どこへ行く、日本。(政治に無関心な国民は愚かな政治家に支配される)

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レベル7 原発作業員の抵抗 ㊦/「原発敷地外が」建屋内に/1日48ミリシーベルト浴びた

 東京電力が公表した現場写真が注目を集めています。サッカーの練習施設として知られる「Jビレッジ」(福島県楢葉町)の雨天練習場に、放射能に汚染された廃棄物が山積みされている様子が写っています。

 3月の原発事故から復旧作業についた作業員は延べ約48万人。その使用済み防寒服や下着類です。

 「山積みされた廃棄物のなかに、放射能と自分の汗にまみれた防護服や下着がある。命がけの装備品だよ」

 西日本のM建設に雇われ、福島第1原発で7月から作業についた大川幸二さん(40代、仮名)の実感です。

 元請けは日立GEニュークリアエナジーで、M建設は5次下請けです。第1原発での作業を統括したのは1次下請けのN社。大川さんの出身県からN社につないだのは2次下請けのY社で、その間にも2社が入りました。

 作業も、当初言われていた「原発敷地外」が「敷地内の作業」となり、結局は原発建屋内の汚染水処理作業に従事させられました。

  暑さと恐怖で

 暑さの厳しい時期でした。高濃度の放射性物質からの放射線を遮断するための鉛板(20㌔)を背負って3階(通常の建物の6階分の高さ)まで上がりました。防式服と全簡マスクによる暑さ、放射能汚染への恐怖から「心臓が破裂しそうに苦しく、マスクを何度はずしそうになったか」。

 汚染水処理の配管作業で着用した暑さ対策のクールベストを、作業終了後に線量測定したら48㍉シーベルトを検出。国の放射線業務従事者規則の年間被ばくの上限50㍉をわずか1日で沿びたに等しい被ばくです。

 Y社は大川さんの出身県から加入の作業員を原発作業に送り込んでいます。日当は1万1000円でした。



 しかし現場で1次下請け関係者からの話で日当が1万6000円、危険手当もついていることを知りました。

 大川さんは、Y社に対し、5000円がピンハネされ、支払われていない危険手当について説明を求めました。Y社のN社長は「業者間の暗黙の了解事項だから話せない」。

 大川さんは、悔しさをにじませ「高い放射線被ばくの恐怖と暑さとのたたかいだった。それなのに日当や危険手当をもピンハネする何重もの下請け構造とそれを否認する元請けや発注した東電の責任を問いたい」。

  かん口令通告

 Y社の社長は市議から2010年の参院選(選挙区)、今年の県議選に「みんなの党」から立候補(いずれも落選)しています。

 Y社が大川さんに署名させた契約書にはこうあります。「福島第1原発構内外を問わず知りえた情報は厳に秘密を保持し、報道機関からの取材は一切受けないものとする」

 これには東電と原子炉メーカーなど元請けの意思が働いています。両者は事故後、全ての下請けにかんロ令を通告、書面での同意を強要。東電を頂点とする原発業界の事故、不都合な事実を隠し続けるという、「安全神話」と表裏一体の隠ぺい体質の一端です。

 携帯電話の待ち受け画面には、不況のあおりで廃棄、別居生活中の家族の写真が。大川さんは過酷で無法・無権利な状態を告発する準備を進めています。

(おわり)





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レベル7 原発作業員の抵抗 ㊥/「移動無理なら退職せよ」/線量超え使い捨て
「しんぶん赤旗」 2011.11.08 日刊紙 15面

 「嫌なら辞めてもらうしかない」。原発作業員の岩崎徹さん(仮名、30代)は、会社の上司の発言に一瞬、耳を疑いました。会社は東電関連会社の下請けです。

 事実上の退職強要で、理由は原発作業での被ばく線量オーバーです。「線量を多くあぴれば作業員は使い捨てられる」。原発業界での「暗黙のおきて」です。

  長靴の底に穴

 岩崎さんは東電福島第1原発の緊急作業で、放射能汚染のたまり水処理などに従事。2時間で6㍉シーベルト近く被ばくする作業を3日連続で行いました。

 作業は全面マスクと防護服の完全装備です。それでも被ばくすることがあるといいます。「汚染水があるところでは長靴を履いてやるが、靴の底に穴があいている場合がある。穴は汚染水に入らないとわからない」

