年表〜保護監禁拉致説得@横浜
2004.8.27
2004.9.7追加
2004.9.9修正
2004.9.10修正
2008.9.10アクセス解析削除
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\ | 概要 | 注釈 | 内外の動き |
1 | 昭和16年、被告C生まれる。 |
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2 | 昭和19年、被告D生まれる。 |
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昭和20年、第二次大戦、日本の敗北で終結。 | |||
3 | 昭和23年、被告I生まれる。本件当時,横浜市内所在の日本基督教団甲教会の伝道師,牧師として活動していた。 |
1948/05/14,(昭和23)イスラエル国が独立宣言する。第1次中東戦争が始まる。 | |
4 | 昭和29年、被告J生まれる。本件当時,群馬県所在の日本基督教団乙教会の牧師(主任担任教師)として活動していた。 |
1954/05/27,(昭和29)米原子力委員会特別調査委員会が、オッペンハイマー博士を危険人物と認定する。オッペンハイマー事件。 | |
5 | 被告Cと同D,昭和44年に婚姻。長女原告A,次女被告E(昭和47年生まれ)及び三女K(昭和49年生まれ)をもうけた。 |
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6 | 昭和44年、原告B生まれる。 |
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7 | 昭和45年、原告A生まれる。 |
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1973/10/06,(昭和48)第4次中東戦争勃発。
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8 | 昭和63年ころ,被告Iは,同被告の姪が統一協会に関わったことをきっかけとして,統一協会の信者やその家族に対するカウンセリング活動を行っていた。 |
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1989/11/09,(平成1)ベルリンの壁が事実上撤廃される。 |
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9 | 被告Jは,大学在学中(1989同志社大学大学院神学研究科組織神学専攻博士課程後期課程中途退学)に統一協会に入信して,信者として活動した後,同協会を脱会した経験を持ち,統一協会の信者やその家族からの相談に応じるなどしていた。 |
元信者 | |
10 | 平成2年5月ころ、大学在学中,原告Bは,統一協会の信仰を持った。 |
入信 | |
1990/08/02,(平成2)イラク軍がクウェートに侵攻(湾岸危機)。
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11 | 平成2年12月ころ,大学在学中、原告Aは,世界基督教統一神霊協会の関連団体である全国大学連合原理研究会に入会した。 |
入信 | |
12 | 平成5年3月に原告Aは,大学を卒業し,アメリカ合衆国内の大学に2度留学するなどした。 |
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13 | 平成7年5月23日付の手紙で,原告Aは,被告C夫妻に対し,統一協会の信仰を持っていることを打ち明けたが,同被告夫妻は,これに反対し,同原告と何度か話合いをしたが,双方の主張は平行線を辿った。 |
信仰告白 | |
14 | 平成7年6月初旬ころ,被告C夫妻は,日本基督教団の存在を知って連絡を取った。 |
日本基督教団 | |
15 | 平成7年6月27日,甲教会の被告Iを紹介され,同教会に赴き,同被告と初めて面談した。 被告C夫妻は,統一協会の元信者やその家族から,同協会入会の経緯や生活状況等の話を聞き,原告Aが統一協会の信仰を持った経緯を理解することを,被告Iに勧められ,これ以降,甲教会に通った。 |
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16 | 平成7年7月30日,被告C夫妻は,原告Aの誘いにより,統一協会主催の講演会に参加した際,その会場で被告Eに会い,同被告も統一協会の信仰を持っていることを知った。 |
