き出された息でフワーっと垂直に上がるピンポン玉。

限界だった。

爆笑した。
「カポッて!そんな狙った様にハマるかよ!コントじゃあるまいし!」
「俺も驚いた!綺麗な放物線描いたな!」

罪悪感を覚えつつ、ものすごく下らないと思いつつ、娯楽の少ない中現れた珍事に笑う。いつも威圧的なピバルのことならなおさらだ。
理性はもう止めろと告げているのだが、制御の及ばないどこかから溢れて来て抑えられない。
笑い合えることが嬉しくて溜まらない。

当然、ピバルは怒った。
「お前らいい加減にしろよ?」
ピバルは色黒の濃い顔に眉を逆立てて怒っている。そこばかりが白い白目が、なお一層睨んでいる黒目を強調する。

「そんなつもりはなかったんだ。ごめん」
「笑って悪かった。腕は平気か?」

この程度でキレるなよと思いつつ、二人は素直に謝った。しかし苛立ちは収まらなかったようだ。汗臭い怒気が発散される。
抑えようのない激情の奔流に地団駄を踏み、行き先を見つけられない腕が振り回される。
「ああ今日はなんて日だ!夢見が悪いからとジムに来てみれば自己ベストが台無しになりやがる。お前らトンカチで頭割ってやろうか!」





航海中、船員がする仕事はあまりない。エンジンを司る機関部ならともかく、忙しくなるのは検疫や荷渡しなど陸に近付いてからである。
三交代制で、睡眠と当番以外の時間は読書したり運動したり思い思いに過ごす。

衛星が地球を覆った現在、ネットもウェブカメラも可能だが、後者で陸の家族と連絡を取る者は少ない。
「かえってホームシックになる」や「閉鎖環境に女っ気は不要」などの理由による。航海地点によっては時差の問題もある。
和久もメールだけにしていた。

和久は同僚のチュワンと共に、持ちこんだDVDを見ていた。画面には航海中、何度も見た肌色の絡み合いが繰り広げられている。脳味噌を空っぽにするにはこれが最適だ。
怠惰で無防備な映像に、不快な記憶がようやく洗い流されてゆく。





夢を見た。



妻がいる。ニコニコと笑っている。
愛おしくて抱きしめる。柔らかくて、温かい。

一度離れ、今度は柔らかな乳房の間に顔を埋める。慣れ親しんだ臭いと体温に憩う。穏やかな鼓動を感じ、無言のまま安らぐ。
支える必要の無い意識は蕩け、甘やかな香りに包まれて肌理の細かい肌を抱く。
安堵に足の力は抜け、膝をつく自分を彼女は優しく受け止めてくれる。

(違う)
規則正しく心臓が脈打つ。自分の心臓も脈打つ。
二つの鼓動を受ける内に、体の後ろから這い上がる意思がある。それは汚濁のように意識に広がっていく。

強迫観念に駆られ、体を離す。
疑問符を浮かべた、しかし信頼しきった無防備な顔面に拳を叩き込む。
殺さなければならない。

ひたすら殴り、湧き上がる力を相手の芯へと突き通す。
もっと強く。
硬い肘を振り下ろす。

相手は柔らかくて細い、非力な腕を前へと差し伸べて身を守っている。
「どうして?どうして!?」
起きていることを信じられない、そんな声の懇願が、言語を成さない雑音として耳を通り抜ける。

止めて、止めてと告げる掌を振り払う。繊細な指を一束にへし折る。



いつしか相手の体は動かなくなり、掌は鳥のそれに変わっている。
指と一体化した、力強い猛禽の爪で表皮ごと肉を切り裂いて、手の内に収まるほどの一掴みずつ、黄色い脂肪ごと肉を千切って握り潰す。
細胞の一片一片、その生までも死に至れ。

屑肉を山と積み、骨を打ち砕いて一心不乱に破壊していると、目前に縦の裂け目が現れた。
それは見る見るうちに巨大化し、闇黒を背景にした巨大な単眼になる。肉が肥大して溢れた貝の邪眼だ。襞の間には色素が溜まり、毒々しい黒目と瞼を形作る。

自分を超えるスケールのそれを、中に浮いて眺めている。それはもはや縦長の目ではなく、禍々しくも荘厳な門である。
門が震える。
上方が盛り上がり、小さな球状突起がせり上がる。真珠だ。

それは赤い。血の雫が凍ったように赤くて丸い。
半分ほどはゆっくりと持ち上がり、やがてつるりと零れ落ちる。

自分の頭へと、落下してくる紅真珠。

自らを生んだ貝と同じく、それにも古代エジプトの邪視に似た、細長い目のような模様があった。





9月24日



河津和久は目を覚ました。
涙声が頭蓋に反響している。

(どうして?どうして!?)

「俺が知りてえよ……」
じっとりとした汗を拭った。



食堂。廊下。
船員たちはすれ違う度に怯え、目が合うと苛立つ。
どうしようもなく不愉快で、閉鎖環境だから叫ぶことも出来ない。甲板で叫ぶのもためらわれる。

声を立てるのが怖い。何かに見つかりそうで、隠れていたい。
しかし皆ピリピリしていて、憤りをぶつける捌け口を求めている。
だから弱みは見せられず、結果更に粗暴になる。

船内全てで刺すような雰囲気が生まれていた。





15時。

機関室のエンジンコントロールルームには、機関員たちが座って休めるスペースがある。
そこで10時と15時に行われるティータイムは、打ち合わせや報告の他に、機関長が部下の隊長をチェックする場だ。
今日はミスが多かった。一つ一つは些細なケアレスミスだが、事故とは、基本的には誰かのミスを他の者が修正できないために起こることが多い。

余程致命的でなければチェックによって挽回できる。そのためには相互に気遣い合うことが大切で、一連のミスは互いの連絡が欠けていたのが原因だ。
部下たちが皆、顔を合わせるのを避け、余所余所しくなっていることに機関長の糸杉清高は気付いていた。ここ最近夢見が悪いが、海では不思議なことがつきものだ。

