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[29920] 【習作】VRFPS
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:ed937b13
Date: 2011/10/30 19:43
 一話



 いつも見慣れた光景に少しでも変化があると、それがやけに目についてしまう。授業を終えてだらだらと廊下を歩いていた俺は、そんな小さな変化を見つけて足を止めた。

 それが取るに足らない変化ならよかった。そのまま何事もなかったように足を進めて家に帰るだけだ。それからゲームでもして、時間が来たら夕飯を食べて、風呂に入ってから申し訳程度に勉強して寝る。何も変わらない、いつも通りだ。
 だがこの時俺が見つけた変化は俺の足を止めてその場に縛り付けた。どうしようもないほどの懐かしさと胸の苦しさ。それが一緒に襲ってきて、俺は身動きが取れないまま廊下の隅に置かれた掲示板に釘付けになった。
 年季の入った液晶掲示板のディスプレイには、見るからに素人が作った拙いポスターが映し出されている。

『VRFPS部 部員募集中』

 VRFPSは仮想空間に没入してプレイするFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)だ。うちの高校にもVRFPS部があったのか――という単純な驚きはもちろんあった。だけど俺の足を縛り付けたのはもっと別のもの。例えば大喧嘩して別れた親友と数年ぶりに再会したような、そんな居心地の悪さだ。俺は何かに魅入られたかのようにそのポスターを見つめ続けた。

 気が付くと夕日がディスプレイに映り込み、あたりを茜色に染めていた。帰宅に急ぐ生徒たちの喧騒はすでに消えていて、遠くから運動部の掛け声が微かに聞こえてくる。俺はずいぶんと長い間ここで立ち尽くしていたみたいだ。ばかばかしい。今さら戻る気なんてないのになにをやっているんだろう。
俺は踵を返して歩き出した。その時、

「うおっ」

 と誰かの驚いた声が聞こえたと同時に、俺は何かにぶつかって尻餅をついた。

「痛って……」

 対面に俺と同じように尻餅をついている男子生徒がいる。赤色のネクタイ。俺と同じ二年生だ。

「悪い、大丈夫か」

 そう声をかけて立ち上がった――その瞬間、何かを踏みつぶした嫌な感触が右足にあった。俺は凍りついたように動きを止めた。恐る恐る足をどけるとそこには踏みつぶされた眼鏡がある。俺は眼鏡をかけていない。つまりこの眼鏡は――

「おおおお、俺の眼鏡っ!!」

 男子生徒がバラバラになった眼鏡に飛びついて欠片を必死に拾い集めていく。

「昨日買ったばかりの新作が……」

 ……。

「半日ならんでようやく買った限定商品なのに……」

 …………。

「学校終わってから毎日四時間、このために必死でバイトしたのに……」

 ………………。

「ごめん、悪気はなかったんだ」

 男子生徒は割れた眼鏡に視線を落として顔を上げようとしない。

「それ、いくらしたんだ?」
「定価は二万九千八百円。でももう店では売ってないから、ネットオークションで買うことになる。そうなると二倍――いや三倍もあり得る」

 マジかよ。

「あ……えっと、う~ん」

 安易に弁償するとも言えない俺は言葉を探して意味のない声をあげた。やはりここは俺が弁償するのが筋なんだろうか。
 俺が悶々と悩んでいると、割れた眼鏡を眺めていた男子生徒が顔を上げた。軽く癖のある茶髪にわりと整った顔立ち。……知った顔だった。

「カズ……」
「お、ユウじゃねえか」

 カズも俺に気づいたように笑った。

「いや~まさかユウだったとは思わなかったぜ。もう後姿じゃまったくわからねーわ」
「俺も分からなかったしお互い様だ」

 カズとは小学生の頃よく遊んでいた。別の中学に進んだせいで疎遠になったが高校で再開した。とはいってもクラスは別々だし、俺がカズのことを避けていたせいもあって、昔のような交流はもうない。

「眼鏡代をどう請求してやろうか悩んでたところだったけど、ユウなら話がはやい」

 カズはニヤリと唇を歪めて、

「興味あるんだろ、これ」

 と、液晶掲示板のポスターを指差した。

「……別に、興味ない」
「嘘つけ、ずっと見てただろ。こんなもん興味もないのに見るかよ――もしかして俺の描いたポスターが芸術的すぎてお前の琴線に直撃だったとか?」

 お前が描いたのかよ。

「んなわけない」
「だろ、じゃあなんで見てたんだ」
「……考え事してただけだ」
「へたくそなポスター見ながら?」
「へたくそなポスター見ながら考え事することもあるだろ」

 カズは小さくため息をついた。

「まあいいか。じゃあ話は変わるけど、ユウはVRFPSやってるんだろ」

 なんでこいつが知ってるんだ。

「ユウの母親に聞いた」

 俺の考えを読み取ったかのようにカズが言った。

「昔はやってたけどな。もう長いことやってない」
「へえ、意外だな。寝ても覚めてもVRFPS漬けって聞いてたけど」

 どこまで知ってんだよ。

「最後にプレイしたのは二年前だ。それから一度もプレイしてない」
「そうなのか。それは知らなかった。なんでやめたんだ?」
「別に、ただ飽きただけ」

 できる限り軽く、自然に言ったつもりだ。でもカズは俺の顔をじっと見た。居心地が悪くなって視線をそらす。

「それで、俺がVRFPSやってたことと眼鏡がどう関係あるんだ?」
「おっと、そうだった。大事なのはそこだよな。実は俺、VRFPS部に入ってんだけどさ、部員が四人しかいないんだわ。それで来週の日曜が大会なんだ」
 VRFPSの公式戦は全て五対五のチーム戦だ。ということは、
「一人足りないのか」
「そういうこと。もしユウが入ってくれるんなら眼鏡のことはチャラでいい。悪くないだろ?」

 確かに悪くない。悪くないけど……

「何か問題でもあるのか?」
「いや……」
「二年間やってないって言ってもまだそれなりに動けるんだろ。なんせ毎日FPS漬けだったらしいしな」

 それは問題ないはずだ。

「……そうだ、いつまで入部すればいいんだ。卒業までずっとってのはきついんだけど」
「いや、そこまでしなくていい。三年の先輩がいるんだけどさ、次で最後の大会なんだ。今まで人数足りなくて一度も大会に出場できなかったから最後ぐらいは、と思ってね。だから次の大会が終わるまででいい。いいだろ?」
「来週の日曜日までってことか?」
「負ければな。勝てばもう少し続く。おっと、だからってわざと負けるのはなしだぜ」

 カズはそう言ってニヤリと笑った。
 うちは進学校で部活動があまり盛んじゃない。しかもVRFPS部は部員が足りなくて一度も大会に出たことがないときた。おおかた一回戦負けで終わるだろう。だから来週の日曜まで耐えればいい。それだけだ。それだけのはずだ。

「どうした、まだなにかあるか?」

 カズが不思議そうに聞いてくる。もう何もない。
 次の日曜日までだ、気軽にやればいいさ、所詮ゲームなんだ。そう自分に言い聞かせる。

「わかった。だけどあんまり期待するなよ」
「よしきた、これで俺の株もあがるぜ!」

 株があがる?

「じゃあさっそく部室行くぞ。ほら、ついてこいよ」

 カズはそう言って足早に歩きだした。カズの背中は昔よりずっと大きくなっていた。俺はその背中についていく。昔は――逆だったはずだ。



 部室は北校舎の最上階の一番奥にあった。この辺りは授業でもめったに使われることがないからほとんどが空き教室だ。当然、人の気配はない。

 部室の中は普通の教室を二つ続けたぐらいの広さがあった。そこは一世代前の備品であふれている。電子化されていない普通の黒板、何の機能もない椅子と机、木製のぼろぼろのロッカー。四半世紀前にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る、どこか懐かしい雰囲気がそこにあった。
 その奥にこの雰囲気を台無しにするリクライニングチェアが五台並んでいた。仮想空間に没入する際に、不自由のないよう作られているそれはどこまでも機械的で重苦しい。
 その椅子に少女が一人座っている。

「部長、戻りました」

 カズに呼ばれて、椅子に座った少女――部長は俺たちの方を見た。その瞬間、俺は思わず息を呑んだ。金色の長い髪が揺れた。黒縁眼鏡の奥の吸い込まれそうな青い瞳が俺とカズの間を行き来する。信じられないほど整った顔立ちと、断ち切られそうなほど鋭利な印象。彼女と全くかかわりのない俺でも知っている有名な先輩だった。ロシア移民の二世、桜坂エレナ。

「遅い。どこ行ってたの」

 よく通る落ち着いた声で部長は言った。彼女が『部長』と呼ばれているということは、当たり前だがVRFPS部の部長で、VRFPSのプレイヤーだということだ。正直言って意外だった。最近は女性のプロプレイヤーが出たこともあって、女性人口そのものは昔より増えてきた。とはいっても男性プレイヤーの方が多いのは明らかだし、勝手なイメージだが彼女がVRFPSのようなゲームに興味を持つようには見えなかった。

「ふふ、部長、俺がどこに行っていたのかそんなに気になりますか?」

 とカズがニヤニヤ笑いながらもったいぶって言った。
部長の眉間に皺が寄った。黒縁眼鏡の奥に隠れた青い瞳が鋭く細められた。明らかに「こいつウザッ」といった顔だ。

「興味ない。さっさと練習をはじめたかっただけよ」
「まあいいですよ。俺の話を聞けばそう邪険にできなくなります」

 そう言ってカズは俺の背中を押した。突然のことで、俺はよろけながら前に出た。

「誰?」と部長は俺を見る。
「誰だと思いますか?」

 カズの言葉に部長の視線が一層鋭くなる。

「誰でもいいからはやくして」

 カズはやれやれと首を振った。

「部長、大会に出たいですよね」
「? 出られるものなら出たいけど……」
「ですよね。でも出られない。なぜなら部員が一人足りないからだ」

 カズはうっとおしい身振りを交えて話す。

「俺は部長のために頑張りましたよ。こいつのおかげで――というよりむしろ俺のおかげで大会に出られるようになりました」
「まさか――」
「そう、こいつが、我らがVRFPS部五人目の部員です! ほらユウ、あいさつしろよ」

 俺は部長に向かって軽く頭を下げた。

「二年の北条ユウです。よろしく」

 部長が立ち上がって俺の前まで歩いてくる。黒いタイツに包まれた足がしなやかに動いた。小さな顔に形よく膨らんだ胸、それから長い足。日本人離れしたスタイルとはこのことだ。

「三年の桜坂エレナよ。本当に入ってくれるの?」
「はい、まあ一応」
「ありがとう、助かる」

 部長はそう言って少し笑った。近くから見るその笑みに思わず俺は見惚れてしまう。彼女が有名になる理由が少しわかった気がする。

「部長、ユウを勧誘したのは俺です。感謝の意はむしろ俺にささげるべきです!」

 部長は嫌そうな顔をしながら「ありがとう」と小さく言った。

「それで北条君。VRFPSはどれぐらいできる? まったくの初心者なら一から教えるけど」
「ユウでいいです。経験はあるのでそれなりに動けると思います」

 久しぶりだから確かな自信はないけど。

「俺が部長のために見つけてきた部員ですよ。俺には及ばないまでも全国優勝まで導いてくれる逸材です。間違いない!」

 間違いしかない。
 部長は胡散臭そうにカズを見た。

「とりあえず一度対戦して。それからポジションを決めるから」

 部長はリクライニングチェアのそばに歩いて行った。俺も部長について行こうとすると、

「おい」

 とカズに呼び止められた。

「部長は俺に惚れてるから。普通に俺の女みたいなもんだから手出すんじゃねえぞ」

 マジかよ。

「そうは見えなかったけど」
「照れてんだよ。それと実質この部は俺のハーレムだから。俺の好意でここにいられるユウはありがたく感謝して、俺のフォローに徹しろよ」

 いつの間にか好意で入部したことになっていた。言い返すのも面倒だから俺は黙って移動する。俺がカズを避けていた理由はこのウザさだ。

 リクライニングチェアは少し古いものだったが、それに取り付けられているヘッドギアは最新のものだった。このヘッドギアが仮想空間を作り出し、もう一つの現実へと俺たちを導いていく。俺は自然と手を伸ばしてヘッドギアを撫でていた。

「最近ようやく部費が下りて買えたの。最新のヘッドギアよ」

 もちろん、わかる。

「起動はできる?」
 
 もちろん、忘れるはずがない。
 俺はリクライニングチェアに座った。それからヘッドギアをかぶり、後頭部近くにある電源を入れると、目の前が真っ暗になった。しばらくするとその中にいくつかの文字が浮かび上がった。

「まず初期設定からはじめることになるけどわからないことがあったら聞いて」

 もうやっている。俺は浮かび上がった文字の横に自分に適した数値を打ち込んでいく。ただ念じるだけで、驚くべき速さで文字が打ち込まれ、流れていく。俺は一つも忘れることなくそれらの数値を覚えていた。

「終わりました」

 と俺は言った。

「早いわね」

 部長の驚いた声が聞こえた。

「俺の顔に泥塗らないようにちゃんとやれよ」

 カズの声が俺の耳元で聞こえた。

「それじゃあ、カズが相手して。1VS1の五分間。ステージは大会と同じ砂漠の町で」

 それを聞いたカズが耳元で、

「おい、俺の顔に泥塗らないように手抜けよ」

 と慌てた声で言った。どっちだよ。
 俺は浮かび上がった文字の中から『YES』を選択する。それとともに俺の意識は現実から遠ざかり、仮想空間が作り上げられていく。
 認めたくないけれど俺の胸は高鳴っていた。もう二度と戻るはずがないと思っていたのに。




