「あ……こ、これっ」

「フフ、どう? パテル=マテルよ。凄いでしょ」

 すでに日が暮れて完全に周囲は闇に包まれていた。そんな中、学園の敷地の外れにある地下工場で二人少女は会話を弾ませている。

「す、す、すごいっ! すごいですっ!」

 制服から私服に着替えたティータは、レンが持ち込んだという文字通りの巨大ロボット(パテル=マテル)を見て目を輝かせる。

「ど、どうしたんですか、これ!?」

「ああ、うちのパパが昔、商社をやっていてね。その時に搬入された商品の一つなの」

「へ、へぇ〜」

 ティータは、レンの回答が終わる前に、パテル=マテルに駆け寄ると、その足をトントンと叩いて装甲版に使われている素材をチェックする。金属のように振動が周囲に四散する感覚がない。

すなわち、衝撃を吸収するような素材が使われていることにティータは目を丸くする。

「これ、天然の金属じゃないですね……」

「叩いただけで分かるなら大したものね。……そう特殊な合金を使ってるわ」

「動力はオーブメント……かなぁ?」

「フフ、それは見ただけじゃ分からないわね」

 レンは、そう言って工場の隅にある椅子にちょこんと座る。

「ねえ、操縦してみたい?」

 レンはクスクス笑って、ティータに言う。

「え、ええっ!? 私にもできるの?」

「ええ、基本は音声操作だけど、リモコンでも動かせるわ」

 ティータが、トコトコとレンの方へ駆け寄る。レンは背負ってきた小さなバックをもぞもぞと漁り始める。ティータは鼓動を強めてその手先に視線を巡らせていた。

「じゃーん、これがコントローラーよ」

「あ、あう……こ、これ?」

 レンが取り出したモノ――。○ボタンが二つに、十字ボタンが一つついているだけのリモコン。――洗濯機かなにかのリモコンと見紛うそれ。

「はい、ちょっと重いわよ?」

 この構造で何故重いのか意味不明だが、レンはティータに注意しそれを渡す。 「えと……こんな簡易なコントローラーでこれだけのロボットを動かせるんですか?」

「操作は簡単よ。あとはあなたのセンス次第」

 興奮するティータの姿をよそにレンは続ける。

「でも、貸してあげるには条件があるわ」

「え……?」

「うちの担任、アガットだっけ? 彼と、どこまでいったのか教えなさい」

 レンは、ペロリと右人差し指を舐めると、流し目でティータにそう促す。




「そ、それで、先生のお家にお泊りした時……、ひ、膝枕しちゃいました!!!!」

 レンに問い詰められて何時間経っただろうか。巨大なロボットの魅力の前に、ティータは二人だけの秘密を幾許か漏らし、真っ赤になって叫ぶ。

「フンフン、それで?」

「最初はアガット先生、嫌がっていたんですけど、耳をお掃除してあげたら段々気持ちよくなったみたいで……そのまま、私の膝で眠っちゃって……」

「……なってないわね」

「え?」

 レンは、意地悪く笑って話を聞いていたが、そこで言葉を絶ってパテル=マテルの方へ足を向ける。

「気づいているといいけど。……16歳になるとあなたは捨てられるわよ」

 レンは深くため息を吐いて、肩を竦めて首を横に振りながら言う。

「え……ア、アガット先生が私を? そ、そんなことないと思います! 寝言で私の事を一生護るって言ってくれました!」

「ふふん、甘いわね。男ってものが全然分かってない……」

「……そんな……」

「いい、ティータ。レンが見た限り、アガットはどう見てもヨウシ゛ョにしか興味がないわ。そんな男を御するにはどうすればいいか、知ってる?」

 不安に震えるティータの肩を優しく抱くと、潤んでいるその少女の瞳を拭ってレンは猫撫で声で尋ねる。ティータは、ぶんぶんっと首を横に強くふって否定する。

『この娘、可愛いわね』

 レンは、ティータの柔らかな髪を包む石鹸の匂いを楽しみながら続ける。

「レンのパパ……商売をやっているって言ったじゃない?」

「う、うん」

「あれね、実はずっと昔の話。パパは商売に失敗して莫大な借金を作ったの。それでレンの家庭は崩壊したのよ」

「……?」

「レンのパパも、あのロリコンと同じくらいの駄目男だったの」

 レンは目を閉じて、子供に絵本を読んであげるような優しい口調で続ける。

