'11.10.05 (水) カトリック教徒 中曽千鶴子(通称おつる)氏 2

前回、荒巻という男が老婦人に絡んでいるビデオを紹介しました。
ここに貼りましょう。彼が絡み始めるのは 1:30 あたりからです。

http://www.youtube.com/watch?v=YvmqXTd2PWo

普通の人にとっては、このビデオ一つだけで、この男を否定するには十分です。
言い直しましょう、この男の「在り方」を否定するには十分です。
普通の人にとっては、このビデオ一つだけで、この男を評価したり支持したりする可能性は全くゼロになります。
それが「常識人」の反応です。私は必ずしもこの常識というのを好きではないけれど(それにはそれの限界があるからです)、でもこの場合はそれで十分です。

しかし中曽氏は、今も変わらずこの男を「尊敬」しているようです。
西村という男のことも「尊敬」しているでしょう。
このビデオで老婦人に「ババァ!」と言葉を投げつけている男です。
カトリック信者・中曽千鶴子は今も変わらずこの者たちを「尊敬」します。

〈中曽氏のブログから〉

2011年06月24日(金)
チーム関西、西村斉さんが京都の区議会議員になれば京都の闇が浄化されると思う今日この頃。。。。。
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/1869/

まあ、「女のクズがぁ」となじりながら「宝塚の街の美しさ」を守るつもりの中曽氏ですからVIDEO 2、こういう発想になります。

彼らがこのような他者の尊厳を全く踏みにじるような行為を正当化する「理由」をご存知ですか。詰まるところそれは「これぐらいしなければ効果がない」ということなのです。中曽氏は彼らと一緒になって、この理由を支持します。
(補足: 少なくとも彼らが主張する、おもてに見えるところの理由はそんなところである、ということです。私はそれさえ額面通りには受け取りませんが。)

中曽氏に何と言えばいいのか。何と言えば分かるのか。

彼女が真に「カトリック信者」なら、「尊敬」などは全く不可能な筈です。
何故なら、カトリック教は「霊魂の清浄」を目指すものだからです。
天主は罪を忌み嫌われます。霊魂の穢れを忌み嫌われます。
そして「カトリック信者」とは、天主の愛し給うものを自分も愛し、天主の嫌い給うものを自分も嫌う者のことです。少なくともそうなろうと努める者のことです。(実のところ、私だって、自分を意識した時、このような言葉を平気で言えるものではありません。決して平気では言えません。けれど、「本来そうでなければならない」とは知っています。)

天主は、ある者がカトリック信者でなくても、その者の中に罪があれば、それを嫌われます。当り前のことです。
しかし中曽氏は、ある者がカトリック信者でありさえしなければ、その者の中のどんな罪も、穢れも、気にしないようです。マリリン・モンローのことでも。)
小指の先ほどは気にするかもしれません。しかしほとんど気にしません。
彼らと共にいることに苦痛を感じません。
何故なら、自分自身も彼らと似たり寄ったりの言語行動をしているからです。
その客観的事実が、「彼女は彼らの行動に苦痛を感じていないだろう」という私の推測を支持します。

中曽氏。

あなたは自分の中で「カトリック教徒・中曽千鶴子」と「人間・中曽千鶴子」を器用に使い分けることはできない。人はいったん「カトリック教徒」になってしまえば、あとはカトリック教徒であることができるだけである。もちろん「人間」でもあり続けるが、「人間であること」は「カトリック教徒であること」の中に吸収されたのである。洗礼以降は「カトリック教徒であること」が「人間であること」を導かなければならない。当り前ではないか。

天主は私たちに、「カトリック教徒であること」の一つとして「罪を憎むこと」を教えている。「我の罪」と「彼の罪」の別なく「罪」を憎むことをである。
・罪を忌み嫌わなければならない。
・罪人は憐れまねばならない。(そのために祈らなければならない)
そう教えている。

しかるに、今のあなたは罪を憎んでいない。
上の彼らのあれほどの振る舞いを「罪です」と言わない。
それどころか今やあなた自身が「女のクズ」「キチガイ女」など圧倒的に侮蔑的なことを言う始末である。

あなたは初めからそんな女だったのか?
そうではないような気がする。あなたはおそらく、十分にカトリックの精神を学ばぬうちに、彼らの「説明」に乗ってしまったのだろう。「それぐらいの強いやり方をしなければ状況なんて変わらねぇぜ」とかいう彼らの「説明」に、「理由付け」に、「政治手法」についての「判断」に、納得し、乗ったのだろう。あなたは初め「そうかなぁ」と思い、次に「そうだ」と思い、そしてとうとう、あなた自身がそれをやりだしたのだろう。

しかしながら、彼らのあのような振る舞いやあなたのあのような言動は、理由によらず、目的によらず、それ自体で立派な「罪」である。
それが分からないなら、あなたは今や「カトリック教徒」としての道から大きく外れている。再び言うが、平正協のことを非難できる柄ではない。

解決策は、「全てをカトリック的な視点から見る」である。
これしかない。地上的な理屈に席を与えてはならない。

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