 
 あとがき

 初めましてtnkと申します。執筆経験は浅いので拙いものになるかと思いますが、感想やアドバイスいただけると嬉しいです。
 週に一度の更新を目指して頑張ります。よろしくお願いします。



[29920] 二話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:ed937b13
Date: 2011/10/31 21:58
 二話



 VRFPSのタイトルが仮想空間に表示された。
 VRFPSのタイトルは『VRFPS』だ。それ以外のタイトルは持たない。サッカーがサッカーであるように、野球が野球であるように、VRFPSはVRFPS。公式大会で使われているこのゲームは、採用から今まで年一回のマイナーアップを挟みながらずっと続いている、世界で最もプレイ人口が多いVRFPSであり、世界で唯一公式大会に採用されているVRFPSでもある。

 俺は仮想空間に浮かぶ『START』の文字を指で触れた。周りの空間が切り替わり、一瞬後にそこは大きな鏡の浮かぶ白い空間に変わった。
 野試合用アカウントであればここでキャラクターを作ることになる。身長、体重、性別、髪の色、肌の色、細かい顔のパーツまで好きなように作り変えることができる。しかし今は公式大会用の設定になっているため、変えられるのはせいぜい髪や肌の色ぐらいだ。それ以外は一切変えることができず、現実の肉体と同じ設定でプレイすることになる。
 当然、今鏡に映っているキャラクターは現実での俺と全く変わらない。平均的な身長に平均的な肉付き。黒髪にどこか気だるそうな目。日本中どこにでもいる平凡な高校生だった。
 せっかくだから髪色ぐらい変えてみようかとも考えたが、どうせ来週の日曜日までしか使うことはないのだし、わざわざ変える必要はなさそうだ。

 キャラクター設定を飛ばして次へ移った。周囲の仮想空間が切り替わり、今度は裸電球で照らされた薄暗い部屋に変わった。中央に弾痕と切り傷だらけの大きなテーブルがある。その向こうにあるモニターには砂漠の町のマップが映し出されている。灰色の薄汚れた壁には大量の武器防具弾薬が所せましと立てかけられている。
 この部屋をミーティングルームと呼んでいた。ゲームを始める前には装備を整えて作戦会議を開き、ゲームの合間には装備や作戦の変更について話し合い、ゲームが終わった後は反省会と雑談を楽しんだ。懐かしさに胸が熱くなる。

 壁に立てかけられた銃をなぞるように手で撫でて行く。どの銃も一度は使ったことがあるものばかりだ。AK47、M4A1、SSG552……。その一つ一つに忘れられない思い出があった。
 ここにある装備はどれも一世代前のものばかりだ。一昔前は世界の軍隊で使っている最新の――とまではいかないがそれなりに新しい装備を扱うことができたらしい。しかしそれにはいろいろと問題があった。一言でいえばVRFPSはリアルすぎたのだ。ここで学んだ武器の扱いは現実でもそのまま使える。つまり現実で肉体訓練さえつんでいれば、ゲーム内で銃器の訓練をしてそれを実践で使うことができたのだ。正規の軍隊が利用するならいい。でももしテロリストや犯罪者が利用したら……。そう考えると最新の装備をゲームに使うにはリスクが高すぎた。
 それとともにゲームのリアリティ面も見直されることになった。銃器の取り扱いを簡略化したり、リコイルを意図的に本物と変えたり、そのまま現実に応用できないように小さな改変が数多く行われた。とはいってもVRFPSから現実に応用できる知識は非常に多く、今でもテロリストの一部では改造されたVRFPSが訓練の一つとして採用されているらしいし、実際に軍では最新の装備が使えるVRFPSが訓練で使われている。

 俺はゲームに使う装備を選んでいく。まずは服と靴と帽子だが、初期設定の迷彩服とブーツとヘルメットで問題ないだろう。これはどれを選んでもそれほど性能が変わらない。カラーバランスだけは砂漠に溶け込む色に変える必要があるが。

 次はボディアーマーだ。ボディアーマーの種類は銃器には及ばないにしろいくつかある。中にはライフル弾を防ぐことのできるほど防弾性能の高いものもある。しかしそれは重量二十㎏を超える恐ろしい重さで、加えて銃器弾薬を持つことを考えると使い勝手は著しく悪い。装備重量が増えると動きが鈍重になりスタミナも減りやすくなるのだ。このゲームの中では誰もが同じ運動能力だ。現実で筋肉だるまのようなマッチョでも、箸より重いものを持てないお嬢様でも、ここでは同じ性能を持った肉体を与えられる。だから装備重量による運動能力の変化には注意しなければならない。俺は複合繊維のみを用いた軽量のボディアーマーを選んだ。防弾性能はあまり期待できないが軽量で動きやすい。

 メインウェポンを選ぼうと銃を眺めた俺は、吸い込まれるように一つの武器に手を伸ばした。M4A1。全長約八十五㎝、重量約三千五百gのそれは、何年も手にしていないのに驚くほど手になじんだ。コルト社のアサルトライフル――いや、アサルトカービンと言った方が正確か。同じくコルト社のM16A2をコンパクトにして取り回しをしやすくしたものだ。俺が最も信頼している慣れ親しんだ銃だった。
 俺はそれにフォアグリップを取り付けて、三十発入りのマガジン四つに弾を込めた。その内一つは銃に装填し、残りの三つはマガジンポーチにしまった。マガジンは一つで重量五百gを超える。かさばるし数を持てばいいわけではない。

 最後にサブウェポンを選ぶ。
 サブウェポンの種類は実に豊富で、およそサブウェポンとは思えない大型の銃器から、ハンドガンなどの小型の銃器、手榴弾などの投げモノや、ナイフや斧や鉈や日本刀まで。もちろんそれらをメインウェポンとして使う剛の者もいる。ハンドガン一丁と投げモノを少しとナイフを選ぶのが一般的だが、サブウェポンは種類が豊富なこともあって人それぞれ選択に個性が出やすい。
 俺はそのなかでも個性的な選択をする方だ。まずはHG(ハンドグレネード)を二つ、FB(フラッシュバン)とSG(スモークグレネード)をそれぞれ一つずつ選んだ。これはごく普通の選択だ。
 それから部屋の隅にひっそりと立てかけられている手斧――トマホークを手に取った。全長四十㎝弱、バランスのとれた程よい重さに、黒光りする刃。俺はトマホークの他にはナイフもハンドガンも持たない。必要ないからだ。トマホークはネタ武器にされがちだが、実際は非常に実践的な武器だと思っている。少なくとも俺は。トマホークは接近戦に強く、音もせず、さらには投擲武器として使うこともできる一本で三倍お得な武器だ。反り返った刃から繰り出される重く鋭い斬撃は、ボディアーマーをものともせずに切り裂き、投擲武器として使用しても変わらず高い威力を発揮する。ハンドガンではボディアーマー越しに致命傷を与えるのは困難だし、ナイフを投げても同じくボディアーマーを貫くことはできない。ボディアーマーを貫く7.62mm×25弾や、大口径で高威力の弾もあるが、それはそれだ。むしろそんなもの知らない。
 とにかくトマホークは実践的で優れた武器であり、何より男のロマンをくすぐる熱い武器であることは疑いようもなく明らかだ。昔、トマホークの素晴らしさを熱く語り、所属クランの必須武器にしようとしたが、断固たる反対にあい頓挫した。出る杭は打たれ、時代を先取り過ぎた者は誰からも理解されない。寂しいものだ。

「武器は決まった?」

 と部長の声がミーティングルームに響いた。部長の姿は見えない。現実のモニターから見ながら語りかけているのだろう。

「決まりました」
「じゃあ試合をはじめるけど――本当にそれでいいの?」

 『それ』とは何を指しているのか俺には理解できない。いや理解できるんだが認めたくない。トマホークを馬鹿にするな。

「いったいどこに問題があるんですか」

 俺は強い口調で言った。部長は小さくため息を吐いた。

「まあいいわ。この試合はあなたの実力を測るためのものだから、勝ち負けは気にせずに気負わずやってね。カズもわかった?」

 後半は別のミーティングルームにいるカズに語りかけたものだ。
一拍おいて、部長はまたため息をついた。さっきのため息より一層深い。カズの声が聞こえなくてもどんな返事をしたのか想像できてしまう。

「もういい、はじめる。試合開始」

 投げやりな部長の声とともに周囲の風景が切り替わる。

 抜けるような青い空と目が焼けるような眩しい日差し。砂混じりの乾いた風が吹き抜けていく。目の前には砂漠色の街並みが広がっていた。
 砂漠の町は攻守のバランスが絶妙で、クラン戦や公式戦でよく採用される人気の高いマップだ。俺はここで何度も何度も数えきれないほど戦った。忘れられない思い出が込み上げてくる。この焼けるような暑さも、硝煙の臭いが混じった空気も、半ば廃墟と化した土壁の街並みも、そのすべてが懐かしかった。
 足元の砂をすくった。乾いた小粒の砂は指の間を抜けてサラサラと風に流されていく。
 周囲の景色を見渡しながら確かめるように身体を動かす。当然のことながら現実の感覚とは違う。たとえ身長体重は同じでもここでは誰もが鍛え抜かれた兵士の肉体になる。はじめはまともに動かせずに転んでばかりだったが慣れてしまえばこれほど動きやすい身体はない。久しぶりのせいで若干違和感があったが少し動けば問題ないだろう。
 空を見上げた。眩しくて目を閉じてしまいそうになるが、それでも我慢して開けた。あきれるくらい真っ青な空がどこまでも広がっていた。日本では絶対に出ない色だ。ああ、俺は戻ってきたんだ――やっと実感がわいた。
 突然、乾いた音が響いた。それと同時に側頭部に鈍い痛みが走り身体の力が抜けた。

 あの音は――AK47?

 俺はなすすべなく地面に崩れ落ちる。視界が赤く染まり、0-1とカウントが表示されて、ようやく俺は殺されたことに気づいた。
 視界上部に残り時間が表示されている。

 四分二十秒。
 
 俺は開始から四十秒間初期配置のまま棒立ちでいたというわけだ。なるほど、殺されて当然だ。

「は、はは……」

 堪え切れずに笑い声が漏れた。考えられない死に方だ。ありえない。
 真っ赤に染まった空間が切り替わり、別の場所に俺は再配置された。さっきの場所とはそれほど遠くない場所だ。すぐに接敵するだろう。
 大きく深呼吸した。トクン、トクン、と心臓の鼓動が大きくなっていく。

「さあ、試合開始だ」

 俺はM4A1の安全装置を外した。





[29920] 三話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:ed937b13
Date: 2011/10/29 17:06
 三話



 M4A1をいつでも射撃体勢に移れるよう構えながら半壊した土壁の影へと移った。AK47ならこんな土壁問題なく貫通できるが、今は身を隠すのが目的だ。
 土壁に身を寄せて周囲の音を探る。自分の服が擦れる音、風の音、鼓動の音。わずかな異音も聞き逃さないよう全神経を耳に傾けた。

 ……この近くにはいない。

 土壁からほんの少し顔を出す。今度は目で周囲を探るがやはり敵影はない。
 前方には大きな道がある。その左に薄暗い路地がある。さっき俺が殺された場所から最短距離で来るなら前方の道だ。少し回り道するなら左の路地だ。
 どうする、前方の道か、左の路地か、それとも動かず待つか。
いや、待つという選択肢はない。残り時間は四分を切っている。勝っているなら待つという選択もあるが今は俺が負けている。動かなければならない状況だ。

 前方の道に進むことにする。まずは俺が殺された地点まで戻る。それまでに接敵すればそれでいい。しなかったら足跡を探って追跡する。
 足音を出さないよう慎重に、しかしできるだけ早く壁に沿って進んでいく。視点は前方の曲がり角を何よりも意識しながら遮蔽物も見る。
 曲がり角付近まで近づいた俺は歩みの速度を落として銃を構えた。音をたてないようにゆっくりと。自分の気配を悟られないように、自分の出す音で聞くべき音を聞き逃さないように。
 息が詰まる。呼吸音さえ煩わしい。

 角の直前で止まった。少しの間、気配だけを探る。
 一秒。
 二秒。
 三秒。
 砂とブーツの擦れる音。

 ――いる。

 運がいい、この道を選んでくれた。そうでなかったらずいぶん時間を失ったところだ。思わず頬が緩んだ。
 俺は銃を右構えから左構えに移した。右に向かって曲がる角では体を隠しながら打てる左構えの方が有利だ。
 足音から位置とタイミングを計り、飛び出す。
 十五mほど先に、カズがいた。カズは急いで銃を構えるが、もう遅い。
 俺はカズの位置を予測していた。狙いはもうついている。
  トリガーを引いた。M4A1の銃声が三発轟く。しかし俺は体勢を崩し、M4A1の銃口が大きく跳ね上がった。

 ――外した!?

 カズは怯んだ様子もなく、すかさず打ち返してきた。慌てて俺は角に身を隠す。
 AKの鈍い銃声が鼓膜を震わす。頭からすぐ近くの土壁が抉られ、吹き飛ぶ。思わず体が強張った。

「くそっ」

 悪態が零れた。自分に対する苛立ちが募っていく。この距離で外すなんて以前では考えられないミスだ。さっきもそうだ。四十秒間棒立ちで、しかも敵の接近に気づかないなんて、あきれるほど酷い。
 いや――今だってそうだ。敵と交戦しているこの状況で、俺は何を考えているんだ!
 銃撃がやんだのを見計らって、俺は再度、角から飛び出した。ちょうどカズが横転した戦車の影に隠れるところだった。一拍遅れて、俺の銃撃がカズの影を打ち抜くが、遅い。地面に虚しい弾痕が開き、砂が弾けた。
 戦車の脇に狙いをつけながら、俺はカズが出てくるのを待つ。残弾はまだ半分以上あるだろう。焦ってフルオートでぶっ放すなんて真似はさすがに今の俺でもしない。
 しかし厄介な場所に隠れられた。戦車をアサルトライフルで撃ち抜くことなんてできない。
 どう攻めるか考えていると、高い金属音が聞こえた。その直後、拳ぐらいの大きさの塊が戦車の影から空に放り投げられた。

 あれはなんだ?
 なんだった?
 あれは――FB!

