日々の記憶.....
作雨作晴
汝自身を知れ
汝自身を知れ
すべての言葉の理解がそうであるように、「汝自身を知れ」という言葉も、そのもっとも深遠な意味から、いわゆる通俗的な軽薄な意味の理解に至るまで、その言葉を聴く者自身の器量が言葉の理解に反映するものである。そして、私たちが歴史について勉強することもまた、「自分自身を知る」ためのものであることには違いはない。
もはや戦後もすでに半世紀以上も経過しているから、もちろん現在を戦後と呼ぶにはふさわしくはないかもしれない。ただ、そのような時の経過を経て今なお、圧倒的な影響力を行使して深くっその刻印を日本国民に刻み込んだマッカーサーの統治をも、ようやく客観的に見直すことのできる時期に入っているともいえる。
GHQに支配的だった戦後民主主義やマルクス主義的な歴史観をもまた含めて、そうした戦後からの歴史的な価値観からも自由になって、日本の歴史を本来的な位置に置いて、はじめて相対的な構図のもとで考察できる状況に来ていると言える。評論家の西尾幹二氏が今行っている『GHQ焚書図書開封』など著作の一連の仕事なども、そうした流れのなかに位置づけることができる。
このように自分自身を客観的に知るためには「歴史」を学ばなければならないが、どのような観点から「歴史」を学ぶかは、すでにそこには「現在の私自身のもつ価値観」によって規定されている。それは宿命ともいえるもので、何人であれ「時代の子」として特定の時間と空間に規定されて生きるしかないからである。ただ私たちは自身が、「一つの時代の子」として生きていることを「自覚する」ことによって、いくらかは自由に振る舞うことができるのみである。
とくに、いわゆる「団塊の世代」は太平洋戦争後に生を享けた世代であって、日本の敗北の結果としてのGHQ統治の下にまっただ中にその生涯を過ごすことになる世代である。その教育的な影響からいえば、すでに生まれついて戦前の記憶はなく、文字通りの「マッカーサーの申し子たち」として育ったとも言える。歴史的に見ても彼らは、他国民、異民族の支配下に生きることになったはじめての日本国民ということもできる。そうしてもっともアメリカナイズされた文化のなかに生きることになる。
しかしこのことは、とくに個人的に私のようにアメリカ文化のある一面に拒絶反応を示すような体質をもった人間には耐えられない面がある。たとえばそれも取るに足らないことであるかもしれないが、日本人が自分たちの子供たちに向かって「パパ」「ママ」などと呼びかけているのを聞くと吐き気を催しそうにさえなる。茶髪やラップ音楽などに対してもどちらかといえば拒絶反応に近いものがある。
戦争に敗北したことから来る国民的な劣等感などもやむを得ない側面があるのだが、長い歴史のなかに日本文化の正統性とその伝統の回復や、民族文化や国民性のその概念の復活といった問題意識や価値観をもつ者にとっては、戦後のGHQ統治の歴史的な反省と総括という課題は避けることはできない。
もちろん圧倒的大多数の戦後の「マッカーサーの申し子たち」たちには、こうした問題意識の欠片も存在していないし、彼らの大多数にとっては、むしろ彼らの存在の根底を批判されるに等しいことである。それゆえに彼らにとってはそうしたことは愚劣なことであり反感をさえ呼び起こすものであることはよくわかっている。
だが、しかし、世代が交代して、新しい世代に対してどのような姿勢で接するかということは、西尾幹二氏や私たちにとって一つの思想問題でもあり、深刻な社会問題である。それはまた社会を根底から変革して行くための思想的な哲学的な課題でもあるのだから。
このブログでも「歴史」は基本的なカテゴリーの一つではあったけれども、これまで時間的な問題もあって、なかなか本格的にこの分野での論考を深めることができないでいた。しかし、愚痴を言っても始まらないので、少しずつでも、「私たちの歴史」をより客観視し、より自由になるためにも、歴史的な問題についての文献資料を収集し、また、考察も深めてゆきたいと思っている。
はっきり言えば、こうした歴史的な事件に対する基本的なスタンスはすでに明らかであるということはできるかもしれない。その核心は、現在の自衛隊と防衛省を解体することであり、そうして国軍としての新しい日本国軍隊の創設を核とする民族文化と国民性の概念を復興させることである。
