- (発行=11.11.16)
日顕は現代の「第六天の魔王」
法華講機関誌 「大白法」特集の戯言を砕く ㊤
仏法史上で類例なき首切り坊主
魂の独立から二十年――学会が邪宗門と決別したのは平成三年十一月、その前年の
平成二年に惹起した宗門事件の元凶は阿部日顕である。日顕宗は平成二年の年末に
勃発した問題の発端が、あくまでも同年十一月の池田名誉会長のスピーチにあると
誤魔化している。
法華講の機関紙「大白法」特集(平成二十三年十一月十六日付)でも、そのことを
次のように繰り返している。
「平成二年十一月十六日の創価学会本部幹部会の席上、御法主上人の説法を揶揄・中傷し、
宗門を誹謗するなど、大謗法のスピーチを行った」と難癖をつけて、宗門からの
「お尋ね」に学会が不誠実な対応だったので法規を改正して総講頭の地位を喪失
せしめたとはいえ、形式的な理由に基づく資格喪失であって、罷免処分ではなかった、
と勝手な屁理屈を述べている。
宗規を一方的に改変し、何の話し合いもなく、法華講総講頭を突如として事実上、
罷免した。これは卑劣な「闇討ち」「騙し討ち」というべきである。
この本部幹部会より四カ月前の七月十六日と十八日、日顕らは「創価学会分離作戦
(C作戦)」という学会破壊の謀議を重ねていたことが「河辺メモ」に明記されて
いるではないか。
これに加わったのは日顕をはじめとする七人の坊主で、河辺慈篤(故人)、総監の
藤本日潤(現重役)、庶務部長の早瀬義寛(現法主の日如)、大石寺主任理事の
八木信瑩(現総監の日照)、渉外部長の秋元広学、それに関快道であった。
「河辺メモ」の記述によると、
「河辺=それでは、この作戦はG(=学会)作戦だ。
猊下=それは違う、Cだよ。」
このように創価学会分離作戦名を「C作戦」と決定したのは日顕であり、遂に、
仏法史上類のない一千万信徒の破門という暴挙を断行したのであった。
和合僧を破る「破和合僧」は五逆罪の中でも最も重い大罪とされている。広宣流布
を阻む日顕らの極悪の行為は、堕地獄の因と説かれており、日顕らが無間地獄に
堕ちることは疑いない。
この年は大石寺開創七百年に当たっていて、学会が二つの優雅な建物の「総坊」を
建立寄進し、青年部の手で文化祭を開催した。
このように学会が開創七百年を最大に慶祝している最中、日顕ら坊主共は学会破壊の
策謀を巡らしていたのである。
「大白法」十六日付の特集では学会と名誉会長に対して汚い言葉で暴言を浴びせ、
学会には大慢心と邪心があったと書いているし、独立を企てていた等と邪推する向きもある。
もし、そうであれば宗門に三百五十六ケ寺もの末寺を寄進し、延べ七千万人もの
学会員が登山会に参加する筈はない。学会には慢心も独立の意図もなかった。
日顕宗の坊主共は自らの大謗法、腐敗・堕落、遊興三昧、信徒蔑視の悪しき体質を
何度、指摘されても反省するどころか、信徒団体に圧力を加える邪教団だ。
諸悪の根源は嫉妬に狂い、天魔と化した日顕である。
広宣流布を進める「和合僧」の学会を切り捨て、法華講員を三悪道に引きずり込む
ニセ法主元祖・日顕こそが現代の「第六天の魔王」なのである。(つづく)
- 創価学会構成員・自称ジャーナリスト柳原滋雄「矢野穂積裁判」で二審も敗訴!
創価学会信者で、自称ジャーナリストの柳原滋雄が、対矢野穂積裁判で二審も敗訴したらしい。
「2011/09/27(Tue)
対矢野ほづみ訴訟 高裁2回目
東村山市の矢野穂積市議会議員が小生のコラム日記の記述を名誉棄損で訴えていた裁判で27日10時、東京高裁で2回目の口頭弁論が開かれた。双方とも準備書面を提出し、弁論を終結した。2審の高裁判決は11月17日午後1時15分に言い渡されることになった。なおそれに先立ち、裁判所の職権により、和解期日(10月7日)が入れられることになった。裁判長はこのほど新しい裁判長に交代した。」
http://www.yanagiharashigeo.com/kd_diary/index.htm
発行:日蓮正宗改革同盟
葬儀編(1) 僧侶が葬儀を禁じられていた時代もある
即身成仏の法門から言えば、故人は葬儀の前に成仏
●「穢(けが)れ」である葬儀を嫌っていた古代の僧侶
鎌倉時代以前、古代仏教では、「葬儀」は「穢れ」とされており、僧は葬儀に関わって
はならないとされていた。
その当時の僧は「官僧」と呼ばれ、天皇に奉仕し、鎮護国家が主な役割であった。
その故に、官僧たちは「穢れ」である葬儀に関わらなかったのである。しかも、もし、
葬儀に関わった場合は、法会の出仕を三十日間、禁止されたのだ。
●葬儀に従事して信徒を獲得した真言律宗
このような時代背景の中で、叡尊(一二〇一~一二九〇)を中心とした律僧の教団は、
積極的に葬送に関わり、真言を唱えて成仏を保証し、多くの信徒を獲得した。
十四世紀頃には十万人を越えていたとされる。
ただ、当初は律僧が直接、葬送に関わったわけではない。律僧教団は「斎戒衆」という
組織を作り、彼らに葬送を担当させていた。
この「斎戒衆」というのは、在家でありながら戒を受けた者で、在家と出家の中間に
位置する存在であった。
この「斎戒衆」が官僧の代わりに、穢れとして忌避されていた葬送にかかわったのである。
●葬送に従事し始めた念仏僧や禅僧たち
いわゆる鎌倉新仏教運動の中で積極的に葬送に従事したのが、念仏僧と禅僧であった。
法然は「極楽往生」を説き、念仏僧たちは「往生人に死穢なし」と念仏をすすめて、
葬送に従事した。
また、禅宗は中国の禅宗の規範が書かれている『禅苑清規』を日本に伝えたが、その中に
僧侶の葬儀規定がある。そこには、沐浴後の悌頭、死者を桶の中に座らせ、棺に入れる
こと、念誦、誦戒、三日後の火葬などが定められている。
禅宗はそれを在家者に転用し、葬送儀礼を作りあげた。
このように、律、念仏、禅宗が組織的に葬送に取り組んで信者を獲得していき、室町時代
に仏式の葬儀が増えていった。
それが、やがて「檀家制度」により、葬送儀礼が供養収奪の手段として固定化されたのである。
●「一生成仏」「即身成仏」の法門から言えば、故人は亡くなるまえに成仏している。
そもそも、葬送儀礼で成仏が決まるという主張そのものが大聖人の教えに反している。
日蓮大聖人は、「いきてをはしき時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり。
即身成仏と申す大事の法門これなり」(「上野殿後家尼御返事」) と仰せである。
成仏とは、臨終や死後のことを指すのではなく、現世だけでなく来世においても崩れる
ことのない絶対的な幸福境界を築くことである。
かつては、日蓮正宗でもそのように教えていたはずである。
創価学会員の葬儀に行けば、誰でも分かることであるが、葬儀が行われる前に、故人は
安らかな相で即身成仏の姿を現じている。
日寛上人の「臨終用心抄」によれば、大切なことは臨終の前の心構えであり、臨終の直後
に唱題を聞かせることである。
そういう意味では、最後まで激励してくれる同志がいること、亡くなった後に追善の題目
を唱えてくれる同志がいることは、本当に素晴らしいことである。
葬儀の意味をあらためて考えると、遺族の故人に対する思いを形に顕わすためのもので
あり、知人・友人が故人を追悼する場であろう。
創価学会の友人葬の意義もそこにあると言える。(続く)
- >>33744
>>そうではない筈だ。富士宮ボーイともあろうサイトが、
>>そんな低俗な存在とは到底思えない。
>>
>>けれど、○○○氏のような人物が威張っているようでは、
>>富士宮掲示板には、まともな人は立ち入らないだろう。
>>
>>(2010年4月5日、菊川ブログ「富士宮ボーイとは」から抜粋)
>>
マグマグ殿、菊川広幸さんが強調したいのはおそらく三つ
平凡な学会員・ブログは正当な弘教行動(発言)・批判は謗法
私は自分から「平凡です」と連呼している人や「勝利です」と多用している人は
後ろめたさのようなものを感じます。
平凡な学会員とは曖昧な表現ですが、都内勤務とはいえ出勤前に学会本部周辺を徘徊する人が
およそ「平凡」とはおもえないのです。
平凡とは「特色もなくごく当たり前のこと」と辞書にはあります。
むしろ非凡な行動を、自分から下げる事によって慇懃さを強調している節が多々あります。
仏法に説かれる「慢」の中に、謙遜をよそおって我より極めて優れている者を我に近づける
「卑慢」というたてわけがあります。
すぐに自分が手に入れた物品や、「頂き物」そのものをブログのネタにするのですから
どちらかといえば軽率だとおもいます。
某氏の自讃傾向とによく似ています。
菊川さんの奥さんは旦那の自慢癖を見抜いておられるようですが、当人はなぜだか理解できない
ために「男にしか分からない」とクサしています。
さて「蟹の足」の件であらためて調べてみましたら、こんな故事があるそうです。
「仙法に曰く、漆中に投じれば化して水と為る。之を服すれば長生す。」(字彙申~)
字彙とは漢字辞書のようなものらしいですね。 その「蟹」の部分の説明ではないでしょうか。
- 日蓮正宗から離脱し、独自の布教をおこなっていた
日蓮富士門流札幌談所 鳥本雄行(南無妙庵の主催者)が放火容疑で逮捕されました。
元創価学会員で日蓮正宗妙相寺門徒であった某T氏が最近帰依した保田妙本寺系の有名人。
これが曼荼羅の真贋を主張する不届き者の悩乱の現罰と認識されればよいのですが
一部熱狂的な日蓮正宗門徒は自己正当性のプロパガンダに利用するものと思われます。
(参照ニュースソース)
※道警逮捕 連続不審火関与か
札幌市手稲区の市営住宅で駐車中のワゴン車に放火したとして、札幌手稲署は16日、この住宅に住む僧侶鳥本雄行容疑者(49)(同区曙11の1)を建造物等以外放火の疑いで逮捕した。鳥本容疑者は団地のエレベーターや玄関ドアなどを焼いた3件の不審火について、同日までの同署の任意の調べでは関与をほのめかしており、同署が裏付けを進めている。
道警幹部によると、鳥本容疑者は今年5月、市営住宅の屋外駐車場に止めてあったワゴン車に火をつけた疑いが持たれている。
鳥本容疑者は16日、同署に任意同行を求められて自宅を出た際、報道陣に対し、「団地のみんなに迷惑をかけたことは土下座して謝らなければならない」と話した。「放火を認めるんですか」と問われると、帽子を取り「警察に正直に話し、1人の人間として、お坊さんとして、自分のしたことを償って参ります」と頭を深々と下げ、捜査車両に乗り込んだ。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20111117-OYT8T00010.htm
- >>33745
>>
>>発行:日蓮正宗改革同盟
>>
>>勤行編(2) 戦時中に改変された観念文
>>創価学会出現以前、末寺は方便・自我偈の勤行
>>
>>●昔は末寺も方便・自我偈の勤行だった
>>
>> 渡辺慈済住職や大橋正淳住職の証言によると、昭和初期、創価学会が誕生する前
>>までは、末寺では朝の勤行しかしていなく、しかも、五座ではなく、方便自我偈で
>>すましていたとのことである。
脱落僧の証言なんて、誰が信用するの?