 作業現場に予備はありません。原発内の事務所に戻る時間も手段もなく、汚染水につかった長靴で作業を続けるしかないのです。

 そこでは汚染水を手短な器具ですくいあげるという原始的な作業が繰り返されたといいます。こうした作業で岩崎さんの被ばく線量は40㍉シーベルトに達したといいます。

  会社都合優先

 席発作業の請負会社は、被ばく線量の上限を自主的に決め、それを超えると原発作業からはずします。岩崎さんの会社は20㍉シーベルトです。



 これは「年間被ばく線量は50㍉シーベルトを超えてはならない」という国の放射線業務従事者規則のためです。同時に40㍉シーベルト、50㍉シーベルトといった高線量被ばくの作業員を抱えることによる不利益を回避したいという都合です。

 ある熟練作業員はこう説明します。「白血病などを発症すると労働基準監督署による被ばく作業の追跡調査の対象となり、会社や元請けはこれを嫌う。線量を食う作業がきても使えず、効率が悪いという判断になる」。作業員の健康管理よりも会社の都合が優先されるのです。

 線量が20㍉シーベルトに近づいたとき岩崎さんは会社に「線量オーバーになり、他のサイト(原発)で働けなくなる」と作業の変更を再三、要請。会社の回答は「とにかく働いてくれ」でした。

 岩崎さんは原発内の自社倉庫の作業では、線量計の数値を増やさないために線量計をつけずに働く日が続きました。それでも40㍉シーベルトに達してしまいました。

 会社側は岩崎さんに、千葉県内の火力発電所などへの異動を指示しました。岩崎さんは家族との関係などから千葉への異動はできない、と伝えました。

 しかし会社は異動に応じなければ「退職するか、解雇されるかのいずれかだ」と退職を迫りました。

 岩崎さんは線量オーバーでの会社の無責任な対応、退職強要の不当性を指摘しました。会社側の態度は「労働基準監督署でもどこへでも言えばいい」という居直りでした。

 「東電は作業員の被ばく線量の責任ある管理など、労働実態をしっかりと把握し雇用や作業員の生活を保障すべきだ。それを抜きに原発事故の安全な収束はありえない」。岩崎さんはその思いを電話で東電に伝えました。

 東電の返答は冷酷そのものでした。「それは下請け会社が対応することだ」
 
(つづく)






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レベル7 原発作業員の抵抗 ㊤/18歳、突然「原発へ」/眼下には核燃料棒2000本
「しんぶん赤旗」 2011.11.07 日刊紙 15面

 日本原子力発電株式会社の東海第2発電所原子炉建屋(茨城県東海村)のなか。格納容器上部のコンクリート製フタを開け、青みがかった使用済み燃料プールに向けて下ろされる水中カメラ。燃料棒の損傷などの有無、プール内の異物の存在確認などをします。

  やっと就職も

 作業補助ながら汗ばむ顔面。全面マスク、防護服という密閉された皮膚感覚とは異質な恐怖が繰り返し襲います。「自分の若さでこんな仕事していて大丈夫だろうか」。佐藤浩一さん=仮名=は今春、福島県の高校を卒業したばかりの18歳。不況に加え、大震災で求人がなく、やっと就職したIT関連会社から、突然、原発作業を命じられました。

 原電によれば、同プールには使用済み燃料棒が1250本、定期検査で圧力容器から取り出して仮置き中が764本の計2014本が貯蔵されています。

 佐藤さんが、原発作業につくことになったきっかけは、福島県いわき市に伝わる無形民俗文化財の「じゃんがら念仏踊り」との出会いでした。そろいの浴衣で、鉦(かね)や太鼓を鳴らし、新盆の家々を供養して回る伝統芸能は「小さいときからの憧れ」(佐藤さん)でした。

 「じゃんがら」で知り合った渡部久氏(仮名、30代)の紹介で今年6月、いわき市のP社に就職。P社はホームページの立ち上げなどのIT関連企業。同市の若手経営者の起業を支援するいわき産官学ネットワーク協会が「(ITの)挑戦者」と紹介しました。

