グッとくる斉藤和義の思い
劇作家の鴻上尚史さんは、「週刊SPA!」に「ドン・キホーテのピアス」というコラムを連載している。同誌2011年11月22日・29日合併号に掲載されたコラムのタイトルは「歌って慰安するしかない現実を前に考える」。プロテストソングとは何かを考える事例として、シンガーソングライターの斉藤和義さんの活動を取りあげている。
斉藤さんは、9月15日におこなわれた「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」に出演し、持ち歌の「ずっと好きだった」の替え歌である「ずっとウソだった」を歌った。そのときの模様がYouTubeにアップされており、鴻上さんはその動画を見た上でコラムを書いている。ちなみにプロテストソングとは、楽曲の歌詞に政治的な抗議の意味をこめたもののことである。
動画を見た鴻上さんは、「多くの観客がこの歌に歓声を上げる中、手拍子しながら泣いている女性客が何人も映ってい」て、「歌の歌詞に、涙をこらえられない人が何人もい」た状況を見て、「気がついたら僕もパソコンの前で泣いてい」たのだという。「プロテストソングが、人々を包み込み、癒す風景」をはじめて見たからである。
さらに、斉藤さんの歌が「ただ反原発というメッセージを届けるだけではなく、原発に傷つき、原発に絶望し、原発に混乱している人達を、癒し、慰め、勇気づけている」ことを指摘した上で、「まるで、宗教歌のように、絶対的な状況を前に、歌って慰安することしかできないから、人々は泣くのだろうか」と状況を分析する。
斉藤さんが7カ月前にアップした「ずっとウソだった」の動画をはじめて観たとき、差し出がましい言い方になってしまうが、シンガーソングライターとして、その場その時にやるべき自分の役割をきっちり理解している人だなぁ、と筆者は思った。他者の絶望的な状況を目の前にしたとき、自分の無力さを痛感しながらも、何かできるのではないかと思考を続け、それを実行する。
それは、簡単にできることではない。今回の原発事故で次々とあきらかになったように、電力会社は札束の力でさまざまな業界を抑え込んでいる。1988年には、RCサクセションの「COVERS」というアルバムが、反原発ソングを含むということで東芝EMIからの発売が見送られたことがあった。斉藤さんにもそうした圧力のようなものはあったであろう。それでも、原発事故を目の前にしたシンガーソングライターの役割を考え、歌をうたうことで役割を実行した。
ただし、斉藤さんの「ずっとウソだった」を聴いた人たちは、「癒された」とか「感動をもらった」「勇気をもらった」などと思ってはいけない。斉藤さんは、「癒し」や「感動」「勇気」のきっかけをつくっただけなのだから。それらは、他人からもらうものではない。「癒す」のも「感動する」のも「勇気を持つ」のも、自分である。
そのへんをはき違えると、宗教やらスピリチュアルと似たようなものになってしまい、斉藤さんだって自分の歌がそんな聴き方をされるのはまっぴらごめんであろう。
今回、取りあげた斉藤さんの動画は、YouTubeで「ずっとウソだった」と検索すればすぐに観ることができる。お時間があれば、ぜひとも斉藤さんの歌や観客の様子を観て、グッときてほしい。もちろん、「グッとくる気持ちをもらう」のではなく、グッとくるのは自分だ、という前提で。
(谷川 茂)
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