チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[16649] 腐り鬼【地味現代伝奇】(旧題:オレとアイツの悲喜交々)
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/11/07 07:05
 放課後、俺は一人帰宅部の理念に反し、家には直帰せず百均に向かった。
 まあ、週に四回はそうしているが。高校へ入学してそろそろ一月経ち、ボッチポジションに固まった俺にはそうするより他無いと言うだけだが。
 百均は素晴らしい。常々そう思う。
 鼻歌を交えながら百均の店内を見回せば、コンビニ程度だろう広さの店内に所狭しと棚が並ぶ。
 そこを埋め尽くす数々の日用雑貨、食品達。
 そして、その殆どが税込で一つ百五円ときたもんだ。
 百均を作ったのは神だ、神に違いない。
 例え違っても俺が百均教団を結成し、百均を神の居ます場として後の世に語り継いでみせよう。
 奇跡の伝道師、その名は大山信治。うん、ださいな俺。
 現実に向き直りつつ、賞味期限が近づいて五十円引きシールの貼られたスナック菓子を籠に二つ放り込む。合計百十円、ブラボー。
 消費税を割引いてくれないのは玉に瑕だが、それでも割引万歳。
 そして店先に停めていた自転車を駆り、普段通りで次に目指すは町外れの友人宅。
 自転車を愛用した結果太くなった大腿部が唸りを上げる!
 ……まあ、悪い筋肉の付き方らしいが。
 空を仰げば、どんよりと分厚い雲。
 今日は早めに家へ帰った方が良いやもしれん。
 周囲に人気と建物が少なくなってきた。畑やら古めかしい家が点在する眺め。
 そろそろだ。
 緩やかな傾斜を登り、半ばで舗装が途切れた。徒歩に切り替え、軟らかい土を踏みしめて自転車は押して進む。
 道は車一台やっと通れる程度の広さで、左右には春過ぎた新緑の木々が生い茂る。登り終えた先、目的地の民家を認めた。
 ぽっかり空いた砂利の敷かれた土地の中、十年ほど前にリフォームしたらしい、周囲にそぐわぬ小綺麗な二階建ての白い家。
 自転車は家の横にある、がら空きの車庫に停める。
 バリアフリーに均された玄関前の微かなコンクリの斜面、大股一歩でガラス張りな引き戸の前へ。
 俺は普段通り、鍵もかかっていない不用心な戸を開けて中へ入った。
 そのまま居間を通り過ぎ、一階の奥まった部屋へ。ドアを開ける。
 ベージュの絨毯が敷かれた白い壁の十畳間。
 中央で複数並べた座布団に俯せで寝そべり、長い足を曲げ延ばしして本を読んでいる少女。
 床に広がっている腰に遠くだろう長髪は、烏の濡れ羽色と形容するにふさわしい漆黒。
 白地に青い花柄の着物が若干着崩れて色っぽい。
 その切れ長の視線の先は、挿絵のツンデレがヒロインのライトノベルだが。
 俺の視線に気付き、服の乱れを直しながらゆっくりと起き上がった。

「うぃーす」

 ぴしっとした正座で気だるそうに言われると、違和感がある。

「おう、うぃっす司」

 そう、コイツこそ我が友人、要司である。

「今日も元気にニートってるかー」

「僕はニートじゃない」

 ほう。常識的に考えれば高校に通っている、または労働に精を出すべき年頃であるというのに、心に傷を抱えているようでもなく部屋に引きこもっているお前を何と呼称すればいいのか、ご教授願えないか。
 そう問えば、司は何処か誇らしげなため息と共に額へ手をやる。
 まあ、カッコ良いポーズのつもりなのだろう。

「――そう、ガーディアンと呼んでくれ」

 格好良く言い替えても、結局は自宅警備員と言う名の無職である。
 しかも中卒。

「さあ、日夜自宅を守っている僕をねぎらってくれ。そう、愛を込めて」

「何から守ってるっつうんだよ」

「……それは、ええと、新聞の勧誘とか?」

「お前が奴らに対抗出来るとは微塵も思えん」

 俺と同様に人見知りだろお前。押し切られるのが目に見えてるんだけど。

「その通りだ。セールスの類は私が追い払っている」

 背後から凛々しい声。よく知る年齢不詳な自称お手伝いさんの声だ。

「お邪魔してます神崎さ……ん?」

 振り向くと、そこには見事なメイドさん。
 いつもと違う服にドッキリ。これは予想外。
 どう見ても身長百六十センチ未満の小柄、奥にくりくりした瞳を覗かせる黒縁メガネに若干色素の薄い三つ編みで十代の文学少女的な清楚さを振りまき、濃紺のロングドレスに白いエプロンが目映い。
 うんうん、昨今のミニスカメイドには俺ちょっと辟易してるんだよね。

「でもちょっとまて」

「なんだ?」

 お手伝いのくせに、どこか尊大な口調。
 しかし嫌みには感じない。

「男がメイド服着るなよ」

 似合っているけど。
 似合っているけどさ。
 大事な事だから二回言う。

「そんな、似合っているだなんて……」

 ほのかに色づいた両の頬に手を当てて、メイドこと神崎勉は身体をくねらせた。
 そこだけ拾うなよ。

「都合の良い耳だろう?」

「確信犯だよこの人」

「それは誤用だ」

 はいはい、自分がやっていることを正しいと確信している犯罪者に使う言葉だっけ?
 細かいこと気にするなよ。言葉の意味が変わっていくのは仕方ないことなんだから。

「御用だ御用だー!」

 立ち上がり、どこから取り出したのか十手を振り回す司だった。

「……何の御用ですか?」

 冷ややかな眼差しをくれてやった。

「いじめですかー!?」

「私の持ってたヤツだろそれ」

 神崎さんが十手をひったくった。
 そして嘆息。まったく、いつの間に――と。

「めんごめんごー」

 悪びれない笑みの司。

「でも遊び心くすぐるよね、そういうグッズ」

「そこには俺も賛同する。神崎さんも好き者だよな」

「ロマンを理解していただいたようでなにより。……麦茶を持ってきた」

 神崎さんは足下に置いていたお盆を拾い、俺に差し出す。横から割って入った司が受け取った。

「ありがと勉さん。じゃ信治、その袋のお菓子、開けて」

 立ち去る神崎さんを尻目に、部屋の床へ置かれた座布団の一枚に座り込む。
 買ってきたスナック菓子の袋はパーティ的に開放。
 麦茶を含みつつ、マイナーな堅焼きの微妙な味に二人揃って首を捻る。
 正直、揚げパン味の再現率は褒められた物ではない。
 半分ほど減らし、ウェットティッシュで手を拭ってからテレビゲーム開始。

「しっかしお前、いい加減外に出ろよ」

 そう言いつつ、レースゲームで身体が傾く癖は直らない。
 神崎さん曰く、傍から見ると二人が良い具合で平行に揃って面白いとのこと。

「野外プレイを強要されてる!」

「……携帯ゲーム対戦だったら、野外もオッケーだぞゴラァ」

 たまにはすれ違い通信の一つもしてみせろ。

「常時戦場の心構えで自宅を守り抜く。だから家からは一歩も出ない」

「だったらゲームに興じるなよ」

「それは……」

 そこで壁のない断崖絶壁の連続カーブにさしかかる。
 落ちればタイムロス。お互い何かを言う余裕も無くなった。
 ……カーブを過ぎた。
 俺から口火を切る。

「自宅警備するなら真面目にやれー。鍵掛けないとか有り得ん」

「しかし有り得るジェルウォッシュ」

「上手くない。座布団一枚もってけ」

「手厳しい」

「はい、座布団を回収しに参りましたー」

「神崎さん!?」「勉さん!?」

 音もなく登場。
 たまにあるが、いつ見ても驚くよこれ。
 が、司は自身が乗った二枚重ねの座布団を死守することに成功。
 いやまあ、神崎さんが本気じゃなかったというのもあるだろうが。
 そして程なくして、窓から見える空がより雲を厚くしたので、雨が降る前に帰宅することに。
 その時には神崎さんも、普段通りシャツにスラックスを履くスタイルだ。髪型も長髪を後ろで軽く纏めている程度。メガネはレンズの小さな縁なしだ。
 そして、司に肉じゃがを用意してあるから温めて食べろと告げて、俺と玄関へ。

「じゃーね、お二人さーん」

 司の見送りを背に、神崎さんと一緒に家を出る。お手伝いさんとはいえ、同居しているわけではない。

「――というわけで、お風呂でバッタリは無い。安心したか?」

「誰も聞いてませんて」

 俺は地べたがアスファルトに変わった直後、徒歩の神崎さんと別れて自転車を飛ばした。
 雨が降り出したのは、家へ着く直前。さほど濡れずに済んだ。
 雨が降っている時、家に居ると妙に安心出来る。家はガランとし、誰もいない。
 親は共働き。妹は名門中学の寮生。慣れっこなので、開放によるテンション上昇は起こらない。
 夕飯は昨日のカレーが冷蔵庫に残っているから問題無い。神崎さんに司の分と一緒に用意して貰う時もあるが。
 ――あいつも今頃、家で一人か。
 ボンヤリと思いながら、カレーを鍋に移してコンロに載せる。静かな家の中、コンロに火の点る音がやけに響いた。


 司は点けたばかりだったコンロの火を落とした。目を離した隙に何かあったら大変だ。
 土地を覆う結界との干渉を知覚した。魂にちらつく不快感。司の勘は今日も冴え渡っているようだ。
 今朝方『調律』を終えたばかりで、封印は万全。優に一時間は外で活動可能だ。体調も万全で、迎撃に支障無し。まあ、時間一杯使うようでは話にならないが。
 ――光の国からやって来た宇宙人にだって負けないよ。
 調律とて楽ではない。それくらいの意気込みでなくば、家を守り抜くことは出来ないだろう。
 自室に駆け込み、押し入れを開ける。中に置かれた台座、杖から刀剣類、複数の武器が収まっている。
 どれも、『呪い』の但し書きが着く逸品だ。
 必要な物を過不足無く選択せねば。続けて使用すれば消耗度も激しく、長持ちさせなければ勿体ない。とはいえ、やはり使いやすい武器に偏ってしまうのだが。
 家へ近づく気配の大きさから適当な物を手に取る。この程度ならばさして消耗もすまい。司はゲーム終盤でもレアアイテムを使用しないタイプだが、自身もまた労らなくてはならない対象だと理解している。
 ――家には誰も入れない。ここは自分の領地だ。
 決意の確認。強く握られるのは、鞘が薄く角張った小太刀。銘は『水面月』。役目を引き継ぐ際に供与されたそれは、湿気にも強い。消耗を考えなくてはならないが、多用しがちな一品だ。
 専用の帯と一緒に、服の上から腰へ帯びるその不格好さに苦笑しつつ、雨よけの外套を肩に掛ける。そして要司は、頑強なブーツで玄関先のコンクリートを蹴って、しとしと濡れる夜の帳へ躍り出た。

 続く、やもしれん


 これは引きこもりとダメ人間が繰り広げる『悲喜こもごも』の物語です。




[16649] 二話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/09/20 00:18


 さて放課後だ。
 一日を終えた開放感が教室に満ちて、皆が騒ぎ出す。
 やれ部活だ、やれバイトだ、やれ寄り道だ、やれ暇だ――。
 教室を出る者は弾んだ足取り。残っている者は人数の多寡あれど、二人以上集まって思い思いに駄弁っている。
 俺は一人だ。
 最前列、真ん中の席で一人。
 最初の一週間で特定の友人を作れなかった俺は、この通り気軽に語らう友人もいない。バイトする気力もない。
 ちなみに、先日の席替えで好きな席を相談して決めろとか教師に言われ、余ったのがここだ。意外と注目されないという説もあるが、居心地が良いとは言いにくい。
 学校に残しても問題ない教材を選別し、課題のある教科のみ選んで鞄へ残す。後方のロッカーへ教材をしまい込み、下校モード。
 喧噪の空気が俺にはちょいとうざい。ホームルームの途中でも構わず、他の連中みたいに下校の準備済ませりゃよかった。でも、タイミングを逃すと注目を浴びるようでやりにくいんだよな。
 いっそのこと、アウトローを気取ってイビルアイを持たぬ者にはわかるまい……とかシニカルぶったりできりゃ楽なんだが、常識を捨て去る勇気と言う名の思考放棄パワーは無い。
 けったいな言動で孤立するアニメや漫画のキャラクターは度胸あるよ。こんな時だけ尊敬する。
 同じようなボッチ組の女子が一人いるが、そいつは教材全部置きっぱで鞄を薄くしてさっさと帰っている。
 今度話しかけてみようかねぇ。まあ、多分出来ずに終わるが。
 うわ! 皆が同調したかのように、三日後からのゴールデンウィークの予定とか語らってやがる。
 ……いいさいいさ。高校は違えど、中学時代の友人だっている。
 それに――。

「うん、百均行こう」

 呟いて、早足で駐輪場へ向かう。
 百均行って、それからあいつの家へ。
 陽気の中自転車を飛ばし、百均の店内を一回り。レジで払った金額は合計百六十円。
 半額のおかきを一袋と、他にもちょいと余計な出費が発生したけど、まあいいだろう。
 そう、男心をくすぐるお宝に罪は無いさ。

「――というわけで、見ろよこれ」

 司の家、居間で神崎さんと司に、ブリスターパックのそれを取り出し掲げた。

「……ナイフ?」

「単なるナイフじゃない。七徳ナイフだ!」

 単なるステンレスのナイフではなく、その他に缶切りやらニッパーやらの多機能。
 ああ百均マジパねぇ!

「……正直ナイフとか引くわ」

 一拍置いてから口を開いたのは司だった。 

「え?」

「ああ、ナイフは無いな」

 そして二人揃って、俺から間合いを取る振りをする。
 え、ちょっと待って!

「……警察のお世話になりたくなければ、それをパッケージから開放してはならない」

 封印するんだ――。上目遣いに言いながら、神崎さんは俺の両肩に手を置いた。
 ……そして、そこでフッと先ほどまでの昂揚が消え失せた。
 そうだね。ナイフなんて持ってたら、危険人物扱いされるご時世だったね。

「……俺、何やってたんだろ」

「正義の心を取り戻したね」

「テンションが下がっただけだろう。冷静になって考えれば、日常生活でナイフを使う機会など滅多にない」

 神崎さんの仰る通りで。
 でも、多機能とかナイフとか、俺のツボを突きまくりだったんだよ。

「こないだも、使いもしないLEDライト片手に目を輝かせてたよね」

 懲りないねぇ――。肩を揺らす司。

「悪いかコラ」

 掌に収まる大きさであんなに明るいんだ。食指が動くのは仕方ない。

「その理屈はおかしい」

 第一、LEDライトなら君の携帯にもあるはずだよ――。司はツッコミにそう付け加えた。

「携帯……だと……?」

 盲点だった。
 そういや、カメラのフラッシュをライトとして使用できる機種だった。

「気付けよ」

 こちらを指差し、司は吹き出した。

「……なら、携帯の充電機能付きLEDライトに意味はあるのでしょうか!?」

 手回し充電のヤツとか、めっちゃ心惹かれるのに!

「まあ、緊急事態用とかは……意味、あるんじゃない?」

 どれだけの人が緊急時、手元に置いておけるか知らないけど――。

「……なんか、冷めたわ。色々と」

「悟りを開いたか」

「遊び人がいよいよ賢者だね」

 元が遊び人じゃ、碌でもない知識しかなさそうだな。悪どい方向に悟りを開いてそうだ。
 司の言葉に、俺は借金してまでパチンコする類の人種を連想していた。

「それは依存症……! ギャンブル依存症……! 酔って……溺れているんだ……! 勝利に……! 積み重ねていても……目を向けない……! 見ちゃいないんだ……敗北をっ……!」

 神崎さん、溜めを作れば似ると思うなよ?
 後、心読まないで。


「――お前が言うなって感じだね、ホント」

 夜半、家を出ながら司は自嘲に口元を歪めた。刃物を携えた今の自分は、思いっきり危険人物だ。信治を笑えない。
 手を切らぬよう、ゆっくりと鞘から抜いた『水面月』。刃渡りは五十四センチ、顕わになる。刃物には苦手意識があり、抜刀の瞬間に未だ緊張を伴う司だ。どこぞの漫画のように居合いを必殺技にするには、数年はかるく要するだろう。
 つまり鞘は不要なのではないか。天啓のような閃きに従い、黒く塗られた鞘を放り投げる。セルフ小次郎破れたり。
 刀身が月光にも酷似した淡い輝きを放っている、ような錯覚がフラッシュバックする。虚構の輝きは、頼もしさと温かみを湛えている。それすらも本来は人類の五感に基づく認識ではないが。柄を右手に緩く握り、切っ先は眼前へ、迸る敵意で射貫くような思惟を掲げる。その敵意に何かが響くような、手応え――あるいは不思議な確信を覚える。

「よしっ」

 今日も好調、迎撃に支障なし。そして魂の感覚――即ち霊視に基づく認識への集中を高める。そうすると、五感にちらつく違和が増大していく。
 感じる、生者とは噛み合わない、不快な存在がやって来る。霊脈に流される霊魂達、封印から数百年を経てなお妖気を吐き出す鬼に惹かれ、流れに淀みを生み出そうとする。つまり、終着点は司の家。
 この土地のような規模の大きい流れであれば、その中で亡者達は引き合って群をなすことがままある。司の視界、遠くにちらつく幻影。それは濁った靄のようで、そしてどこか軟体じみた印象が付随した。奇怪さを一言で表すならば、さながら百鬼夜行とでもいおうか。いや、群れなす霊に無意識か認識した末かの怯えを抱いた誰かが、そういった物を創り出したのだろう。
 そして封印が、その奥の鬼がかすかに揺らめくのを感じる。よくあることだ。純粋な魂の存在は、大概が欲望やらの負の念で引き合う。けれど完全には重ならず弾き合い、摩耗した果てに合一する。

「人の魂もそうやって一つになれば、今頃は世界平和だね」

 生者の魂は引き合う事はあれど、そう簡単に重ならない。死者の魂よりも複雑で、変化に富んでいるからだ。
 仮にそうなっても、どっちかと言えばディストピア系の平和だけど――。司は嘆息混じりに呟き、ゆっくりと進む。霊達の魂が響き合うのを感じる。司の敵意に、負の念が揺れている。
 霊を家に入れてはいけないし、留まらせるのは論外。鬼と霊の妖気が霊脈に満ちれば流れは乱れ、果てに数百年単位の汚染を引き起こす。結果、伝承の如く土地に死が溢れかえるだろう。
 水面月は無機物なれども、そこには精錬された強い魂を宿す。その魂と司は、不思議なまでに引き合った。他の呪具とは薄皮一枚隔てた違和感が付きまとうというのに。
 そして右手で横に薙ぐ一閃。自らの魂を以て霊を切り裂く意志を、刃に重ねて――。

「いいね」

 稀にある、司の中で何かが噛み合ったかのような手応え。思わずにやついた笑みを浮かべてしまう。司の頭を過ぎる結果、それは刃の間合いを超越した広範囲の斬撃。周囲の気が共鳴し、発生する流れに霊達は存在を掻き乱され、いとも容易く霧散する。水面月、虚空を隔てた水面に月の像が映るように――。
 今切り裂いたのは、司の二、三メートル先か。修練を積めば、更に遠くを侵す思惟を放てるだろう。しかしそれも、司の魂が霊を容易に蹴散らす程強いという前提があってこそだが。
 一歩踏み込み、更に攻撃的に研ぎ澄ませた念を以てもう一振り。亡者の群れは為す術無く瓦解していく。群れの共鳴が弱まることによる結果だ。
 今日も問題なく自宅を守り抜けそうだ――。と、そう思った矢先の事だ。
 群れを離れ、迂回するように家の裏手に移動する何かを感知した。地の流れに、魂に引き寄せられるままの亡霊にしては不自然な動き。
 イメージは、誰かが暗幕を被って幽霊の真似でもしているかのような、縦に長い不格好で黒一色の何か。そのような違和感、暗い森の開けた空間に満ちる月明かりで、真っ暗が微かに映えるその幻覚。だが、どこかぼやけて曖昧だ。
 自分より少し大きいくらいか。ゆっくりと近づいてくる。先までに切り捨てた霊達よりも、強い存在だという確信。それほどに妖気が高まっていながら、魂の揺らめきを小さい。もしかすれば素通ししてしまったかも知れない。自然発生か人為的な、どちらにせよ形成における方向性が定まっているように見えなかった。
 しかしどうあれ、この存在にさほど脅威は感じない。早い内に始末するのが吉だろう。それでも、念を入れることにする。
 腰から紐で吊していた栄養ドリンクの瓶。ちぎり取り開封し、投擲。地に落ちる瓶は割れることもなく、しかし軌跡に内容物を散らした。
 瓶の中身は通販でケース買いした、霊験あらたかと評判の霊水。単なる山の湧き水だが、ボトリングされたそれは山の気を多く残している。呪言と共に自分の血を一滴混ぜたそれは、即席のお清めだ。
 血の素養頼みで形式を無視しているため、効果は薄い。それでも、浴びせた水は妖気と強く反応、伴う蒸発のイメージ。そして、影の表面が波打った確信。
 これ、被せ物か――。そう、水の気による影響が浸透していない。

「鬼は隠ぬとも言うし……。恥ずかしがりか、大穴で闇属性を強調したいだけのお年頃なのか」

 呟いてから気付く。ある意味鬼だ。内に隠している、何らかの意図。儚く、しかしどこかおぞましい。
 その不吉を感じるとほぼ同時、反射的な跳躍。小刻みに数歩で間合いを詰め、両手に握り直した小太刀を袈裟に振り下ろす。
 斬撃に伴う司の攻撃的な意志に、容易く影は切り裂かれ、しかし中心の核とも言える何かは既に無い。逃げた、いや違う。司を通り抜けた。その先には鬼の封印を支える我が家、近づいて――。
 土地に刻まれた封印との過剰反応。反発による消滅。おぞましさを覚えたのは、自分が封印と繋がっているからか。封印から、微かに漏れ出る妖気。大丈夫、許容範囲内だ。蟻の穴から堤が崩れるような事はない。
 しかし酷く呆気ない。覆う影も気がつけば夜に溶けるかのように消えている。それが、不自然に感じられた。そう、呆気ない。

「ちょっと待て」

 これはあれか。陰謀の予兆とでも言うのか。あれは人為的な、俗に式神というヤツか。
 自分でも突飛と思える閃き。しかし不安は消えない。あふれ出た妖気のせいで心がかき乱されているのか。
 けれど実際、後にあのような事態をとなるとは夢にも思わなかった、などとなっては洒落にならん。
 見回りだ、ついでに結界の強化も――。司は道具を取りに、家へ駆けだした。
 家へ向き直る際に視界の端で不吉そうな黒猫を捕らえ、司の心にはより不安感が募っていた。
 黒は夜の色。人は夜を恐れ、夜色の黒へ畏敬の念を抱く。だから、黒には人に影響を与えうる力を持つ。
 所詮は連想ゲーム――。そんな理屈で言い知れぬ不安を理解の範疇へと取り込もうとしても、胸の内で広がる焦燥は拭えなかった。


 駆ける後ろ姿。
 黒猫――ニムは木陰から、それを覗いていた。
 対象は緊張状態であると類推可。
 そして踵を返し、麓へと駆けていく。
 ――と、ニムとの魂同調、部分的な記憶の推定補完を終え、昴は自己へと回帰した。
 閉じていた瞳を開けば感覚が戻る。腕に抱えるニムの重み、頭頂部に触れられているこそばゆさもまた同時に。昴の頭に手を置いていた真も目を開く。魂を共鳴させ『接続』の仲介を受け持っていた真にも、補完内容はおおよそ伝わっているだろう。
 薬物等で調整を加えた使い魔ですらない、ただの黒猫。だからこそ、露見しにくい。しかしそのため、昴と相性の良いニムであっても、魂に焼き付いた記憶の読み取り――俗に言うサイコメトリーの一種で昴に伝わる内容は断片的な物だ。そこから推測した結果をイメージしたのが先の光景。
 何らかの外的補助を用いねば、おいそれと為し得ない法外の技と聞く。昴にしてみれば、対象の主観を分析するという技能は使いどころに困る位にしか思えないが。ニムにカメラでも持たせた方がまだマシだったと思うところもあるが、そこまで露骨な発覚は防ぎたかったし、資金も余裕があるわけではない。
 とにかく、囮であり試金石であった式神の意図に相手は気付いてしまったらしいという事は察する事が出来た。

「警戒されてる。やりにくく、なるかも……」

 昴は呟いた。やり方を間違えたかも知れない。この方法を提案したのは昴ということもあり、申し訳なく思う。

「思ったよりもめんどくさくなりそうだな」

 真はため息と共に、気にしてないと言外に伝えようとしているのか、昴の頭を優しく撫でた。

 続く、やもしれん

 作中の呪いなどは作者の適当な脳内設定による物で、実在の物とは一切関係無いことを伝えておきます。



[16649] 三話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/07/18 21:33

 母が死んで、司は家を長時間開けられなくなった。
 会釈した程度の遠縁らしい知らない人や役人さんが、ひっそりと葬式から何やらの事後処理を済ませてくれたが、終わってしまえば後は一人で家に居るしかない。
 ――今頃、信治は学校か。
 もう、そこには戻れない。引きこもりになりたいと戯けたフリで誤魔化して、それでも周囲に置いて行かれる事への不安は拭えない。
 うーうー、小さなうなり声を上げる。声を上げていないと、自分がここにいる事すら分からないような不安を伴う孤独感があった。
 ――と、そこで来客を告げるチャイムが鳴った。そう言えば、近々後任の役人が挨拶に来ると聴いていたのを思い出した。