幸いにして、今やインターネット時代に入って、分析や考察に必要な資料などは比較的に容易に手に入るようになった。ただ、不足しているのは能力のみであることは痛感しているのだけれども、ただ泣き言を言っても始まらず、非力を省みず論考を蓄積してゆきたいとは考えている。
この間たまたまマッカーサーのアメリカ議会での証言をアメリカ大使館のホームページで見つけた。その証言の様子はYOUTUBUでも見ることができる。私たちは天皇さえ越える権威として敗戦後の日本国に臨んだマッカーサーという男を知ることから歴史を見つめ、私たちの生きた時代を批判してゆく必要がある。
「ダグラス・マッカーサー将軍の議会での証言」
General Douglas MacArthur's Address to Congress
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1951年4月19日
上院議長閣下、下院議長閣下、ならびに連邦議会議員の皆様
私は深い謙虚さと大きな誇りを感じつつ、この演壇に立っています。これまでに、ここに立った米国の歴史の偉大な構築者たちのことを思えば、謙虚にならざるを得ません。立法府の議論が行われるこの場所が、これまでで最も純粋な形で人間の自由を体現していることを思えば、誇りを覚えざるを得ません。ここには全人類の期待と願望と信義が凝縮しています。私はいかなる党派的な大義の唱道者としても、ここに立ってはいません。なぜなら、争点となっているのは根本的な問題であり、党派的な考慮の範囲を大きく超えるものであるからです。我々の進む道が健全であることを証明し、我々の未来を守ろうとするなら、これらの問題は最高水準の国益に基づいて解決されなければなりません。従って、私がここに述べることは、同じ一米国国民が熟慮した見解を表明しているものと、皆様が正当に受け止めてくださることを確信しています。
人生のたそがれ時にここで演説するにあたり、私には何の遺恨も苦渋もありません。心にあるのは、ただ1つ、国のために尽くすという目的だけです。諸課題は世界的な規模に広がり、あまりにも深く絡み合っているため、ほかの側面を気にも止めずに1つの側面だけを検討することは、全体の破綻を招くことでしかありません。アジアは一般的に欧州への玄関口と呼ばれていますが、それに劣らず欧州がアジアへの玄関口であることもまた事実です。一方の広範な影響が他方に及ばないことはあり得ません。わが国の軍事力は、この2つの前線を守るには不適切であり、我々の努力を分割することはできない、と言う人がいます。これは敗北主義の表明の最たるものです。もし仮想敵国がその軍事力を2つの前線に分けることができるのなら、それを迎え撃てばいいのです。共産主義の脅威は地球規模のものです。共産主義が一つの地域で進出に成功すれば、他のすべての地域が破壊される恐れがあります。アジアで共産主義に譲歩、あるいは降伏することは、同時に欧州においてその進出を阻む我々の努力を無駄にすることになります。
こうした一般的な道理を指摘した上で、アジア全般のことに限って論じたいと思います。いま存在している状況を客観的に評価するには、その前に、アジアの過去と、現在までに際立ってきた革命的な変化について、多少なりとも理解しておかなければなりません。アジア諸国の国民は、いわゆる植民地勢力から長い間搾取されてきており、フィリピンにおけるわが崇高な米国統治が指針としてきた社会正義や個人の尊厳、生活水準の改善などを、達成する機会をほとんど与えられてきませんでした。そしてようやく、先の戦争に植民地主義の足かせから解放される機会を見出しました。今、新たな機会の到来と、これまで感じることのなかった尊厳と、政治的自由に根ざす自尊心を目の当たりにしているわけです。
地球の人口の半分と、天然資源の60パーセントが集まったこの地域で、アジアの人々は物心両面で新たな力を急速に結集させており、これを用いて生活水準を向上させ、近代化の構想を確立し、自らの独特の文化的環境に適合させようとしています。植民地化の概念に執着する人がいようといまいと、これがアジアの進む方向であり、この動きを止めることはできません。これは世界経済の辺境が移動することの当然の帰結であり、世界情勢の全体的な中心は、巡り巡って、それが始まった地域に戻るものなのです。
