hxh 青に帰せず 1
私が怒られるときに言われる言葉で、もっとも多いのは「ぼさっとするな」である。
そして口汚く言うなら、「ぼさっとしてんじゃねーこのボケ!」となる。もちろんよく言われる。
その時も、他人からすれば、ぼさっとしていたのだろう。そうでなければ、突然、別の世界に迷い込むなんてことは無かったかもしれない。
肝心の時になぜ、ぼさっとしていた、なんて言われそうな状態にいたか。最近、思い出した。
交差点の向こう側に、ものすごくもふもふしていてふわふわとした、真っ白な毛並みの大型犬がいたからだ。ついつい観察してしまった。
四本の足への体重のかかり方。骨格と、それに沿うような筋肉。もふっとした毛の内側の体躯。
3DCGで作られたモデリングをぐるぐると回すみたいに、私の頭の中にもふっとしてふわふわな犬を作っていたのだ。
実際に彫刻作品として作るなら素材はウレタン樹脂だな、とか、サイズは3サイズくらい作って並べて展示したいとかまで考えていた。
観察と脳内デッサンと妄想で、頭が一杯だった。いくら美大だからといって、もう卒業を半年後に控えている成人としては、確かに注意力散漫というか、盲目的過ぎたと思う。
でも美大生の性ですと言い張るよ、私は。
白くてもふっとしていてふわふわな犬が不意にいなくなったと思ったら、あれはたぶん、いなくなったのは私だった。
脳裏にちらちらと真白いワンコが映る中で、あれ? とか、おや? とか、比較的冷静に驚いていた。
そしてあまりにも早くにハイドさんが登場したので、脳内比率はもちろん、美形のおじさま>白いわんこ>ここはどこ? に成り代わった。仕方がない。素敵に美形で紳士っぽいおじさまが出現したら仕方がない。
まだ名前を知らなかったハイドさんに問われるままに、あれこれと私は喋った。私の目はハイドさんに釘付けだったので、その時何を聞かれたかはよく覚えていない。
ただ、しばらくのあとに、ふっとハイドさんが微笑んで(それはもう眼福でした)子供を育てるのも面白いかもしれないと言ったのは覚えている。
ずいぶん背の高いおじさまだと思っていたから、子供と言われて驚いた。けれども確かに私は子供になっていたのだ。成人していたというのに、つるぺたぷにぷにになっているとは驚きだ。アンチエイジングもほどほどにすべきである。
つるぺたとは言え、およそ10歳ほどの子供になった私をハイドさんは苦もなく抱き上げた。大人になってから萌えシチュになるために、体験することは非常に難しい子供抱っこだった。紳士が幼女(自分であることは目をつむる)を子供抱っこ。
もちろん私が得意のぼさっとした状態になるのも仕方が無い。めくるめく幸せワールドだったことは断言する。
そんな私だったせいで、あれよあれよという間に、ハイドさんことハイドレンジ・ブルーバック、40歳独身男性で美術商を営む素敵紳士の養女になった。
戸籍はなにやら電話一本で作っていた。よく分からない世界だったように思う。
さて、養女な幼女になって一年。この世界の常識と文字の読み書きをようやく覚えた頃だ。
ハイドさんが一年経ったから誕生日プレゼントをやろうと言って、普段は入れて貰えない地下倉庫に連れて行ってくれた。ここにある物を一つだけ私にくれるのだと言う。
よく選べと一言残して、ハイドさんは倉庫を出て行った。
興奮した。
そこにある物は全てがキラキラしていて、本物の芸術品だけが持つ圧倒的な存在感を放っていた。
誇り高く鎮座する日本刀や、異様な空気を吐き出す謎の彫刻があった。全てが仄かにライトアップされていて、湿度と温度が適正に保たれた、彼らのためだけの空間だった。
のめり込むように見て回っていた中で、それを目にした時、私の意識が丸ごと攫われた。
それは真白く漂白された、何かの頭骨だった。上顎と下顎がセットになっていて、歯の間には丁寧に布地が挟まれていた。
歯並びから考えるに、肉食動物のようだ。
夜の海を思わせる濡れた黒色をした布団に載ったその頭骨は、モチーフとして見慣れたどの頭骨とも違う箇所があった。
角だ。
それはもう長く鋭く、ぞくぞくするほど美しい刃物のような真っ白な角だ。
私の知っている頭骨は、骨と角との分かれ目がはっきりとしていて、決してなだらかな流れはなく、骨と同じ白さを持ってはいなかった。
作り物のような不自然さと、失われた生命の残り香を同時に感じた。矛盾だ。けれど、同時に魅力だった。
