2011-03-01 05:09:17
児童養護施設に行きました。
テーマ:チャリティ∞ボランティア
私事ですが、今、子供を支援するNPO法人を立ち上げています。
今まで個人的にも仕事としても、様々なチャリティーやボランティアに携わらせて頂きました。
難民支援や地雷撤去、ゴミ拾いやHIVの啓蒙活動etc.etc.
本当に様々な活動がありました。
+INGという雑誌では、社会貢献している方へのインタビューを3年間連載させて頂いています。
そこで感じたこと、学んだことを活かして
今まで以上に責任を持って活動できたらと思っています。
まずは仲間を集めることから始まりました。
本当に奇跡のような出会いや再会が重なって、
心から尊敬できて信頼できるブレーンが揃いました。
そして、活動内容を何度も何度も会議を繰り返しながら固めてきました。
まだまだ試行錯誤の最中ですが、
既に得ているものがたくさんあります。
自分の中の一つの指針ができたことで
出会う人、聞くこと、観るもの…
すべてが繋がっていくのを日々感じています。
その活動の中で、先日見学に伺わせて頂いた東京都内にある児童養護施設。
現在、約60名の子供が暮らしています。
もともとは戦争孤児のために建てられた施設ですが、
現在は孤児は全体の一割も居ません。
ほとんどは、親が健在であるのに、一緒に暮らせない事情がある子ども達です。
正直、私の中には先入観がありました。
狭い部屋にぎゅうぎゅうで。
着るものも古くて、貧しい生活をしている…。
地域によって、助成金の額や、決まりごともまちまちなようで、
一概には言えないのですが。
私が伺わせていただいた施設は、建物としてはとても充実していました。
正直、私の実家より立派でした^^
東京都が問題意識を高く持って、対応していることが
驚きでもありましたが、安心もしました。
ただ、よくよくお話を伺って、
政府だけでは対処しきれない現状があることを知りました。
たくさんの事情を抱えている子どもたち。
児童相談所が親元から離すと判断するくらいです。
どれだけの辛い生活だったのでしょうか。
身体に。心に。
目には見えない傷がまだ癒えていない子供がたくさん居ます。
眠れない。イライラしやすい。
キレやすい。落ち着きが無い。
協調性が無い。…様々な不定愁訴。
政府や自治体としてできることは…。
・できるだけ予算を多く配分すること
・専門家を配置すること
書面で見る限りでは得策に思えることも。
現場で見ると違いました。
この部屋には、専門家…つまりは精神科医が施設に配置され、
不定愁訴に医学的な呼び名を付けて、薬を処方する。
つまりは、小学生が抗うつ剤を飲んでいるのです。
もちろん、親元を離れている子ども達が
きちんと薬による治療が受けられる環境は本当に素晴らしいと思います。
…ただ、私の憶測かも知れませんが、
子供たちの不定愁訴が薬だけで改善されるとは思いがたいのです。
私の家庭も母を亡くした後にたくさんの問題がありました。
突然だった母の死に、それぞれが心に傷を負いました。
今でこそ、みんなに羨ましがられるような自慢の家族ですが、
当時は本当に崩壊していました。
小学生の頃は、マンションの屋上で眠ったり。
深夜に電話ボックスに駆けこんで、電話帳を見て、
自分の行き場を朝まで探したことも何度となくありました。
あの頃の私は、幸か不幸か、
児童相談所や児童養護施設に辿り着けませんでした。
でも、本当に紙一重だったと思います。
不登校になっていた私たち兄妹は、
時代が違えば抗うつ剤を処方されていたかも知れません。
そんな私たちが今、お互いを大切な家族として思えるようになったきっかけは
薬の力ではありませんでした。
もちろん千差万別の家庭の事情や個人の状態があります。
解決策は一つでは無いと思います。
ただ、子供たちが本当に必要としているのは…
「愛情」だと思わずには居られないのです。
たくさんの愛情表現の形、
政府にできること
施設にできること
家族にできること
学校にできること
友達にできること
私たちにできること
どれがいいとか悪いとかでは無くて。
一つでも多くの選択肢を作りたい。
児童養護施設にいる子供に限らず。
一人でも多くの子どもとその家族の
笑顔と元気の手助けとなれたら…☆彡
そんな夢と希望を持っています。
具体的なことはまた報告させてください^▽^
今日、暗闇の中に居る子供たちの心に
どうか光が差す未来が訪れますように…☆
どうか未来を諦めませんように…☆
今まで個人的にも仕事としても、様々なチャリティーやボランティアに携わらせて頂きました。
難民支援や地雷撤去、ゴミ拾いやHIVの啓蒙活動etc.etc.