「そちらはここの家主、要司だな?」

「……あ、はい」

「『先日』の件、お悔やみ申し上げる」

「……その、どうも。ええと、それで、どちら様でしょうか?」

「役所から来た者だ、と言えば分かるか?」

「えと、検分役の後任……ですか?」

「そうだ。君が滞りなく役目を果たせるか見届け、権限の及ぶ限りで便宜をはかるのが私の仕事だ」

「お一人、ですか? 前は三人くらい居たのに」

「そうしたいのは山々なのだが、事後処理の過程で芋づる式にいろいろと発覚してしまってな。こちらに人材を割く余裕が、な」

「なら、なおさら人が居た方が良いんじゃ……?」

「ここは四級指定危険区域。小さくはないが中途半端な汚染規模で、尚かつ鬼の利用は幅が限られている。だからこそ公安の警戒が薄く、この事態を招いてしまった。しかし、一度事が起こってしまえば、どの勢力にとっても優先度は低くなる」

「もう用済み……ですか」

「そう、なってしまうな。無論、絶対安全とは言い切れないが」

「いいですよ。危険は、ある程度『覚悟させられました』から」

「……そうか。では、よろしく頼む」

「はい。……それでその、名前を教えてもらえますか」

「これは失礼した。私は神崎勉。好きなように呼んでもらって構わない」

「神崎って、もしかしてあの一流どころの家……あれ?」

「――率直に言えば、左遷だ」



 司が自宅警備員になると宣ったのは、司の最後の家族であった母親が死んで間もない頃。ちょうど、中二に上がるときだった。
 流石にその時は、思春期特有の精神病をこじらせたのかなんてからかったりも出来ず、多少なりとも労ったつもりだ。
 だが、俺の見た限りでは、司が自分の母さんの死にそこまで精神的ダメージを負ったようには思えなかった。いや、死んで間もない時は憂鬱そうな表情だったが。
 それからは退廃的と言うべきか、当時から友人の少なかった俺と一緒に漫画やらゲームやらには嵌っていき今に至る。お互いに貸し借り、または一緒に鑑賞、なんとも不健康な日々を過ごす。
 俺と司が未だに友人関係を維持できているのは、趣味嗜好の一致というのが大きな理由となっているだろう。

「よし、この写真集を読む権利をやろう」

 そう言って、司はニヒルな笑みを浮かべた。相変わらず正座が違和感バリバリだ。
 司の掲げる表紙でニッコリ笑っているのは、最近お気に入りのグラビアアイドル。司は同い年の癖にFカップだなんて羨ましいと仰っている。
 うん、グラビア写真集まで貸し借りするのはどうかと自分でも思うんだけどね。
 ギャルゲーの遣り取りから始まり、最近は十八禁じゃなきゃ別にいんじゃねと抵抗感が殆ど無い。

「僕だってね、無いわけじゃないんだよ。補整下着でラインが外に出ないから、パッと見じゃ分からないけど」

「別に聞いてないから」

 ついその淡い水色の和服に覆われた体型を目で確認してしまいそうになり、視線を背けて司の部屋を見回すように動かしながら、胡座の足を組み直す。
 うん、自嘲(誤字にあらず)しろ俺。

「分かり易いねぇ」

 何所のラブコメだ――。司は苦笑混じりに呟いた。

「うっせ」

「まあ、君と僕じゃ色気のある展開はまず無いだろうねぇ」

 お互い、恋愛とかめんどくさそう、とかだからな。というか対人コミュニケーション能力低いし、遠い世界の話だ。
 ついでに言えば、二次元の見てれば満足。ついさっきまでの話題と言えば、昨今のツンデレはツン期が暴力的過ぎるのではないか、とかだからな。

「お互い、一生縁がない展開だろうよ」

 司と目線を合わせないままに言う。

「リア充死ねだね分かります」

「死ねとは言わん。むしろ跪いて他人と関係を築ける能力の極意を賜りたい」

 ホント、どうやって友達とか作ればいいんだよ。

「無理無理」

 鼻で笑っても、全部お前に返るんだからな。

「僕には使命がある。貴方とは違うんです」

 はいはい、頑張れガーディアン。
 手を振って応援の意を示してやる。

「うむ、年中無休で励みます」

 無休ねぇ……。
 あ、休みと言えば。

「ゴールデンウィークの予定とか、あんの?」

「自宅警備は年中無休だと何度言ったら――」

「そうか暇か」

 同類が居るのはやっぱり嬉しい。

「君こそ、連休に予定があるなんてリア充めいた事ぬかさないよね」

 休日の予定があるだけでリアルに充実した人生とか、どんだけ敷居低いんだ。

「無いから安心しろ」

 中学時代の数少ない友人も引っかからなかった。と言うか、もう切れてそうだ。
 そう付け加えれば、司は生暖かい視線を向けた。
 こいつ、安堵してやがる――。苦笑が漏れた。
 司は右手を掲げた。肩を竦めてから、同じように。

「「イエーイ!」」

 自然とにこやかに、そして二人でハイタッチした。


 村を出ようかと思った。
 もう夏になるというのに、一足飛びに秋が来たかのような涼しさ。曇りの日も多く、今年はいつにも増して実りが悪くなりそうだ。このままでは家族全員が冬を過ごすのは無理だろうというのは、親のしかめっ面で察した。
 そう遠くないうちに、口減らしに山へ捨てられるのは自分だろうと思った。周囲に好かれていない自覚はあった。そういえば、子供の癖して空気を読もうと伺う小賢しさも周りに嫌われていた。
 もしかしたら、人買いに売られる手筈かもしれない。それならば、そうするべきかも知れない。けど、それだけは嫌だった。
 売り物になったら、自分が要らないのだと思い知らされてしまう。お父とお母が、自分を売り物だなんて見ていると思うのも嫌だったからだ。
 あぜ道を進んで町外れを目指す。自分は今ぐらいの時間、いつも一人だとみんなが知っている。見とがめられなくば、大人しく売られろとお縄になることもないだろう。
 けれど、道を歩いて他の村に行っても意味があるのだろうか。一人で食っていく自身は無い。
 いっその事、向こうの野犬が出るらしい山へ行ってしまおうか。道を外れようとしたその時だ。
 後ろから声が聞こえた。自分が呼ばれている風ではなく、二人ほど、どうやら話をしているようだ。田んぼとは逆の方にある、生い茂る草の中に飛び込み様子を伺うことにした。

「ったく、何なんだ今年は」

「あんま言うな。口に出したらよけーに景気悪くなるもんだって、こないだ来とった坊さんが言ってたろ」

「坊さんねぇ。地主様が呼んだって話だが、どうもうっさんくせぇなぁ。奇妙なナリだったしよ」

「そりゃ、おめぇが余所モン嫌いなだけだろ」

「それに聞いたか、ただでさえ見通しが悪い時だってのに、好き者の地主様がまぁた人買い呼んだらしいぞ」

「知っとる知っとる。俺な、地主様の所に持ってかれる籠の中見たんだよ。それがよう……」

「どうしたってんだ、勿体ぶって」

「簾がな、風でちこっとだけ捲れたんだがよ……」

「それで?」

「ありゃ、おっかねぇよ」

「しわくちゃのばーさんでも入ってたか?」

「……ありゃ、鬼っ子だ」

 声が遠ざかっていく。気付かれていなかったようだ。
 そこで冷たい強風が吹いた。寒さにがなり立てる声が聞こえる。周りの草と一緒に、自分のボサボサ頭も揺れた。
 ――鬼。その言葉に、惹かれるものがあった。
 会ってみたい。
 起き上がって、さっきの二人が行き過ぎる先とは逆の方を向く。地主様のお屋敷へ行ってみよう。どうしてか足取りは軽く、胸が躍る。
 珍しい物があったとしても、地主様の屋敷に近づこうなど普段は思わなかった。どうせ行く当てもすることもない。ならば、手前勝手で良いじゃないか。
 もし鬼に会ったら、自分は喰われるのだろうか。それとも――。


 続く



[16649] 四話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/07/18 21:32

 空が白み始めた。夜が完全に明けてしまえば、死者の亡霊は生者の気を忌避し眠りにつく。休憩を幾度となく挟んだ自宅警備の仕事も一段落着くというものだ。
 イメージを言い現すならば、それは半透明のクラゲを思わせる質感、高さ二メートル程の人型。それだけ希薄になりつつある。水面月で二体纏めて切り捨て、霧散させる。霞を切ったかのような手応えの無さ。それとは裏腹の魂にのし掛かる負荷。モヤモヤした不快感と言うのが適当か。霊を切るというのは研ぎ澄ませた自らの魂で行うものであり、武器は補助――思いこみを助長する道具に過ぎない。
 それにしても、水面月は中々に便利だ。時折身体の一部と錯覚してしまうほどの一体感。刀身の薄べったい見た目にそぐわず、物理的にも霊的にも強度が高い。
 そしてやはり、と言うべきか。次々と切り捨てる亡霊は、先日の人為的と思われる影とは違う。死して尚、気の塊である魂を霧散させない為の型とも言える怨念の方向性、何と無しに感じ取れる。
 封印と過剰反応した様から考えれば、何らかの手段で負荷を掛けようとしたのか。しかし、世代交代で更新する封印の要は経年劣化もせず、常に柔軟性を保っている。
 過負荷に耐えるための妖気部分開放が原因で、封印の要であるここに亡霊が寄ってくるのだが。それを除去せねば、いずれは集合した魂が霊脈を汚してしまう。周囲の植林されたらしい木々も影響を受け、枯れ果ててしまうだろう。そうなれば、何のために封印を維持しているのか。
 霊脈に根付いた鬼。永い時を経れば、街に集った人々の霊気に沿った生命を活性する性質に変化するはずなのだが。

「後何年なのやら」

 最後と思しき人型を軽く突きながら、苦笑混じりの呟き。出来るならば、自分が死ぬ前に終わって欲しいものだ。跡継ぎを用意できるとは限らない。
 それとは裏腹に、一生終わって欲しくないとも思っている。このために生きている。だから、他にどうすればいいのか分からない。
 視線を人里に向ける。この辺りは少し高い位置で、街を見下ろす格好になる。視界の端に朝日が顔を出した。眩しさに目を背ける。何となく、居たたまれない気分になった。
 家に、戻ろう。自分は自宅警備員なのだから。


 縁が丘は三方を山に囲まれた住宅街で、開けた北東を行くと都市部だ。そこまで電車で十数分程度だし、利便性はそこそこ。
 俺の通う、市立縁が丘高校は最寄りのローカル駅、縁が丘から徒歩十分の位置にある。偏差値は平均を少々上回る程度。それでも入るのに若干苦労したが。
 学力的にも相応の範囲、家から自転車で十五分程度と便利だったのでここにしたが、俺の友人連中は偏差値の低い所か高い所という両極端だったわけだ。

「というわけで、高校に以前からの友達が居ないのも仕方のないことなんだ」

 そしてちゃぶ台をどんと叩けば、司は微笑を返して来る。
 言い訳するなよ、所詮貴様はコミュニケーション能力不全のヒトリ・ボッチ君だ――。目がそう如実に語っていた。
 自覚していても、やはりその目線を受けるとつらい物がある。
 どうして中学の友人と同じ高校に入らなかったのか。そんな質問してまで俺を貶めたいのか。
 あれ、別に暴言でも何でもなくね? 自意識過剰だった。

「名門の連中は、ゴールデンウィークに行事で勉強合宿するらしいしな」

 先日電話がかかってきて、よくよく聞いてみるとそうらしい。
 うん、それじゃ予定が合わないのも仕方ない。関係が切れてしまったのかと一時期嘆きもしたが、それならば涙を呑んで淋しい休日を過ごそう。
 今度埋め合わせすると、言質を取った。社交辞令ではなかったと信じたい。

「ふーん」

 ちゃぶ台のクッキーを囓りながら、どこか胡乱な眼差しを送ってくる司。
 どことなく機嫌が悪そうだ。

「……じゃあ、お馬鹿高校の友達は?」

「知るか、あんな連中」

 ねぇ、高校に友達居ないの? 居ないの? そう半笑いで言ってくる奴らなんて。
 ああ、携帯電話越しにも関わらず、奴らの笑い顔が浮かぶようだ。
 そもそも奴らのせいだ。俺が司以外友達の居ない人間なのではと思ってしまったのは。

「実は、友人連中が君一人ハブって楽しく遊んでいたとしたら――」

「ああぁぁぁ!」

 なんて恐ろしい事言いやがるんだ。想像しちまったじゃねぇか!
 一瞬有り得そうだと納得しそうになったが、そんな事は無いはずだ。多分、恐らく、きっと、めいびー。

「半端に希望を抱くなよ、信治ボーイ」

「俺はお前ほど暗黒面に浸っていないんだよ」

 学生だ。日々勉強中だ。
 そう、『職業に就かず、教育、職業訓練も受けていない』というニートの定義は当てはまらん。
 落ち着こう――。クッキーに手を伸ばす。

「予定がないから安心しろ――。そう言っておいて、友達とまだ関係が切れていないなんて言って僕を裏切ろうとするなんて……」

 よよよ……。目頭を押さえ、正座を崩してへたり込む司。
 つーか、お前だって中学の時には他に少なからず友達いただろ。それはどうしたよ。

「そんなもん、受験シーズンが開ける頃にはサクラチルさ!」

 咲く頃に散るとはこれいかに。
 しかし腕組んでふんぞり返って言う台詞じゃねーな。

「それはさておき――酷いわ! 私とは遊びだったって言うの!?」

 友達とは遊ぶものだろう。
 後、今の流れは強引過ぎだ。

「酷いわ。貴方が私の下僕だって、信じていたのに……」

「まて、神崎さん」

 いつ俺の背後にとか言わないが、その台詞は止めい。

「下僕はお気に召さんか、犬」

 餌付けしてやってるのに――。確かに俺と司が会話の合間に食っているのは、台の上で皿に盛ってある神崎さんお手製のナッツ入りチョコクッキーだが。
 それに犬と呼ばれて平然としていられるほど、人間の尊厳も捨てちゃ居ない。

「お前の好きなラノベは、そんなヒロインではなかったか?」

 そう首を傾げられても、現実と空想をゴッチャにするつもりは御座いません。
 あんなん現実にいたら鬱陶しいわ。

「べ、別にあんたの為に作ったんじゃないんだからね!」

「あっそ」

 食えりゃいいよ。理由はどうあれ。
 しかし良い声出てますね、神崎さん。

「お、俺だってな、いらねぇよ! お前の作ったもんなんて!」

 司はそう言ってから、クッキーに手を伸ばしてボリボリ。

「でりーしゃす」

「演技持続しねーなおい」

「ああいう意地の張り合いって、正直見苦しいよね」

 そりゃ、客観視できているからこその台詞だな。

「客観的に見れば、お前ら二人も相当見苦しいがな」

 どういう意味ですか、それ。

「人間関係なんて、傍目にしてみれば大抵そうだと言う事だ」

 傍から見れば……ねぇ。


「縁が丘。ここがどういう由来の土地だか、詳しい説明してなかったな」

「鬼によって霊脈が汚染された、くらいなら知ってる」

「まあ、軽い補足だ。昔、元々痩せた土地だったらしいが、特に実りが悪い時期があってな。それを何とかしようと、儀式だか何だか色々やったらしいんだ」

「……霊脈の活性?」

「そう。大地の気の流れ――霊脈を活性化させると副産物として、そこに魂が引き寄せられる」

「それくらい知ってる。魂も要は気の塊だから、流れに引きずられる」

「そう。魂が集う――すなわち魂を持った生物たちが集まり、生命の循環サイクルが活性する。うまくすりゃ、土地が肥える切欠くらいにはならぁな」

「でもここは――」

「違いは気の波長ってやつ。知っての通り、生者と死者なんて基本噛み合わねぇもんさ。霊脈が妙ちくりんなテンションだと、逆に生者がよりつかねぇ。俗に言う霊的スポットなんて、正にその例だ」

「……ダジャレ?」

「霊と例をかけた意図はございませんっと。それで、だ。ここは土地一帯で霊脈の活性が大きくマイナスに作用した」

「それが、鬼のせい」

「その通り。そりゃもう酷い有様だったらしいぜ。土地が枯れて、作物もみんな腐っちまったんだと」

「ふちがおか――」

「気付いたか?」

 腐地が丘。

「ここは、今も封印されたはずの鬼が霊脈を汚し、お山に死者を引き寄せているんだ。そういう土地だ」


 続く


 合同企業説明会は、行っただけで就活した気になれる魔法のイベントです(実際は何もしていないに等しい)



[16649] 五話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/07/18 21:31

「少しいいか?」

 司の家から帰る道、舗装の辺りまで来て普段であれば神崎さんとここで別れるのだが、今日は珍しく呼び止められた。

「あー、そのだな……」

 だというのに、何か言いにくそうだ。
 いつもは過ぎるくらいのストレートなのに。

「最近、学校の方はどうなんだ?」

 うん、なんつーか。

「久々に息子と話そうと思ったけど距離感分からないお父さんみたいだね」

 確かに二人で話すなんて滅多にないけど。

「……ポッ」

 神崎さんは頬を染めた。

「ハイハイネタに走らない」

 もしかして、気まずいの誤魔化してる?

「なら、ぶっちゃけよう」

「はいはい」

「お前は、普通の生活を送るつもりはないのか?」

 ……何と言い返せばいいのやら。

「普通に学生やってるじゃん、俺だって」

 司とは違うのだよ、司とは!
 ……比較対象がアレな件。

「そう言う意味でないと、分かっているのだろう?」

 その、普通より人間関係的な意味で劣っているのは分かっているんだけど。

「そんな事でこの先、まともな人生を送っていけると思うのか?」

 何も言い返せない。
 俺は居心地の悪さを感じながら、すぼめた口から息を吐いた。口の中が冷えると、少しだけ落ち着く――。

「ダメ人間同士集まっているだけでは、いずれ対処できない何かにぶつかるぞ」

「……うっ」

 いきなり此処までぶっちゃけられるとは。
 精神的ダメージで目眩がしそうだ。

「責めるつもりではない。しかし、何かを感じたというならば、それに対処すべきだと自覚しているのではないか?」

「……それで、どうしろってんだよ」

 喉の奥にこみ上げる不快を飲み込んで、それから呟いた。
 睨むような格好になっていると自覚できた。それでも神崎さんは何所吹く風で、微かに涼しげな表情に射すくめられるような感じを覚えた。

「何か、してみたらどうだ?」

 ポツリと。

「今更誰かと関係を築くのは、確かに並大抵の努力ではどうにもならないだろうよ」

 だから、どうしろと。

「それでも、だ。それを意識するのとしないのでは、違いがあるはずだ」

 今のままでは、例えチャンスが来ても見過ごすぞ――。付け加えながら、神崎さんは何故か淋しげに眉根を寄せた。

「その時が来たら、踏みとどまるな」

 そして俺の肩に手を置いて上目遣い。それでも、その表情は俺を案ずる大人の顔だった。
 ……でもさ。それ、司にも言えよ。
 そう問えば、

「あいつの社会復帰は現状、絶望的と言って良い。だから、手助けくらいできるようになれ」

 ――ひでぇ言い様。
 次の日、ゴールデンウィーク初日は何もする気が起きなかった。
 何かするべき――。神崎さんの言葉が耳に残って、けれど何かする気が起きない自分のヘタレさに嘆息した。
 結局、その日は寝て曜日だった。

 ゴールデンウィーク二日目。
 今日は中途半端に学校だ。昼休みに携帯をいじるくらいしかない平和で特に何事も無い一日。そして放課後。

「ああ、ぶっちゃけ暇だ……」

 ぶっちゃける相手も居ない、ロンリーさ。机に突っ伏せば眼前には教卓、誰もいないのに、そこはかとないプレッシャーを放っている。
 ああでも、今日は掃除当番だったな俺。決められたグループで日替わりのローテーション。教室を軽く黒板消して、軽く掃くだけだからすぐ終わる。
 席を立ち、教室後方のロッカーに向き直る。すぐ後ろで下校モードに入っていた同じく当番の女子――確か鬼瓦さんだったな、クラスメートの名前は半分くらいしか覚えていないけど特に個性的だったし――を視界に捕らえた。
 華奢な小柄で、しかし力強い印象。肩の辺りで切りそろえられた髪、制服のスカートは膝にかかるくらいと今時大人しい装いが浮いている。モスグリーンのブレザーが周りと違って渋く感じるな。

「……あの、掃除当番」

 恐る恐る話しかける。声が掠れ気味で、キョドっているのが自覚できた。

「……何?」

 小さく、迫力を帯びた声。
 何と言ったのか聞き返しているのか、はたまた文句あるのかと開き直っているのか。どうも後者臭い。
 だって、つり目怖い。

「いや、だから、掃除当番……」

 少し大きめな声でもう一度。言わなきゃ良かったと直後に後悔した。
 これを孤高って言うのか、静かな佇まいに圧力を感じる。うん、被害妄想に一票。
 鬼瓦さんは無言で持っていた鞄を机に置いた。そしてロッカーにつかつかと歩み寄り、手を掛ける。俺はそれを無言で見つめていた。
 鬼瓦さんがこちらを振り向く。

「するんでしょ、掃除?」

 ぶっきらぼうな物言い。そして取り出した二本の自在箒、一本の柄をこちらに突きだした。
 それを受け取り、無言で掃き掃除を始める。俺が黒板側、鬼瓦さんが後方と自然に役割が分担された。無言のまま進み、その後の黒板消しは鬼瓦さんの身長を考慮し、上部を俺が担当。俺の身長も百七十センチ届かないんだけどな。
 お互い終始無言で、掃除に集中すればそりゃすぐ終わる。十分ちょいくらいか?
 教室に残っている人達へ軽く頭を下げながらの掃除は、酷い苦痛だった。格差を思い知らされる。
 そして掃除を終えれば、すぐさま鬼瓦さんは去っていく。

「あの……!」

 気がつけば、呼び止めていた。同時に、昨日神崎さんに言われた事を思い出す。
 このままただ無言じゃ、いつもの自分と変わらない。今日一日を思い出す。周囲の喧噪から目を背けて、何もしていない。
 そうだ。自分から、アクションを起こさないと何も変わらない――。

「あの、掃除、お疲れ様。またね」

 大した事は言えなかった。それでも、挨拶できただけ自分では良くやったと言いたい。

「……あ、うん、お疲れ様」

 鬼瓦さんは消え入りそうな声を返し、今度こそ教室を後にした。
 そして、俺は溜息を吐いた。達成感というよりは、自嘲気味に。
 さて、明日からまた連休なわけだけど、予定も行く当ても……司の家とか。うん、他に当てが百均と古本屋くらいしかねーぞ。
 休日に行くと、平日よりもあいつの家に居る時間が長くなる。すなわち、あいつとの会話が詰まったときの気まずい雰囲気へのエンカウント率が上がる。
 アレは辛い。お互い、詰まったときにポンポンとはい次なんてネタ振りできる人間ではないし、自分のダメっぷりを自覚させられるようで辛い。
 ゴールデンウィークは長いし、そう度々あの空気になっても困る。行くなら、会話のネタになる何かを持って行くべきだ。
 そうだな……映画でも借りて、神崎さんも交えてツッコミ入れながら見るとか。録りだめしたアニメとかもありだ。あいつの部屋、テレビは家よりでかいし、レコーダーも高性能だ。
 ――っと。そういや近所のレンタル屋、今日は割引日じゃねぇか。忘れてた。
 とりあえず、行ってみるか。
 しっかし、自転車もそろそろ買い換えた方が良いな。力入れて漕ぐとギアが少しガタつく。


 お前を生ませたのは戯れだ。父にはっきりとそう言われたのを覚えている。
 お前には下賎な血が流れていると、だからお前は醜いのだと。
 歯噛みし睨み付ける先、鏡に映るのは他と余りにも違う顔立ち。せめてと髪を染めることも許されなかった。そのまま伸ばせ、その方が面白い――父は高笑いしていた。
 どうして自分はこうも周囲と違うのだろう。自分を生んで間もなく死んだらしい、顔も知らぬ母が憎らしい。
 さぞかし醜かったのだろう。自分とは似つかない、父の雅やかな顔立ちと装いを思い出す。周りと違って着飾ることも許されなかった。
 ボロ切れで出来たツギハギだらけの着物。ここに来るまでの道中、籠からみた人々のような。初めて見る外の世界は、思いのほか貧しく地味なようだ。
 外の世界でも、自分のような顔はいなかった。粗末な籠の簾はしょっちゅう捲れ、目線があった人々は表情を歪めた。
 肌は自分の方が綺麗だった気がする。身を清める事だけは怠っていない。汚れて虫が寄れば魂が汚れると、父が言っていた。
 鬼子。幾度となくそう囁かれた自分の魂は、汚れていないのだろうか。
 視線を鏡から背け、宛がわれた部屋に面した庭を眺める。家と違って貧相な印象を受けた。数本生える松の木からも弱々しい様が窺える。
 土地全体で生命が弱っているような雰囲気、それを支える霊脈が細くなっている事実を改めて思い知らされた。加えて冷害ともなれば、更に生命が弱っていくだろう。
 ここを自分は救わなくてはいけない。父にそう申しつけられている。周辺の地理に明るいからと人買いに運ばれた自分を、周りがどう見ているかは想像に難くないが。そこにも父の悪意が窺える。
 実際の所、売られたに等しいと言って良い。そう、きっと自分はここで……。
 気持ちがささくれ立つ。一旦考えを区切ろうと庭を歩くことにした。周りが自分を呼び咎めるような事はしない。どのような立場かも明かされていないはず。そんな怪しい人間と進んで話したがる物好きはそういないだろう。
 だから――。

「キラキラして、お日様みたいな髪の毛……」

 初めてだった。
 枯れ落ちる木の葉と皮肉られることはあったけれども。

「綺麗……」

 そんな風に、言われたのは。
 庭の外れで、出会った。膨らんだボサボサの髪をした、自分よりも幾つか年下だろう男の子。
 異人の血筋が濃いらしい、青の瞳と視線があっても、物怖じしていない、満面の笑み。
 風が吹いた。初夏にそぐわぬ涼しく爽やかな風が。同時に胸中で抱えた懊悩たる思いが吹き飛んだような、そんな清々しさを覚えた。