 即座に目をつぶり、角に身を隠し、身体を伏せる。しかし同時に、特大の破裂音が耳を貫き、音が飛び、世界が白に染まった。聴覚と視覚が消えた。まずい。
 カズはこれに合わせて攻め込んでくるはずだ。このままじゃ殺られる!
 俺は角から飛び出すと、やみくもにM4A1をフルオートで撃った。銃声はもう聞こえない。すぐに反動がなくなった。撃ち尽くしたのだ。
 マガジンポーチに手を伸ばしたところで左足を鋭い痛みが貫いた。俺は地面に叩きつけられるように倒れた。砂の味が口内に広がる。もうどちらが前で、どちらが後ろかもわからない。転がって逃げようとする俺を、鈍い衝撃が何度も撃ち抜き、視界が真っ赤に染まった。0―2とカウントが表示された。残り時間は三分七秒だった。



「はは、これはひどいな」

 真っ赤に染まった空間のなかで俺は呟いた。
 いや、ひどいなんてもんじゃないか。リコイルコントロールのミスで心を乱して、極めつけがFBの対応遅れ。その後の判断も無様なものだ。
 あの状況でFBが来ることなんて容易く予測できるはずだ。予測した上であえて前に出るか、後ろに下がってやり過ごすか、もしくは俺が先に投げモノを使うか。取るべき対応はいくらでもにあったはずだ。それを俺は――いや、考えるのは後だ。時間がもったいない。腕が落ちていることはわかった。だったら、今の俺にできることをすればいい。


 
 視界が切り替わり、再配置されるとすぐに俺は走り出した。さっきの場所とは少し離れている。ブーツが音を立てて砂を掻き上げる、身に着けた装備がうるさい金属音を立てる。今は音を気にしない、全力で走る。
 進むべき道は左右二つある。左の道を選べばさっき俺のいたところまで最短で行ける。右に行けば遠回り。俺は迷わず右の道を選んだ。
 二度の交戦で咄嗟の反応と判断が衰えていることは理解した。だが、索敵や立ち回りはまだ衰えていない。その証拠に俺の方が先にカズを発見し、半身を壁に隠した圧倒的有利な状況から先制攻撃したのだ。だったら、それで勝負する。
スタミナの続く限り走り続ける。カズに比べて軽装な俺はその分移動能力が高い。それも有利な点で、最大限生かすべきだ。

 残り時間二分三十秒を切ったところで、俺は二回目に殺された場所にたどり着いた。だが今回は逆方向から来た。つまりカズと同じ順路をたどっていることになる。
 ここまで接敵せずたどり着けたことがまずよかった。もしカズが逆走してきたら、大きな音を出していた俺は先に攻撃をうけただろう。その時適切な対応ができたかどうか――今の俺では難しい。
 俺はカズの足跡を探った。足跡は俺の残した血溜りをこえて角の向こうへ進んでいる。
 歩幅が狭い。あまり早くは移動していないということだ。俺はカズの歩幅から、 カズが今どの位置まで進んでいるか予測する。
 大丈夫、まだ少し音を立てて走ってもいい。
 角を超えてしばらく走ったところで足を緩めた。ここから先は音を出すべきじゃない。
 カズの足跡を追いながら、静かに、しかしできるだけ早く進む。余計なクリアリングはしない。足跡の進む先だけを注視する。それが最低限のクリアリングも兼ねる。今はリスクを冒して早さをとるべきだ。
 しばらく進むと壊れかけの土壁が見えた。その向こうは少し開けた場所に出る。俺は息を殺して土壁に潜むと、一瞬だけ向こうを覗き見た。
いた。
 カズはこちらに背を向けてクリアリングしながら進んでいる。意識は明らかに前方を向いている。
 さっきは正面からの撃ち合いになって負けた。だったら今度は後ろからだ。
 俺は土壁から身を乗り出して、慎重に狙いを定めた。リコイルに備えてしっかりとバランスをとる。手が汗ばみ、鼻先から汗が落ちた。
 引き金を引いた。M4A1の先から火花が飛び、銃声が響いた。
 反動で身体がぶれる――が、今度は銃口が跳ねない。当たる!
 カズの右肩から血が吹き出た。カズは押されるように地面に倒れたが、すぐに膝立ちになるとAKを構える。
 俺は焦らずに狙いを定める。右肩を負傷した状態でまともに当てられるはずがない。
 カズのAKが火を噴いた。俺の脇の土壁が貫かれ、欠片が宙を跳んだ。やはり俺には当たらない。
 AKがフルオートで暴れまわるその中で、俺はリコイルを計算し、再度引き金を絞った。
 銃声が一度だけ響き、カズの頭が跳ね上がった。
 乾いた砂漠に血飛沫が舞った。AKを抱えた腕が垂れ下がり、銃弾が砂を巻き上げた。カズは力なくその場に崩れ落ちる。直後、1―2とカウントが表示された。
 俺は一息つく間もなく、今度はフルオートで射撃を続けた。狙いはカズの背後のあった家だ。
 すぐにマガジンが空になる。家の壁に開いた弾痕を確認した後、流れる動作でマガジンを取り換えてもう一度撃つ。これも一秒足らずで撃ちつくした。最初に撃った弾痕と二度目に撃った弾痕を比べると、格段に集弾がよくなっている。

「悪くない」

 俺は空になったマガジンを取り換えて走り出した。


 
 残り時間は二分を切っている。スコアは1ー2。カズが逃げ切ろうと思えば難しくない時間だ。
 しかしこれまでのカズの戦い方を考えると、その可能性は低いだろうと思った。カズは待っていればリスクが少なく済む状況で、あえて俺を探して動き回るという選択をとっている。ゲームが始まる前に部長が言った、これは俺の実力を測るためのものだ、という意の言葉。それにしたがって、接敵の機会を多くしているのか、それともただ部長にいいところを見せたいだけか。……多分後者だろう。
 それともう一つわかったことがある。カズは意外と弱くないということだ。カズのことだからどうせたいしたことないだろう、と思っていたが、なかなかどうして、初戦の狙撃といい、二戦目の動きといい、さきほどの対応といい、悪くない。いや、むしろ強いと言ってもいいかもしれない。

 おそらくカズは俺の足跡を追ってくるだろう。さっき俺がやったのと同じように。その判断ができるレベルにあるだろうし、カズが接敵を増やしたいと思っているならそれが一番いい選択だ。そうとわかっているのであれば俺はそれを逆に利用する。

 俺はただ一直線に、マップの端を目指した。たどり着く前に接敵すれば――その時はどうにかするしかない。カズが再配置される場所は誰にもわからない。だからこれは運だ。

 幸い、接敵する前にマップの端のエリアに入った。俺はそこにある装甲車の影まで走る。爆破ミッションであればここが爆弾設置ポイントの一つになるが、今は関係ない。
 俺の足跡は装甲車の影まで伸びている。カズが足跡を追って来れば、俺が装甲車の影に隠れていることがわかるだろう。それを逆手に取る。
 俺は装甲車の上によじ登った。今カズに見つかれば俺はただの的だ。素早く装甲車の後部に移動し、そこから二メートルほど先の壁に飛びついた。砲撃によって壁に開いている穴の、僅かなとっかかりに手をかけて、身体を引き上げる。体重と全身の装備が両腕にかかった。胸の高さまで引き上げると、両腕を上げて、あとは一気に穴の向こうに移った。
 俺は瓦礫の上を転がり落ちて背後を振り返った。そこには四メートル近い壁と砲撃に開い小さな穴がある。そこから少し離れたところに半分開いた扉がある。さっき俺が飛び乗った装甲車はこの壁の向こうだ。
 装甲車からここまでの足跡を俺は消した。カズは俺がここにいるとは考えないだろう。仮に考えたとしても、まず見るべきは装甲車の裏だ。
 俺は慎重に位置を調整する。壁に開いた穴から十メートルほど下がる、それから右に体二つ分動く。ここでいい。M4A1を地面に置いたその代わりに、トマホークを腰から抜いた。それから空を見上げる、太陽の位置から自分が狙うべき角度を探り出す。
 後は待つだけだ。トマホークを右手に構えながら、俺は地面に膝をついた。灼熱の太陽が俺の顔を焼いた。今ここで後ろから撃たれたら、俺は何もできない。
でもカズは後ろからは来ない。きっと俺の足跡を追ってきて、装甲車の影を覗き見る。そんな予感があった。



 残り時間が一分を切った。もしかしたらカズは来ないんじゃないか。時間切れがを狙う戦略に切り替えたのではないか。それとも裏を取りに来ているか。そんな不安が頭をよぎった。
 時間がたつにつれて、自分が動かなければならない気になってくる。自分の判断が間違っているのではないかと、俺の動きが向こうに筒抜けではないかと。そうなると、背後が気になりだす。すぐ後ろにカズが来ているんじゃないか、カズはもうAKを構えていて、背を向けている馬鹿な俺をあざ笑っているのではないか。周りすべてから見られているような錯覚に陥る時もある。周囲全てが、お前が動け、動かなければ負けだ、と伝えてくる。
 待つときはいつもそうだ。待つのは退屈だ。だからいろいろなことを考える。考えなくていい可能性まで考えてしまう。
 俺は頭を振ってその思考を振り払った。少し離れていただけで、ずいぶん弱気になったものだ。たった二年だ。何を恐れることがある、カズは俺が恐れなければならないほどの相手だったか? ありえない。俺の選択は間違っていない。
 俺は意識を集中した。一つの音も聞き逃さないように耳を立て、視線は空の一点を睨み続ける。

 やがて、滴り落ちる汗で地面の色が変わり出したころ、俺はカズの気配を感じた。壁の向こうは見えない。この距離では小さな音は聞こえない。でも俺は間違わない。
 トマホークの柄を握りしめ、俺はその時を待った。カズが装甲車の後ろを覗き込む瞬間だ。爆破設置ポイントのそこを覗き込む時は、誰もが装甲車の前から覗きこむ。装甲車に体を寄せて、爆弾設置の音を聞き、そして一気に踏み込む。その瞬間の音を、俺は聞き逃さないようにする。もちろん今、爆弾が設置されることはない。だが何度も繰り返し練習したその場所では、誰もが自然とその動きをとってしまうものだ。

 こい、覗きこめ。その時が最後だ。

 自然と呼吸が浅くなっていた。俺は意識して深い呼吸に変える。浅い呼吸は集中を乱し、筋肉を硬直させ、焦りを生む。スナイパーの基本だ。最も俺はスナイパーではないが――やめよう。スナイパーのことを考えるのはやめよう。思い出さなくていいことを思い出してしまうから。
 その時、僅かな音を耳が捉えた。装甲車の影を覗き見る踏込、その時ブーツと砂が擦れるその音だ。
 俺は握りしめたトマホークを振りかぶり、雲一つ浮かばない真っ青な大空に向かって放り投げた。

 位置はいいか? 角度はいいか? 力加減はいいか? 何も問題ない。何千回も練習した動きだ。間違うはずがない。
 
 トマホークは勢いよく回転しながらきれいな放物線を動き、壁の向こうに消えていく。
 その結果を見届けることなくM4A1を拾い上げて走り出し、半開きの扉を超えると、M4A1を構え、装甲車に狙いを定めた。
 装甲車の影からカズの足が見えた。反撃を予測しながら距離を詰めていく。
 すると突然目の前に2ー2とカウントが表示された。俺は銃を下して装甲車の影を見た。
 そこには頭からトマホークを生やしたカズが倒れていた。

「よしっ」

 俺は思わず右拳を握りしめた。何度味わってもこの瞬間は格別だ。カズの頭からトマホークを引き抜き、大きく振り払って血糊をとると、トマホークを腰に収めた。
 それとともにカズの死体が消えた。どこかに再配置されたということだ。

 さて、残り時間は三十秒だ。次のプランはもう決まっている。今から銃を空に向かってぶっ放す。その音を聞いてきたカズと戦う。残り時間を考えるとそれしかない。無理に接敵しようとしなければできない時間だ。
 いや、それでいいのか。
 今なら正面から撃ちあっても撃ち負けない自信がある。でも俺は二度も赤っ恥をかかされたわけだ。そんな普通の勝ち方じゃ気が収まらない。そうだ、二度続けてトマホークだ。これしかない。
 俺はにやりと唇がゆがむのを感じた。そうと決まればプラン変更だ。残り三十秒でトマホーク。不可能じゃないが難しい。でもだからこそやりがいがある。そう、こんな時俺は――昔の俺は……。

「何、マジになってんだ……」

 熱が冷めるようにすっと気持ちが萎えていった。
 本当に何やってんだ。来週の日曜日までのお遊びだろ。いつの間にか俺は必要以上にのめりこんでしまっていた。
 実力を示すんならもう十分のはずだ。これ以上戦う必要はどこにもない。
 俺はM4A1を地面に放り出し装甲車の影に座った。残り時間は二十秒だった。

 残り時間五秒でカズの足音が聞こえた。でも俺は動かない。砂の上に転がるM4A1がやけに目について、真っ青な空に視線を逸らした。
 カズのAKが火を噴き、装甲車が耳障りな金属音を立て、それと同時に、残り時間がゼロになった。カウントは2ー2だ。
 ゲームの終わりが宣告されて、俺の意識は現実へと戻っていく。悔しがるカズの声とは逆に、俺はどこまでも冷めた気持だった。





[29920] 四話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:ed937b13
Date: 2011/11/02 23:19
 