「気分が悪そうだが、どこか具合が悪いのか」
声をかけたが、皆黙っている。だが何か重苦しい。

「いつも言っているけどな」
言葉を継いだ。
「何かあったら必ず連絡しろ。連絡したら、俺の責任。しなかったら、その者の責任」
突き放すようにそう言うが、返ってくるのは複数の沈黙。

辛抱強く待っていると、バツの悪そうに身ぶるいした後、一番若い機関員のサリット・タムロングがおずおずと口を開いた。
「悪夢を見たので気分が優れず、顔を合わせるのが気まずいんです。……仲間達を、その、殺す夢を見たので」





船橋で、船長の稲田厳央と機関長の糸杉清高が話し合っている。

「ここの所、船が異常な雰囲気に包まれている。アンタも、アレを見ただろ?」
「ああ。それに、操舵手と航海士に雑談が減ったとは思っていた……。とは言え、出来ることは塩を撒くぐらいだ」

「それでさ、物は相談なんだが、船内で煙草を付ける許可をくれないか」
「煙草?」

「俺は陸(おか)に上がったらこれでもかってくらい土を楽しむために、山歩きをするのが趣味なんだけどさ……、この辺、山も海と変わらないんだ。
そんな時は、煙草で一服すると良いって先輩の登山者に教わってね。お守り代わりに、一箱持って来てる」

厳央は暫し黙考した。
「やらないよりはマシだろう。ともかく、試してみよう」
「よっしゃ」

清高は船橋を出ていった。その背を見送り、厳央は船橋の一角に設えられている神棚を拝んだ。






夕刻。部屋に籠っていた和久が、ノックされたドアを警戒しつつも開けると、機関長だった。
火のついた煙草が灰皿代わりの金属缶に入っている。

「ちょっと煙を入れさせてもらうよ」
そう言って、立ち上る煙を一振り、二振り。

すると、ふっと心が楽になった。酷使していた脳の一部が麻痺した感じで、今まで感じていた圧迫が消える。
「これ、何ですか?」

「ああ大したことない」
そう言って機関長は手を振る。
「ただのまじないだ」
それだけ言って出ていった。別のドアをノックする音がする。



煙草の煙で落ち着いた思考を巡らせる。
冷静になってみれば、悪夢は所詮夢だ。
気分が悪くなるだけで、それ以上の不都合はない。夢だけならば。

思い返してみると悪夢は一番無防備な時に分かりやすく翻訳されていただけで、どこからか放射されてくる悪意に引きずられて、起きている間も粗暴になったり残虐な考えが浮かぶ瞬間があった。

(まじないだって?)
出航前、妻とした喧嘩を思い出す。



河津和久は船乗りである。海にほど近い街で生まれ、航海学校に入学、漁師に進む周囲の友と同じく同年代の、若い娘を早々と嫁に貰った。
結婚から二年。成人し互いに遠慮が無くなる頃、今から二週間前の出航直前に、お守りを妻が買ってきた。

和久も海の男である。人知を超えた自然と相対する仕事上、縁起を担ぐ。だからお守りというのは良かった。それが普通のお守りであったなら。

それは当時、話題になっていたネビ……?ネビ何とかを応用したという触れ込みの、チャチであやしげな霊感商法だった。疑似科学と言うべきか。
男ばかりの閉鎖環境で心労の種を抱え込みたくない。つっぱねた。



「とってもいいんだって!檜山さんが言うんだから!」
脳を殴るようなヒステリックな声で彼女が言う。檜山とは彼女が属する雑談グループの長で、町内会の筆頭だ。忌々しさと共に中年太りの姿を思い浮かべた。

「いらんいらん。そんなもん無くても平気だから」
「そんなものってなによ、私はあなたを心配して――」
「わかった、わかったから」

盆の最中に起きた事件以来、テレビでは御用学者と宗教家と年のいったんタレントが、来る日も来る日も同じことを繰り返していた。
具体的な内容自体もループしているが、言わんとすることはこうだ。

大変なことになったぞ。言う通りにしないともっと悪い目に遭うぞ。

和久としては、十年間放っておけたものが今更危険とも思えないし、後から騒ぎ出した奴らを信じる気にもなれないのだが、そうは考えない人もいるらしい。身近では妻がそうだった。

「いいかい?。陸にいる人より、海にいる船乗りの方が海については詳しい。でも船乗りである自分はあれに関する危険な話を知らない。
だから、噂になっているような心配は杞憂だと証明出来る」
冷静に、和久はじゅんじゅんと理屈を説いて納得させようとした。しかし妻は納得しなかった。

「あるわよ。不思議な話」
「なんだい?それは」
本気で分からなかったので聞いた。宇宙産の機械相手に何を合わせるのだろう。バミューダトライアングル?

「二十一世紀のマリーセレスト号!」

一瞬何のことか分からなかったが、米軍の船が乗務員全てを失って漂流していた、という数年前の事件だと思い出した。爆笑した。
「あれはデマだよ。デマ。大体軍人が幽霊に負けるわけないだろう?」
極々常識的なことを言ったつもりだったが。


「わかってない。全然わかってない」
お決まりの文句に疲れが圧し掛かる。

「私にも付き合いってものがあるんだからね!あなたを待つ数か月もの間私がどうやって過ごさなきゃならないか――」
食い潰される時間を最小限に抑えるべく、反論を呑み込んで和久は耐えた。

結果として、お守りは荷物の奥深く、目に付きも思い出しもしない所に仕舞い込まれることになった。
捨てたかったのだが、不純物のほうが多いとは言え、心配する気持ちそのものに嘘はない。
お守りを捨てることは、それを捨てることも意味した。



今現在。当直の合間に、PCで思いつく用語を適当に検索する。

宇宙から来た宇宙人の機械。
それにまつわる謎は大して興味を掻き立てられなかったが、一つだけ気になった言葉があった。
今回発端となったネビ何とかという装置を作った科学者。ほとんど表に出ない彼女が出した声明の一節。

『ヤソマガツは異星人が放逐した穢れの集積であり、その封印は研究の際に解き放たれてしまった』

ヤソマガツと言うどこか不吉な名と、対照的に平坦な語り口が耳に残った。幼い頃読んだギリシアの神話を想起させる、その内容。
アメリカで調べられたのが日本で惨劇を起こした。
本当に全世界に?