「パパは借金を返す為に、まずレンとママと……そしてパテル=マテルを悪いオジサンに売ったの……」

「えっ……」

「黙って聞くのよ……いい?」

「う、うん」

「最初は地獄のような日々だった。パテル=マテルは、塗装を剥離されて裸にされて、PS装甲に換装されたり、新型洗濯機として家電量販店で詐欺を働いたこともあった。どうみても巨大ロボットですありがとうございましたって図体のぱてるを洗濯機と間違う馬鹿も馬鹿だけど。で、ぱてるは、大抵の虐待にはすぐに慣れたわ……でもっ」

 レンは、息を呑み口調を強める。

「でもっ! レンのぱてるに ヒ ゲ を付けられるのだけは我慢できなかった……」

「ロボットにヒ、ヒゲを!? そ、それは外道ですっ!」

 珍しくティータが怒りの表情を浮かべ言う。

「ウフフ、そんなこんなで月日が経つにつれレンは段々ロボットについての知識を深めていった。そして悪いおじさんを懲らしめてやることにしたの」

「……それってまさか……」

 まだ中等部に上がったばかりのティータでも、レンの意味することは予想できた。おじさんという男は、この可憐な少女を何の目的で買ったのか。

「まず、掃除、洗濯、炊事をやらせるだけじゃなくて、上納金を50倍に上げたわ」

 が、そのティータの予想はそのレンの一言で粉々に砕け散る。

「え? あのあの、レンちゃん、そのおじさんに酷いことされたんじゃ?」

「……いいえ? レンがおじさんに酷いことをしたのよ? おじさん、酷いことされるのが快感なんですって。ある意味アガット並の変態よね」

 一緒にしないでと抗議しようとティータは唇を震わせる。

「でも地獄ような日々って……」

「ああ、地獄のような日々っていうのね。スプーンより重いものを持ったことないレンに、自分で食事を取るようにって、そのおじさんが命令したの」

「え、ええっ!?」

「結果的に地獄のような日々を送る羽目になったのはおじさんの方」

「あ、あのあの、お父さんが破産してしまって、人に売られてしまったのに学校に通ってるっていうのは……」

「そうよ、そのおじさんが、私に貢いだ財産で通ってるのよ」

「ええっ〜?」

「ちょっとギルバート、来なさい」

 レンは、パチンと指を鳴らす。

 ガバッ

”ぱてる”の頭部がカパっと空いて、人が飛び出してくる。

ダダダダダダダダダ

 人間が素足で疾走する音。

「お、お呼びですかレン様っ!?」

 ボロ雑巾のような格好をした男が、レンの前に滑り込んで、寝返りをうつと自らの腹をレンに向けて言う。

「……6秒か。遅すぎるわねギルバート」

 レンはいつの間に取り出したのかタイムウォッチを一瞥すると、冷たい視線でギルバートを見下し、その腹を右足で踏みつける。

「は、はうっ……レ、レン様っ」

「ね、アガットにも負けない変態でしょ、このおじさん」

「あ、あう……」

 ティータは音声で操作するロボット、という時点で引っ掛かってはいた。――中の人がいるんじゃないですか?と。そしてそれは現実のものとなる。

「いつも呼んだら3秒以内にくるように躾けたつもりなんだけど?」

 レンは、おじさん、と言われるには程若い男の腹をグリグリと靴先でえぐりながら言う。

「も、申し訳ありません、マムッ」

 そう言ってギルバートと呼ばれた男は、レンの靴に頬擦りしようとする。――が。

 ガスッ

 レンはその頬を遠慮なく蹴り飛ばすと、ティータの方へ視線を向け、ね?っと念を押す。

「あのあの……」

 その二人の仕草を見つめていたティータは、両足をガタガタと震わせながら問う。

「もしかして、悪いおじさんっていうのは……」

「そう、このギルバートよ。そしてこれが理想の男女の関係。理解できるかしら?」

 レンは勝ち誇ったように鼻を鳴らして微笑むと、再び近づいてくるギルバートに可憐な動作で回し蹴りを放つ。当然、ティータには何が何やら理解できる筈もなかった

「レンが、このように支配していれば、この悪の化身ギルバートも、ぱてるに何もできないし、その他の悪行も重ねることはできないのよ。それはパパも同じ。昔、ママはなんでもかんでも、パパの言いなりで尽くしてきたわ。そう今のあなたのようにねティータ」