 四話



 ヘッドギアをとるとカズが目前にいた。

「俺に恐れをなして逃げたか。チキン野郎が。あのまま続けていたら勝ったのは間違いなく俺だがな」

 自信満々に胸を張るカズを部長が遮る。

「残念だけど、続けていたら勝ったのは多分ユウよ」
「なぬっ!」
「ユウの動きはとても洗練されていたわ。それに一つ一つの行動にしっかり意味があって、状況に応じた動きの変更も的確だし」
「いえ、そんなことないです。たまたま運がよくてなんとか引き分けにもちこめたというか……」

 俺はすぐに否定した。過度な期待を込められるのはごめんだ。

「運が良かっただけって動きじゃなかったわ。確かに最初は見るからに素人の動きでどうなるかと思ったけど、途中からどんどん動きがよくなっていって……。それにあの動き、どこかで見たような気が……」
「気のせいですよ。俺が最後にプレイしたのは二年も前なんです」
「そうかしら……二年前……」

 部長は切れ長の目を伏せて考え込む。
 どこかで見たような気がする、か。さすがにもう覚えている人なんかいないだろう。

「まあユウも認めていますし、ここは俺の方が強いということで――」
「でも二年ぶりであの動きができるなら期待できるわ」

 部長がカズを無視して言った。

「だから俺の方が強いって――」
「出場できるだけでありがたいことなんだけど、こんなに有望な新人が来たら欲が出ちゃう」

 うれしそうに笑う部長を見ていると少し後ろめたい気持ちになった。俺は勝敗なんてどうでもいい。いや、むしろ一回戦で負けてほしい。

「だから部長、俺の方が強いですって」
「ねえ、カズ」

 しつこいカズを部長が半目で睨んだ。

「はいっ!」

 カズは帰宅した主人を迎える犬のように目を輝かせて返事をする。

「もう一人入部してくれるといいわね」
「でも部長、大会に出る人数は揃ってますよ。補欠も欲しいってことですか?」

 怪訝そうに聞き返すカズに部長は頭を振って、

「そしたらあんたクビにするからよ」

 冷たい声で言った。
 しかしカズはかけらの動揺も見せずに笑う。

「ははっ、部長、ナイスジョークです!」

 なんて奴だ。今のは明らかにマジだろ。
 そんなカズを部長は呆れた目で見ていた。

「それで、ユウは武器は何が使える?」

 部長が言った。

「M4が一番使いなれてます。他の武器はそれなりに」
「M4しか使えませんって正直に言えよ」

 カズが横槍を入れる。

「じゃあM4しか使えません」
「じゃあって何よ、じゃあって。他の武器もそれなりって、スナイパーもできるってこと?」
「……一応できます。けどあまり期待しないでください」
「そう、よかった。スナイパーがやりたいって言われたらどうしようかと思ったの。私はスナしかできないから」

 部長がスナか。スナイパーはチームに一人しか入れられない。二人いたらルール違反だ。

「ポジションはどこができるの?」

 と部長が言った。
 砂漠の町のポジションは大きく分けて三つある。爆弾設置ポイントAとB、それからセンターだ。

「特に得意不得意は無いです。どこでもできます」
「つまりどこもできないってことだよな」

 カズがまた横槍を入れる。

「じゃあどこもできません」
「だからなんなのよじゃあって。でも、どこでもできるってのは助かるわ。うちのメンバーはみんなポジション偏ってたから。私もスナだから安易にセンターを離れるわけにはいかないし」
「あれ、そういえばほかのメンバーは?」

 ふと気になって俺は聞いてみた。

「今日は用事があって休みよ。明日は来ると思うから、またその時に紹介するわ」
「みんな俺の女だけどな」

 ないない。

「明日までにポジション考えてくるわ。今日は遅いからもうお開き。また明日お願いね」

 部長はそう言って俺に手を振った。



 校舎を出ると夕日が沈みかけていた。残照が薄闇の空に鮮やかな茜色を差している。もう残っている生徒は少ない。
 裏門で自転車が俺を追い越して行った。金色の長い髪が夕日を映してキラキラと流れていく。部長だった。

「歩き?」

 部長は少し過ぎたところで自転車を止めて振り返った。

「まあ、近いんで」
「そう、よかったら乗ってく?」
「いや、近いからいいですよ」
「でも歩くには少し遠いんじゃない?」

 うちの高校は直線距離で三㎞以内は徒歩通学が義務付けられている。

「二十分ぐらいですね」
「だったら乗っていきなよ。家はどこの方?」

 俺は家の場所を説明した。部長には後ろめたさもあって、どうにも断れなかった。

「ちょっと遠回りだけど、そこならいけるわ。校門出てしばらくしたら乗ってね」

 俺と部長は並んで歩きだした。電気自転車が一般化し、二人乗りが安定するようになったが、それでも二人乗りは校則で禁止されている。あまり学校の近くでするのは避けたほうがいい。

「ねえ、離れて歩いたほうがいいと思う」

 部長が小さな声で言った。

「あ、はい」

 俺は間抜けな声を出してしまった。あまりに部長が普通だから、忘れてしまっていたのだ。桜坂エレナには近づかない方がいいってことを。

 部長は自転車を引いて先に進んでいった。俺はその背中を他人のふりをしながら追った。部長の細長い影が俺の足元まで伸びてゆらゆらと動く。それが頼りなくて見ているのがつらかった。
 昔の俺だったらこんな時どうしただろうか。そんなことを考えてしまう。今みたいに他人のふりをしながら追っただろうか。それともすぐに駈け出して、部長の隣に並んだだろうか。
 今日はVRFPSをやったからだろうか。こんなくだらないことを考えてしまう。



 裏門から離れたところで部長は立ち止まって自転車に跨った。俺は恐る恐るその後ろに乗る。甘いにおいと、少しだけ汗のにおいがした。今日の気温だと冬服のブレザーでは蒸れてしまう。もうすぐ夏がやってくる、衣替えの季節だ。
 電気自転車は二人乗りで重くなった車体をものともせずに進んでいく。部長の足はほとんど動いていない。速度調節する時しか動かさなくてもいい、漕ぐのは電気の力だ。

「ユウは公式大会に出たことある?」
「公式はないです。クラン戦はそれなりに」
「それなりに、ねえ」

 部長が振り返って疑わしげな視線を投げてきた。みずみずしい唇が吐息のかかるほど近くにある。

「危ないですよ、前見てください」

 なんでもない風に装いながら俺は言った。年頃の女の子と二人乗りするなんて初めてだ。さっきからずっと心拍数がやばいことになっている。

「私もね、公式戦は初めて。クラン戦の経験はあるから、公式戦の動画とか見ていろいろ勉強はしてるけど」
「公式戦とクラン戦は違いますか?」
「どうだろう。動画を見る限りではそこまで違いはないかな。基本的なルールは同じだし。でも公式戦の方が平均的なレベルは高いかも。ただトップクラスになるとほとんど差はないと思う」
「そうなんですか。プロと比べるとどうですか?」
「それはさすがにプロかな。個人の力だったらプロ顔負けの選手もいるけど」

 部長の柔らかな髪が風に流されて俺をくすぐる。心地いいけれど、慣れない俺には少し気まずい。

「去年全国優勝したチームのスナは一年生だったんだけどね。すごかった。私もスナだけどそれしか言えないぐらいすごかった。もう有名プロチームからお声がかかってるって話だし」

 そのスナはあいつより強いんだろうか。そう考えて、思わず笑ってしまう。俺の考える最高のスナイパーはあいつだけだからそんなことはありえない。

「それに、私の予想が正しかったらそのスナは元トップクランの一軍スナよ」

 え?

「何て名前ですか」

 あいつかもしれない。体が強張った。

「橘レイカ。クランのIDは秘密。間違えてたら恥ずかしいから」

 女子か、じゃあ違う。安心したのか、残念なのか、自分でもよくわからないけど、強張った体の力が抜けた。

「ユウはクランには詳しいの?」
「最近のことは全く」
「昔のことは?」
「それなりに」
「それなりに」

 部長が振り返って可笑しそうに俺の言葉を繰り返した。顔が熱くなる。

「だから危ないですって」
「はいはい。Moonlight Butterflyってクラン覚えてる?」
「覚えてますよ。連携がすごくうまかった」
「あそこの連携は本当にお手本みたいだね。鳥立つは伏なり、は?」
「ポジションが独特で何度も驚かされた」
「ラッシュアサルトは?」
「ラッシュ厨」
「間違いない」

 部長はそう言って笑った。

「それにしても、まるで戦ったことがあるみたいに言うんだね。全部超一流のクランなのに」
「あ、いや別にそんな風に言ったつもりはないです」
「本当?」
「本当です」
「ファイブスターは?」

 その名前を聞いた瞬間、心臓が止まるかと思った。

「どうしたの、知らないはずないと思ったのに」

 そう、そのクランを知らないVRFPSプレイヤーなんていない。だけど俺は、

「知らないです」

 と震える声で言っていた。
 あたりは完全に日が沈んで暗くなっていた。自転車の小さなライトが田んぼのあぜ道を照らしていく。聞こえるのは自転車の走る音とカエルの声だけ。時々、部長の身体が俺に触れた。その度に俺は置物のように動きを止めた。

「もう暗くなってるのに回り道までしてもらっていいんですか」

 俺はクランのことはもう聞きたくなくて話を逸らした。でも、次の一言がいけなかった。

「最近は治安も悪くなってるし」

 びくり、と部長の身体が震えた。俺は自分が失言したことに気づいた。

「あ、いや、部長のせいで悪くなってるって意味じゃないですよ」
「移民のせいで悪くなってる」
「それは……」
「事実よ」
「……そうですね」

 否定できなかった。
 二十年前から大量に受け入れられるようになった移民によって、日本の治安は劇的に悪くなっていった。
 仕事と住む場所を奪われた日本人と、地域に馴染もうとしない移民との確執は時を経るごとに深まるばかりだ。幼いころ、周りに移民が多くいた俺はそこまで排他的な感情は持っていないが、移民と知っただけで顔を背ける日本人が多いのも、そんな日本人に対して暴力行為に出る移民が多いのもまた事実だ。

「ごめん、私が気にしすぎね。ユウがそんなつもりで言ったんじゃないってことはわかってる」
「いえ、俺も無神経でした」
「よし、クランの話に戻ろう。次は――」

 部長は無理に明るい声を出して、俺にとっては懐かしいクランを次々に挙げていった。
 部長は饒舌だった。部長は話に夢中になって何度も何度も振り向くから、俺は暴れそうな心臓をおさえて繰り返し注意した。
 部長は俺の知っている桜坂エレナとは別人のように、楽しそうに、柔らかな雰囲気で笑った。俺の知っている桜坂エレナは、もっと鋭利で、もっと冷たい。俺は部長が笑った顔を今日まで見たことがなかったし、部長が誰かと話しているところさえ、ほとんど見たことがなかった。桜坂エレナはいつも一人だった。俺の知る限りでは。
  部室にいたころからおかしいとは思っていた。だけど具体的に、何がおかしいかまではわからなかった。でも今わかった。部室にいた時の部長からも、今俺と話している部長からも、問題児桜坂エレナの影は、どこにも見当たらなかったのだ。

 俺の家が近づくと部長は自転車のスピードを落とした。本人は無意識にやっているのかもしれない。だけど俺は気づいてしまった。

「ユウはVRFPSが好き?」

 部長が聞いた。嫌いだ、なんて言える雰囲気ではなかった。

「それなりに」

 部長は笑ってくれた。

「私は大好き」

 部長は俺を家の前で下すと名残惜しそうに手を振って帰っていった。今日会ったばかりの俺と、携帯デバイスの番号まで交換していった。
 ロシア移民でありながら、日本人ばかりのうちの高校に通うことは、俺が考えているよりずっと辛いことなのかもしれない。そう思うと、胸が締め付けられた。
 でも部長は移民学校に通うことはできない。日本人の血が半分混じっている部長は、そこで今よりずっとつらい目にあってしまうだろうから。



 その夜、押し入れからヘッドギアを取り出した。埃の被ったそれは昔のままだった。
 今日までずっとVRFPSを避けてきた。だけど今日VRFPSをプレイして、部長の話を聞いて、どんどん懐かしくなっていった。それから、今どうなっているのかが気になった。あの頃のプレイヤーは今もいるんだろうか。強い新人は出てきただろうか。どこクランが最強だろう。俺のいたクランは? 思い出していくごとに、胸が苦しくなっていった。
 自分で自分を苦しめるなんてバカのやることだ。だからVRFPSをやるのは嫌だったんだ。思い出したくもないことを思い出してしまうから。






[29920] 五話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:ed937b13
Date: 2011/11/02 23:17
 五話


 若ハゲの英語教師がタブレットPCに向かってペンを動かす毎に、俺の机に取り付けられたディスプレイにアルファベットが書き込まれていく。教師のタブレットPCはクラス内全ての生徒のディスプレイと連動している。生徒たちもそのディスプレイに向かってペンを動かし、思い思いの文字やら下線やらを書き込んでいく。

 俺もペンを手に取ってディスプレイに触れた。展開中の黒板タブを最小化し、白紙のノートを呼び出す。そこでペンを躍らせて、俺は見事な英語の文章を書きならべていく――わけがなく、ただ一言汚い字で『だるい』と書いた。それをメールに添付し、クラスの座席番号を指定して送信する。一分もかからないうちに返信があった。

『ねむい』

 苦笑が漏れた。俺はメールを消してディスプレイに向かってせかせかとペンを動かす生徒たちをぼんやりと眺めた。



 チャイムが鳴って英語教師が授業の終わりを宣言する。それから付け加えるように言った。

「北条と相沢。次の授業までに前回までの宿題と、今日出した宿題とまとめて提出すること」

 はい、と答える俺。一拍遅れて隣からも、

「はい」

 とつかみどころがない声が上がった。生徒たちの視線が俺たち二人に集まる。それももう慣れたものだ。
 教師が出ていくと次の授業の準備をする。次は数学だ。俺は数学の教科書をディスプレイに呼び出し、宿題のノートを教師宛てに送信する。宿題はもちろん白紙。