 続く




[16649] 六話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/07/18 21:31

 覚醒自体は午後になってすぐだった。疲労もすっかり抜け、それでも布団を出ないまま俯せになって微睡みを堪能するのが司の癖になってしまっている。
 昨夜は亡霊の数が少なかった。そういう日も稀にあり、自宅警備も幾分楽に済んだ。普段は夜明けと同時にシャワーを浴び、それから重くなった身体を布団に沈める日も多いのだが。
 おかげで久々に、大手掲示板を過去ログ抜きにリアルタイムで張り付いていられた。……何とも不毛な一夜だった。
 昼夜逆転の生活を送るようになってから、夜の過ごし方に困っている。ネットゲームになど手を出してしまえば、みんなが死んでしまうからとモニターから離れられなくなってしまうだろう。
 必然いつでも中断できる読み物が多いのだが、最近はジャンル:アドヴェンチャーとは名ばかりのノベルチックなギャルゲーにどっぷり浸る有様だ。ちなみに古典文学なぞ、端から読む気が起きない。
 自分は色々と終わっている――。喉を鳴らして自嘲する。だからこそ信治と話を合わせることが出来ているのだが。
 そういえば、昨日は休日だったが信治は来なかった。どう過ごしたのだろうか。信治は、自分に友達などいないと笑っていた。本当なのだろうか。だとすれば、とても淋しいことだ。
 自分にだって友達はもういないと言っていい。友達だった人達からのメールも御無沙汰だ。
 ……もう、信治くらいだ。友達は。
 信治は、こちらを友達と思ってくれているのだろうか。
 それがただの同情ではないと確認する術はない。
 このまま布団の中にいては気鬱になるばかりだ。ゆっくりと這い出た。
 もうじき高校は放課後だろう。信治が来るかどうか分からないが、心構えだけはしておこう。いつまでも寝間着のままではアレだ。
 布団を押し入れにしまい込んでから、部屋の隅に置かれた化粧台の前に正座する
 緩く編んでいたおさげを解いて、ヘアウォーターをスプレーして軽く髪を湿らせる。それから赤い半月形の櫛を手に取り、そっと梳かす。
 随分と長くなった髪。勉があれこれ世話を焼いてくれるが、自分での手入れは怠りがちだ。
 適当に梳いているだけでは髪が傷むだのなんだの。正直な話、億劫だ。そんな姿勢でこの髪質を維持しているのは奇跡だと宣うあきれ顔を思い出した。
 鏡に映るしかめ面。昔は、そこに母の微笑ばかりがあったというのに。鏡に映る自分と母を見比べ、将来母のような美人になれる筈と、はしゃいでいた時期もあった。
 ああダメだ、似ていない。こんな陰気な表情、母はしていなかった。同じように髪を伸ばしても、あの日の像とは似つかない。
 そのまま髪をゆっくり梳いていく。しばらくして、櫛の通りが良くなってきた。
 目を閉じてから、更に梳いていく。もう殆ど抵抗はない。ただその感触が心地よかった。
 目を開く。そこには少し微睡んだような表情があった。全身の強ばりが解けたような気もする。
 そして、微笑む。フリは出来た筈だ。
 記憶の中の母に、少しだけ近づけたと思うから。 
 これでいつも通り。
 心を隠しても。
 ……そこで、ふと頭を過ぎった。
 鬼の由来。
 おぬ――隠ぬが転じて、おに。
 隠れ潜むモノこそ恐ろしいと。


 レンタル屋に着いた。さて、何のビデオを借りようか。
 ちょっと古い作品や話題の映画などが良いだろうか。そう思いつつ、まっ先に向かうのがアニメのコーナー。
 我ながら呆れるが、メジャーな映画などは後回しだ。作画の崩れで有名な作品はDVDだと修正されているから困る。その辺りをネタに盛り上がりたいのに。
 それとも、超展開な作品で攻めようか――。
 と、そこで前方、マイナーなアニメDVDの並ぶ一角に不似合いな光景を認めた。
 幼稚園児くらいか。踏み台に載って、小さな身体で目一杯、手を棚の上方へ伸ばす紺色のベレー帽を被った後ろ姿。この辺りにはちょいと難しい設定の作品が多く、その手の設定をクールと感じる人間の巣窟の筈なのだが。
 指先が届きそうで届いていないその作品には覚えがあった。複雑な設定がウリだったSFアニメ。あ、今惜しかった。
 ……いつまでもこうしてただ見ているのもアレな気が。俺もその辺り見たいし。ここで話しかけづらいと離れたらきっと後で後悔するし、別段大した事でもない。

「コレですか?」

 近づき、そのケースに触れる。声は若干緊張気味になってしまった。
 子供は、一瞬こちらを向いて目を見張らせた。ドングリ眼の間の抜けた表情は可愛らしかった。半ズボンにTシャツ、顔立ちも何処か中性的で性別が分かり難い。髪も短いし、多分男の子か。
 その子は背伸びを止め、こくりと小さく頷きを返してきた。
 俺はそれに応じ、DVDの内ケースを取り出して渡した。その子は更に隣を指で示す。あ、続きの巻も借りていくのか。それも取り出し渡す。
 どうも――。澄んだ声と共に小さく頭を下げ、去っていった。その仕草に微笑ましいものを覚えていた。
 ああ、声かけて良かった――。

「やっ!」

「おあっ!?」

 突然声を掛けられ、気のゆるみもあってか思わず奇声を上げてしまった。
 声の方を向けば、そこには見覚えのある顔が。
 明るく頬を緩ませまくっている。お気楽そうな女子。

「久しぶり、大山君」

「あ、うん」

 えーと、岸さんだっけ。司辺りとよく話していた人で……友人だった? 二年の時のクラスメートだった筈なんだが、どうも記憶があやふやだ。
 それにそういや、俺あんまし司の交友関係とか、知らないな。つーか、その程度の繋がりの俺によく話しかけたな。コレがリア充の秘訣か?

「元気してる?」

「はぁ、まぁ、ぼちぼち」

 ボッチボッチな高校生活です。

「こっちは学校がアレだからさぁ、授業が楽だね。そっちは縁高だったよね?」

「ああ、うん。そっちって、どこだっけ?」

 授業が楽だって、レベルに合わせた高校通ってないのかよ。

「こっちは砂賀谷だよ。知らなかったの?」

 そう言われましても。あ、でも制服には見覚えが。
 ああ、砂賀谷って確か元……だな、元友人が二人ほど通ってる学校だったはず。近隣の公立じゃ一番レベルが低い所。
 そうは言っても、最近の公立は何所も偏差値上昇中だけどな。名前書けば入れる私立と一緒にしたら流石に可哀相だ。

「や、その、ごめん」

 知り合いの進学先くらい知ってて当然なのだろうか――。一瞬そう思い込んで、つい謝ってしまった。

「ははは、やっぱり大山君は面白いねぇ」

 貴女様の笑いどころが理解できません。それとも、嘲笑されてる?

「そんで、司とは最近どう?」

「へ?」

 またいきなりですね。
 どうって、別段変わったこともなく、だれてるだけですが……。

「いや、まぁ普通なんじゃない?」

 どこまで言えばいいのやら。当たり障りのない返答しかできない。

「普通ねぇ……」

 向こうも返しに困っている。しかしなぁ、他に何と言えば。

「司は元気してるの?」

「まあ、元気なんじゃないかな」

 自宅警備員をガーディアンと言い張れるくらいには余裕があるだろう。その開き直りっぷりは既に人間としてダメな気もするが。

「そか……。ありがとう、私はもう行くんで。またねー」

 これまた若干唐突に岸さんは去っていった。
 司のヤツは中学の友人ともう切れてるって言ってたけど。そうでもないのか?
 いやでも、それだったら一々司について尋ねたりなんてする必要も無いしなぁ。
 分からん。
 そもそも司の交友関係についてもさっぱりだけど、他の人は友達の友達とか、知ってて当然なのかね。友達紹介とかあんましたこと無いからなぁ。
 ……ホイホイ紹介できるほど居なかったしな、友達。
 あいつ、今頃どうしてんだろ。
 司と会うときは大抵、司の家で二人だった。年頃の少年少女は会うだけでも人目を憚ってしまうものだったわけで。
 司のお母さん――円さんとかは、割と俺に親切にしてくれたなって覚えがある。いっつもニコニコしてしょっちゅうお菓子とか振る舞ってくれたな。
 どうして、そうまでして遊んでたんだっけ?
 それって、司はウザかったりしなかったのか?
 ……今は、どうなんだろ。
 今更だけど、俺ってあいつの事知らない。

 続く



[16649] 七話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/07/18 21:31

 少し、不安になった。
 そして、胸が苦しくなった。
 それは普段からの持病のようなもので。叫びたくなる衝動を必死こいて抑えつけ、深呼吸すれば収まる、その程度の慣れっこで。
 背の高い棚が並ぶ店内の閉塞感が辛くて、早く出ようと適当に引っこ抜いて借りた数本のDVD。それが収まっているナイロンバックを、動悸がする胸に押しつけるよう抱きかかえながら店を出た。
 肩掛けの鞄がずり落ちそうなまま、余裕の無いみっともなさで。店員さんは変な眼で見なかっただろうかと、気にする余裕もなかった。ただ機械的にメンバーカードと代金を出して、お釣りとDVDを受け取って。
 ナイロンバックは鞄に押し込み、深呼吸を。震える息、それでも肺に引っ張り込んで、大きく吐き出す。
 数回繰り返し、ようやく静まってきた。それでも、微かに喉の奥で引っかかるものは消えない。
 自分がどう思われているか、分からない。
 司に対してそんな不安を抱いた事は無かった。
 自転車の籠に鞄を放り込む。後輪に据え付けられた鍵を開け、またがる。
 ……確かめられるだろうか?
 俺は、司の傍にいて良いのだろうか。
 サドルには腰を下ろさず、八つ当たりするみたいに強くペダルを踏んだ。
 ――そんな数分前までの自分が、恥ずかしくなった。
 俺は、先ほどまでのシリアスじみた心境を何所に置けばいいのか分からなくなった。若干しゃっちょこばっていた姿勢も崩れ、胡座を崩して足を伸ばした。司はやっぱり楚々とした雰囲気が漂っていなくもない正座だった。

「シュレディンガーのパンツなんだよ!」

 拳を振って力説する司。
 不安はつまり、願望の裏返し。どうして、俺はこんなアホウに良く思われたいなどと考えていたのだろうとすら思えそうだ。
 つか、コイツに俺以外の友達らしいヤツはいない。俺の不安って、杞憂じゃないのか?

「もう一度、分かり易く説明してくれ」

「だから観ろ、この明らかに履いてない絵」

 司の掲げる紙、そこでは屈んだ可愛らしいポニーテール少女の後ろ姿。セーラー服のスカートがきわどいというか、既に中味が見えていないとおかしい領域まで太ももと尻のラインが窺える。
 ちなみに俺、ポニーテール萌えなんだ。っと、何か馬鹿らしいので思考を明後日にやる。

「どうでもいいけど、いつの間にそんなイラスト描けるようになったんだ?」

「君を驚かそうと、密かに修練を積んでいたのさ」

 実は、写真集もデッサンを兼ねていたのさ――。へぇ、そっすか。
 でもさ、直前の発言でインパクト皆無になったからな。
 まあ、素直に凄いと認めるが。俺は手のデッサンがめんどくてイラストの勉強投げたクチだからな。
 ……首から上だけ、無難に描ける。ちょっと斜めからのアングルで。

「コレを観ろ。履いてるか履いてないか分からない。もしかしたら、ヒモパンとかかもしれない」

「確認するまで分からない。まるでシュレディンガーの猫が如しだと」

 半分の確立で死亡する箱に入った猫は、生と死が同居しているとかいうよく分からんアレだね。量子力学がどーたらこーたらっての。
 しかし俺は犬派だからいいものの、エルヴィン・シュレディンガーさんは猫に恨みでもあるのか?

「そう、その通り!」

 ズビシッと勢いよく俺を指差し、司は勝ち誇った笑みを浮かべていた。
 うんうん、分かる。今、自分が世界の心理を掴んだかのような全能感で胸が一杯なんだろうね。
 けどさ……。

「悪いがそれは、俺が二年前に通った道だ」

「なん……だと……!?」

 演技がかった驚愕。少しは余裕があるようだ。

「検索すれば、似たようなネタは山ほど在る」

「嘘だと言ってよ信治!」

 悲壮さが微塵も窺えない、司の絶叫。

「全く意に介していないみたいだな」

「んなこたーない」

「相変わらず楽しそうだな」

 神崎さんはいつも突然だ。そして、麦茶を置いて部屋から去った。
 ……何かホント、いつも通りで拍子抜けだった。
 そりゃ、別に何かが変わった訳じゃない。
 改めてここへ来て見直そうとも、俺には分からない。今まで目を向けなかった真実がそう容易く分かってたまるか。
 結局は俺の、心の問題で。
 不安を吹き飛ばしたくて、笑った。少しだけ、声を高く響かせるように。

「おい司、働かずに食う飯は美味いか?」

「あーあー、聞こえなーい!」

 ……楽しいさ。改めてそう思う。
 こんな日々が続くなら、別に良いから。
 俺はダメ人間のままでも。
 どう思われていても。
 だから――。

「なあ司、岸さんて覚えてる? 何かいっつもニコニコしてる感じの」

「……それ、多分西だわ。西広美。他に岸浦って知り合いいるから、多分混ざったんだと思われ」

 ――で、それが?
 司は、微かに不快を滲ませた様子で眉をひそめた。

「最近司どうしてるって聴かれたんだけど――西さん? まあ、西さんが司の事気にしてるっぽいんだけど、どうなの?」

「……べっつにぃ。言ったでしょ、連絡なんてここ最近全く来てない」

 キモイヤツがいるとか、嗤い話のタネにでもするんでしょ――。唇を尖らせた司。
 俺と正面から貶し合うのは良くても、陰口の類は嫌悪しているようだ。俺もそうだが。陰口とか、やや遠くからヒソヒソと断片的に聞こえる嘲笑の類は、気付いたとき抜群の破壊力だからな。
 ――そうだ。
 だからコイツも、俺と同じでいて欲しい。
 俺と同じ底辺で。
 最低の願望だと、自覚はしている。
 何かするべきだと言われたのに、立ち止まろうとしている。
 けど、司がここに留まっていれば、俺は司と友達でいられる。置いていかれないで済む。
 ――司を、外へ連れて行って上げて。
 ふと頭を過ぎったのは、優しい透き通った声。そして、懐かしい光景。
 司に目をやる。長い髪に、立てば俺よりは確実に高いだろう長身。
 記憶が確かなら、昔は小さくて、髪も短かった。今の司は、操さん――司の母さんに似てきているような気もする。
 だから、目を逸らさずにいられなかった。
 このままで居心地が悪い。借りてきたDVDを取り出そうと、鞄に手を伸ばした。
 二本借りたはずだけど、何を借りたんだっけ。ネタのギャグアニメに、もう片方が思い出せない。


 続く



[16649] 八話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/07/18 21:30

 どうしてだろう。
 ふと生まれる沈黙。ああ、偶にある。
 なんとなく居たたまれない気持ち。叫びたくなった。

「ガッデム! なんじゃこれ!?」

 だから、司は叫ぶ。誤魔化しの、八つ当たり。
 矛先は、信治の借りてきた半透明ケースのDVD。おあつらえ向きに、嫌いな作品だった。
 当の信治はたじろいでいる。大丈夫、気付いていない――。

「あ、ああ、悪い」

 合点がいったと、視線がDVDに向かっている。ネタにしようと持ってきたのだろうか。
 主人公一筋だったはずのヒロイン格がふらふらして、挙げ句に主人公以外とくっつく話。ギャルゲーを原作にしたラブコメだったくせに、御法度の部類に入る超展開だった。

「ビッチとか超あり得ないんですけどー」

「その口調がなんかそれっぽいな」

 司がもてない男の偏見を含んだ物言いを、尖らせた唇でそれらしい風に漏らせば、信治の予定調和なツッコミが返ってくる。

「いやぁ、幼馴染みはくっついとけよなー」

「幼馴染み属性好きだな」

 まあ、俺もだが――。信治はそう同意し頷く。

「なんつうの? 健気というか、一途とか、そんなキャラが好きなんだよ」

 ――昔、そういう風に洗脳されたし。
 情操教育のつもりだったんだろうか。結果的にはそれが功を奏していると言えなくもない。違うベクトルで。

「ああ、なして僕には可愛い幼馴染み居らんのー?」

「居たらどうするつもりだよ」

 信治の苦笑。でも、同姓ならばもう少し気が楽だったかもしれないとは偶に思う。
 時々ふと思い出してしまう、母の言葉。その、告げる夢。それを思い出して気まずくなってしまう。
 叶わなかった夢を、託したいと――。

「……無理だね」

 きっと、自分には無理だ。そう呟いて、思わず自嘲に口の端が歪む。

「無理って、何が?」

 呟きが届いていたか。若干の動揺に、思わず目を逸らす。
 黙り込みそうになる。咳払いで一拍置く。そして少し間を開けて。

「……いや、可愛い幼馴染みが居てもフラグ立てらんないんだろうなぁって」

「そりゃそうだ。ただしイケメンに限るって言葉を知らないのか?」

 司の自虐めいた苦笑、信治の喉も自嘲気味に鳴る。確かに、信治はカッコ良いとは言いがたい。
 とりあえずと言った程度に整えた短髪、顔立ちは司としては無難だと思う程度。今は学校の制服だが、服のセンスもいまいちだ。
 ――美女も醜女も三日で慣れる。母が偶に、自分と信治へ言い聞かせていた。世の中顔じゃないと。若々しく、また美しい母の言に説得力は微塵も無いと感じたのを覚えている。
 分かっている、ああした発言の一つ一つが集約する意味は。
 それを思い出す度に、また居たたまれない気持ちになるのだから。

「あー、唐突な押しかけ許嫁とかで良いから美少女来ないかなー!」

 湧き上がる衝動を誤魔化すために、適当な叫びを上げる。

「だから、ねーよ」

 信治の呆れた風な嘆息。どこか嘲笑じみていても、言葉が返ってくるという事に司は安堵していた。
 何をやっても反応は寒々しく、突き刺さる視線はただ不快さを楽しむ被虐に満ちて――。又は、無関心か。
 そうなったら、どうして良いか分からないから。
 人間関係なんて傍から見れば大概見苦しい。そう、神崎さんが言っていたのを思い出す。
 こうやってビクビクしながら癇癪じみた発作を起こす自分は、相当に滑稽だ。
 司は、内心で自分をそう嘲笑った。


 どうしてだろう。言葉が出ない。
 目の前で微笑む童に、何を言えばいいのか。好奇の視線自体はさして珍しくもない。けれど、ここまで好意的な、そう信じられる眼差しを受けたのは初めてだ。
 そもそも、何者だろう。衣は粗末で、おそらく地主の縁者でもなかろうし、村の住人だと辺りもつくが。

「俺な、太郎ってんだ。ねえねえ、姉ちゃんの名前はなんていうの?」

 童――太郎は、顔を笑みでくしゃくしゃに歪めてこちらを見上げる。重なった視線を思わず背け、そのボサボサ頭へ向かう。まるで何かの巣みたいで面白い――。逃避じみた感慨。

「……咲耶だ」

 やや間を置いてから、短く返す。頭が回らないことに、微かな苛立ちがあった。気の利いた言葉が、浮かばない。
 それにしても、自信の現状に置き換えると、咲くという字が皮肉に感じられる。

「さくら?」

「さくや、だ」

「そっか。ところで桜は好き? 俺は好きだよ」

 同意の頷きを返すが、それすらぎこちなくなってしまう。
 それでも太郎は、一緒だとケラケラ笑う。
 手を掴まれた。思わず身が竦む。咲耶の手よりも一回り小さく骨張ったような、けれど何処か柔らかみの残る手。優しく、しっかりと――。
 いきなりどういう事だろう。自分の手をこんな風に掴む者が、今までに居ただろうか。 

「えっと、こんにちわの握手」

 態度に出ていたか、こちらの困惑を察したようで太郎ははにかんだ笑みを見せた。
 ――暖かい。
 じんわりと染みるようで、くすぐったい心地よさがあった。人の体温がこういったものだと、知らなかった、と。
 戸惑い、居心地が悪さを感じながら、握り返す。今度は、重なった視線から逃げなかった。
 咲耶は表情が緩むのを自覚するが、長年連れ添った仏頂面が出しゃばって、酷く強張った感触だ。
 ゆっくりと手を解きながら続く話題を探すが、教え込まれた社交辞令の、形式的な時候の挨拶くらいしか浮かばない。そんなもので、このような村の一般庶民に通じるか――。
 そういえば、ここは地主の屋敷。その庭先に踏み入った事が見とがめられれば、この子もお叱りのひとつも受けるのではないか。

「どうして、お前のような童がここにいるんだ?」

 つい、咎めるような口調となってしまったが、太郎は意に介した風もなくあっさりと理由を告げた。

「えっと、鬼が居るって聞いて、会ってみたかったから」

 咲耶は苦笑せざるを得なかった。それは間違いなく、自分のことを言っている。この髪に、ややくっきりとし過ぎた目鼻立ち、物の怪呼ばわりされるのは今に始まった事ではない。
 そう告げてやると、太郎は肩を落とした。鬼に会いたいなど、度胸のある童だ。鬼など、親が子を脅して分かり易く言い聞かせる、言うなれば話題の鋳型のようなものだ。

「子分にして貰おうと思ったのに……」

 唇を尖らせて呟く。どうしてそのような発想に至るのか、咲耶は首を傾げたくなった。

「止めておけ。喰われるのがオチだ」

 咲耶は嘆息混じりにそう告げた。咲耶が凶祓いの修練を積んでこの方、おとぎ話に聞くような角の生えた化け物に出くわしたことなぞ終ぞ無いが。
 ああいったものは大概が敵方を比喩的に現したものであり、俗に言う怪異はそこまで鮮明な形を残さず、また認識が一様に違っている。まず認識出来る者が少なく、その者の価値観ごとで認識が変調するものだ。
 まあ、つまりは冗談のつもりだったのだ。

「喰われるのかな」

 しんと、辺りが静まりかえった気がした。どこか冷ややかな、太郎の声。

「鬼は、おんなじ鬼でも喰うのかな……?」

 太郎が自分の髪を片手で掻き分けながら、もう一方の手は咲耶の手を引いた。咲耶の手が、頭の天辺に触れる。
 小指の先ほどに尖った円錐形、頭皮でもカサブタでもないような硬い、しかし飾り物めいた気はしない温もりのある感触。
 ――角?