しかも、この証言を真に受けると「歓喜寮」御住職・掘米泰栄御尊師(65世日淳上人)も「五座ではなく、方便自我偈ですましていた」ということになるが、それって、あまりにも御先師を冒涜してないか。
>> また、創価学会が出来る前は、信徒は勤行をしていなかったが、学会員が五座、
>>三座の勤行をするようになったので、末寺もするようになったというのである。
>>五座・三座の勤行はあくまでも本山の化儀だったということだ。
牧口氏が日蓮正宗に入信できたのは法華講員・三谷素啓氏の折伏によるのだが、三谷素啓氏も勤行していなかった、というのかな。
勤行もしていない人に教化される牧口氏はどんな人だったというのか。
>>●信徒が勤行をするのを知って驚いていた宗門の僧侶たち
>>
>> また、渡辺慈済住職は次のように証言している。
>>「学会が出来る前は、信徒は勤行も折伏もしていなかった。ところが、牧口先生が
>>創価学会を作り、勤行、折伏、御書の勉強まで始めた。宗門の僧侶たちは驚き、
>>〃自分たちで勤行したり、法門を勉強する変な講ができた〃とか、〃そんな講が
>>大きくなると困る。自分たちの仕事が無くなる〃と悪口を言っていた」
三谷氏が直達講の講頭を務め折伏逆化に精進されていたことは知らないのかな?
三谷氏が亡くなられてから誰も牧口氏を次期講頭に推そうとはしなかった。
持論の価値論に仏法を採り入れる信仰の不純さに呆れられていたかも。
>> すなわち、〃信徒が勤行し、御書を勉強すると自分たちの仕事がなくなる、供養が
>>入らなくなる〃という僧侶の信徒に対する嫉妬こそが、宗門事件の本質である。
日亨上人・日昇上人・日淳上人・日達上人が聞かれたら驚かれるんじゃないかしら。
ちなみに、竹尾清澄氏の畑毛日記には
現在ではどうであるか。私の記憶する限りでは、日正上人は勿論日柱上人まで丑寅の勤行では方便品の長行を読誦されていた。それが何時とはなしに十如だけになった。そしてそれを亨尊からだとする向があり、中には「ご隠尊のお陰で助かりますよ」と面と向かってお礼を云う人まで出た。しかし、事実無根のことで、亨尊は怠慢なく長行を読誦なされたので、「悪いことは皆私のことにしてしまう」と怒っておられた。
とある。
こんな厳格な環境の中で創価学会問題なんぞ、誰もおこしはしない。創価学会自らが持ち込んだものである。
>>●戦時中に宗門が改変した観念文には、歴代もなく、南無は大聖人にしかついていない
>>
>>宗門は昭和十六年八月二十二日付に「御観念文制定ニ関スル件」と 題する「院達」
>>(院二一七六号)を出した。そこには 「御観念文ハ従来種々ノ様式アリタルモ今回
>>別記ノ如ク制定候條御了知ノ上所属檀徒ニ徹底普及方御配慮相成度候也」とある。
>>以下、その時に制定された観念文である。
>>
>>(初座)「謹ミテ皇祖天照大神皇宗神武天皇肇国以来御代々ノ鴻恩ヲ謝シ併セテ
>>皇国守護ノ日月天等ノ諸神ニ法味ヲ捧ゲ奉ル希クハ哀愍納受ヲ垂レ給ヘ」
>>
>>(二座)「現当一切救護・妙法ノ曼荼羅・本門戒壇ノ大御本尊、御報恩謝徳供養ノ御為ニ」
>>
>>(三座)「久遠元初・内証本仏・南無日蓮大聖人、大慈大悲・御報恩謝徳供養ノ御為ニ
>> 血脈付法ノ大導師・御開山日興上人、御報恩謝徳供養ノ御為ニ
>> 第三祖閻浮の御座主・新田卿阿闍梨日目上人、御報恩謝徳供養ノ御為ニ」
>>(四座)「奉祈念我等弘法ノ誠意九天ニ達シ、一天四海広宣流布・天長地久・官民一致・
>>国威増輝ノ為ニ。某過去遠々劫現在万々之謗法罪障消滅、現当二世大願成就之」
>> (五座)「日本国中当門信仰ノ面々・内得信仰ノ面々・各先祖代々之精霊、追善供養
>>菩提ノ為ニ。某先祖代々の精霊、追善供養ノ為ニ。乃至法界平等利益自他倶安同帰寂光。」
>> 宗門は創価学会が観念文から日目上人以降の歴代を削除したことや、僧宝である
>>日興上人に「南無」がついていないと、難癖をつけている。
>> しかし、この昭和十六年に宗門が制定した観念文では大聖人へ御報恩謝徳は三座
>>にあり、日興上人には「南無」がついていない。そして日目上人以降の歴代法主の名もない。
肝心なところを見落としてますね。
三座の最初には「仏宝・僧宝拝」と記されているけど、気がつかなかったの?
>> しかも、初座では梵天帝釈を削除し、「皇祖天照大神皇宗神武天皇肇国以来御代々ノ
>>鴻恩ヲ謝シ」とある。これは、宗門が軍部に迎合した動かぬ証拠である。
化儀が化導の儀式であれば、時代情況と衆生の機根に合わせて表現を変えることがあっても中心はぶれていないから余計なお世話というものである。
しかし、もしこれ以上いちゃもんを付けたかったら、牧口氏の言葉があっても良かったんじゃない?
現実に残されていないところを見ると、牧口氏も異論はなかったということですね。
>>更に「院達」には、二座も長行なしの方便品と自我偈でもよく、二座と三座、また四座と
>>五座を併せて、各一座として行ってもいいと書かれている。
>>宗門の主張は常に僧俗差別の感情から生まれている。〃信徒の分際で観念文を変えた〃と
>>いうのが彼らの本音である。その姿こそ、道門・僣聖増上慢である。
>>(終わり)
創価学会が出て行ってから僧俗一致で広宣流布に邁進しておる。
その後生を愍れむものの、宗門のためには創価学会破門は正しかったよね。
日蓮正宗の御法主上人を罵倒したり、御僧侶を罵り、あげくに吊し上げをするような団体だからね。
吊し上げにあった僧侶の数人は創価学会の暴行に怒りの矛を収められず、日蓮正宗から罷免となり、自称正信会と称しているけど、発端は創価学会問題だったから。それを忘れないように。
- ※配偶者控除、廃止見送りへ=12年度税制改正-政府税調
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco&k=2011111600959&j4
マニフェストの目玉の一つである「こども手当」の公約が履行不可能になった以上
交換条件であった「配偶者控除の廃止」は意味消失しているのではないか。
いつまでたっても制度設計すらできず、児童手当の仕組みを使わざるを得ない状況で
「こども手当」の看板名すげ替えに固執するだけならともかく、制度的に子育て支援
が確立しないまま控除の廃止カードを握り続ける理由がどこにあるというのか。
昨日の参議院予算委員会での山本香苗議員のTPPの質問に対しても、答えられずに
なんら策も考えていない状況を露呈してしまったり、
日本の原発の安全性を再検証するために、菅直人が始めたはずの「ストレステスト」
の結果を精査するルールも手順も機関もハッキリしない状況であったり、※1
中身のない「方針」をすすめる事だけを優先し、現場を混乱させ迷惑をかける手法は
鳩山・管だけでなく野田も同じ体質を継承しているらしい。
国民に見捨てられかけている民主党政権が存続するかぎり、世界は真面目に相手を
しないだろう。
さらに言えば態度が曖昧なままで交渉を始めてしまえば、不利益を被る可能性が
とても大きい。
すでにAPECではアメリカの思惑に振り回されている感がいなめない。※2
諸外国の前ではリップサービス、国内ではマスコミの取材も避ける
野田政権は日本を窮地に追いやり、ますます国益を削いでいくで事でしょう。
(参考リンク)
※1: ストレステスト 批判が相次ぐ
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111114/t10013951391000.html
※2: 訂正要求を米が拒否 野田首相「すべての品目自由化交渉対象」発言
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111116/plc11111613060005-n1.htm
- 黒川和雄さんの低劣かつ不謹慎な表現に法華講員さんも困っているようです。
無認可団体有志の会もおしまいですね。
http://fujimonryu.blog40.fc2.com/blog-entry-156.html
発行:日蓮正宗改革同盟
勤行編(2) 戦時中に改変された観念文
創価学会出現以前、末寺は方便・自我偈の勤行
●昔は末寺も方便・自我偈の勤行だった
渡辺慈済住職や大橋正淳住職の証言によると、昭和初期、創価学会が誕生する前
までは、末寺では朝の勤行しかしていなく、しかも、五座ではなく、方便自我偈で
すましていたとのことである。
また、創価学会が出来る前は、信徒は勤行をしていなかったが、学会員が五座、
三座の勤行をするようになったので、末寺もするようになったというのである。
五座・三座の勤行はあくまでも本山の化儀だったということだ。
●信徒が勤行をするのを知って驚いていた宗門の僧侶たち
また、渡辺慈済住職は次のように証言している。
「学会が出来る前は、信徒は勤行も折伏もしていなかった。ところが、牧口先生が
創価学会を作り、勤行、折伏、御書の勉強まで始めた。宗門の僧侶たちは驚き、
〃自分たちで勤行したり、法門を勉強する変な講ができた〃とか、〃そんな講が
大きくなると困る。自分たちの仕事が無くなる〃と悪口を言っていた」
すなわち、〃信徒が勤行し、御書を勉強すると自分たちの仕事がなくなる、供養が
入らなくなる〃という僧侶の信徒に対する嫉妬こそが、宗門事件の本質である。
●戦時中に宗門が改変した観念文には、歴代もなく、南無は大聖人にしかついていない
宗門は昭和十六年八月二十二日付に「御観念文制定ニ関スル件」と 題する「院達」
(院二一七六号)を出した。そこには 「御観念文ハ従来種々ノ様式アリタルモ今回
別記ノ如ク制定候條御了知ノ上所属檀徒ニ徹底普及方御配慮相成度候也」とある。
以下、その時に制定された観念文である。
(初座)「謹ミテ皇祖天照大神皇宗神武天皇肇国以来御代々ノ鴻恩ヲ謝シ併セテ
皇国守護ノ日月天等ノ諸神ニ法味ヲ捧ゲ奉ル希クハ哀愍納受ヲ垂レ給ヘ」
(二座)「現当一切救護・妙法ノ曼荼羅・本門戒壇ノ大御本尊、御報恩謝徳供養ノ御為ニ」
(三座)「久遠元初・内証本仏・南無日蓮大聖人、大慈大悲・御報恩謝徳供養ノ御為ニ
血脈付法ノ大導師・御開山日興上人、御報恩謝徳供養ノ御為ニ
第三祖閻浮の御座主・新田卿阿闍梨日目上人、御報恩謝徳供養ノ御為ニ」
(四座)「奉祈念我等弘法ノ誠意九天ニ達シ、一天四海広宣流布・天長地久・官民一致・
国威増輝ノ為ニ。某過去遠々劫現在万々之謗法罪障消滅、現当二世大願成就之」
(五座)「日本国中当門信仰ノ面々・内得信仰ノ面々・各先祖代々之精霊、追善供養
菩提ノ為ニ。某先祖代々の精霊、追善供養ノ為ニ。乃至法界平等利益自他倶安同帰寂光。」
宗門は創価学会が観念文から日目上人以降の歴代を削除したことや、僧宝である
日興上人に「南無」がついていないと、難癖をつけている。
しかし、この昭和十六年に宗門が制定した観念文では大聖人へ御報恩謝徳は三座
にあり、日興上人には「南無」がついていない。そして日目上人以降の歴代法主の名もない。
しかも、初座では梵天帝釈を削除し、「皇祖天照大神皇宗神武天皇肇国以来御代々ノ
鴻恩ヲ謝シ」とある。これは、宗門が軍部に迎合した動かぬ証拠である。
更に「院達」には、二座も長行なしの方便品と自我偈でもよく、二座と三座、また四座と
五座を併せて、各一座として行ってもいいと書かれている。
宗門の主張は常に僧俗差別の感情から生まれている。〃信徒の分際で観念文を変えた〃と
いうのが彼らの本音である。その姿こそ、道門・僣聖増上慢である。
(終わり)
――さて、富士宮ボーイとは何であろうか?
