桜井淳による一流クライマーの条件
テーマ:ブログ日本ではプロのクライマー(急傾斜壁・垂直壁登攀者)やガイドは経済的に成立しません。一握りの人たちがプロとして生きていますが、経済的には、成立しません。
趣味や娯楽で山に入る人の大部分は人工的によく整備されたコースを歩むハイキングやトレッキングの客です。残りのわずかな人たちは谷川岳・剣岳、穂高岳・北岳の急傾斜壁・垂直壁の登攀を目的とするクライマーです。
日本でのハイキングやトレッキングならば、日帰りができ、たとえ、いくつかの山を縦走したとしても、単独行は、可能です。しかし、急傾斜壁・垂直壁の登攀となると、技術的に、さらに、安全に配慮して、単独行は、避けた方がよいでしょう。
ヒマラヤの氷河の奥深い登攀の場合には、厳密な意味での単独行は、不可能です。1ヵ月間の登攀に要する登山用具や生活物資の運搬は、ひとりではできないため、第三者に依頼せざるをえません。天気・天候・気象の最新情報を入手するため、常に、ベースキャンプとの交信も欠かせません。
単独行の定義はありません。ベースキャンプ出発後、単独登攀ならば、たとえ交信を継続しても、単独行と位置づけられることもあります。ベースキャンプから最終キャンプまで複数登攀であっても、最終キャンプ出発後、単独登攀ならば、単独行と位置づけられることもあります。
ヒマラヤの山々の登攀の場合、人工登攀器(氷壁越え固定金属梯子、クレバス越え固定金属梯子、固定ロープ、固定くさり、さらに各自持参のユマール)の利用を禁止したら、登攀は、不可能です。それらの利用と単独登攀は別問題です。
登攀は自己責任の世界です。各国とも、ガイドをつけることを義務づけていませんが、安全に配慮し、強く奨励しています。スイスの山小屋のでは、ガイド付でなければ、宿泊予約がとれないところもありました。
スイスでは、アイガー、マッターホルン、グランドジョラスの北壁登攀を除外すれば、たとえ、複数の山を登攀しても、かかる費用は、数十万円です。ヒマラヤでは、氷河の奥深くでなく、1週間のキャラバンで到着できる距離であれば、100-150万円、氷河の奥深くの中国との国境に近い山々であれば、150-300万円くらいかかります。
旅行会社が主催する各大陸最高峰の登頂は、エベレストを除き、ガイド付・諸費用込みで、100万円で実現できます。エベレストの場合、登山ガイド角谷道弘さんのHP記載内容によれば、エベレスト登頂経験を有するガイド付・諸費用込みで、680万円です。各大陸最高峰への登頂は、おカネがあれば、誰でも実現できます。ですから、特別なことではありません。価値を見出せばやり、そうでなければやらないだけです。
一流クライマーの条件は考え方により人さまざまです。私は、たったひとつの条件を挙げておきます。それは、自身で稼いだカネで実施し、自身も同行者も、無傷で帰ってくることです。私の定義からすれば、山野井泰史・妙子さん(「垂直の記憶」、山と渓谷社)は一流ではありません。植村直己さん(「青春を山に賭けて」、文春文庫)も、エベレスト登頂やグランドジョラス北壁登攀に成功しましたが、冬季マッキンリー登頂後、クレバス落下・遭難死したため、一流クライマーではありませんでした。植村さんは、常に、大きな成果を期待するマスコミからの重圧の中で、無理に無理を重ね、遭難しました。マスコミに殺されました。スポンサーとマスコミに弱い冒険家の弱さをさらした出来事でした。
エベレスト南東稜コースは、人工登攀器を設置した、よく整備された観光目的の一般コースです。
三浦雄一郎さんは、垂直壁のロッククライミングができないため、クライマーではなく、なおかつ、昔、エベレストのベースキャンプから第一キャンプへの移動途中のアイスフォールで同行者6名のシェルパーの死亡事故に遭っていますから(「冒険者」、実業之日本社)、一流クライマーではありません。それにもかかわらず、計画どおり、標高8000mから、スキーで滑走しました(同上)。それは人間としての倫理違反です。75歳でのエベレスト登頂は、表面的には、大変立派な業績だとは思いますが、かかった総額、カネの出所、かかわった人数33名、特に、ベースキャンプ人数と同行者数18名を考慮すると(同上)、大名行列のようであり(医師・健康管理人・料理人)、その条件ならば、誰でも登頂できます。私にはシェルパ10名と一緒に登頂する冒険家の精神構造が理解できません。そのくらいカネをかければ誰でも実現できます。
世の中では、一流クライマーが、遭難死、ないし、凍傷で手足の指を切断すると錯覚していますが、それは、彼らが、どこかでミスをした結果であり、一流クライマーの称号は、自身と同行者とも、無傷で生還できた人たちにしか与えられません。ミスした人たちを美化するのは間違いです。一流クライマーとは、いつでも、「危険」を直感でき、いち早く「撤退する勇気と決断力」を有する人たちのことです。