 しかし佐藤さんが就いたのは原発作業。当初は東電福島第2原発でしたが、「息子を殺すつもりか」との父親の抗議で、東海原発になりました。

 「防護服を着る作業はしない」との説明が、実際は原子炉建屋内でした。しかも別会社名の作業服、社員証も複数の会社のものを持たされました。P社は人夫出しをしていたのです。現場の作業指示も、雇用関係のない別会社で職業安定法違反が指摘されています。

  「救い出して」

 8月中旬、日本共産党の渡辺博之いわき市議に、佐藤さんの母親から電話がはいりました。「浩一を救い出してほしい」。先にP社に入社していた渡部氏が「佐藤は仕事ができない」と暴力をふるっていたといいます。



 佐藤さんが、退職を口にすると「300万円の損害賠償で裁判にする」「ホールボディーカウンター(内部被ばく検査)を受けないと指名手配される」と脅迫したといいます。

 P社は佐藤さんをトライアル・震災特例対象者として採用。若者の正規雇用を促すとして、3カ月の試用期間中に毎月10万円、正規雇用になれば60万円を国が事業者に支給する制度。P社は、佐藤さんが退職すると受給が不可能になります。

 佐藤さんへの暴力は執拗(しつよう)でした。深夜、宿泊先のホテルで頭を壁に押し付けられ、渡部氏の手が佐藤さんの首を締め付け「殺される」と感じたことも。

 8月23日、佐藤さんは渡辺市議の付き添いでホテルを脱出。自宅に戻ってからも、P社の社長らが押しかけ、「このままでは指名手配になる」など脅迫的な言動を重ねました。

 渡辺市議から「佐藤さんが暴力など会社の仕打ちに耐えられず自殺を口にしていた」ことを知らされた母親は「絶対に許せない」と言葉を詰まらせます。

 佐藤さんは、「原発業界に吸い込まれたくない。暴力がまかり通り、食事代までピンはねされ、自分の知らない会社の社員にされて危険な原発の仕事をさせられた。こんなことは自分だけに終わらせたい」。労働局に訴える準備をしています。

 ◇ 東京電力は、日本原電の筆頭株主で、東海原発の電力の最大の売電先でもあります。P社の元請けは日立GEニュークリアエナジーです。多重下請け構造のもとで、原発作業員に強いられる過酷な労働実態に迫ります。

 (つづく)






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<まど>橋下前知事の説明責任
「しんぶん赤旗」 2011.11.13 15面 コラム


 激烈な言葉で相手を攻撃することは得意でも自分の都合の悪いことには口をつぐむという人がよくいます。大阪府知事を辞任して大阪市長選に立候補する橋下徹氏もそんな一人かもしれません。

 ○…同氏はネットのツイッター上で、「共産党が、僕の政治資金(収支)報告書を見て色々と難癖を付けてくる。今頃やらなくても、府議会でやればよかったのに」といっています。どうやら、本紙が5日付で「橋下前知事パー券あっせん者の会社 6億円超の府事業受注」と報じたことが、かんにさわったようです。

 ○…橋下氏の後援会が2008年に開いた政治資金パーティーで、180万円分のパーティー券購入をあっせんしていた橋下氏の友人が経営する建設会社が、あっせん後に計6億8000万円の府発注工事を受注していたという問題です。日本共産党府議団が、公開質問状を出したように、橋下氏には説明責任があります。

 ○…知事就任直後の府議会で共産党府議の質問に、「企業や団体、府に利害関係があるかどうかにかかわらず、(献金を)一切受けない」と答弁していた橋下氏。その後、府発注工事を受注している建設会社の役員でもある橋下氏のおじが08年のパーティーで100万円分のパー券を購入していたことが発覚。09年末の府議会で党府議に追及されると「おじに仕事を変えろというわけにもいきません」と泣き言。府議会で説明してこなかったのは橋下氏自身です。   (忠)

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【関連記事】

橋下前知事 パ-ティ券あっせん背景に/入札は不自然/直前に辞退・同じ顔ぶれ【しんぶん赤旗)】

橋下氏は説明せよ/パー券あっせん者の会社が公共事業受注/共産党府議団が公開質問状 大阪【しんぶん赤旗】





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シリーズ 原発の深層 第3部 差別と抑圧超えて⑨ 研究者の役割今こそ
「しんぶん赤旗」 2011.11.10 日刊紙 3面

