第41回全国教師講習会(抜粋)
次に、池田大作の邪義に触れることにしたいと思います。
三大秘法に対する邪義は皆さんもよく聞いておることと思いますが、三大秘法に共通する池田大作の根本的な誤りはどこにあると思いますか。私は、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇、このすべてに共通しておる誤りがあると思うのです。これは、口先だけは「大聖人直結」などと言って、大聖人を崇めているようですけれども、その説明の方法、方式、また、今までにやってきたことを見れば、すべて御本仏である大聖人のお心を蔑ろにしておるということであります。
(中略)
それで、特に三番目の戒壇に関する邪義は最もひどいのです。今まで色々な面で私も申し上げておりますけれども、この戒壇ということは御本仏日蓮大聖人様の終窮究竟の御遺命であります。題目の法門は、宗旨建立以来、ずっと説かれておりますし、本尊については佐渡以降からお示しになるけれども、戒壇ということだけは、佐渡中の『法華行者逢難事』の追申の文のほかは、身延に入って、『法華取要抄』に初めて正式に名目が出、『報恩抄』にも名目だけはあります。しかし、結局、戒壇の本義をはっきりとお説きになるのは、『三大秘法抄』と、御相伝書としての『一期弘法抄』だけなのです。
少ないから大したことはないと思う人はまさかいないと思いますが、御法門は数の多さではありません。数の上では、法華経と阿含経とを比べれば、全く阿含経のほうが多いですし、般若経などは、法華経の一部八巻に対して大変な巻数です。まして、その肝心は一品二半であります。ですから、教法の値打ちというものは数の多さではないのです。
この戒壇の法門の御指南、また、その内容は、そのまま大聖人様が末法万年の衆生を救済せんとするお心であるわけです。すなわち、戒壇という形だけを仰せになったのではなく、三世常住の御本仏の一貫するお心の上からの究極の御遺命であるわけです。
ところが、それを形式と精神に分けてしまったのが、あの大慢心、大我見の池田大作なのです。たびたび申し上げておりますが、あの昭和三十九年の台東体育館での、
「戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます」
という発言、これは大聖人のお心を全く排除してしまっているのです。我々は、『三大秘法抄』『一期弘法抄』を拝する場合、あくまで大聖人のお心の上から御文を拝さなければならないのです。そこに、遺弟の遺弟たる所以があり、血脈相承を承けられた日興上人様のお心もあるわけです。
それを、自分が広宣流布を達成したと言いたいがために、大聖人様のお心から離れて、形だけ戒壇を建てればいいというのが、あの者の狂った考えであります。つまり、創価学会が未曾有の八百万世帯まで折伏したということから、これも実際にはそうでもないらしいけれども、とにかく、その実績をもって、大聖人様の御遺命は自分が達成したことにしてしまおうとしたわけです。
ですから、「私がやりました、全部やりました」というようなことを最近でもよく発言しておるようですが、結局、大聖人の本当のお心である真の広宣流布の達成は大変であるからごまかして、自分に都合のいいように御遺命をすり替えたわけであります。まさに摧尊入卑であります。
我々が、大聖人の御指南のままに、これから広宣流布を考えていく上において、『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇の法門は、必ず文・義・意の三段の上から拝さなければならないのです。すなわち、意は、絶対に大聖人様のお心でなければならないのです。それを、何がなんでも我々が達成した、自分がやったということにしようとするのが池田大作の邪念であります。
その邪念は、「絶対に大聖人様の御遺命を達成し、本門戒壇を建立する日が来る」という我々の大確信とは根本的に違うのです。今日、その大確信こそ、我々は持たなければならないし、また、そこを離れては大聖人の弟子としての資格はないのです。
また、当時、盛んに「民衆立」ということを言っておりました。しかし、先程も申しましたが、たかだか日本の人口の十分の一にも満たない数で、民衆立も何もないわけです。そこで、公明党の在り方等、すべてを自分の都合のいいように解釈したわけですが、日達上人がおっしゃった広布の定義的な意味から考えても、純真にして確実な信徒が少なくとも三分の一ということにならなければならないわけです。
そのような意味から考えても、当時の状況、また、今の創価学会でも御遺命の達成は足元にも及ばないことなのです。それを何とか達成したことにしたかったわけです。それで、当時、民衆立ということを盛んに言ったのです。
ところが、「国立」ということを主張したのが浅井昭衛のほうの妙信講で、今でも盛んに「一天広布国立戒壇」ということを言っております。しかし、国立という考え方は、国の機関が建てるということになると思うのです。つまり、国は一つの国家機関でありますから、憲法や法律があります。今の憲法においては、いくら妙信講が「国立戒壇だ」と叫んでみても、結局、憲法には違反するわけですから全く不可能なのです。