このような状況において、わが国としては、植民地時代がすでに過去のものになった以上、アジア諸国の国民が自力で自由な運命を形作る権利を切望しているという事実に目を背ける路線を取るのではなく、こうした基本的な進化の状況に共鳴するように、自国の政策を合わせていくことが死活的に重要になります。彼らが今求めているのは、友好的な指導、理解、支援であり、尊大な指図ではありません。尊厳ある対等であり、隷属という恥辱ではないのです。彼らの戦前の生活水準は哀れなほど低いものでしたが、戦争が終わった今、戦争の残した惨禍で、生活水準は果てしなく悪化しています。世界中のさまざまなイデオロギーはアジア人の思考にほとんど影響を及ぼしていませんし、理解もされていません。アジアの人々が求めているのは、少しだけ多くの食糧を胃袋に入れること、少しだけまともな衣服を身に着けること、少しだけ頑丈な屋根の下で寝起きすること、そして政治的自由を求める正常な民族的欲求を実現する機会を得ることなのです。このような政治的・社会的状況は、わが国の安全保障にとって間接的な意味しかありませんが、それは目下の計画の背景をなすものであり、我々が非現実主義の落とし穴を回避しようとするなら、それを慎重に検討しなければなりません。
わが国の安全保障により直接的な意味を持つのは、先の戦争中に起きた、太平洋の戦略的潜在能力の変化です。それまでは、米国の西方の戦略的国境は、文字通り、南北アメリカ大陸の境界線であり、危険にさらされた戦線の突出部として、ハワイ、ミッドウェー、グアムを経てフィリピンまでつながる島々がありました。この戦線の突出部は、わが国の強力な前哨地ではなく、敵がここを通って攻撃することができる、そして実際に攻撃してきた、わが国の弱さを示す道であることが分かりました。
太平洋は、隣接する陸地を攻撃する意図を持った略奪軍にとって、潜在的な進攻地域でした。この状況は、我々の太平洋での勝利で一変しました。そして、わが軍の戦略的辺境は移動して太平洋全域を取り囲み、保持する限りわが国を守る広大な濠(ほり)となりました。実際それは、アメリカ大陸全体と太平洋地域にあるすべての自由な土地にとっては、防御用の盾の役割を果たしています。わが国と自由な同盟諸国が所有する、アリューシャン列島からマリアナ諸島までアーチ状に延びる一連の島々によって、我々はアジアの海岸までの太平洋地域を支配しています。この一連の島々から我々は、海軍力と空軍力によって、ウラジオストクからシンガポールに至るすべてのアジアの港を支配し― 繰り返しますが、海軍力と空軍力によって、ウラジオストクからシンガポールまでのすべての港を支配し― 太平洋に敵対的な動きが入り込むのを阻止することができます。
アジアからの略奪的な攻撃は上陸作戦になるに違いありません。進路上にあるシーレーンとその上空を統制下に置かずに、上陸攻撃を成功させることはできません。我々が海軍力と空軍力の優位と、基地を守るある程度の陸軍部隊を擁していれば、アジア大陸からわが国への、あるいは太平洋の友邦への大規模な攻撃は、すべて失敗に終わるでしょう。
こうした状況下では、太平洋はもはや、潜在的な侵略者が近づく危険な通り道にはなりません。逆に、穏やかな湖の親しげな様相を帯びています。わが国の防衛線は自然のものであり、最低限の軍事的努力と軍事費で維持することができます。それは、いかなる相手に対する攻撃も想定しておらず、進攻作戦に不可欠な要塞も備えていませんが、適切に維持すれば、侵略に対する無敵の防御手段となるでしょう。この文字通りの防衛線を西太平洋に維持することができるかどうかは、そのすべての部分を維持できるかどうかにかかっています。非友好的な力によってこの防衛線が一部でも大きく破られれば、ほかのあらゆる主要部分が決定的な攻撃を受けることになるでしょう。
私の知る限り、この軍事的評価に対しては、いまだにいかなる軍の指導者も異議を唱えたことがありません。だからこそ私はこれまで、軍事的な緊急事として、いかなることがあろうとも台湾を共産主義者の支配下においてはならない、と強く勧告してきたのです。もしそうした事態になれば、直ちにフィリピンの自由が脅威にさらされ、日本を失い、我々の西方の最前線はカリフォルニア、オレゴン、ワシントン各州の沿岸部まで後退を余儀なくさせられるでしょう。
