独断と偏見の、仮説:保護監禁拉致説得(横浜裁判以外の件)
2004.7.13
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2008.9.10アクセス解析削除
★保護監禁とは何か | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
手短に言うと虐待の一種である。たとえば、エホバの証人(物見の塔)の信者に対する暴力と同質だろう(信者の善意〜非暴力が教義なので反撃できない〜に付け込んでいる点において)。 「氏族メシヤ」と呼ばれているが、家族・親族を救済したいがゆえに、離れるに離れられない信者の立場に付け込んだ、卑劣な行いではないだろうか。 一方、信者であるところの親がその子女であるところの2世を虐待しているという指摘もあるが、どちらかが一方に比べてより悪い、より重いという次元の問題ではなく、どちらも同じように重要な問題だと思う。 |
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★どうして問題なのか | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
憲法における黙秘権の保証 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さて、「話し合い」では…
こうして見ると、たとえ暴力を使っていないとしても民間人を対象に、たとえ脱会を目的としていないとしても保護監禁拉致説得がいかに残虐で人間の尊厳を破壊するか想像できるし、一度は人生のすべてを賭けようとしたものをやめても、元信者を責めることは誰にも出来ないのではないだろうか。 あるいは逆に偽装脱会してまで、信仰を貫こうとするものを非難することは出来ないのではないだろうか。
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★原理(信者)の思考回路が8の字だったら…… | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8の字思考と逆8の字思考 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
統一教会員の8の字思考が問題だ、というからには、元信者が社会復帰(そもそも「復帰」がUCの用語だが)するときには「逆8の字思考」をしなければいけないのではないだろうか。もちろん、元信者が一人でするのは難しいので、周囲で誰かが手引きしなければならない……。 |
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違法伝道と、逆違法伝道(〜三位基台復帰) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〜脱会を告げた者を別の被説得者のもとへ送るのも虐待ではないか? さらに、小出医師、川嶋さんの場合では、次から次に「元信者」が説得のために現れる。脱会者の意思を確認するのに、別の元信者が何人も待機しているのは不自然ではないだろうか?
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霊感商法と逆霊感商法 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
★万物復帰(復帰摂理)で「霊感商法」をするから問題だ、というからには、元信者が脱会して社会復帰(そもそも「復帰」がUCの用語だが)するときには「逆霊感商法」をしなければいけないのではないだろうか。 たとえば、信者の保護監禁拉致説得にあたり、ご家族が「周囲から遮断された環境」をつくろうと、マンションを借りている。その費用は誰が誰に払っているのだろうか。マンションの部屋につける錠やビニールシートなどの費用は?それらの「日曜大工」の費用は? |
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み旨最優先と逆み旨最優先 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さらに、「はなしあい」のために休業、退職をしたことも事実認定されているが、私はこれを、「話し合いを口実にした勤労の義務の放棄」だとみなしている。 しかし、これの原因は、 1.UCにそそのかされた 2.牧師たちのアドバイスによるもの 3.自発的なもの のどれだったのだろうか? いわゆる反対派の弁護士先生の言うように、「もともと仲の良かった親子が統一教会のせいで仲が悪くなった」、あるいは、巷で言われるように統一教会は家庭を崩壊させる、ということであれば、ご家族の「勤労の義務の放棄」も、UCのせいになる。しかし、いつ、どこでなんという名前の信者が休職・離職するように促したのだろうか?そもそも、「話し合い」のために休職・離職しなければならないと誰が決めたのだろうか? 逆に、話し合いのために自発的に、休職・離職したのであれば、「UCが家庭を崩壊させた」という理屈は成り立たないことになるのではないか? ということは、2.牧師たちにそそのかされて休職・離職した、ということにならないか? |
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「血わけ」と「逆血わけ」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
