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大規模農業の意味と日本の村 - 惰弱で過保護なのは産業資本だ
「これまで、日本に住む人の食料を支え、地域経済を支えてきたのは、兼業でやっているような小さな農業ですよね。ローカリゼーションとよく言われるのですが、自然とうまく付き合いながら、土を守り、背後の里山を守ってきた農業。TPP参加で関税ゼロになると、そういう食料と地域を支えてきた"農家の農業"が潰される。大規模農業で形だけは復興したとしても、地域社会はなくなる。歴史とか人が作り上げてきた文化は消えてなくなる。それは復興とは言えない」。11/6のサンデーモーニングで、大野和興がこう述べていた。農業を規制緩和して資本を入れ、株式会社経営で大規模するとどうなるか。おそらくそこに、丸紅とか三井物産とか住友商事が入り、米国の農業資本が嬉々として参入してくる。低賃金の外国人労働者を使い、周辺に集団で居住させて耕作させるだろう。輸出用のブランド米を大量生産し、世界中の富裕層や高級日本料理店の販路に売る。つまり、日本の国土の平野がコメのプランテーションになるのだ。われわれが社会の地理で習ったところの、フィリピンのバナナやブラジルのコーヒーやマレーシアのゴムの農園になるのである。資本が儲けるための単作の商品作物栽培。寺島実郎が農業の自由化に熱心なのは、三井物産の人間だったからに違いない。無論、利益が出なくなったら放棄される。製造業の工場撤退と同じ。


農業を大規模化するということはどういうことか。それは、政治学的な視角から言えば、古代荘園制に戻ることである。高校の世界史でラティフンジウムという用語を習うが、大航海時代にスペインとポルトガルが南米やアジアに持ち込み、植民地で定着させたプランテーション経営は、古代ローマのラティフンジウムの直截の移植に他ならない。日系ブラジル移民を描いた橋田壽賀子のドラマ『ハルとナツ』で、森光子(米倉涼子)が演じた姉が回想していたように、入植した先のコーヒー農園では、ライフル銃を所持した番人に監視されて労働するのであり、不審な動きをすれば問答無用で発砲、射殺されるのである。権利の境遇は農園主の奴隷なのだ。だからこそと言うべきか、プランテーションには外国人労働者が使われる。米国の綿花とキューバのサトウキビにアフリカ人、マレーシアのゴムとフィジーの白檀にインド人。その土地を奪い取った相手である原住民には耕作させない。小作として雇用しない。大航海時代のスペイン・ポルトガルは、征服した海外植民地に古代ローマの属州を再現した。古代日本史に登場する荘園制も、ラティフンジウムに少なからず性格が似ている。耕作する農民は事実上の奴隷であり、荘園領主たる貴族が絶対的支配者として君臨、領内の警察権と裁判権を握っている。荘園は貴族が開墾して水田化した生産基地で、荘園農民も外から連れて来た農民である。

以下は高校の日本史では習わず、大学の講義で学ぶ事柄だが、村という実体と概念は、実は中世以降のものであって、日本の古代に村は存在しない。村、すなわち大野和興が「地域社会」と呼ぶところの村落共同体は、太古の昔からそこに所与としてあるものではなかった。発生と出発の歴史がある。村の前身は庄なのだ。荘園があった。庄があり、庄がなくなり、村に変わって新生するのである。8世紀以降の貴族による墾田と荘園化、これは、イメージとしては、その周辺に定住していた田戸(律令制の口分田農民)を放逐し、大規模な灌漑工事で水路を引き、土地を平坦に区画整理して畦を造成し、いわば巨大な水稲作工場を造るのである。その工事作業者と水田労働力として、遠方の地から追われて逃げてきた元田戸を使うのだ。逃亡農民は荘民(貴族の所有する奴隷)になる。平安にかけて、荘園制が日本の支配的な生産形態および土地所有形態になるが、それが鎌倉・室町と時代が進むうちに内部で変容を起こし、貴族の没落と同時に自立した自営農民(武士)が地場で上昇する。関東平野では、西の荘園から逃げてきた逃亡農民の集団が、蝦夷を追っ払った後の原野(パイオニア)を開墾、一所懸命の武士(武装せる農民)となる。下克上と土地争奪の戦乱が続き、貴族(領主)の衰滅と共に荘園(庄)は消え、独立自営農が共同して自治社会を作る。それが村だ。村は庄とは異なり、プランテーションの契機がない。

高校の日本史では、荘園内の農民が古代から中世にどう変容するかは詳論され、入試にもよく出題されていたが、大きく、庄が村になるという地域社会の発展の概念については授業で教わった記憶がない。日本の村は中世から出発する。村は歴史の出発点から共同社会であり平等社会である。一昨夜(11/6)のNHKスペシャルで、南三陸町の馬場中山集落の再建を特集していたが、そこで何度も登場した印象的な語り継ぎの村の憲法、「金持ちになるときも、貧乏になるときも、みんな一緒」は、決して偶然のものではなく、馬場中山に固有の文化性や思想性ではない。日本の村は、原型において共同社会なのであり、前提において平等な人格が存在し、土地所有者で生産主体たる個々が共同体を形成するのである。小宇宙の人間関係に支配や収奪の契機はないのだ。大野和興が言っているところの、大規模化すれば地域社会はなくなり、人が築いてきた歴史と文化も消えるというのは、大袈裟な警告ではなくて、当を得た正確で科学的な指摘と言える。武士(サムライ)という生き方、世界が尊敬する日本人の精神性も、そこから生まれるのであり、自立した農民が共同するときにそうした責任倫理を持った人原類型が形作られるのである。侍は村の発生と共に日本史に登場する。司馬遼太郎は、鎌倉期から本当の日本史が始まるのだと極論を述べ、それじゃ源氏物語は日本史じゃないのかと反論する梅原猛と激論に及んだ。