また、私は、国家機関が建てるということになると、大聖人様の御精神から少し外れるようにも感ずるのです。
そこで、私はこのように考えたらどうかと思うのです。私は、それほど偉くもありませんから、今後、このようにすべきだという意味で申し上げるわけではありません。また、この戒壇建立ということは、『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇、すなわち大聖人御遺命の戒壇でいいと思いますし、それ以上、何かいう必要はないとも思います。しかし、敢えて一つの考え方として申し上げるならば、「国主立」という言い方はどうだろうと思うのです。
国主立という言い方であれば、これは国家機関ではなく、人格的な意味がそこに入ってくると思うのです。つまり、機関が建てるのではなく、大聖人様の御仏意を正しく承け継いだ方が、複数か単数かは別としても、そのような方が尊い信心の上から建てるという意味がそこに出てくると思うのであります。
しかも、国主ということであれば、その時その時の政治形態がどのような形であれ、すべて当てはまってくると思うのです。例えば、現在においては主権在民ですから、国民が国主であります。したがって、将来の広布の進展の相において、憲法を改正できる数の国民が純真な信徒になれば、国主である国民による戒壇建立ということが可能となるのであります。
さらに、『一期弘法抄』の御文を拝しても、
「日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」
(新定三―二六八七ページ・全集一六〇〇ページ)
と、「国主」という語が明らかに示されております。この御指南からすれば、戒壇を建立する方は、国主でもあるし、御遺命を承けた日興上人でもあると拝せられます。
やはり、日興上人のお立場、また、僧侶の立場は法を伝持するところにありますから、基本的には、そのような経済的基盤というものは持っていないわけです。したがって、純真な信徒となり、外護する立場となった国主と僧団とが一つになって建てよという意味が、この「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」という御遺命に篭められておると拝する次第であります。
ですから、『一期弘法抄』のなかにおける「国主」という語においても、この国主立という言い方が、実状に即するのではないかと考えるわけです。
しかし、私は、これからの宗門において国主立と言おうと申しているわけではありません。あの昭和四十五年、御虫払会の御影堂における御説法において日達上人が、
「有徳王・覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並に御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから私は未来の大理想として信じ奉るのであります」
と仰せになった如く、我々はあくまでも『三大秘法抄』『一期弘法抄』に御遺命の戒壇を、我々に与えられた民衆救済の大事業として、どこまでもその達成に向かって正しく進むべきであるということを申し述べるものであります。
とにかく、日達上人の御苦心等により、直ちに正本堂が『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇ではないという形になっているけれども、池田大作としては御遺命が達成したことにしたかったのです。
ですから、昭和四十三年の着工大法要の時には、
「法華本門の戒壇たる正本堂」(大日蓮二七三号巻頭)
と、『三大秘法抄』の御文を挙げて、明らかに御遺命の戒壇であるかのように発言しているのです。
また、ある人の記述によれば、昭和四十七年十月十二日の正本堂落慶の日に、下山するバスのなかで、「本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました」という、嘘の伝言をさせたというのです。この一事を見ても、いかに池田大作が大聖人御遺命の達成ということに執著があったか判ろうというものです。
ですから、日達上人にその野望を遮られたことがのちのちまでも内心の恨みとなっていったと思うのです。そのような色々の因縁の上から起こしてきたのが、いわゆる五十二年路線、また、「広布第二章」という在り方であったと思うのです。
ですから、池田大作は、「七百年の伝統があっても、大聖人の本義は民衆のなかにある、人間のなかにある」ということを頻繁に言っておるようですけれども、「民衆のなかにある、人間のなかにある」と言ってみても、その民衆や人間を導くのは仏様であります。その仏様のお心を蔑ろにしているわけですから、そこにあの者の大誑惑の元があるのです。