「宿題やった?」

 と俺は隣に向かって聞いた。

「やるわけない」

 と隣の席の少女――相沢セナは言った。まっすぐな黒髪が背中まで伸びている。俺の方に見向きもしない端正な横顔。文句なしで美人と言ってもいい顔立ちだが、ただ一つ、眠たそうでやる気のない眼だけが玉に傷だ。

「何?」

 ちらりと横目で俺を見て、セナが言った。

「いや、別に。残念だな、と思って」

 セナは興味なさそうに視線を戻した。その魂の抜けたような瞳は当てもなく宙を眺めている。セナの瞳がなにかに焦点を合わせることは少ない。いつもどうでもよさそうに、すべてのものを背景のようにながめている。その眼は主役を映さない。
 セナとはこの学年で初めて同じクラスになった。偶然隣の席になって、しばらくするうちに、俺はセナに仲間意識を持つようになった。
 俺もセナも、ここでは浮いていたのだ。お互いに友達がいないわけじゃない。それなりに仲がいい奴はいる。だけど馴染めない。俺達と、現在も数学の予習を怠りなくやっている周囲の生徒とは、どこかが違う。そう感じていた。俺もセナもクラスに、いや、学校に馴染んでいないのだ。
 なぜ俺はこんな優秀な生徒ばかり集まる進学校にいるんだろう。この学校を選んだ自分をぶん殴ってやりたい。典型的な、自分のいるべき場所を間違えた人。それが俺とセナ。

「お前さ、何しに学校に来てんの?」

 俺は聞いてみた。

「何って?」

 セナは頬杖をつきながらめんどくさそうに答えた。

「ときどきあるだろ。なんか今、自分がすごく無駄な時間を過ごしているように思えること。この学校に通ってる意味あんのかなって」

 セナは顔をこちらに向けた。その眼が俺を見た。

「ホウジョウクンは?」
「え?」
「ホウジョウクンは何しに来てるの?」
「……さあ。あえて言えば高卒の学歴を得るため、なのかな。よくわからない」

 セナは「そう」と言った後、しばらく沈黙した。

「私は部活のためなのかな」

意外だった。

「部活、やってたんだ」
「一応」
「なんの部活?」
「秘密」

 セナは視線を俺から外した。俺もそれ以上追おうとは思わなかった。部活をしに学校に来ているセナと、何の目的もなく学校に来ている俺とは明確な違いがあった。 
 俺とセナの机の距離は七十㎝。それは人間一人分の距離で、俺達二人の距離を正確に表している。自分と同類の存在を感じながら、かといって慰め合うわけでもない。それ以上近づく必要もなく、離れる必要もない。そんな七十㎝の距離感。
 だけど、現在それが何倍も遠ざかっているように感じる。ずっと同類だと思っていたセナに置いて行かれて、このクラスで、この学校で、自分ただ一人だけが孤立していくような気がした。



 HRが終わって帰り支度をする。いつもならこのまま家に帰るのだが今日はそうはいかない。億劫な部活がある。
 隣のセナが立ち上がる。セナも部活に行くんだろう。俺とは違って楽しみな部活に。
 俺はセナに続いて席を立ち、そのままセナについて教室を出る。
 セナの歩みは遅い。セナは昔事故で大けがをしたせいで現在も満足に足が動かない。日常生活にそこまで支障はないが激しい運動はできない。当然、体育は休んでいる。セナの遅い歩みは、部活に行きたくない俺にはちょうどいい。俺はあえてセナを抜かそうとせず、セナの速度に合わせて歩いた。
 俺はふと、セナがなんの部活をしているのか気になった。足の怪我があるわけだから、運動部という線は薄い。マネージャーという可能性もあるが、誰かの世話をするなんてセナのがらじゃない。残るは文化部だが、どうにもセナのイメージと合致する部活は思い当たらない。そんなことを考えながら北校舎に続く渡り廊下に差し掛かったところで、セナが突然振り返った。ふわり、とスカートが舞って、少しだけその奥の白い下着が見えた。

「ホウジョウクンはもしかしてストーカー?」
「違う。部活に行くだけだ」
「私の後ろにくっついて?」
「俺はお前の後ろにくっついて部活に行くんだよ」

 セナは「ふーん」と少し考えて、

「部活、やってたんだ」
「一応な」

 セナはそのまま歩き出した。その三mぐらい後ろに俺はついていく。北校舎で活動する部活は数えるほどしかない。嫌な予感がした。



 その予感は的中した。まだ誰も来ていないVRFPS部の部室で、俺とセナは二人きりになった。気まずい沈黙が流れる。

「つまり――」

 と窓枠に座ったセナが沈黙を破る。短いスカートから真っ白な太ももが覗く。左足には傷を隠す黒いサポーター。

「つまりストーカーのホウジョウクンはここで私を襲うわけね」
「おい」
「でもよした方がいい。こう見えても私、多少武術の心得がある」

 窓枠に腰かけたまま、セナは上半身だけで構えた。その構えは素人目に見ると案外様になっているように見える。

「だから違うって」
「冗談」

 セナは構えを解いて、少し笑った。

「部長から新しい部員が入ったってことは聞いてる。ホウジョウクンがその部員ってことでいい?」
「そうなるかな」
「VRFPSやってたんだ」
「昔な。セナはいつから?」
「まだ初めて半年ぐらい。でも私、結構やるよ」

 セナは銃を構える仕草をする。コンパクトな構えだ。MP5あたりを使うのだろうか。

「そうかい。楽しみにしとく」

 セナは足を組んで窓の外を見た。これで話は終わり、そう言っているようだった。



 古い机に行儀悪く腰掛けてしばらく待っていると部室の扉が開く。そこから小柄な少女が入ってきた。青色のネクタイ。一年だ。

「うぃーす」

 と少女らしくない挨拶をする。かわいらしい顔立ちにダークブラウンのショートカット、それから大きな瞳。昔家で飼っていた猫を思い出すような瞳だ。その瞳が俺を見て、面白そうに笑った。

「先輩が噂のカズの下僕ですね」

 あいつ一年から呼び捨てにされてんのかよ。それよりも、

「下僕じゃねーからな」
「下僕はみんなそう言います。あれの下僕ってことはつまり私の下僕でもありますからね」
「どういう理屈だよ」
「この世で最も下等な生き物の下僕ってことはつまりそういうことですから」
「なるほど」

 思わず納得してしまった。

「いや違う。そもそも下僕じゃない」

 ふう、と少女はため息をついた。

「先輩もわからない人ですね。でもアレよりはまともな人間やってるようなので勘弁してあげます」

 アレ呼ばわりかよ。

「一年の由良木アンコです。よろしくしてあげます」
「北条ユウだ。よろしくなアンコ」
「いきなり呼び捨てですか。アンコさんあたりからはじめたらどうですか?」
「アンコさん」
「やっぱいいです。虫唾が走ります」

 くそ生意気なところも昔飼っていた猫そっくりだ。かわいいのは見た目だけ。

「先輩、先輩」

 と隣の机に座ったアンコが挑発的な視線を投げかけてくる。

「先輩は先輩ですけど、この部では後輩ですよね」
「まあ、お前の方が長くいるだろうな」
「つまりここにいる間は先輩が後輩ですよね」
「そういえなくもないか」

 アンコはニヤリと笑った。

「おい北条、ジュース買ってこいや」
「変わり身はえーなおい」
「ぐだぐだ言ってねーで買ってこいや。果汁百%のオレンジな」
「買わねーから、絶対買わねーから」

 アンコは残念そうに瞳を伏せた。おっかし~な、とつぶやく声が聞こえる。

「だめっすか」
「いやむしろうまくいくと思ったのかよ」
「あのカズの幼馴染ならちょろいかなと」

 どういう扱いされてんだよあいつ。
 その時、扉が開いて噂のあいつが入ってきた。イケメンに見えなくもない顔に、爽やかに見えなくもない笑顔を浮かべている。

「ただいま、俺のハーレム。寂しかったかい子猫ちゃん?」
「出ました、地球の廃棄物。一瞬も存在する価値のない極めてき稀な生命体」
「ひでえ言いようだなおい」
 
 と俺は突っ込む。アンコは自信満々に、

「間違ったことは言ってませんから」
「極めて稀な生命体? なにそれ俺のこと?」

 近づいてきたカズが抜けたことを言う。

「都合のいいところだけ抜き取らないでください」
「照れるなよ」
「どこにも照れる要素がありません」
「あるだろ。俺がお前のそばにいる。それだけでいい」

 アンコが顔をひきつらせて俺を見た。俺は無視して携帯デバイスを取り出した。メールも着信もない。

「よらないでください、気色悪い」
「ほら、照れてる」
「どこが」
「全部さ」
「前々から言おうと思ってたんですけど、物事を自分の都合のいい方向にとらずにきちんと現実を見てください。あなたという人間の目に私がどう見えているのか知りませんが客観的視点で見てください。それからその眼で自分を見てください。ついでに死んでください」

 アンコは一息で言い切った。少し空気が凍った。
 アンコはさすがに言いすぎか、とばつが悪そうに俺に助けを求めた。しょうがない一肌脱ぐか、と思ったところで、

「つまりお前、俺のこと好きなんだろ」

 とカズが言い放った。

「え?」

 え?

 別の意味で空気が凍った。我関せずと夕日を眺めていたセナまで目を剥いてこちらを見ている。

「えっと、なぜそのようなお考えに?」

 アンコがビビりながら尋ねる。

「好きだからそういうこと言うんだろ」

 自信満々にカズは言いきった。
 アンコが壮絶な瞳で俺に助けを求めてくる。もうだめ、私じゃ無理、とその瞳に書いてある。
 俺は夕日を見た。きれいな茜色の夕日が西の空に浮かび、窓枠に座ったセナの端正な顔に美しい陰影つけりる。ああ、きれいだ。

「ちょっと、逃げないでください」
「え、逃げてないけど。夕日がきれいだなって」
「逃げてます。幼馴染なら何とかしてくださいよ」
「幼馴染は選べないからなあ」
「運命的なものですか」
「そんな気持ち悪い関係にするんじゃねえ」
「違うんですか?」
「根本的に間違ってる」
「じゃあ幼馴染としてじゃなくていいんで助けてください」
「だってほらあれじゃん、他人の恋愛に首突っ込むのはさ」
「恋愛じゃないです。一方通行です」
「そうなのか?」

 と俺はカズに聞いた。

「いや、両思いだ」
「だってさ」
「私に聞いてください!」

 ああ、もうめんどくさい。俺がセナの方に逃亡しようとしたところで、カズの言葉に足を止められた。

「大きな庭に、子供は二人。朝目覚めると愛する人の無防備な寝顔。仕事に行く前に行ってきますのキス。帰ってきたらお帰りのキス。お風呂は子供たちと一緒に四人で入る。そんな生活どう思う?」

 全身に鳥肌が立った。
 どう思う? じゃねえよ。どういう返答期待してんだよ。
 俺はこの場に耐えられずに逃げ出す――ことができない。俺のブレザーをアンコの小さな手が思いっきり握りしめていた。

「いやあ、行かないでぇ」

 セナが大きな瞳に涙を浮かべている。ちくしょう、どうする。この手を振り払うか、それとも――いや、無理。すまんなアンコ。一瞬で結論を出した俺が、それを実行に移そうと動いたとき、誰かがカズの頭をはたいた。
 部長だった。黒縁眼鏡の奥の青い瞳が不機嫌そうに細められている。

「部長!」

 アンコが嬉々とした声を上げて部長の背中に隠れた。

「いいかげんにしなさい。ここはVRFPSをする場所よ。ナンパならよそでやって」
 
 まったく、と眼鏡のずれを直して眉間にしわを寄せる部長。

「後輩と心温まる交流をしていただけなんですけどね」
「どこが、心温まる交流よ。セナも部活をはじめるから集まって」

 セナが窓際から悠々と歩いてきた。

「みんな知ってると思うけど、新しくユウが入部するわ。そのおかげで来週の日曜の大会に出られるようになった」
「俺のおかげなんですけどね」

 とカズが言う。部長はそれを無視して続ける。

「今日から大会に向けての練習をしていくからそのつもりでね。出るからには全国優勝を目指すわ」

 それはさすがに無理だろ、と俺は思ったが部長の目は本気だ。いや部長だけじゃない。セナも、アンコも、カズも、部長の言葉を笑ったりしない。その気でいる。俺だけが、仲間外れだ。

「それで、ポジションを考えてきたんだけど。センターは私。これはスナイパーだから当然ね」

 距離の長いセンターは格好のスナイプポイントだ。センターを押さえられると敵に左右どちらにも自由に展開され圧倒的不利な立場に追い込まれる。ここにスナを置くのは定石だ。

「次に爆弾設置地点A。ここはカズとセナでお願い」

 はい、と答える二人。

「それで、残った爆弾設置地点Bなんだけど、ユウとアンコでお願いね」
「先輩、足引っ張らないでくださいね」
「お前がな」
 
 部長が不安そうに俺たちを見た。

「ユウがどこでもできるって言ったからこうなったんだけど大丈夫? 私はセンターを離れられないし、セナとカズはAしかできない。Bができるのはユウだけなの」
「問題ないですよ」