和久は頭を振って妄想を打ち切った。海上で怪談は御免である。出航前、妻に説いた理屈を思い出す。

世界即ち地球の七割は海である。不思議エネルギーだろうが悪霊だろうが、実在するなら船乗りの間で話題になっていなければおかしい。
そして船乗りである自分はそんな話を知らない。故に絵空事と証明出来る。

それが今起きた。よりにもよって当事者となって。





室内に閉じ籠り、膝を抱えて黙考する。
この煙草の匂いが消え去ったら、今度は何が起こるんだろう。
考えたくない。風に当たりたい。だが部屋の外は怖くて、なるべく他の人に会いたくない。



今日の食堂は最悪だった。
誰もが喧嘩のスイッチが入っていることに気付いていて、かすかな刺激さえあれば止まらなくなることを自覚している。
何か一言でも、何か一動作でも威嚇したら、行き着く処まで行ってしまいそうなのだ。

暴れたい。しかしそんなことしたくない。
焦げ付くような緊張の中で、誰もが一挙一動に張り詰めて口に物を運んでいた。



PCでメールを作成する。しかし読み返すと泣き言ばかりなので、ブラウザを閉じた。

ベッドに横になって、明かりが眩しいけれど消すのは怖いから腕で目を覆う。
甲板に出たい。今の時間は夕焼けに空が赤く染まって、風が涼しいだろう。





茜色の空は時と共に、群青へ移り変わる。更に深まれば漆黒へ。
見上げれば満天の星が、清らかに白く瞬いている。

風が渡る。海の塩気は大気に澄んで、雄大な景色に相応しい。
風に運ばれ、自分がどこまでも世界に広がっていく。

遥か先、丸く沈んだ水平線。彼方に没していく太陽が見える。
目を下げれば肌寒い夜の帳が降りる中、その付近だけが名残り惜しげに朱に染まっている。



更に下、自分の足元に意識を向ける。
すると上下が逆転し、海原の大パノラマが広がった。

中心には、一隻の船がある。積み木のようなコンテナを積載して、航跡を残しながら西へ進んでいく。



(俺……、なんで乗ってる船が見えるんだ?)
ネイチャー番組のように壮大な、高所からの視覚。
ふと湧いた疑問に、愕然として、自分が宙に浮いていることに気付く。

手を見ると、白く透き通り、淡く光っている。ふわふわと、夢遊病のように現実感が無い。着衣もないが、人形のように中性的な体で、感情が追い付かない。



ともかく不安なので、船に戻ろうと再び視界に収めた時、あるはずの無い心臓が大きく脈打った。

船の上、最も高い船橋の上に、歪な眼球が乗っている。屋根からこぼれるほど大きくて、荒唐無稽なのに禍々しい。
まつげも横長の光彩も、震えた線で出来ていて、遠目にも吐き気も催すほど磯臭い。
まばたきしない単眼は、こちらから見つめるだけで、目が合わなくても強烈な悪意が伝わってくる。



(こいつだ!)
確信する。視線を避けつつ、船へと落下するように戻りながら思う。
(こいつが全ての元凶だったんだ!)

船橋の屋根の上、UMAが飛び越えていった際に落とした貝があるに違いない。
一刻も早く体に戻って、あの貝を海に投げ捨てるのだ。



視界を埋め尽くすコンテナ。
甲板。
それらを突き抜ける視覚で自分の体を探す。

あった。
通路でうずくまっている。





気付くと、河津和久は通路に座り込んでいた。見飽きたベージュ色の壁に囲まれている自分を意識する。
(いつの間に部屋から出たんだ?)
疑問を浮かべながら立ち上がろうとする。

瞬間、経験したことのない激痛に襲われて、和久は倒れた。

断続的に呼吸が止まり、合間に荒々しく息をつきながら、全身を確かめる。
右の掌が、人差し指と中指の間から大きく裂けていた。ぐちゃぐちゃの傷口と、どぎつい色彩が網膜を刺す。
眼球を巡らせると胴体や足にも裂傷があり、脳を殴打する信号によれば背中にも重傷を負っているらしかった。

(何故!?)
あまりの転変に、激痛への耽溺より疑問が優先する。
頬をリノリウムの床に付けたまま、動く限り目を使って付近を探ると、辺り一帯が血飛沫で汚れていることに気付く。

辛うじて顔を上げると、チュワンが腹から出た血で、バケツをブチ撒けたような水溜りを作りながら壁にもたれかかっている。瞼は閉じ、微動だにしない。
すぐそばには非常用の手斧があった。

(何が起こった)
状況把握もままならないまま、血を失った脳から意識が薄れていく。出血と共に、体の熱が逃げていく。



船中の至る所で、人々は殺し合い、身動きも出来ず最期の時を過ごしている。
意識は混濁し、誰一人として起こったことを把握出来てない。船内で聞こえる音は、機関音の他は呼吸だけ。
その息遣いも消えていく。





船橋で、足を失った稲田厳央はコンソールにしがみつき、事態を把握しきれぬまま、最後の力を振り絞って救難信号を発信した。
船長の責任として、誰か一人でも生き残っている者のために。

後は静寂。
ゆっくりと、船内の空気は冷えていく。
ゆっくりと、命の名残が消えていく。



綿津見の鼓動に揺られ、幽霊船は進む。
船橋の上では、貝から溢れた目が一つ、逢魔時の空をじっと睨んでいた。





「……生存者は……そうですか。はい。……はい」
「いえ、郵送は二の舞です。マテリアルはこちらから取りに窺います」

薄暗い部屋の中、紬は携帯電話を切る。
一つ大きく溜息をつくと、立ち上がって部屋を出た。






[27535] 第五話
Name: 三二一◆02c59522 ID:068f191e
Date: 2011/11/19 00:06
第五話 『Voodoo Chile』





人類が2000年代に迎えると予測されている分水嶺に、都市の成長がある。
全世界的に都市部へと人口の流入が止まらず、人類史上初めて都市人口が農村人口を上回るのだ。

農業の機械化と効率化、働き口の多寡。
理由は多々あるが、正常と異常の判断を多数決に頼るなら、ホモ=サピエンスにとってあるべき生活とは、土に根をおろし風と共に生きるのでなく、自らが生み出した巣に群居しお互いに依存しあった極度の分業専門社会となる。

