メッセージ

2004.7.12
2004.8.29
2004.9.7
2004.10.5
2008.9.10アクセス解析削除

保護説得、または拉致監禁に私がこだわる理由
 最初のうちは止むを得ない対応なのだろうと思っていた。なぜならUCとは反社会的団体・破壊的カルトというイメージがあったからだ。しかし、何人かの元信者の体験記(xyz)を読むうちに考え方が変わった。

 実は私にも「保護説得・拉致監禁」に相当するような経験がある(といってもだいぶ中身は違うが)。そのときの経験が統一教会員の保護監禁拉致説得にこだわる理由になっているのだと思う。

-保護監禁拉致説得という言い方-
ヒトによっては「脱会カウンセリング」だったり、「救出」だったり、「話し合い」だったりするが、定義で時間をつぶすのは惜しいので、ここではおもに「保護説得」を前提に、統一教会側の反論である「拉致監禁」を組み合わせて「保護監禁拉致説得」と呼ぶことにする。

私と統一教会の接点
 今を去ること15年前、東京・銀座の教文館に行こうと歩行者天国(日曜日だったと思います)を横切ろうとしたとき、ネクタイにスーツの青年が「手相を勉強しています」と言いながら近づいてきた。

 内心、(ヤバイ、変な宗教だ)と思い、黙って早足で通り過ぎた。
すでに、手相を観ると言って勧誘する悪質な宗教があるのは聞いていたので、それがこれだろうということはすぐに察した。もっとも、彼が統一教会員という証拠はないが。

 そのときは「どうして自分はあんなのに声をかけられるんだろう、隙があるんだろうか」などと考えてちょっと落ち込んだりもした。

 しかし、正直言うとあの青年の目の輝きが今でも気になったりするときもある。今ごろどこでどうしているんだろうか。

 結論としては、統一教会と私(非原理・無宗教)は交流がなく、特にどちらかを擁護する理由もなければ批判する理由もまた無いということである。

保護監禁で、やめた・やめさせられた人へ
 保護説得でやめた人は、そのことで感謝するのは悪くないと思う。しかし、一方で「感謝しなければいけない」ということもまた、ないと思う。ご家族は各々の立場において、当然のことをしたまでだから。

 これとは別に、拉致監禁で不本意ながらやめさせられたとしても、それはやむをえないことで、あなたに落ち度があったわけではない。そんな状況に置かれれば、誰だって、やめる。もちろん私だってやめてしまうだろう。

 そして、脱会しなかった人は、おそらく偽装脱会せざるを得なかったと思う。
ふつう、「偽装」というのは悪い意味で使う言葉だが、この場合はそうせざるをえなかったのだと考えられる。
いまはまだ無理かもしれないが、いつか理解される日が来ると信じる。

家族・親族の方々へ
 聞くところでは、統一教会へ入った子息との「話し合い」のために、かえって親子の仲をこじらせてしまうこともあるそうだ。

 (このサイトの趣旨でもあるが、)ここでは不合理なだけでなく、心的外傷にもつながる保護監禁拉致説得を単に批判するだけでなく、すでに「説得」し、「脱会」したが、その後親子関係がうまくいっていない、という人たちのためにも、より良い方策を見つけられたらと思う。

父兄の相談にのっておられる方々へ
 お勤めご苦労様である。
 まず、保護説得・救出カウンセリングに名を借りた拉致監禁は不合理だということに気付いてほしい。たとえば統一教会側も候補者が入会するまで帰らせない、などの強引な勧誘をしているという批判もあるが、アカの他人の勧誘と、家族・親族を動員した脱会説得では質が異なる。
 本当に統一教会が悪だから脱会させなければならないのか、一度立ち止まって考えるきっかけになったら幸いだ。


*このサイトを作るにあたり、おもに現時点では以下の書籍を参考にした。
この場を借りてお礼申し上げる。

『人さらいからの脱出』小出浩久著1995光言社
『拉致監禁百二十日』川嶋英雄著1996J_CARP

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