 と答えて、ふと気になることがあった。

「アンコはどこができるんですか?」
「この子は――どこもできないの」

 部長は申し訳なさそうに言った。
 入ったばかりの俺とどこもできない素人を組ませるのか。

「それってまずいんじゃ?」
「私の溢れんばかりの才能をもってすれば問題ありません」

 とアンコ。
 自分で言うな。

「でも、これしかないから」
「まあそうですよね」
「アンコはVRFPSを初めてまだ二か月しかたってないから、ユウがいろいろと教えてあげて」
「入部したばかりのぺーぺーがこの私を教えるということですか」

 何様だよお前は。
 部長がやれやれ、とため息をつく。

「ユウの方がVRFPSの経験はあるから、アンコはユウの言うことをよく聞いてね。ユウ、アンコのことお願いね。それじゃあ各ポジションに分かれて練習開始」

 と部長の言葉に一同は動き出す。
 続いて移動しようとした俺を、アンコが膨らみの乏しい胸をこれでもかと張って遮った。

「経験だけでは決して破れない壁があることを教えてあげます。天才という名の壁を、ね」
 
 アンコは、ふふん、と鼻で笑った。
 大丈夫なのかよおい。





[29920] 六話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:ed937b13
Date: 2011/11/02 23:25
 六話



 ミーティングルームに入ると、そこにはすでに装備を整えたアンコがいた。黒い帽子に大きめのサングラス。黒のタンクトップの上に薄い緑のシャツをはおり、カーキのカーゴパンツの裾を茶色いブーツに入れている。
 砂漠に行く気ないだろこいつ。頭が痛くなってきた。

「先輩、そろそろ上下関係をはっきりさせるべきだと思うのです」

 アンコは好戦的な笑みを浮かべて言った。

「というと?」
「先輩は私よりVRFPSの経験が多いというだけで、この私を教えようとしているのです。弱者が強者にものを教えるなんて片腹痛い」
「参考までに、なんで俺の方が弱いと思ったんだ?」
「理由は二つあります。まず一つ、先輩が雑魚っぽいからです」
「雑魚っぽい?」
「気づいてませんか? 先輩、雑魚オーラが出てますよ」

 俺はそれとなく自分の身体を見まわしてみる。
 よくわからないが、とりあえず強そうなオーラが出ていないことだけはわかった。

「理由二つ目。私が才能に溢れているからです」
「どのへんが?」
「わかりやすく言うと天才だからです」
「答えになってねえし」
「ということで、勝負しましょう。砂漠の町で一本勝負。負けたほうが勝った方の言うことを何でも聞く。どうです? まさかまさか、逃げることなんてことないですよね?」

 どうしてそうなるのか理解できないが、めんどくさいことになりそうだった。ただ、

「まあ、いいか」

 断るのもめんどくさそうだった。




 試合がはじまるとすぐに物陰に隠れた。
 このゲームに勝つ必要はないと言えばないが、負けたら何をさせられるか分かったものじゃない。それにもしかしたら来週の大会にチーム戦の動きが全くできない初心者が出ることになるかもしれない。それはまずい。最低限、二万九千八百円分の働きはしなければならない。

「ほどほどにやるかな」

 呟いて、俺は土壁から顔を出し辺りをうかがった。
 いない。
 M4A1を構えて壁に沿って進んでいく。目指すはマップの中央。そこが最も動線が集まりやすく、最も危険な場所だ。
 1VS1で試合開始後すぐにそこに向かうのは、よほどの自信があるか、何も知らない馬鹿か。
 俺の場合はてっとり早く終わらせたいだけだが。

 相変わらず馬鹿みたいに強い日差しの中、少しの斜面を登り、曲がり角に差し掛かったところで、壁を背にして立ち止まった。この先が砂漠の町で最も広い区画で、四方向からの動線が集中する激戦地帯。チーム戦でなんの策もなく飛び出せば即ハチの巣にされるだろう。
 まずは音を探り、近くに敵がいないことを確認して、一瞬だけ顔を出す。
 ほとんど障害物のない広場の先、距離にして五十mほどの所に、黒い帽子が見えた。影になった路地に隠れてはいるが、やはりこの砂漠色のマップでは黒が目立つ。俺はそれを確認してすぐに角に隠れる。顔を出すという行為は、相手を目視できる代わりに、自分の隠れている場所を相手に悟られる危険もある。目視は一瞬で。それが基本だ。
 さて、五十mだ。昔ならなんてことない距離だった。しっかりとした射撃体勢さえ整えばほぼ確実に当てることができる。しかし今は、どうだろう。わからない。
 アンコの武器は俺と同じM4A1だった。初撃を外せば向こうに俺を殺すチャンスが渡る。
 ……本当に、弱気になったものだ。初めてたった二か月の初心者相手にこれだ。
 M4A1をセミオートに設定し、角から半分身体を出した。外したらその時はその時だ。なんとでもなる。俺はM4A1のトリガーを絞った。
 一発目は外れた。アンコから体半分ほど横にずれた土壁に穴が空いた。
 俺の姿を見つけたアンコが銃を俺に向けようとする。反応は悪くない。ただ、対応が悪い。アンコは隠れるべきだった。
 俺の二発目が、アンコの胴体を貫いた。それと同時に、俺の背後の土壁が弾けた。

「っ!」

 撃ちかえせるタイミングじゃなかったはずだ。やはり鈍っている。
 力の抜けた体で、M4A1を構えようとするアンコに、追い打ちにの三発、四発。それに合わせてアンコの身体が躍り、地面に崩れ落ちた。俺の勝ちだ。



 ミーティングルームに戻ると、

「こそこそ隠れまわって不意を突きやがって納得いきません」

 私は不満です、と全力で主張しているアンコに迎えられた。

「納得いきませんって、お前、そういうゲームだからな、これ」

 正々堂々戦いたかったら格ゲーでもやればいい。

「先輩みたいな精神的弱者が多いからそういうゲームになったんです」
「まあ、勝てば官軍だしな」
「成果主義ですか。矮小な脳みそな人間ほど、わかりやすい形のあるモノしか評価できないんですよ」
「勝負で上下を決めようとしてたやつがよく言う。とにかく、俺が勝ったわけだ」
「くっ」

 アンコは自分の身体を守るように両手で抱きしめた。

「何が目的ですかケダモノ先輩」

 ケダモノ先輩ってなんだよ。

「とりあえずお前、脱げ」
「へ?」

 本当に命令されるとは思わなかったのだろう。間抜けな顔だ。

「脱げ」

 念のため、もう一度言った。
 アンコの顔が、羞恥から怒りへ、怒りから侮蔑へと、目まぐるしく移った。

「類は友を呼ぶ、か。カズの幼馴染だけはあります。先輩、格下げです」

 はたして何の格が下がったのか。

「言い方が悪かった。装備を変えるから、一旦すべての装備を外せ」
「という建前でヤるつもりですね」
「ゲームの中でなにをヤるんだよ」
「まあ、それもそうですね」

 アンコは渋々装備を外して、黒いタンクトップと薄い緑のショートパンツ姿になった。真っ白な細い足が、真っ直ぐ床に向かって伸びている。

「胸を見ましたね、いやらしい」
「見てねーから」

 見たのは太ももだ。お前の平らな胸に価値はない。
 俺は胸元を隠すアンコに向かって装備を投げつけていく。

「ちょ、先輩!」
「さっさと着替えろ」

 とだけ言って、俺は装備を選んでは投げる作業に戻った。



 数分後、俺とほぼ同じ装備を身に着けたアンコが出来上がった。違うのはサブウェポンだけだ。アンコは顔をしかめて、

「先輩とペアルックですか。汚れた気がします」
「むしろ光栄に思え」
「そもそも、センスの欠片もありませんし」
「公式戦にセンスを求めるな。やりたきゃ野試合でやれ」
「不満です」
「勝ったの俺だからな」
「くっ」

 アンコは床に座り込んで体を丸めた。

「こうして不憫なアンコは死ぬまでこの鬼畜に奴隷のように扱われるのでした」
「それがお前の望みならそうしてやるけど」
「しかしそう思われた直後、不憫でかわいいアンコを助け出す白馬の王子様が」
「現われねーからな」

 アンコは、チッ、と舌打ちをする。

「さっさと練習はじめるぞ。試合まで短いんだし」
「はーい」

 俺はトレーニングモードを開始した。



 
「それで、どんな練習するんですか?」

 砂漠の町に降り立つとすぐにアンコが尋ねた。猫みたいな大きな目が、まぶしい日差しの中で細められている。

「その前に、ひどく根本的なことを聞いておきたい」
「はい?」

 と首をかしげるアンコ。

「お前、公式戦のルールわかってるか?」

 アンコの表情が固まった。

「も、もちろんですとも」
「言ってみろ」
「五対五のちーむ戦です」
「それで?」
「そ、それで……」
「それだけ?」
「そ、それだけ……」

 俺は思わず天を仰いだ。そこから説明しなきゃならんのか。

「公式大会は五対五のチーム戦の爆破ミッションで行われる。制限時間二分の五本先取だ。爆破ミッションはわかよな」
「も、もちろんですとも」

 眼が泳いでやがる。こいつ絶対知らねえ。

「爆破ミッションでは攻撃側と防御側に分かれる。攻撃側は制限時間内に決められたポイントへ爆弾を設置し爆破するか、防御側チームを全滅させれば勝ち。防御側は爆破されずに守り通すか、攻撃側チームを全滅させれば勝ちだ」
「まあ、知ってたんですけどね」
 
 と腕を組んでうなずくアンコ。ほんとかよ。

「ほかにも細かいルールはいろいろとあるんだが、それはその都度説明する。ていうか自分で調べとけ」
「はいはい」

 ……。

「お前、今まで部活でどんな練習してきたんだ?」
「銃の構え方とか撃ち方とかクリアリングとか」
「ほかには?」
「ほかには。え~っと、ネットにつないで対戦とか」
「チーム戦はやらなかったのか?」
「仲間などいらぬ。個人の力量こそ真の実力」

 じゃあなんで部活に入ったんだよ。

「でもわからんでもないけどな。俺も最初のころは個人戦ばかりだったし。チーム戦だと仲間に迷惑かけるし、そもそも待ち時間が長いし」

 個人戦では死んでも十秒で復帰できるが、チーム戦の場合死んだら次の試合がはじまるまで復帰できない。試合開始直後に死んだ場合ではインターバルと合わせて二分以上待たされることになる。プレイヤーの力量も全体的に高く、初心者にはいささか敷居が高い。

「ですよね~。まあ私はすぐに死ぬってわけじゃないんですけど」

 俺はわかってる、と言わんばかりにアンコの肩をたたいた。アンコは微妙な顔で俺を見る。

「チーム戦はまずマップを覚えるところからはじまるからな。ここのマップは覚えてるか?」
「当然です、と言いたいところですが。あまり自信ないかもです……」

 個人戦とチーム戦では好まれるマップが違ってくる。それに注意すべきポイントも変わってきたりする。

「念のため、説明しとくぞ」

 俺はしゃがんで砂の上に漢字の『田』を書いた。アンコも俺の隣にしゃがみ込んで田を覗き込む。

「マップは田んぼの田とよく似ている。田の一番上の辺の真ん中あたりが攻撃側チームの初期配置ポイントだ。逆に防御側は一番下の辺の真ん中あたりが初期配置ポイントになる。ちなみに今俺たちがいるのもここだ。この攻撃側の初期配置ポイントと防御側の初期配置ポイントを結んだ線をセンターと呼ぶ」

 と俺は地面に書き込んでいく。ほうほう、とうなずくアンコ。

「左下の角が爆弾設置ポイントA。右下の角が爆弾設置ポイントBだ。俺たちが任されたのはここだな。この二つのどちらかが爆破されれば攻撃側の勝ち、逆に防御側は負けになる」
「なるほど、二つとも爆破する必要はないわけですね」
「攻撃側はそうだ。逆に守備側は二つとも守らなければならない。それとあくまでこの図はデフォルメした形だからな。本当は曲がりくねっていたり、遮蔽物があったり、高低差があったりする。こんな直線だらけじゃスナイパー天国になっちまう」
「だいたいわかりました」
「今からマップを回りながら解説していくから、常にこの図を頭の中に思い浮かべて、自分が今どの位置にいるか理解するように。それと録画も忘れるなよ」
「あいあいさー」



 その後、たっぷり三十分以上かけてマップを回った。アンコの物覚えは悪くない。この学校にいるんだから当然と言えば当然か。

「今日家に帰ったら録画を見返して復習しとけよ」
「はいはい。先輩、入部したばかりなのによく知ってますよね」
「昔ちょっとやってたからな」
「でも知識だけじゃ勝てないんで、そこんとこ勘違いしないでくださいね」
「お前もな。俺に負けてんだからそこんとこ勘違いすんなよ」

 アンコは顔をそむけて明後日の方を向いた。こいつ。

「よし、じゃあ練習を始めるぞ」
「え、今までのはなんだったんですか?」
「ただの説明だ。次からは実戦を想定した練習だ。まずはそうだな防御側ではじめたと想定する」
「攻撃側は?」
「攻撃側は臨機応変だからな。状況や相手のポジションに応じて攻め方を変えていかなきゃならない。対して防御側ならある程度型が決まっているから教えやすい。じゃあ始めるぞ」

 俺はウィンドウを開いてトレーニングモードの設定をしていく。試合と同じ爆破ミッションの二分間。俺たちは防御側スタートで、攻撃側にはAIを二人配置し、爆弾設置ポイントBを攻めるように思考をいじる。
 視界の上に時間が表示され、それがゼロになるとゲームがはじまった。俺はマップ右側、爆弾設置ポイントBに向けて全力で走り出した。一瞬遅れてアンコが俺について走り出したのがわかった。個人戦と違ってチーム戦は初期配置が決まっている。だから開始直後は接敵を気にせず音を出して全力で走ればいい。
 十秒ほど走って、砲撃で穴のあいた壁を抜けると、少し開けた場所に出た。そこでウィンドウを呼び出して時間を止める。