しかし、そこにある住居は鉄鋼と珪素で建てられた壮麗な塔ばかりではない。

都市とは経済活動の場である。買うのは人間で、売るのも当然人間だ。
人間は24時間365日起きていられない。職場は働く場所であって、食べたり眠ったり着替えたりする場所が別に要る。
人間は生き物であり、また物体でもあるから、物理法則に制約を受ける。身も蓋も無く言うとテレポーテーション出来ないから家と職場が遠いと辛い。

故に、ベッドタウンや郊外団地と呼ばれるものが、企業群や工場の周りに出来る。ここまではかつて日本の高度経済成長期にも起きたこと。

では更に、それら周辺部が埋まっても都市部で働く人々が増えたら、その人々はどうやって休み、どこから通えばいいのだろう?

最も理想的なのは、需給の均衡点が跳ね上がった高価な職場近くを借りるだけの金銭的余裕があることだ。
他に、もっと遠いが比較的安い土地から長い時間をかけて通勤するか、職場の近くの路上で一夜を明かすか、あるいはもっと別、放置されていた空き家に住みついたり、アバラ家を立ててしまう方法もある。

どれを選ぶかは本人の都合と仕事の質に左右される。金が無いから職を求めて都市に来たのに、仕事が見つかったら前二つは取りたくても選択できない。

最後の二つ、不正であっても生活のために合理的な手段をとる人々が少数の個人でなく大多数になった時、スラムは形成される。
未加工のレンガ、藁、再利用のプラスチック、セメントの塊、廃材で建設される間に合わせの住居。
或いは老朽化して住民が立ち退いた廃屋。

スラムの形成と同時に、治安に恐怖を感じた富裕層は更なる外へ逃げる。
そして新たな商業圏を築き上げ、労働層がスラムを構築する。
つまり、スラムとは単に無気力な犯罪の温床なのではなく、悪化していく中での再生産の場でもあるのだ。

物売りや廃品回収、ニッチを求めて生きる人々の寝床であり、職場から持って帰った仕事やない職をする場所でもある。
それ故に、国が解決策として用意する集合住宅は用を成さない。
スラムより職場から遠く、よって労働時間も稼ぎも減り、狭い部屋では仕事が出来ない。作り上げて来た人間関係が分断されるから、手助けし合うことも出来なくなる。



都市への人口の流入。政府の決定より早く成長し変化する、大地に広がる住居群。

理論上、都市とは地球規模の環境危機に対する解決策である。都市密度は土地、エネルギー、資源利用の効率を上げることに繋がる。
だが環境効率は、手つかずの生態系や公園などの、緑を生成するものの保存を前提とする。
持続可能な都市には、周囲に廃棄物をリサイクルする湿地帯や農業が必要だ。

拡大する都市生活層は樹木をスラムの建材にし、そうして出来た場所には上下水道がない。糞尿は垂れ流され、法の庇護外であるから清潔な水の価格は天井知らずの値段になる。

都市は発展して、スラム、半スラム、超スラムになる。

2010年に国連が発表した世界人口予想では、2050年までに90億を突破、21世紀末までに世界人口は100億を超えると予測している。

その人口のほとんどが、大陸を覆うほど成長したスラムで生活するのだ。





2035年10月。南米。

空から地上を眺めたら、アメーバのように広がる灰色と赤茶けた色の混淆物を見るだろう。
それらは皆スラムだ。遺棄された高層建築と、ありもので出来た仮設住宅に寄りそって人々は生きている。





銃声がする。
まだ体も出来あがっていない子供たちが数人、銃を構えて発砲している。少年兵だ。彼らはスカートを履いている。
「女装する事で銃弾を混乱させる」という弾避けの呪術だ。

付近には隊長と思しき大人がいた。
男の肌、迷彩服から露出している箇所は禿頭も腕も全て、象形文字とも工学記号ともつかない、奇怪な図形が彫られていて、チョコレート色の肌に白く浮かび上がっている。
腰には敵の肝臓を干したものがぶらさがっている。これも弾避けの呪術。



少年兵の一人は12歳で、親子で食事をしていた時やってきた兵士に誘拐された。
兵士が少年を連れていくと言うと父親が抗議し、家の裏で争っていると銃声がした。

「お前を連れていく。父親は死んだ」と兵士は言った。
母はやってきた時からずっと泣いていた。
連れ去られる時、頭から血を流して倒れている父を見た。

連れていかれた先では、無理矢理人殺しを強要された後に麻薬漬けにされた。

この前までサッカーと家事を手伝うことを考えていたのに、今ではどうやって敵を撃つかを考えている。



「ブラッディエッジ!モタモタするな!」
隊長の怒号が飛ぶ。血まみれの刃とは攫われた時に付けられた名前だ。彼ら組織は、本名以外に陰惨で現実離れした「戦闘名」を付けることで、少年たちを現実から切り離すのだ。

先行して銃を乱射しているのはベノムスパイダー。年かさの少年で、彼は自分から准軍事組織に入隊した。
「街じゃギャングどもがナイフやピストルを見せびらかしてるけどよ。ここに入った方が強力な武器をもらえるんだぜ。こいつは余程クールってもんじゃないか?」

他に、どうせ攫われるのだからと親が同意して入隊した子供たちもいる。そういう子どもたちは、1、2年してまだ生きていたら普通のスラムの生活に戻るのだ。



空は黒ずんだ灰色に濁っている。スラムを走る中古車の排ガスが溜まり、淀んでいる。
遠くの方で、小さな黒い影が飛んでいる。政府や企業側のPMF(民間軍事会社)が飛ばしている無人機だ。



少年たちが撃っていたのは、街の外れにある仮設住宅の一つだ。
中に入ると、並べられたベッドが乗った人間ごと血の海に沈んでいた。老人、女性。ベッドの側には棒が立っており、それにかけられたパックから伸びた管は息絶えた女性の腕に刺さっている。
ここは病院だった。スラムの中で援助と善意をかき集めて作った場所。

