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売文屋。北海道出身。
過去作に小学館ガガガ文庫『Gunning for Nosferatus』など。
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小説家。1987年生まれ。千葉県出身。
2009年、第3回小学館ライトノベル大賞にて大賞を受賞しデビュー。
2011年11月には、小学館ガガガ文庫より『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』3巻通常版、ドラマCD付限定特装版が発売。
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1986生まれ、東京都在住。
第6回MF文庫Jライトノベル新人賞にて
『変態王子と笑わない猫。』が最優秀賞を受賞し、
小説家デビュー。
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小説家。第0回MF文庫Jライトノベル新人賞にて優秀賞を受賞しデビュー。
著作『僕は友達が少ない』のアニメが2011年10月より放送開始。
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ネーブル所属のゲームシナリオライター。
代表作は、PCゲーム『それは舞い散る桜のように』『俺たちに翼はない』
おれつばではアニメやドラマCDの脚本、ラジオ番組の構成なども務める。
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ライトノベル、一般文芸、漫画原作などでお仕事しております。
公式HP「あたしら憂鬱中学生」http://id37.fm-p.jp/213/atashira/
ガガガ文庫にて『ささみさん@がんばらない』シリーズ執筆中。
こんにちは。日日日です。
ご本人と面識もないのにこんなコメントなんか書かせてもらっていいのかなとも思いましたが。いいんだ。すきだから。
僕は多分おおくのひとたちとは逆に「人類は衰退しました」を読んでから、ロミオさんの執筆されたゲームのシナリオなんかを追いかけ始めたにわかファンですけれど。毎回読むたびに思うのは、ちゅうちょねぇなぁ、ということです(方言のよ
うだ)。
それはときどきブラックすぎて心のやわこい部分をえぐりぬく作風もそうですし、何よりもひとつの文節のなかにこめられた技巧と語彙と新しさの数々…。
ひとつひとつの表現が、僕なら一冊資料読んでよーやく見いだせるような煌めきで、そんなのが容赦なく絨毯爆撃のように網膜に飛びこんでくる。そして打ちのめ
されるのです。おお、美しい花火だって人間にぶちこめば立派な兵器なのです(何だそれは)。
まぁそんな感じにのんきに歩いてるふうに見えてこっちは本気ダッシュしないと追いつけない、ハンター試験みたいなロミオさんの「人類は衰退しました」、くりえいたあのはしくれとしてもし自分がこんな爆弾任されたら絶対やですが、死にたくないので逃げますが、アニメの方々がこの難物をどのように料理してくれるのか、いちファンとしてすっごく楽しみです。
ひとつだけ何か言えるとしたら、可愛く見えるけど、本気で戦えばパンダは鬼強いのだから、「可愛い」だけをとりだすようなことはしないでね。アニメのひと。絶滅しちゃうぞ?
いいやこの場合は、衰退でしょうか(米笑)。
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小説家・ゲームシナリオライター。
2009年『IS<インフィニット・ストラトス>』で小説家デビュー。
同作は2010年1月、アニメ化され、現在原作小説7巻、コミックス2巻まで刊行中。
田中ロミオ様へ。アニメ化おめでとうございます。
えーと、「人類は衰退しました」はどんな作品かというと、
花咲くように華やかで、彩るように色があり、季節は羅刹を乗り越えて、
あなたと彼方を結ぶゆく、傷より深き絆の物語——というような作品です。
まあ、私の説明はいいのでぜひ読んでください。
『鬼才、田中ロミオが描く、新・文学エンターテイメント!』
そっと、君に寄り添う物語。
きっと、神より優しい夢語。
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ニトロプラス所属のゲームシナリオライター・小説家。
代表作は、PCゲーム『斬魔大聖デモンベイン』『竜†恋[Dra+KoI]』、
PS2『機神咆吼デモンベイン』、小説『装甲悪鬼村正 妖甲秘聞 鋼』ほか。
たとえば古代の遺跡に思いを馳せてしまうように——過ぎ去ってしまったものは、人の胸を打つ何かが宿ります。郷愁、なのでしょうか? 割れたアスファルトの隙間に咲くタンポポや、蔦に埋め尽くされた廃屋、崩れた天井から差し込む陽の光、うち捨てられたゴミの山……大自然に呑まれていくかつての都市の、ゆっくりと衰えていく文明の、それでもどこか、優しくてあたたかい末世の姿です。
そんなおだやかな文明の衰退期ですから、メルヘンな妖精さんたちがひょっこりと姿を見せても、何もおかしいことはないのです……きっと。
ふしぎで、愛らしくて、あと少しだけシニカルな、妖精さんたち……新人類と、にんげんさん……引退してしまった旧人類との、楽しくてのどかで、どこかなつかしい物語。それはお菓子で彩られた、甘やかな黄昏の光景なのです。
——というわけで『人類は衰退しました』アニメ化おめでとうございます。これでまた『楽しい度』うなぎ登りですね?