 抑圧と差別は、核燃料サイクル計画を担う動力炉・核燃料開発事業団(動燃=1967年発足、現・日本原子力研究開発機構)では激しいものがありました。

 核燃料サイクルは、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し燃料として使う計画。動燃は高速増殖原型炉「もんじゆ」(福井県敦賀市)などの開発を国家プロジェクトとして、10年を目標に達成するようスタートしました。

 余裕ないエ程

 74年、動燃黄海事業所の再処理工場(茨城県東海村)で試験運転中、下請け労働者が転落死亡。75年にはウランをプラント(処理施設)に流す試験を控えて労組が人員確保などとともに80カ所の改善提案をしましたが、これらを無視して動燃は試験を強行しました。

 動燃労組委員長を務めた円道正三さん(68)は、「再処理は未確立で危険を伴うから安全を確認しながらステップを踏むペきだと主張しました。しかし、動燃は『再処理は確立された技術だ。安全審査も通っている』といって工程を優先させた」と振り返ります。

 プラントはその後数々の不具合がみつかり、たびたび停止。大幅な修理を余儀なく首されました。余裕のない工程は、科学的・技術的な現実を見ない政治的な要求から出てきたものでした」と円道さんは強調します。

  技術者を差別


 安全問題に正面から取り組む人たちの排除は、人事・昇給差別を伴いました。上司から「現在の警察も戦前と同じく思想チェックがメーンだ」と脅しまがいの言葉で圧力をかけられたり、組合役員の結婚式に出ようとしただけで「習の将来は保証しかねる」といわれた人もいました。

 円道さん自身それまでの仕事を外されます。安全問題の相談など組合員との接触をなくすため、仕事場の電話も取られました。「攻撃は家族に及び、“あの家の子とは遊ぶな”といわれ、社宅から引っ越しを余儀なくされました」と振り返ります。

 労組も「健全な原子力開発の推進」を掲げ、労使協調へと変化していきました。

 日本共産党の瀬崎博義衆院議員は80年l1月、動燃で事故が相次ぐ問題を取り上げ、「技術者を思想信条で差別することが基本方針にあるからだ」と指摘。「研修目的は、日共の労組支配を完全に排除すること」とする監督者研修の感想文を示して異常な労務支配をやめるよう求めました。

 「もんじゅ」は95年にナトリウム漏れ火災事故を起こします。1兆円を投じた事業は運転再開のメドもたっていません。97年には再処理工場で火災爆発事故を起こし批判をあぴ、2005年に動燃は日本原子力研究所と統合され日本原子カ研究開発機構となりました。

 日本原子カ所究開発機構労組委員長の岩井孝さんは強調します。「福島原発の事故収束などますます研究者の果たすべき役割は大きい。多くの研究者は今度こそきちんと役割を発揮したいと思っています。その願いに応える体制を国民とともに.求めていきたい」といいます。   (おわり)

  (第3部「差別と抑圧超えて」は藤原直、池田晋、松沼環が担当しました)





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シリーズ 原発の深層 第3部 差別と抑圧超えて⑧ ゆがめられた研究
「しんぶん赤旗」 2011.11.08 日刊紙 3面


 日本原子力研究所(原研、現・日本原手力研究開発機構)では、研究者連絡懇談会がつくられ、自主的な勉強会や見解発表が活発に行われていました。1964年ごろから、こうした自主的な運動に対して就業規則などで干捗が行われ、研究の自由が阻害されてきました。

  弾圧や処分も

 68年、高崎研究所に第二組合をつくった宗像英二理事が理事長に就任すると抑圧はエスカレートします。元原研研究員・元中央大学教授の舘野淳さん(75)は「動力炉・核燃料開発事業団の再処理工場に反対する署名を行った所員に対する弾圧や、事故にかかわる不当な処分が実施されました。自由にものが言えなくなり“恐怖政治”といわれた」と話します。

 68年11月、国産1号炉(JRR-3)で燃料破損事故が続発していることを職場新聞が告発。これに対して原研は69年2月、「事実を歪曲(わいきょく)した」「(燃料を製作した)日立製作所の抗議も到来」したとして停職や配転処分を強行したのです。