壁際に、数人の子供たちが倒れている。ブラッディエッジと同じく汚れたTシャツを着て、体と不釣り合いに大きな銃器を抱えて死んでいる。
彼らは弾避けに全身に泥を塗りたくるという呪術を行っていた。

非合法の武装組織がぶつかった。片方は病院に逃げ込んで、お互い気にせず殺し合った。



この場に生存している唯一の成人男性が、生き残っていた女性に銃を突きつける。
「お前たち、少しの間外で待ってろ」
少年たちは素直に従った。年長のベノムスパイダーだけがニヤニヤと唾を吐きながら。



男の全身に彫られた、誰にも意味が分からない入れ墨は、少年兵達の憧れの的だ。
連れてこられたばかりの子供は異様に怯えるが、入隊儀式で一人殺すなり、途端にそれがかっこいいものに見えてくる。そして刺青の一部を写すことと「戦闘名」を欲しがるようになる。
そんな魔的な力があった。

男は元々スラムの上層、正規で定職のある父を持つ次男坊だったが、十年前の十四歳の時、ニュースで騒がれていた異星の紋様をかっこいいというだけで全身に彫った。
その外見によって、それまでギャングの下っ端程度だったのが急速に身を持ち崩した。

今では精神年齢が近い子供たちだけに持ち上げられ、他の成人が組織の上層で指示するばかりなのに、少数の子供を率いて前線にいる。
上層部は刺青の奇怪な効果を便利と認めながらも、頭の足りない男が下剋上を企てるのを危惧してもいた。

男の肌には奇妙な刺青がある。それは下半身にも及んでいる。



不正なコミュニティが成長していくとこういうことが起きる。そこにはセーフティーネットが存在しない。往々にして、不正なコミュニティが成長出来るところでは正規も大差ない。
一度合法な生計から足を踏み外したら、あり余る活力と野心が暴力に引き寄せられ、更に悪化する。暴力的な組織が台頭する。

ほとんど教養が無く、合法的に稼ぐ力も無く、女性に対する魅力も無く、平和になんの利害も無い男たち。
未来の無い男たち。
彼らは他の方法では決して手に入らなかったものを略奪し、若者たちを自分たちの予備軍にする。

「未来がある」若者たちも、他に道標となる大きな存在がいないから惹き寄せられる。こうしてどんどん救いが無くなっていく。



男の額に風穴が開いた。脳漿をぶちまけつつ、下半身をまろび出したまま転倒する。

「下衆め……」
背後から射殺した、硝煙をたなびかせるピストルを握っていた初老の男は、辛うじて起こしていた上体ごと崩れ、二度と起き上がらなかった。
「先生……」
女が呟いた。





夜。黒々とした闇の下、遺された少年兵たちは焚火を囲む。

銃声の後、飛び出して逃走する女を見て室内に入れば、隊長が死んでいた。
ロクに訓練も受けていない、病院を戦場にするのが悪いことだとも知らない子供たち。どうすればいいのか年長二人で意見が分かれ、まとまらないまま夜を迎えた。

男の死体はそのままになっている。ベッドに寝かされも埋められもしていない。
明かりの無い暗闇の中、他の死体は早くもネズミがかじり虫がたかっているのに、男の死体だけ近づいていない。
見えない毒を避けるように。猛獣を怖れるように。

廃墟となったあばら屋の外で、少年兵たちは転がっていた廃材と弾丸の火薬で火を起こした。
車座に囲み、こめかみの絆創膏を剥がす。滲んだ傷口に白い粉を摺り付けると、ドクッドクッと心臓が脈打つ音が耳のそばで聞こえ、頭の芯がぼうっとなる。
注射針も紙巻きも無く、太い血管を傷つけて直接流す方法しか麻薬を摂取する方法を教えられていない。

三人は無言で火を見つめ、皆それぞれの物思いに耽っている。遠くから潮騒のように喧騒が伝わる中、薪の爆ぜる音だけがする。



(これからどうするんだろう)
ブラッディエッジは黙考する。逃げたところで行き場はない。人殺しだから元の家には帰れない。組織に戻るしかない。しかし、隊長が死んだことをどう伝えよう?

説明したら証拠の死体を持ってくるよう言われるに違いない。けどまた来るのは面倒臭い。あらかじめ死体を引き摺って行くのも大変だ。
(僕たちが殺したって思われたらどうしよう)



空を見上げる。排気ガスの雲に覆われて、地上の光量の乏しさにもかかわらず星は見えない。圧し掛かるような闇がある。
連れ去られるまでは、この闇に脅えたものだ。何も見えないが、何かがいる、圧迫するような気配があった。
見つめることで、それが姿を現す気がして、でも目を離したらその隙に近づかれる気がして、目を背けたくてもじっと見つめ続けていた。

だが麻薬漬けにされ、自分より大きな大人を、渡された「カラシニコフ」という銃で殺せるようになってから、怖くなくなった。
この銃は八つのパーツで出来ていて、自分でも分解して組み立てられる。
これを欲しがって入隊したベノムスパイダーの気持ちが分かる。

これがあれば、自分はビクビクと怯える9才の子供ではなく、恐れを知らない戦士なのだ。引き金を引くだけで、立ち塞がる敵はバタバタと倒れる。



目を転じると、二つの明かりの塊が見える。一つは白く強い光の集まりで、もう一つは赤く弱い光が集っている。
前の一つには近づいてはいけないことを知っていた。

スラムを分断する、フェンスで守られたきちんとアスファルトが敷かれた道路が続くそこは、高い塀と電流の流れる鉄格子で囲まれ、鎧みたいな機械が自分たちより強力な武器を持って徘徊しているのだ。
両親が揃っていた頃、疲れつつも羨ましげな目でそこを見つめていたのを覚えている。

もう一つはスラムの居住区だ。ドラム缶で火を焚いたり、盗んできた電気でスタンドを点けているのだ。
風に乗って糞尿の臭いがする。耳をすませばすすり泣きと諦めの嘆息が伝わってくる。