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2006年、第12回電撃小説大賞に投稿した『十三番目のアリス』で、2006年8月電撃文庫よりデビュー。
2011年5月には、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』最新8巻を発売予定。
田中ロミオという作家は私にとってあらゆる意味で偉大な先人でして、私は小説家としてデビューするずっと以前から、田中さんの書かれたシナリオには、おおいに泣かされ、笑わされてきました。
ですのでいまも同業者というよりは『超凄い憧れの人』という感じです。完全ファン目線です。「Rewrite」超楽しみにしてます。
田中さんは、難解なテーマをユーモア(ブラックという単語が付くこともあります)にくるんで、理解力の低い読者(私のことです)にも分かりやすく伝える手腕に優れた作家だと思います。
入口は広く、中は見通すことが出来ないほどに深い。一筋縄ではいかない。そんな一度はまったら抜け出せないトラップのようなシナリオを書かれる方です。
小説『人類は衰退しました』においてもその実力はいかんなく発揮されており、かわいらしい妖精さんたちとのほのぼの生活の中に、一言では言い表せぬ『何か』を見つけることができます。
それを発見したときの喜びは『人類は衰退しました』の大きな魅力の一つではないでしょうか。このあたりアニメでどう表現されるのか、一ファンとして楽しみにしております。
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propeller所属のゲームシナリオライター・小説家。
代表作は、PCゲーム『あやかしびと』『Bullet Butlers』
『エヴォリミット』、小説『ケモノガリ』ほか。
「人類は衰退しました」アニメ化おめでとうございます!
初見の方は、まずタイトルからして面食らうと思います。
何しろ「衰退しました」です。これから衰退していくのではなく、
既に衰退してしまったのです。衰退へと向かうドラマティックな展開は存在せず、
もう地球の支配者であることから引退してしまった人間が、現地球の支配者である、
あらゆる物理法則をブッ飛ばす妖精さんを観察し、交流する。
これはただそれだけの、とっても面白くて愉快で仕方ない物語。
奇妙奇天烈で、「すこし・ふしぎ」な世界を是非是非お楽しみ下さいませ!
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ニトロプラス所属のゲームシナリオライター・小説家・アニメ脚本家。
代表作は、PCゲーム『Phantom PHANTOM OF INFERNO』『沙耶の唄』、
TVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』、小説『Fate/Zero』ほか。
田中ロミオが抱える闇は、この私など比較にならないほど深く、濃い。
いや何処がどうとか、根拠があって言っているわけではないけれど。私の中にある闇センサーは、より高質量で圧倒的なブラックホールの存在が田中ロミオ方面から検出されていると告げています。そしてこのセンサーは商売道具なので、私にとっては五感以上に信憑性の高い知覚としてまざまざと実感できるのです。こいつァ黒い! 真っ黒い! と。
しかしロミオ氏の凄いところは、そんな圧倒的景観を誇るであろうブラックホールをそのまんま観光名所とせず、ダイソン球で囲い込んで外部からは完全に秘匿しつつ全エネルギーを完全有効活用している点です。──上っ面だけ見てると、別に黒いところなんか全然見当たらないんですよ。特に「人類は衰退しました」シリーズなんてそう。愛らしく長閑で、読後感もほっこり温かくも爽やか。なのに……重力波検知メーターの針を震わすこの不穏な反応は、何? キャラの名前が不明なのが、妖精さんたちの正体が分からないことが、何故こんなにもスリリングなの?
心の闇は恥ずべきものなのでは決してなく、むしろ闇に抗う健全さこそが人の美徳である以上、大いなる闇を抱えた者にこそ、より美しい人間たり得る資質が与えられるのです。とりわけ作家にとって心の闇とは創作エネルギーの源泉なのだから、黒さは美点であると断言してまったくOK! それが原因で人間的にアレだったとしても苦労させられるのは担当編集者だけなんだし、大多数の読者、ひいては人類社会全般においては「作者は闇属性なほど良い」と断言していいのです!