ふぅ、と微かに息をついた時、私は自分が呼吸を止めていたことに気付いた。ばくばくと心臓がうるさく鳴り響く。深呼吸を繰り返して、体を落ち着けようとする。
ーーそれでも目は離さなかった。
どれほどの時間を見つめ続けたのか。
いつの間にか背後に立っていたハイドさんに声をかけられた時、足が棒のように固まり、握りしめていた手が冷たくなっていた。
それが欲しいのかと聞かれた。息を詰めていた喉ではすぐに声を出せず、掠れた声で欲しいと言った。
これがいい。そう、確かに伝えた。
肩越しに伸ばされた手が、黒色の布団を柔らかく持ち上げた。光の角度が変わり、まろやかな光が反射する。
目で追っていた私の手元に下ろされて、お前の物だと囁かれた。体が震えた。
手のひらが汗ばんでいたから、ぎゅっぎゅっとズボンで拭ったのを覚えている。とてつもなく神聖なものを受け取る気持ちだった。
手に取った布団は柔らかくて、そして軽やかだった。頭骨の重みを仄かに感じられた。
捧げ持つようにして、真っ白に穴のあいた眼窩と見つめ合う。
地下倉庫の片隅ではあったけれど、洗礼を受けるような厳かな雰囲気を感じていた。頭骨から受ける圧力は穏やかに私を包み込み、とても安らかだった。
それからの私は、生活のほとんど全てを頭骨のために使った。
ハイドさんに何という名前の生き物だったのかを聞くと、既に絶滅していると前置きして教えてくれた。
もう脈動する姿を見れないということに、絶望にも似た気持ちだった。
それでもその生き物について知りたくて、街の図書館や書店を回り、インターネットで注文してまで関連書籍を手に入れた。
ハイドさんは私の執着に何も言わず、必要なものを先んじて用意してくれたことが有難かった。
毎日、リス毛のブラシで手入れしたあと、頭骨を必ず視界に入れながら読んだ。離れたくなかった。寝る時は枕元に置いた。
図鑑や研究書を読んではそれをノートにまとめ、読む本が無くなればひたすらにデッサンした。
上顎と下顎を個別に描き、あらゆる方向から観察した。想像上の断面図も描いた。研究書を参考に生きていた状態を思い浮かべて描いた。
模型も作った。木彫でも塑像でも石膏でも作った。針金でも作った。ペーパークラフトも自分で展開図を作って、自分で組み立てた。
夢にまで詳細に出てくるほど、観察し理解し、作った。それでも息遣いは無かったし、脈を打つことも大地を駆けることも無かった。
ーーそして、この種族の最たる特徴が輝かなかった。
体組織を自在に操り、角や鞭のような触手を出し入れできたという。イヌ科の最強種であり、魔獣として誇り高く君臨していた姿。
見てみたかった。触りたかった。体を変形させるメカニズムを知りたかった。
それは恋だった。叶うことなど望むべくもない、焦がれるばかりの恋だった。
真っ白な獣へ馳せていた想いは存外に強く、日に日に形を成していくようだった。頭骨を撫でれば柔らかな毛並みを感じ、枕元では微かな呼吸音が聞こえる。幻覚、幻聴が続いた。
さすがに良くないかと思いハイドさんに相談したら、片眉を上げただけで、大丈夫だ不安がることは無い、と言われた。
ついでに頭を撫でられた。
ある朝目が覚めて、癖になっていた、頭骨を撫でようと伸ばした手が、もふっとしてふわふわで、指通りのいい温もりに触れた。びっくりして手元を見ると、私の顔なんて一飲みできそうなオオカミがいた。
真っ白な被毛に覆われた、精悍な顔立ちのように思う。きらきらとこちらを見つめる黒い瞳。宝石のような輝きは虹彩だろうか。
目を合わせて、理解した。
これは、あの頭骨である。あの美しい頭骨を持つ生き物が、今まさに目の前で、息づいている。
起き上がって、その耳のあたりをぐしぐしと撫でながら疑問が浮かんだ。意味のないことだけれど、つい口に出してオオカミに問いかけてしまう。
「お前、角は?」
問いかけを理解したとでも言うように、撫でていた私の手から離れていく。
ぶるりと体を震わせるような動きをした後、大きく首を振った。たぶんその瞬間だったんだろう。
頭骨だった時よりも更に長く、攻撃性を増したような、真っ白な角が眉間から生えていた。
刀とでも言うべきその角は滑らかな石膏のような輝きを見せる。きっと軽く振るうだけで、私を袈裟斬りにできる。
美しい恐怖だった。
「体組織を操るってやつ?」
「うん」
ーーうん?
