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ひらがな5文字の「はたともこ」ブログ
助産師の育成 4月18日
2003年の全国出生数統計によると、土日の出産数が極端に少なく、時間別では午後1時〜2時が出産のピークだ。一方、出産に医療が介入しない助産院では、日の出に近い午前6時に出産のピークを迎える。病院での出産は医師の出勤時間帯に多く、助産院では午後11時から翌日のお昼頃までが多い。グラフにすると、病院と助産院とでは、明らかに正反対の結果が見てとれる。病院では、医師が勤務時間にあわせて人工的にお産の日時を調整しているのだ。
全体の98.8%を医療機関が担う現代のお産事情。しかし、その全てに医療行為が必要というわけではないはずだ。助産院のお産がそうであるように、本来助産師の介助だけで無事に出産できるケースが殆どであるはずだ。しかし実際には、病院で出産する場合には、陣痛促進剤や帝王切開などの処置がなされる。何故か。正常な自然分娩の場合、病院の儲けは分娩費と入院費用にとどまるが、薬を使用したり帝王切開を施せば、高い診療報酬を加算することができるからだ。不必要に人工的に管理される出産は、母体にも赤ちゃんにも決してプラスにはならないことは、自明の理であるはずなのに。
産婦人科医の不足が、いまや社会の一大事になっている。血税から5千万円もの年俸を捻出して、公立病院に産婦人科医を招聘した自治体もある。しかし、冷静に考えてみると今やらなければならないことは、一人の医師に大金を払うことだろうか。この医師が、仮に病気で倒れてしまったら、再び5千万円をかけて次の医師を雇うというのだろうか。出産に不測の事態はつきものだが、緊急を要する正常でない分娩が、その大半を占めているわけではない。確実に医師を必要とする分娩は、事前に十分把握できる。必要なことは、正常分娩を支える地域の助産師の数を増やしていくことだ。助産師が育ちにくい現行の助産師制度の見直しが、早急に必要なのだ。信頼にたり得る助産師の育成こそが、産婦人科医不足解消の突破口となる。
戦前の日本では、助産師の介助による自宅での分娩が主流だった。ところが敗戦の1945年、GHQ公衆衛生福祉局は、それまで日本の主流だった自宅分娩を縮小し、医師が介助する病院でのお産へと切り替えをはかったのだ。明らかに介助する医師や病院側に主体が移り、産婦と赤ちゃん中心のお産から、陣痛促進剤に頼る医師中心のお産へと変貌していったのだ。GHQは人工ミルクの使用も推奨し、日本の出産事情は、それまでの「自然なお産」から、科学に頼る「人工的なお産」へと完全に様変わりしてしまったのだ。更にこの時GHQが発表した「公衆衛生対策に関する覚え書」によって、看護師でなければ助産師や保健師の受験資格を認めないとしたことが、こんにち助産師の数が伸び悩む原因の一つにもなっている。
ある助産院でお産に立ち会った父親の感想が、心に響く。「便利な世の中、お金を払って人任せで一生を過ごすことも可能です。でも、今回のお産で、人間が自分で道を切り開いていく原点を垣間見た気がします。」西日本新聞社刊「食卓の向こう側」シリーズに紹介されている。
食の欧米化に伴い野菜不足で添加物にまみれた食生活を送る妊婦の出産は、陣痛が微弱で難産となる。羊水にはまさに母体の食生活が反映され、高タンパク高脂質の食事が主流の母体の羊水は濁っている。難産の末やっと出産しても、そういう母親は授乳にも悩まされる。肉や牛乳・卵などを沢山食べる母親の母乳は、苦味や甘みが強く、赤ちゃんがなかなか飲んでくれない。飲んだとしても、赤ちゃんは湿疹や便秘におそわれる。母親はパニックに陥るが、全ては母親が口にする食事が原因なのだ。
肉や牛乳・卵を沢山食べている母親は、脂肪が乳腺に詰まり乳が出にくく、乳房をマッサージすると、乳首から白い脂肪の塊が出てくることもあるという。このとき適切な指導を受け、肉・卵・牛乳をやめ、糖分・脂肪分を控えて穀類と野菜中心の食事に切り替えることが出来た母親からは、次第に泉のように母乳が出てくるから心配ない。母子が寄り添い、3時間おきに健康な母乳の授乳を習慣付けると、夜鳴きもしない落ちついた元気な赤ちゃんが育つのだ。
お産は農業と同じだという助産師は、「お産が自然現象である以上、天災もゼロではない。薬を使えば効率的だが、頼りすぎると「地力」をつけることに目が向かず、薬なしでは作物が育たない悪循環に陥りかねない。じっくりと良い土をつくれば、虫もつかない丈夫な作物が育つ。」と語る。現代のお産への警鐘だ。食を見つめ直し、元気な赤ちゃんを産むためには、まずは健康な母体作りから始めなければならない。通常のお産であれば、助産院で十分に出産は可能だし、むしろ、人工的な病院での出産よりも、自然体で母子中心の助産院での出産のほうが、安定感があり元気な赤ちゃんに育ちやすい。
医療システム学の信友浩一博士は、「20世紀は、医学が安全のために妊産婦や患者を管理してきた。21世紀は、人間としての生きる力や尊厳に注目する選択肢も医療現場に用意しなければならない。」と主張する。管理するお産から、産婦と赤ちゃんに寄り添うお産へと回帰していくためには、質の高い助産師教育が不可欠だ。98.8%と医療機関での出産率の高い日本でも、妊産婦の死亡率は最も少ないスイスの倍近い。医療機関での出産が全てを保証するものでは、決してないのだ。産婦ではなく医師中心のお産は、実際には重要な弊害をもたらしているということなのだ。
医師と助産師とが、それぞれの役割への理解を深めたとき、産婦と生まれてくる赤ちゃんにとっては最高の環境が整う。実際、院内に助産院を設置した「院内助産院」が注目を集めている。何事もなければ助産師による自然分娩が行われ、仮に不測の事態が発生した場合には、直ちに医療行為が行える体制を整えているのだ。正常分娩可能な産婦が、医師の勤務時間の都合で陣痛を調整されたり、無機的な手術ベッドの上で機械的な出産をしなくてもすむのだ。
看護師同様、助産師は男女を問わないが、特に出産経験のある肝っ玉母さんのような人格者の助産師に出会うことができれば、母親は多くのことを学び、その後育児に悩んだときもその助産院が大きなより所となるはずだ。優れた助産師は、食が全ての原点であることを教えてくれる。母親の愛情に満ちた食卓が、家族の絆を強くする。笑顔の絶えない温かい家族像が、容易に想像できる。本来、医療機関で産む必要性のない妊婦を、積極的に助産院に移行させる社会の仕組みが必要だ。
簡素な政府は、地域の自立なくして語ることはできない。健康で持続可能な地域を構築していくためには、一人一人の構成員が、健康で持続可能な生活習慣を心がけなければならない。地産地消で健康的な食生活を確立し、地域全体で心身ともに強い子どもを育てていくという意識を持つことが必要だ。一人一人が真の健康体を取り戻せば、医療に頼らない自然体のお産こそ理想であることに気付く。質の高い助産師の育成に、国は今から積極的に乗り出さなければならないのだ。
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