廃病院から物音がした。弾かれたように三人は銃を構える。

静寂。

続いて、木の床が軋む音。
焚火が照らす中、無人のはずの扉は黒々と盛り上がってくるような闇ばかりがある。

闇が揺らいだ。
そう感じた刹那、ベノムスパイダーは連射した。誰だろうと死んじまえ。

次の瞬間、圧し掛かってきた何かが自分を押し倒した。砂利だらけの地面に頬が激突する。焚火が近く熱くて眩しい。
押さえつけている何かの手は、身震いするほど冷たかった。



「オ――――――!」
ブラッディエッジが聞いたこともない声を上げている。耳にするだけで動悸がするような恐怖の声音だ。
顔にかかる力が上がっている。このままだと押し潰されるか握り潰される。

焦りながらもがき、銃口を相手に押し当てる。感触的に腹部と思しき場所。引き金を引く。
手首がイカれる反動と共に、爆音がして大穴の開いた手応えがする。しかし、かかる力は増していく。

「オイ!お前らも撃てよ!俺を助けろよ!」
膝でケリを入れながら、側にいるはずの二人に叫ぶ。だが返ってきたのは、それ以上の絶叫だった。





「うわああああ!」
ブラッディエッジは叫んだ。もう一人も叫んだ。
襲いかかってきた何かの正体が照らし出された時。依存していたAK47の銃撃を食らってもそれが死ななかった時。
二人は銃を投げ捨てて散り散りに逃げた。

「ああああ、うわああああん」
泣きながら、ブラッディエッジでなく、ただの子供に戻りながら。
見える光――他人がいる証――に向かって息を切らせて走り続けた。





遠ざかっていく泣き声を聞きながら、ベノムスパイダーはパニックに陥っていた。
(あいつら逃げやがった!ここで終わりかよ!)
頭の一部が冷静に死を見つめている。手足を振り回し、身をよじって抵抗する。

体を押さえていたもう一つの手が首にかかった。頭を押さえていた手も首にかかる。
その手を爪も剥がれんばかりに掻きむしりながら、自分を殺す相手を睨む。
(マジかよ)

白目を剥き、額に穴のあいた隊長の顔がそこにあった。



毒ガスがねじれて渦巻く悪夢じみた夜空の下、首のへし折れた少年の死体を手放すと、動く死体は明かりへ向かって歩き始めた。





スラムは騒乱に包まれた。
日が落ちると多くの住民は家に籠る。火の側にいるのは安酒を持った労働者や若者たちだ。
子供が声変わりもしていない悲鳴を上げて走り過ぎたと思ったら、血にまみれて損壊した死体が現れたのが数分前。

それが呻き声も上げずに手近な若者達に襲いかかり、ドラム缶が倒れ、炎は付近の建物に燃え移る。
喚き声と共に外に出た人々が元凶を見る。

殺戮は繰り返され、怒号と悲鳴は連鎖する。



臭い煙を上げて掘立小屋が燃え落ちる。人々は家財や商売道具、わずかな貴重品を抱えて逃げ惑う。
機に乗じて略奪する者がいる。取り縋って抵抗する者がいる。人波の怒涛の最中、彼らは大勢の足で踏み潰される。

真昼のように煌々と、スラムは明るく照らされている。
火中に黒点のように浮かぶ死体の影。火炎の舌が時折その輪郭をなぞるように滑る。



「壊せ!壊せ!延焼を食い止めろ!」
廃材や紙にプラスチック、可燃物で作られたスラムは火に弱い。まだ火が及んでいない箇所では、住宅を打ち壊すことで火災の拡大を食い止めようとしている。

「止めてくれ!」
「こうしないとどうせ燃えるぞ!」

「クソッ、そのまま燃えちまえよ!」
火中に目を凝らしていた若者が一人、自家製の銃を構えて発砲した。業火の中を悠然と歩く死体に耐えきれなくなったのだ。
攻撃に反応して死体は一直線に駆け出し、発砲した若者の息の根を止める。

全身は血で黒ずみ甚だしく損壊している。頭はへこみ、額に風穴があき、腹が蜂の巣のようになって千切れた中身が垂れている。脈流のとうに止まった血液は、針のように毛羽立っている。
まるで血の一滴まで殺意に凝っているようだ。わずかに露出した肌には奇怪な白いのたくりがある。

若者を殺したまま停止した後頭部に鉄パイプが振り下ろされる。何度も叩きつけると不快な音と共に容器が割れ、中身が零れる。
殴った男は首を食い千切られて死んだ。



「チクショウ……」
絶望の呻きが漏れる。頭を破壊しても死なないなら、このゾンビ野郎をどうしたらいい?
このまま足止めして一緒に燃えろってか?
「チクショウ……!」



「こんなものは、奴らにやっちまえ!」
誰かが叫んだ。

その叫びは、天啓の如く伝播した。そうだ!あいつらだ!
人々は布を持ち寄り、手渡しながら凶暴な動く死体を何重にも押し包む。

「アルファヴィルへ!」
「アルファヴィルへ!」

「あのいけ好かない金持ち達に!」
「くれてやれ!」

火にも放り込まず担ぎ、一体となって。
彼らは燃え盛る豪炎にも輝きを損なわない、白々とした地上の星へと向かう。進む先はアルファヴィル。映画に登場する都市の名前を冠された、富裕層の住まうゲーテッドコミュニティだ。

立ち上る幾柱もの黒煙は蛇のように天へ上がり、自らを生んだ猛火で踊っている。
多頭蛇が顕現する夜の下、かつて毛布と共に疫病を渡された人々の子孫たちは、宇宙から来た害を自分を無視する者達へと運ぶ。




都市と郊外がスラムに浸食されていった時、裕福な人々は自分たちの安全と資産が脅かされることを怖れた。
その不安と恐怖に、不動産屋は解決策を売り付けた。
関わるのが怖いなら、関わらずに済むようにすればいい。

堅牢な防壁と屈強な警備員に守られた住宅地。自分と同クラスの収入と未来がある人々だけが住める都。職場も買い物も全て壁の中で完結し、外に伸びる道路はアクセスの確保に過ぎない。
それら設備とサービスが一体になった幻想のユートピア。それがゲーテッドコミュニティだ。