平凡な創価系ブログ゙の所有者、
あるいは善良な○板のような掲示板を馬鹿にし、
批判するためのサイトなのであろうか?
そうではない筈だ。富士宮ボーイともあろうサイトが、
そんな低俗な存在とは到底思えない。
けれど、○○○氏のような人物が威張っているようでは、
富士宮掲示板には、まともな人は立ち入らないだろう。
「謗法あらば必ず地獄にをつべし
・うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し
・毒気深入・失本心故は是なり」(御書1056頁)
の御文を、よくよくお考え頂きたい――。
(2010年4月5日、菊川ブログ「富士宮ボーイとは」から抜粋)
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講評:
①平凡なブログの「所有者」(意味不明)が批判されるでしょうか?
②また、他の人の板を引き合いに出して書くのも如何でしょう?
③人を批判する ←←← 低俗!と断定する根拠は何でしょう?理由は?
④「まともな人」(意味不明)で・な・い・人・に喧嘩を売っているのでしょうか?
⑤あなたご自身もよくよくお考えの上で、御書を引用して頂きたいものです。
マグマグo(*^▽^*)o~♪
(誤)蟹の足一匹 (正)蟹の足一つ
―――熱原伝承:eco様へのご参考。
熱原法難は1279年(弘安二)。
山寺創建は1290年(正応三)で、大坊、六壷が建てられる。
興尊「本尊分与帳」は1298年(永仁六)の作。
日時が御影像を造立したのは1388年(伝、元中五)。
有師が宝蔵を校倉造りに造営し、客殿を建てたのが1465年(寛正六)。
日鎮が御影堂、総門を建てたのが1522年(大永二)。
(仮説1)
現在、山寺に残る「烈士供養塔」(碑に非ず)が、
御影堂とセットで建てられたのであれば、
法難から約240年、山寺創建から約230年、
興尊の顕彰(分与帳記載内容)から約220年、
ずーっと放っておかれたことになる、笑。
勿論、日鎮の堂宇建立以前に、
境内のどこかに「供養塔」があったことも考えられはする。
が、まったく定かでない。
(仮説2)
信者古老の証言(伝承伝聞)もある。
――冤罪ながら、罪人として斬首された烈士たち。
山寺は公儀をはばかり、供養塔を境内裏にずーっと放置していた。
1972年(昭和四十七)正本堂建立と同時に、
烈士たちの塔は伽藍中軸の最前、大本堂御前に位置することとなり、
世界各国からの参詣者から敬慕され、顕彰されるところとなった。
こう考えると、約690年の間、ずーっと放っておかれたことになる、笑。
ああ、これとまったく関係ないが(笑)、
日中国交正常化(1972年・昭和四十七)から来年で四十周年、笑。
全世界八百万信徒の赤誠の証、正本堂落成から満四十年となるわけだ。
(仮説3)
山寺には「三師塔」(蓮、興、目三師)が3セット存在する。
が、残っている最古のものでも1685年(貞享二)の建立。
ところで、上にある通り、それよりも約160年前、
日鎮が御影堂を建てたのが1522年(大永二)だが、
寺伝では、1569年(永禄十二)に諸堂が兵火に遭遇したらしい。
で、天正年間(1573年~1592年)の古図には本堂、御影堂が示されている。
また更に、1632年(寛永九)に再建されたとも伝えている。
木造建築ならば戦役、火災や地震などで損壊することはあって当然。
が、日鎮から寛永の御影堂(魔僧日精建立)に至る約110年間で、
事情はともあれ、少なく見積もっても、普請が三回あったようだ。
また不思議なことに、堂内に祀る「御影像」自体は、
1388年(上掲)の遥か昔に造られたことになっている。
つまり、造立後約130年間、蔵かどこかで安全に保管されていた像は、
専用の堂宇に祀られた後、100年で少なくとも二回の「火災」に遭う。
余談ながら、建物が損壊しても、御影像は無事だったのだろうか。
ともかくも、要するに、
「石=供養塔」より形が残りにくい「木造建築」は
壊れたのち(焼けたのち)、何度も建て直している。
が、形が残りやすい「石=供養塔」で、最古のものでも
江戸中期にまでしかさかのぼれないのは、どう言うことか。
「烈士供養塔」は、それ以前(1685年以前)に、なかったのか。
それとも、石も壊れるたびに「新しくやり直した」とか。
が、寺伝にそんな話しは見られない。そんなものなのだろうか。
この寺の「烈士の存在感」、「顕彰の仕方」なんて、笑。
=== 業務連絡 ==================
天城先輩!
ご無沙汰申し上げております。ご活躍、いつも拝見しております。
阿部日先輩!
私は、彼のかつての表現「等身大の信心」(趣意)と、
今回の――信心を人並みに実践するようになれば(ママ、菊川氏)――が、
二重写しに見えて、この人、いつも本当に表現がおかしいなぁ、と感じました。
(↑ちゃんとした学会員なのでしょうか?笑。。。)
「蟹の足一匹」は阿部日様の仰せの通りです。
彼のはチン解釈です。厳しく言えば、独りよがりの御書の読み方、でしょう。
学会指導を真剣に聴いていない証拠だと、私は思いますです、ハイ、笑。
マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 御書に関する事をなぜか削除予定にされている菊川広幸(偽名)さんの記事の中に
以下のような記述がありました。
※かの有名な「法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし・
うるし千ばいに蟹(かに)の足一つ入れたらんが如し・毒気深入・失本心故は是なり」
(1056頁)の御書。
謗法を受け入れていくうちに、謗法の毒が深く入り込み本心を失う。
本心を失えば地獄です。信心を人並みに実践するようになれば、このことは鮮明に感じますね。
http://megalodon.jp/2011-1112-2327-06/sokanomori.exblog.jp/17086535/
私はこの表記には違和感があります。
「謗法を受け入れていく」のではなくて、信心をしていても謗法があればすべてが台無しに
なるという意味だとおもうのです。
天然の樹脂塗料である「漆」は一本の「うるし」の木に傷をつけて一度に得られる量は
わずかです。
(参考リンク)
http://www.cnet-kiso.ne.jp/n/nishichikiriya/urusi-kaki.html
「千杯のうるし」 というのは貴重かつ手間暇がかかっているという比喩であり正法を
指していると思います。
そして蟹の足というのは、うるしかぶれを直す古来からの方法なのだそうです。
(蟹の汁という説も)
聖教新聞にも'95年池田先生福島来県の折にこの話題に触れられた部分が。
※川宮は、福島研修道場で名誉会長と再会する(95年6月)。
来場者を歓迎するための特設コーナーが並び、会津塗のブースには伝統工芸師になった
川宮がいた。
6月19日、ブースに立ち寄った池田名誉会長から質問された。
「御書に『うるし(漆)干ばいに蟹の足一つ』と仰せですけど、あれは本当ですか?」
「はい。漆でかぶれた皮膚に沢ガニの汁を塗ると治ります。漆は蟹ですぐにダメにな
ります。ですから本当です」
「そうか、大聖人はウソを仰しゃらない。何でもご存知なんだ」
この御文は、いかに信心を貫こうとも、正法に背けば水泡に帰す譬えである。
新 あの日あの時 13 (2009.8.24付 聖教新聞)
////////////////////////////
菊川さんが主張されているような 「他の仏や他宗の指導者を師とするなら」という前提
ではありません。
「法華経を保っていても、謗法を責めなければ、成仏はありえない」 という与同罪を
戒めた御金言ではないでしょうか。
- 脅かし口調でなくとも、
(1)「Aのままだと、Bになりますよ」
という丁寧な言い方の脅迫論証もあります。
となると・・
※ニセ本尊があるだけで、あなたの不幸は増すと断言できる
※、「ニセ本尊」は仏法破壊の大罪として、必ず現罰をこうむるのです。
※「ニセ本尊」には、仏法に敵対する魔の力があり、これを拝むと魔の通力に
よって現罰を受け、その謗法の罪によって永く地獄に堕ちる結果となります
(すべて法華講員のブログから~)
なるほど”丁寧”な脅・迫・論・証だったのですね(大笑)
他にもたくさんあるようですが日蓮正宗が発行したマニュアルが元になっています。
なるほど脅迫論証をすり込んでいるという事でしょうか。
蛍さんの論旨には相手を下す為の「意義付け」がしょっちゅうでてきますが
本来の意義にそぐわない基準ができるので興味深いですね。
(例)法定速度を超えて車両を運転すると警察に捕まりますよ
(例)人権侵害があったときは法務省に相談してみましょう。
これは事実ですよね。脅迫ですか威嚇ですか?
