空枷
第1話 生き字引に聞く世界の命運
世界には未知の力を秘めたモノが眠っている。それらは「エギー」と呼ばれ、主に自然界のものに宿る。空気にすら溶けているようだ。
人間はどうにかエギーを利用できないか試行錯誤を重ね、腕輪として磨くことに成功した。
エギーを腕輪に磨くのは職人。腕輪に頼らずとも不可思議を成すことが出来るのがエギーの御子。腕輪は人々に力と希望を与えた。
職人たちは腕を競うように腕輪を作った。それこそあふれる海のように。
国はそれを利用して戦争をした。
あるとき2つの大国がぶつかり合い最大攻撃を互いに放った。片方の国土は焼かれ、もう片方は領民を皆殺された。
このままでは共倒れだと悟った国王らは和平を結び、以降世界は安定した。
世界の安定により腕輪の需要は減り、反比例するかのように職人の腕は落ちていった。
出典「エルギネア博物歴史図鑑 初版」より
2人の転生者。一人は死に、一人は生きる。
この世界の僕が死ぬとき彼女がボクとなり、かの世界の彼女が耐えられなくなったとき彼が彼女の手を取った。
助けてくれる誰かを望み、届かなかった少年。願いの発動の瞬間に数ある世界の中からコンマ1秒の狂いもなく肉体から開放され自由になった魂が呼ばれた。
腕輪に捉えられた彼が死亡したときにその魂が腕輪に憑いた。恐怖から逃れたい彼女が触れた瞬間に二人は入れ替わった。
果たして、4人の運命の輪はどのような軌道を描くのだろうか。
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「どこだろう、ここ」
ロッカーから出てきた少女は呆然と呟いた。
どこの世界にもいじめは存在する。
高校デビューを失敗したらしい私はそのターゲットにされた。
髪も化粧も服装も、これといって頓着しない私は、ノーメイクで髪は無難に後ろで1つ結び、規則どおりの制服姿で学校に通っていた。
高校1年生にして172cmという長身も影響して、私はなんとなしに遠巻きにされていたのだが、それにほんの少しの不満をくすぶらせて日常を過ごしていた。
ある日、クラスのリーダー的女の子の声を無視した。それは私が普段からそんなだから、ちょっとした意趣返し、仕返しのつもりだった。
翌日、上履きを隠された。
なんてベタな、と考える暇もなくそこからは坂道を転がり落ちるようだった。
無視もされたし、物を隠されたし、口汚く罵られたりもした。
体格差から手を上げようとするものはいなかったが、それでも陰険ないじめは続いた。
抵抗もしない私に、周りは付け上がり、とうとう事件が起きた。
卒業式前日の掃除終わり、ロッカーに箒を収めていたときのことだった。
突然背中を押され、たたらを踏んでロッカーに足をかけたらドアを閉められた。ロッカーに閉じ込められたのだ。
「机置いてきた」
「あー、ひっでー」
「それじゃ扉開かないじゃん」
「だって何も言わないんだもん。つまんなかったからさぁ」
「そーだねー」
外から声がもれ聞こえる。音量からしてもう教室を出るところのようだ。
狭い空間ではしゃがむこともできず、背中には硬い棒がごつごつと当たり、足元からはかび臭いような濡れた臭いがした。
授業はもう終わったし、部活も入ってないし、時間的余裕はたっぷりとある。
しかしそれは逆に、見つけてもらえない可能性も大きい。
この書道教室は人通りの乏しい廊下に面している。書道部なんて部も無いから、ここを通りかかる人は皆無に等しい。
「今は何時だろう」とか、「立ちっぱなしで疲れたな」とか、瑣末事が浮かんでは消えていった。
異変が起きたのはそれからしばらくしてのことだった。
ガタガタと揺れる体。いや、空間全体が揺れている。
激しい横方向の振動だ。
誰かが外から揺らしているのか?
疑問をめぐらすうちに振動は収まった。
首をかしげ、「誰かいるの?」と声を掛けるも返ってくるものはない。
上の階からがたがたと机やイスを動かす音が聞こえる。
何だろうと思考に耽りかけた瞬間、大きな揺れが襲い掛かった。
先ほどとは比べ物にならない揺れが足元から伝わってくる。
どこからか、バリバリだのガラガラだの日常とは遠くかけ離れた破壊音が聞こえる。
キャーだのワァーだの嬉しそうな色を孕んだ声が、次第に切羽詰った断末魔に変わる。
何が起きているのか分からない。
視界が閉ざされていることを恨んだ。
揺れる揺れる。ずしんと大きな縦揺れから余韻の横揺れへ。
何だこれ何だこれ何だこれ。
思考からはその単語しか生まれてこない。
どれくらい時間が経っただろう。経ちっぱなしも疲れたな、と何の気なしにドアにもたれたとき、ドアが開いた。
出られた喜びよりも、後頭部を地面に強かにぶつけた痛みで身悶えた私は、立ち上がると周囲を見渡した。
ジャリッと上履きが地面とこすれる。
どこか廃墟となったビルを思わせる部屋の中だった。
しばらく呆然としていると、男が部屋に入ってきた。
「どこから忍び込んだ」
黒いサングラスとスーツ、いかにもという格好の恰幅のいい男だった。
「ここに閉じ込められていたんです」
私は後ろのロッカーを指差す。
男は馬鹿にするなと眼光をぎらつかせ、どこの組だ、何者だと、私に尋問しだした。
わけの分からない事態に混乱する私は、正直に話した。
1年A組の要叶です。閉じ込められていただけで、家に帰りたいんです。
そうとしか応えられないのに、男はふざけるなと怒号を上げる。
男はおもむろに懐からナイフをとりだした。
「うそ・・・・・・」