「俺、鬼なんだよ」

 そう言って、太郎は笑った。何処か、寒々しい笑みだった。


 続く



[16649] 九話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/07/18 21:30

 鬼は隠ぬ。それは人の心における隠れた一面、主に負の面を指し示す。
 魂には、鬼という字がある。そして魂は、云う鬼と書く。鬼は云わない、伝えられない。

「そうなっちゃあ、お終いだねぇ」

 何処か皮肉めいた呟き。その夜半、気の波とでも例えるべき、大地の脈動に乗じ大挙する亡霊――当然俗に云う悪霊に近い存在が過半を占める――を大方討ち、司は一時休息を取ろうとしていた。司の経験則として、鬼に惹かれてやって来る霊魂の動きは、先に例えた波のようなある程度の周期がある。
 なのに、と驚くワケではないが。玄関先出てすぐ前方、蠢く気の塊は鬼だろう。この地に宿るものより、遥かに小さな規模であるということは分かるが。

「まあ、おっきな石が流れ着くってのも偶にはあるよね」

 そして波が引けば、顕わになる。その、他の霊魂とは一線を画した存在感。それでいてワケが分からない。
 これこそ、本物の鬼。先日の人為的存在とはまた別物。思念の濁り具合が違う。司は、思わず息を呑むのを自覚した。
 こうして知覚するのは初めてだ。封印を隔てて鬼の傍にある普段とは別種の緊張で、手に汗が滲む。縋るかのように、攻撃性を駆り立てそうな武器から半ば気まぐれで選んだ右手の太刀を強く握り直す。切っ先は下げたまま。無思慮に敵意を奮ってはならない――。
 そして知識を反芻する。対象を理解の範疇に落とし込む事で恐怖を拭う、司独自の自己暗示法。息を整え、柄を握る手を僅かに緩めながら。
 魂という物は、非常に曖昧かつ断片的な存在。娯楽にありがちな、生前の記憶や人格を保持した霊魂は非常に珍しい。
 魂という物は、確かに情報を記録するような性質がある事は経験則として伝えられている。では魂とは何か。それは気などと称されるエネルギーが、ある程度の密度で何らかの方向性に伴って集合したものだ。一説では電磁波の一種、また近年では量子力学の発達に伴い、暗黒物質として知られる詳細な観測が困難とされる存在に謎があるという説も囁かれている。
 それだけだ。魂が何か。何故それが万物に宿るか。一部の霊能力者と呼ばれる者が、何故その存在を認識する事が出来るかは不明瞭な点が多い。魂同士で何らかの干渉場が働き、それが脳に伝わっているのだろうとのことだ。霊とはそんな、正しく怪異な存在なのだ。
 そして魂がどれだけの情報を保存できるかは、その存在が持つ魂の量によって決まる。魂単体の量は年月である程度増減するものの、その量は微々たるものである。生物である場合、特に人間は許容量の基準が遺伝し易いということが、やはり経験則として分かっている。

「もう人の思念的な面影、無いなぁ」

 肩を竦め、嘆息。これはもう、霊じゃない。
 魂とは断片的にしか人の想いを残さない。肉体の死後、魂がそこから乖離する。大抵は、そこで大地を行く気の流れに取り込まれ、分解される。
 しかし人であれば、死に際に妄執を抱く愚かさがあれば、その思念が魂に強く刻まれる。一つの思いに固まった魂は、強く残る。そんな断片の情報で生前の人となりを判断するのは、もはやプロファイリングというレベルを超越した妄想だ。霊を見るというのは、魂で感じ、妄想という色眼鏡を通した末の幻覚に他ならない。
 そして妄想しても、眼前の存在がどのような意志を持っているのか分からない。
 近しい想いを抱いた魂は響き合う。その歪さ故か、欠落を埋めようと引かれ会う。他者を恐れるが故か、欠落が補完されない矛盾。あるいは、人と人の出会う真実。
 けれど噛み合わない歪さ、そんな欠片で描く絵は、やはり歪のままで。

「――って言ってみると詩的かも知れない」

 呟き、踏み出す。真実とかその手の単語は、日常会話とは縁のないものだ。好んで使うのは、ノートにファンタジックな設定を書き殴る思春期くらい。

「卒業したよ、そんなもの」

 通った道ではある。口が裂けても言えないが。そして、司は更に一歩進む。
 感じる。魂が拉げそうな、引き寄せる力を。近づくほどに強く。通常の霊魂とは桁外れの引力。まるで質量の大きい天体ほど、その重力を高めるような。
 本来であれば、引かれ会った魂はその器によって近づける限界がある。規模によっては、器が悪影響を受ける事例も多い。剥き出しの霊魂であれば尚のこと。
 引き寄せ合ってくっついて、混ざって摩耗した成れの果て。表面は歪でも、惑星はおおよそ丸い形状に落ち着くように。
 結果、混沌が在るのみ。それでもテーマとも言える感情の共通点。言い様の無い、負の感情らしきものを魂で感じた。妖気と現すにふさわしい。
 そこに伴う司のイメージを現すならば、極小規模のブラックホールと言ったところか。時折視界に現出し明滅する幻覚は、凝縮された黒い点。

「死に際の感情なんて、後ろ向きなものさ」

 と、苦笑混じりに。世知辛い世の中であれば、なおさら。くそったれな世界とおさらばハッピーイェーイの鬼とか……昔は結構いたらしい。迷信を真に受けて。
 洗脳した対象を生け贄に、そして選別した魂を融合してハッピーな精神的引力で治世とか。大抵そっちは神扱い。後は宗教的、または政治的対立云々で臨機応変。
 更に歩いて、太刀の間合い。足運びは司自身、不用心の極みと感じられるほどに。普段であれば、幼い頃より学んだ体術で警戒心を呼び起こし、魂の防御を行うが。

「今回は、斬るのに全力投球の方が良いね」

 小細工は逆効果――。そうした判断の下、両の足はしっかりと砂利混じりの地を捕らえ。両の手にしっかりと握り直した柄は、額ほどの高さ。切っ先は天を突くように。
 司の掲げる凶刃は正しく敵意の象徴。ただ攻撃の意志に研ぎ澄ました魂が、刃のそれと重なり――。
 敵意に応え、黒点の鬼が奥底で蠢く気配を感じた。司は慌てる事もない。悪意と悪意が響き合えば、より強く引き合うのは道理なのだから。同時にそれは、鬼の存在が揺らぎ崩壊しやすい状態であると言う事。危険はあれど、それを補う程度には利点がある。この場を乗り切る程度の力は持っていると、自負している。
 司の魂にのし掛かる精神的圧力。それは実体を伴うと錯覚するほどに。以前の式神も何らかの干渉力場を内包していたが、やはり違う。濃密でありながら、それが上手く纏まっていない不安定な存在。
 存在の不安定さが底知れぬ雰囲気をかもしだし、より司の精神を圧迫する。司の魂における負の鬼が共鳴し、司の脳裏で閃く負の感情。
 怒り、悲しみ、憂い、恐怖。呼吸が乱れ、心臓の鼓動が高鳴る様が耳障りだ。ここで集中を崩せば魂が砕かれ、咀嚼される恐れがある。そしてそれは、確実に脳へ悪影響を及ぼすだろう。最悪、廃人だ。
 けれど、平気だ。まだ、耐えられる。

「伊達に引きこもりやってないからね」

 不健全な生活を送る人間にとって、自虐めいた精神的なブレはありがちだ。少なくとも、司にとっては日課のようなものだ。
 だから、慣れてる。ここで魂が屈する選択肢は無い。日常的な判断に影を落とすほどの重病でもなく、加えて精神科医にも頼りにくい身の上は、しかし鬼退治においてはある程度有効のようだ。
 戦える。そして、その自信は力になり、感情の反転。司の優越感に、鬼が気圧されるのを感じた。鬼に劣勢を立て直す知恵はない。一度優位に立てば、後は坂を転がるように崩壊の連鎖を引き起こす。
 勝利の確信と共に、司は太刀を振り下ろそうと、そう息む。
 けど、振り下ろせなかった。
 唐突に響き渡った思念へ、意識が吸い寄せられて。
 ――私たちは、仲間だ。
 それは実際のところ、漠然と浮かんだだけの言葉にならない揺らめき。けれど何故か、適切に訳せたという確信があり。
 鬼が鳴る、共鳴。思念の主との協奏、こんなにも激しく。魂を奮わす異次元的な帯域をまき散らす。司の魂も煽りを喰らい、その調べに飲み込まれる。
 心が沈む、共鳴。フラッシュバックする後悔に彩られた過去。湧く怒り。響く嘲笑。羞恥と恐慌。逃げ出して、もう戻れない、そのまま。
 嫌な事が脳内を埋め尽くし、濁った混沌、もう心が分からない、どうしようもなくなる――。

「カァッッッ!」

 無我夢中で一喝し、精神を白く塗りつぶす。嫌な事を思い出したら唸りたくなるように、一時そこから目を逸らす対症療法。それでも、そこから巻き返す方法はある。
 仕切り直しと太刀を一度振り下ろし、再度上段に構え直す。混沌とした負の感情、手綱を握ろうと想いの方向性を自己暗示で誘導する。感情の正負は、容易に入れ替わらない。けれど、同じ負であればある程度操作出来る。
 不安に彩られた日々の、胸をジワジワと苛む暗澹たる寂寥。すなわち、孤独。微かに身体が震えるのは強張った筋肉の緊張か、はたまた冷え切る心の表出か。
 ――孤独は、静かだから、一人で、僕だから。
 額を伝う汗を拭う余裕もない。堕落した虚無感に縋り、自己を確立する。そうすれば、混沌にかき乱される事もない筈だ。そう、ジメジメとした陰鬱に魂を浸せば。
 孤独、孤独、孤立無援の一人相撲。滑稽、滑稽だ。霊視抜きで傍から見れば、刀を携え一人震える物狂い。自虐、自らの胸中へ沈み込むイメージは加速する。
 拒絶、拒絶、拒絶。分かたれた。もはや鬼は司と別個。響き合っても、重ならない。そう今こそ――。
 一閃。その刹那に、冷え切った敵意が鬼を切り裂いた。自らも、諸共に切り裂いてしまいそうな鋭利さだった。きっと、自虐の現れだ。
 司の敵意が鬼を激しくかき乱し、その魂は不安定になる。そして、怒濤の如き勢いで広がっていく。それはあたかも水蒸気爆発――瞬時の蒸発により衝撃を伴う膨張。もはや魂の体を成さず、字の如く気体のようだ。
 広がる波、それは魂を揺さぶる精神的衝撃。司の魂は激しく揺らぎ、感情の変動とはまた別種の軋みを上げる。まるで雑音のような、明滅するかのような、不自然な思考の断絶。
 しかしそれも一瞬の事。意識が正常に戻り、そこで司は大きく息を吐き出した。

「終わった……」

 安堵しつつ、太刀を地へ突き立てた。初めて実感した魂の危機への恐怖は、酷く司の体力を損なった。今までに自分が学んだ知識、そして継ぎ足した技術が有効であったことは喜ばしい。
 けれど、それが必要になるとは思わなかった。いや、思いたくなかったというのが正確か。危機感の欠如甚だしい。予兆はもう在ったというのに。
 激しく肩を上下させながら、顔が引きつるのが分かる。そうだ、理不尽はいつも傍らにある。それは、自分の母とて例外ではなかった――。

「大丈夫か?」

 司への問いかけ。気付けば、傍らに黒いスーツを着た神崎勉。気遣う声が、司には白々しく感じられた。

「いつから、見ていたんですか?」

 問いを返した。努めて虚勢を張り、平然としている風に。

「そう言うな。お前の集中を妨げたく無かったんだ。それに、本当についさっき来たばかりだ」

 大規模な異変に気付きやって来たのか。そう言えば、妖気を感知する周囲の結界に、勉が機械的な発信器を連動させていた気が。よく見ると、勉の呼吸は微かに乱れているのが分かる。
 確かに勉が乱入すれば、司の集中力が散漫になる恐れがあった。それに、司が発狂寸前で踏みとどまれたのは、独りだったから。そうでなくば頼る心が生まれ、負の意志を逸らす事が叶わなかっただろう。初めから大人数だったならば話は別だが。

「情報収集くらいは、してくれたんですよね?」

「見に徹してはいたが、直接触れ合ったお前の方が情報量は多いはずだ」

「残念ながら、爆発で消し飛びました、色々と」

 気の爆発と意識の明滅が、司の魂に刻まれた共鳴の痕跡とそれを分析する余裕を吹き飛ばした。得られた情報は、司を飲み込もうとした強烈な共鳴に外部からの介入があった事くらい。

「残念ながら、こちらもそうだ。恐らく、自爆装置のような物が仕組まれていた」

 少々、爆発の効率が良すぎた――。勉の補足に、司は苦笑せざるを得なかった。

「あんなレベルの鬼にそこまで干渉出来るって、何者ですか」

「それが容易く出来る高名な技能者であれば、動向が把握できる筈なのだが」

 そうですか――。司は投げやりに嘆息し、太刀を引き抜いて家へ向かう。結局何も分かりそうにない。
 これだけの衝撃、周囲の霊も煽りを喰らったはずだ。少しは休めるだろう。封印もいい加減維持しなくてはならない。司は封印の支柱なのだから。

「今日は、もう眠って構わない」

「はい?」

 勉の言葉に司は思わず振り返り、怪訝な声を出していた。

「周囲の結界を、一時的に強化して霊の流れを妨げる。朝まで保つはずだ」

「ダムでせき止めたって、霊はこちらに向かってきますよ?」

 朝まで保とうと、溜まった妖気が夜に急激な活性化を引き起こす。そうすれば、魂が融合して鬼になりかねない。
 だから、司は毎晩わざわざ手ずから霊を斬っているのだ。

「夜明けギリギリに、こちらで一掃しておこう。丑三つ時も過ぎた。それほど労はないだろう」

「それだってかなりの手間でしょうに、別に平気ですよ?」

「無理をするな。魂が消耗しているはずだ」

 それに、と右手の人差し指を立てる勉。司はそこで一つ思い至った。

「そして、それを見越して追撃の恐れもある。警戒するから足手まといは引っ込めと」

「そう言う事だ」

「なら仕方ないですね」

 お気を付けてと言い残し、司はお言葉に甘えるとする。太刀を手に、家へ小走りする。
 でも、これなら普段から手伝ってくれれば良いのに――。司は一瞬そう思ったが、家へ毎晩踏み込まれると、きっと落ち着かないだろうなと自嘲した。



「……やられちゃった」

 断固たる拒絶が昴の魂にまで波及しかけた。即座に鬼を自壊させるように仕向けられたのは、昴にとっては僥倖とも言えた。
 更に、共鳴による反動が昴の魂を未だ揺さぶっている。落ち着かない。

「キツイか?」

 真が昴の頭に手を置いたまま、問いかける。真の不安そうな声に、申し訳なくなる。

「私は、大丈夫」

 出来るから、真が望んでくれれば。真が触れてくれれば、頑張るから。
 今この状況なら、昴は真の役に立てる。その素養が、昴にはある。実験を経て、出来るという確信も得た。
 だから――。

「でも、もうちょっとだけ触ってて」

 その言葉に真は頷き、昴の頭を撫でる。指先が、ゆっくりと頭頂部を。そこにある、昴の角を――。
 触れて良いのは真だけ。だから、二人の生活を勝ち取るんだ。
 昴は高ぶりと共に、唇を小さく噛んだ。


 続く



[16649] 十話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:ef634cca
Date: 2011/09/20 00:19

 勉は要の私有地となっている小山の麓周辺を走り回っていた。仮に何らかの儀式を行って鬼を制御していたというならば、何らかの物的証拠があるはず。それなりの規模であれば、周囲の霊脈に何らかの残滓もあるだろう。そう辺りをつけて。
 近隣の地を行く霊脈は規模の大きいものであるが、支流――あるいは毛細血管のような細々とした流れがそこから幾つも繋がっている。勉は、自分であればその辺りで人目に付きにくい場所を選ぶだろうと考え、そういった場所を中心に探っていた。相手にとって幸いな事に、郊外に位置する小山の麓はそういった場所に困らない。
 果たして予想と違わず、一時間経たずにそれらしい場所を発見できた。付近に点在する畑の一つ、その側にある茂みに。ご丁寧に結界で分かりにくくした霊脈への干渉、その痕跡がありありと残されていた。何が行われたのかも、おおよそ勉の予想通りだった。大気中における気の乱れを察知する結界を避けるため、地を行く霊脈を伝って何らかの干渉を行ったということだ。
 しかし、言うは易いが行うには難い技術。なおかつ、霊脈にはそう、鬼が潜んでいる。その封印が阻むこともある。なにより、鬼を刺激する恐れを考えなかったのか。そこに干渉するということは――。
 と、そこで勉の脳裏に閃くものがあった。

「いや既に、封印への干渉は示唆されていた……!」

 勉は臍を噛む思いだった。そう、司からそのような報告は受けていた。先ほどの鬼への干渉は、おそらくは封印された霊脈の鬼を利用したもの。封印へ負荷をかけ、それを軽減しようとする結果、封印よりあふれ出す有害な気。同時にその気を利用し鬼へと干渉。鬼を利用する際は、負の念を使用する方が都合がいい。
 そして、更に鬼を刺激した何かがあったはず。あの爆発はまるで、鬼が二体共鳴し合ったかのような規模――。そう、それほどまでに凄まじい何かだった。それに耐えきった司。

「……あそこまで、悠然としていられるものなのか?」

 その場を離れるべく歩を進めながら、勉は半ば問いかけるようにひとりごちた。その内心は驚愕に少しばかり揺れている。司が、鬼を前にして淀みなく対処する様に思いを巡らせてのことだ。
 鬼と向き合うということは、すなわち己の感情をかき乱され、負の念を呼び起こすということだ。人は生きる上で障害となる負の感情を忌避するのが普通だ。多少大げさな物言いにはなるが、つまりは負の念と向き合うということそれ即ち、死と向き合うという事だ。イレギュラーの起こる直前まで、司は傍目に機械的な対処をしていた。その様は、勉の常識から見れば異様とも言える。遠目に助けは要らぬかと胸をなで下ろす思いだったが。それに、推測が正しければ単なる鬼の調伏というレベルではなかったという事になる。

「通常であれば、護符の一つも掲げるだろうに」

 嘆息気味に呟いた。護符自体は、実質的な力をさほど宿さない気休めだ。それでも、精神的な要素の大きい禍払いにおいてプラシーボ効果というのは軽視できる要素でもない。……だというのに。
 その胸中がどれほど乱れていようと、それが表出する事もなく。自身が死に臨む幽鬼のごとく――。

「……むしろ、死を望んでいる?」

 それならば、説明の付く部分もある。不用意ともとれる対処は、胸中の発露ではないか。鬼との共鳴、司自身の魂が響きすぎてはいなかったか。爆発の規模はもしや、司に起因するのではないか。距離を置いた観察で、主観に基づく根拠の薄い推察ではあるが。
 ……魂が、鬼に近づいている?

「そもそも、神崎が率先して援助し手元に置きたがるのは、何故だ?」

 疑問は尽きない。役所からと隠れ蓑を被ってはいるが実質、司の生活は神崎の扶助によって成り立っていると言っていい。生活費から、除霊に用いる武器は特注まで引き受けている。勉も神崎本家の命令により、この任を受けるに至ったのだ。
 理由に関して、要が神崎の分家筋だということ。かつて神崎と要の間に結ばれた契約があるということは知っている。加えて、契約の内容も幾つか。利はあるものの、神崎という家が尽くすにそれだけでは不可解だ。

「要への執着心、使えるか?」

 応援の要請。通常の手続きであれば、別条災害対策部を通した仲介は非常に遅々としたものだ。だが、神崎に直接応援を要請すれば――。

「冷や飯食いの私でも、あるいは」

 ある程度の人材を動かせるかもしれない、と。
 実際は、それさえも希望的観測だ。人材不足はどこも同じ。霊障は時と場合によって死者を招く、立派な災害だ。しかし、この国の政府は他国とも比べて霊的存在を軽視する傾向にある。

「まあ、やるべき事をやるだけだ」

 既に事態は、別条災害対策部監察課巡察係に特別技師として籍を置く――つまりは単なる見聞役である勉の職務を越えた域にある。それでも、勉にはここで司を放り出すつもりはない。今はただ、自らが成すべきと思った事を為すのみだ。
 決意に拳を固め、しかし――。それでも、勉は思う。仮に二年前のような事例だとして、ここまで大それた真似ができる人材ならば、おさえて利のある霊脈か、あるいは大勢に干渉してパニックを引き起こせるような霊脈を狙えばいいものを、と。

「あるいは、要に何らかの含みでも在るのか……」

 ふと過ぎった、不吉な予感。だから、とは言わないが、人員補充は叶わなかった。


 キィキィ。
 ブランコが揺れている。子供が群れて、一人乗り、二人乗り、三人乗りにも挑もうと。
 キィキィ。
 三つ並んだブランコを取り合って、遊んでいる。はしゃぐ声に険は無く、無邪気に明るい喜びで満ちて。
 キィキィ。
 錆びかけのブランコ三つ、きしむ音。今にも壊れそうな音、それすら楽しみに変えて、はしゃぐ声。
 そしてブランコを放り出し、かけていく子供達。その先、小道を隔てた向こうには、広くぽっかり空いたグラウンド。
 ――キィ。
 まだ、ブランコは微かに揺れている。公園の片隅に、俺は一人。そして、少し離れてあいつも一人。
 あいつはじっと見ている、群が駆けていく先を。そこにはもっとたくさん、人が駆けて、声を上げて。
 あいつは珍しいものでも見るような、変な顔だった。格好も変。お祭りでもないのに、着物を着ている。

「向こう、いかないの?」

 思わず、聞いていた。
 目があった。同じ組の子より、ずっと可愛い女の子だと思った。

「そっちは、いかないの?」

 首を傾げて、小さな声で聞き返してきた。ムッとなったのは、痛いところを突かれたからじゃない。礼儀知らずな奴だからだ――。

「いいんだよ。僕は、ブランコ待ってたんだから」

 俺はブランコに飛びついた。ゆっくりと、立ちこぎを始める。そう、俺はブランコで遊びたいんだ。自分に言い聞かせて。別に、他の奴となんて、遊ばなくていい。
 ……嘘だった。引っ越してきたばかりで、自分の部屋ができたのは嬉しくとも、周り全部が知らないもので、不安だった。だから、余裕なふりをしているだけだ。
 ブランコの漕ぐ勢いを強くしようとして、けれどあいつがこっちをじっと見ているのが気になって、出鼻を挫かれたような気分で。

「一緒に遊ぶ奴、居ないの?」

 そう聞いたら、ちょっとしてから頷いた。

「じゃあ、僕が一緒に遊んであげる」

 そうだ、こいつが一人じゃ可哀想だからだ。俺が一人でつまらなかったからじゃない――。
 いや。
 ほんとは、ただの強がりだった。誰かに、偉ぶってみたかっただけだ。

「僕は、大山信治だよ」

「……かなめ、つかさ」

 俺の名乗りに、あいつは小さな声で応えた。そう、こんな出会いだった――。


 低い振動音が響いている。
 ……携帯が、枕元で揺れている。耳元のバイブレーションはやけに耳障りで、半ば反射的に手を伸ばしていた。
 覚醒。頭にちらつく夢の断片的記憶、たしか小学校にあがるかどうかというくらいの時だったか。軽く苦笑しつつ、俯せだった姿勢から身を起こした。
 振動時間が長い。電話、誰からだろう。通話機能とか、使用するの久々で動揺を禁じ得ない。ついでに言えば、着信メロディは山ほど蓄えてあるが、常時マナーモードの俺に意味は無かった。
 二つ折りの携帯を開き、そこに映る名前に思わず顔をしかめた。それでもとりあえずと、通話ボタンを押した。

「もしもし?」

『大山、オレオレ』

「うん、中村だろ?」

『そうそう、覚えてたか。元気してる?』

 つい確認していた。携帯じゃ、声が微妙に分かりづらい。まあ、登録番号は中村の携帯からなんだけど。
 つか、覚えてたも何も、入学して一週間位したとき駅前で会ったろ。
 道ばたでコイツにボッチだと囃し立てられ、笑いものにされた恨みは忘れていない。コイツはその時のメンバー毎に性格が一変するのがウザかった。

「で、何かあったの?」

 メールじゃなくて電話という辺りがねぇ。中学時代は男同士で電話なんぞ殆ど無かったというに。

『それなんだけどさ、お前って要と今も合ってんだろ?』

 何故でそこで司の名前が出る。

『広美のことで、相談したいんだよ』

 ――いいか?
 次いだ言葉はどこか語気荒く、断りづらい雰囲気を醸し出していた。

「広美って誰よ?」

 何処かで聞いたような気がしないでもないけれど。

『え、つい昨日会ったっつってたぞ』

 昨日……ああ!

「えーと、西さんだっけ?」 

 そういや、司がそんな名前言っていた気が。

『そうだよ。オレと付き合ってたの、知らなかったのか?』

「いや、そう言われても……」

 どうして非難するような声なんだ。頼みがあるのはそっちじゃないか。

『広美、要と結構仲良かったんだろ?』

「だから、知らないって」

 中学に上がってからしばらくは司と会う回数減ってたし、特に尋ねたりもしなかったから交友関係はサッパリなんだよ。

『なんだ、アテにならなさそうだな』

 落胆混じりの声。
 ……なんかむかついてきた。
 
「だから、なんだってんだよ」

 うん、なんかコイツがとことん嫌いになってきた。

『なんだよ、キレんなっての』

 だからダチできねんだよ――。その一言が何気にクリティカルヒットだった。

「いいから、さっさと本題言ってくんない?」

 つか、切るぞ。つか泣くぞ。

『あー、もしかしてこないだの事、根に持ってる? わりわり、軽い冗句だったの』
 
 コイツ微塵も悪いと思ってない。もうコイツとはこれで最後だ。
 だから、早く言え――。決意と共にそう促すと、中村は軽く咳払いしてからこう言った。

『広美と要が話せるように、取り持って欲しいんだ』


 きっかけは些細なことだったと、そう覚えている。
 余りに些末で、具体的にそれが何だったのか忘れるくらいには。


 ――嫌な夢見た。
 そう呟いて、司は思わず顔をしかめていた。自分が家に引きこもる少し前の夢だ。
 眠りが浅かったのか、疲労が抜けきっておらず、体が重い。妙に目が冴え、寝直す気も起きない。

「本当の友情とか、痛い妄想を信じていた時期が僕にもありました……」

 身を起こして軽く伸びをする。あるいは夢見の悪さも、昨夜の鬼による後遺症かもしれない。そう思いながら、意識を嫌な思い出から逸らそうとする。
 でも、無駄だった。吐き気と共に、内側からせり上がってくる。口内に酸っぱいものがこみ上げるような、そんな気さえしてくる。
 ――あー、メンタル弱いな、アタシ。
 呟いてから、僕以外の一人称を使ったことに気づき、強烈な違和感を覚えた。僕という一人称を周囲がいぶかしむので、人前では極力使わないようにしていた。思い出したせいか、アタシと言ってしまったのか。
 いやそもそも、なぜ僕と言っていたのか。小学校の時から、いつの間にか使っていた。おそらくは母のせいだろうと思うが。
 後、男の子がいれば――。そう、寂しげに漏らしていたのを覚えている。
 だから息子が増えないかな――。信治に向かってにやけた笑みで告げる母の声が鮮明に再生された。
 ……思わず苦笑が漏れる。先ほどまでの不快感もあっさりとなりを潜めた。
 ――今日、信治は来るのかな。
 気になる。メールして、確かめよう。あんまり気にしてるみたいだと恥ずかしいから、百均でなにか買ってくるように頼む内容で――。


「鬼瓦が手がけた鬼子とやらの性能を、確かめてみたい」

 つまるところ、鬼瓦真が妹である昴を連れて縁が丘まで駆り出された理由は、そんなところだ。
 要は神崎の分家筋で、家を永らえる支援を得るため、男児を生まれる度に差し出している。つまり、それだけ神崎は要に生まれ落ちる人材を重要視しているのではないか。
 鬼の封印を支えたせいなのか、それとも他に何らかの理由があるのか。成る程、要司は恐るべき祓い師だ。
 神崎の一族すら上回る様を見せつけ、華々しくデビューし、鬼瓦のお家を再興する。言ってしまえばそれだけのことだが、やはり緊張を伴う。
 神崎――かつて巫の代表だと自負し、名を持たないことで知られていたと耳にしている。事実、巫のあの家で通じる、それほどの一族であったと。かんなぎから転じて、かんざき。
 しかし、その隆盛も今は昔。取って代わろうとする勢力がいくつもある。そんな派閥に力を見せつけ、取り入る必要がある。そう、祖父から命じられている。

「難しい顔して、どうしたの?」

 ベンチに座り俯きがちだった真をのぞき込む昴。

「なんでもないさ」

 そう言って笑んでみせる。それが強がりだと、昴には気づかれているだろう。昴は、真をよく見ているから。

「あんまり遠出は出来ないけどさ、公園まで散歩はさすがにセンスなかったかな」

 そう、これは自嘲さ。

「別に、かまわないのに」

 隣に座って微笑む昴。その傍らに、気まぐれな黒猫がひょいと降り立った。

「今夜中に片を付けて、どっか遊びに行こうぜ」

「うん、頑張るから」

 そう、妹に頼りきりの自分に対する、自嘲だ。にゃぁ。二人の間で丸まっている黒猫のニムは、関係ないとばかりに一鳴き。真は、何故だかあてつけじみた物を感じた。
 思わず喉の奥から漏れた苦笑。真は表情を歪めたまま、なんとなくニムへ手を伸ばしたが、前足で払いのけられた。
 