「喋った?」
「喋るよ?」
「何で?」
「何でって何で?」
「え?」
「え?」
何やら食い違っている気がする。もしかしたら夢を見ているのかもしれない。
もやもやとした思いを抱え、けれど夢ではないことには気づいている。とりあえずは、ハイドさんに報告せねばならないだろうと思う。
角を納めた真白いオオカミの頭をするりと撫でて立ち上がる。普段着のワンピースに着替えて、リビングへと階段を降りる。
オオカミは尻尾を振りながらついてきた。150cmほどの身長の私の、腰あたりに頭があるオオカミだ。ぶんぶんと振られる尻尾は壁に当たり、軽快な音を立てている。
微笑ましいやら苦笑すべきやら。
「おはよう、リノ」
「おはようございます、ハイドさん」
「後ろのは……ルールークウルフだね?」
「やっぱり、そうですよね? 朝起きたら……」
「混乱しているか。ーーちゃんと説明しよう」
食卓へ促されて、自分の席に座った。オオカミがするりと私の横に腰を降ろした。
胸の高さにある鼻先を撫でてやったら、満足そうな鼻息が私の髪先を揺らす。
「食べながらでいい。聞きなさい」
ほこほことしたベーコンエッグと、蜂蜜のかかったフレンチトースト。そして茹でられたブロッコリーが乗ったお皿が並ぶ。
ハイドさんはコーヒーの入ったマグだけを持ち、私の正面に座った。
とてもリラックスした、いつも通りの朝だった。突然肉体を持った頭骨の存在は、その日常を壊すようなものではなかったのだ。
大丈夫なことなんだと感じた安心が、ふわりと体を温める。緊張していたんだなとそこで気付いた。
「いただきます」
朝食を食べながら聞いた話は、あまりにもファンタジーが過ぎていて、逆にしっくりきてしまった。
念という技術の存在を知り、傍らに座るルールークウルフが私の能力であることを理解した。具現化系と呼ばれる一系統の、天然物と呼ばれる能力者。
念の篭った頭骨を得て、元々素質のあったらしい私の能力が開花したのだそうな。
頭骨が持っていた残留オーラと、私自身のオーラが混ざり合い、ルールークウルフの具現化が成り立っているらしい。
それにより通常では難しい、自立した意識、自我を持つ生物の具現化を成し得ている。僥倖だ。
私のオーラは、頭骨の残留オーラの影響を受けて目覚めたようで、どこか獣じみているとハイドさんは笑った。
私は笑えない。念能力者と出会ったとき、何だこの野生児と思われるなんて悲しいじゃないか。
これを機に念の修行をつけてくれるらしいので、そこで矯正していこうと思う。
「今のお前なら見えるはずだ。指先をよく観察してみなさい」
そう言ってハイドさんは、one for allとでも示すように人差し指を立てる。
よく分からないながらもじっと集中してその指先を見つめると、もやもやとしたものが花丸を描いているのが見えた。
そして、何故今まで見えなかったのか驚くほど、あちこちにその湯気が見える。
ハイドさんの体はもちろん、私自身の体を包み込み、手に持っている銀食器にも、壁にかかった絵のサインにも、店に繋がるドアノブにも、その湯気がくっついていた。
「その湯気のようなものがオーラだ。能力者の体を包み、非能力者は垂れ流している。才能のある者が無意識にオーラを込めている場合もある」
オーラの篭った作品が、逸品の芸術品であることが多いらしい。
部屋に戻ったら自分の作品にオーラが宿ってないか見てみようかな。
「具現化されたルールークウルフはリノの能力だ。名前をつけてやるといい」
「名前、ですか? ペットみたいに?」
「それでもいいが、確固たる存在にするという意思を持って考えなさい。それがそいつの名前になり、能力としての名前になる」
無意識にオオカミと目を合わせていた。
この強くて美しい、気高い獣が私のものなのだという。私が作った生き物。私と一つの命を分け合っている存在。たった一つの命。
オーラの存在を感じ取れる今なら、確かにオオカミと私が繋がっていることが分かる。
この湧き上がる感情は何だろう?
優越感? 独占欲? 充足感?
何にせよ、歓喜だ! 間違うこともないほどの喜び!
畏怖とも思慕ともとれるこの感情が呼び起こした閃きを、私はそのまま口に出した。
「ルク。お前の名前はルクだよ」
「なまえ? ルクのなまえ、ルク?」
「そう、お前の名前」
「わかった、ルクの名前!」
私よりも大きそうな体躯だと言うのに、言動は幼く。ルクは、千切れんばかりに尻尾を振り、ぐりぐりと頭を押し付けてくる。
ふふっと笑い声を上げながらその頭を撫でてやった。
「神話からか?」
「はい。大袈裟でした?」
「いや、よく合っているんじゃないかな」
微笑んでくれたハイドさんに、照れ笑いのままありがとうを告げる。
慈しんでくれるハイドさんがいる。
そして、唯一無二、私が居なければ成り立たない、愛おしい存在のルクがいる。
今、私は幸せだ。
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大神(ルク)
具現化系能力者、リノ・ブルーバックの能力。
絶滅したルールークウルフの頭骨を媒介に具現化する。
頭骨の残留オーラ(死者の念に近い)も取り込んでいるため、確立した自我を持っている。
リノとは深層心理、もしくは第六感に近い部分で意識を共有しており、無意識下での意思疎通が出来ている。
誓約と制約:唯一無二と決めたため、この能力以外の発を持てない。
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hxhが再熱したので、発掘したものに手を加えました。
わんこもふもふと、庇護者に依存気味少女がやりたい。
のんびりいきます。
20111103
誤字修正しました。
ご指摘ありがとうございます^^*
20111104