'11.10.25 (火) 我、斯く司祭に伝えり

Sinister Arts について、Ignis Ardens のメンバーの人達が共感してくれたようだ。参照 ありがとう。

Sinister Arts の内容を、今年の7月、聖座の幾つかの省に通知した。(それに対して典礼秘跡省の神父様から返信を頂いたことは8月の日記で書いた。)

そのせいかどうか分からないが、先日チェックしたところ、「パデルニョーネの『復活のキリスト』教会 (7)」で紹介したテンプル騎士団のサイトから、イーヴォ・パンテギーニ師に関する全てが――写真も、名前も、言及も――きれいに無くなっていることに気づいた。
ページそのものは残っている。それは二つのページである。その両方から、パンテギーニ師に関するものだけが消えたのである。

彼が聖座から目を付けられるようになったのなら、一応、良しとする。

私は中曽氏については書き終わったはずである。しかし、これは中曽氏についてというよりも、神父様についてである。
私は今月上旬、中曽氏についての拙記事「」と「」を、彼女の主任司祭である和田幹男神父様に送った。それらに添えた書簡

和田神父様は、当然、まず真っ先に、「この人は何故、このような形で一個人のアラを衆目にさらすようなことを――しかも虫眼鏡で拡大表示するようなことを――しているのか」と疑念をお持ちになるだろう。
そうお思いになって当然である。

しかし、それで終えられては、やはり残念だ。私の行動の奇矯さに重点を置くことによって中曽氏の問題を回避するような恰好になったら(どうも「良識的」な人の心は常にそんなふうな動き方をするように思えるのだが)、残念だ。

私の行動に問題をお感じになっても構わないから、他方必ず、中曽氏の周囲に見るべき事実、真実、真理の問題にも目を注ぐことを、忘れないで頂きたい。
特に、「彼/彼女はカトリック教徒ではない」という理由の上に育つ悪い木(参照: マリリン・モンロー 1)という言い回しに御共感頂けるなら、司祭という「教職」において、その真理を彼女に教えてあげて頂きたい。

この木はカトリックの庭師に
育てられたわけではないの。
この木が立っているこの場所
も、カトリック教会の敷地内
ではないの。「外」なのよ。
だから、この木をカトリック
的価値観から評価しようとす
ることは無意味だわ。
私たちはすべての木を愛さな
ければならないのだし、
それに、この実は見たところ
とても美味しそうだわ。
ホントですか、そのリクツ

私たちはそれについてあまり抽象的に考えるべきでない。幸いなことに(?)、中曽氏においては、全く具体的な材料が二つもある。一つは、彼女にとっては「政治」であるらしいところのものであり、そして今一つは、マリリン・モンローである。この二つは一見非常に質の違った世界のように思われるけれども、それらが含む善くないものを許容することを彼女に可能ならしめているもの、その基本構造は両者において同じである。それは手に取るように具体的で、それ故観念的な「思索」の対象ではなくむしろ、そこから「彼女の――あるいは同様の他の信者の――心の中でどのようなことが起こっているか」を見て取るべき実際的な「観察」の対象である。(なんと仰々しい書き方。)

彼女が理解していないことは先日紹介した彼女のメールでも確認できる。

「(あなたは彼らについて)いろいろ書いていますが、
    彼らはカトリックでもありませんね。」

(こういう書き方でもう一つ分かるのは、彼女は私の文書をよくは読んでいないということだ――別にいいけれど。おそらく「被害」にばかり気が取られたのだろう。)

以上は、繰り返すけれども、中曽氏についてというよりは神父様についてである。すなわち、私はここにやや大袈裟に宣言しておくが――私は2011年10月、確かに、和田神父様に、中曽氏に関する一定の諸事実をお伝えした

和田神父様は現代の教会に適応しておられるお方、信者の手の上に御聖体を乗せることがお出来になっているお方だけれども(また余計なことを言う...)、しかし、期待させて頂く。

他者に爆弾を投げることばかりしている。
書いている内容に間違いがあるとは思わない。
けれど、行為において、天主様からそれなりの報いを受けるかも知れない。
既に受けているのかも知れない。