1960年代と70年代は、「より速く、より強く、より高く」の競争と対立の時代で、より高い山への登攀競争の時代でしたが、そのような狂気と無価値なことはすでに見捨てられ、いまは単独で趣味として、いかに楽しむかという時代になりました。登山は、その成果を世の中に吹聴することではなく、謙虚な心の世界の出来事です。
登山の残された唯一の課題は、過去半世紀、一部の無責任な登山家によって汚し放題のエベレストをきれいにする野口健さん(「落ちこぼれてエベレスト」、集英社文庫)のような清掃活動です。本来ならば、そのようなことは、入山料を取っているネパール政府の観光部門が実施すべきことですが、環境政策が先進国並みレベルに達していないため、放置され続けてきました。問題は、エベレストだけではなく、国内外、すべての山が対象です。人間は謙虚でなければなりません。
人間として評価できるのは山野井夫妻です。ふたりが、意識しているか否かにかかわりなく、私の見方からすれば、「限りなく禅思想に近い世界」に生きているように思えます。泰史さんの思考法と論理的な表現にはすばらしいものがあります。
補足
モンブラン登頂一般コースの真実
(1)Wikipedia「モンブラン」の項目「登山」の記載内容(2011.8.22現在)への疑問
一般論として言えることは、Wikipediaの記載内容は、素人が書き込んでいるため、信頼性が低く、学術論文には引用できません。
たとえば、「モンブラン」の項目「登山」には、「現在、モンブランは年平均2万人の登山者によって登頂されている。熟練した登山者にとっては難易度はそれほど高くない。モンブラン近くのエギーユ・デュ・ミディの、標高3842m地点までケーブルカーで登ることができ、そこからモンブラン山頂までの標高差は1000m程に過ぎない」と記されています。
この記載内容からすると、一般コースとして、エギーユ・デュ・ミディからモンブランへ登頂可能と読めます。新田次郎さんの小説にもそのような記載があります。しかし、素人がよく陥ることですが、小説と現実を混同してはなりません。モンブラン登頂への一般コースは、下記(2)のとおりです(植村直己さんや野口健さんなどが登ったコースです。植村さんは、最初、別コースの氷河から登り、クレバスに落ちて危うく命を落とすところでしたが、翌年、やり直し、ク゜ーテ小屋コースを日帰りで登頂しました。日帰りは不可能なのですが、それを実行したことに植村さんのすごさがあります。野口さんは、グーテ小屋コースの登山のところで、植村さんのクレバス落下について解説していますが、それは、木に竹を接ぐような不合理な論理展開です。野口さんは事実関係をよく確認した方がよいでしょう)。
エギーユ・デュ・ミディ展望台からモンブランを見ると、非常に近くに見え、最短・最適な登山道と錯覚しがちですが、プロでなければ通過できない危険なコースです。エギーユ・デュ・ミディ展望台へは、厳密な表現をすると、ロープウエイ(空中に吊るす)であって、ケーブルカー(地上の電車をケーブルで引き上げる)ではありません。しかし、英語では、いまでも、ロープウエイのことをケーブルカーと記している資料もあります。(今井道子さんの著書や新田次郎さんの小説には、ロープウエイのことをケーブルカーと記してあります。)外国ではともかく、いま、日本では、両者を区別しています。ロープウエイ、ゴンドラ、ケーブルカー、登山鉄道の区別は、明確にした方がよいでしょう。
(2)モンブラン登頂一般コース(ク゜ーテ小屋コース)
(a)シャモニ・モンブラン郊外のロープウエイ乗り場(エギーユ・デュ・ミディ展望台行きロープウエイ乗り場ではないことに注意、早朝7時頃にホテルを出発)のレズーシュ駅からTMB登山鉄道のベルヴュー駅にアクセスできる終点駅まで、
(b)TMB登山鉄道のベルヴュー駅(標高600m、必ず往復の切符を購入すること)へ、
(c)TMB登山鉄道終点のニ・デーグル駅(標高2386m、モンブランの標準的な登山口、朝8時)へ、
(d)登山(岩がゴロゴロ)、
(e)テートルース氷河の手前まではトレッキングコース(テートルース小屋で食事ができます)、
(f)落石の多い最初の難所のクーロワール(これは仏語で、独語ならルンゼで、意味は急な岩溝、標高3100m、昼12時着、岩がゴロゴロ)、
(g)グーテ小屋宿泊(標高3817m、要予約、登山口からここまで数時間かかります、夕刻4時着、翌朝3時にアイゼン装着し、アンザイレンして出発)、
(h)ドム・ド・グーテ(4304m、このピークのすぐ先にヴァロ小屋4362m、ここから風が強く狭い稜線となります)、
(i)クレバス(このクレバスは、常にあるわけではなく、猛暑の影響であちこちに生じることもあり、幅1m段差2mですが、一箇所だけ飛び移れるくらいのステップが設けられています)、
(j)登頂(標高4300mから、グーテ小屋を3時に出発して8時に登頂、グーテ小屋から登頂まで5時間)、
(k)頂上から下山してTMB登山鉄道終点の二・デーグル駅(下山にすくなくとも7時間かかり、夕刻4時頃になります)、
(l)ロープウエイでシャモニ・モンブランのホテルへ(夜6時頃)。