 続く



[16649] 十一話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:2c0bd367
Date: 2011/07/18 21:29

 咲耶は縁側に腰を下ろして、足をぶらつかせていた。姿勢も、何処か力なく、だらしなくなっていると自覚できた。
 こういった無駄な所作など、はしたないという堅い考えは自身にあったのだが、誰も自分を知らぬところにいるという開放感と、不安を塗り潰そうとする虚勢がそういった態度を取らせている。そう思い至ったところで、咲耶は小さく自嘲の笑みを溢した。
 視界に映る庭先、その先の小さな垣根。映る片隅に、太郎が立っている。ぼんやりと虚空を見つめる咲耶の視線、その先も追っているのか、キョロキョロと。
 ――角に意味など無い。
 そう、太郎はただ奇形に生まれついただけだろう。頭に角などと、不自然なまでにそれらしいとも思えるが、それだってあり得ないというわけでもない。
 呪い屋には重宝されていた一面もあったらしいが。醜さが生む迫害、魂が汚れ、卑屈な精神に伴い迫害が加速する。果てには周囲の嫌悪感さえも共鳴し、悪循環する先にあるのは負に満ちた魂。それは鬼の苗床として、上等だろう。
 そう理屈を言えば、この子は楽になるのだろうかとも考えた。答えは否。本質に意味など無い。咲耶はそのことを痛感している。咲耶だからこそ、とも言えるか。
 人というのは見た目に頼り切っている生き物なのだから。魂という、心の一端に精通している者達でさえそうなのだ。学がなければ純粋かもしれないという偏見じみた期待は、既に道中で捨て去っている。

「咲耶の姉ちゃん」

 咲耶に声をかける太郎。言葉が届くと同時に、魂の一端が触れ合ったような感覚さえあった気がする。かすかに、ではあるが。
 生者の魂は亡者のそれよりも強く、しかし何処か曖昧だ。互いにそんな具合だから、触れ合ったと思えば、揺らいで逃げていく。条件付けなどによる例外もあるが、常人はまず無理だ。だが、自分と太郎は存外親しく響くようだ。
 ……そんな、親近感もあった。
 変わった見た目だということが、その自分に必死ですがりつこうと甘える様を、咲耶にはどうも他人事とは思えなかったのだ。すり寄ってくる太郎をあっさり受け入れ、あまつさえ地主に太郎を入れる許可さえ求めていた。
 許可もあっさりと下りた。畏まった様子の地主は、何処か得心が行ったと頷いていた。また、太郎を忌々しげに、また何処かおびえた風に見つめていたことに引っかかりを覚えたが、それもどうでもいいことだと割り切った。
 どうせ、自分は――。
 そう。結局のところ、咲耶が初対面である太郎をあっさりと受け入れたのは、そんな投げやりな気持ちが大きかった。
 どうでもいい、と。
 そんな自分を嫌悪する気持ちもあった。それから太郎にどう接すればいいのかという戸惑いも。
 しかし、その一方でいつまでも思索に拘泥していても仕方ないと割り切ろうとする自分もいた。役目を忘れてはいけないと。
 そして若干の逡巡を経て、感情的な事はひとまず置いて役目に取りかかろうということに帰結した。先送りである。そして、それは実質、永久に思考を放棄するという事であると気付きながら。
 ……まずはそこらを見て歩こう。霊脈を知らねば話にならない。鬼がいないか、夜に亡霊の動きも見なくてはならない。立ち上がって、庭に出た。

「出かけるが、着いてくるか?」

 そう問えば、間を置かずに太郎は近づいてくる。そして門の方へ向かおうとしたところで、遮るように立つ男が声をかけてきた。

「お出かけですか?」

 もう少しゆっくりすればいいのに――。そうぼやきながら、男は近づいてくる。
 長身痩躯の、長髪を後ろに束ねた男。衣はそれなりに上等で、一見しただけでも丁寧で穏やかな所作が伺える。しかし、その端々に慇懃無礼という言葉を連想させる何かを匂わせる。
 そして、それは男の職に伴う偏見でもなく、人を不快にさせることで愉悦を感じている男の性だと、咲耶は確信している。

「じっくりとやればいいんですよ。貴女の御父上だって、そこまで気負う必要はないと仰っていたでしょうに」

「口出しするな、人買いの分際で」

 男の言葉に思わず悪態を返していた。今更になって遠慮する必要も感じておらず、どうせ悪感情はお互い様だ。
 そう、男は人買いだ。おそらくは、その中でも酷く質の悪い類だろう。そして咲耶をここまで連れてきた。実際に籠で運んだのは、いつの間やら男の傍らに音も無く侍っている無表情の男二人だが。
 人買いは咲耶の暴言を意に介した風もない。涼やかに笑み、次いで言う。

「まだ若いんだ。そう生き急ぐこともないでしょう?」

「死に急ぐの間違いだろう。つまらない皮肉だ」

 そう、つまらない皮肉だ。喉を鳴らして、人買いを嘲笑する。……強がりも多分に入っていたが。
 太郎の手を引いて、男から目線を背けて歩き出す。太郎は戸惑った様子だったが、男への嫌悪感と憤りが、太郎へ気を配るよりもこの場を離れたいという思いを後押しした。

「所で、そのお坊ちゃんとはいつの間にお知り合いになったんで?」

 人買いの傍らを行き過ぎる時、問いかけられた。

「どうでもいいだろう。お前の口出しすることではない」

「いえいえ、そういうわけにも。巫の御当主様にも気にかけるよう言われていまして」

 拒絶の意を含んだ言葉にも、人買いは食い下がってくる。咲耶を阻むように、立ち位置を変えた。その足運びから、咲耶を容易く押さえる程度に嗜んでいるようだ。むしろ、それを意図的に見せつけているような節が伺える。

「なら、当主にも伝えておけ。咲耶は、一人でも必ずやお役目を果たす、と」

 微笑をたたえる相貌を睥睨し、断言した。

「それはそれは、御立派なことで」

 顔の皺を深くして、人買いは咲耶に囁きかけた。咲耶を見下すような、嘲弄の色もより濃くして。

「御当主も、貴方様には期待なされてます。咲耶の御嬢様なら、必ずやそれに応えられると、私めも確信しておりますよ」

 微かに笑いを含んだ声で告げると、人買いは咲耶の前から退いた。咲耶も太郎を顎で促しながら、踏み出した。

「……何か入り用であれば、遠慮無く告げてください。禍払いに必要な物もある程度都合できます。ここには、もうしばらく逗留させていただくつもりですので」

 更に継いで投げかけられる言葉、その中の含みを解さぬ訳もない。咲耶は足を止めて、すぐ後ろの人買いに首だけ向けて告げた。

「何も必要ない。監視も、だ」

「滅相もない。単に、ここの地主様に御用聞きするというだけです」

 お得意様ですので、物の都合から不要品の下取りまでね――。なるほど、吐き気がする。

「私の方は気にするな。言ったとおり、必要な薬は全て用意してある」

 必要とされるであろう、心持ちを上向きにするための薬は、懐に忍ばせている。

「そうですか。まあ、不足の品がございましたら、一声かけていただければ。不測の事態というのは、あるものです」

「ご忠告、痛み入るよ」

 上手いこと言ったつもりかくだらない――。
 そう内心で毒づきながら、苦笑混じりに返答して再度歩を進める。
 もうこの場に止まりたくない。軽く吐き気を覚えながら、そう感じていた。

「――そうそう、太郎の坊ちゃんとは仲良く、ね」

 最後に投げかけられた言葉、咲耶はそこに違和感を覚えた。
 なぜ太郎の名前を知っていたのか、と。咲耶との会話を聞いていたのか、それとも他に――。

「まあ良い」

 嘆息気味に呟いた。どうせ良からぬ事を考えているに違いない。いや、それならば良くはないか。

「太郎」

「なぁに?」

 先ほどは口を挟めみにくいのか不安げな態度だったが、今はそれが幾らか和らいでいる。

「これから村の端の辺りから回って、近くの山や畑まで見ていくつもりだ。そこそこに広い村だから、私が迷ったら案内を頼む」

「……うん、分かった!」

 躊躇いがちで、けれど力強い返事だった。実際の所、村の周りを軽く見る程度にするつもりなので、案内などは不要だが。声を掛けておかないと、何故だか不安だった。
 はにかみ微笑む太郎の手を引いて進む。少し高いところにある屋敷から、ゆっくりと人々の営みを感じる場所まで降りていく。咲耶も、口の端を少しつり上げて。
 ……所詮は、強ばった作り笑いだ。
 咲耶は一歩下るたび、奈落へ下っていくような、そんな感覚に取り憑かれていた。
 それは、鬼の手招きか。
 はたまた――。



「不安、なのかね」

 一応言うだけ言ってやるって、中村に言っちまったしな。けれどデリケートそうな事に突っ込むのって、俺としてはね……。
 普段の司とぶちまけあう自虐ネタとはまた違った感じがして、嫌だわー。
 天気もなんだか俺の気持ちを反映してるみたいに曇ってればいいけど、実質晴れだわー。

「思い出の場所とか、そんなのに浸るような人間じゃなかったつもりなんだけど……」

 ただいま私は途中百均を経由し、司の家が近い広場に来ています。向こうでカラーボールを弾ませる似非ベースボールプレーヤーが数人伺えますね。いやぁ、端っこに長年放置された、板が若干湿ったベンチは座り心地が悪いですねー。
 ……昔はこんなんでも気にせず座ってたのにな。俺も、昔と変わってるわけだ。人へ積極的に声を掛けられなくなった辺り、人間として著しく衰えた気がするのは気のせいじゃないだろう。

「はぁ……」

 ため息ついて、手元の携帯に目を落とす。司からのメール。

『選ばれし戦死よ……。どうか、世界に希望の光を……しお……からを……頼んだ……ぞ……』

 つまり塩辛買って来いってこった。誘いのメールには思えない、ネタまみれ。戦士と戦死を誤字ってるし。
 普段はもっと無味乾燥で簡潔なメールなのに。そんなに塩辛食いたいか。まあ買ってやったけどな、百均で。小さなパックの割と美味しいやつ。当然、後でその分は請求する。
 ……例の件は、言わない方が良いのかもしれない。妙なテンションで、今刺激したらやばいんじゃねぇか?
 そして中村の軽薄そうな笑いが脳内でエコーする。……やはり、頼み事を聞いてやる必要も無いか。
 なんか苛立って、声を上げたい気分。傍らに置いた、百均で買ったブツの入っているビニール袋が風に揺れるのが、やけに不快だった。いや、物が物なので若干かさばるんだけど、入り口に停めた自転車の籠に残す度胸なんて無かった。ああ、入り口の分離柵ウザい。
 広場の向こう、デコボコの遊歩道を挟んだ先は小さな公園。砂場とブランコと、昔は滑り台もあったかな。遠目にも撤去されているのが伺えるけど。
 
「公園、行ってみるかな……」

 言葉にしないと、行く気になれないくらいかったるい。でも、ここで逃げたら負けた気がする。
 ……多分、司と初めて会った場所で。だから、来てみたくて、行きたくなくて。
 結局、ノスタルジックな感慨に浸りたいという思いが俺を後押しした。
 広場を横切って歩こうとも思ったが、自転車を放置するのがやはり何となく不安で、遊歩道を大回りして公園へ。
 そして俺は、やっぱり引き返そうかと思った。
 いや、だって、いるし。その……鬼瓦さん。
 目、合ってる。
 ……気まずいわー。
 小さい子といるし、ご家族ですかー?
 挨拶するかどうか俺が躊躇っていると、子供の方が鬼瓦さんを見てから俺へ駆け寄ってくる。水兵服的な雰囲気の伺える、色の淡い半ズボンセーラー服に大きな帽子。
 ん、なんか見覚えが。
 そして、その子はぺこりとお辞儀する。

「こんにちは」

「あ、ども」

 思わず恐縮してしまった。いや、だって、いきなり挨拶されるとか、予想外すぎて。

「この間は、レンタルショップでお世話になりました」

 あ、あー、あー!
 あの時のマイナーアニメ借りようとしていた強者か。

「えと、鬼瓦真の妹で、昴っていいます」

 ――お姉ちゃんの友達ですか?
 その子――昴ちゃんは上目遣いで俺の目をのぞき込み、次いでそう言った。


続く




[16649] 十二話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:2c0bd367
Date: 2011/09/20 00:19

 現在、鬼瓦家には男子がいない。跡継ぎがいないということだ。
 当然、余所から婿を取るという手段もある。だが、出来ない。
 正確に言うならば、今まで守ってきた鬼瓦の家格を守れるだけの家との縁が失われているとのことだ。もはや没落して久しいというのに、愚かしいことだと真は思う。
 そして、愚かな家に今なお媚びようとする自分もまた、滑稽だ。
 自分が男のような乱暴な口調を好んで使うようになったのは、そのような考えに基づく結果だろうという自覚があったから。
 男が求められていて、その代わりになろうとした。そんな浅薄な理由から、ということだ。 
 当然の帰結か、そんな真に向けられる目は多くが侮蔑を多分に含んでいた。家だけでなく、義務教育の中で口調を馬鹿にされて打ちのめされて、他人の前で地を出せなくなった。これで家を盛り立てられるほどの実力が、結果が伴えばまだ良かった。
 しかし、当代一の才覚は妹に宿った。
 妹は、昴は鬼子だった。正確に言うならば、鬼のような魂を宿しやすい、突然変異の奇形。
 角を持った鬼子はもはや生物の枠を超えた別種の魂を持ち、鬼を従えるに易いと、実際にその傾向があると聞く。近年になり統計的な調査をし、ようやく明らかになったことらしい。
 実際は古くから分かっていたことで、鬼瓦が分析の素材を一定量用意できるだけの機会にめぐまれなかっただけ、というオチもあり得るが。現状そういった情報は、役所からのお零れに預かるしかない。
 鬼瓦は修行――正確に言うならばそれに伴う自己暗示で鍛え上げた精神を以て、鬼を調伏することを生業としていた。鬼瓦という姓も、魔除けとして用いられる瓦に因んだ物だ。
 そんな鬼を忌避する家だからこそ、鬼子を疎んだ。鬼を引き寄せ、それを容易くねじ伏せる強度を持った異形の魂を。もしくは、そのような環境に育まれるからこそ、妹の昴はあれほどとなったのかもしれない。
 昴の魂は、負の念に囚われたときに鬼を引き寄せる性質を持っていた。
 幼子というものは己の心に素直なもので、負の念を抱くことはしょっちゅうだった。そして時折鬼がやって来ては払われた。
 その時点で見捨てられなかっただけ、幸運だったのか。もしくは、家の人間達は昴の活用方法を見いだしていたのか。厳しい教育の果て、昴は己の魂を乗りこなし、思念の方向性に干渉、つまり鬼の行動に一定の制限を加えることが出来るまでになった。
 そして、まだ六歳でありながら不相応なまでに、己を律する事に長けた少女となった。

「お姉ちゃんのお友達ですか?」

 どこか媚びる風に、目の前のクラスメート――確か大山だったか――へ話しかける昴を見て、ずいぶんと猫を被るのが上手だと、改めて感心した。

「え、いや、なんつーか……」

 お友達。そう問われれば違う、と思う。向こうだって同じはずだが、答えに窮しているようだ。
 この子に向かって、違うと言い切るのが難しいか。だから昴の肩に手を置いて、よそ行きの声で諭す。

「昴、この人とは学校のクラスメートなの」

「じゃあ、お友達でしょ?」

 即答だった。何とも嫌な決めつけだ。何かの当てつけだろうか。
 同じクラスだからってそうだとは限らねぇんだよ――。そう声高に主張したかったが、声が出なかった。

「私もね、さくら組みんな、おーちゃんとか、みっちゃんとか、みんな仲良しだよ?」

 あと、やっくんとか、りっくんとかもね――。え、何そのリア充ぶり。
 真はひたすらに妹の交友関係に圧倒されるばかりだった。幼稚園の先生が組の人気者って言ってたけど、本当だったのか。
 その割には、休日遊びに行かなかったけれど。ま。霊脈の探索に時間かけたせいだけど。

「ええとね、まだ、お友達じゃないっていうか、旬を逃したっていうか……」

 高校生活最初の一週間で、スタート出来ずに大転けした結果というか。まあ要するに便所飯が似合いそうなボッチちゃんなんですが。
 ボッチちゃんだけど、略すとぼっちゃん男の子、なんつて――。うわあい俺のばーか。

「お姉ちゃんと、お友達じゃないの?」

「う、うんまぁ、あー、そんな感じ」

 昴の無垢を装った問いかけに、大山はかなり動揺しながら答えていた。
 単なるクラスメートだけど、それだけだけど、友達じゃないって断言されるというのもなんだか屈辱だった。
 と、そこで昴はいたずらっ子じみた笑みを一瞬こちらに見せ、それから大山に向き直った。

「まだなら、今お友達になればいいよ」

「へ?」

 真は思わず素っ頓狂な声を上げてしまい、その意味を飲み込むまで間を要した。

「ねぇねぇ、お兄ちゃんって、お名前なんて言うんですか?」

「あ、大山信治っていいます」

 大山、何故に敬語だ。
 え、というか、昴の言うこれからって、その、つまり――。

「じゃあ、信治お兄ちゃんだね」

 ――お兄ちゃん、お姉ちゃんとお友達になってあげてください。
 そう言って、昴はぺっこり頭を下げた。
 ……今この時、何かに負けてしまった気がした。というか、昴に負けた。その、いろいろな意味で。

「え、あ、いや……」

「嫌、なんですか……?」

 動揺していた大山に、昴が上目遣いで追い打ちを掛ける。芸の細かいことに、その声は何処か上擦っていた。
 
「そ、そんなこたぁ無いよ!」

 大山も、屈したか。

「じゃあ、お友達だね!」

 ……えー?
 握手、握手――。昴は弾んだ声で、真と大山の手を交互に近づけるよう引っ張って。
 お互い、されるがままで。
 触れ合って。

「――握手、ね」

 静かに囁いて、昴が微笑んだ。
 その、普段のような起伏を感じさせない口調が、何故だか酷く穏やかで頼もしくて。

「えー、その、よろしくお願いします、ね。鬼瓦さん」

 大山は酷く畏まった風だった。

「え、ええ、うん。よろしく、大山君」

 真の声も何処か上擦っていた。
 そして改めて握る手は、少し汗ばんでいた。それが少し不快で、けれど人間の手を握っていると言うことを、真に強く実感させた。
 これで、友達なのか。
 何ともあっけなく、そして真のイメージとはかけ離れた、歪さ。こんな形で、友達だと言えるのか。
 いやそもそも、大山はこれを本気にしたのだろうか。その場限りのごまかしと考えた方が自然だ。
 昴は、今度は抱えたニムの前足を大山に握らせている。真にはなつかない癖のだが、昴には従うがままだ。
 真がそう考えた矢先、話を振ってきたのは大山だった。

「じゃあさ、メールアドレス、交換しておく?」

 大山がそう言って、携帯を取り出した。真もそれに頷いて、アドレス交換する。赤外線でのアドレス交換は初めてで、少し手間取った。
 それからどう話題を次げば良いか悩んでいたら、メールが届いた。目の前の大山から。件名は挨拶、本文内容は簡素で宜しくと一言。ほぼ同じ内容で返信した。
 ……こういったやりとりが新鮮ではあるものの、地に足が着かないような不安感が伴った。
 再び、沈黙。
 そこで口火を切ったのは、昴だった。

「ところで、お兄ちゃんは何をしに、公園に来たんですか?」

 そう言えば、大山は手に袋を持っている。水のペットボトルが覗け、他にも何か入っているようだ。買い物帰りだろうか。それにしては近くに店も無い公園に寄るのは少しおかしい。

「あーうん、友達の所に行く前に何となく寄ったんだ」

「お買い物は頼まれ物ですか?」

「それもある。ネタっつうか、差し入れとかみたいなの、あるけど」

 ペットボトルのパッケージには『純水』とあった。純水とは、あれだろうか。不純物が含まれない絶縁体で、漫画とかで水を操るキャラクターが雷を防ぐのに使われる――。

「まあ、長期保存に適した水で、あと、ご飯のオカズだよ」

 ……自分の知識は酷く偏っているようだ。

「ええと、じゃあ、お友達を待たせるのはまずいですか?」

 昴の問いかけに、大山は躊躇いがちな頷きを返した。

「ごめん、そろそろ行くね」

 真に向かって会釈して、それから傍に停められた自転車に小走りで向かっていく。
 ……一声、掛けるべきだろうか。

「またねー!」

 大きな声で、笑みを湛えつつ言ったのは、昴だった。
 それから昴は真の脇を小突いた。ほら――。昴の呟きに圧され、声を絞り出した。

「また、今度ね!」

 声は自分でも意外なほどになめらかで、明瞭だった。そして大山の姿はすぐに見えなくなった。
 そしてこの時、真の中で何か重しがとれたような、鬱屈を洗い流す高揚感が生まれるのを感じていた。
 けど。

「――それで、これはどういうこった?」

「もうちょっと、真は社会勉強した方が良いと思って。お試しのきっかけ」

 先ほどまでとは打って変わった、昴の淡々とした静かな声。

「それでも、心の準備ってもんがな……」

「そんな事言ってもたもたするから、友達いないの」

 言い訳がばっさり切り捨てられた。

「でもな、あんまし図々しすぎても、向こうがなんて思ってるか……」

「だから、手伝ってあげた」

 普通の人なら、少し喧しくても子供は怒りにくいでしょうから――。つまり、友達作りのお試しを手伝うというだけでなく、大山の人となりを推し量ろうとしたのか。

「それに、私を出しにして話題も作れるでしょう?」

 お見それしました。真は昴に深々と一礼した。

「アドレス交換してもらったんだから、そこまで悪い印象じゃ無かったと思う」

 後は、真次第――。それが一番の問題だが。

「ちょっと話した印象だけど、そう悪くないと思う」

 あの人は真に似てるよ、と。
 ……そうだろうか。思わず顔をしかめながら、真は手元の携帯をのぞき込む。新しく追加されたアドレス帳。
 大山、信治。
 ちゃんと、下の名前も覚えておこう。
 そして、一度だけ呟いた。大山信治――。


 続く

 ようやく折り返しに来ました。期待する人も少ないでしょうが、これからはペースを上げられるようにがんばります。



[16649] 十三話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:2c0bd367
Date: 2011/11/07 01:17

 ――離さないで。
 司に纏わり付く思念。それを言葉にするならば、このような所だろう。昼間であっても、鬼が湛える思念は生者の気をはね除けるほど強固で、途切れない。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、前、行……」

 司はその呟きを淡々と繰り返す。同事に中指と人差し指を揃えて立て、宙へ格子を描くように踊らせる。
 台所の床下収納に偽装したむき出しの地面、そこに在る封印の要石。身を洗い清め、白装束を着る。微かに腐臭漂う地べたへ降り立ち石に触れ、九字を唱える。一連の流れは実利というより、司の精神を整え『調律』に適した状態に移行させる為のものだ。そう、訓練させられた。
 『調律』とは詰まるところ、封印を緩めて鬼の魂に自らを浸して、鬼を沈静化する儀式である。封印の要である司自身と、鬼の結びつきが強くする。そうすることで、鬼を封印に縛り付けるのだ。
 しかし、司は思う。縛り付けられているのは自分自身、要の者こそが封印という名の牢獄にいる、と。自身の姓である『要』とは、示すとおりに封印を維持する要訣たる証。それが皮肉にしか聞こえない。
 何度、役目を投げ出し逃げたいと思ったか。見聞役という名目の監視も、神崎勉に継がれてからはずいぶんと甘くなったように感じられた。そう、簡単だ。自由になることなんて。
 けれど、無理だ。家を離れることを許されないのは、封印が維持できないからというだけでない。そこに酷い罪悪感を伴うから。しかし、それは使命感などという高潔な意志の表れではない。
 実のところ、一度だけ逃げだそうとした。母の死に立ち会って間もなく調律を引き継ぎ、けれど孤独の重圧が司の精神を苛んで、自棄になって。
 今でも覚えている。逃げ出す瞬間は興奮し、愉悦があった。けれど、家を離れる距離が開くごとに込み上げるのは、不快感だった。後ろめたいような、落ち着かない気持ち。そう、例えるならば、泣きじゃくる幼子を置き去りにするような――。
 あるいは、体の一部をごっそり失うような、強烈な違和感。そこに居るべき、ではなく居るしかないと思わされる。そんな真綿で首を絞めるような強制へ反抗心を覚えながらも。
 そして落ち着けば、逃げ出してどうやって生きていくのだという冷めた思いも湧き上がる。そうまでして押し通すべき自分も無く、結局は流されるままが一番楽で。
 そう、ここに居るしかないのだ。そう諦めると鬼への同情が強まるのを感じ、調律を終えた。
 諦観が心を支配すると、その先にあるのは安堵。そして、封印へ愛着すら湧き上がってくる。それも一時の事に過ぎないが、調律を繰り返せばその先は目に見えている。

「くだらない……」

 自嘲に顔を歪めて吐き捨てる。封印が解けたところで、さして迷信深い人間も居ない現代においてどれだけの脅威なのか。
 そして、鬼は徐々に衰えている。封印は鬼を鎮め、その魂を大地へ還す為のものだ。その日は、もしかすれば司の生きている内に来るかもしれない。このまま順調にいけば、そう遠くないのではと、調律の手応えがあった。
 床に上り、あらかじめ用意してあったタオルに足を着き、汚れを拭う。白装束の帯も緩め、脱ぎ捨てようとする。くだらない。このままで、いたくない――。
 そしてそこにも、後ろ髪を引かれるような感傷がついて回った。
 ――鬼の名を呼んではならない。
 鬼との境界線を引く。それこそが封印の本質とも言える。そう、教えられている。
 名を呼べば、鬼を強く想ってしまう。鬼に呑まれてしまう、と。いっそ、その方が楽かもしれない。司はそう思って、けれど……。

「信治」

 自然と口を突いて出たのは、友人の名前だった。
 ……そうだ。それこそが、唯一司が縋ることのできる縁なのだ。

「うわ、僕って重いわぁ……」

 乾いた笑い声を漏らし、けれど心の何処かが軽くなったような気分で。自分には、まだ友達がいる――。

「信治、もうちょっとしたら来るかな……」

 早く着替えてしまおう。そう思って、跳ねるように自室へ向かう。
 そして、ふと頭を過ぎるのは、強烈な不安感。
 もし、信治がここへ来なくなったら、自分が忘れられたら、と。

「そんなコト無いさ」

 あいつ、他に友達いないから――。喉を鳴らし、苦笑しながら呟く。

「そんなコト、無いさ」

 それが根拠の薄い強がりだと理解しながら、呟いた。



「純水?」

「そう、純水だ」

 水の使い手が雷属性の攻撃を防ぐときに使われる――。俺はそう次いで、袋から取り出したペットボトルを突きだした。

「塩辛は?」

 司の反応はお寒いものだった。これを百均で見つけたとき、俺がどれだけ興奮したか。お前ならば分かってくれると信じてたのに。
 とりあえず塩辛を取り出して、司に渡す。

「ほれ、塩辛だ」

「ありがと。じゃ上がってー」

 そういや、玄関だよ。靴も脱がずにいきなり『純水だー』は引くよなぶっちゃけ。 
 改めて、おじゃましまーす。司の部屋に向かう。途中の台所で、司は冷蔵庫に塩辛をしまった。

「……まあ、純水で君が興奮するのは、分からなくもない」

 部屋に入って腰を下ろしたところで、司が切り出した。
 あれ、じゃあ何故?