「ここが爆弾設置ポイントBだ。略してBと呼ぶ。俺たちが守るべきはあの装甲車だ。攻撃側はあそこから入ってくる」

 幅二mほどの屋根がかかった通路『細道』を指差す。

「それで、お前の守備位置はここだ」

 と俺はアンコを連れて土嚢で作られたバリゲートの後ろへ回った。ここからは攻撃側が入ってくる細道が見通せる。

「この土嚢に隠れて敵が来たら撃て。間違っても突撃なんてするんじゃねえぞ。俺たちは守備側だからな」
「わかってますよー。ところで先輩はどこで守るんですか?」
「向こうだ」

 俺は背後の壁の穴の向こうを指した。

「私より後ろじゃないですか」

 アンコが攻めるような視線で見つめてくる。

「そうだな。この場合、先に狙われるのはまず間違いなくアンコだし、先に死ぬのもまたアンコだろう」
「私もそっちがいいです」
「でも難しいぞ。センターやAと近いから救援に入らなきゃいけないし、裏取りの注意も必要だ。柔軟に動ける知識がないとできないし、細道と少し距離があるから正確な射撃技術が必要とされる。やるか?」
「……やっぱやめときます」
「だろ。二人で防御する場合の基本は、一人が囮役で一人が仕留め役だ。この場合、お前が囮だ。相打ちでもいいから一人倒せ。もしくは誘い出せ。それがお前の仕事。残った奴を倒しつつ、全体の戦況を見極めてポジションを移動して救援に回るのが俺の仕事」
「なんか捨て駒にされてるみたいで納得いかないです」
「そういうな。野試合とは違ってクラン戦ではチームワークが何よりも重要になるんだ。野試合だったら一人の上手いプレイヤーで結果が決まることもある。でも練習を積んだチームが相手になるとそうはいかない。野試合だとせいぜい一対一が五回続くだけだが、チームが相手になるとそれが一対五になる。そうなったら一人じゃどうしようもない。チームに勝つためにはチームとして連携をとらないとだめなんだ」

 アンコはふてくされた様子で、

「とりあえず了解です。私は敵をひきつければいいんですね」
「そうだ」

 俺はゲームを再開した。再開すると時間を止める前の場所まで戻される。そこからすぐに俺は一度壁を出て穴の後ろに陣取った。ここからは装甲車も、土嚢に隠れたアンコも、細道から入ってくる敵も、全て見渡せる。対してこちらは頭だけ出した状態で撃つことができる。裏から入られなければ非常に強い場所だ。
 残り時間一分四十秒で、黒い塊が細道から投げ込まれた。

「FB」

 俺はインカムに向かって言った。

『了解っす』

 左耳からアンコの声が聞こえた。試合中、離れた場所の味方とはこのインカムでやり取りすることになる。
 穴の後ろに隠れてFBをやり過ごすと、再度頭を出してM4A1を構える。

「来るぞ、構えろ」
『了解』

 直後、アンコのM4A1が火を噴いた。それから土嚢にもいくつもの銃弾が当たり、アンコの姿が硝煙と砂埃でぼやけていく。接敵したのだ。俺の角度からはまだ敵影が見えない。

『AK一人、M4一人』

 絶え間なく轟く銃声の隙間を縫ってアンコが報告する。

「了解」

 マガジンを打ち尽くしたアンコが、土嚢に身を伏せてリロードする。
 その隙にAKが一人突入してきた。AKはアンコの土嚢目指している。俺は隙だらけのそいつに向けてM4のトリガーを引いた。三点バーストでリズムよく、銃弾が発射され、AKを持った敵が躍った。まずは一人。
 二人目に備えて細道に照準を合わせた時、そこから黒い塊が投げ込まれた。それは土嚢に隠れたアンコの元へと吸い込まれるように落ちていく。

「HG! 逃げろっ!」

 アンコが反応して走り出した直後、HGが爆発し、大量の砂を巻き上げながら小柄な身体が吹き飛ばされた。

『きゃあああっ!』
「くそっ」

 吐き捨てるが、視線はそらさずに細道を注視する。そしてアンコにとどめを刺すべく疾走してきた敵を、狙い澄ました俺の銃弾が貫いた。これで終いだ。

 俺は一つ大きく息を吐いて穴を降りると、地面に這いつくばっているアンコの元に向かう。

「生きてるか?」
「半分死んでます」

 と弱弱しい声で言うアンコ。泥や煤にまみれて見る影もない。体もほとんど動かないだろう。

「まあ、これがB防御の基本だな。AIのレベルは低いから実戦ではこうはいかないだろうが、初めてにしちゃまずまずだ」
「なんか私って損な役回りじゃないですか?」

 アンコはうつ伏せのまま、まるで砂を食べるかのように口を動かした。しょうがないから仰向けにしてやる。

「そうだな。でも必要な役だ。実際の、リアルの戦争なんかとは違って、ここはゲームだ。だから死んだっていい。次があるから。当然、捨て駒を使って命を犠牲にした戦い方が取られるし、はっきりいってその方が強いからな。最低限の仕事さえすれば名誉の戦死だ。お前も今回は名誉の戦死だぞ。よくやった」
「まだ死んでないんですけどね」

 と恨めし気に呟くアンコ。

「今日はこれぐらいにしとくか。家帰ったら復習して、自分でAIの設定して練習しろよ。大会に間に合うかどうか怪しい所だからな」




 ゲームを終えて現実に戻ると、部長が俺達を覗き込んでいた。カズとセナはまだプレイ中のようだ。

「どうだった?」

 と部長。

「まずまずじゃないですか。公式戦がどんなレベルかわからないんではっきりとしたことは言えないですけど」
「先輩に奴隷のようにこき使われ、嬲られ、捨て駒にされ、殺されました。人権侵害です。パートナーの変更を求めます」
「ねえよ」
「嘘は言ってません」

 部長はおかしそうに笑った。

「案外いいコンビじゃないの?」
「勘弁してくれ」
「部長、笑えない冗談ですよ」
「はいはい。今日はもう終わりにするから、二人とも先帰っていいわよ。それと突然で悪いんだけどチーム名考えてきてくれないかしら」
「チーム名?」
「明日までに考えてエントリーしなきゃならないのよ。今まで大会に出たことなかったからすっかり失念してたわ。明日の昼までにお願いね」
「昼、ですか?」
「ああ、ユウに言ってなかったかしら。いつもみんなで集まって部室でお昼食べてるの」

 それでか。昼休みになると教室からセナが消える理由がわかった。

「ユウも明日から部室で食べたらどう?」
「考えときます。それじゃあ部長、また明日」

 俺は手を挙げて部室を後にした。




[29920] 七話
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:6252f6ec
Date: 2011/11/05 19:14
 七話


 昼休み、セナと一緒に部室に行く。一緒とは言ってもそこに会話はない。俺とセナは同じクラスで、隣の席で、授業を一緒にサボったりもする。でも携帯デバイスの番号は知らないし、お互いのこともよく知らないし、なによりあまり話しをしない。そんな関係。

 部室にはまだ俺たち以外誰もいなかった。二人きり。でも昨日のような気まずさはない。いつもそうだったから。
 セナは席に着くとすぐに弁当を開いた。

「もう食べるのか?」
「うん」

 セナは当然のように答える。

「普通は待つもんじゃないか?」
「さあ、わかんない」

 セナは興味がなさそうに弁当を食べはじめた。ここにはここのルールがあるはずだ。もしかしたらここでは先に来たやつから自由に食べはじめるのがルールなのかもしれない。俺もセナに倣って弁当を広げた。

「美味しそうだな、それ」

 セナの弁当を見て素直にそう思った。漆塗りの高級そうな弁当箱には、純和風の料理が詰め込まれている。五目ご飯、鮭の切り身、だし巻き卵、きんぴらごぼう、ほうれん草のおひたし。そんな何の変哲もない普通の弁当が、品のいい漆塗りの容器と、セナの上品な食べ方と相まって、すごく特別なもののように見えた。
 思えばセナにはどこか普通の人とは違う凛とした雰囲気がある。こんなやる気のない眼をしているのに、だ。身のこなし一つ一つが綺麗で、優雅で、洗練されている。足の怪我がありながら、背筋はすらりと伸び、歩き方は美しい。癖一つない流れるような黒髪と、上品な顔立ちのせいで、時代劇にでも出てきそうな和風の美がある。

「それ、誰が作ったんだ?」

 もしかしたら本当にお手伝いさんとか、専門の料理人がいるのかもしれない。セナはそういう生まれの人間なのかもしれない。そう思った。

「私」

 耳を疑った。

「いまセナが食べている弁当は、いったい誰が作ったんだ?」

 誤解がないように主語をきちんと入れた。

「私」

 マジかよ。ありえない。

「何、その反応」
「だってお前、食うと寝る以外は何もやらない人間だろ」

 それとVRFPSか。それ以外はすべてどうでもいい、そんな風に見える。

「ホウジョウクン、それは誤解」

 とセナは心外とばかりに言う。それから、

「私のお弁当を作るのは私しかいないから」

 と小さく付け足した。どういうとればいいか迷う言葉だ。

「いや、それにしても美味そうだ。一個もらっていいか?」
「どうぞ」

 俺はセナが差し出した弁当箱からだし巻き卵を一つ頂戴して頬張る。何の変哲もない普通のだし巻き卵だ。だけど、美味い。

「もう一個いいか?」
「どうぞ」

 セナは満足そうに頷いた。





「ちーっす」

 という声とともに、アンコが部室に入ってきた。アンコは「セナ先輩、こんにちは」と頭を下げる。セナは頷くだけ。

「すいません、あなた誰でしたっけ?」

 と俺の隣の席に座るアンコ。

「その年でアルツハイマーか? かわいそうなこった」
「どうでもいい人間のことは覚えないようにしてるんですよね。無駄だから」
「確かに一理ある。そういえば俺もお前のことよく思い出せないな。えっと確か――きな粉だっけ?」

 きな粉の表情が凍った。

「アンコです」
「そうだっけ? きな粉じゃなかった?」
「アンコです」
「アンコときな粉って似てるよな。もうきな粉でいいんじゃないか? どうせたいした違いもないんだろ?」
「ア、ン、コ、です」

 アンコは頬をひくつかせながら強い口調で言う。

「まあいいよ。そこまで言うんだったらアンコってことで」
「くっ」

 顔をゆがませて俺を睨みつけるアンコ。しかし残り少なくなった俺の弁当を見て、その顔に嘲りの色が浮かぶ。

「先輩、常識ってものがないんですか? 普通誰かと一緒にご飯を食べるときは人が揃うまで待つものでしょう。友達いないからわからなかったんですか?」

 え?

「だってセナも普通に食ってるぞ」

 もう食べ終わりそうだし。

「セナ先輩はいいんです」
「なんで」
「セナ先輩だからです」

 平らな胸を張って言うアンコ。確かに妙な説得力がある。セナも我関せずと食べ続けてるし。自由すぎるだろこいつ。
 しょうがないから俺は箸を止めて残りの二人を待った。




 しばらくしてカズが来た。その少し後に部長が。

「ごめん、授業が長引いちゃって」

 うちの学校では授業の延長はよくあることだ。ひどい時には昼休みが半分なくなる。どうやら教師連中は昼休みを、授業の遅れを取り戻すボーナスステージか何かと勘違いしているらしい。
 部長は机を動かして皆とくっつけると、その上に桜の花びらが描かれたかわいい弁当箱を置いた。桜坂だから桜なのだろうか、その中には普通の和食が詰まっている。ロシアの料理が入っているのかと思ったから少し意外だった。
全員がそろったことでようやく昼食がはじまった。セナはすでに食べ終えているが。

「チーム名、考えてきてくれた?」

 部長が切り出した。

「はい!」

 と勢いよく手を上げるカズ。

「言ってみなさい」

 カズは顎の下に手をやり、意味深な笑みを浮かべてもったいぶった後、

「カズ・ハーレム~おまけつき~」

 俺はおまけ扱いか。

「却下」

 即座に言い渡された。

「なんでっ!」
「不快だから」
「くっ」

 ありえない、と呟きながらカズは机に伏せた。

「はい」

 今度はアンコ。

「アンコと部長とセナ先輩と奴隷が二匹」

 お前も同じベクトルか。しかもまるで捻りがない。

「却下」
「そんなっ」
「そもそもチーム名になってないわ」

 アンコは肩を落とした。自信あったのになぁ、と呟く声が聞こえる。こいつの自信は当てにならない。
 部長が眉間をおさえてため息をつく。

「もう少し真面目に考えてきてほしかったんだけど。セナはどう?」

 セナは頷いた。意外だ、こいつも考えて来たのか。セナは形のいい唇を小さく開いて、

「告死ノ弾丸《デスバレット》」

 静かな声で言った。
 沈黙が降りた。リアクションに困る、とても困る。

「か、かっこいいい名前ね。でもちょっと私たちにはそぐわないと思うんだけど……」

 部長が困った顔で俺を見る。俺も頷いて同意しておく。

「なら、いい」

 セナはどうでもよさそうに言った。でも少し残念そうにも見える。

「ユウは?」

 部長が期待のこもった目で俺を見た。
 でも俺は何も考えてきていなかった。別にめんどくさかったわけじゃないし、いい名前が思いつかなかったわけでもない。ただ、眼鏡の弁償代わりにここにいる俺が、チーム名を考えるのは違うんじゃないかと思ったからだ。チーム名はチームの人間が決めるべきで、俺はそこに入るべきじゃない。でもここまでまともな候補が出ないと、何も出さないわけにはいかなかった。
 俺はチームの皆を見渡した。机に伏せてわけの分からないことを呟いているカズ。首をかしげて、やはり奴隷では生ぬるかったか、と見当はずれなことを零すアンコ。ぼんやりと窓の外を見ながら眠そうに眼を開閉するセナ。それから、信頼にも近い何かを込めながら俺を見つめる部長。バラバラで統一感がないメンツに見える。だけどここにいる人間に共通するものがあった。
 こいつらはみんな濃いのだ。無色透明の色が強いこの学校で、これだけ癖のあるメンツがよくぞ集まったと思ってしまう。まるで、この学校の異物をVRFPS部がすべて引きうけているようだ。