いずれにしても相手が「脅え」ないと意味がありませんが、蛍さんは私とのやりとりで
脅えたという事になるのでしょう。 何度も言いますが本意ではありません。
ちなみに裁判で「地獄におちるぞ」という文言はそれだけでは刑法の「脅迫罪」にあたら
ならなかったような記憶が。
(地獄を信じていない人には脅しにならないから・・地獄を証明できないからだっけか)
日蓮正宗門徒さんご安心を。
ただ、度を過ぎると複合的に威圧行為と認められる場合もあるようなのでホドホドに。
また祈祷をする名目でカネだけ取って遊んでいると「詐欺」で立件されることもあります。
※「阿闍梨さんに祈祷してもらう」と寺の女性から300万円詐取 自称尼僧を逮捕
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110519/crm11051911580014-n1.htm
発行:日蓮正宗改革同盟
勤行編(1) 松野殿は「方便品・自我偈」の勤行
14世紀、大石寺の僧侶は1日3回の勤行
●御書に出てくる方便・自我偈の勤行
宗門は創価学会が勤行様式を変えたことを非難しているが、大聖人自ら御書の中
で、松野殿が方便・自我偈の勤行をしていたことを書かれている。
「御文に云く此の経を持ち申して後退転なく十如是自我偈を読み奉り題目を唱へ申し
候なり」(「松野殿御返事」)
この「十如是」とは方便品の十如是までのことである。そのあとには、長行が続いて
おり、実は方便品は寿量品より長い。昔は、方便品の長行を読んでいたことがある。
御書に出てくる、創価学会の勤行を非難することは、大聖人を批判することになる
ことを知るべきだ。
●五座三座の勤行は十七世紀から
以下、勤行の変遷を、資料をもとに見てみる。
◆十四世紀、大石寺(歴全1、連陽房雑雑聞書)
「一日三時の御勤の事、
朝は辰己の時(8時)、午の時、戌の時(8時)
これをよくよく心得て三時の勤行を致すべきなり」
「今当宗の御勤は日月自行(日目日行)の御勤めなり、
これ尤も宗旨の勤めなる間これを本とするなり、
(一)朝天 十如是、寿量品
(二)本尊 方便品の長行、寿量品
(三)御影 十如是、寿量品」
*御影堂にいかず坊でやる時、(三)を除く
◆十六世紀、大石寺(歴全1、堂参御経次第)大永三年五月
一日夜
本堂へ十如是寿量品一巻、題目百返
天御経へ十如是寿量品一巻、題目百返
御影堂へ十如是寿量品一巻、題目百返
又其後、寿量品三巻、題目三百返
二日朝
御影堂にて、十如是寿量品三巻、題目三百返
天御経へ参りて、十如是寿量品一巻、題目百返
大堂へ参りて、十如是寿量品一巻、題目百返
御影堂へ参りて、十如是寿量品一巻、題目百返
◆十七世紀(日精法主の時代)
客殿、一か所で丑寅五座を行う(日達法主の話、昭和四十六年)
◆十八世紀、大石寺(日寛上人/歴全8、報福原式治状)
当山行事の次第、
一、丑寅
初座(諸天) 十如是寿量品
二座(本尊) 十如世雄寿量
三座(代々) 十如是寿量品
四座(祈祷) 十如是寿量品
五座(回向) 十如是寿量品
一、黄昏
初座(本尊) 十如是寿量品
二座(代々) 十如是寿量品
三座(回向) 自我偈三巻
◆昭和初期、大石寺(興門宗致則 日亨篇)
一、朝勤
初座(諸天)東天三唱三拝
二座(法本尊)十如是寿量品
三座(人本尊)十如是寿量品
四座(広布祈祷)十如是寿量品
五座(法界回向)十如是寿量品
一、夕勤
初座四座を除く
●「座」は場所のことで移動しながら勤行していた
この資料から分かるように、本山での勤行は一日三回、三座から始まり、四座、
五座と増えていった。
また「座」とは場所のことを指し、本山内を移動しながら勤行していたのである。
常に宗門は歴史を隠して、信徒を騙そうとする。(続く)
- >>33732
「創聖健康保険組合診療所」を知らなかった馬鹿ww
御前の地方なら「池講」の中にもあるぞ?
陛下は「風邪」で「東大付属病院」に入院中。
先生は三流週刊誌の言うとおりなら「健保診療所」なんかに居られる訳ないだろう?
法華講並みの思考能力だな?
- >>33734
>>※リアルで会ってくれるの?
>>
>>いちいち越境しなくてもそちらには優秀な方がおられますので
>>いずれ、あいまみえることもあるのではないでしょうか?
>>焦る必要はありませんよ。
>>バリ活法華講員は少ないですから。
>>貴殿はあまり若くありませんね。
そう言えば、俺のところに脱講運動でおいでになった
創価学会員
近所の拠点になっていたが夜逃げしてしまったな
競売物件物色中にそやつの家を発見、
大きな大きな三色の旗が部屋に飾ってて
せまいゴミ屋敷に不釣合いな、大きな新しいコピー機
いつでもおいでくださいませ
それより人にまかせてないで
あなたから呼んでくれたら
いつでも無理やりでも時間を作ってお邪魔させてもらいますよ
仕事で滋賀にもよく行くんでな
リアルでゆっくりお話しましょうね♪
- >>33730
>>
>>脅迫論証というのは、有利な答えを引き出すための「取引」だと承知していますが
>>(例: Aをしないか さもないと Bをするぞ)
>>「権利侵害があった場合、関連のお役所に通告する事でなにがしかの処断がおこなわれる」の
>>どこが脅迫論証なのでしょう(笑)
脅かし口調でなくとも、
(1)「Aのままだと、Bになりますよ」
という丁寧な言い方の脅迫論証もあります。
(2)「Aであることは“許されない”」
これも“何故許されないのか”の明確な根拠を示さぬ場合、嘘かホントか分からぬ規則を盾にした脅迫論証になります。
阿部日さんのはこの1と2を足したような手口ですね。
阿部日さんは、五階論争での敗北を糊塗するため、負けを決定付けた証拠画像を悪者扱いすることで、劣勢を相殺し、攻勢に転じようとしたのでしょう。法務局に問い合わせて得た「返答」というのは阿部日作文(捏造)の疑いが濃厚ですが、違法性が濃厚であるかのような「返答」を示し、次いで「通告による処断」が不可避であるかのような文脈を経て、「創価学会に通知しておきましょう」などと仄めかす。さらにタイトルで「やばいみたいですよ」と違法性がほぼ確定であるかのように印象操作する。完全に外圧頼りのレトリックであり、論理構造としては立派な脅迫論証です。
昔、小学生がよく「言うーたーろー、言うーたーろー、セーンセーに言うーたーろー」と囃し立ててましたが、これと同レベルです。
でも、おかげでいろんな役所とお話する機会が得られ、勉強になりました。
- 『宗報』(第19号:昭和23年5月号)掲載
「客殿建立と焼失した信心建立」の一部抜粋
「日本敗戦は正に我が宗門の敗戦であつた。今を去る昭和廿年大客殿大書院六壷の焼失は、我等僧俗の懈怠誘法罪たる事は遺憾ながら諸賢と共に確認せざるを得ないのである。
敗戰常時を今茲に回顧して見れば、宗祖の御訓戒に悉く背き、國家諫暁の重責を果したとは言へない。
軍の農耕隊の一團は客殿書院を占領し、我が清淨なる大道場を踏みちらし、殊に焼失の前日悪鬼の住家たる大麻の社殿を書院に祭りこんだ事は、農耕隊錬成團の仕業とは云へ、開山日興上人以来未だ見ざる一大汚点である。
今茲に述べる迄もなく『謗法を見て呵折し駈遺せずんば是佛法の怨なるべし』の宗祖の御訓戒は僧俗一同の身骨に徹してゐると思ふ『臆病にては叶ふべからず』の御訓戒を、正法護持にも折伏にも無視するやうな事になれば信心の燒失、懈怠謗法となりて客殿書院の大伽藍も亦、一朝の夢として消える事を覺悟しなければならないのである。(以下略)」
注目すべきは、大麻(伊勢神宮の神札)を祭った翌日に、客殿、書院、六壺を焼却し、時の貫首・鈴木日恭は焼死した事実である。
日蓮大聖人曰く
「其の時賢人ありて云く七難の大火と申す事は聖人のさり王の福の尽くる時をこり候なり、然るに此の大火・万民をば・やくといえとも内裏には火ちかづくことなし、知んぬ王のとが・にはあらず万民の失なりされば万民の家を王舎と号せば火神・名にをそれてやくべからずと申せしかば、さるへんもとて王舎城とぞなづけられしかば・それより火災とどまりぬ、されば大果報の人をば大火はやかざるなり」(王舎城事)
日顕宗が主張する様に、当時の日蓮正宗の執行部の対応が正当であるならば、大聖人の上記御金言はウソになる。
上記記事が日蓮正宗の公式文書である「宗報」に掲載された意味は、この当時僧俗の多くが「懈怠誘法罪」と認識していたのである。
- ※リアルで会ってくれるの?
いちいち越境しなくてもそちらには優秀な方がおられますので
いずれ、あいまみえることもあるのではないでしょうか?
焦る必要はありませんよ。
バリ活法華講員は少ないですから。
貴殿はあまり若くありませんね。
- >>33726
>>osk3 ってイオネットの地域別をさすんですってね。
>>
>>http://www8.atwiki.jp/remotehost/pages/34.html
そうですよ~
去年地方部全体が折伏誓願達成した地方です
最近、某組織のバリさんが2人も殺した地域です
それがどうしたの?
リアルで会ってくれるの?
週刊誌の記事については、私は、かなり事実に近いと思っております。
また、写真は、合成写真だと思っております。
そして、ここ数日で、先生は、劇的に回復されたのだと思っております。
いずれにしましても、先生の御健康は、祈り続けなければならないということです。
まだまだ、本幹にご出席されるような体調ではないということでしょう。
ここまで来たら、シナリオがあるということです。
弟子が、成し遂げなければならないことがあるということです。師弟一体で!
最高幹部に巣くう、極悪を打ち倒さなければならないということです。
- >>33627
>>浅学ですが法難とは
>>元信徒から「カネをボッタくられた」と抗議行動をされる事ではなく
>>国家権力が罪なき人を陥れる事につきるでしょう。
>>--------以下略----------------
あつはらの出来事も含め
「自分の出来事」・・・として捉える。・・のではなく
「他人の出来事」・・・として捉えてしまう。・・から
そういう回答になってしまうのかなぁ・・・
実はNo.33626の記事は 鎌倉時代に生きていた場合の視点で書いた内容だったので
かなり乱暴な比喩に映ってしまったようです。
因みに「あつはら法難」の全容が ある程度まで解明され 大きく宣伝されたのは
堀日亨上人の代に入った近代に入ってからで
それまでは「あまり知られていない内容だった」と記憶しております。
また「あつはら」の場合 農地の稲刈を地頭が
「許可したか?」「許可しなかったか?」が 実際の罪状だったと記憶しています。
沖浦さんじゃないですが 仮に鎌倉時代に新聞なりラジオがあった場合
あるいは 今のような行政機構があった場合、
幕府も放送局を利用するでしょうから「日蓮信者」は
間違いなく破防法の適用者 暴力団排除条例の対象(つまり社会的な抹殺)などが行われ
菊川さんご自慢の太陽光発電所も資産凍結など行われ「差し押さえ」られるでしょう
従って これは私でも構わないのですが
あべひ氏も、身内からの視点でレクチャーをうけた上で それが言えますが
第三者の視点からみたら 結局は「犯罪人」しか映らないんです。
だけど ここに大きな罠や見落としも 潜んでもいます。
因みにパワーハラスメントもセクシャルハラスメントも国家権力の魔性になることもあります
・・つか「民主主義国家」が殆どなので その危険性はあります。
それらを含めると「他人事」の話にはならないし
喜ばしい事でもないわけです
今までやり取りをしていて「同じ点」に気づいていたのは
2ちゃんに常駐している「山椒島」さんしかいない処も悲しい・・・
>>※ただ表情をみると やっぱり死人
>>
>>ecoさんも出てこられるとケチを付けたくなるバラモン信仰者ですか(笑)
>>
10/31付の写真見て、元気な姿といえますか??