「僕の純水は十八本まである」

 買い置きしてあるのさ――。な、なんだってー!

「あ、十八本は言い過ぎた。六本くらい?」

 それにしたって多いだろ。

「まさかお前、水使いか!?」

「くっくっく、不純物を含まない水の前に、雷など通用しない!」

 まあ、空気も絶縁体なんだし、それくらい気合いで何とかしろって思うけど――。あ、そう言えば、雷使い系は普段から空気という絶縁体相手にがんばってるんだよね。盲点だった。

「それと知ってるか、信治。雷は実を言うと下から上に昇ってるんだぜぇ」

「あ、マジ?」

「マジっすよー」

 それ知らんかった、スゲェ。けど、司の不良チックでだるそうな言い方が微妙にウザイ。

「つまりー、避雷針さんってー、天に向かって雷放出中ってやつですよー」

 そこで脳裏に閃くのは、気合いの雄叫びと共に天へエネルギー光線を打ち出す少年とか、漫画チックな光景。

「しかも、だ」

 そこで司は語調を重苦しくした。何だ?

「空気は絶縁体だから、雷はじわじわと昇っていくんだ」

 分かるな――。つまり、敵の防御フィールドに防がれそうになっても気合いで押し切るみたいなアレか。

「あれだな、うぉぉぉってヤツか」

 言いつつ、なんか手から放つような真似をしてみる。
 そうだ――。司もにやけた面で頷いた。

「「うぉぉぉぉ!」」

 再度言うと、司と声が重なって。
 司と目があって、それで妙におかしくなって苦笑する。

「うぉぉぉ!」

 いつの間にか、神崎さんも背後で叫んでいて。

「「えう、あ、え」」

 司と同事にテンパって。

「仲がよろしいようで何より。ついでに補足するなら、雷はあくまで放電現象であり、条件次第で昇ることも落ちることもある」

 夏雷は落ちて、冬雷は昇ることが多いらしい――。あ、博識ですね、神崎さんパネェ。
 今日は割烹着ですか。あんた、いつコスプレに目覚めたんだよ。

「死んだ母の形見で……」

 嘘だ、絶対嘘だ!

「まあ、冗談はさておき、麦茶でも飲むが良い」

 偉そうに言って、お盆を置いてから神崎さんは部屋を出た。ほんと、どうやってばれないようにドア開けてんだよ。
 なんだろう、このいたたまれなさは。司と前世設定資料集作ってるのを操さんに見つかった時みたいな。
 ……なんか全身痒くなってきた。

「あー、それで何故、そんなにも純水持ってるんだ」

 話題転換しようと、改めて訊ねてみた。

「うん、ま、あれだよ。通販で健康食品とか、ミネラルウォーターまとめ買いするから」

 長期保存用って謳い文句に惹かれて――。ああ、そういや、ガーディアンさん(笑)は通販で大抵の買い物済ませてるんだよね。

「着物とかも、通販で買ってるのか?」

 司が着ているのは、紺の地に白で竹をあしらったものだ。他にも結構、色々持っているようだ。
 服を買いに行く服が無いなんて、現代じゃ簡単に解決できる問題だ。普段を全裸で過ごしてます、とかだったらお手上げだが。

「いや、これはお母さんが生前に用意してくれたヤツとか、後お下がり」

 司はサラッと言ってのけるが、地雷踏んだ気がする。

「それにさぁ、服は実物見たり着たりしないと駄目じゃない?」

 それは同意できなくもない。着る服の半分が親がバーゲンで買いあさった物なので、あまり触れたくないが。

「まあ、けれど服を買いに行く服も無いし」

 こりゃ大変だー家から出れないな――。おいおい、言い訳にしてやがる。
 つか、今着ているので外に出ればいいだろ。あ、いや、目立つか。けどな。

「通販通販」

 愛用してるだろ。

「やべぇ、僕のパーフェクトロジックが論破された」

「理論だなんて、気合いで破れるんだよ!」

 少年漫画っぽく言ってみる。

「気合いとか、君と超縁遠いくね?」

 ウケるー。こっちを指さして、司は喉を鳴らした。 
 そして司の笑い声が止んだところで、希によくある嫌な沈黙。黙り込んで、話題を、取っ掛かりを探して。
 と、そこで思う。普段通りのテンションで、馬鹿やってそこそこ楽しい。けど、それだけで、良いのか?

『だからダチできねんだよ』

 中村の嘲笑。

『また、今度ね!』

 鬼瓦さんの、別れ際の声。
 妹さんに流されるままだったけど、友達が出来た。
 ただの切っ掛けだけど、上手くいけば本当に友達になれるかもしれない。これからの俺次第。
 司にも、切っ掛けが要るんじゃないか? 

『広美と要が話せるように、取り持って欲しいんだ』

 ……中村なんて、どうでも良いけれど。これは良い機会じゃないのか?

『その時が来たら、踏みとどまるな』

 そうだ、怖じ気づくな。神崎さんも言ってた。
 これは多分、踏みとどまっちゃいけないところじゃないか。だから――。
 口の中に溜まる唾を飲み込んで、口火を切った。

「なあ、真面目な話なんだが、良いか?」

「なんだい?」

 首を傾げて応じる司。

「お前、そろそろ外に出ないか?」

 そう言うと、司は微かに表情を歪めてから俯いた。


続く

今更気づいたけど、司の母ちゃんが読みで某魔法少女と意図せず一致してやがりました……。
いやまあ、殆ど名称出てなかったので修正しましたが。
それと、糞なら糞って言ってくれた方が気が楽です。



[16649] 十四話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:2c0bd367
Date: 2011/07/18 21:27
 同じボッチの分際で説教など、信治のくせに生意気な。
 そう思いながらも、司は大人しく聞き入っている風に装った。どう言いつくろっても、端から見れば自分はただの駄目人間。そう、仕方ないコトだ。
 神妙な態度を取り繕えばすぐ終わるだろうと、そう思って。
 けれど。

「なあ、お前の中学ん時友達だった西さんな、お前に会いたがってるみたいだ」

 そこから、風向きが変わったような。いや、結局は司自身の心持ちが問題で。
 
「詳しい話は聞けなかったけど、なんか、お前に謝りたいらしい」

 話だけでも、聞いてやれないか――。ああそうか、信治は知らないのか。それなら、まだ良い。
 みっともなくて、恥ずかしいから、信治には知られたくない。

「お断りだね」

 そして、司はきっぱりとそう告げた。声を少し荒げ、内心の不快感をごまかそうとして。
 謝る、何を?
 自分が悪いことをしたと思っているなら、あんなコトをするな――。憤りのままに吹き出しかけた絶叫は、すんでの所で飲み込んだ。
 謝罪。その二字が、不愉快さを普段に倍するほど跳ね上げた。

「その……即答だけど、そんなに揉めたのか?」

 司の態度に意志の強さを感じ取ったのか、ひるんだ様子の信治。そうだ、そのままこの話題を流してくれ――。

「……許せないんだったら、無理して許すとか必要無いし。けどさ」

 信治は二の句を継ごうとして、けれど不自然な間が開いた。

「――けど、なぁに?」

 司は、努めて穏やかな口調で先を促した。小さくのけぞり唾を飲み込んだ信治を見て、逆に自分の不機嫌を明け透けにしてしまったと気づいたが。

「けどさ、怒りぶちまけに行くだけでも良い。とりあえず、環境を変える切っ掛けにでも、さ」

 ……言わんとしていることは何となく分かる。けれど、そもそも家を離れられないし、この件については意見を曲げるつもりもない。
 会いに行く。それを考えただけで。 

『でね、アイツって――』
 
 フラッシュバックするいつかの光景。像は曖昧、けれど響く声は鮮明で。
 媚びるように響く声。付随するのは空笑い?
 それに応えるのは強く耳朶を打つ、複数の嘲笑。響いて、溢れかえって、溺れそうで。
 嘲笑、物笑い、明るい空気に満ちて。反比例するように、足場を失い奈落へ落ちる錯覚を抱いた司。
 司は叫びそうな衝動を必死で飲み込んで、ゆっくり逃げ出して。
 逃げ出して。
 もう誰もいないのに、それでも嘲笑がそこかしこで満ちている。自意識過剰の思い込みと分かって、それでも不安は消えない。

「……嫌だね」

 必死でそれだけ、絞り出した。息が浅く、早い。
 そして自分の心臓が跳ねる音、全身に響き渡って。気づくと強く握っていた手、汗でしとどに濡れて。
 かさかさと不快なざわめきは幻聴か。そして、喉の奥から何かが込み上げるような違和感。
 そこで、司は息を小さく吐き出した。
 ――落ち着け。鬼を斬るときと変わらない。いつも通り、やればいい。感情を乗りこなすなんて、容易い。

「そか、まあ仕方ないな」

 ため息混じりの宣言。話はもう終わったと、そう思って。
 ああ、自分の制御なんて簡単だった。

「――俺な、今日、新しい友達出来た」

 容易い、ことだ。

「な、何をリア充めいたことほざいてやがるの。僕らは、コミュニケーションに難ありカス人間だろ?」

 まくし立ててから、司は気付いた。全身の微かな震えに。
 感情を制御するなんて、自分には無理だ。

「まあ、正直言えば、それっぽいチャンスが出来たってだけでな。ただの偶然、運だ」

 だけど、これはチャンスだと思う――。苦笑混じりに告げる信治。
 チャンス。オウム返しに呟いて、気付く。信治は外にいる。自分とは違って、外の関わりがある。
 自分には、何がある?

「超駄目人間だけどさ。これから、ちったぁマシになりたいなぁって思ったりしてさ」

 何も、無い。チャンスなんて、自分には存在しない。

「一緒に駄目人間脱出しないか?」

 協力してさ――。協力、出来るわけ無い。

「いきなし覚醒とかどう考えても無理だけど。うん、年単位かけなきゃいけないくらい想像つくけど、まだ若い内にちょっとずつ慣らしていかないか?」

 そう告げる信治の笑みは何処か強ばって、じっと司を見つめる瞳は真っ直ぐに澄んで。
 手を差し伸べてやろう。そんな傲慢さが微かに伺える優しい笑み。
 対等じゃ、ない。

「見下してんじゃないよ……!」

 うん、分かってる。本当に救いようのない屑が誰なのか。
 見下して、当然だよね。

「ち、ちが、違う。そんなんじゃなくて……!」

「じゃあどういうつもりだよ!」

 首を振っていた信治にそう一喝すると、その視線が下へ向いた。応えない。
 答えなんて分かりきってて。

「助けてよ」

「司……」

「出来るもんなら、助けてよ……!」

 懇願の様相を帯びていたと自覚できる、消え入りそうな掠れた声。

「出たくても、出られないんだよ!」

 悲嘆の絶叫。
 信治の顔を見ることが出来ない。だから、天井を見上げた。

「知ってた?」

 そして司は語り出す。

「僕ってさぁ、霊能力者ってヤツなんだよ」

 一族のお役目ってヤツでさ――。恥ずかしいと思って、信じて貰えなかったら嫌で隠してた事実。
 司は更に言い募り、けれど信治から目を背けたままで。そう、向けなくて。

「鬼とか家の所に封印されててさ。これがホントの自宅警備員? うん、日々自宅を守ってるわけ」

 ――お話は人の顔を見て、する。
 そんな母の言葉がふと過ぎって、けれどそれすら何故だか滑稽で。
 これは、会話ですらない。

「信じないっしょ?」

 反応を見る前に、言葉を続けた。

「痛い女だとか、馬鹿にしてるんだろ!?」

 そうさそうだよお祖母ちゃんもお母さんもどいつもこいつもイカレ頭、一族代々洗脳電波エリートさ。
 笑えよ。
 カスだって。
 見下して。
 司は声高に告げ、そこに開放感すら覚えた。しかし、それもすぐさま虚無感へ取って代わる。ああ、益体もない事を言ってのけた、馬鹿らしい、と。
 ああ、もう空っぽだ。終わりだ。

「もう、やだぁ……」

 俯いて、喘いだ。一番見られたくない自分を晒してしまった、と。

「違う、違うんだよ、司……」

 俺は――。そこから先が聞きたくなくて、司は立ち上がった。
 信治に掴みかかって、床に倒した。精神鍛錬にと母から習った柔術。無駄に才能溢れてるとか、もしかしたら全国行けるとか、そんなお墨付きをもらった程だった。
 衝動に流されるまま、けれども素人の信治を倒すのは赤子の手をひねるようで。司が気付いた時、信治は胡座の姿勢から倒れて床に肩を打っている。その表情はあっけにとられた風で。

「つか、さ……」

「出てって」

 信治の震える声を遮り、司は言った。それは自分でも意外な程、冷淡な声音だった。
 けれど、次に口を突いて出たのは、嗚咽混じりの懇願だった。

「もうやだよ……こんなヤツ、見ないでよぅ……」

 ごめんなさい、ごめんなさい――。もう、何を言えばいいのか分からずに、謝罪めいた言葉を続けて。何を謝っているのか、司自身でも分からないままだった。
 瞳から熱い物が溢れるのを感じる。鼻水も垂れた。みっともない自分が、哀れで、悲しくて。だから、鼻を鳴らし、悲鳴じみて言葉にならない叫びを上げた。
 信治が司の肩に触れようとして、それを振り払った。信治に一瞬触れたその右手、酷く熱を帯びたような錯覚があった。
 そこを起点に全身へ熱が伝わったような気がして、けれどきっと、それは異様なまで自分が昂ぶっているとようやく気付いただけ――。自嘲を帯びた笑い声、微かに嗚咽と混じった。

「――司!」

 そこで、叫びと共に部屋へ飛び込んだのは勉だった。
 へぇ、もうコスプレ止めたんだ。可愛かったのに。ま、こんだけ喧しければ何かあったって気付くか。うん、とことんダセぇな僕――。

「くははっ……」

 自分がとことん可笑しくて、惨めで、笑って誤魔化す以外どうすればいいのか分からなくて。
 哄笑。笑って、笑って。
 ……気付くと、信治がいなくて。傍らには勉一人。今度は司が床に押さえつけられ、腕に何か注射されている。
 禍払いでは精神を落ち着けるための薬など常備するのが鉄則、安定剤の類か――。それを振り払おうとして、けれどそうする気力が湧き上がらない。
 段々と暗鬱が心の隅に追いやられていくようで。
 清々しくて、安らかで。
 そして微睡みに誘われ――暗転。


 続く


 二人(特に信治を)をウザいと思っていただけたら成功です。



[16649] 十五話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:2c0bd367
Date: 2011/07/18 21:26

 まだ昼下がりと夕暮れの間、それくらいの時間帯で俺は家へ帰ろうとしている。
 司の家から帰ろうと、自転車を飛ばしている。立ち漕ぎで、普段よりも速いくらいの勢い。
 ――見下してんじゃないよ……!
 家への司の言葉が、まだ俺の奥に刺さっていた。ジクジクと、苛んで。
 その言葉を聞いてから、自分の中にある嫌な感情が吹き出すような、そんな感じがあった。切なさが止まらないというか、醜い自分が浮上しそうになって、何も言い返せなかった。
 小さな子供のおかげでチャンスが出来た。なら、自分も、と。司の力になってやりたいと、そう思ったのは傲慢だったのか。
 余計なお世話って、あれか。俺も人にどうこう言えるような御立派な人間ではない。
 けれど、司の前では見栄を張りたくなる。友達の力になれる、御立派な人間になれるようなそんな気を微かに覚えて。
 けれど。
 もう、友達じゃないん、だろうな……。
 その資格、無いよな。だって、司があんなに傷ついて、なのに声かけないで、神崎さんに促されるままに帰ってる。
 それで、何処かホッとしている自分がいる。司がああなったのは俺のせいで、なのに何もしてない。

「最悪だ、俺……」

 今すぐ引き返して、司に謝りたい。けれど、一度逃げた手前、そうする度胸が無い。
 何もせず、自分を罵るだけの卑怯者。そう自覚しておきながら、改めようとしない怠け者。
 苛立ちをぶつけるみたいに、ペダルを更に強く踏んだ。坂道に差し掛かったのはちょうど良かったかもしれない。六段ギアは一番重い状態で、強く漕いで進む。さして長くもない坂をさっと上り終えて、後は次の十字路を右へ行けば家――。
 直ぐさま降りられるよう片方のペダルに立つ姿勢で、勢いのまま惰性で進む。そのまま家のガレージへ突っ込んで、飛び降りると、慣性でよろけた。
 腿が痺れるのを感じる。無駄に太いくせして柔な大腿部だ。そして自転車の両足スタンドで後輪を持ち上げた時、痺れに紛れてポケットの携帯が振動しているのに気付いた。
 携帯を取り出すと、表示されるのは中村の物。思わず電源を切りそうになったが、頼まれごとの報告くらいはすべきかと思い直して通話ボタンを押した。

『もしもしー』

「はいはい、ご用ですか」

 お気楽そうな声にむかついて、ついつい返事もおざなりだ。
 うわ、感じわりぃ――。ボソッと聞こえた声がさり気に心をえぐった。
 そして続く中村の挨拶は適当に聞き流し、早速本題へ。

『そんで、どうだった?』

「無理だった。絶対会いたくないってよ」

 端的に結果を伝えた。あれだけ拗れたんだ、もう無理だろうよ。
 ……拗れた原因は俺だけど。
 
『んだよ、使えねぇ……』

 吐き捨てるような声が返ってきた。柄が悪い口調だ。

『宏美のヤツに期待しとけって言っちまったんだぞ?』

 ――言いがかりじゃね?
 まあ、失敗した責任は俺にもあるが、そんな上手く行って当然みたいな流れは何だ。つか、お前も彼女をぬか喜びさせるよう事を言うなと。 
 それに、だ。

「西さん、要に、何したんだ?」

 こいつの前で司と言うのが憚られて、つっかえながら名字の方で聞いた。
 司の反応は普通じゃなかったように思われた。西さんは、司にそれだけの事をしたはずだ。
 確かに、アイツは俺と同じで心が狭い方だし、何でもないことを根に持ったりする。けれど、謝罪も聞きたくないってのはよっぽどだ。

『あ? ちょっとからかったくらいで、大したことなんてしちゃいないって』

 ゼッテェ嘘だ。
 例え本当だとしても、それは西さんの主観だろう。司は傷ついたのだと思う。

『なのに引きこもりやがって、あてつけみたいでやだねー』

 皮肉めいた笑い。
 そして、頭の中で何かが切れる音がした。

「――ざっけんな!」

 人のこと言えない? 
 きっと、電話じゃなかったらビビって言い返せなかった、調子乗るな?
 お前だってアイツの事を分かってやれなかった?
 はい、そうですねダブルスタンダードってヤツ。
 それがどうした。むかつくもんはむかつく。

「お前、本当に西さんの事とか考えて物言ってんのか?」

『は? 何いきなりキレてんの。意味分からないですけど』

 中村の声に怒気が滲むのを感じた。
 ……人がキレるって、それだけで怖い。だから、今までは人の不興を買わないように大人しくしてた。
 息を呑んだ。けど、これだけは言っとかないと気が済まない。

「彼女と、その友達を仲直りさせたいんだろ?」

 ――お前に、誠意を感じられない。
 ゆっくりと口を動かすよう意識して、出来る限りはっきり言った。自分に跳ね返る物を感じたけど、それでも。

『……バッカじゃねぇの?』

 そして、嘲る哄笑。
 変なこと言っちまった、と羞恥で顔が熱くなるのを感じた。
 そして中村の態度にもむかついた。同事に、コイツに何を言っても真面目に聞くつもりもないんだろうなって、諦めも。

『宏美とも話してて、なぁんかアレだと思ったんだけどさ――』

 中村の言葉は続いていて、その声は未だ揺れていて。

『お前、トモダチごときに何期待してんの?』

 そんなんだからトモダチいないんですよ――。
 その言葉に、俺は何も言い返せなかった。どう言い返せば良いのか、分からなかった。



 ――裏目に出すぎだ。
 勉は内心で毒づいて舌打ちした。昂ぶった反動か、薬で精神の鷹揚を取り戻した司は呆気なく眠りに着いた。とりあえずは司の部屋に布団を敷いて、そこに移している。
 司の精神変動が激しすぎた。先日の鬼、午前中の調律に伴う心理的圧迫、そして信治との一件、それらが悪条件として司にのし掛かった結果だろう。
 壁を隔てていたというのに、司の魂が揺れるのを勉は感じていた。そして、それだけではなく。

「封印が、これくらいで緩むとはな……」

 勉の座する傍らには、静かな寝息を立てる司。先ほどの乱れようは見る影も無い。
 それでも、鬼が放たれようとしたのは事実だ。司の昂ぶりに呼応するかの如く、封印の奥に佇む鬼の存在感が増していた。正確には、封印が緩み鬼が現れようとしていた。
 その影響が信治にまで波及しつつあったので、慌てて帰宅するよう促した。陰鬱か、あるいはそれを忌避しようと興奮状態になるか――。鬼の影響で何らかの後遺症があるだろう。もしかすれば、薬を使用する事態になるか。
 ――いや、心療内科にでも行ってもらった方が安全か。
 勉は嘆息した。神崎の関係者で半ば公然と用いられている『薬』だが、それは大概が神崎独自の研究に基づく無認可な代物だ。昨今は医療機関との提携で安全性も大分高まったと聞くが、霊媒師と違って薬物への耐性が低い常人にはあまり使用したくない。
 偽善ということは分かっている。司には、そんな物を躊躇いなく使用した。司は幼い頃より、禍払いの修練でそのような薬物を常用していたらしい。その母親である操もまた同じである。今まで、薬物で後遺症が出たという話は聞いていない、だから大丈夫だ――。
 そうだ、言い訳に過ぎない。鬼を恐れ、それを押さえつけるために合理的判断を下す。やむを得ない事と言い訳し、少女は薬漬けだ。その母も、そのまた母もおそらくはそうだったのだろう。
 もしかすれば、要という家は実験台なのかもしれない。命を握り、危険な薬物は使用させる『前線』という状況下に縛り付ける。そうして、実戦における薬物の有効性を試験する。
 あり得そうな話だと、勉は思わず苦笑した。
 しかし――。司の方に向き直り、思う。
 封印という物が、これほどに不安定な代物だとは思わなかった。今まで続いた要という家自体が、このような不安定な綱渡りだったのだろうか。
 それは少し不自然のような気がした。あるいは、以前冗談交じりに過ぎった思考が正鵠を得ていたのかもしれない。
 封印が、鬼との隔たりが薄れつつあった。鬼との融和を、つまり負を望んでいる。そして負の側面がもたらす精神的な抑圧は、最悪死に繋がる。この論法で言うならば。
 要司は、死を望んでいる。
 本人は自覚しているのだろうか。これ以上、妙な真似に走らなければいい。破滅願望が、一時の迷いであれば良い。
 ――おやつでも用意してやるか。そう、目覚めた時のために。
 唐突なアイデアだったが、悪くないかもしれない。今の司がまともに食事を食べるか怪しいという向きもあったが、軽食とデザートを用意して気を落ち着けられはしないか。
 他に今の自分が出来る事など、カウンセラーに連絡をつけることぐらいだ。それを司が喜びはすまいが。
 今、冷蔵庫の中に何があったか――。デザートになりそうな物があったろうか。確認して、その辺りを考えよう。
 立ち上がって、勉はドアを開ける。静かに、司の眠りを妨げないように。
 ――司は、良い夢を見ることが出来るだろうか。出来るならば、眠りくらい安らかな物であってほしい。
 勉は部屋を出てドアを閉める際に、司を振り返りながらそんな事を考えた。


 続く




[16649] 十六話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:2c0bd367
Date: 2011/08/17 16:15