本当に様々な活動がありました。
+INGという雑誌では、社会貢献している方へのインタビューを3年間連載させて頂いています。
そこで感じたこと、学んだことを活かして
今まで以上に責任を持って活動できたらと思っています。
まずは仲間を集めることから始まりました。
本当に奇跡のような出会いや再会が重なって、
心から尊敬できて信頼できるブレーンが揃いました。
そして、活動内容を何度も何度も会議を繰り返しながら固めてきました。
まだまだ試行錯誤の最中ですが、
既に得ているものがたくさんあります。
自分の中の一つの指針ができたことで
出会う人、聞くこと、観るもの…
すべてが繋がっていくのを日々感じています。
その活動の中で、先日見学に伺わせて頂いた東京都内にある児童養護施設。
現在、約60名の子供が暮らしています。
もともとは戦争孤児のために建てられた施設ですが、
現在は孤児は全体の一割も居ません。
ほとんどは、親が健在であるのに、一緒に暮らせない事情がある子ども達です。
正直、私の中には先入観がありました。
狭い部屋にぎゅうぎゅうで。
着るものも古くて、貧しい生活をしている…。
地域によって、助成金の額や、決まりごともまちまちなようで、
一概には言えないのですが。
私が伺わせていただいた施設は、建物としてはとても充実していました。
正直、私の実家より立派でした^^
東京都が問題意識を高く持って、対応していることが
驚きでもありましたが、安心もしました。
ただ、よくよくお話を伺って、
政府だけでは対処しきれない現状があることを知りました。
たくさんの事情を抱えている子どもたち。
児童相談所が親元から離すと判断するくらいです。
どれだけの辛い生活だったのでしょうか。
身体に。心に。
目には見えない傷がまだ癒えていない子供がたくさん居ます。
眠れない。イライラしやすい。
キレやすい。落ち着きが無い。
協調性が無い。…様々な不定愁訴。
政府や自治体としてできることは…。
・できるだけ予算を多く配分すること
・専門家を配置すること
書面で見る限りでは得策に思えることも。
現場で見ると違いました。
この部屋には、専門家…つまりは精神科医が施設に配置され、
不定愁訴に医学的な呼び名を付けて、薬を処方する。
つまりは、小学生が抗うつ剤を飲んでいるのです。
もちろん、親元を離れている子ども達が
きちんと薬による治療が受けられる環境は本当に素晴らしいと思います。
…ただ、私の憶測かも知れませんが、
子供たちの不定愁訴が薬だけで改善されるとは思いがたいのです。
私の家庭も母を亡くした後にたくさんの問題がありました。
突然だった母の死に、それぞれが心に傷を負いました。
今でこそ、みんなに羨ましがられるような自慢の家族ですが、
当時は本当に崩壊していました。
小学生の頃は、マンションの屋上で眠ったり。
深夜に電話ボックスに駆けこんで、電話帳を見て、
自分の行き場を朝まで探したことも何度となくありました。
あの頃の私は、幸か不幸か、
児童相談所や児童養護施設に辿り着けませんでした。
でも、本当に紙一重だったと思います。
不登校になっていた私たち兄妹は、
時代が違えば抗うつ剤を処方されていたかも知れません。
そんな私たちが今、お互いを大切な家族として思えるようになったきっかけは
薬の力ではありませんでした。
もちろん千差万別の家庭の事情や個人の状態があります。
解決策は一つでは無いと思います。
ただ、子供たちが本当に必要としているのは…
「愛情」だと思わずには居られないのです。
たくさんの愛情表現の形、
政府にできること
施設にできること
家族にできること
学校にできること
友達にできること
私たちにできること
どれがいいとか悪いとかでは無くて。
一つでも多くの選択肢を作りたい。
児童養護施設にいる子供に限らず。
一人でも多くの子どもとその家族の
笑顔と元気の手助けとなれたら…☆彡
そんな夢と希望を持っています。
具体的なことはまた報告させてください^▽^
今日、暗闇の中に居る子供たちの心に
どうか光が差す未来が訪れますように…☆
どうか未来を諦めませんように…☆
1 ■無題
美元さんの活動、尊敬いたします。陰ながら応援しています。理想の活動が実現できるよう願っています。