突然迫り来る死の恐怖に、体が震える。
まじめに応えろと再度質問攻めに逢うが、脅されても答えは変わらない。
思い通りにならない事態に癇癪を起こした男は、ならば死ね、と腕を振り上げる。
劈くような音の後、私の背後にあったロッカーに穴が開いた。
死んではいない。ほっとしたのもつかの間、男が私に迫ってくる。
「せっかく女が来たんだ。そのまま殺すわけ無いだろう。」
にたりと浮かべる笑顔に寒気がした。
逃げられるはずもなく、抵抗むなしく私はあっさり捕まえられた。
上へ報告に行くらしく、私はその間牢屋へ繋がれるらしい。
嫌だ。
しかしここで暴れても殺されるだけ。
そうして私は繋がれた。
それが運命の出会いとも知らずに。
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苦しい。
唐突に起こったそれにパクパクと口を開閉するが、一向に酸素は入ってこない。
当たり前だ。首を絞められているのだから。
「おとうさん」
声にならない声を掛けるが、相手には届かない。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
彼の母親が亡くなったときから、父親はおかしくなった。
ベルトラン・カシオはいわゆる富豪の一人息子であった。
カシオ家は代々宝石商として名を馳せてきた。僕の父で5代目らしい。
僕は、父ライネル・カシオと母アリエス・カシオの間に生まれた一人息子だ。
父は婿養子だったため、カシオ家の頭首の名は肩書きだけ。
実質は母の父、僕にとってはお爺様であるオーリアン・カシオが家の実権を握っていた。
父と母は政略結婚らしかったが、夫婦仲は良く、穏やかな父と慈愛溢れる母は幸せな家庭を築いていた。
母が他界するまでは。
病気だった。発症から1年を待たずして、母は帰らぬ人となった。
そして父は壊れていった。
運命のその日は、湖畔の別荘にて過ごしていた。
父の休養、精神的な療養として、ここを訪れたのだ。
僕もここを気に入ったし、父もやつれ顔にも回復の兆しが見えた気がした。
しかし
僕は今、首を絞められている。
「と・・・・・・さん。苦、し」
かすれかすれのその声は果たして父の耳に届いているのか
きっかけは赤ワインだった。
地下のワインセラーから夕食用に父の好みのものを運んでいたのだが、躓いて転んでしまった。
ボトルが割れてしまい、ガラス片で手を切った。
散々だと思いながら、立ち上がろうとしたとき、音を聞きつけて父が食堂から出てきた。
父は何事かを呟き、僕に覆いかぶさった。
ワインの染み込んだ絨毯が冷たかった。
母は血を吐いて、ベッドの真っ白だったシーツを赤に染めて逝った。
今思えば、その光景がフラッシュバックしたのだろう。
「お前も私を置いて・・・・・・ああ、神よ息子はやらない。私がこの手で命を摘もう。」
父はうわごとのように繰り返す。
「心配するな、私もすぐに行こう。二人でアリエスに会いに行くんだ」
錯乱状態の父はいつもの穏やかな笑顔を奇妙な具合に引き吊らせて、歪ませていた。
それとも、僕の目も霞んできたから歪んで見えるのだろうか。
誰か、誰か誰か誰か
必死で念じるもこの屋敷には僕と父さんの二人しかいない。
ああ、誰かが父の手を取って、父を救ってくれたらいいのに。
「愛しているよベルトラン」
(僕もだよ、父さん)
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何も無い人生なんてつまらない。
進学して就職して結婚して家庭を持って老いて死ぬ。
それも一つの人生だし、それが幸せの一般論。
細く長く、は日本の一つの美徳だけれども・・・・・・。
「なんかこう、常識を覆すような何かが起こらないかなぁ」
私は太く短く派なのだ。
卒業前に学校で出来そうなことを片っ端からやってみようと、私は躍起になった。
図書館の本を全て読破したり、
夜の学校に忍び込んだり、
校庭にミステリーサークルを描いたり、
街路樹伝いで二階から教室に入ってみたり、
全ての教室の扉に黒板けしをセットしたり、
トイレの花子さんを演じてみたり。
そして今、
「わー!屋上ってやっぱりなんかいいよね!!」
この学校の屋上にはフェンスなんて無い。だから頑丈に鍵をかけて生徒が上れないようになっているのだ。
だがしかし、
「ふふふ。扉や鍵なんてのは開かれるためにあるのよ」
この少女の前では無駄だった。
空を自由に飛んだり、他人と入れ替わったり、魔法が使えるようになったり、SFやファンタジーの世界にあこがれる。
アニメや漫画の主人公みたいに世界を冒険してみたい。
「そんな馬鹿なことを考えるのも今日で最後ね」
今日で二月は終わり、明日は三月一日。卒業式だ。
私は就職組みだから、四月からはOL生活が始まる。
「ネバーランドへ行きたいなんて、ウェンディではないけど・・・・・・」
せめてこの日常の中の本の少し非日常を目に焼き付けておこうと、屋上の端から街を眺める。
そのとき、地面が揺れた。
「え?」
足をすくわれ、4階建ての校舎の屋上から落下する。
ジェットコースターの様な浮遊感。
死の迫るその間隔に、太く短くの発言を全面的に撤回したくなった。
瞳に風が当たり、痛い。思わずぎゅっと目をつぶっては反射の涙が端から飛ばされていく。
ふと刹那、時が止まったかのように教室が目に入る。知らず、手を伸ばした。
誰か、誰か誰か誰か
私の手を取って。
私を救って。