「あ、あうっ」

「でも、今は平気。レンの財産で借金を返済した後は、ママもパパをギルバートのように絶対服従させているの。もう二度と商売はやらないし借金はできないわ」

 ガッターン

 そのレンとティータの話を遮る一筋の声。突如、地下工場の入り口の扉が開かれた。

「話は聞かせてもらった! リベールは滅亡する!」

「あ、あなた誰?」

「私はエステル、あ、下級生でもエステルって呼んでいいわよ?」

 工場に飛び込んだエステルは、その制服と髪の毛にたくさんの木の葉を被っていた。茂みに隠れて何かを尾行していたような身なりである。

 だが、そんな自分の惨めな姿も省みず、栗毛のツインテールを翻した少女は、紫の髪の少女をビシっと指差して言う。

「で、本題だけど、あなたは間違ってる!」

 レンとティータはエステルと名乗った少女を一瞥すると、互いに向き合う。

「知り合い?」

「ううん、知らないお姉さんです」

 レンはティータの答えに肩を落とすと、おずおずと目上の少女に問う。

「どうして? 何が間違ってるって言うの?」

「クローゼとヨシュアが、手を繋いでホテルに入っていって何をするのか気になるから、手早く言うけど。――男の子は、奴隷ではないわ!」

 まあ当然の主張だと言えた。

「な……ま、まさか、エステルは、レンがギルバートのご主人様になっているのがいけないって言うの?」

「……そうよ、可哀想な娘」

 エステルは心底、哀れんだ目を紫色の髪の少女に向ける。

「っ……レンの何が可哀想なの?」

「男の子っていうのは、女の子がドジをすると完全無償でフォローしてくれたり、暗い過去を背負うと、女の子ために家出するような生き物なのよ! かつ、カッコよくて、頭もよくて、控えめで性格もよく、何でも出来る、それに凄く強い! でも、彼女になる女の子はどんなに無能でも全肯定です。ありがとうございましたって……素晴らしい関係を築くのが正しい男女の交際……だわ?」

「……エステル。ちょっと自分の文章、もう一回よーく、読み直してみたら?」

 レンは呆れた顔で言う。

「と、とにかく、男の子を奴隷にしたら、そういう素敵な関係が築けなくなるじゃない?」

「別にレンは一人で何でも出来るもの。無能な男の助けなんていらないわ」

 淡々とジト目でレンは応える。

「うっううぅ……」

 勢いだけで飛び込んだが、そこでエステルは論破される。

 ふいにガクッと膝を落として地面に両手をつけるエステル。そしてワナワナと手を震わせ虚空を見つめる。

「……認めて」

「え?」

 静かな、しかし強い想いを伴ったエステルの声だった。

「私はヨシュアと付き合ってもいいんだって認めなさい」

 エステルは、何を思ったのか、突然そう叫び声をあげる。

「いいえ、エステル。あなたは間違ってるわ」

 レンは、落ち着いて微笑む。

 そして哀れみを込めた声をエステルに向ける。――いつの間にか攻守が逆転していた。

「そ、そんな、ヨシュアはどんな時だって、あたしを助けてくれた! あたしは勉強も得意じゃないし、そんなに綺麗じゃないけど、ヨシュアだけはあたしを全肯定してくれたのよ!」

 エステルは必死になって続ける。

「じゃあ、今、そのヨシュアとかいう人はどこにいるの? さっき、クローゼとかいう人と一緒にホテルへ行ったのでしょ?」

 レンは、今度こそクスクスと意地悪な笑みを浮かべ言う。

「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、そうよ、すっかり忘れてた! ごめんね、ちょっと用事があるから、また今度」