いま中国大陸で見られる変化を理解するためには、過去50年間にわたる中国人の気質と文化の変化を理解しなければなりません。50年前までの中国は、全く均質性を持たず、互いに意見が対立するいくつかのグループに分かれていました。彼らは儒教の理想である平和主義的文化の教えに従っていたため、戦争を起こすような性向はほとんどみられませんでした。ところが20世紀の初め、張作霖政権下で均質性を高める努力が行われた結果、民族主義的な衝動が生まれました。蒋介石の指導のもと、この衝動をさらに大きく広げることに成功しましたが、それが現政権下で見事に結実し、いまでは、より支配的で攻撃的な性向を持つ統一した民族主義の性格を帯びるという事態に至っています。
こうして過去50年の間に、中国人は軍国主義的な概念と理想を持つようになりました。彼らは現在、有能な参謀と指揮官を持つ、優秀な兵士になっています。これによって、アジアに新たな強大な勢力が生み出されました。この勢力は、独自の目的のためにソ連と同盟を結んでいますが、思想と手段の面では帝国主義的な好戦性を高めており、この種の帝国主義につき物の、領土拡張と力の増大を渇望しています。
中国人の気質には、いかなるものであれ、イデオロギー的な概念はほとんどありません。生活水準があまりにも低く、戦争によって資本の蓄積があまりにも完全に消失させられてしまったため、大衆は絶望しており、地方の窮乏を多少なりとも軽減してくれそうな指導者であれば、誰にでも喜んで従おうとしています。
私は最初から、中国共産党による北朝鮮支援は決定的なものだと考えていました。今のところ、彼らの利害はソ連と軌を一にしています。しかし、朝鮮半島だけでなく、インドシナやチベットでも近年示され、いまや南に向けられている攻撃性は、太古の昔から、征服者たらんとする者を駆り立ててきた、力の拡大への欲望の表れにほかならない、と私は思います。
戦後、日本国民は、近代史に記録された中では、最も大きな改革を体験してきました。見事な意志と熱心な学習意欲、そして驚くべき理解力によって、日本人は、戦後の焼け跡の中から立ち上がって、個人の自由と人間の尊厳の優位性に献身する殿堂を日本に打ち立てました。そして、その後の過程で、政治道徳、経済活動の自由、社会正義の推進を誓う、真に国民を代表する政府が作られました。
今や日本は、政治的にも、経済的にも、そして社会的にも、地球上の多くの自由な国々と肩を並べています。世界の信頼を裏切るようなことは2度とないでしょう。最近の戦争、社会不安、混乱などに取り巻かれながらも、これに対処し、前進する歩みをほんの少しも緩めることなく、共産主義を国内で食い止めた際の見事な態度は、日本がアジアの趨勢に非常に有益な影響を及ぼすことが期待できることを立証しています。私は占領軍の4個師団をすべて朝鮮半島の戦場に送りましたが、その結果、日本に生じる力の空白の影響について、何のためらいもありませんでした。結果はまさに、私が確信していた通りでした。日本ほど穏やかで秩序正しく、勤勉な国を知りません。また、人類の進歩に対して将来、積極的に貢献することがこれほど大きく期待できる国もほかに知りません。
かつてわが国が後見していたフィリピンについては、現在の混乱が消え、長期にわたる戦争の恐ろしい破壊の、より長い余波の中から、強く健全な国が生まれると、確信をもって期待することができます。我々は、辛抱強く理解を示し、決して彼らを失望させてはいけません。私たちが必要としているときには、彼らは私たちを失望させなかったのですから。キリスト教国であるフィリピンは、極東におけるキリスト教の強大な防波堤となっており、アジアにおいて道徳的に強いリーダーシップを発揮する無限の力を秘めています。
台湾に関しては、中華民国政府は、中国大陸における同国政府の指導力を大きく損なった悪意あるゴシップの大半について、行動によって反論する機会を得ました。台湾の人々は、政府機関に多数派が代表を出すという公正で賢明な政権を戴いており、政治的にも、経済的にも、社会的にも、健全で建設的な路線に沿って進んでいるようです。
