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泊原発廃炉訴訟:福島の悲劇、二度と 原告に避難者や主婦 /北海道

 ◇「子供たちに安全を」

 札幌地裁に11日提起された泊原発廃炉訴訟。原告は612人に上り、被災地からの避難者や主婦、中学生ら、これまで「反原発」に携わっていなかった市民も名を連ねた。「早く原発をやめさせていれば、福島の事故は起こらなかった」--。原告の多くは怒りと同時に、深い後悔を胸の内に抱える。【金子淳】

 「友人は散り散りになり、故郷は奪われた。北海道の人に同じ思いをしてほしくない」。避難者としてただ一人、訴訟に加わった主婦、宍戸隆子さん(39)は、福島県伊達市から一家で札幌に引っ越して来た。出身地は福島第2原発がある富岡町。父は東京電力の下請け会社で原発作業員として働いていた。

 高校生だった89年、同原発の原子炉内に大量の金属片が混入するトラブルが起きた。不安を感じたが、同級生たちは「爆発したらみんな死ぬからいいべ」と冗談を言い合っていた。「大事故なんて起こるはずない。当時はみんなそう思っていた」。だが、そんな思いは震災でかき消えた。

 3月11日。宍戸さんは勤務先の事務室で揺れに襲われ「原発もただでは済まない」と直感した。小中学生の子供2人を連れて自宅に戻り、放射性物質を防ごうと家中の窓にガムテープで目張りした。福島第1原発の原子炉建屋が水素爆発で吹き飛ぶ映像を見て「起こるものが起きた」と感じ、子供を守るため6月に避難を決めた。

 原告団に入ったのは、何もしてこなかったことへの贖罪(しょくざい)の気持ちからだという。表立って反原発を叫ぶことに抵抗を感じる避難者も多いが「福島にはもう帰れないから」と覚悟を決めた。「原発を止められなかった自分が悪い。でも、泊原発は止めようと思えば止められる」

 江別市の主婦、樋口みな子さん(62)が原告になった理由も「無関心への反省」だ。86年のチェルノブイリ原発事故の直後に子供を授かり、友人らと勉強会を開いたこともあるが、いつしか原発に関わらなくなった。「日本では事故なんて起こるわけがない、という気持ちもどこかにあった」と振り返る。

 震災で状況は一変した。被災者の話を聞くたび「あの時もっと頑張っていれば」と後悔が募る。7月、原告団の母体「泊原発の廃炉をめざす会」の設立とともに入会し、原告になろうと決めた。「泊原発があるだけで不安。子供たちに安全を残したい」。訴訟に懸ける切実な思いだ。

毎日新聞 2011年11月12日 地方版

 

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