反対派が必ず持ち出す、らしい、「血わけの儀式」だが、大まかに言って、人類は皆、先祖が堕落したので、清い男性教祖(もちろん文鮮明師)と女性信者が交わることで、血を清められる必要がある。次に清められた女性信者が別の男性信者と交わることで、人類は皆血統が転換されて神の国になるという? さて、そこでこれが、もしも反対派のいうように問題ならば、そして実践しているのならば、保護監禁拉致説得の現場で、脱会宣言をした信者が本気かどうか試すのに、および、例の8の字思考をリバースするためには、反対派は「逆血わけ」をしなければいけないのではないだろうか? つまり、教祖によって(清められた、ではなく)汚された信者の血を清めるのに、反対派の牧師と交わらなければならないのではないか? それも、男性牧師と女性(元)信者ではなく、男性牧師と男性(元)信者の組み合わせ? なぜなら、UCでは「純潔」「ピュアラブ」を標榜しているから、本当に脱会したならば、ただ単に男-女(ヘテロ)ではなく、男-男(または女-女の同性愛)「不純潔」「ダーティラブ」を実践しなければいけないということになる? つまり、反対派牧師(反牧ともいうが、いっそ犯牧か?)は、「逆血わけ」をしている? 一見するとバカバカしい妄想だが、理屈のうえではそうなる。 |
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★いかに合理的でないか | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
敵に塩を送る? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
普通、UCが犯罪集団で、一般市民の自由と平和な社会を守る戦い、というならば、これは戦争である。戦争は敵を弱体化させることも重要な戦術である。 しかし、「保護監禁拉致説得」では、逆に偽装脱会してまで残るのはある意味で筋金入りの信者だから、本当に戦争しようと思ったらわざわざ敵を強化している。こんなバカなことをするだろうか? |
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敵を騙すにはまず味方から? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
元信者でもある故田口民也編著『統一協会からの救出 (いのちのことば社 1992・1997)』には反対派W牧師の周囲に統一教会の情報員がいることが明記されている(p.137)。 また、スティーブン・ハッサンの『マインドコントロールの恐怖』(p.257)によると救出カウンセラーの評判を落とすためにカルトのメンバーが紛れ込んでいることもあるそうだ。 |
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能ある鷹は爪を隠す? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
たとえば、昔読んだ落合信彦の本でイスラエルがなぜ宿敵PLOのアラファト議長(当時)を暗殺しないか?という話しがあって、その理由は不可能だから出来ないのではなく、可能だが、世論の悪化を恐れてしないのでもなく、下手にアラファトを殺害してしまうと、彼よりももっと有能で手ごわい相手が台頭するかもしれないから、それを防ぐためにわざと生かしている、という話しを読んだことがある。 それが真実かどうかは別として、実際問題、統一教会に反対している人の言動のなかにはどうにも信憑性が低かったり、根拠があやしそうなものも混じっているが、これも、意図的にレベルの低い反対派を黙認することで、より強力な反対を未然に防ぐUCの策略かもしれない? |
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キリスト教は正しくて、統一教会は邪教・異端か? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
正しい宗教というものはない。間違えている宗教もない。しいて言えば、ある前提の下でのみ正しいといえる宗教があるということだと思う。 たとえば、「聖書」を前提にした場合は、ユダヤ教のみが正しい宗教で、新約聖書を前提にした場合はキリスト教が正しく、原理講論を前提にした場合は統一教会が正しい宗教になる。
つまり、「統一教会は間違った宗教だ」という主張は、はじめから成り立たない。 |
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いかに非合理か | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
誰かが何かを「信じていない」ということを「信じる」のは非合理である。 具体的に言えば、「『Aさんが統一原理を信じない』ということをBさんが信じる」のは不可能なので、Aさんが信仰していないかどうか確かめる「踏み絵」が必要になり、それでも100%の確認は不可能なので、信仰を捨てたくない信者からは「偽装」される。そのため「踏み絵」もエスカレートせざるを得ないという悪循環に陥る。 |
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★仮説; | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「保護監禁拉致説得」は以上の理由で虐待であり、説得としては非合理的である。だから、家族・親族や牧師がこんな虐待をするわけがない。しかし、体験者の声を聞いても、判決を読んでも、しているとしか考えられない。ということは?
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★ここまで読んで、結局たいした根拠もないのに、大きな口を叩くな、と思われた方。……あなたもUCに騙され、踊らされている口かもしれない。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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