2011年11月9日03時00分
これも就活の悲哀か。プロ野球ドラフト会議における「職業選択の自由」を考える。
今月2日の横浜スタジアム。9回裏に逆転負けを喫し、明治神宮野球大会への出場権を失った東海大の菅野(すがの)智之投手(22)は10秒ほどマウンドを動けなかった。試合後は赤いタオルで何度も涙をぬぐった。
「気持ちの整理をして考えなきゃいけないことがあるので。一生のことなんでじっくり考えて決めたい」
菅野投手は、10月末のドラフト会議で巨人と日本ハムから1位指名された。抽選で交渉権は日本ハムへ。結果を知って肩を落とす姿が、希望の企業に入れなかった就活生に重なる。
菅野投手は巨人の原辰徳監督のおい。巨人は昨年12月の会見で、菅野投手を1位指名すると発表した。「相思相愛」を崩さぬよう、他球団は菅野投手を指名しないと見られていた。翌日のスポーツ紙には「まさかの競合」「ハムが菅野強奪」との文言が並んだ。
■「職業選択の自由」の侵害なのか
ヤクルトの元スカウト、片岡宏雄さん(75)は「日本ハムが巨人とけんかしてまで指名したというのは、彼の実力をそれだけ認めているということ」と話す。
だが、いくら請われても他球団に行きたい場合もある。ドラフト制度は憲法で保障された「職業選択の自由」を侵害しているのではないか、との議論は、昔から繰り返されてきた。
1980年代から問題を提起してきた辻口信良弁護士は言う。「『野球界に入る』と考えると、自由は侵されていない。でも、行きたい球団に行けないということでは侵されている。二つの考え方があるんです」
辻口さんは新聞社に例えて「A新聞とB新聞の試験に合格したのに強制的にどちらかに行けと言われたら自由が侵されたと言えるかもしれないですよね」。確かに新聞記者という仕事は同じだが、社によって方針や雰囲気が違いそう。私だったら、自分で選びたい。
強行突破した例もある。「空白の1日」事件だ。巨人入団を希望していた江川卓投手が他球団の指名を拒否して米国留学し、78年のドラフト直前に帰国して巨人と契約。契約は無効となったが、結果的にトレードで巨人に入団した。
球団ごとの選手の偏りを防ぐ目的でドラフト制度が始まったのは65年。93年には移籍の自由を与えるフリーエージェント(FA)制と、社会人と大学生が希望球団を逆指名できる制度を導入したが、選手の「希望」を取り付けるために金銭を渡した事件が発覚。逆指名は廃止された。
球団は選択できなくなったが、辻口さんは「FA導入で入団チームにずっと拘束されるわけではなくなった。今、訴訟を起こしても勝つのは難しいかも」と話す。元オリックス球団代表の井箟(いのう)重慶さん(76)も「希望するところに行けないのはしょうがない。それがドラフト」との考えだ。
■「希望通りいかないのが人生」
阪神に入団、その後トレードでオリックスに移籍し、1試合で19奪三振のプロ野球記録を樹立した野田浩司さん(43)は「ドラフトでは12球団どこでもいいと思っていた。次のオリックスも希望して行ったわけではないけど、結果的には成長できたし活躍できた」と言いつつ、「人がどうこう言えることじゃない」と菅野投手を思いやる。
ときにドラフトは、人生そのものに例えられる。
「ドラフト1位 九人の光と影」の著書があるノンフィクション作家の沢宮優さん(47)は「伯父さんの下で野球をしたかった菅野君はかわいそう。でも、希望通りいかないのが人生だから」とため息をつく。
冒頭の試合を見ていた横浜市の男性(70)は「100%順調にいく人生を送る人なんて99%いない。私も第2希望の会社に入社したけど、どこに入っても同じだろうな、と今は思う」と語り、「人生、塞翁(さいおう)が馬」とほほ笑んだ。(山本奈朱香)