しかも、しつこい。否、しつこさは物事の追及においては「必須」というほどのものであって、それを嫌う理由はないけれども(多くの人は重大な疑問/疑惑を感じたはずの数分後には、もういつもの卑近な関心に舞い戻る)、しかし「このしつこさをほかのものに、天主様が完くお喜びになる事のために、向けるべきではないか」と思う。


リビア攻撃は2001年から計画されていた

さてはてメモ帳さんで知ったビデオである。
さてはてさんの表題「シオニストによるカダフィ殺害」は正しいだろう。
「シオニストの血への渇望」という小題も正しいだろう。

ウェイン・マドセンというジャーナリストが書いた「ブッシュの "キリスト教" 殺戮カルト - バチカンは懸念する Bush's "Christian" Blood Cult - Concerns Raised by the Vatican」という記事がある。2003年のものである。原文, 訳文
その中に次のような一節がある。

バチカンに近いジャーナリストによると、教皇とその最も近い側近たちの間に、ブッシュ政権の高官たちはあの究極の邪悪な行為――9月11日の世界貿易センターとペンタゴンへのテロ攻撃――を事前に知っていたのではないか、との懸念があるとのことである。攻撃が起こるのを知りながら許すことによって彼ら〔ブッシュら〕のアジェンダを遂行するために必要な独裁に近い力をブッシュとその政権に付与する一つのクーデターのようなものが実行されたのではないか、との認識が、ローマ・カトリック教会の指導層の中にあるとのことである。

当り前である。

2004年6月の写真。大統領選を数ヶ月後に控えたブッシュはこの時、教皇様に、アメリカにおける保守的価値観を活発に支援/促進してくれるように頼んだという。記事

しかし、保守的価値観? 妊娠中絶反対? 同性婚合法化反対? ブッシュはそれらの価値観を本当に(裏表なく)信奉していたか?――と疑うことが大事である。少々人が悪くなってもいいから「疑う」ことを覚えよ、と私は勧めたい。

私見では――また、この時代、決して少なくない人々が気づいていることだが――彼は人間を思うように動かすために「価値」を“利用”していたに過ぎない。一定の数を持った人々、保守層なら保守層の人々を動かすために、それに合った価値観を「道具」として“使って”いたに過ぎない。

Bush & Kerry: Brothers underneath the skin.
リベラル担当
保守担当

しかし、私がベイサイドのことでたびたびお世話になったサイトTLDM、その管理人である Gary Wohlscheid 氏でさえ、2001年3月のニューズレターの中で書いている――「私たちはブッシュ大統領のためにたくさん祈らなければなりません。彼は既に諸外国の妊娠中絶に対する資金援助をストップしました。彼は神の側の人(Godly man)です。悪の勢力は彼を滅ぼそうとするでしょう」 参照
―― 人間はなんて騙されやすいんだ! と、私は叫ばずにはいられない。

誰かが「妊娠中絶反対!」と叫べば、「ああ、この人は善き人だ」と思う。
誰かが「国を守ろう!」と叫べば、「ああ、この人は愛国者だ」と思う。
誰かが「馬鹿」って言えば「馬鹿」って言う、こだまでしょうか。
いや違った。なぜか連想した。
金子みすゞのその詩は確かに可愛いけれど、しかし上のような単純さは何とかならないか。

「陰謀論全開ですね」だって? おお、カトリック信者よ、あなたは「マムシの末」という言葉をどこに収めているのか。「聖書時代のお話」の中にか。

NHKスペシャル「ローマ教皇、動く 〜イラク戦争とバチカン外交〜

 
写真、頂きました。

私も見た覚えがある。教皇様のあまりにも痛ましいお姿(ご心痛の深さ)が印象的だった。

しかし、もし教皇様が、ブッシュは“マムシの末そのもの”であるとはっきりとお知りになっていたなら、状況はもう少し違っていたのではないか。

教皇様はブッシュとなど、どのような意味でも握手などお出来になってはならなかったのだ。やや失礼で薄情な言い方になるが、握手をなさっている写真から御苦悩される写真までは、かなり必然的な流れであった。

これが聖ピオ十世教皇様だったなら、ブッシュなどという輩からは迷わずパーンと離れておしまいになっただろう。

けれども、前教皇様だって識別力において特に劣っておられたわけではない、と言いたい。「教皇」の霊魂は私たちよりも何百倍も何千倍も襲われるのだから。

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