 抑圧と支配の下で研究がゆがめられ、その影響は安全研究において最も深刻な形で現れました。



 73年6月、原研労組委員長も務めた中島篤之助さん(故人)は、月刊誌『科学』に「原子力施設の事故例について」とする論文を載せたことから、「厳重注意」処分を受ける事件がおこりました。中島さんは学術会議の会員でもあり、研究員の信頼を集めていました。

 閏年原子力船「むつ」の放射線漏れ事故が発生。中島さんは、長崎県佐世保港での同船の修理のため77年1月に長崎県知事が設置した安全研究委員会へ出席を要請されます。しかし、原研は出席を認めず、それをおして出席した中島さんに無断欠勤したとして賃金カットを強行。マスコミでも取り上げられ大きな問題になり、原子力委員長が仲介に入る事態になりました。

  予算にも圧力

 処分だけでなく研究への圧力は予算配分にも現れます。全国に造られていった軽水炉について政府は、技術は「実証済み」、安全性に問題はないとの姿勢をとります。そして原子炉の「安全研究」は縮小していきます。

 元原研研究員の市川富士夫さん(82)は「安全研究という名前では研究はできなくなった。『安全性実証試験』という名称になり、安全を高める新しいアイデアは取り上げられなくなった。予算がつかなくなった」と説明します。

 こうして原発推進へと栄達するなかで起きたのが今回の福島第1原発事故でした。

 日本原子力研究開発機構労働組合の岩井孝委員長は話します。「政府は、“安全神話”と決別し、大本の考え方を変えていかなくてはいけない」

(つづく)





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シリーズ 原発の深層 第3部 差別と抑圧超えて⑦ 軽水炉と原潜ノー
「しんぶん赤旗」 2011.11.07 日刊紙 3面 


 日本の原子力研究を推進するために1956年6月、特殊法人日本原子力研究所(原研、現・独立行政法人日本原子力研究開発機構)が発足しました。それは、無謀な原発政策を進める国と、国民の立場にたって原子力のあり方を考える研究者たちのたたかいの始まりでもありました。

 設立時の原研研究員で労組委員長を務めたこともある市川富士夫さん(82)は「研究者に対する賃金や待遇は劣悪で、東海村の独身寮では水道がなく桶を置いて飲み水にあてていた。労組は、これらの問題解決とともに、原子力の安全確保、平和利用3原則(民主・自主・公開)を掲げて活動していた」と振り返ります。

米の尾を踏む

 60年代になって問題になったのは、JPDRと呼ばれる米GE(ゼネラル・エレクトリック)社製の原子炉の導入です。この炉はその後、日本各地に次々と導入される軽水炉の日本1号炉。米国側は「軽水炉は実証済み」と宣伝していましたが、研究者や原研労組からは事故も多く、技術的に確立していないと批判の声がありました。

 原研労組委員長を務めたこともある元中央大学教授の舘野淳さん(75)は「米側は世界戦略の一環として軽水炉を売り込もうとしているときだっただけに、原研の研究者がJPDRの技術的欠陥を指摘したことは周囲から『トラの尾を踏んだ』といわれました」と振り返ります。

 しかしGE社は、発電成功(63年10月)の3日後、突如労使関係が問題だなどといってJPDRの運転中止を指令してきました。

 この対応をめぐって原研と労組の対立がいっそう激しくなり、佐藤栄作科学技術庁長官はあわてて原研に対し「運営改善」を指示します。これを機に本部に労務部がつくられ、研究者や労組に対する攻撃がいっせいに強まったのです。

  講師が各地に

 組合幹部への攻撃から仕事上の冷遇措置、賃金・昇格差別へと及び、64年には公安警察系雑誌『全貌』が「日本原子力研究所の共産党員」と題する特集を掲載。国会で自民党議員が、「(日本共産党員は)20名は確実に名前をあげることができる」などと労組を攻撃しました。

 63年、米軍が原子力潜水艦を寄港させようとして社会問題になります。60年代後半には、電力会社による軽水炉原発の建設が各地で問題になりました。組合は原潜の講師運動から、原発の講師運動へと発展。各地で軽水炉の危険性を訴え、住民運動の前進に大きな力となりました。

 舘野さんは「研究者として原子力の研究が社会に還元されることを望んでいた。しかし、軽水炉は実証済みといえるような技術ではなかった。そのことを国民に伝えるのは研究者として社会的責務でした。しかし、米国と日本の政府・財界はそれを許さなかったのです」と強調します。