 と言って、エステルは巨大な工場の入り口のドアを律儀にもきちんと閉めて、外へと走り去った。

「……ねえティータ、この学園って変な人が多いのかしら?」

 再び足に擦り寄ってくるギルバートを遠慮なくグーで殴るレンは、呆れた顔でティータに問う。

「あ、あう、私もあんなお姉ちゃんは、はじめてですよぅ」













王立ジェニス学園 第三話「鋼鉄のエンジェル」












 学園の郊外――。森の中に佇む古い屋敷。かつては貴族の別荘として使われていたソレは、現在は学園の管理下で来賓客の宿泊施設として使われていた。

 その屋敷の一室。優美な調度品が揃えられた部屋で少女達は夕食を取っていた。

「久々に、ゆっくりとあなたとお話ができましたね、クローディア」

 クローゼを孫娘と呼ぶ女性は、さすがに食事の際はそのマスクを外していた。仮面を外した女性の風貌は明らかに庶民とは異なる気品に満ちている。歳相応の白髪ではあるが、いまだ整った顔の輪郭は、かつては類稀な美女であったことを物語っている。

「はい、お祖母様……」

 クローディアと呼ばれた紫の髪を靡かせる学園のアイドルは、その祖母によく似た微笑を浮かべ相槌をうつ。少女はすでにフォークを置いている。もう食事を済ませているのだ。早々にクローゼがディーナを切り上げた理由――。ヨシュアのテーブルマナーについて注意深く観察する必要があったからだ。

 クローゼは、隣に座っているヨシュアが無作法な動きをする度に、テーブルの下で彼の足を軽く抓る。

「特にこうして、クローディアの未来の旦那様を迎えて夕食をいただけるとは予想もしていませんでしたよ。ヨシュア殿?」

 白髪の女性は、食事が終わろうとしている今になっても、決してその名を名乗ろうとしなかった。

「あ、はい」

 クローゼに17回だろうか――。足を抓られて、ほとんど何も口に運べないまま、ヨシュアは食事を諦めかけていた。

「一つ、尋ねたいことがあります」

「どうぞ」

 表情を変えない白髪の女性。それに落ち着いて返答をするヨシュア。

「あなたは、本当にクローディアと”だけ”付き合っているのですか?」

「……」

 ヨシュアは一瞬固まる。その脳裏にエステルの笑顔が浮かんだからだ。

 その一瞬を見逃さず、クローゼは両目を閉じたまま、やや厳しい表情で、再度ヨシュアの足を抓る。

「も、もちろんですっ」

 その痛みの反射が、ヨシュアにそんな言葉を出させる。

「……まあ、婿殿の言葉を信じてみるとしましょう。片思いということもあるでしょうから」

 白髪の貴婦人は、その答えに表情を固くし、やや遠い目で言った。

 クローゼとヨシュアは、その言葉の意味が分からず互いに目を合わすと同時に首を担げる。

 ――白髪の女性の視線の先にあるモノ。若い二人からは死角になっている上窓に、スパイダーマンのように張り付いている不審者の影。

「……も、物凄いご馳走だわ……。あ、あたしも夕食食べてないんだっけ……ハァ……お腹すいた……」

 目を充血させて、涎を垂らしているそのエステルの姿はホラー映画さながらの迫力をもっていた。

「……明日の朝食も、貴方達と一緒にいただきたいものですね」

「え?」

「もちろんですっ、お祖母様っ」

 祖母の言葉の意味を誰よりも早く、そして深く読んだクローゼは声を弾ませ少年の声を掻き消す。

「では、二人の部屋を用意するように伝えましょう」

 食事を切り上げた女性は、孫の珍しい姿に、軽く微笑むと部屋の入り口へと足を運んだ。





「こちらです」

 従者のユリアに案内されるままに、別館の3階の部屋までやってきたクローゼとヨシュア。ユリアは無言で一礼すると、部屋の鍵を主であるクローゼに手渡す。

「え……?」

「もしかして、一緒の部屋ですか?」

「……はい。陛下からは、そのようにお聞きしています」

 どこか悲しい瞳でユリアは答える。

 クローゼは明日も一緒に朝食を取るというのは、ヨシュアとこのホテルに泊まるのと同義である、と予想し、それを懸命に促した。が、まさか一緒の部屋に泊まることになるとは想像していなかった。クローゼは両手で口元を覆うと、見る見る頬を蒸気させる。そして、はっと気づいて、すぐにヨシュアの方に視線を移す。

