2011年10月15日
がん検診をきっかけに、子宮頸(けい)がんと診断された大阪府の女性(48)は1999年12月、大学病院で手術を受けた。手術は、15分ほどで終わった。1日だけ休み、仕事に戻った。営業で車を運転するときはおなかに力が入り、さすがに傷口が痛んだが、徐々に病気のことは頭の片隅に追いやられていった。
2週間ほどたった。仕事から家に戻ると、留守番電話に、大学病院の医師から何件もの伝言が入っていた。「伝えたいことがあるので、電話を下さい」。仕事が忙しく、その日はかけ直さなかった。
翌日も留守電が入っていた。「これは、かけなあかん」。漠然とした不安を胸にかけ直すと、緊張した口調で医師が告げた。「手術で切った細胞を検査した結果、がんが取りきれていませんでした。もう一度、病院に来て下さい」
がんの治療は、手術で終わり。そう信じていた。「仕事ができなくなったらどうしよう。今後の生活はどうしよう」。最悪の事態が頭を駆けめぐった。
医師の説明では、幸い早期だったが、36歳と若いため進行も早いという。一日も早く手術で子宮を取ることを勧められたが、1カ月以上入院しなくてはならない。仕事の引き継ぎに、1カ月は必要だった。年明けの1月末に入院することを決め、翌日、社長に報告した。
入院前日の夜。友人と鍋を食べに行った。「しばらく飲めなくなるから」と杯を重ねるうち、抑えていた思いがあふれ出してきた。「私、子宮が無くなるんやな」。涙がボロボロ、止まらなくなった。
今回の手術は、数時間かかった。術前、医師は「おなかを開かないとわからないが、できるだけ卵巣などは残したい」と説明していた。ところが終わってみると、がんが転移していた骨盤内のリンパ節を切除した上、リンパ管にも広がっていたため卵巣も取ったという。
浮腫や更年期障害のような副作用が出る可能性がある。医師の判断とはいえ「説明と違う」とショックだった。
経過は順調で、予定の1カ月間で退院できそうだった。だが放射線治療を実施することになり、さらに2カ月間、入院を延長することになった。
※ 「患者を生きる」は、2006年春から朝日新聞生活面で連載している好評企画です。病気の患者さんやご家族の思いを描き、多くの共感を集めてきました。
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