無理して着せられている感が否めません。
---------------------------------------------------------------
ところで罰で思い出したけれど・・・
http://6706.teacup.com/fbreformation/bbs/254 宛
小蒙古御書を読んでください。
因みに その御書を引いて
「他人の不幸を喜んでいるような連中は日蓮弟子じゃない」・・・と
戸田城聖氏は解説していますので注意してください。
10年前のパソコンをずっと使っていれば「何れ」調子悪くなるでしょ
それを「曖昧な表現」とは言え「罰」だと言わんばかりの「姑息な誘導・・・
もっとも あんな「疫病神」みたいな連中と関わっていること自体が
「難」でもあり罰ですけれどね
それと先方も 僅かながら「祈っている」ようなので一言
代わりにecoさんの罰を全部引き受けます・・とでも祈っていただけませんか?
とぉ~~~っても有難い祈りです
ところで世の中には「馬の耳に念仏」という言葉がありますが
それと同じ意味で “「日○」の坊主 が 必 死 に 題 目 ”
注釈:「日○」の部分は 規格外の人が祈るナンミョーで
業が深ければ叶うまでの時間も遠い?
脅迫論証というのは、有利な答えを引き出すための「取引」だと承知していますが
(例: Aをしないか さもないと Bをするぞ)
「権利侵害があった場合、関連のお役所に通告する事でなにがしかの処断がおこなわれる」の
どこが脅迫論証なのでしょう(笑)
お言葉ですが、そういうのをミスリードというのではないでしょうか。
また詐術を使ってしまいましたね蛍さん。
最初からビルが5階か4階かはそんなに重要な要素として考えていません。
この文章かっこよかったのに・・
※自分の誤認を詫びて訂正するどころか、誤りを指摘した私を「こじつけ君」
呼ばわりし、私との議論を(まだ応酬が始まる前から)拒否する始末だ。逆切れして
私を貶めることで「己のバツの悪さ」をごまかしているのかも知れないが、まあ、
多くのネット学会員の言論クオリティはその程度ということだ。
http://megalodon.jp/2011-1022-1604-38/blog.livedoor.jp/jitsuji_kyuze/archives/51767828.html
まさか「学会に通報しておきます」だけで「脅迫」とお感じになったのでしょうか?
南元センターの所有者は創価学会ですので、権利者に「不動産登記事項証明」しかも
「全部証明」をネットで公開している岡山の日蓮正宗門徒がいますよ と社会人として
当然の通知をするのが、なにか蛍さんに行為を強要をしたように感じたというのなら残念です。
- >>33722
>>一般的な事を書いただけなのですが (タイトル)
>>お役所が「違法」かどうかを判断したような事を私が書いたでしょうか?
>>元記事を示さずに、あたかも蛍さんに不利な答えがあったかのようにミスリードするのは
>>いかがなものでしょう。
では以下の発言はなんでしょう。
(ポドチョン黄板)
>>あーやばいみたいですよ (タイトル)
(当板No.33688)
>>さっき法務局に問い合わせましたが、登記事項証明に「取得の理由」は必要ないそうです。
>>ただし、個人が取得できるからといってネットで無断公開配布は人権侵害(個人・法人ふくむ)
にあたる恐れが高いとの返答をいただきました。
>>
>>該当者が「プライバシー侵害」という事で所轄の法務局人権擁護課(人権擁護局)に通告する
事で、なにがしかの処断がおこなわれるそうです。
>>
>>サービスで創価学会に通知しておきましょう。
「違法の可能性」を色濃く漂わせる阿部日報告ですが、私が法務局、人権擁護局、総務省、警察サイバーテロ対策課にそれぞれ問い合わせたところ、ブログで書いたような経緯を経て、「違法かどうか判断できる立場にない」というのが、すべての部署の最終回答(彼らとしては模範解答)でした。
阿部日さんは「一般的な事を書いただけなのですが」とか言い訳してますが、今さら一般論?
法務局に「公益法人の不動産登記簿謄本のネット公開の是非」というピンポイントの問い合わせをしたわけじゃなかった、ということですね。一体どのような訊き方をしたのでしょうか。それともあれは創作?
個人の謄本のネット公開について訊いたのなら、阿部日報告のような「返答」になるのでしょうけど(というか、わざわざ問い合わせするまでもない常識ですが)、弊ブログの画像(公益法人の不動産登記簿の建物構造情報)掲載は特殊な例なのですから、それについて「お上」を持ち出して脅迫論証を展開したいのなら、ちゃんと的を射た問い合わせをしてくれなくては・・・・
というわけで、画像復活です。
ところで、今度は診療所がどうのこうの言ってますが、「お役所回り」でくたびれたので、南元センターについての論拠無き阿部日難癖はパスさせていただきます。そちらも「3階だ」で一度しくじっているのですから、少しは学習されてはいかがでしょうか。
- osk3 ってイオネットの地域別をさすんですってね。
http://www8.atwiki.jp/remotehost/pages/34.html
- 足取るどころか草履しかとれないようですね~日蓮正宗門徒って。
どこがどうウソなのかさっぱりわかりません。
意図するところは、嘘つきだという事にしておきたいようですが
情報の公開をされた人に通知する事がそんなにマズイですか?
あとは私が関知できない所ですので、期待しないで下さいよ(笑)
権利が侵害されたな~と思ったのなら当事者ならプロバイダーさんに削除依頼とか
できますよ。
ある日蓮正宗門徒さんなんか、同門の人を「訴える」かのような意地悪して
逆にやられちゃいましたが。
※【黒川和雄君の妄言四に曰く】「こちき、管理人、コメントを書いた人間のメールアドレス
を開示」を求める所存です。全員訴訟対称者です。
tp://fujimonryu.blog40.fc2.com/blog-entry-154.html
↑
これ君たちの親分さんじゃないのかな?
議論するつもりがないのならさようなら~。
- >>33722
>>http://megalodon.jp/2011-1111-1730-19/blog.livedoor.jp/jitsuji_kyuze/archives/51772668.html
>>
>>※阿部日氏が富士ボー板に、自分で法務局に問い合わせた結果を「人権侵害」「処断」などという単語をちりばめて書いていたが、質問方法や質問バイアス、質問深度にもよるが、ほんとうにそこまで踏み込んだ回答をしたのだろうか、いささか眉唾ではある。私の聞いたお役所的回答(判断不能)の方が、不満ではあるものの、役所としては模範回答だろう。
>>
>>
>>
>>富士宮ボーイ掲示板とこちらの記事は同じですので
>>是非リンクしておいてください(笑)
>>
>>http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/7735
>>
>>
>>お役所が「違法」かどうかを判断したような事を私が書いたでしょうか?
>>元記事を示さずに、あたかも蛍さんに不利な答えがあったかのようにミスリードするのは
>>いかがなものでしょう。
>>
>>
これってなに?↓↓↓
--------------------------------------------------------------------------------
あーやばいみたいですよ 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2011年11月 9日(水)17時37分36秒 返信・引用
個人または法人所有の不動産登記簿は閲覧することや、とりよせる事が
だれにでもできますが、その情報を公開する事はできたでしょうか・・・
当然だれが請求したかは調べれば解る事でしょう。
プライバシーを取得しネット公開した驚くべき日蓮正宗がいるという、オモロイことに・・
さっき法務局に問い合わせましたが、登記事項証明に「取得の理由」は必要ないそうです。
ただし、個人が取得できるからといってネットで無断公開配布は人権侵害(個人・法人ふくむ)
にあたる恐れが高いとの返答をいただきました。
該当者が「プライバシー侵害」という事で所轄の法務局人権擁護課(人権擁護局)に通告する
事で、なにがしかの処断がおこなわれるそうです。
サービスで創価学会に通知しておきましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人権侵害・創価学会に通知・あーやばいみたいですよ
前言撤回か?
なぜあんたは息を吐くように、嘘を吐くのかの?
人間が腐りきってるな
- 日蓮正宗系のサイト「法蔵」で、本件について苦しい言い訳をしている。
「昭和16年の時点においては、宗門には、59世日亨上人、60世日開上人、61世日隆上人の三御隠尊猊下がおられた。まして御書全集刊行禁止など御書の件に関しては、日亨上人が学匠として権威をお持ちであり、当然、当局の命令を受け、かかる決定を御裁可なされたものと拝される」
法主の誰が決済しようが、大聖人の御金言を削除した事実は消すことが出来ない。
加えて、恰も日亨上人が決定した様な言い訳がましいことを書いているが、「かかる決定を御裁可なされたものと拝される」との思い込みで書かれているに過ぎない。
「また祖文纂要中の御書要文14箇所についての文字削除についても、時局を鑑みた止むを得ざる決定であり、祖文纂要を再編纂する形をもって、当局の文字削除命令に応えるという、苦肉の策が拝せられるのである」
「法難を引き起こす口実を与えないよう、このように発表されたものである」
日蓮大聖人の御精神が脈々と流れているならば、権力に媚びる様な醜態をさらすのか?
「削除の対象とされた箇処は、一般的な本地垂迹説の説かれた箇処や、皇室が臣下に成敗された箇処などであり、日蓮大聖人の仏法の本質とはあまり関係のない部分ばかりである」
この様な浅墓な説明で、自己正当化するとは無慚である。
御金言を削除した箇所は以下の通りで、「大聖人の仏法の本質とあまり関係ない」かどうかは、諸賢に判断して頂こう。
本地垂迹説は邪説なのか?逆本地垂迹説(神本仏迹論)が大聖人の仏法だったのか?
