きょうのコラム「時鐘」 2011年11月13日

 桂歌丸さんが先ごろ、能美市で落語会を開いたという記事があった。噺(はなし)の一つが「井戸の茶碗(ちゃわん)」。名演に触れた人たちがうらやましい

困窮した武士が仏像を売りに出すのが噺の発端。買った武士が仏像を磨いていると、台座の中から50両が出てきた。仏像は買ったが、中の金まで買った覚えはない、と大金を元の持ち主に返そうとする

ところが、貧乏武士は「中から何が出ようと、売った以上は受け取れぬ」と拒む。善意の人の意地比べが、次々と笑いを巻き起こす長い噺である。とんまな人物の失敗談だけでなく、落語にはこんな大人の童話もある

予期せぬ50両を譲(ゆず)り合う。浮世離れした噺であろう。法外な大金がカジノに消えた不祥事や、巨額の損失をめぐり不明朗な金が流れた疑惑が報じられ、一流企業の看板が泥にまみれる現実がある。落語で心の洗濯をしたくなる

だが、世の中、捨てたものではない。震災被災者のために、大金をトイレに置いた善意の出来事を思い出した。「井戸の茶碗」の心のぬくもりと、どこか通い合う。経営の神様はめっきり減ったようだが、トイレにはまだ神様がいるようだ。