日本の官僚が制度設計するときの手本であるEU諸国では、現在も農業は家族経営である。"農家の農業"であり、小規模で経営している。フランスでも英国でも、高い補助金を出して農家経営を維持しているが、彼らがそうするのは、涌井雅之が言うように、まさしく社会政策の意味と目的があり、地域の自然環境を守り、景観を守り、国土を保全するためには、農家(家族小経営)がその主体でなくてはならないからだ。それは、決してノスタルジーで情緒的にやっているのではない。資本主義的な利益追求の大規模農業では、地域社会が破壊され、自然も国土も景観も再生が難しくなることを彼らが知っているからである。何故なら、そうやって営利目的の大規模農業で植民地の地域を壊し、土壌を傷めつけ、単作商品作物栽培に依存しなくては生きていけないように植民地をしたのは、他ならぬ彼ら自身だったからである。そうした事情は、日本のマスコミは全く言わず、「足腰の強い国際競争力のある日本農業」のプロパガンダばかりが喧しく連呼される。このような政策論は、新自由主義時代になってから強く言われるようになったものだ。「成長戦略」という語が頻出するようになったのは、安倍政権か麻生政権の頃だと記憶するが、得に強調されたのは菅政権からである。その中身として、農業と医療の規制緩和が入り、農業と医療は成長分野だから、規制緩和するべきだという声が正論のようになり、古賀茂明がそう言うと、古舘伊知郎が「そのとおりです」と頷いている。

要するに、日本の大資本の蓄積環境として、製造業が韓国や中国に負け始め、国内で儲けられる産業分野を失い、資本の処女地として農業と医療に突進しているのである。欲望に目を滾らせ、涎を垂らしながら、資本が農業と医療を餌食にしようとしているのだ。TPPは第一義的には米国資本のために国内の制度を改定することであり、日本人の生命と財産を犠牲にして米国に貢ぐことだが、二つ目には、日本の大資本がそこで便乗して儲けるということがある。TPP参加表明の後、国会批准の前後に、農地法改定が具体的な日程に上るだろう。農協が、嘗ての80年代の国鉄の労組のように、買収と裏切りで二つに割られ、組織として解体されるのではないか。仙谷由人の発言などを聞いていると、そういう汚い政治謀略の衝動がギラギラしていて、思い出したくないものを思い出させられ、気分が悪くなる思いがする。三つ子の魂百まで。マヌーバーの野獣。右翼以上に突出した反動工作の政治狂気。この男、東大全共闘で何をやっていて、どういう毎日だったのだろう。過去を知る者から証言を聞きたいものだ。あのとき、郵政民営化の嵐のとき、郵便局の局長や職員が「抵抗勢力」とされ、非国民扱いされて残虐に苛められた。仙谷由人や松下政経塾や経団連の農協攻撃は、まさに当時を彷彿させるサディズムの政治だ。これから、同じ残酷なパージが再現し、農家が愚図なゴミ扱いされ、人権を剥奪されるだろう。農協は、朝鮮総連のような扱いを受けるに違いない。

仙谷由人とか、猪瀬直樹とか、屈折した過去と心理を持つ男は、資本の手先になって反動政治の先鋒で斬り込むときは、まさに悪魔の化身になって凄絶に立ち回り、13世紀のモンゴル軍のように破壊と殺滅をし尽くす。TPP反対派がよく言うところの、「日本の食料はどこの国よりも開放されている」という議論がある。今回は、それについて数字で比較して検証できないが、一つ思ったのは、おそらく、他国以上に市場開放したから、食料自給率が異常に低くなったのだ。ここまで開放せず、他品目に関税を維持していれば、自給率は40%よりも高くなっていたはずである。食料の関税緩和度すなわち農水産物の自由化と、食料自給率とは反比例の関係にあるに違いない。なぜ、日本は他国以上に食料を開放したのか、それは、製造業の生産物を輸出するためであり、工業製品の輸出の対価として、相手側(米国)から農産物の輸入(自由化)を求められたのである。農業は現在でも疲弊している。その大きな理由は、こうした諸品目の関税自由化に加え、食管法廃止で国内のコメ流通が自由化し、市場価格が引き下げられたからである。この接点に注目する論者はいないが、食管法廃止以降の米価の推移と、日本のデフレスパイラルは同期したカーブを描いている。今、TPP反対を言っている者でも、日本の農業は過保護だとか、農家は寄生虫だとか、平気で言っている者が多数いる。新自由主義者の主張を鵜呑みにしている。逆ではないのかと私は思う。過保護は大資本の日本企業の方だ。

例えば、昨日(11/7)報道されたスパコンもそうだ。国の大量の補助金が入っている。原発関連予算で東芝や日立や三菱に膨大なカネが注がれている。産業界に流れている補助金は、年間の合計で何兆円になるのか。挙げ句に、海外に生産基地を移しても、サムソンに負け、LGに負け、現代に負け、日本の産業こそ甘えた過保護の小僧ではないのか。逆境に耐え、清貧に生き、よく努力しているのは農家の方だ。


by thessalonike5 | 2011-11-08 23:30 | Trackback | Comments(0)
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