 (つづく)






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シリーズ 原発の深層 第3部 差別と抑圧超えて⑥ 専門家の英知集めて
「しんぶん赤旗」 2011.11.05 日刊紙 3面


 京都市にある立命館大学国際平和ミュージアム。安斎育郎名誉館長は2009年に、「東大医学部での嫌な時代を思い出させる事件が起こった」といいます。

  体質変わらず

 同ミュージアムで活動している市民ボランティアの会が、恒例の「安斎育郎先生と行く平和ツアー」で、福井県の高浜原発の見学会を計画した際のことです。実施直前になって、関西電力の担当者が、「安斎さんは原発に激しく反対されてきた方だと分かったので、今回の見学はお断りしたい」といってきたのです。

 交渉に当たった同会の岡田知子さん(66)は怒り心頭に発し、抗議しました。

 「安斎先生が原発に批判的だという一点で拒否するのは、個人の思想信条の自由に反する。電力利用者に公平に公開すべきです」 翌日、関電の担当者から「昨日は私の個人的判断で動き、所長に叱られました。謝罪にうかがいたい」と一転して見学許可の電話が。後日、謝罪にきた担当者に同会は「見学許可は思想で判断しない。この基準は今後も変わらない」と明言させました。

 安斎さんは、「批判者は徹底的に拒絶、差別して垣根の向こうに追いやるという“原子力村”の体質は変わっていなかったんだなと思いました」と語ります。

 原発事故発生後の4月15日、東大原子力工学科1期生の同期会が東京で開かれることになっていました。

 安斎さんは、事故の収束もままならないことから、延期を提案。「みなさんは私などよりはるかに深く政府の機関とも関係があるはずだから、事故を収めるためにやれることをやってほしい」と伝えました。

 後日、同じ1期生の齋藤伸三元原子力委員長代理が、原子力利用を推進してきた専門家16人で「福島原発事故についての緊急建言」を政府に提出したと伝えてきました。

 「建言」は、今回の事故について「国民に深く陳謝いたします」と述べ、日本の専門的英知の結集や国をあげた体制の構築を求めるものでした。

  研究者の役割

 安斎さんは、「日本では多数の学者が原発推進のお墨付きを与える係とされ、批判者は抑圧され、一顧だにされなかった。これがこの国の原発政策を破局に向かわせたと感じます」と語ります。

 「そのことを反省し、原発に批判的な学者でも自由にモノが言え、政府も真面目に対応するという体制が必要不可欠です。事故の収束、除染、廃炉は一大事業。研究者が、今こそ英知を結集し役割を発揮すべきときです」 

(つづく)





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これまでのシリーズはこちら ⇒

シリーズ 原発の深層 第3部 差別と抑圧超えて① 専制支配で原発推進【しんぶん赤旗】
シリーズ 原発の深層 第3部 差別と抑圧超えて② 警察・公安と一体【しんぶん赤旗】
シリーズ 原発の深層 第3部 差別と抑圧超えて③ 労組をパートナーに【しんぶん赤旗】
シリーズ 原発の深層 第3部 差別と抑圧超えて④ 東電を断罪した裁判【しんぶん赤旗】

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シリーズ 原発の深層 第3部 差別と抑圧超えて⑤ 「ガラスの檻」幽閉17年
「しんぶん赤旗」 2011.11.04 日刊紙 1面


 放射能の専門家としてテレビでもよく知られている安斎裔郎・立命館大学名誉教授(71)。国の原子力政策を批判し、東京大学医学部の放射線健康管理学教室に勤めていた1969年から86年まで助手にとどめられたことがあります。後に週刊誌が「東大助手『ガラスの檻(おり)』に幽閉17年」と報じたほどです。

 「出勤しても誰もロを利かない。教育業務からも外される。主任教授から、研究発表も許可なしにしてはいけないと言われました」

  災害防止研究

 安斎さんは62年、東大工学部に全国に先駆けて設立された原子力工学科の第1期生となりました。国が原発推進の技術者を養成するための学科でした。同期には、石田寛人元科学技術庁事務次官らがいます。

 安斎さんは「原子力がモノになるかは、放射能を管理できるかにかかっている」と、放射線防護学を専攻。卒業論文は「原子炉施設の災害防止に関する研究」でした。しかし、次第に国の原発政策が住民の安全を守るものになっていないと感じるようになります。