以上、周辺地域について短い洞察を加えた上で、朝鮮半島での軍事衝突に話を転じたいと思います。大韓民国を支援して介入するという決定を大統領が下す前に、私はなんら相談を受けていませんでした。その決定は、わが軍が侵略者を押し戻し、その軍事力の多くを減殺したことにより、軍事的な観点から正しかったことが証明されました。わが方の勝利は決定的だったし、目的の達成は目前だったのですが、そこへ共産中国が、数の上では上回る陸軍力で介入してきたのです。
この中国介入によって、新たな戦争と、全く新しい状況が作り出されました。それは、北朝鮮の侵略者に対してわが軍が投入されたときには考えもしなかった状況です。そして軍事戦略を現実に即して修正するために外交面で新たな決定が求められる状況となりました。
そうした決定は、いまだ下されそうもありません。
地上部隊を中国大陸に送り込むことに正気で賛成する人はいないでしょう。実際、そうしたことは、一度も検討されませんでした。しかし状況が一変した今、かつての古い敵を倒したように、この新たな敵を打ち破ることがわが国の政治目標であるならば、戦略計画の根本的な変更が緊急に迫られていたのです。
私が見たところ、鴨緑江の北にいる敵に与えられた保護された聖域を無力化することが軍事上必要だったほか、戦争を進める上で、次のようなことが必要だと感じました。第1は、中国に対する経済封鎖の強化です。第2は中国沿岸部に対する海上封鎖。第3は、中国沿岸地域と満州に対する航空偵察制限の撤廃。そして第4は、台湾の中華民国軍に対する制限を撤廃し、共通の敵に対して同軍が有効な作戦を取ることができるような、兵站面での支援を行うことでした。
これらのすべての見解は、朝鮮半島に送られたわが軍を支援し、米国および同盟諸国側の無数の人命を損なうことなく、できるだけ早い時期に戦闘行為を終わらせることを意図して、職業軍人の立場で考えたものでした。軍事的な観点からみると、わが国の統合参謀本部を含め、朝鮮戦争に関わったほぼすべての軍事指導者が、過去にこれと同じ見解を持っていたと私は理解しています。にもかかわらず、こうした考えを抱いたことで、私は主に海外の素人筋から、厳しく批判されてきました。
私は増援を求めましたが、援軍は得られないことを知らされました。もしも鴨緑江の北に敵が建設した基地を破壊することが認められないということであれば、もしも台湾にいる約60万の友好的な中国軍を利用することが認められないということであれば、もしも中国共産党が外部から援助を受けられないようにするために中国沿岸を封鎖することが認められないということであれば、そして、もしも大規模な増援を送ってもらえる見込みがないということであれば、軍事的にみて、勝利を妨げたのは司令部の態度であると私は明言しました。
途切れることなく作戦行動を続ければ、韓国でも、わが軍の補給線が強く敵の補給線が弱い周辺地域では、敵を抑えることができたでしょう。しかし、もし敵が全軍事力を用いた場合、せいぜい我々に期待できるのは、わが軍をひどく消耗させ続ける、決定力に欠けた軍事作戦だけだったのです。この問題の解決に不可欠な新たな政治判断を、私は絶えず要求してきました。
私の立場を歪曲させるための努力も行われました。要するに私は、好戦主義者であると言われてきたのです。これほど、事実から遠いことは、ほかにありません。私は、いま生きている誰よりも、戦争については知っています。私にとっては、これほど嫌悪すべきものは、ほかにありません。私は長年にわたり、戦争の完全な撲滅を訴えてきました。敵も味方も破壊するがゆえに、戦争は国際紛争の解決手段としては無用なものになってしまったからです。実際、1945年9月2日、日本が戦艦ミズーリ号上で降伏文書に署名した直後、私は次のように公式に警告しました。
「人間は、有史以来、平和を求めてきた。国家間の紛争を防ぐ、あるいは解決する国際手続きを作り出すため、さまざまな方法が時代を超えて試されてきた。個々の市民に関しては、当初から実現可能な方法が見つかった。しかし、より広い国際的な広がりを持つ手段の仕組みは、一度も成功したことがなかった。軍事同盟、勢力均衡、国際連盟など、すべてが次から次へと失敗に終わり、残されたのは戦争という厳しい試練を経る道だけだった。いまや戦争の徹底的な破壊力によって、この選択肢も閉ざされてしまった。今が最後のチャンスだ。もっと優れた公平な制度を我々が作り出さなければ、ハルマゲドンは玄関口に迫ってくるだろう。問題は、基本的に神学的なものであり、過去2000年の科学、芸術、文学、そして物質的、文化的発展の、比類のない前進と同調する、精神的再生と人間性の改善に関係している。肉体を救おうとするなら、それは精神を通してである」
