放課後、俺は一人帰宅部の理念に反し、家には直帰せず百均に向かった。
まあ、週に四回はそうしているが。高校へ入学してそろそろ一月経ち、ボッチポジションに固まった俺にはそうするより他無いと言うだけだが。
百均は素晴らしい。常々そう思う。
鼻歌を交えながら百均の店内を見回せば、コンビニ程度だろう広さの店内に所狭しと棚が並ぶ。
そこを埋め尽くす数々の日用雑貨、食品達。
そして、その殆どが税込で一つ百五円ときたもんだ。
百均を作ったのは神だ、神に違いない。
例え違っても俺が百均教団を結成し、百均を神の居ます場として後の世に語り継いでみせよう。
奇跡の伝道師、その名は大山信治。うん、ださいな俺。
現実に向き直りつつ、賞味期限が近づいて五十円引きシールの貼られたスナック菓子を籠に二つ放り込む。合計百十円、ブラボー。
消費税を割引いてくれないのは玉に瑕だが、それでも割引万歳。
そして店先に停めていた自転車を駆り、普段通りで次に目指すは町外れの友人宅。
自転車を愛用した結果太くなった大腿部が唸りを上げる!
……まあ、悪い筋肉の付き方らしいが。
空を仰げば、どんよりと分厚い雲。
今日は早めに家へ帰った方が良いやもしれん。
周囲に人気と建物が少なくなってきた。畑やら古めかしい家が点在する眺め。
そろそろだ。
緩やかな傾斜を登り、半ばで舗装が途切れた。徒歩に切り替え、軟らかい土を踏みしめて自転車は押して進む。
道は車一台やっと通れる程度の広さで、左右には春過ぎた新緑の木々が生い茂る。登り終えた先、目的地の民家を認めた。
ぽっかり空いた砂利の敷かれた土地の中、十年ほど前にリフォームしたらしい、周囲にそぐわぬ小綺麗な二階建ての白い家。
自転車は家の横にある、がら空きの車庫に停める。
バリアフリーに均された玄関前の微かなコンクリの斜面、大股一歩でガラス張りな引き戸の前へ。
俺は普段通り、鍵もかかっていない不用心な戸を開けて中へ入った。
そのまま居間を通り過ぎ、一階の奥まった部屋へ。ドアを開ける。
ベージュの絨毯が敷かれた白い壁の十畳間。
中央で複数並べた座布団に俯せで寝そべり、長い足を曲げ延ばしして本を読んでいる少女。
床に広がっている腰に遠くだろう長髪は、烏の濡れ羽色と形容するにふさわしい漆黒。
白地に青い花柄の着物が若干着崩れて色っぽい。
その切れ長の視線の先は、挿絵のツンデレがヒロインのライトノベルだが。
俺の視線に気付き、服の乱れを直しながらゆっくりと起き上がった。
「うぃーす」
ぴしっとした正座で気だるそうに言われると、違和感がある。
「おう、うぃっす司」
そう、コイツこそ我が友人、要司である。
「今日も元気にニートってるかー」
「僕はニートじゃない」
ほう。常識的に考えれば高校に通っている、または労働に精を出すべき年頃であるというのに、心に傷を抱えているようでもなく部屋に引きこもっているお前を何と呼称すればいいのか、ご教授願えないか。
そう問えば、司は何処か誇らしげなため息と共に額へ手をやる。
まあ、カッコ良いポーズのつもりなのだろう。
「――そう、ガーディアンと呼んでくれ」
格好良く言い替えても、結局は自宅警備員と言う名の無職である。
しかも中卒。
「さあ、日夜自宅を守っている僕をねぎらってくれ。そう、愛を込めて」
「何から守ってるっつうんだよ」
「……それは、ええと、新聞の勧誘とか?」
「お前が奴らに対抗出来るとは微塵も思えん」
俺と同様に人見知りだろお前。押し切られるのが目に見えてるんだけど。
「その通りだ。セールスの類は私が追い払っている」
背後から凛々しい声。よく知る年齢不詳な自称お手伝いさんの声だ。
「お邪魔してます神崎さ……ん?」
振り向くと、そこには見事なメイドさん。
いつもと違う服にドッキリ。これは予想外。
どう見ても身長百六十センチ未満の小柄、奥にくりくりした瞳を覗かせる黒縁メガネに若干色素の薄い三つ編みで十代の文学少女的な清楚さを振りまき、濃紺のロングドレスに白いエプロンが目映い。
うんうん、昨今のミニスカメイドには俺ちょっと辟易してるんだよね。
「でもちょっとまて」
「なんだ?」
お手伝いのくせに、どこか尊大な口調。
しかし嫌みには感じない。
「男がメイド服着るなよ」
似合っているけど。
似合っているけどさ。
大事な事だから二回言う。
「そんな、似合っているだなんて……」
ほのかに色づいた両の頬に手を当てて、メイドこと神崎勉は身体をくねらせた。
そこだけ拾うなよ。
「都合の良い耳だろう?」
「確信犯だよこの人」
「それは誤用だ」
はいはい、自分がやっていることを正しいと確信している犯罪者に使う言葉だっけ?