 66年には、科学の自主的・民主的・総合的発展を目指す日本科学者会議に入会し、国の原子力政策への批判を展開しました。

 72年の日本学術会議の第1回原発シンポでは基調講演。国の原発政策について▽経済優先の開発か安全確保優先の開発か▽軍事利用への歯止めが保障されているか―など「6項目の点検基準」を提起し、国に落第点を与えたのです。

 翌73年には国会で意見を陳述。9月には福島策2原発の設置をめやる公聴会で、原発の安全性に疑問をもつ住民の声を代弁し、建設反対を主張しました。

  “安斎番”尾行

 大学での人権侵害はそうした活動を抑え込むための攻撃でした。

 「講演に行けば電力会社の“安斎番”が尾行につく。内容は録音して届けられ、翌日には主任教授から『昨日、こんな話をしただろう』となじられる」

 東電から派遣された隣席の産業医は、辞めるとき、「僕の役割は安斎さんが次に何をやろうとしているかを偵察する係でしたしと打ち明けました。東電が「費用は全部保証するから3年ばかりアメリカに留学してくれないか」と懐柔しようとしたこともありました。

 安斎さんは、「研究費がなくても研究はできる」と励み、専門学会では70年代半ばに三役の一人も務めるなど活発に活動しました。

 「日常的に不快な体験をさせて『改心』や『屈服』を迫るやり方は、自由な批判精神の上に安全性を一歩一歩培っていく技術開発の思想とは対極のもの。自由にモノを言わせないこの国の原発開発が安全なはずがないと肌で感じました」

(つづく)




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シリーズ 原発の深層 第3部 差別と抑圧超えて④ 東電を断罪した裁判
「しんぶん赤旗」 2011.11.03 日刊紙 1面

 10年2カ月にも及んだ東電思想差別争議の全面解決が実現したのは1995年12月25日、クリスマスの日でした。東電は陳謝するとともに再発防止を約束。①賃金の是正や管理職などへの昇格②解決金の支払い―など画期的な内容で和解が成立したのです。

  原発推進批判

 大きな力となったのが93年の前橋から横浜まで5地裁での連続勝訴判決です。判決は、憲法などに照らし「共産党員等であること自体を理由とする差別は、原則として違法である」(甲府地裁)と述べるなど、東電の反共労務政策と原告らに対する思想差別を断罪しました。

 原告・支援者は、労働者への差別と結びついた安全無視の原発推進路線を批判し、世論にも訴えてきました。

 82年2月には福島県相馬郡小高町(現南相馬市)で、住民らと「原発の安全性を考えるシンポジウム」を開催しています。当日は、参加者が現地調査で福島第1原発を訪れると、機動隊が待機し、右翼の宣伝力ーが「シンポ粉砕」を叫ぶというものものしさ。しかし、シンポジウム自体は150人の超満員となり、新聞各紙に報じられました。

 90年には福島第2原発3号機の再循環ポンプ損壊事故(89年1月)後の運転再開への抗議行動に取り組むなど、住民とともにたたかい、原発推進などのために行われてきた差別と抑圧を打ち破ったのです。

 元東京原告団の鈴木章治さん(72)は、「私たちは、利益優先ではなく、公益事業としての責任を果たせと訴えてきました。今回の原発事故は、東電が反省しきってはいなかったことを示しました。根本からただしていく必要があります」と話します。

 福島第1原発事故の後、東電の社員からは、「本当に迷惑をかけてしまっているのでただただ謝るばかりです」との悲痛な声や、「社員が希望を持てるような経営層のメッセージが必要だ」との意見も聞こえてきます。

  経営陣の責任

 元神奈川原告団の原信夫さん(65)は、「社員からは、仕事が増えるのに賃金が減り不安でいっぱいだが、必死で頑張っているという話も聞いています。経営陣は、モノの言えない会社にして原発事故を招いた責任を労働者に転嫁すべきではない」と話します。

 鈴木さんは言います。「東電は事故の収束と被害者の賠償に全力をあげるとともに、原発ゼロに転換してこそ国民の信頼を回復し、公益事業としての責任を果たすことができます。そのカギは、世論と職場の労働者にかかっています」

(つづく)






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