「この『削除通達』が、本当に本宗の僧俗によって実行されたのか、どうかも、現在ではわからない」
軍部権力の弾圧を恐れて、「院達」「学第八号」を出した事実は消すことは出来ないのである。
以下の御文が、「学第八号」で削除の指示を出された部分である
日眼女造立釈迦仏供養事(御書全集1187ページ)
「一切世間の国々の主とある人何れか教主釈尊ならざる天照太神八幡大菩薩も其本地は教主釈尊なり」
妙法比丘尼御返事(同1410ページ)
「此の日本国の一切衆生のためには釈迦仏は主なり師なり親なり天神七代地神五代人王九十代の神と王とすら猶釈迦仏の所従なり何に況や其神と王との眷属等をや」
妙法比丘尼御返事(同1410ページ)
「又日本国の天神地神九十余代の国主並に万民牛馬生と生ける生ある者は皆教主釈尊の一子なり、又日本国の天神地神諸王万民等の主君男女妻子黒白等を弁へ給ふは皆教主釈尊御教への師なり」
妙法比丘尼御返事(同1410ページ)
「斯る仏なれば王臣万民倶に人ごとに父母よりも重んじ神よりも崇め奉るべし」
妙法比丘尼御返事(同1411ページ)
「此の大科次第に積りて人王八十二代隠岐の法皇と申せし王ならびに佐渡の院等は我が相伝の家人にも及ばざりし相州鎌倉の義時と申せし人に代を取られさせ給ひしのみならず島々に放たれて歎かせ給ひしが終には彼の島々にして隠れさせ給ひぬ神は悪霊となりて地獄に堕ち候ひぬ」
妙法比丘尼御返事(同1411ページ)
「現身には我が所従等に責められ後生には地獄に堕ちて候ひぬ」
妙法比丘尼御返事(同1411ページ)
「隠岐の法皇の果報の尽き給ひし失より百千万億倍過ぎたる大科鎌倉に出来せりかヽる大科ある故に天照太神正八幡等の天神地祇釈迦多宝十方の諸仏一同に大に咎めさせ給う故に隣国に聖人ありて万国の兵をあつめたる大王に仰せ付けて日本国の王臣万民を一同に罰せんと巧ませ給ふを」
日女御前御返事(同1243ページ)
「加之日本国の守護神たる天照太神八幡大菩薩天神七代地神五代の神々総じて大小の神祇等体の神列なる実の余の用の神豈に漏るべきや」
乙御前御満患(同1221ページ)
「法華経弘まるならば死かばね還って重くなるべし屍重くなるならば此のかばね利生あるべし利生あるならば今の八幡大菩薩と斎るやうに斎べし其の時は日蓮を供養せる男女は武内若宮なんどのやうに崇めあるべしとおぼしめせ」
種種御振舞御書(同919ページ)
「僅の天照太神正八幡なんど申すは此の国には重んずけれども梵釈日用四天に対すれば小神ぞかし」
種種御振舞御書(同919ページ)
「太政入道隠岐の法皇等の亡び給ひしは是れなり此れは其れには似るべくもなし、教主釈尊の御使なれば天照太神正八幡宮も頭を傾け手を合せて地に伏し給ふべきことなり」
聖人知三世事(同974ページ)
「日蓮は一閻浮提第-の聖人なり上一人より下万民に至るまで之れを軽毀して刀杖を加え流罪に処するが故に梵と釈と日月四天と隣国に仰せ付けて之れを逼責するなり」
下山御消患(同363ページ)
「日本守護の天照太神正八幡等も何でか斯る国をば助け給ふべき急ぎ急ぎ治罰を加へて自らの科を脱れんとこそ励み給ふらめ」
五人所破抄(同1615ページ)
「若宮八幡は亦百王鎮護の大神日域朝廷の本主なり、然りと雖も明神は仏前に於て謗国捨離の願を立て」
- http://megalodon.jp/2011-1111-1730-19/blog.livedoor.jp/jitsuji_kyuze/archives/51772668.html
※阿部日氏が富士ボー板に、自分で法務局に問い合わせた結果を「人権侵害」「処断」などという単語をちりばめて書いていたが、質問方法や質問バイアス、質問深度にもよるが、ほんとうにそこまで踏み込んだ回答をしたのだろうか、いささか眉唾ではある。私の聞いたお役所的回答(判断不能)の方が、不満ではあるものの、役所としては模範回答だろう。
富士宮ボーイ掲示板とこちらの記事は同じですので
是非リンクしておいてください(笑)
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/7735
お役所が「違法」かどうかを判断したような事を私が書いたでしょうか?
元記事を示さずに、あたかも蛍さんに不利な答えがあったかのようにミスリードするのは
いかがなものでしょう。
- http://www.youtube.com/watch?v=FPOfWuoj4BY
※さいたま市:中央区:さいたまスーパーアリーナ
第2部:決起大会
55分25秒 あたりから 秋葉の通り魔や茨城の事件を引いたり
世界のあらゆる厄災を羅列して、信徒を洗脳していますねぇ。
取手の事件は日蓮正宗がらみなのに・・・
岩手・宮城内陸地震が起こった翌日におこなわれた説法ですな。
誰がアップロードしたのかわかりませんが
なかなか貴重な動画です。
- ※これが本当だったら、解体して新たに作り直しても問題ないっしょ。
正本堂解体して新たに作り直した体育館のような奉安堂って
日顕が信者にも知らせずにある日コソコソ遷座した「戒壇の大御本尊」を勝手に
据えているんだよ。
それでなのかもしれないが、奉安堂には正本堂の時のような「宣旨」が見あたら
ないんだよね。
フライデーが代わりに「みよ大作」って報じていたっけ(笑)
日蓮正宗御用ライターの乙骨くんも提灯記事報じていたな~
http://megalodon.jp/2011-1111-1050-39/www.forum21.jp/contents/contents11-1.html
- 虫払い法要の時の日顕のアジですね~
全国教師講習会でもおなじフレーズを使っています。
http://megalodon.jp/2011-1111-0926-14/www5.ocn.ne.jp/~tochirou/41kaizennkokukyousikousyuukai.html
“精神と形式を分け、御本仏の精神、いわゆる御仏智を蔑ろにし、民衆の幸福という空漠たる
迷いの機根中心の観念を正として、これに大聖人のお心による戒壇建立を従属化・・・・”
(平成五年四月六日・虫払大法会)
http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/goroku14.html
↑
それ以前の発言を上記で読むといかに日顕がいい加減かよくわかるとおもいます。
ちなみに法華講員があえて(略)した部分がとても重要なのです。
※(中略をしない本文)
戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。
実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として・・・・
ようするに広宣流布が大事中の大事であって、戒壇を建立する事を目的にしている
わけではない。 という趣旨です。
日顕宗にたぼらかされると、マニュアル通りの批判しかできなくなるために
すでに破折されまくったやり方を繰り返すしかないのでしょ。
(以下・創価新報の記事)
日顕は、“四・五ペテン説法”で、昭和三十九年六月三十日の名誉会長の
「 戒壇建立ということは、ほんの形式に過ぎない。実質は全民衆が全大衆が幸せに
なることであります。……したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えて
さしつかえない」との発言を取り上げ、「素人丸出しの浅識誹謗」
「 能開・所開の意義を乱す」「聞くに耐えぬ軽蔑軽視」「大聖人の本意に背く 空虚空論」
「本末転倒の知見」などと口汚く罵っているが、これは、言い掛かり も甚だしい。
この名誉会長の発言は、国立戒壇などに固執する考え方を破し、広宣流布の本来の目的は、
戒壇建立の形式にあるのではなく、全民衆の幸福を実現すること にあることを強調した
もので、戸田第二代会長も生前よく指導していた。
したがって、その後、数十年間、平成二年に日顕が「C作戦」を企てるまで、 戸田会長
の発言も、池田名誉会長の発言も、ただの一度も宗内で問題にされたこ とはなかった。
それは何故か。つまり、この名誉会長の発言は、宗門の公式見解とまったく 同じで
あったからにほかならない。
その証拠に日達上人も、「建物なんかどうでもいいんです。戒壇の大御本尊こそ我々の
即身成仏の本懐の場所である。これが、正宗の信心である。正宗の指帰 である。
我々のモットーである」(昭和四十九年六月、富士学林研究科で)と 発言。
そして何より、当の日顕自身も「一期弘法抄、三大秘法抄の戒壇の“建立”ということ
についても、必ずしも建物、それ自体に比重があるのではなく、その内容の建立が
大切である」とし、「建物にのみ固執した形式主義」は「全く仏法 の本義を忘却」
(昭和四十九年十二月、「戒壇論」再刊後記)したもの、と 名誉会長発言の正しさを
述べているではないか。
自分で何を言ったかも覚えてい ないのか。それとも、都合の悪いことはすべて忘れたとでも言うのか。
(創価新報 1998/04/15付)
瑠璃くん、恥ずかしいね。
よく考えてみようよ。
昭和38年に「戒壇」をないがしろにした というのならなぜその後「正本堂」を建立した時に
日顕も日達師もなにも言わなかったんだろう(笑)
平成になってから日顕が「錯誤」をすり込んだだけなんですよ。
まさに「修羅」の境涯ですね。
- >>33711
>>過去ログ倉庫から懐かしい日達猊下の指導を見つけたので
>>提示しておきましょう。
>>
>>日顕がなぜ池田先生をねたんでいるのか
>>理由が推察できると思います。
>>全文です。
>>池田会長と正本堂
>>日蓮正宗全信徒の代表として法華講総講頭であり、創価学会会長の池田大作先生は会長就任以来13年にして我が宗に有形無形の2つの大事業を成し遂げられた。
>>その無形の事業とは八百万人の信心を喚起して本因下種の当体を覚知せしめ広宣流布への大行進を確実にしたことである。
>>その有形の事業とは八百万信徒の信心を結集し、本仏への供養の真心を持って正本堂を建立したことである。
>>正本堂は宗祖日蓮大聖人出世の本懐三秘総在本門戒旦の大御本尊を厳護安置の本堂である。
>>本門戒旦の大御本尊は我が正宗の宗旨の根本であり、日蓮大聖人の護当体である故、我等正宗僧俗の魂である。
>>この大御本尊を正本堂は永久に守護して奉る建築物である。
>>今、池田先生は、日蓮正宗とその総本山大石寺の外護を以て任じられている。
>>依って、正本堂は池田先生の姿でもある。
>>池田先生が正本堂の建立発願は、曾ての師、戸田城聖先生が正本堂建立を希望しながら時を得ず、世を去られたのであるから、その戸田先生の志を遠因とし大御本尊を守護し奉る熱誠の表れとしての大願であろう。
>>正しく、昭和四十七年十月十二日正本堂は完成した。
>>我が宗のシンボルマークは三つ羽の鶴の丸である。池田先生は正本堂の形として白鶴の飛翔する姿を着想せられたのであるから、正本堂は我が宗の紋章と期せずして一致したのである。
>>此の正本堂建立こそ池田先生の一生の大事業となるであろう。
>>大聖人は「阿佛坊さながら宝塔、宝塔さながら阿佛坊」と仰せになっている。
>>この言葉を借用敷衍すれば「池田大作さながら正本堂、正本堂さながら池田大作」ともいえる。
>>池田先生に二陣三陣の信徒は皆「さながら正本堂」でなければならないとおもう。
>>その覚悟が本門戒旦の大御本尊の守護を事行に修行することになると思うのである。
>>昭和四十八年八月 日蓮正宗総本山大六十六世嗣法
>> 細井 日達
◎S39.6.30
◆戒壇建立ということはほんの形式に過ぎない。(中略)ひとつの石碑みたいな、印として置くのが戒壇建立に過ぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます。(池田大作 学生部第27回総会 S39.6.30)