言うまでもなく、ある者にとってのユートピアは別の誰かにとってのディストピアである。






ゲーテッドコミュニティ。

正門に程近い白亜の住居。

偶々トイレに立った男は、帰り道ふと目をやったガラスの窓越しに見える光景に驚愕した。
スラムの民衆が押し寄せて、肉の丘を作っている。

トラックがぶつかっても問題ない、頑丈で高圧電流が流れる背の高い門。
それを人々は、まるで一つの生き物のように重なり、支え合って頂きを超える高さに迫ろうとしている。
雪崩を打って入ってくるに違いない。中から開けられたらおしまいだ。

男は急いで寝室に携帯電話を取りに行った。

暫しの後、慌てて窓に貼り着くと、門の外に民衆の姿は無かった。門の中には奇妙なものが一つきり。
古ぼけたボロ布で出来た人間大の芋虫だけが、門の内側の芝生で常夜灯に照らされて蠢いている。

拍子抜けし、それでも警戒して契約している民間警備会社の番号に発信する。

「はい。ククルカン・セキュリティ・サービスです」
低く明朗な、格調ある男の声が応える。

「貧民共が門を超えて何かを投げ込んだ。爆弾かも知れんから至急対処してくれ。一体どうなってるんだ?不審者が入ったのに警報が鳴らなかったぞ」
「申し訳ありません。お客様。夜遅くのトラブルには、お客様の快眠を煩わさぬよう、秘密裏に対処するサービスとなっております。当方でも不審物を感知しまして、既にスペシャルチームを派遣済みです」
通話先の男は淀みなく答える。昼間の仕事を思い出して嫌になってきた。




窓の外では、休みない蠕動に芋虫を形作っていたキルトがはだけ、幾重もの封印から抜け出して中のものが姿を現す。
ロクに着衣をつけてなく、マトモな肌の部分もほとんど無い。ある部位はむごたらしく損壊し、ある部位は血に染まって毛羽立っている。

わずかに残った地肌には、煌々と灯りを浴びて奇怪な記号が蛆か小さな白蛇のように浮かび上がる。頭部は一番ひどく傷んでいて、元がどんな顔だったのか想像することも出来ない。



「ゾンビだ!あいつらゾンビを投げ入れやがった!」
思わず男は叫んだ。
どう見ても死んでいるのに動く、人間の形をした何者か。それを他に何と呼ぶ?

「……耳炎を患っているもので聞き取り損ねました。お手数ですが、もう一度お願い出来ますか?」
十分な間をおいて、完璧な困惑のニュアンスで返してくる相手。
ユーモアを交えるその余裕に、男は無性に憎悪を覚えた。

外では静寂の中、動く死体が徘徊を開始した。





「ゾンビだ!」
の叫びを聞いた時、大学生になる息子は台所でコーラを飲んでいる最中だった。
父親が見ているのとは別の個所の窓からのぞくと、成程、どう見ても死んでる奴が動いている。

息子は自室に戻ると、こんなこともあろうかと用意していたバンダナで顔の下半分を覆い、オートマチック拳銃をズボンにたくし込んだ。
中座する前に見ていた点けっ放しのPCには、大画面のモニターに無修正ポルノが停止している。だがそれには目もくれにない。もっと刺激的なことが見つかったのだから。

チェーンソーを装備すべく、彼は自室を後にした。





警備会社のバンが急行すると、動く死体は機敏に車へ突進し、跳ね飛ばされた。
そのまま数メートル程吹っ飛び、車もバンパーを少しへこませつつ急停止する。

「ゾンビって思った以上に馬鹿なんだな」
「そいつは良いニュースだ。この車はエアバッグがきちんと作動するって知った次ぐらいに良いニュースだ」

車の中には二人の男が乗っている。一人は運転席。エアバッグに突っ伏している。
もう一人は後部座席を丸々一人占めしていて、前座席を足で蹴って体が投げ出されるのを防いでいる。

二人の状態の違いは、乗車位置でもシートベルトでもなく、外骨格の有無である。
後部座席に座っている男は、艶消しの銀色で、筋肉の隆起を模したようなデザインのパワードスーツを纏っている。
真一文字のバイザーの下、口だけが露出しているが、そこも結局は透明な装甲で覆われている。着る者を古代アテネの英雄に擬す外骨格だ。

「なるべく形を残したまま捕えろってよ。現場の苦労も知らない癖に」
運転席、生身の男が言う。

「証拠を見せて、政府に賠償ふっかける気なんだろ」
外骨格の男が答える。
装備のせいか、性格か。口調が軽い。

死体が起き上がった。
「行こうか。黙示録の前哨戦だ」
「囮を頼むぜ。ご大層な鎧を着込んでるんだからさ」

二人が車を降りると、動く死体はパワードスーツの男に襲いかかった。
新たなる骨格を手に入れて強化された筋力で、男は掴みかかる腕を逆に捕まえる。
両者は数秒、組み合ったまま硬直した。

「オイオイ、ウソだろ?」
生身の男が至近距離から死体の頭部に鉛玉を撃ち込む。何発も叩き込んで、首から上がほとんど無くなった頃、外骨格から放たれる白い泡が死体を包んだ。

「助かったぜ。礼を言う。この野郎なんて力だ。ムースを操作する余裕が無かった」
動く死体を包んだのは、発射の衝撃で爆発的に膨らむ発泡性の樹脂だ。
本来は暴徒鎮圧用の非殺傷兵器であり、特殊な溶剤を調合しなければ脱出出来ない。

「ワイヤーもしといた方がいいんじゃないかな。念のため」
「ああ、そうしよう」
「というか燃やしちまおうぜ。こんなのと同じ車に乗りたくねえ」



人間大の塊を睨みながら相談していた二人の注意は、近づいてくる雄叫びに一瞬向かう。

「俺も混ぜろーっ!」
掲げたチェーンソーをけたたましく掻き鳴らしながら、通報者の息子が駆け寄ってきたのだ。口は大きく見開き、声は歓喜に酔っている。
反射的に二人が銃口を向けたのも、無理なからぬことであった。



瞬転。
粘着質の檻を千切り裂いた動く死体が、脱出の跳躍の勢いを乗せて強化外骨格の男の脳に拳を振り下ろす。
雷が戦神の斧かという強烈な一撃に、外骨格の男が膝をつく。