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17 | 平成7年8月ころ,原告Aは,被告C夫妻に対し,国際合同結婚式に参加することを話した。 |
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18 | 平成7年8月20日ころ,原告Aは,被告C夫妻に対し,国際合同結婚式における主体者(配偶者)が原告Bであることを話したが,同被告夫妻は,原告Aが,国際合同結婚式に参加することを,表だって反対はしなかった。 |
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1995/08/24,(平成7)アメリカでマイクロソフト社のWindows95が発売される。 | |||
19 | 平成7年8月25日,原告らは,大韓民国ソウル市で,統一協会及びその関連団体が主催した国際合同結婚式に,互いを主体者(配偶者)として,参加した。 同月27日,帰国したが,統一協会の教義に従い,原告Aは,同Bとすぐには同居することなく,被告C夫妻宅で生活を続けた。 |
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20 | 国際合同結婚式参加後,原告Aは,外泊や深夜帰宅が多くなり,被告C夫妻は,希望する同原告との話合いができなかった。 |
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21 | 平成7年9月ころから,被告C夫妻は,統一協会主催の講演会に,原告Aと参加する一方で,甲教会で毎週水曜日に開催されていた聖書研究会及びその後に催される統一協会の元信者らの集まりに参加し,同人らの話を聞くなかで,周囲から遮断された環境のもとで,原告Aと,統一協会の教義や活動について話合いを行う必要があると考えるようになった。 |
拉致監禁の動機付け | |
22 | 平成7年10月15日ころ,被告C夫妻は,被告Iから,日本基督教団の統一原理問題全国連絡会で面識のある被告Jを紹介され,被告Cは,乙教会に,被告Jを訪ねた。 |
乙教会 | |
23 | 平成7年10月22日ころの深夜,原告Aは,被告C夫妻とともに,同被告夫妻宅から,群馬県伊勢崎市所在のマンションL居室に移動し,同月25日ころまで,同居室に滞在した(なお,日付については争いがある。)。 ⇔ 平成7年10月23日の深夜,原告Aが帰宅した際に,被告C夫妻が,同原告に対し,マンションL居室へ行こうと提案したところ,同原告は,渋々これに応じ,同月24日の午前4時ころ,同マンションに到着した。この居室には,被告G,同被告の弟であるS及び被告Cの叔母であるU,被告Fの母であるVが来ており,上記の者らのいずれかが,常に原告Aの相手をしていた。(第三 争点に対する判断 1前提事実および証拠(2)のアより) |
最初の話し合い@#1マンションL(群馬県伊勢崎市)常時監視下に置かれる | |
24 | 平成7年10月22日ころ、原告Aが上記居室に到着した後,被告Dは,同原告が,同居室内の浴室で,原告Bと携帯電話で連絡を取っているのを発見し,同被告がこの携帯電話を預かることとした。 |
表現の自由の侵害 {日弁連のヤマギシ会への勧告書(3通信の自由について)} |
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25 | 平成7年10月24日当時,b病院で看護師として勤務していた被告Eは,深夜勤務が終了した同日午前9時ころ,被告C夫妻の要望に応じ,マンションM7階居室に赴いた。 |
24日の時点でマンションMへ? | |
26 | 平成7年10月25日,被告Cは,被告Gから,マンションL居室入口ドアが,何者かに叩かれたことを聞き,乙教会で知り合った知人から,群馬県太田市内所在のマンションM居室を借り受け,同日晩に,同原告と被告C夫妻及び同F夫妻とともに,同居室に,移動した。 |
被害妄想?#1マンションLから#2マンションM(群馬県太田市)へ | |
27 | 被告Eは,平成7年10月27日ころ,上記居室(※作者注=マンションM7階居室)を訪れた被告Jと,統一協会に関して話合いを行い,同協会から脱会する意思を表明した。 |
被告E、マンションMで脱会 | |
28 | 平成7年10月27日,原告Aは,マンションM居室窓の錠を安全ピンで開けてベランダに出て,雨樋を伝い2階から1階に飛び降りて,原告Bのもとに戻った。 |
マンションMから脱出 | |
29 | 平成7年11月6日,原告らは,千葉県市川市長に対し,婚姻の届出をし,平成8年3月ころ,原告らは,同市内のアパートで,同居するようになった。 |