 クローゼが乙女心をときめかせても、決してそれに便乗することのなかったヨシュアだが、今回ばかりは、その相貌を沸騰させていた。

 ガタッ

 二人はユリアに促されるままに、部屋の戸を開ける。そこで、二人は一瞬固まって、今度こそヨシュアの顔は噴火した。――ベッドが一つしかないのだ。









 気まずい空気が部屋を包んでいた。クローゼとヨシュアは、ベッドの上に正座すると、互いに向き合って、うつむいている。二人はどんな言葉も発することは出来ない。

 周囲を支配するのは、二人の激しい鼓動と柱時計が秒を刻む音だけである。

 が、刹那。時計が21時を示し、大きな鐘を鳴らした。二人はビクっと肩を震わせると、一瞬視線を合わすが、すぐに視線を逸らす。

 そんなことの繰り返しが、24時まで続いた。

「あ、あのっ」

「あ」

 4時間近く正座したまま対峙していた二人は、同時に顔を上げると声を発した。

「あ、ヨシュアさんからどうぞ」

「い、いや、クローゼからどうぞ」

 4時間ぶりに会話したのだが、二人はまたそこで無言のループに陥る。

「あ、あのっ」

「う、うんっ」

 柱時計が真夜中の1時を指した頃、ようやく二人の会話は噛み合い始めた。

「さ、先にお風呂……入ってくださいますか?」

 クローゼは真っ赤になったまま問う。

「え、あ、そ、そうだね」

 ヨシュアは決死の作り笑いでそれに対応した――。そしてすぐにバスルームに走りこむと、シャワーで冷水を頭から浴びる。

「おちつけ……おちつくんだヨシュア。……大丈夫、何もしないで眠れば、全く問題はない。いつも通りでOKだ……」

 と、服を脱ぐのを忘れるくらい落ち着いているヨシュアは、冷たいシャワーを浴びて念仏のように何百回か同じことを言う。そのおかげもあってか、少年がシャワーから上がって、脱衣所に入った時には彼の頭は冷静に機能するようになっていた。

 ヨシュアは、着替えの寝間着が、そこに用意してあるのに気づく――。おそらくクローゼが出してくれたのだろう。エステルでは考えられない細かな気配り。

 だが、冷水によって鋭い視線を取り戻したヨシュアは、素直に感心するだけで、それに着替える。もう決して動揺などしない。そう決意して。

 次いで、ヨシュアは、脱衣所の棚に冷えたリンゴジュースがコップに入っているのを見つける。

「クローゼ、着替えと飲み物、ありがとう」

 ヨシュアは、極めて平常心で部屋へのドアを開けるが、入れ替わるように着替えをもったクローゼが脱衣所に駆け込む。――クローゼからの返事はなかった。ただ、すれ違う際にも少女の頬は真っ赤だった。