-----------------------
この頃の池田は、正本堂と戒壇を別物と考えていた(下記【学会の戒壇論】参照)。大聖人御遺命の戒壇が「従の従の問題」「形式の形式の問題」ならば正本堂は「従の従」以下、「形式の形式」以下、ということになろう。池田学会の構成員は「従の従」以下、「形式の形式」以下の正本堂が解体されたといって大騒ぎしていることになる。
これが本当だったら、解体して新たに作り直しても問題ないっしょ。
- 「大日蓮」(昭和十七年十月十日付)で、日蓮正宗宗務院は、「檀信徒に伊勢神宮遥拜」を指示する院達を出している。
どんなに言い訳をしてみても、大聖人の精神に背き、軍部の圧力に屈して「謗法」を奨励した歴史的な事実は消せない。
日蓮正宗の歴代貫首が大聖人の内証を相伝する説は、根拠の無い嘘であることを法華講員は、歴史から学ぶべきである。
院第二三二八號
昭和十七年十月十日
日蓮正宗宗務院
住職教師教曾主管者殿
今般文部次官より官文三三四號を以て別記の通り通牒有之たるに付御承知の上其趣旨を檀信徒一般に徹底せしむる樣周知方可然御配意相煩はし度
記
官文三三四號
文部次官印
日蓮正宗管長殿
神嘗祭當日神宮遥拜に關する件
神嘗祭當日遥拜時間の設定に関しては客年十月八日附官文三七八號を以て通牒致したる處聖戦下愈々神嘗祭ノ眞意義を周知徹底せしむるの要有之付貴
(學、校、所、舎)職員をして當日午前十時を期し一齊に各在所に於て神宮を遥拜せしむる樣可然御配意相煩度
- 修羅道とは止観の一に云く「若し其の心念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し
他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁義礼智信を掲げて
下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」文。 (十法界明因果抄)
------------
常に内には慢心が強く、心が曲がっているため、すなおに物事を考えることができず、
正しい事をいわれても、すぐカッとなる。しかも外には礼儀をわきまえているような生命の
姿である。
観心の本尊抄には「諂曲(てんごく)なるは修羅」とある。
諂い曲がれる心を修羅とし、闘争を好み、たがいに事実を曲げ、またいつわって他人の悪口を
いいあうことである。
開目抄講義(下) 55ページ 語訳「阿修羅」の項より抜粋
昭和40年 創価学会発行 日蓮大聖人御書十大部講義 第三巻
いわゆる「修羅」の境涯を示している部分です。梵語でasuraと表記します。
自分だけが正しい=慢心 に依っていますので、とにかく反論されることが許せません。
下品(げほん)の善心とは、上下関係など礼節にこだわったりする人です。
他者に対する礼節は間違いではありませんが、慢心を隠す為の偽装なので、おもに
身内に対して慇懃な態度をとったり、求めたりします。
一見正しい事を言っているようで実は、ウソを並べるのが「修羅」です。
語訳の後段は修羅に落ちた人が陥りがちな「組織化」を示していると思います。
よく考えれば、修羅の境涯は「個人」だけでは成り立ちません。
他に対して慢心を満たす行為は相手(お仲間)があってこそです。
時々、礼節を保っているように見える掲示板やブログの参加者が、たった一人が過ちを
指摘をするだけでほぼ全員が、筋違いの悪口を言い出すところが見受けられます。
たいてい「態度がどうの」とか「言葉遣い」とか「同志なのに」等々
仁・義・礼・智・信、いわゆる儒教で説かれる「五徳」の話に変換されます。
修羅の人に対して、暴言を吐いたり馬鹿にした態度をとり続けるのは、相手の思うツボです。
お互いが注意してまいりましょう。
また、相手に対してモノが言えない状況はすでに「下品の善心」
すなわち「おそれ」に支配されている状況だと思います。
そういった場所に安住しないように気をつけましょう。
- >>33707
>>どうもフェイクの内容が信じられないようですね。
>>最近の法華講員の折伏はビラ撒きとアポなし訪問。
怪文書を信じる方がどうかしてる。
>>あてどなくさまよい迷惑行為。
>>日蓮正宗に染まっている人ってネタ切れすると学会員宅探し出してコケにして
>>ウサ晴らしているんですよね。
そういえば、以前は青年部が出てきてたけど、今はまるっきり出てこなくなったね。
ある学会員は「もう青年部じゃなくて壮年部になったから」と出てこない理由を説明したけど、おもしろい宗教だね。年齢制限があるのかしら。
>>学会員さん、見ず知らずの法華講員の来宅は追い返しましょう。
あはは。最高の防衛策、というわけですか。
三十六計逃げるに如かず、ということですね。
宗教の王者・創価学会と言っていたことは昔日の思い出なんですね(笑い)。
- 法華講員は勿論、ハゲも買わない慧妙。
信じて学会員と対論した結果、翌週には梯子を外されることはしょっちゅう(^^)(^^)(^^)
専門家に鑑定させたところ、芸者写真は首を挿げ替えた合成写真だった!
誤法主上人芸下様は、この様な柄の袴をお持ちではない!それで充分である!
(^^)(^^)(^^)(^^)(^^)(^^)(^^)(^^)(^^)(^^)/~~~~
ガンバレ~、捏造屋!
- 日達師のお言葉よりも重くなったんだねw
- 過去ログ倉庫から懐かしい日達猊下の指導を見つけたので
提示しておきましょう。
日顕がなぜ池田先生をねたんでいるのか
理由が推察できると思います。
全文です。
////////////////////////////////////////////
池田会長と正本堂
日蓮正宗全信徒の代表として法華講総講頭であり、創価学会会長の池田大作先生は
会長就任以来13年にして我が宗に有形無形の2つの大事業を成し遂げられた。
その無形の事業とは八百万人の信心を喚起して本因下種の当体を覚知せしめ広宣流布
への大行進を確実にしたことである。
その有形の事業とは八百万信徒の信心を結集し、本仏への供養の真心を持って正本堂を
建立したことである。
正本堂は宗祖日蓮大聖人出世の本懐三秘総在本門戒旦の大御本尊を厳護安置の本堂である。
本門戒旦の大御本尊は我が正宗の宗旨の根本であり、日蓮大聖人の護当体である故、
我等正宗僧俗の魂である。
この大御本尊を正本堂は永久に守護して奉る建築物である。
今、池田先生は、日蓮正宗とその総本山大石寺の外護を以て任じられている。
依って、正本堂は池田先生の姿でもある。
池田先生が正本堂の建立発願は、曾ての師、戸田城聖先生が正本堂建立を希望しながら
時を得ず、世を去られたのであるから、その戸田先生の志を遠因とし大御本尊を守護
し奉る熱誠の表れとしての大願であろう。
正しく、昭和四十七年十月十二日正本堂は完成した。
我が宗のシンボルマークは三つ羽の鶴の丸である。池田先生は正本堂の形として
白鶴の飛翔する姿を着想せられたのであるから、正本堂は我が宗の紋章と期せずして
一致したのである。
此の正本堂建立こそ池田先生の一生の大事業となるであろう。
大聖人は「阿佛坊さながら宝塔、宝塔さながら阿佛坊」と仰せになっている。
この言葉を借用敷衍すれば「池田大作さながら正本堂、正本堂さながら池田大作」ともいえる。
池田先生に二陣三陣の信徒は皆「さながら正本堂」でなければならないとおもう。
その覚悟が本門戒旦の大御本尊の守護を事行に修行することになると思うのである。
昭和四十八年八月 日蓮正宗総本山大六十六世嗣法
細井 日達
(聖教新聞社、写真集『池田会長と正本堂』~)
///////////////////////////////////////////
これが事実です。
後に法主になり済ました阿部日顕が嫉妬のあまり正本堂を破壊した理由は
日達師が
“今、池田先生は、日蓮正宗とその総本山大石寺の外護を以て任じられている。
依って、正本堂は池田先生の姿でもある。”
と賞賛された事に端を発しているとも言えるのではないでしょうか。
そう考えれば後日の日顕の学会破折の異常なまでの「大石寺学会支配説」という
歴史改ざんがおこなわれた事も「嫉妬」にほかならないでしょう。
創宗時代の歴史認識を日顕の舌先三寸でゆがめられた日蓮正宗門徒は哀れです。
- > No.7751[元記事へ]
阿部日ケ~ン(院政)さんへのお返事です。
> 興味津々ですねw
>
> http://www.hi-ho.ne.jp/yokoyama-a/syukyohoujin.htm
>
> 診療所は福利厚生&収益事業ですのでw
>
> まさか大石寺の坊内で図書販売しているから大石寺は「商業施設」なんてゴネかたは学会はしませんよ~
>
> でもね~ 日顕宗の中には「開眼済みの数珠」とか売ってるそうですから、その辺あやしいと考えた方がいいですよ~
>
> ※輪王寺は物品販売所での数珠や線香などの販売収益を公益事業とし、申告していなかった。税務調査の結果、数珠や線香は一般の土産物屋でも販売しており、課税対象となる物品販売業に当たると指摘された。
>
> (6月8日17時29分配信 時事通信)
阿部日ケ~ン(院政)さんへ
土地、建物の取得時の納税はどうなっていますか?
登記を見ると、土地は境内地になっていますが。
建物は事務所みたいですがね。
収益事業である診療所ということは、一般と変わらない納税額でしょうか?
それにしても池田大作のための個人病院だとしたら、池田大作が納税しているのでしょうか?
第二別館(白雲寮)の家賃を池田大作が個人的に使用しているということで、払ったことがありましたね。
- http://www.hi-ho.ne.jp/yokoyama-a/syukyohoujin.htm
診療所は福利厚生&収益事業ですのでw
まさか大石寺の坊内で図書販売しているから大石寺は「商業施設」なんてゴネかたは
しませんよ~
- 以下は長野県にお住まいの法華講員さんのブログです (誤)
以下は埼玉県さいたま市にお住まいの法華講員さんのブログです。(正)
- ※そんなことはありやせん。
法華講員は寸暇を惜しんで折伏に出歩き、自身の力・・・
どうもフェイクの内容が信じられないようですね。
最近の法華講員の折伏はビラ撒きとアポなし訪問。
あてどなくさまよい迷惑行為。
日蓮正宗に染まっている人ってネタ切れすると学会員宅探し出してコケにして
ウサ晴らしているんですよね。
それで広宣流布だそうです。
ダメダメですね。
そういえば瑠璃くんも同じか(笑)
学会員さん、見ず知らずの法華講員の来宅は追い返しましょう。
以下は長野県にお住まいの法華講員さんのブログです。
http://megalodon.jp/2011-1110-1150-43/blogs.yahoo.co.jp/moderationmoon/6693838.html
まぁYAHOO知恵袋で日顕宗の広報活動をするのが有意義だとおっしゃるタイプの方です
ので脳内折伏かもしれませんが、手口の参考にはなるでしょう。
- 阿部日ケ~ン(院政)さんへのお返事です。
> 会話が成り立ちませんね~
>
> ※南元センターが、病床3で認可されている診療所ってことで、
> 普通の病院かどうかは別な話
>
> なぜ別?ここ大事なところですね。病院というのは病床10以上の事をさすのだそうです。
> 当然許認可が必要になる専門職ですよ。
> 看護師がそんな基本的な所まちがえませんよ。
>
>
> ※あんたは、5階が存在していないから・・
>
> 特別室があるとされる五階は幻でしょうねぇ
阿部日ケ~ン(院政)へ
この南元センターの土地・建物の税務処理はどうなっているのでしょうか?
土地は境内地・建物は宗教施設でしょうか?
税金は払っているのでしょうか?
創聖健保に貸しているのでしょうか?