いやもちろん、田中ロミオの人格がアレで編集さんが日々枕を涙に濡らしている、などという事実は当然皆無なのだけれど。それでもロミオ氏が心に備蓄した闇資源を巧みに、クリーンに活用する作家としての手腕には、本当に卓越したものがあるのです。普通ならもっと露悪的に晒して川に鉱毒を垂れ流してしまうところだろうに、決して自らの内燃機関のシステムを露出させることなく、煌々と眩しく作品を輝かせている。その手の内の読めなさ、底知れなさは、常に同業者として畏怖と羨望の対象であります。
技術と感性だ。
多くの作家は主武器をどちらかに固定して戦っている。すくなくとも、自己認識はそうである。
田中ロミオはおそらく、前者を想定して戦っているのだろうと思う。
技術のもっともわかりやすい指標は文章そのものである。誰が見ても多くの場合一目で上手下手がわかる。
だが、彼の文章を評価することは難しい。ほとんどの場合、文体を変えてくるからだ。厳密に見るならば、一つとして過去と同じスタイルで書かれた作品はないと思える。
確実に言えるのは、彼にとって文体、あるいは狭義の文章などというのは道具に過ぎない、ということだ。目的に合わせて最も適した道具を取り出し、鮮やかに本質を浮き彫りにしてみせる。これがどれほどの難事かは、まとまった文章を書いたことのある人間ならば容易に理解できることと思う。
たとえば妖精さんの台詞だ。ひらがなだけで記述し、さらにそれを極限まで切りつめるという過酷な条件を自ら課しながら、それゆえに彼らへ唯一無二の存在感を与える。凡人にできることではない。
笑わせるべき時、涙を絞るべき時、緊張させるとき、解放するとき。絶対に目的を過たず、読者をその通りに翻弄する文章を、確実につづってくる。それも青筋を立てて力説するようなことはなく、多くは洒脱な諧謔を交えて。もはや名人芸の域だろう。
くわえて構成の妙がある。ゲーム分野での仕事をご存じの方にはあらためて提示するまでもないだろうが、一見単純な話に見える『人類は衰退しました』にもその技巧はすみずみまで行き届いている。緩急、シーンの配置、接続の意外性。すらすらと水のように流れるストーリィに欺されてはいけない。あれは技術の賜だ。技とは技を隠すこと、とはオウィディウスの言葉だったと記憶する。
本人に質せばおそらく「いや、僕はお作法通りやってるだけですよ」と笑うのだろうが。
ではその素材はどうか。呆れるほど多彩なモチーフを、衰退世界に合わせて鋭く切り取る手腕を見るたび、自分などはため息以外なにも出ない。環境問題から循環時間、ゲームにマンガにテレビ番組にSTのTMPまで。
そしてモチーフをどこから持ってきたかの署名を作品中へ記す巧妙さ。トウマの心臓、あるじゃーのん、モノリスとヴォイジャー、etcetc…… オリジナルへ彼なりの仁義を通しているのか、読者へのサービスなのか、同族への悪戯っぽいウィンクなのか、あるいは巧妙に仕掛けられた読者への疑似餌なのかさえ自分には判然としない。本作における、彼の該博な知識の最も明白な顕現だろう。
そのモチーフの取扱もまた、熟練者の手腕だ。
知性は相対的なものであり、その認知もまた本質的には音波や記号といった絶対指標に依存しない、なぞは普通に出てくる発想ではないし、それを誰にでも理解させる文章を思いつくのは決して常人の技ではない。
フィクションにおけるご都合主義を妖精の数に仮託するなどと、物語屋台骨を支える存在を使ってぬけぬけとやってしまうこの痛烈な皮肉。そしてその皮肉はおそらく、多くの部分で自らへ向けられている。
全寮制の女子校における少女漫画小説的な11月の風と木がギムナジウムを見ながら薔薇に名前でライトノベルの書式に落とし込む鮮やかな手際。玩具付き菓子と生物進化を重ね合わせることであぶり出される世界の圧力と、か弱き世界の消費者たちの対応と変質。
そしてなにより恐るべきは、これらのモチーフが、物語のテーマやメッセージ性への落とし込みという陳腐さから自由であることだ。似非文学に敢然と向けられた背中どころか、後頭部の向こう側にあるはずの突き出された舌と皮肉な笑いすら目に浮かぶ。これらのモチーフは田中ロミオにとって、娯楽作品を娯楽として提供する当たり前の行為に利用した、ただの『ネタ』に過ぎない。