しかし、いったん戦争が我々に押し付けられれば、これを迅速に終わらせるためには、使えるすべての手段を使う以外に選択肢はありません。
戦争の目的は、まさに勝利であり、中途半端な状態を長引かせることではありません。
戦争では、勝利に代わるものはありません。
さまざまな理由を掲げて、共産中国と宥和しようとする人がいます。彼らは、歴史の明白な教訓に対して盲目なのです。なぜなら、宥和政策は新たな、さらに血なまぐさい戦争を招くだけだということを、歴史ははっきりと強調して教えているからです。このような結果をもたらす手段が正当化されるような例、宥和政策が見せかけの平和以上の成果をもたらした例は、歴史上1つもありません。脅迫と同様、宥和政策は、より大きい新たな要求を次々に招く原因となり、最終的には、脅迫と同じように、暴力が唯一の取りうる選択肢となってしまいます。
私は、兵士たちから聞かれました。「なぜ戦場の敵に、軍事的な有利さを明け渡してしまうのですか」 私は答えられませんでした。
紛争が中国との全面戦争にまで拡大するのを避けるためだ、と言う人がいるかもしれません。また、ソ連の介入を防ぐためだ、という人もいるでしょう。どちらの説明も正当な根拠があるとは思えません。なぜなら、すでに中国は、全兵力を投入して交戦しているからであり、ソ連は必ずしも自らの行動を我々の動きに合わせてくれようとしないからです。新たな敵も現れるでしょう。彼らは、コブラのように、世界的な規模でみて、自分たちの軍事その他の力が相対的に有利であると感じれば、すぐに攻撃を仕掛けてくるでしょう。
朝鮮での悲劇は、その国境線の中に軍事行動が限定されていることによって、さらに高められています。我々が救わんとするこの国が、海と空からの大規模爆撃による破壊に苦しんでいるのに、敵の聖域は、そうした攻撃や破壊から完全に守られているのです。
世界中の国で、これまでのところすべてを賭して共産主義と戦ってきたのは韓国だけです。韓国人の勇気と不屈の精神は見事であり、筆舌に尽くせません。
彼らは、奴隷になるよりも死の危険を冒すことを選びました。彼らの私に対する最後の言葉は「太平洋を見捨てないでほしい」でした。
私は、戦地で戦う皆様の息子たちを朝鮮半島に残してきたところです。彼らはそこであらゆる試練に耐えてきました。彼らはあらゆる意味において優れていると、私は今、なんのためらいも無く、皆様に報告することができます。
私は彼らを守り、この残酷な戦闘を、誇り高く、最小限の時間と人命の犠牲で終らせるよう、常に努力してきました。流血の増大は、私に、この上なく深い苦悩と不安をもたらしました。
私はこのような勇ましい兵士のことをしばしば思い起こし、いつも祈りをささげることになるでしょう。
私は今、52年にわたる軍務を終えようとしています。今世紀に入る前に私が陸軍に入隊したとき、それは私の少年時代の希望と夢が成就した瞬間でした。私がウェストポイント(陸軍士官学校)で兵士になる宣誓をして以来、世界は何度も向きを変え、希望や夢はずっと前に消え失せてしまいました。しかし、当時兵営で最も人気が高かったバラードの一節を今でも覚えています。それは誇り高く、こう歌い上げています。「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」と。
そしてこのバラードの老兵のように、私もいま、私の軍歴を閉じ、消え去ります。神が光で照らしてくれた任務を果たそうとした1人の老兵として。
さようなら。」
<<
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-profile-speech-macarthur.html
原文
General Douglas MacArthur's Address to Congress
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