2011年5月17日
フィギュアスケートの浅田真央(中京大)にとって、バンクーバー五輪からの出直しのシーズンが終わった。ジャンプの修正やコーチの交代、生活面の変化。ロシアでの世界選手権を終え、この1年を振り返った。
連覇を狙った世界選手権では自己最低の6位に終わったが、本人は意外とさばけた表情だった。
「心残りもありますし、悔しい思いもありますし、すべてを出し切れなかったかな、という思いはあります。やはりトリプルアクセル(3回転半)を跳べなかったことが悔しい。公式練習で一度もクリーンに決まらなかった。そのことが一番流れを悪くしてしまった原因かもしれない。佐藤信夫先生はショートプログラム(SP)もフリーも『やめるべきだと思うけど、自分で決めなさい』とおっしゃったので、自分は『やります』と言った。先生は最終的に『分かった』と送り出してくれた」
佐藤コーチは敗因を「パワー不足」と表現した。
「大会前に『やせた』と言われたけど、それだけが理由じゃないし、自分の責任としてしっかり受け止めている。自分の体調面のコントロールがうまくできなかった。力がこもってなかったのは、自分でも感じていた。食べていなかったわけじゃないけど、どこかストイックになり過ぎていたのかもしれない」
東日本大震災の影響で、大会日程が3月から1カ月ずれたことも影響した。
「中止になるかもしれないということになって、1週間のオフを取った。そのあとからアクセルがうまく跳べなくなった。2月の四大陸選手権(台北)までは、うまくいっていたんですけどね。ほかのジャンプは跳べるのに、なぜかアクセルだけが回れなくなったんです」
オフにジャンプの修正をし、9月から就任した佐藤コーチの指導スタイルにもなじんできた。今までのコーチからは怒られることは少なかったが、大声で怒鳴られてしまう場面も。
「フリップジャンプの説明を先生がしているのに、自分で勝手に滑り出してしまって、『まだ話は終わってない。1人でやるのか? 話を聞いているのか?』って。もうなんか頭の中がパニックになるんですよね。怒られちゃいました。佐藤先生の奥さんの久美子先生からは『真央ちゃんは本当おもしろいわ。主人の話を聞かないで滑り出した選手を、初めて見たわよ』と言われるし……」
それでも、バタバタと過ぎていったシーズンに納得はしている。家族からは「休んでもいいんだよ」と言われていたが、試合に出続けることが最高の練習であると信じていた。
「終わったことを経験として、今後はそれをしっかり改善していけばいい」
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■ソチへの助走 自分の足で
20歳。大人の階段を一歩一歩上がってゆく。今季の浅田を表現するならば「挑戦」と同時に「自立」という言葉も似合いそうだ。
中京大では、先輩の小塚崇彦(トヨタ自動車)が練習パートナーだ。学食で昼食をともにすることも多かった。
普通に定食を食べる小塚の目の前で、浅田がほおばっていたのは自分で握った玄米おにぎりとサラダ。ほんのわずかな体重増減が演技、特にジャンプに表れる。今までは親頼みだった部分も多かったが、一人のアスリートとしては着実に成長した。
そのシーズンを振り返れば、最高位は四大陸選手権の2位。SPとフリーにトリプルアクセルを組み込む演技構成を貫き、調子が悪くても「逃げることなく」跳んだ。そのやり方に賛否両論があったとしても、今季男子で4回転に挑む選手が急増したように、技術レベルを落とすことがのちのち命取りにつながることを知っていた。
一度も表彰台の頂点に立てなかった初のシーズンになったが、収穫は多かったとみていいはずだ。すべては2014年のソチ五輪に向けた助走なのだから。(坂上武司)