彼の力量を持ってすれば長編小説の数本も物し得るであろうこれらのネタを、これ見よがし、と言いたくなるほど圧倒的な物量でつぎ込み、読者にひとときの愉悦を味わわせた後には惜しげもなく投げ捨てる。こんなことは、東西の短編ショートショートの名手たちや、某国民的ネコ型ロボットマンガの作者らの域に達しでもしない限りできないのではないか。
たとえ計量スプーンがどれほどの猛威を振るったところで、ソシュールもラカンも構造主義もポストモダンも、物語を記述する彼の視界にすら入っていない。小説をはじめとする物語が、人間の開発によって破壊される地球環境を救う一助になるのだ、といった壮大な勘違いからは、彼は無縁だ。
むろん彼がそれらの真面目かつ重大なテーマを、娯楽作品のモチーフとして掠め取った、などと批判することはできない。こんなネタを思いつくには普段からそのような知的訓練、あるいは思索が絶対に必要だし、彼はその能力に不足しない人間だ。が、それはおそらく○○○○(本名につき伏せ字とさせていただく)の領分なのである。
田中ロミオの目的は純粋な娯楽作品を作ること、以外のものではないはずだ。くだらない評論なぞ犬にでも食わせておけ、彼は徹頭徹尾腕を頼りに生きる職人であり、エンターテイナーなのだ。わかったような口を利く連中など締め上げて高く吊してしまうがいい。
だが、それでも。
血の滲むような努力と惨憺たる辛苦、血みどろの経験の上に築き上げた彼の技術がどれほど華麗な光彩を放ち、次々にマスターピースを生み出そうとも。
どれほど技術という武器を高々とかかげて、それによりもう一方の手を隠そうとしても。
彼の本質は、真の武器は、感性にあるのだろうと、自分は思っている。
彼の思索が到達する深みは、自分のような凡俗には見通せない闇に達しているから。
彼の心の上げる叫びは、凡人に発することのできる、そして聞くことのできる音域から、その能力故遠く離れているから。
彼の視野と視程があまりにも広く遠く、人々の視界どころか認識しうる範囲すら外れかねないから。
———娯楽への変換式から偶然こぼれ落ちた些細な何かが、我々を不安にする。
あたたかく、光にあふれた世界のどこかに。あるいはすぐ足元に。
底の見えない深淵が隠されている。
視界には入らない。彼はそんなヘマをやらかすほどヘタではない。けれどその存在は圧倒的で、見えずとも感じ取れる。認識できるか無意識に留まるかはともかく、おそらくは誰にでも。
人間は本能的に未知の存在を怖れ、同時に惹かれるものである。だからこそ我々は、田中ロミオ作品に通底する理解のできない何か、恐怖や不安と隣り合わせの『なにか』に、どうしようもなく魅せられてしまう。
これが彼の本質だろう。
人類は衰退しました、がアニメになるのだという。
それはとりもなおさず、彼の持つ技術の基盤を構成する文章が作品から消え、映像に置き換わることを意味する。
だが、構成は映像、つまり時間に変換されつつ残り、モチーフも残る。その時、今まで技術に隠されていた衰退の新しい横顔を見ることになるだろう。楽しみである。そしてもうひとつ。
文章という技術が消えたとき、それが隠していた田中ロミオ作品の持つ暗い淵が、想像もしなかった別種の気配を放ち始めるのではないか、と。
スタッフの皆様には、作品の、田中ロミオの本質を損なうことなく映像化していただければ、と思う。
この胸躍る期待をすべての衰退ファンと共にできることを喜びつつ、応援に代えさせていただき、コメントを締めることとしたい。
余談ですが、このコメントの依頼を引き受けてすぐ、ご本人に連絡を取りました。「いや〜、ありがとうございます。あまり大げさに褒めないでくれると気が楽です」と言われた私はすかさず「わかりました、決して大仰な言い回しや堅苦しい言葉や虚仮威しの一見小難しい屁理屈や見当外れの深読みや読む気なくす長文なんかは使わず、さらっと当たり障りなくやっときます」とさわやかに答えたものです。
ちくしょう、天才なんかみんな不幸になればいいんだ。
(文中敬称略)