「姉ちゃんのこと、教えて」

 太郎が咲耶に話をせがむ。咲耶の話せる事など、たかがしれているのに。
 物心つく頃から、咲耶はずっと禍払いの修練に勤しむ事を強要されていたのだから。琴など幾らかの嗜みも備えてはいるが、道具も無く語ろうとすれば相手にもある程度の教養を求める物ばかりだ。咲耶に物事を上手く語る術が無いだけと断じられればそれまでだが。
 はじめはポツリポツリと、問われるままに好物等を言ってもどうも噛み合わない。そして、普段咲耶がどう過ごしているのか、等を話していたら、気付けば霊という存在に関する講釈を織り交ぜた酷く陰気でつまらない物と相成っていた。
 そんな陰気な語りで自分が最も熱を込めていたという自覚に、呆れもした。やれ魂、やれ悪霊。そして気という物、その流れを霊脈と称すること、霊という物が型にはまった愚直さで哀れにすら思えること。
 そしてそれから、自分が遠く離れた異人の血を引いていること。鬼子と呼ばれ、自身が本当に生ける鬼なのではと疑ったこと。教え込まれた知識でそのような事実は無いとまず否定され、周囲への反感が高まったこと。
 ――何なのでしょう、あの異様な顔つき。
 ――黄金の髪が不気味ですわ。
 いつか聞いた誰ともしれぬ囁き声、脳裏に閃き不快を煽る。 

「姉ちゃんは、美人さんだよ」

 とっても綺麗だよ――。囁くように、太郎は続けた。咲耶は気恥ずかしさを覚え、目を逸らす。
 ――枯れ落ちる銀杏に少し似た、美しい髪ではないか。
 いつかの父が漏らした言の葉よりも真っ直ぐで、胸に届いた。父の言葉は皮肉混じりばかりで、咲耶はいつもその傍で居心地の悪さを覚えていたから。
 村の外れでも、田畑の手入れをしながら遠目に囁く人々が疎らにいる。作物に関しては表層的知識しか持ち合わせていないが、やはり生命力という物が薄いような、けれどそれだけではないような違和感があった。
 太郎と連れだって妙な噂が流れても困る。だから太郎と距離を置くようにして、山の方へ足を向ける。それでも太郎は小走りで着いてきて、共に林へ踏み入った。
 抱擁できそうなくらい細い幹が密集する山の中を行くと、霊脈の位置がなんとなしに感じ取れる。気の流れが強くなっていくのはそう遠くない証拠だ。しかし生者の『雑音』を考慮すると、日が暮れてからの方が良かったかもしれない。慣れぬ山を夜間に歩くのは避けたいとも思うが。

「田んぼも畑も、元気ないね」

「冷害のせい、だけでもないな」

 太郎の呟きに咲耶は応えた。冷害の悪影響として最たる例は、受粉を妨げて実りを悪くするといったものだ。けれど時期的に見て、開花には少し早い。

「ここ何年かは豊作続きだって、みんな言ってたのに」

 しかし、土地が枯れ始めたというだけなら、話は早い。霊脈を診れば、咲耶ならその兆候くらいは見つけられる。そうなれば、後は――。
 それでも、巫に属する物が当たる任としては不適切が拭えないように思えるが。それこそやはり、咲耶を使い捨てることに躊躇いが無いという証左に感じてしまう。
 足場が荒れてきた。歩幅も違うというのに、太郎はしっかりと足取りで着いてくる。むしろ咲耶こそ追い抜かれそうだ。

「この辺りか?」

 周辺で最も大きい霊脈の流れ、なんとなしに感じられる方へ足を向ける。
 少し昇って、異変に気付いた。鼻につく、微かな異臭。

「これは……」

 不意に漏らした呟き。

「知ってるよ」

 間髪入れずに応える太郎。

「どういうことだ?」

 この、鼻につく腐臭の原因を、知っている?
 それが質問の答えだと言うように、太郎は咲耶を追い抜いて木々の隙間を縫っていく。
 そして、正体を知った。感じた。

「もうすぐ着くよ」

 そう告げて先を行く太郎の足取りは弾むようで、しかし裏腹に咲耶は重しが載せられるような疲労感を覚えた。
 咲耶が、行き着く先に在るだろうそれを忌避した結果だ。それは人と重ならない、強烈な思念の権化。
 ――鬼がいる。
 それは負の念、すなわち死に向かう怨念の末路。未だ日も暮れていないのに、とてつもない陰の気を湛えている。
 太郎は、平然と先へ進む。常人であれば、精神的抑圧を覚えてこの場から去ろうとするだろうに。その挙動はむしろ、躍動を加速させていくようにも感じられる。熱に浮かされたような太郎の表情に違和感もあった。
 ――鬼と、魂が響き合っている?
 それが太郎の精神へ影響している。下地となるような負の穢れは伺えた。それでも、ここまで病んでいるのか。
 それなのに何故、こうも生き生きとしている。
 困惑のまま行き着く先、視界が開けた。

「ここ、好きなんだ」

 振り向いて微笑む太郎。その異様に、咲耶は息を呑んだ。
 小山の中腹か、斜面がなだらかなぽっかり空いた空間。見るからに枯れかけ弱った木々が枠のように立ち並ぶ場所。

「ここに来ると、元気が出るんだ」

 そうか――。咲耶は呻くように応えた。
 木々が枯れてこのような空間を作っているのだと気付くまで、幾らかの間を要した。空き地の土に朽ちゆく木片が混ざっている。倒れ伏しながら、かろうじて形を保っている幹らしき残骸も散見できた。
 涼やかな空気に、微かな熱気を感じられる。腐敗とは突き詰めると、土に潜む小さな生命の流転が引き起こす――。そう耳にした覚えがある。よもや、これは命の放つ熱だというのか。それほどに、腐敗速度が凄まじいというのか。
 空間の中心を起点にジクジクと妖気が広がっている、のだろう。真っ直ぐに前を見られない。そこに鬼がいるはずなのに。歪みを感じるのに。どうしてこれほどの妖気に気付くのが遅れたのか。
 夜になれば、この鬼がどれほどのものになるのか。想像するだけで寒気が背筋を駆け巡る。

「ねぇ、どうしたの?」

 静かに問いかけてくる太郎の声に返答する余裕もない。心に響く鬼の脈動。ああ、備えが不足している。
 そして遅まきながら気付く。咲耶がこの地へやって来たのは、単なる土地の活性ではなく歴とした禍払いか。
 不作の土地を救え――。それしか言付かっていなかったので、うち捨てられる時が来たのだとばかり思っていたが。
 しかし、これは一筋縄では行かないだろう。大規模な除霊において一人の力など、咲耶単独に出来ることなどたかが知れている。
 通常は条件付けで精神を整えられるよう修練を積んだ者が、二人以上で相互に励まし合い行うのだ。一人で鬼を斬ろうなど、狂気の沙汰だ。咲耶がこの件を禍払いだと思わなかった最たる理由もそれだ。
 とすれば、やはり自分は切り捨てられたのか。しかし何故。考えがまとまらない。呼吸が、鼓動が異常な震えを纏っている。

「平気なの?」

 気遣う声と共に、太郎がこちらへ手を伸ばすのを見た。その足下で揺れる気配にも、また。
 反射的にその手を振り払っていた。本能的な恐怖が咲耶の体を支配していたのだ。

「え……」

 唖然とした表情の太郎。咲耶は少し遅れて、自分の行為が何を意味するのか気付く。
 ――拒絶。そして重苦しい沈黙が降りる。いたたまれない空気が生まれている。

「ごめん……」

 呟きを残し、太郎は背を向けて去って行く。咲耶はそれを無言で見送るままだった。
 そしてその姿を見失ってから、自己への嫌悪感を覚えた。太郎に何も言えないだけでない。
 ――今、自分は安堵している。太郎がいなくなって、鬼が少しずつ静まっていくのを感じたから。
 鬼の異常性は、太郎にも起因している。そう確信できた。そんな風に脅威が失せてすぐに手のひらを返す自分に、腹立たしさを覚えた。
 少しの間佇んでから、咲耶は山を降りた。地主の屋敷に着いたとき、門の前で出迎えたのは人買いの男だった。

「見回り、いかがでしたか?」

 それが問いかけではなく、確認に過ぎないと感じ取れた。
 
「お前は、何を知っている?」

「直に御覧になっていただいた方が、御理解も早いと愚考しましてね」

 詳しい事情を説明いたします――。人買いは笑い含みにそう告げてから、歯を見せて口の端を大きく吊り上げた。


 続く

 初任給と五月給与の落差に愕然とし、ギャップ萌えの可能性を実感しました。



[16649] 十七話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:2c0bd367
Date: 2011/07/18 21:25

「ただいま」
「おかえり」

 家に入って言葉を投げかけると、母さんが投げ返してきた。母さんはリビングでソファーに座ってくつろいでた。
 まあ、今日は休日だし、おかしいことではない。休日も出勤したりその他の用事が多い人ではあるが。
 父さんは黄金週間中は休み無しらしいと聞いていた。終わってからまとまった休暇が取れるとのこと。
 しかし、さっき中村に叫んでしまったのが聞かれてないといいのだが。

「どうしたの、さっきの怒鳴り声」

 ――と、母さん。
 まあ、そう都合良くいかんわな。

「別に……」

 ぶっきらぼうにそう返すしか出来なかった。

「喧嘩でもしたの?」
「そんなんじゃないよ」
「だーめよ、あんたそうやってすぐムキになるけどね。少しは人に合わせること覚えないと」
「そんなんじゃないって」

 ……しつこいな。
 普段はろくに話しかけてこないくせして、偶に変なところで食い下がる。
 うっとうしい。
 そう思って、2階の部屋に向かおうとした。

「――また、そうやって逃げる」

 逃げる。その言葉に、今日の自分を、そして司を連想してしまって、つい足が止まる。

「人に合わせられないで、嫌なことから逃げて、そんなんで人付き合いできるの?」
「……関係ないじゃん」

 徐々に語気荒くする母さんに、半ば呻くように返した。
 そうだ、母さんには関係のない事だ。

「……あんた、高校入って、友達出来た?」

 あんたから全くそういう話聞かないんだけど――。そう続ける母さんに、どう答えれば良いのか分からない。
 何を言えばいいのかなんて、簡単だ。僕ちんには友達いません、ってさ。
 あ、いや、ついさっきできたのか。けれど、自信を持って言えない。
 喉の奥がやたら乾く。言葉が出てこない。
 司といるときは、自虐ネタで笑い飛ばせたのに。
 そして、気付いた。
 その時は、司がいたからだ。
 司が、俺の友達だった。

「ねえ、友達いなくて、人生楽しいの?」

 不気味なまでに静かな問いかけ。けれど、がつんと殴られたような気がした。
 友達。
 友達なんて、すぐいなくなる奴らがいないと、そんなに人生辛いのか?
 あんなの、いなくたって――。
 苛立って、けれどやはり何も言えないままで。
 いいさ。友達なんて、いなくたっていい。
 いなくたって。
 ……それでも、やっぱり悔しいと思う向きもある。

「ねえ、人の話聞いてるの?」

 苛立ちの伺える母さんの声が、不思議と遠く聞こえる。
 頭の中がごちゃごちゃして、まともに考えられない、感じられない。
 ままならない思考のまま、大人しく聞くふりだけしたけど、母さんは当然俺のそんな態度に気付いていたのだろう。説教は数分後に打ち切られ、俺は直ぐさま部屋へ逃げ込んだ。
 吐き気を覚えて、立っていられない。そしてベッドへ身を投げ出し、適当にごろごろしてたら眠くなってきて。
 そのままゆっくり、微睡みに沈む。


 司はハッと目を覚ました。そのままゆっくりと身を起こす。全身が汗でしとどになっている。最悪の夢見だった。
 時計を見ると、窓から差し込む陽光は暗く夕暮れも過ぎると言ったところか。さほど時間も経っていなかったようだ。
 薬の効きが悪かったのだろう。耐性でも出来てしまっているのかもしれない。
 まだ若干寝ぼけていた意識がはっきりとしてきたところで、司は喉を鳴らして自嘲した。

「皮肉かねぇ……」

 友達を失った日に、友達を無くした、いや、欺瞞に気付いた夢を見るとは。
 はっきりと言ってしまえば、司はいじめられっ子だったわけだ。
 ――自分は人付き合いが上手くない方だ。だから、人間社会において嘲笑の対象となるのもしかたないことなのだろう。
 司は諦観と共に、そう度々自分へ言い聞かせていた。だが納得は出来ない。自分の一挙一動が嘲笑されるほど滑稽なのだろうか。
 何か言えば、誰かが司の言葉を繰り返して嗤った。その内、何も話せなくなった。
 黙っていれば、何も口に出せない不甲斐なさを嗤われた。身じろぎすら嗤われるのではないかと、常に緊張を強いられた。
 ――疲れたんだったら、休んでも良いんだよ?
 母がそう言って司を伺う態度は、どこか何処か申し訳なさそうな風でもあった。
 自分は家を離れたことが無いから――。司にそう告げて外での関わりを強要する面があった事への罪悪感だったのだろうか。
 別に。何でもないから。そんなような事を言って、司は母の配慮も撥ね付けていた。
 ただ毎日が息苦しいだけで、逃げ出したくて、逃げ出す勇気も無いまま日々は過ぎる。
 そして、転機は訪れた。

『あんまし気にしない方が良いからね。向こうがつけあがるから』

 そんな、気休めにもならない慰めを電話越しに投げかけてきたのは、西広美。

「……うん」
『あいつらさ、司が可愛いから嫉妬してるんだよ。彼氏が司のこと良いなって言ったとか言ってないとか』
「そんなの、アタシに言われても……」

 そんな理由は理不尽すぎる。けれど、怒る気力も無い。
 ただ泥沼の中に沈んでいくような気持ち。震えて、縮こまって、それしかできない。
 こんなの、信治には言えない。違うクラスで良かったとつくづく思う。

『あのさ、あんまし直接助けるとかはできないけど、愚痴くらいは聞くから』

 余所余所しくもある、けれど優しい声音。広美になら、自分は弱みを見せられる。
 司は、そう信じた。
 そして、広美しか知らないはずの愚痴を肴に盛り上がる一団、その会話を盗み聞いたのは次の日だった。
 ある日の放課後、忘れ物を取りに引き返して、そこに出くわした。そこには当然広美もいた。
 おどけた風に司の真似らしい行為に勤しむその様をこっそりと見て、何かが司の中で弾けるのを感じた。
 衝動のままに駆けだして。息を荒げて、家へと逃げ帰った。情けないことだが、この段になって司は母へと助けを求めようと、縋ろうとしたのだ。
 おかげで母の死に目にあえたのは、はたして幸運だったのか。
 家の玄関先で母が血だまりに伏していた。白装束を朱に染めて。それを取り囲んでいた、見覚えのあるスーツの大人達は見聞役だった。
 正直言えば、司はその光景をはっきりと覚えていない。長く直視できず、俯いて目を逸らしたから。
 近寄って、すがりつこうとして、躊躇って。それでもゆっくりと熱を失いつつある手を取って。
 手を取った瞬間、母の魂が負の念にざわめくのを感じた。それがどのような意図を持った思念だったのか、司には分からなかった。
 数分せずに血の気というか、生命力の一切を失ったということが、見て取れた。母が幽鬼とならなかったのは、幸いだったと信じたい。
 周りの大人が何かをわめき立てていて、それがなんだったのかさっぱり聞き取れなかったくらいには動転していた。
 震えて、目を逸らして、現実逃避。何も考えず、ただ見聞役に促されるまま崩れかけた封印の要を引き継いだ。
 ――逃げ出した先は、口を開けて待ち受ける牢獄だった。そこに飛び込んで、司は今に至る。
 母は、封印の鬼を利用せんと企んだ不届き者に刺されて死んだ。司が家に着く少し前に、駆けつけた見聞役に取り押さえられて連行されたらしい。一切合切を伝聞で知るのみと、司が蚊帳の外に置かれたまま、全ては終わっていたのだ。

「ほんっと、馬鹿馬鹿しいなぁ」

 布団から出た司は窓際に歩み寄って、丘が邪魔で夕日の差さない薄闇を見つめた。

「全部、馬鹿馬鹿しいなぁ……」

 声にならない程に弱々しい、小さな声。窓枠に手をかけて項垂れた。
 囁いた直後に、家の外でちらつくささやかな照明の光が見て取れた。
 時期に夜闇が落ちる。亡者の時間がやって来る。
 司は、自分が薄笑いを浮かべるのを自覚した。


 続く

 >ねえ、友達いなくて、人生楽しいの?
 リアルに母から言われました。



[16649] 十八話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:2c0bd367
Date: 2011/08/17 16:16

 ――ああ、気持ち悪い、憎らしいよ鬼子めが!
 誰かが昴を罵っている。別にどうでも良い事だが。どうせ口だけだ。自分を奇貨と見ているなら、形だけでも敬えば良いものを。
 けれど、昴を慰めようと手を握っている真が、哀れで愛おしかった。昴をかばおうと居心地の悪い思いをしている真を、こんなつまらない場所から、逃がしてやりたいと思った。


 昴は畳に正座して、視線の先で携帯電話をいじくる真を見つめていた。

『今大丈夫?』

 そんな短文が携帯に表示されていた。メールを打って、後は送信のボタンを押すだけ。
 けれど、携帯を手にしたまま、真は動かなかった。指を伸ばし、引っ込めて。
 そうして、ちゃぶ台に肘をついて小さく唸りだした。
 昴は後ろからそれを見て、ほほえましさを覚えた。同時に軽い嫉妬も湧き出たが、内に秘めて小さく笑んだ。

「どうしたの、真?」

 躊躇う真の気持ちも、実を言えば少しだけ分かる。それでも、送らないと始まらない――。そんな含みを込めて声をかけた。

「別に……」

 どこか憂鬱そうに、真は呟きを返した。

「送れば良いでしょう、そのメール」

 努めて無表情で昴は言った。

「お前なぁ……」 

 恨みがましいような、そんな様子のうかがえる声。

「送らないなら、それでも良いけど」
「挨拶した方が良いとか、そんな感じのこと言ったのもお前だろ?」

 突き放す様に昴が言うと、真は縋るような目つきになった。

「そうだけど。せっかくアドレスもらったんだから、こまめにメールしないと真なんてすぐ忘れ去られちゃうよ」
「いや、でもなぁ、向こうさんに迷惑とか都合とかな……」
「メールなんだから、都合が悪かったら無視されるだけでしょうに」
「それはそれで切ないというか」

 つまり、向こうに無視されたくもないし、悪感情も持たれたくない。そういうことだ。
 過度な長文は打たないようにと言い含めているし、その程度で嫌うようならば、どのみち長続きする関係とも思えないが。そういうことを試す為にも、早めに会話を積み重ねておかねばならない。

「たくさん試せばいいの。人付き合いなんて、結局は数だよ」
「ばっさりいくなぁ」

 淡々と述べる昴、突っ伏して唸る真。
 そして沈黙。若干の間を置いて昴は告げた。

「早く済ませないと。そこまで時間に余裕がある訳じゃ無いんだから」
「じゃぁ、止めるかねぇ……」
「真、かっこわるい」
「あー」

 真は頭をかきむしって渋面を作る。昴はそれを見て、良い傾向だと感じていた。
 ――今まで、真は人付き合いで悩んだこと無いから。
 そういった物から目を背けて、お家の命令に従うだけで。かつての友人も片手に数える程度で、それとて自発的に形成された関係ではない。
 その関係も既に絶えて久しい。真が、人をつなぎ止める努力をしていなかったから。理由はその一言に尽きる。つまりは自然消滅。
 だから、少し追い込むくらいで丁度良い。当分は今居る1DKのアパートが拠点となる。それが続くかは、仕事の成否にかかっているが。
 ……深夜、監査役が状況を見極めにやってくる。霊脈の把握、実験を兼ねた呪詛。仕込みはおおよそ済んでいる。そう、今夜で決着をつけるつもりだ。
 今回も、鬼をぶつけようか。荒んだ現代社会、そこらを探せば鬼などいくらでも居る。更に、昴の許容できる範囲でそれらを束ねて強化だって出来る。強くしすぎれば、要司も取り殺すやもしれないが。
 強烈な怨念は共鳴し、肉の器を隔てていようとも人に眠る負の念を呼び起こす。そして、奥底の埋もれた破滅願望をも顕わにする。いわゆる呪殺というものだ。といっても、普通は苦労して鬼を操ろうが、対象を病気がちにするくらいが関の山。つまりは間接的に相手の死を待つ。
 けれど、昴ならば殺せる。直接人を死に追いやれる。試したことは無いが、確信がある。そして不思議とその最悪に抱く忌避も無い。
 しかし恐らく、真はそこまでを望まないだろう。示威行為を以て逃走を促し、相手が維持しているらしい封印を崩すというのが理想の流れだ。
 そう思考を巡らせて、昴は緊張に手汗を滲ませる。そして一拍後、改めて真へ向き直り嘆息する。
 ――今は、そっちよりもこっちかな。
 未だに送信するか否や悩む真。思わず苦笑が漏れる。真を後押ししようと、昴は少し焦っていたかも知れない。
 けれど。

「いっそ、電話にしてみたら?」

 この調子だと、メールじゃテンポ悪そう――。昴は、更にそう続ける。

「ええと、もっと無理かもしれない」

 そう漏らしてから黙り込む真を見つめて、昴は微笑んだ。こうやって真をからかってやるのが少し楽しい、と。

「楽しそうですね。よければ、おじさんも混ぜてくれません?」

 唐突に玄関から響く陽気な声が、昴の緊張を呼び起こした。真も、その表情を硬くしている。
 目線の先には、いつの間にか黒いスーツを着た、痩せぎすの中年男性が立っている。暗くなる時間帯だというのにサングラスをかけ、白髪交じりの頭髪はオールバックにしている。
 この男が、監査役だ。いつの間に家へ入り込んだのか。部屋の提供も男の手配によるものと考えると、鍵に関しては問題ないだろうが。それにしたって酷く不快になる。
 反神崎派の勢力に属する人間だと聞いているが、詳しい話は昴達の頭上で行われており、二人の知ることは少ない。もしかしたら、真ならばもう少し多くのことを知っているかもしれないが。
 男は口の端を少し持ち上げて、サングラスを少し下へずらし二人へ目配せする。その眼差しは口元のように笑んではいなかった。
 色素と感情の薄い、しかし見下した様子のうかがえる蔑みの目。どうして、本家はこのような人間を信用したのだろうと疑問すら湧く。

「がんばっているのは分かっているんですがねぇ、そろそろ成果出してもらわないと」

 ほら、おじさんも上からせっつかれてて――。冗談めかした調子の声だが、そこに容赦は伺えない。そろそろ本格的に動かなくては厳しいという予測は正しかったようだ。

「ご心配なさらずとも、今夜のウチに決着はつけます」

 正座して男に向き直る真。昴は茶の用意をするために玄関傍の流しへ向かおうとすると、男はそれを手で制した。長居はしないので、お構いなく――。
 お茶漬けでも出してやろうかと思ったが、それは口に出さないでおく。

「いい加減うっとうしいとも思っているでしょうが、こう、釘を刺しておかないと。おじさんも仕事していないと思われてしまうんで」

 決着をつけようとする直前にこうやって会いに来る他、昴たちの動きを何らかの方法で逐一把握しているらしい節がある。その辺り、もう少し手を抜いていても良いと昴は思うのだが。

「それと、心ばかりの贈り物を」

 男はスーツの内ポケットから錠剤のパックを取り出した。差し出されるそれを、真が立ち上がり受け取る。

「これは、呪詛等に用いられる薬剤です。精神における負の側面が高め、魂を一時的に爆発させるためのね」

 男の言葉に昴は眉をひそめた。それはつまり、ダウナー系の麻薬のような物という事だ。

「無論、後遺症等はありませんし、効果も短時間です。とはいっても、念のためにもう一つ、時間差で効果の出る安定剤を併用しますが」

 男は続けて内ポケットから、粒の大きい錠剤のパックを取り出した。それが安定剤か。
 真は差し出されるそれを受け取らず、躊躇う様子だった。

「どうしましたか?」
「考えたのですが、直前でこのような物を持ち出しても、不確定要素が強すぎます」

 だから――。そう続ける真を押しとどめるように、男は手のひらをかざした。

「言わんとしている事は、分かります。けどね、そろそろ白黒つけてもらわないと、どう転ぶにしたって今後の方針が考えにくい」
 
 それにただ勝つだけでなく、それなりにインパクトを残さないと――。反神崎を纏めて動くにしても、それなりに説得力を持たせなくてはならないというのは、昴にも分かる。
 だから、昴にそれを使えと言っている。昴を強化するために。

「けれど、このような薬物を昴のような小さな子供に――」
「いいよ」
 
 昴はなおも言い募る真を制し、満足げに口元を綻ばせた男へつかつかと歩み寄って、安定剤を受け取った。
 安定剤の類には、どうも信をおけないが、仕方ない。普段は昴が理性における最後の一線を手放さないために、真が安定剤の役割を果たしている。一種の条件付け。
 けれど、支援者に過度の口答えは厳禁だろう。居心地の悪い本家から離れてある程度の自由が許されているのは、役目を任されているからだ。それを監視する者も居るからだ。

「使います。そして、大きな成果を残しますから」

 だから、もう構うな。その言葉は喉の奥に飲み込んで。

「結構、実に結構だ。そのやる気は買いますよ」

 では、お邪魔しました――。昴の心を読んだわけでも無いだろうが、呆気なく身を翻し部屋を出る男。ここは二階で、階段を下りる音も聞こえる。その足音も遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
 少しの間を置いて、真は嘆息する。昴は立ち尽くす真の腕にしがみついた。そして、昴は小さく呟いた。