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1996/12/17,(平成8)天皇誕生日のパーティーを開いていたペルーの日本大使公邸に、過激派組織トゥパク・アマル(MRTA)が侵入、ペルー当局に収監されている仲間全員の釈放要求してたてこもる。 | |||
30 | 平成9年1月10日ころ,被告C夫妻は,原告らと被告Eが,被告Eの誕生日祝いの食事をする際に,再度話合いの機会を設けようと考えた。 |
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31 | 平成9年1月10日午後3時ころ,原告Aから,被告Eに電話があり,被告Dは,同日の晩に,原告Aと被告Eが会うとの情報を得た。 |
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32 | 平成9年1月10日午後7時ころ,被告C夫妻は,被告Eが外出した後,被告F夫妻,被告H及びSと,N店付近のうどん屋で待ち合わせた。 原告らと被告Eは,同日午後8時ころ,N店に入り,共に食事をした。 |
計画した当日に6人も集まった? | |
33 | 平成9年1月10日午後10時40分ころ,原告両名及び被告Eが,N店から出てきたところ,被告Dが原告Aに駆け寄り,被告Cもこれに続き,Sはワンボックスカーを運転移動させて,その付近に停めた。 被告Dが原告Aの腕を取ろうとしたところ,同原告は,悲鳴をあげ,ワンボックスカー付近で仰向けになって,同車の左前タイヤ部分に右足を掛けて抵抗したが,被告C夫妻が,同原告を抱き起こし,同車内にいた被告Gとともに,同原告を同車に乗せ,被告Eも同車に乗り込んで,Sが同車を運転して,マンションO居室に移動した。 |
2回目の話し合い?のため#3マンションO(神奈川県横浜市)へ | |
34 | 平成9年1月10日午後10時40分ころ,原告Bは,同原告の自動車に乗ろうとした際,原告Aの状況に気付き,同原告の方に駆け寄ろうとしたが,途中で転倒し,アスファルトの地面に四つん這いの姿勢になり,眼鏡が外れた。原告Aを乗せたワンボックスカーが発車した後,原告Bは,駐車場に残った被告Fと同Hに対し,左手及び両膝を負傷したことを抗議しなかった。
⇔平成9年1月11日,原告Bは,被告C夫妻らの前記暴行により,加療約1週間を要する左手及び両膝窩部外傷の傷害を負い,h病院で診察を受け,左手及び両膝窩部外傷で,加療約1週間を要するとの診断を得て,当該負傷部位及び破損したスラックスの写真を撮影した。 |
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35 | 平成9年1月6日から10日まで,被告Cは,マンションO居室から前記勤務先に出勤した後,同月13日から同年3月途中まで年次休暇を取り,同年5月26日まで欠勤した。被告Dは,パートタイムの仕事を辞め,被告Eは,平成9年1月末ころ,看護師として勤務していたi病院を退職した。 |
勤労の義務の放棄? | |
36 | 平成9年1月ころ,被告C夫妻は,上記居室の玄関ドア防犯チェーンが弛まないように,チェーンに南京錠を取り付けた。 同原告が統一協会から脱会する意思を表明した同年5月23日まで,同原告が,以後滞在した居室で一人となることはなかった。 |
南京錠、常時監視下に置かれる | |
37 | 平成9年1月,原告Aは,当初,被告C夫妻らの行為に抗議したが,平成9年1月末ころから,被告C夫妻に対し,統一協会の信仰を持った経緯や同協会の教義について話をするようになった。 |
抗議した、が、話し合いに応じた | |
38 | 平成9年2月10日,原告Bは,原告Aが拉致,監禁されたことから,運送業者に依頼し,当時原告らが住んでいたアパートを引き払い,荷物を原告Bの実家まで運ぶなどした。 |
引越し | |
39 | 平成9年2月初めころ,被告C夫妻は,前記マンション住人から,同被告夫妻らが騒音を立てたことに苦情を言われたため,甲教会で面識を得た知人を通じて,マンションP居室を借り受け,同月15日,被告Hが運転する自動車で,原告A,被告Gとともに,同居室に移動した。 平成9年2月16日,原告Aは,被告C夫妻らとともに,マンションO居室から,神奈川県藤沢市内所在のマンションP居室に移動し,同年4月10日まで,同居室に滞在した。 |
#3マンションOから#4マンションP(神奈川県藤沢市)へ | |
1997/02/16,(平成9)ペルーの日本大使公邸人質事件が62日目に入り、外国公館占拠事件として2番目の長さになる。 | |||