ちょっと四谷税務署に聞いてみましょうね。
発行:日蓮正宗改革同盟
(塔婆編)中興入道は自分で供養塔を建て、題目を書いたが、
大聖人は僧侶抜きの供養を讃えられている
●「中興入道消息」からわかること
宗門は「中興入道消息」に塔婆が出てくるから、塔婆供養は必ず必要だと、道理の
通らないことを主張している。
しかし、普通にこの御書を読むと以下のことが明らかになる。
① 丈六の卒堵波で、約5メートルの供養塔であり、今の塔婆とは違うもの。
② 他の信徒は建てていないので、建てなくても構わない。
③ 題目は自分で書いているので、信徒が題目を書いても構わないことになる。
④ 自分で供養しているので、僧侶抜きで供養しても構わないことになる。
もし、宗門が「中興入道消息」を引用して、塔婆を論じるならば、信徒が題目
を書くこと、僧侶抜きで供養することを認めざるを得ないであろう。
●「塔婆の功徳」ではなく「題目の功徳」を説かれている
この御書を正しく拝せば、「丈六のそとば(卒堵波)をたてて其の面(おもて)に
南無妙法蓮華経の七字を顕して・をはしませば」と、大聖人は「塔婆の功徳」
ではなく「題目の功徳」を説いていることがわかる。
当時、真言や念仏の聖(ひじり)によって、塔婆による死者供養の風習が普及
していた。そこには当然、真言の五輪の梵字や阿弥陀の名号が書かれていた。
しかし、中興入道が念仏の題目ではなく法華経の題目を顕されたことを大聖人は
ほめられ、題目の功徳を説かれたのだ。だから、この御書の末尾に「此より後々の
御そとばにも法華経の題目を顕し給へ」と仰せられているが、自分で書いても
良いということになる。
●御書の塔婆の意味は多様
以下、御書に出てくる塔婆の意味を挙げてみる。
① インドで仏塔を破壊した話(「顕謗法抄」)、
② 権教を破折するために、大地微塵の仏塔を建てても法華経誹謗の罪は消え
ない(「善無畏抄」)、
③ 率塔婆を建てた過去の故事(「上野殿御返事」)
④ 宝塔の意味(「御義口伝」)
⑤ 草木成仏を説く(「草木成仏口決」)
⑥ 題目で供養することが大事(「中興入道消息」)
「草木成仏口決」では、一念三千・草木成仏の原理を説かれるなかで、非情の
成仏の譬えとして当時他宗によって普及していた塔婆供養を取り上げられえて
いる。
これは、「観心本尊抄」で他宗の本尊の事例を挙げて、それらも一念三千・草木成仏
の原理がなければ成り立たないとされているのと同じである。
「観心本尊抄」の他宗の本尊も、「草木成仏口決」の塔婆供養も原理を示されており、
一念三千の当体である御本尊の意義を明かされることに大聖人の御本意がある。
結局、大聖人が信徒に「塔婆を立てなさい」とは記された御書はない。事実、
四条金吾や富木常忍、池上兄弟、南条時光にも勧められていない。大聖人御自身、
亡き師・道善房のために塔婆供養をされた記録もない。「塔婆は故人の追善供養の
ために不可欠」ならば、大聖人の主要門下の肉親は成仏しなかったことになる。
- >>33697
>>日如の講員増加の大風呂敷は破綻
>>水増し成果を発表、「大白法」の欺瞞を暴く
>>弱小寺が目標を達成しても焼け石に水
>>
>> 日顕宗・法華講の機関紙「大白法」十一月一日付が、また一面に大ウソを書いて
>>いる。「力強い唱題で全支部達成へ」との大きな凸版を付けて、「二七〇カ支部が
>>達成 勢いに乗り精進の時」という見出しを立てているが、これは欺瞞である。
>> まず、達成しているのは昨年より大幅に目標を引き下げた末寺とか、もともと
>>世帯数も信徒数も少なく、目標も少ない弱小の寺ばかりなのである。こんな末寺が
>>目標を達成したといっても、早瀬日如が言い出した「平成二十七年までに法華講員
>>五十%増、同三十三年までに八十万人」という妄想には程遠い。
>> しかも、末寺によっては、入信者数よりも脱講者や死者の数の方が多く、僅かな
>>折伏も焼け石に水であり、どこの寺にも「勢い」などは全くない。「大白法」は、
>>あたかも各末寺の折伏弘教が進んでいるかのように装って、更に折伏を煽って
>>いるものの、実態は惨憺たるものである。
日蓮正宗は実質で行動するから、死去する人が出たらその分人数分減ることになる。
それは、創価学会が心配することではなく、法華講全体としてカバーすることになるから、創価学会員は「自分は外野」程度の認識で静観しててくんないかな。目障りだから。
>> 「大白法」は、低迷する折伏の息吹を盛り上げるのに躍起だが、残念ながら、
>>坊主や法華講員は、日如の広げた大風呂敷が既に破綻していることを認識しており、
>>士気は上がらず、絶望的なムードが漂っているのが実情である。
>> 今や末寺坊主の感心は、折伏の推進ではなく、いかにして成果を誤魔化すか
>>という点である。
そんなことはありやせん。
法華講員は寸暇を惜しんで折伏に出歩き、自身の力のおよばないところは数時間に唱題による祈りで解決しようとしている。
そもそも、折伏を行じるのは、一つは大聖人の御遺命たる広宣流布の御命題に沿い奉るため、二つには自身の謗法罪障消滅のためである。
しかし、この大目標は御法主日如上人の、ご自身の御誓願であり、我々信徒がこれを無にすることはでFきない。
力の続くかぎり、折伏で大暴れし、達成してみせる所存であるから、折伏をできなくなった創価学会は静観していなさい。わかったね、めっ(笑い)。
>> 坊主らは「成果の帳尻を合わせる以外に生き残る道はない」「正直に報告すると
>>処分されてバカをみる」と思って、あの手この手で水増し成果を捻出しているのである。
>>
>> こんな邪宗門に今、横行しているのは詐欺まがいの折伏で、成果は殆どが出鱈目な
>>誤魔化しなのである。
>>(発行=11.11.08)
>>
>>虚しい成果の帳尻合せ
>>
>> しかも、許せないのは「大白法」十一月一日付で「広布に向け一凶破折」との
>>見出しを立て「急ぎ創価学会員の折伏に立ち上がろう」と檄を飛ばしている点だ。
>>
>> 世間の人は誰もが「一凶」の日顕宗の坊主や法華講を相手にしない。そのため
>>処分を恐れる坊主共が、既に本尊を持っている檀徒や法華講員の家族に再授戒して
>>成果にしていたケースもあった。今や、そんな手口も頭打ち。そこで高齢の学会員宅
>>を訪れては衛星中継や聖教新聞を話題にして、言葉巧みに部屋に上がり込み、
>>脱会させて成果をあげようとしているが、いずれも虚しい結果に終わっている。
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>> 例えば、関快道(久成坊)などは講員らと一緒に渋々、大石寺近郊の学会員宅を
>>訪問していた。だが、何処へ行っても、玄関払いや反撃されて逃げ帰る有様だ。
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>> 広布大願に立っての折伏ではなく、処分を恐れて蠢く日顕宗の坊主、それらに
>>踊らされている法華講員には、信心強盛な学会員を脱会させることなど出来る筈がない。
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>> これまでの折伏成果が見せかけであった証拠に御講参加者や登山者数は増えて
>>いない。むしろ減っている。
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>> 今後は各末寺が、どんな姑息な手段で帳尻合わせをするのか、見ものである。
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- (発行=11.11.08)
日如の講員増加の大風呂敷は破綻
水増し成果を発表、「大白法」の欺瞞を暴く
弱小寺が目標を達成しても焼け石に水
日顕宗・法華講の機関紙「大白法」十一月一日付が、また一面に大ウソを書い
ている。「力強い唱題で全支部達成へ」との大きな凸版を付けて、「二七〇カ
支部が達成 勢いに乗り精進の時」という見出しを立てているが、これは欺瞞
である。
まず、達成しているのは昨年より大幅に目標を引き下げた末寺とか、もともと
世帯数も信徒数も少なく、目標も少ない弱小の寺ばかりなのである。こんな
末寺が目標を達成したといっても、早瀬日如が言い出した「平成二十七年まで
に法華講員五十%増、同三十三年までに八十万人」という妄想には程遠い。
しかも、末寺によっては、入信者数よりも脱講者や死者の数の方が多く、僅かな
折伏も焼け石に水であり、どこの寺にも「勢い」などは全くない。「大白法」は
、あたかも各末寺の折伏弘教が進んでいるかのように装って、更に折伏
を煽っているものの、実態は惨憺たるものである。
「大白法」は、低迷する折伏の息吹を盛り上げるのに躍起だが、残念ながら、
坊主や法華講員は、日如の広げた大風呂敷が既に破綻していることを認識して
おり、士気は上がらず、絶望的なムードが漂っているのが実情である。
今や末寺坊主の関心は、折伏の推進ではなく、いかにして成果を誤魔化すか
という点である。
坊主らは「成果の帳尻を合わせる以外に生き残る道はない」「正直に報告する
と処分されてバカをみる」と思って、あの手この手で水増し成果を捻出して
いるのである。
こんな邪宗門に今、横行しているのは詐欺まがいの折伏で、成果は殆どが出鱈目
な誤魔化しなのである。
虚しい成果の帳尻合せ
しかも、許せないのは「大白法」十一月一日付で「広布に向け一凶破折」と
の見出しを立て「急ぎ創価学会員の折伏に立ち上がろう」と檄を飛ばしている
点だ。
世間の人は誰もが「一凶」の日顕宗の坊主や法華講を相手にしない。そのため
処分を恐れる坊主共が、既に本尊を持っている檀徒や法華講員の家族に再授戒
して成果にしていたケースもあった。今や、そんな手口も頭打ち。そこで高齢
の学会員宅を訪れては衛星中継や聖教新聞を話題にして、言葉巧みに部屋に上
がり込み、脱会させて成果をあげようとしているが、いずれも虚しい結果に終
わっている。
例えば、関快道(久成坊)などは講員らと一緒に渋々、大石寺近郊の学会員
宅を訪問していた。だが、何処へ行っても、玄関払いや反撃されて逃げ帰る有様だ。
広布大願に立っての折伏ではなく、処分を恐れて蠢く日顕宗の坊主、それらに
踊らされている法華講員には、信心強盛な学会員を脱会させることなど出来る
筈がない。
これまでの折伏成果が見せかけであった証拠に御講参加者や登山者数は増え
ていない。むしろ減っている。
今後は各末寺が、どんな姑息な手段で帳尻合わせをするのか、見ものである。
- ※また、医療法には医療を行う医療機関としては、病院と診療所だけと
規定されておりますので、診療所を名乗りかつ「一般内科」を看板に出している
センターは明らかに医療機関です。
医療を行う医療機関とは「医師が常駐して医療行為を行う施設」ですよね。
ビル内に診療所があれば、ビル全体が医療機関だという発想なら
オフィスビルにある「診療所」もまた医療機関という事でしょうか(笑)
たとえば・・ というのは規模を語ったつもりなのですが、五階いや誤解をされた
のならば遺憾です。
ちなみに学校などにあるケースも医師が常駐し治療ができるのならば「診療所」です。
(例 桐蔭高校の診療所)
http://navikana.com/045-971-1251/
最近では入院設備・・つまり病床のない診療所も多いですね。
ちなみに病床も区分があります。
http://www.med.or.jp/doctor/byosyo/
今の学校の保健室に関しては以下の法律に詳しいです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19580616001/t19580616001.html
昔からあった学校保険法が平成21年から(平成20年6月18日公布)
「学校保健安全法」に変わりました。