「Mavericksなんてどうでしょうか」

 恐る恐る、俺は言った。

「どういう意味なんだ?」

 とカズ。

「マベリックス。異端児達って意味よ。いいじゃない、皮肉が効いてて私たちらしいわ」

 部長の言葉にカズは、ふむ、と頷いた。

「俺の次ぐらいにいいな」
「私の次ぐらいにいいですね」

 とアンコ。

「同じく」

 とセナまで。
 こいつらどんだけ自分で考えたチーム名に自信持ってんだよ。

「それじゃあ満場一致で決定。チーム名は《Mavericks》よ」

 満場一致、なのか? それより、

「ちょっと待ってください、部長の案は?」
「いいのよ、私のは。私の勝手な思いを込めたチーム名だったし、ユウの案が一番いいわ」
「そんな――」
「いいじゃない。ぴったりな名前だと思うけど。それとも採用されるとまずい理由でもあるの?」
「それは……」

 チームに入ってない俺が考えたチーム名が採用なんて問題だらけだ。でもこの場所でそれを言えるはずがない。だから、

「いえ、何も問題ありません」

 と言うしかなかった。チーム名が《Mavericks》に決定した。




 放課後の部活は昨日と同じように分かれてはじまった。俺とアンコは防御側の復習をした後、設定を攻撃側に変えた。AI二人をBの防御に配置して試合をはじめる。開始から全力疾走して、細道の手前まで進んだところで俺は時間を止めた。

「俺かお前、どっちが先に行く?」
「先輩が先行ってくださいよ。防御側は私が前衛だったんですから」

 それもそうか。

「後ろの方が難しいんだけどまあいいか。今からBに突入するわけだが、普通にやればまず間違いなく撃ち負ける」
「なんで言い切れるんですか。やってみないと分からないじゃないですか」
「やってみなくてもわかるさ。マップのつくりが防御側有利になってるからな」
「え、そうなんですか?」
「ああ。防御側と攻撃側の違いだな。防御側はAとB両方守らなければいけないのに対して、攻撃側はAかBの片方を落とせばいい。だから自然と防御側は人を割かれて戦力を分散される。対して攻撃側は守るところなんてどこにもないから、どこか一つの地点に全員集めて攻め込んでも何の問題もない。普通にいけば、自由に人員を動かせる攻撃側が勝ってしまう。だからマップのつくりを防御側有利にすることでバランスを取っているわけだ」
「なるほど」
「防御側はマップの利を生かして立ち回り、攻撃側は局地的な人数差を生かして立ち回る。これが基本だな」
「でも今は二対二ですよ?」
「そうだ。だから普通にやれば負けてしまう。見てみろ」

 俺は細道の向こうの土嚢を指差した。

「あそこは防御側でお前が隠れていた土嚢だが、Bに入るには細道を通ってまっすぐ直進しなければならない。細道は十メートル弱だ。敵が待ち構えている遮蔽物のない細い道をそれだけ直進するってことは、まず間違いなく死ぬってことだ」
「確かに、入れる気がしないです」
「しかもだ。細道を抜けると、俺が守っていた位置からの射線に入る。そうなると二方向からのクロスファイアが待っている。たとえ細道を抜けたとしても待っているのは死だ」
「じゃあ、細道の手前から土嚢の敵と撃ちあって、倒してから突入するのは?」
「それも一つの戦い方ではあるが、じり貧になりやすい。撃ち合いでも身を隠す面積の大きい土嚢の方が有利だし、俺達には制限時間がある。二分以内にAとBどちらかを爆破するか、防御側を全滅させなければこちらの負けだ。防御側は消極的な撃ち合いをして時間を稼げばいいし、そうなるとこちらには裏を取られる危険だって出てくる」
「じゃあどうするんですか?」
「そこで、こいつの出番だ」

 俺はFBを取り出した。

「閃光手榴弾ですか?」
「ああ。これを突入前に投げ込むんだが、そこでも一工夫する。俺たちは昨日防御側をやったよな」
「はい」
「その時AIがFBを投げ入れてから突入してきたけどどうだった?」
「どうって、別にどうってことなかったです」
「そうだ。普通に投げ入れるだけじゃ効果は薄いんだ。相手もそれがわかっているから、耳を塞いで物陰に伏せてしまえば、なんてことはない」
「そうですね」
「物陰に伏せている隙を狙って攻め込んでも、俺たちがもろにくらってしまう。だって自分の前に投げ入れるんだからな。目をつぶって走ったって、後ろ向きに走ったって、それなりに影響は受けるし、そうしている間は完全に無防備になる。だから投げ入れる位置を工夫するんだ」
「投げ入れる位置?」

 俺は頷いてアンコを土嚢の近くまで連れて行った。それから土嚢の裏の、ある一点に足で印をつけた。

「ここだ。ここにピンポイントに投げ入れれば、土嚢の敵も、穴の敵も、隠れなければいけない。対して、細道から突入する攻撃側にはほとんど影響がない。FBが土嚢に遮られて音も閃光も届きにくいんだ」
「つまり防御側が身を隠している隙に、タイムラグなく突入できるってことですか」
「そうだ。そうなると防御側の有利なんてほとんどなくなる。そっからはガチの撃ち合いだ」
「わかりました、ここにFBを投げ込むだけでいいんですね。簡単じゃないですか」
「そう思うか?」
「え?」

 怪訝そうなアンコを連れて、細道の前まで戻った。そこからFBを投げ込むポイントを探すと、

「角度がない?」

 アンコが驚いた顔で言った。

「正確には、ほとんど角度がない、だ。一見簡単そうに見えるが細道の手前からあのポイントに投げ入れるのはかなり難しい。少しでもずれれば、防御側に満足に効果が与えられなかったり、最悪の場合は攻撃側だけくらったりなんてこともある」
「できるんですか、こんなこと」
「これは後衛がやる仕事だ。できないんだったら変わるか?」
「や、やりますよ! 先輩にできて私にできないことはありません」
「その意気だ」
 俺はメニューを呼び出してゲームを再開した。




 時間停止前の場所まで戻るとすぐに、アンコはFBを取り出した。それから顔だけ出して狙いをつけようとするが、その瞬間にアンコの頬を銃弾が霞めていく。身を縮めて顔を戻すアンコ。無理無理、と首を振っている。
 当然だ。悠長に狙いをつけていては頭を撃ち抜かれる。本当は目標を見ずに手だけで投げ込むものだが、最初からそんなことできるはずがない。俺は仕方なく、

「援護するから、その間に投げ込め」

 と言った。アンコは頷いた。
 俺はAIの射撃が止んだのを見計らって半身を出すと、土嚢めがけてトリガーを絞った。フルオートで、だ。フルオート射撃は援護の時に最も効果を発揮する。
 絶え間なく放たれる弾幕に、敵が身を伏せた瞬間、FBが土嚢めがけて飛んで行った。俺はそれを目の端で追いながら、そしてマガジンを取り換えながら、飛び出した。
 FBは回転しながら土嚢の上に乗ると、その手前に落ちてきた。ああ、終わった。
 咄嗟に目をつむったが、それでも音は飛び、視界が白でぼやけた。だが、まったく見えないわけじゃない。黒く薄い影が、ぼんやりと見える。俺はここで何千、何万回と練習し、何百回と同じ失敗をした。見えなくても、どうすればいいかぐらい体が覚えている。
 俺はM4を構えると、黒く薄い影に狙いをつけた。でも撃つのはそこじゃない。その影は装甲車だからだ。そこから左に少し、ずらす。感覚だけが頼りだ。
 トリガーを絞った。ほんの少しずつ位置を変えながら、数度。これで土嚢の敵は倒したはずだ。
 それから再び装甲車に狙いを定め、今度はそれを右上にずらす。狙いは穴の敵。ここからは運だ。当たれ!
 俺は残りのマガジンすべてを吐き出した。それから数秒経っても俺は生きている。つまり、そういうことだった。

 視界が戻るとすぐにあたりを確認する。土嚢の裏に倒れたAI、それから穴から落ちて血を流したAI。視界には『YOU WIN』の文字が。だいぶ感覚が戻ってきている。

「まさか、一発で成功するとは。さすが私です」

 アンコが得意げに鼻を鳴らして近づいてくる。

「完全に失敗だ馬鹿たれ。視界真っ白だったぞ」
「え、そんなわけないじゃないですか。失敗してたら敵を倒せるはずありません」
「俺が頑張ったからだ」
「頑張ってどうにかなるもんなんですか?」
「たまにはなんとかなるもんだ」
「先輩、ときどき地味にすごいことしますよね。でも今回のはさすがに嘘っぽいですよ」
「まあ別に嘘でもいいけど、練習つづけるぞ。仮に今回のが成功だったとしても、何度も同じことできないってことはお前も分かってるだろ」
「ぐっ、確かに」




 AI二人を消してFBの所持数を無限にした後、アンコにFBを投げ続けさせた。でも、何度投げてもうまくいかない。たまに俺が手本を見せてもやはりできない。しょうがないのだ。これは見て覚えるものじゃなく、体で覚えて感覚をつかむものだから。

「こんなこと、やってくるチームなんているんですか?」

 何度となく失敗した後でアンコが言った。

「俺の周りは普通にやってきたぞ」
「ほんとですか? 先輩の周りにいたのがたまたまFB厨だけだったとか?」
「そんなことはなかったと思うんだけどな」

 確かに、俺は最近の事情を知らない。公式大会のことなんて全く分からない。だから公式大会でこのFBを使ってくる相手がいるとは断言できなかった。

「でも覚えとけばかなり使えるぞ、これ」
「確かにそうなんですけどね」

 練習を再開した。でも、アンコにこれを教えるのは早かったかもしれないと思った。初めて二か月の、ほとんど個人戦しかやったことがない素人なんだ。できなくて当たり前だった。




 それから、どれほどのFBをなげたかわからなくなった頃、アンコの投げた一つのFBが、土嚢の奥に落ちた。

「できたっ!」

 アンコは満面の笑顔を浮かべた。

「その感覚を忘れないうちに、続けて投げろ」
「はいはい!」

 続けていくうちに、十回に一回だった成功が、五回に一回、三回に一回へと増えていく。アンコは明らかに感覚を掴んでいた。
 それに、アンコは覚えがはやい。それは昨日から感じていたことだった。知識もなく、動きもでたらめだけど、教えればその通り動ける。昨日教えた防御も、今日の復習の時点でほとんどできるようになっていた。昨夜アンコがどれだけ練習をしたかわからないが、それにしても驚異的と言っていい呑み込みの速さだ。




「そろそろ、次に行くか」
「え、でもまだ二回に一回ぐらいしか成功してませんよ」
「今日それだけできれば充分だろ。これは一人でもできる練習だからな。今は俺との連携を合わせる方が大切だ」
「それもそうですね」
「ちゃんと練習して、試合までに十回に九回は成功するようにしとけよ」
「はいはい、わかってますって」

 俺はAI二人を再び配置して、ゲームをはじめた。細道の手前まで来たところで、アンコとアイコンタクト。俺が援護射撃を、その間にアンコがFBを投げ込む。FBは狙い違わず、土嚢の奥に落ちた。
 俺は細道を飛び出して、土嚢の奥に伏せる敵めがけて、トリガーを引こうとした。これが終わったら少しはほめてやるか、とか思いながら。その瞬間、俺の身体を衝撃が突き抜けた。俺は力なく地面に倒れ、視界が真っ赤に染まった。

 は、なんで?

 死亡した俺はミーティングルームに戻される。壁にかかったモニターには、Bに突入し土嚢の奥の敵を撃ち抜いたアンコが映し出されている。死亡するとこの部屋に戻され、残りの時間を観戦することになる。
 俺はメニューを呼び出して巻き戻しを選択する。映像はアンコがFBを投げ込む瞬間に戻った。アンコが投げたFBが土嚢の奥に落ちる。ここまではいい。俺が素早く突入し、土嚢の敵に狙いを定める。ここまでもいい。そして、その俺を、アンコのM4から放たれた銃弾が貫いた。

 なるほど、死刑。

 砂漠の町に戻った俺に、アンコはむかつく笑みを浮かべながら近づいてきた。

「ダメじゃないですか先輩、成功したのに死ぬなんてありえませんよ」
「ああ、ありえねえよな。俺もそう思う」

 俺はM4を構えて至近距離にいるアンコめがけてフルオートで放った。

「きゃああああ、なんでっ!」

 銃弾に撃ち抜かれたアンコが、地面に倒れて消える。俺はゲームをリセットしアンコを呼び戻した。

「ちょ、なんてことするんですか先輩!」

 怒り心頭なアンコ。

「俺が死んだ理由だ」
「へ?」
「だから、さっき俺が死んだ理由と、今お前が死んだ理由は同じだ」

 アンコは怪訝そうな顔で考えている。それから、

「もしかして味方にも攻撃が当たる?」

 恐る恐る言った。

「そうだ。はじめに教えておかなかった俺も俺だが、知らないお前もお前だ。野良のチーム戦は悪質なTKを防ぐために味方への攻撃判定をなしに設定している場合が多いが、クラン戦や公式戦では味方への攻撃も普通に当たる。だから野試合と同じような感覚でやるととんでもないことになる」
「そ、そうだったんですか」
「いや、わかればいいんだ。次からは気をつけろよ」
「はい」

 アンコはしょんぼりと頷いた。





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