40 | 平成9年2月ころ,被告C夫妻は,同居室の窓に,ボルト付の金属棒やサッシ止めを取り付け,ビニールシートを貼り付けるなどした。原告Aは,このころ,日本基督教団発行の統一協会に関する冊子を読み,被告C夫妻らと,その感想を述べ合うなどした。 |
監禁工作 | |
41 | 平成9年4月ころ,神奈川県宮前警察署の警察官らが,原告Aの捜索のため,甲教会へ事情聴取に赴くなどした。 |
警官,事情聴取 | |
42 | 平成9年4月初めころ,被告C夫妻は,被告Jから紹介を受けた人物から,マンションQ居室を借り受けた。 平成9年4月10日,原告Aは,被告C夫妻らとともに上記居室の鍵を預かっていた被告Jの案内で,上記マンションに自動車で,マンションP居室から,埼玉県深谷市内所在のマンションQ居室に移動し,同年6月9日まで,同居室に滞在した(甲6の写真12ないし15,甲22)。被告Jは,このとき,原告Aとは会話をしなかった。被告C夫妻は,上記居室の玄関ドア防犯チェーンに,南京錠を取り付けた。 |
南京錠@#5マンションQ(埼玉県深谷市) | |
43 | 平成9年4月10日から同月19日ころまで,原告Aは,マンションQ居室において,引き続き日本基督教団発行の前記冊子を読み,被告C夫妻らと,その感想を述べ合うなどした。 |
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44 | 平成9年4月19日午後7時ころ,被告C夫妻の依頼で,被告Jが上記居室を初めて訪問し,原告Aは,被告Jの問いかけに対し,キリスト教と統一原理の違い及び統一協会の問題点について,説明を求めた。 被告Jは,その後,同年5月中旬にかけて,7回程度,上記居室を訪問し,統一協会の教義や活動について説明したが,原告Aが,これに反発することもあった。 |
問いかけに対して質問する | |
1997/04/22,(平成9)リマの日本大使公邸に、ペルー軍特殊部隊が強行突入する。人質の最高裁判事1人とペルー治安部隊の兵士2人が死亡するが、その他の71人の人質(日本人24人を含む)は救出される。 | |||
45 | 平成9年5月23日,原告Aは,被告C夫妻に対し,統一協会から脱会する意思を表明した。が,これは,同原告の真意によるものではなかった。 |
脱会 | |
46 | 平成9年5月25日,同居室を訪れ,原告Aと面談した被告Jも,同原告の真意に気付かなかった。 |
偽装脱会見抜けず | |
47 | 平成9年5月26日以降,同原告は何度か乙教会に赴き,礼拝などに参加するようになり,被告Jとともに,統一協会の信者がその家族と滞在しているマンションの居室に赴くなどした。 |
脱会説得の手伝い?強制労働?(乙教会から) | |
48 | 平成9年6月4日,原告Aは,被告D及び同Eとともに甲教会に赴き,同教会で開催された聖書研究会及び統一協会の元信者らの集まりに参加し,統一協会の元信者らと話をした。その後,外出から戻った被告Iは,原告Aと夕食を摂りながら話をした。 |
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49 | 平成9年6月5日,原告Aは,被告Dと乙教会に赴き,被告Jと話をした。 |
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50 | 平成9年6月7日,原告Aの発案で,被告C夫妻及び同Eと埼玉県内の温泉に出かけて一泊したが,この宿泊先は,同原告が本屋で旅行関係の本を買い,自ら探して電話を架けて予約した。 |
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51 | 平成9年6月9日,原告Aは,事前に被告Iに電話で連絡し,被告D及び同Eと甲教会に赴き,被告Iと,今後の身の振り方について話をした。 同日午後5時ころ,原告Aは,横浜市内のJR戸塚駅付近で,被告D及び同Eと別れた。 |
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52 | 平成9年6月下旬ころから同年9月までの間に、原告Aは,整体及び灸治療のため3日通院した。 平成9年10月7日から平成10年4月30日までの間に計13日通院し,原告Aは,本件拉致,監禁による外傷性ストレス障害(PTSD)と診断された。 |
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以上 | 参考; 歴史データ大型版 |
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