「さんてつ」(三陸鉄道)は3月20日、宮古-田老間(12.7キロ)で運転を再開し、震災の対策本部として使っていた車両に乗客を乗せて走り始めた。29日には田老-小本間(12.4キロ)も復旧、宮古-小本間(25.1キロ)がつながった。使える車両は1両だけだった。朝夕には約140人がこの1両にすし詰めとなり、混雑緩和と故障時の対応が課題となっていた。
5月28日、岩手県が費用を負担して久慈から宮古へ向けて2両を陸送して事態を打開した。陸中野田-小本間(34.8キロ)が津波で寸断されたため、久慈にある指令所から信号を制御できず、宮古-小本間は現在も手旗信号による運行が続いている。震災当時、6000リットルほどの燃料が久慈の車両基地にあった。通常なら4日分の量だが、久慈-陸中野田間(11.1キロ)を1日3往復するだけなら当分大丈夫だ。一方、宮古-小本間には基地がなく燃料の備蓄ができない。久慈から燃料を運ぶわけにもいかず、地元の自治体にも協力を仰ぎ、タンクローリーを手配するなど手段を尽くして燃料を確保した。車両の整備や点検は久慈の基地へ回送できないため、宮古駅近くの橋の下で行っている。
◇「日々見守っているわ」「三陸鉄道は地域の声でできた。家や車をなくした被災者には絶対に必要な交通機関です」。望月正彦社長は、さんてつの果たす役割をこう語る。部分運行を再開したさんてつに乗ってみた。
6月9日、宮古駅から午後4時10分発の小本行きの気動車に乗った。乗客は高校生やお年寄りなど約20人。「今日は暑いね。26度だって」。女性から話しかけられた運転士の飯田晃司さんは「昨日も暑かったね」と答えながら、下車する乗客から切符を受け取る。トンネルを抜けると緑が色濃く、津波による被災地というより山の中を走る鉄道のような印象だ。田老駅が見え始めると車窓に津波の爪痕が広がった。
長いトンネルを抜けると窓がエアコンをかけていなかったためか曇った。以前は最高時速90キロだったが現在は45キロ。8分15秒で通りぬけたトンネルを13分かけて走る。午後4時52分、予定通り小本駅に到着した。いったん、ホームを離れ午後5時5分発宮古行きとなるべく準備をする。
小本で買った宮古行きの600円の切符は昔懐かしい「硬券」だった。小本からは5人が乗った。乗客で主婦の柿本ユミ子さん(69)は「震災以降、車両が見えなくなって心配していたの。再開してくれて感謝の気持ちでいっぱい。車両が2両に増えたなとか、駅に入る車両を日々見守っているわ。大変だろうけど元通りになってほしい」と全面復旧への期待を話しながら田老で降りて自宅へ向かった。田老では高校生ら約30人が乗車し、座席はあっという間に埋まった。宮古には予定通り午後5時47分に到着した。
宮古から小本へ折り返す午後6時20分発の列車は2両編成となった。地元の高校生ら100人以上が車両に吸い込まれ、あたりはだんだん暗くなっていった。
10日午前7時、久慈から陸中野田へ向かう列車にも乗ってみた。40人以上の高校生たちが乗り込んだ。運賃は300円。陸中野田で運転士に硬貨を手渡した。折り返しの久慈行きには120人以上の高校生たちが乗り込んできた。日本史の教科書を手に級友たちと必死に最後の追い込みをする女子高生は、中間試験の真っ最中だという。
久慈駅からはタクシーに相乗りして学校へ向かう学生の姿もあった。さんてつは高齢者や学生など「交通弱者」の足として生活を支えていた。
◇いまも割引続ける望月社長は運行再開当初、無料期間は1週間ほどと考えていた。だが「被災者の姿を見ると、とてもお金(運賃)が取れる状況ではなかった」と振り返る。結局、3月末まで無料運行を続け、4月末までは罹災(りさい)証明があれば無料とした。有料化した現在も割引運賃で運行している。【米田堅持】=つづく
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