反作用に耐えきれず、死体の右腕が骨ごと砕け散りながら背中まで弾け飛ぶ。
肉を散らし、肩甲骨がズリ落ちる。酸素に触れてない体奥の肉は、まだ鮮やかに赤かった。
赤黒い雨に、生身の警備員は反射的に顔を手で覆って全身の粘膜を守る。



ドラ息子は目の前で展開する光景にフリーズしていた。
(ゾンビがダンクシュート決めてんじゃねえよ!)
ゾンビというものは馬鹿なはずだ。動きが鈍かったり速かったりはするが、感染と数が怖いのであってアクションは決めない。

そんな思考もあったが、最大の要因はその外見だ。
頭が無い。片腕も無い。檻にへばりついた皮膚をぶち破って中身だけが脱出したらしく、皮膚も無くて真紅。
足も胴体もボロボロで、どうしようもなく欠けているのに、立ち上がってかつての姿を窺わせるのだ。

ドラ息子はどうしようもない嫌悪感を覚えた。
今まで、拳銃でスラムの住人を面白半分に殺したことはある。そのことへの罪悪感は未だ無い。
しかし、銃声と共に遠くの方で人がバタバタ死ぬのには笑っていられたのに、目の前にある崩れきった人間の形を自分の手で壊すのには、途方もなく嫌悪感が湧き上がる。

死体が残った片腕を振り上げた。
このままだと自分が死ぬか死体が更に壊れる。
死ぬのは嫌だ。けど壊したくない。

自分の持つ刃で胴体が分断される映像が脳裏に浮かび、ドラ息子は口内に酸味を覚えると同時、工具を持つ手を放しかけた。

放さず済んだのは、自分と死体との距離を開けてくれた人物がいるからだ。
距離が開くと共に、名状しがたい不愉快さも薄れていく。

その人物とは父である。
死地に息子が登場した時、目ん物していた父は前後も忘れて外へと駆け出したのだ。



父の背に死体に肘が振り下ろされる。強烈な衝撃に数秒呼吸が止まり、苦悶すら上げられない。
息が止まっている背に再び肘が振り下ろされる。このまま続くと酸欠か背骨が折れて死ぬ。

「止めろー!」
ドラ息子が叫ぶと同時、死体の残っていた左腕が消滅する。
続いて胴も視界から消え去る。後に残るのは、頭ごと叩かれたような耳の痛みと静寂じみた轟音の余韻。
それからゆっくりと音が戻ってくる。

脳震盪から回復した外骨格の男が、大口径の銃で死体を吹き飛ばしたのだ。倍力機構と電子制御で、連射しても狙いは正確だった。
下半身だけになって、死体はもう動かない。



「親父!無事か!?」
チェーンソーを投げ捨てて、息子は父に駆け寄った。

「おお息子……怪我は無いか」
抱きかかえられた男は力ない笑みを返す。

「傷を負ってしまった。息子よ、私はもう駄目だ。化物になる前に、お前の銃を貸してくれないか」
「何言ってんだよ、オヤジィ!」
男が背中を見せる。死体の折れて突き出た骨によるものだろう、衣服に紛れて裂傷があった。

「強くあれ、息子よ。俺もスラムに生まれたが、がむしゃらに働いて今の立場を手に入れた。全身にタトゥーを入れた弟の更生すら投げ捨ててな……」
「お前にはまだ分からないかもしれないが、何かを手に入れるには、その何かを手に入れることを一旦捨てなくてはならない。それこそが法則なのだ」
そう言って、男は笑った。息子は顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。

「泣くんじゃない。父さんは人間のまま、誇り高く生を全うするんだ」
「こうなったのも政府の責任だ。しっかりと賠償金を勝ち取るんだぞ。母さんによろしくな」

「オヤジィ……」
「元気でな、ビリー」

そう言い残して、男は息子の拳銃をこめかみに当てて自殺した。
「親父……。俺、分かったよ。絶対に国からゾンビを生み出した賠償金ふんだくってやるよ」
ビリーは誓い、強く拳を握り締めた。






しかし、その後動く死体によって負傷、また死亡した人間に変異はなく、訴えは却下。
男の死は自殺と認定され、保険金も下りなかった。
収入の激減した遺族はゲーテッドコミュニティに所属出来なくなり、別の場所へ移っていった。



この事件以降、スラムの住民が政府や武装組織に抵抗する際は、見よう見真似で奇怪なボディペイントをするようになる。
「殺したら殺してやる」のメッセージとして。






[27535] 修正履歴他
Name: 三二一◆02c59522 ID:068f191e
Date: 2011/11/19 00:07
各話投稿日時/修正日時

プロローグ (2011/05/03 投稿) (2011/05/05 修正)
第一話   (2011/05/03 投稿) (2011/05/05 修正)
第二話   (2011/05/04 投稿) (2011/11/18 修正)
第三話   (2011/05/05 投稿) (2011/11/18 修正)
第四話   (2011/11/18 投稿) (2011/11/19 修正)
第五話   (2011/11/19 投稿)


予定

第六話 (11/20) 『一霊四魂』
第七話 (11/21) 『凝視無形、聴無声』
第八話 (11/22) 『南蛮鴃舌』
第九話 (11/23) 『呪──カシリ──』



以降の更新時期は未定です。

※感想ありがとうございます。励みになります。



プロローグ~第三話までと、第四話~第九話までは書式が違います。
混乱させてしまったら申し訳ありません。

プロローグ~第三話

文頭空白あり。一段落多行。
一行 場面転換。
三行 大画面転換。

他強調箇所、数行。



第四話~第九話

文頭空白なし。一文三行を目安。

一行 同段落内の見やすさ用。
三行 段落替えや場面転換。
五行 視点人物変更や人称変更。場面転換。

他強調箇所、なし。



修正箇所

(2011/05/05)

プロローグ~第三話

改行数操作





(2011/11/18 修正)
第二話

修正
彼岸→お盆(作者の覚え違いです)



第三話

誤字
紬発言
「まるで、そうしても~」→「まるで、どうしても~」



(2011/11/19 修正)
第四話

誤字
地に濡れた→血に濡れた


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.250667095184