細かいこと気にするなよ。言葉の意味が変わっていくのは仕方ないことなんだから。
「御用だ御用だー!」
立ち上がり、どこから取り出したのか十手を振り回す司だった。
「……何の御用ですか?」
冷ややかな眼差しをくれてやった。
「いじめですかー!?」
「私の持ってたヤツだろそれ」
神崎さんが十手をひったくった。
そして嘆息。まったく、いつの間に――と。
「めんごめんごー」
悪びれない笑みの司。
「でも遊び心くすぐるよね、そういうグッズ」
「そこには俺も賛同する。神崎さんも好き者だよな」
「ロマンを理解していただいたようでなにより。……麦茶を持ってきた」
神崎さんは足下に置いていたお盆を拾い、俺に差し出す。横から割って入った司が受け取った。
「ありがと勉さん。じゃ信治、その袋のお菓子、開けて」
立ち去る神崎さんを尻目に、部屋の床へ置かれた座布団の一枚に座り込む。
買ってきたスナック菓子の袋はパーティ的に開放。
麦茶を含みつつ、マイナーな堅焼きの微妙な味に二人揃って首を捻る。
正直、揚げパン味の再現率は褒められた物ではない。
半分ほど減らし、ウェットティッシュで手を拭ってからテレビゲーム開始。
「しっかしお前、いい加減外に出ろよ」
そう言いつつ、レースゲームで身体が傾く癖は直らない。
神崎さん曰く、傍から見ると二人が良い具合で平行に揃って面白いとのこと。
「野外プレイを強要されてる!」
「……携帯ゲーム対戦だったら、野外もオッケーだぞゴラァ」
たまにはすれ違い通信の一つもしてみせろ。
「常時戦場の心構えで自宅を守り抜く。だから家からは一歩も出ない」
「だったらゲームに興じるなよ」
「それは……」
そこで壁のない断崖絶壁の連続カーブにさしかかる。
落ちればタイムロス。お互い何かを言う余裕も無くなった。
……カーブを過ぎた。
俺から口火を切る。
「自宅警備するなら真面目にやれー。鍵掛けないとか有り得ん」
「しかし有り得るジェルウォッシュ」
「上手くない。座布団一枚もってけ」
「手厳しい」
「はい、座布団を回収しに参りましたー」
「神崎さん!?」「勉さん!?」
音もなく登場。
たまにあるが、いつ見ても驚くよこれ。
が、司は自身が乗った二枚重ねの座布団を死守することに成功。
いやまあ、神崎さんが本気じゃなかったというのもあるだろうが。
そして程なくして、窓から見える空がより雲を厚くしたので、雨が降る前に帰宅することに。
その時には神崎さんも、普段通りシャツにスラックスを履くスタイルだ。髪型も長髪を後ろで軽く纏めている程度。メガネはレンズの小さな縁なしだ。
そして、司に肉じゃがを用意してあるから温めて食べろと告げて、俺と玄関へ。
「じゃーね、お二人さーん」
司の見送りを背に、神崎さんと一緒に家を出る。お手伝いさんとはいえ、同居しているわけではない。
「――というわけで、お風呂でバッタリは無い。安心したか?」
「誰も聞いてませんて」
俺は地べたがアスファルトに変わった直後、徒歩の神崎さんと別れて自転車を飛ばした。
雨が降り出したのは、家へ着く直前。さほど濡れずに済んだ。
雨が降っている時、家に居ると妙に安心出来る。家はガランとし、誰もいない。
親は共働き。妹は名門中学の寮生。慣れっこなので、開放によるテンション上昇は起こらない。
夕飯は昨日のカレーが冷蔵庫に残っているから問題無い。神崎さんに司の分と一緒に用意して貰う時もあるが。
――あいつも今頃、家で一人か。
ボンヤリと思いながら、カレーを鍋に移してコンロに載せる。静かな家の中、コンロに火の点る音がやけに響いた。
司は点けたばかりだったコンロの火を落とした。目を離した隙に何かあったら大変だ。
土地を覆う結界との干渉を知覚した。魂にちらつく不快感。司の勘は今日も冴え渡っているようだ。
今朝方『調律』を終えたばかりで、封印は万全。優に一時間は外で活動可能だ。体調も万全で、迎撃に支障無し。まあ、時間一杯使うようでは話にならないが。
――光の国からやって来た宇宙人にだって負けないよ。
調律とて楽ではない。それくらいの意気込みでなくば、家を守り抜くことは出来ないだろう。
自室に駆け込み、押し入れを開ける。中に置かれた台座、杖から刀剣類、複数の武器が収まっている。
どれも、『呪い』の但し書きが着く逸品だ。
必要な物を過不足無く選択せねば。続けて使用すれば消耗度も激しく、長持ちさせなければ勿体ない。とはいえ、やはり使いやすい武器に偏ってしまうのだが。
家へ近づく気配の大きさから適当な物を手に取る。この程度ならばさして消耗もすまい。司はゲーム終盤でもレアアイテムを使用しないタイプだが、自身もまた労らなくてはならない対象だと理解している。
――家には誰も入れない。ここは自分の領地だ。
決意の確認。強く握られるのは、鞘が薄く角張った小太刀。銘は『水面月』。役目を引き継ぐ際に供与されたそれは、湿気にも強い。消耗を考えなくてはならないが、多用しがちな一品だ。
専用の帯と一緒に、服の上から腰へ帯びるその不格好さに苦笑しつつ、雨よけの外套を肩に掛ける。そして要司は、頑強なブーツで玄関先のコンクリートを蹴って、しとしと濡れる夜の帳へ躍り出た。
続く、やもしれん
これは引きこもりとダメ人間が繰り広げる『悲喜こもごも』の物語です。