 ヨシュアが濡れた髪を乾かしてクローゼを待ったのは20分くらいであった。





 風呂上りの少女に、投げかけるセリフは一言でいい筈だった。『今日はもう寝よう』と。そう言って後は、ただ眠れば何も問題はないのだ。

 が、すぐにヨシュアの鼻をくすぐる甘い香り。――香水だろうか。それに誘われるようにクローゼの姿を見たヨシュアの平常心は、一瞬で脆くも崩れ去った。

 可愛らしい寝間着に着替えたクローゼは、濡れた髪をタオルで乾かしながら、ベッドの上に戻り、先ほどと同じように正座で彼と対峙する。

 だが、状況は確実に先ほどより悪化していると言えた。ヨシュアといえど男である。

 すでにこの世のものとは思えないほどの愛らしさに到達しているクローゼは、甘い匂いをまとって、無言で頬を赤らめている。

 ヨシュアの脳みそが揺れる。本当に視界が七転八倒するような感覚。

「私、ヨシュアさんに、どうしても伝えておかなければならないことがあります」

 突如として開かれたクローゼの目。そして凛とした声。頬を赤く染め、いくらかの思考回路をショートさせながらも、そういうことができる少女。

「……なに?」

 乾いた髪の少年は、微笑んでその言葉を受けとめる。

「今日、お気づきになったと思いますが、私の名前の事と、祖母のことです」

「クローディアという名前のこと? セカンドネームか何かなの?」

 ヨシュアは答える。そんなはずはないと知りつつ。

「……クローディア・フォン・アウスレーゼ」

 少年は少女のすみれ色の瞳に何かが灯ったのを感じた。――決意なのだろう。

「……それは、リベールの姫君の名だ」

 クローゼの告白。それは愛の告白よりも重いのだろうと、少年は理解した。

「はい、そして、あの祖母はアリシアと言います」

「……僕がクローゼ・リンツなら、それは学園では秘密にしておかなければならないことだと思う」

「はい……。でも、あなたに……あなたにだけは隠し事はしたくありません」

 少女の中で何かが感極まったのだろう。クローゼは、そのままヨシュアに飛びつく。

「ヨシュアさん……」

 ヨシュアに、圧し掛かる格好のクローゼ。すでに二人は鼻がくっつきそうなくらい接近していた。――そして、クローゼは目を閉じて、その瞬間を待つ。



 その刹那。



「そーはいかん@きっ!」

 ベッドの天蓋がカパっとあいて中から、物凄い形相のツインテールの少女が顔を出す。

「……エステルさん」

 クローゼは、振り向かずにその声の主を識別すると背中に深い失望の声を向ける。

「甘いわねクローゼ。待ち伏せ&先回りはファルコム社のヒロインの十八番よ!」

 ククククと、意地悪く天蓋の中から顔だけ出すエステルは、勝ち誇ったように笑う。

 ――どう見てもヒロインの登場シーンではなかった。



「あ、でも、もしかして入ったはいいけど、出れないとか?」

 興ざめのヨシュアは、呆れてエステルに問う。

「なに言ってるの。入ったからには、出られなくなるなんてことは……あ、あれ!?」

 勝ち誇っていたエステルの顔がみるみる青ざめる。

 エステルは、体をもぞもぞと動かすが、すっぽりと天蓋の中に体がはまってしまっていて身動きがとれない。

「まさか、手も足もでないとか言うんじゃ……?」

 ヨシュアの声。

「えへへ、そうみたい」

 エステルは、ごまかし笑いを浮かべ言う。

「あの、助けてもらえる?」

 上目遣いのつもりなのだろう。だが、エステルのそれは体制が体制なだけに白目使いになる。

「エステルさん……」

 紫の君にしてはドスの効いた声を発し部屋を静まらせる。この展開では無理もないことと言えた。

「私、これから、あなたにとても申し訳ないことをします。許していただけます?」

 クローゼは、にっこりと笑って問う。――いつもの優しげな春の日のような微笑ではない。かなり引き攣った笑み。

「え、ちょ、まって」

 文字通り手も足もでないエステルは、必死に脱出しようと体をくねらせるが、一向に脱出できる気配はない。

「ヨシュアさん……好きです」

 クローゼは、再びヨシュアの顔に自らのそれを近づけると言う。

「いやぁぁぁぁぁぁヨシュアの貞操がぁぁぁぁぁぁぁぁきゃーーーーーきゃーーーきゃーーーーーーっ!!!」

 エステルは、体が動かせない代わりに、懸命にその言葉をかき消そうと大声で叫んだ。

 その刹那だった。

 ドッカーーン

 ド派手な音と共にバスルームの壁が吹き飛んで、部屋は埃にまみれる。

「な、なんだ?」

 少女たちの前に姿を現したモノ――。巨大な人の顔。否、人の顔に似せて作った機械人形の顔の部分。





「あーあ。墜落しちゃった。下手ねティータ」

「ふえぇぇぇぇぇ、ど、どうしよう。なんかの建物にぶつかっちゃった……」

 一方、学園の講堂の屋上では、二人の少女、レンとティータが”ぱてる”をリモコンで遠隔操縦して遊んでいた。

「今ジャイアンの歌声みたいなもの凄い音がしたから、ギルバートの奴が気絶したのかもしれないわ。でも気にすることはないのよ?レンは前にどっかの砦にぶつけたけど問題なかったわ」

「え、ええ〜?問題がないわけないですよ」

「いいのいいの、ギルバートが人生に絶望して、勝手にやったって言っておけば問題ないわ」








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