「ごめん……」

 勝手に話し進めて。そう続けようとして、飲み込んでしまった。

「いや、お前が謝る必要とかねーべ」

 こっちこそ、悪い――。真の言葉が何に対する謝罪なのか、昴には分からなかった。


 続く



[16649] 十九話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:2c0bd367
Date: 2011/11/07 01:19
 では、あの丘で巣くう鬼に関して、僭越ながら語らせていただきましょう。いつから、どうしてそうなったかは杳として分かりませんが、あの辺りは間引いた子を捨てる場所として知られていたのですよ。あるいは、役に立たなくなった年寄りがうずくまって死を迎える事もあったそうで。
 ええ、お優しい貴女様が不愉快になるのも詮無き事。確かに、私も野蛮窮まりない風習だとは存じますが、生まれ過ぎた子を養う力もない者も居ます。それに、この辺りじゃ子供や老人だって、貴重な働き手に御座います。それが病弱だったり、役に立ちそうもなければ、その者らの為に負担を背負うことが出来ない。庶民とは得てして、そんな狭量な者ばかりでして。 
 そのような風習が成り立っていますので、例え飢えようが子を捨てられないと言う者が居りましても、周りからは呆れられるか村の結束を乱す阿呆と囁かれるは必至。なので、家庭を守るために泣く泣く手放す者も多いのですが。 
 一度育てようとした子であっても、先を見据えていなかったり、あるいは他に問題が起きてしまったら、大きくなった子を奉公に――まあ、実質売りに出すようなものですか。 
 まあ、ええ、私がそういった輩よりも下賤と括られる類の者だとは自覚しておりますゆえ、この場での叱責はひとまず横に置いて頂ければと。
 ――ご厚情に賜り、恐悦至極に存じ上げます。それでは続きへと移らせて頂きましょう。この土地、少し前までは先に述べたような事が、余所と比べても控えめな傾向にありまして。
 この村、実りがここ数年は中々のもので、そこから羽振りの良くなった地主様とのご縁が出来ました。その辺りは、詳細に述べずとも察して頂けると愚考します。
 そして、角の生えた子供が生まれた。この噂も直ぐさま届く程度には関係を密にして居りました。そして、それが事実だと確認してすぐに、私は巫のお家にこれを伝えました。偶に巫のお歴々がそういった者を気前よく買ってくれるものでして。自分で言うのも何ですが、禍事への心得もあるので、かのお家からそれなりに重用されているのですよ。
 しかし面白い奇形とはいえ、使えるかは調査をしてからだ、となりましたが。念の為に、噂が広まりすぎないよう手を打たせても頂きました。ついでに、見世物として子を売ろうとした親には小金を握らせて、留め置かせるよう言い含めたりも。
 結局の所、鬼子と囁かれながらも、災いが起きるどころか村の景気は良くなるばかり。気味悪がられながらも、吉兆かもしれないと、子は放置される仕儀と相成りました。
 ……ええ、今年は不作が目に見えています。村人達はわかりやすい原因を決めつけることで心の安寧を得ようと、つまりそのような浅薄な考えの矛先とでも申しましょうか。そういった視線を受けているあの坊ちゃんはどのような心境なのでしょうね。
 ――いや失敬。少しばかり話が横道に逸れてしまいましたかね。とはいえ、無関係というわけでもないのですが。村人の決めつけも全くの見当外れというわけではありません。それは、貴女様も良くおわかりでしょう?
 そう、鬼との共鳴です。元々そうなりやすい体質だということもあるのでしょうし、気味悪がられる為にそれを促したということもあるのでしょう。太郎の坊ちゃんは鬼と引き合い、それを強める事が明らかになりました。土地の恵みが薄れている一因はそれでしょう。
 ええ、原因が分かったのならば、それを取り除けば良い。確かに、自然な考えです。ですがね、例えば、坊ちゃんを村から引き離す程度で、事態が全て丸く収まりますか?
 何も変わりませんね。ただ、これ以上悪化するのを防げるくらいでしょうか。ご理解ください。巫のお家が動いたのならば、これ以上なく完璧に事を納めなくてはならぬので御座います。只でさえ、維新やらで御上が大きく揺れ動く不安なご時世ですので。……ここまで語れば、後は何をするかお分かりでしょう?
 お察しの通り、人身御供で御座います。あの坊ちゃんを贄とし、鬼を払うのです。鬼と響き合うその心持ち、薬をうまく用いれば、逆に抑制するも易き事。
 そう、その時こそ、村人の不信、その他の問題を全て押し流す事となりましょう。そしてそれこそが、咲耶様が真に巫の血族としての証を立てるにふさわしい結果となるので御座います。
 鬼を払うのです! 
 さすれば、お父上も貴女様のことをお認めになるでしょう。その為に、貴女様はこの地へ遣わされたのですから。


 ……咲耶はただこの地へ遣わされ、その真意は自身を贄としろという意だと解釈した。薬物と精神統一を以て気勢を整え、その後に命を絶てば地の活性化くらいならば、と。
 咲耶は、それを受け入れていた。生きることに厭いていたというのに。
 死に向かう思い。それこそが太郎に共感を覚える理由なのだろうとも頭の何処かで思って。
 その子供を捧げよと、殺せと、それこそが父の意志だと人買いは言う。成せばその時こそ、咲耶が巫の一員となれる、そう告げて。
 胸の奥底で揺れ動く物を感じた。迷いに、揺れた。自分は必要とされたいのだと、気付いた。だから、迷っているのだと。
 幼子に犠牲を強いる。こんな迷いを抱いている自分へ、腹が立ったりもした。けれど、考えを捨て切れもしなかった。



 そろそろ、時間だ。真は要の敷地である小山へと向かう。静かに追従する昴の手を引いて。
 昴は暗澹とした雰囲気を掲げている。鬼を誘導する、負の精神統一。薬はまだ飲ませていない。可能な限り、量も効果持続時間も減らしておきたい。
 流れ行く霊魂が集い、昴の傍らへ。そして、その個性とも言うべき揺らぎが潰れて、鬼へと変わっていく。
 真は空気が重くなったかような、そんな感覚を覚えていた。今にも押しつぶされそうな、魂の重圧に吐き気を催す。
 自らの魂を以て引き寄るというのに、遠くへ自在に鬼を置くと言った芸当も昴はこなす。いくつもの音源を操作し任意の一点で重ね合わせるようなものか。もう少し距離を離せば真への影響も幾分薄れるのだろうが、今回は昴に鬼を集めさせる事へ集中するように言って聞かせた。
 集う魂は、昴の意志に寄る物か、真へはさして害をもたらさない。自前の安定剤を多量に摂取したと言う事もあるし、慣れと言うこともある。真が昴へ心を預ける――要は縋ることで精神を安定させていると言う事もまた一因だ。それでも、鬼という存在に対する嫌悪、恐怖、そういった感情を完全に廃する事は難しかった。
 そして何より。そう、決して口には出すまいが。
 真は、昴こそ鬼よりも恐ろしいと感じてしまうのだ。まるで、物語に出る鬼に抱かれているような。その凶悪さに頼もしさと、真を押しつぶすのではないかという疑わしさをも感じるのだ。
 口には出さない。真を慕ってくれる昴を突き放すような真似は出来ない。あるいは、真が昴へ抱いている感情の根源は罪悪感なのかも知れない。
 


 ――おや、これはこれは。巫の御当主様ではありませんか。御大自ら状況の確認とは、大変結構な事で御座います。
 予定通り、あの子供には例の薬を服用するように指示させて頂きました。かつてのように、舞台は整えて御座います。ええ、これで御息女の真価が顕わになるという物。巫の長きに渡る人体実験の成果が……おっといけない。
 はい、長きに渡る伝統の真髄、その一端をこの目で拝めるとは、身に余る光栄に存じます。とは言っても、厳密には視覚で捉えられる物ではありませんがね。
 ……ええ、これで実験が出来ます。二十一世紀現代の払い師が、かの鬼へ立ち向かえるか、と言う実験が。



 月明かりと外の明かりのみの薄暗い自室で鏡に映る自身を見つめながら、司は遠くで何かが揺らいでいるのを感じた。鬼だろうか。不思議と、普段よりも更に感覚が研ぎ澄まされたような気がする。
 重圧から解き放たれる事が、これほどまでに開放感を覚えさせるとは思わなかった。魂が冴え渡り、空へと舞い上がれるような気さえする。
 けれど、どうでも良い。
 そう、何もかもどうでも良い。もう何も無いから。
 信治に見放されないか震えることも、あるいはその言動に喜悦を覚える事も、無いのだから。

「って、信治の事ばっかりだ……」

 司は苦笑した。自分の交友関係があまりにも狭い事に呆れたからだ。
 傍らに置いてあった水面月。鞘に収まったままのそれへ縋るように胸元で抱えながら、ひとしきり、一人きり、静かに嗤って。夜目の利く司は、鏡の向こうに陰気そうな少女を鮮明に認めている。
 ――大丈夫、司はお母さんよりもずっと綺麗になれるから。ふと、いつかの母の言葉を思い出した。
 だって、司は――。そこから先が、何故だか思い出せない。

「どうでもいっか」

 嘆息気味に漏らして、司は家の外へ向かう。遠くに鬼が居るならば、もうじき普段通りの自宅警備だ。
 けど、それすらどうでも良い。もう良いよね――。小さく独りごちて。

「ねぇ、太郎さんや」

 鬼の名を、告げた。


 続く

 
 



[16649] 二十話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:2c0bd367
Date: 2011/11/07 01:18

 咲耶の迷いなど、人買いの男は当然察していた。しかし、巫から仰せつかった命は咲耶の意志でどうこう出来る物ではない。
 つまりは、巫の一員として認めるための儀式などと嘯こうが、結局の所は咲耶の扱いに関しては何ら変わる事など無い訳だ。そう、ただ従えて利用するのみ。
 咲耶は異人のようで、しかしそれよりは幾らか親しみやすい奇矯な顔立ちだ。扱い方を間違わなければ、そこに神聖さだの特別な要素を付加する下地に出来る。
 そう、御上が挿げ代わったために、これまで巫が積み上げてきた信頼、影響力と言う物が減じてしまう。今日の政府という奴は、歴代よりもそれが顕著だ。文明開化などと宣って霊的な物を軽んじる事甚だしい。
 他の有象無象と同列に扱われないためにも、衆目を集めて理解しやすく目立つ、偶像になり得る『物』が必要なのだ。咲耶に与えられた役目は、そのための布石だ。
 そこに微かな哀れみも覚えるが、それだけだ。やる事は、変わらない。

 ――ねえ、どうなすったんですか、太郎の坊ちゃん。

 一人でぽつり、彷徨う子供に声をかける。

 ――もう逢魔が時も近いのに、お家に帰らなくても良いので?

 利用するために、揺さぶる。

 ――まあ、もう必要ないかも知れませんね。

 もう、すがれる物が無いという断言。

 ――ようやく御兄弟が出来るようなのですが、ご存じない?

 もう、代わりはいるのだと。
 それが、今日まで太郎が売り払われなかった理由の一つであったと暗に示して。

 ――実の所、父親が誰かは疑わしいとの噂も、っと。子供にはまだ早い話でしたね、失敬。

 家庭は壊れていると明解に感じさせて。
 その段々と暗鬱に沈んでいく様を見せる幼い相貌を、男は睥睨した。

 ――ねえ、新しい居場所、欲しいでしょう?

 汚名返上。そう咲耶様を、手伝っては頂けないか。
 そう次いで、それから初めてこちらの目を見る太郎に、男は口の端を釣り上げた。



 知っている。真の心は、全部知っている。
 真に深い依存心を抱き、だからこそ真の精神の揺らぎを常に見ていた。
 そう、昴は自分が真に疎まれているという事実を敏感に察していた。

 ――それでもかまわない。それでも、真の傍にいたい。

 それが実際、単に思考を放棄してるだけだと。……そう、真の心情を配慮しない考えだと気付きながら、昴は真の傍へ侍り続ける。
 それ以外に自分の生きる道はないと断じながら、昴は真に寄生する。
 真に差し出される白い錠剤。そういった物に不慣れな昴だ。口に入れるだけで不快感が込み上げる。真のように水も含まず飲み込む事も出来ない。
 そこでようやく気付いたらしい真が、近くの自動販売機で購入したペットボトルのお茶を呷って、口内で微かに残る苦みと共に飲み下した。
 単なる薬物ではなく、その中に微かな方向性を付与した魂を内包する特異さ。昴の傍で耐えるため、魂の感覚を鈍らせた真は恐らく気付いていない。
 薬物が化学的に作用するまでもなく、魂が刺激される。何かに足を取られるような、不快な陰鬱。
 そして胸中をかき乱すのは、不安。集う鬼と相互に作用し合い、負の念が高まっていく。
 不安が鬼を、鬼が不安を加速させる。真に依存する自身への罪悪感。そして振り払われる事への恐怖。
 強く、強く、思いが高まっていく。内蔵が締め付けられるような感覚に喘いで、真へしがみついた。
 苦しい。苦しい。全身が跳ねるように震える。魂が、激しく蠢く。
 動揺を見せる真へ、笑んでみせる。けれど、直後にそれは歪む。
 そんな昴を、真は抱きしめた。真の震えを、恐怖を感じながら、昴はしがみつく力を強めた。
 そして。
 そして……。

 ――離すものか。

 昴の帰結する所は、開き直りとでも言い表せるような、そんな思い。
 離すものか――。孤独を恐れ、反発する強い思い。
 それは負の念と、単なる妄執と断ずるにはあまりに生命力を感じさせる力強さ。そう、満ちあふれるのを感じる。少し離れたその鬼もまた、脈動を高めて。
 脈動。循環。そして更に何かを連想しようとして、けれどその言葉を昴は喉の奥へ押しやった。それは後回しでいい。
 さあ、行こう。



 司の母である操は、外界と触れた経験が無い。操の母がそう仕向けたからだ。だから操は、母から読み書きと四則計算程度は習ったが、義務教育すらまともに受けていない。
 操が知っているのは、禍払いの修練で知った妄執うごめく夜の帳。煌々と月の照らす儚い世界は、昼間の屋内よりも何故だか明るかったようにも思えた。
 基本的に、家からは離れることを許されなかった。そして、それに逆らう反骨心など、操は持ち合わせていなかった。なにより母がそう命じた理由が、母なりの善意に基づくものであったと察することが出来たという事もまた一因ではあったが。
 操の母はその昔、外で大事な人との別れがあったらしい。役目を次ぎ、神崎にあてがわれた男と子をなす際に縁を切ったそうだ。要の家では、そうやって外界から孤立した上で子を残すよう定められていた。
 それらの事情の詳細を問いただした訳でもないが、母の断片的な愚痴を繋ぎ合わせた結果、操はそのおおよその経緯を推察するに至っていた。
 ――それは、どのような関係だったのだろうか。想像は出来る。単なる決めつけと言われればそれまでだが。けれど、きっとそれだ。家の中、テレビ等の限られた情報媒体で垣間見た。要操は、それに淡い憧れを抱いていた。
 それを知りたい。そう思いながらも操は踏み出す事を恐れ、やがて病に弱っていく母の後を継いで家へ繋がれる。
 そして淡々と過ごす日々に厭いて、操は気付いた。――自分は後悔している。深く心を通わせた訳でもない神崎の男と初めての子を成した時、ようやく気付いた。その子が神崎へ召し上げられていった時に、ようやく。
 しばらくして、淡々と孕み、産み落とした我が子を見て思う。自分のような後悔はさせたくない。二人目だというのに、今更になって子へそのような思いを抱く自分に、操は自嘲していた。
 ――それは畢竟、自らの母と同じ心情から来る堂々巡りだと。

 

 司は幻影を見た気がした。それは一瞬の白昼夢。母の想い。けれど母の心なんて、自分は知らない。都合の良い妄想か。
 思い返してみれば、他人が何を考えているかなんて深く考えた事は無かった。表面上だけ取り繕って、それだけでも生きて行けた。いや、結局の所は間違ったからこその失敗か。
 握る水面月。伴う暖かみが、今の自分には不愉快で。そこに何故だか後ろめたさを覚えた。
 名を告げた直後から、太郎――鬼が奥底で脈動を打ったような、そんな感覚は強まっていく。今までよりも更に強く、鬼を感じる。強く鬼を感じたからこそ、気付いた。
 少し、ズレてる。負の念と、生の念。自分が抱いているのは鬼のような負の思い。けれど、ズレている。帰結が同じでも、何かが違う。

 ――鬼まで僕を仲間はずれですか。

 苦笑しながら、玄関先へ向かう。途中の台所で、勉の書き置きを見つけた。非常時だが上司の急な呼び出しがかかった旨を謝罪する文。
 巻き添えにしないで良かった。直前までその存在を忘れていたが、思った。冷蔵庫にサンドイッチとプリンがあるらしいが、それは無視して向かう。
 これも置いていった方が良いかな――。死地へ誘う事に気が引けて、水面月は玄関の下駄箱に置いた。傍らに、携帯電話が何故だか置きっぱなしで吹き出した。おそらくは昼間、信治を迎え入れる時か。
 そして、ブーツを履くのを億劫に感じた司は、突っ掛けの草鞋で外へ出た。鬼が、死が近づいてくる。傍らの鬼も、じわじわと司の噛み合わない魂を均しているのを感じる。
 内蔵がかき回されるような不快感。思わず苦み走った表情を強引にニュートラルへ戻す。
 意識して、弾むような足取りを。少し強く踏んで、砂利が鳴った。
 さあ、逝こう。
 ……あ、そういえば。

「塩辛、まだ食べてなかったなぁ」 

 ふと浮かんで、少し未練がましく司は呟いた。 


 続く

 また改題してしまいました。今回で改題は最後です、多分。色々ブレブレですが、最後までおつきあい頂けると嬉しいです。



[16649] 二十一話
Name: 圭亮◆f2ceb6ad ID:c5c1ceba
Date: 2011/11/07 01:20

 司の家から少し離れた、農家が点々と存在する辺りの一角。空き家だったのか、あまり手入れ行き届いていない一軒家に勉は招き入れられた。神崎の当主に呼び出しだ。

「魂という物は、知ろうとすればする程に不可解な事が多い。脳と相互に干渉し合う力場ということが解っていても、それが実際生命にとって必要不可欠な物だと証明出来ない。蝗害など、動植物の異常発生の幾つかに魂が関わっているというのも、あくまで経験則から来る判断だ。計算から導き出される魂単体の力は、宇宙全体においては微々たる物だ。精神における振る舞いだって、単なるノイズ以上の物ではないとも言われている」

 解らない事だらけ――。そう言いながら、やけに自信に満ちている。眼前で畳に胡座を掻く小柄な男の声を聞きながら、勉は思わず吐き出しかけた嘆息を飲み込んだ。
 自身の知性に酔いしれるような、そんな声だった。そして男が同時に浮かべるいたずらめいた笑み。そこになんとなく彼女との繋がりを感じたが、あの娘の表情に宿る感情のベクトルは真逆と言って良い。
 彼女への――そう、司への後ろめたさも手伝って、勉の男へ抱く嫌悪感が増していく。この男が司を押し込めている、そう思うと。

「魂に心の本質は無い。何故、人は魂を神聖視するのだろうね?」

「それは貴方の偏見に過ぎない。現代社会において、魂の真剣に考える物好きなど、そう多くはないでしょう」

 続いて男に投げかけられる問いを、勉は間髪入れずに切り捨てた。この男の不興を買っても損なだけだと、頭で解っていても、ささくれ立った心境が滲み出てしまう。

「つれないなぁ。親子のコミュニケーションは大事だろ?」

「戸籍上は養子ですが」

 血縁上、勉と男が実の親子関係であるのは半ば周知の事実だが、法的に認知はされていない。
 単なる分家の私生児。あくまで、養子として神崎にいる。神崎当主の血のつながらない息子として。

「悪いとは思っているよ。けれど家内が君を認知することを許してくれなくてねぇ……」

 それはそうだ。普通であれば、他の女に生ませた子供を、そう易々と受け入れられはしないだろう。しかし、養父の妻はそうした反駁を表に出せない類の人間であり、養父はそんな妻の心境を慮ってやろうとしない類の人間だが。養父が神崎の跡目を継がせたくないと考えた結果と考えた方が自然だ。

「話は代わりますが、いい加減この体勢はきついのですが」

 現在、勉は背後に腕を捻りあげられた状態で、畳の床へうつ伏せに押さえつけられている。この場にいる、もう一人の男の手によってだ。

「申し訳ありませんが、巫の頭首様には逆らえませんので」

 もう一人、痩せぎすの男が申し訳ないと全く感じていない口調で言った。勉はこの男にも見覚えがある。確か、神崎に反感を持つ一派に属している筈だ。しかもその中でも、中枢に近い存在。つまり――。

「面従腹背、まあスパイと言うわけでもないんだよ。ちょっと違う」

 勉が思い至ると同時に、父が否定の言葉をよこす。内通者というわけではないのか――?

「外野がやりすぎないように纏める、僕の右腕」

「ご子息においては挨拶の遅れた事、申し訳なく存じます」

 言いつつも、男の声音はやはり悪びれた風も無く、堂々としている。勉を解放する気配も無い。そして養父は続ける。

「そもそも、ウチに本気で逆らおうって奴はほんの一握りでね。そんな温い派閥なんて、飲み込むのは簡単なんだ。けど、ま、割を食ってもらう立場がいないと、神崎が目立てないからね」

 国からの予算配分、その他の利権。神崎はそれらの多くを押さえている。だからこそ、払い師の中でも大きな権力を誇っている。
 なるほど、確かに神崎がその権勢を強めれば強めるほど、周囲の反発が高まるのは必至。だが、あえてそれを解体まで追い込まない。そう、過度の弾圧は相手の結束を強めかねない。手綱を握って、そのまま低い立場で甘んじてもらう、と言うわけか。
 見せかけだけの対立構造。相対的に神崎を喧伝する行為も兼ねている辺りに、勉は滑稽さと吐き気を覚えた。そして同時に脳裏を過ぎる、不快な確信。

「司と、そして要操の事も、そんな茶番劇の一つと言うことですか」

 呻くように、漏らした。そしてそれは、司の母である操の死にも繋がっているのではないかと言う考えに及ぶのは至極当然の流れ。
 要は神崎の分家筋であり、そこを襲うとなれば、反する一派と考えるのが自然。この地は鬼の強度こそ恐ろしいものの、他と比べれば重要度が高いと言うわけでもない。
 霊脈の重要度は立地により他へ波及する可能性に基づいて決められる事が多い。その事実から鑑みるに、襲われても痛くない場所を選択したというのは穿ちすぎな考えでもあるまい。

「操ねぇ。どうして今更あの女を気にかけるのやら」

 理由。解りきった事を言う。勉に要の家を気にかけるよう誘導したのは、他でもない養父だ。

「まあ、アレは良い女だった。儚げで、誰の物にもならない頑なさが在った」

 物憂げな声は次の瞬間には取って代わる。

「――それともアレか。似ているかどうか、同じ服で試させたの、まだ根に持ってる?」

 下劣な笑みをかみ殺しながら、養父は言い募る。
 過去の恥辱。笑い飛ばそうとしても、のどの奥でざわめく何かを感じる。克服したと、時折はしゃぎ回っても、やはり後ろ暗い意趣が付いて回る。
 そして、紅潮する頬。そのまま激情に流されようとした所で、唐突に我へ返った。自分も所詮は同類か、と。
 そう、司があの境遇に甘んじている現状を座視している自分も――。上げかけた顔を下ろす勉に、養父は一転して穏やかな声で諭しだした。

「勘違いしないでもらいたいんだがね。少なくとも、司に関しては必要な事なんだ」

 神崎と、そして何よりこの国にとって。養父はそう続けた。

「楽しんではいないと?」

「その可能性は否定できないね」

 何が、可能性だ。

「けれど、そろそろ成果が出ないとまずいのは本当だ。その辺り、もう少し話そうかな」

 ――これから先、神崎の将来について。
 養父はそう次いだ。それこそ、自分に話す事ではないだろうに。

「これからの逆ピラミッドな新時代、色々と変わりつつあるんだ。だから、お前さんにも手伝って欲しい事がある。特に司の事を、ね」

 その言葉に、勉は思い至る節があった。
 時代の変遷により発生する問題など、それこそ山のようにある。けれど、特に顕著とされるのが、現在にまで膨れあがった人口の新たな推移によって今後問題になるだろうとされている事。
 つまり、司はその問題に対応する事を期待されている。司のような半ば規格外じみた存在が必要になると、神崎はそう考えている――。話の続きを待ちながら、勉は空気に緊張が混じるのを感じていた。
 と、その時だ。
 唐突に訪れた。得体の知れない何かが、強烈に響くような、そんな違和感。

「こ、これは……!」

 勉は震える声を漏らした。遠くに揺れる負の妄執、脳裏に閃くのは最悪の予感。
 そして、待っていたと言わんばかりに、気の抜けたような嘆息をしてみせる養父。

「鬼の暴走が始まったか……。無事乗り越えてくれると良いのだけれど」

 それから、何処か感慨深い様子でそう漏らす。つまりは、これも想定の内。
 自分で演出した状況で、ぬけぬけとよく言う――。そう思いながら、勉は取り押さえられた状況から脱しようと足掻いた。

「おっと、もう取り押さえておく必要も在りますまい」

 そう告げ、痩せぎすの男はあっさりと勉を解放した。弾けるように勉は立ち上がり、その家を後にした。
 急げと駆け出す。もはや手遅れの感が否めない。けれど、何もせずにはいられない。
 ――妹を、見捨てたくない。さして長い付き合いでもないが、それでも司との間に深い繋がりを感じていたから。
 けれど、自分では司が救えない。分かっている。自分に、その資格は与えられていない。
 だって、自分ではここから先へは進めない。
 舗装の剥げかけた道路。この道を少し進んで坂を登れば、司の家はすぐだ。
 でも進めない。なまじ有能な小賢しさが、自分一人ではどうにもならないと悟らせた。強烈な思念の渦巻く空間を眼前に、勉の足は止まったままだ。
 例えるならば、遠くで野に放たれた猛獣が群れ成して鳴くのを聞いたような、危険の確信。
 凄まじい猛威を予感させる空気に、勉は進めない。見捨てたくないと思ったけれど、自分では対処出来ずに無駄死にだと冷徹な判断が先に立つ事への嫌悪。
 禍払いには、複数人で心持ちを支えながら当たるのが有効。そう、自分一人では――。

「神崎さん!」

 その時背後から聞こえたのは、信治の息荒い声だった。


 続く


 もしかしたら言われるかも知れないので先に言い訳させていただきます。
 H×H板の作品と思いっきりメインのキャラ被ってるのは、むしろこっちで考えたのを流用した結果です。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.404894113541