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子亡くした痛み共有/「つむぎの会」主宰・田中幸子さん=仙台市
 | つむぎの会の集いを終えて、参加者らと語り合う田中さん(左から3人目)=10月27日、仙台市宮城野区榴岡の慈恩寺 |
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◎親同士語り合う場提供
「最初は言葉が出なかった。娘たちを思うと涙があふれて」。3月11日の津波で40歳と38歳の娘を亡くした名取市閖上の橋浦好美さん(66)は、「アパートにこもりきりだった毎日から、やっと一歩を踏み出せた」という。 同じく家を流された近所の友人に誘われ、10月27日に訪ねた「つむぎの会」。会場となった仙台市宮城野区の慈恩寺で樋口法生住職(41)の講話の後、参加者同士で語り合った。 集ったのは20人。津波でわが子を亡くした親たちが月に1度語らう場として6月末に仙台で始まって以来、一番多い参加者となった。会は7月から石巻市、8月から気仙沼市でも開かれている。 大半は母親たち。「幼い子どもが行方不明のままの人も多い。つらい思いを訴え、泣ける場所が日常になかったのです」 主宰する田中幸子さん(62)=仙台市青葉区=は話す。宮城県内の自死遺族が集う「藍(あい)の会」代表でもある。
5月初め、相談電話に入った一本の留守電が活動のきっかけになった。 津波で殉職した石巻市内の警察官の母親だった。「周りからは立派な息子とほめられて。それよりも生きてほしかった。泣きたいのに泣けない」 途切れ途切れの声に田中さんは衝撃を受けた。自身も6年前に警察官の長男を自死で亡くし、思いは伝わった。「避難所で暮らす方でした。自死の問題を抱えているけれど、その人のためにも、新しい場づくりを始めよう、と決心しました」 つむぎの会は本来、田中さんが藍の会と並行し5年前から続ける、病気や事故で子どもを失った親の集い。一緒に運営してきた仲間も電話の話を聞いて賛成してくれ、新しい活動へと広がった。
石巻市三ツ股の家を流され、仮設住宅に住む鈴木由美子さん(42)は、地元での会に1回目から通う。10月27日も遠路参加した。「会で出会い、語り合う人はみんな、一緒に頑張れる戦友ですから」 3月11日、家族と別々の車で自宅から避難する途中、小学6年になる三男秀和さん(12)が乗った車が津波にのまれた。 「それからの私は、生きていいのか、死んでしまったらいいのか、分からなくなった」と言う。 そんな時、石巻でのつむぎの会開催を新聞で知り、会場だった市役所の会議室(現在の会場は市医師会館)を訪ねた。同じ痛みを抱える母親たちと「自然に話ができ、受け入れられた。秀和の母でいられる場所になった」。 どの会場でも「回を重ねた人が、新しい参加者の話を聴いたり、スタッフ役を引き受けたりしてくれる」と田中さん。 藍の会の自死遺族の母親たちも「自分の子を救えなかった思いは同じ。その分、誰かを手助けできたら」=笠松久美子さん(53)・仙台市宮城野区=と参加している。 田中さんは「同じ街で同じ津波を体験した親の出会いが、互いを支えるつながりの会、心の復興を助け合う場に育ってほしい」と話す。 つむぎの会は、仙台が毎月最終木曜、石巻が最終日曜、気仙沼が第1日曜で、午後1〜4時。連絡先は田中さん090(5835)0017。 (寺島英弥)
2011年11月07日月曜日
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