「姫様。やはり陛下は明朝にもお忍びでいらっしゃるようです。目的は前々からお話に上がっていました帝国の皇太子との縁談だと思われます」

「そうですか……」

――王立ジェニス学園――。リベール王国西部、ルーアン地方にある名家の子弟が集う由緒ある学園。2月15日の朝、紫色の髪を靡かせて、校舎へと続く道を歩いていた少女は、茂みの中からふいに聞こえた声に一瞬立ち止まると、ため息をついて応える。

「昨日の件は聞いております。私がお傍についていれば、あのような事にはならなかった筈。なんとお詫び申し上げれば……」

「いいのです、ユリア……。素直にヨシュアさんにお願いしてみます」

「は……?」

 姫と呼ばれた少女は軍服を着た従者が潜んでいる通学路の茂みを一瞥すると、朝日が昇る蒼い空を見上げる。

「問題は……エステルさんですね」





「頭が痛い……俺は何をしていた……?」

白髪に赤い目を輝かせる男は、重たい頭を無理やり起こして、今自分がいる場所、時間を確認する為にズルリとベッドから抜け出す。――そこは代わり映えのない自室。男子寮の一角にあるはずの場所だった。

「……あの時、俺はカリンが送ってくれたマグロをステーキにして……」

 ボサボサになっている自分の頭を掻くと、木の葉が絡まっているのが分かった。次いで視界に飛び込んでくる靴も泥だらけである。

 ――背筋が冷たくなる。記憶にはないが、明らかに暴れた後の姿である。

「……ヨシュア!」

 すぐにその男は、ルームメイトである弟分の名を叫び、リビングへと続くドアを乱暴に開ける。――自分が暴れたとしたら、それを諌めベッドへと運べる実力をもった男はこの学園に二人しかいない。――カシウス校長とヨシュア。放課後に調理をしたのであれば、カシウス校長はすでに学園にいなかった可能性が高い。であれば、自分を止めたのは弟分であるとすぐに彼は判断した。

「やあ……レーヴェ、おはよう」

 リビングでは、目の下に思いっきり隈を作ったヨシュアがエプロンと三角巾を着けて目玉焼きを焼いていた。

「ぶ、無事か?」

 ホラー映画顔負けのヨシュアの顔と、怨みの灯ったその視線に、レーヴェは後ずさりして問う。

「なんとかね……。一晩中追いかけっこしたのは、何年ぶりかな……」

 ヨシュアは、プライパンをひっくり返しながら、遠い目で笑う。

「すぐに朝御飯出来るから、座っててよ」

「あ、ああ……」

 と、レーヴェが椅子を引いた瞬間。二人はリビングへ駆けてくる足音を捉える。



「おはよう。ヨシュア、ちょっといいか?」

「おはよう、ハンス。用件によるけど、今日は何もできないと思う」

「いや、用があるのは俺じゃなくてクローゼなんだ。朝食が終わったら、授業の前にクラブハウスへ来て欲しいそうだ」

 ハンスは肩を竦め、ヨシュアとレーヴェの視線に応える。

「……」

 ヨシュアは、そこで昨日の告白の事を思い出し、また頭を抱える。

「……どうしたんだ?」

 ハンスは、まだ昨日の事を知らないのだろう。だが、あれだけの生徒前で告白を聞かれれば、学園中に広まるのに一日と掛からない。

「い、いや、なんでもない。クラブハウスだね。了解」

 ヨシュアは、儚く微笑んで手元の目玉焼きが焦げで真っ黒になっていることに気づいた。









「ヨシュアさん、昨日はご迷惑をお掛けしてしまってすみませんでした」

「いいんだ。クローゼが無事で良かったよ」

 クラブハウス2階、生徒会室の一角でクローゼはヨシュアを迎えていた。待っている間に沸かしていたお湯でレモンティーを作ると、それをヨシュアの前に運ぶ。

「でも本当はとても嬉しかったんです」

 ヨシュアが礼を言って、一口お茶を飲むタイミングでクローゼは切り出す。昨日のように頬を染めるということはない、何かを確信したような自信をもって言葉を紡ぐ少女。

「命を掛けて守ってもらえるなんて思っていませんでしたから」

「あの状況では、誰でもああしたと思うよ」

 ヨシュアは、微笑んで淡々と続ける。――予想通りの話の展開に、ヨシュアは用意していた答えを言葉にするだけで良かった。

「あの……ヨシュアさんは、エステルさんと私、どっちが好きなんですか?」

 それは想定外の質問だった。ヨシュアは忽ち余裕の笑みを崩壊させてお茶を吹く。

「げほげほっ」

「だ、大丈夫ですか?」

 クローゼは慌ててヨシュアの服を拭いて、咽ている背中を擦る。

「ど、どちらとも、僕には大切な人だよ。――こんな答えじゃ不満かな?」

「……いいえ」

 クローゼにとっては、最高の答えではなかった。だが、目を閉じて少し考え込むとクローゼは言葉を続ける。

「ヨシュアさん、実はお願いがあります」

「僕にできることなら」

「……そ、その一日だけで良いんです」

 段々、クローゼの声が上ずって頬が蒸気する。――昨日と同じ展開。

 それにヨシュアは、嫌な予感を感じるが、黙って息を呑み次の言葉を待った。

「わ、私の婚約者になってもらえませんか?」

 ヨシュアの脳みそは完全に融解した。わずかに残った理性で、ありとあらゆる状況を考えるがどうしても、クローゼの言っている事の意味が理解できなかった。

「お、落ち着いて……と、とにかく落ち着いて話そう」

 そう言ってヨシュアは、ティーカップを取るがその手はガタガタと震え、すでに空のそれを何度も口に運ぶ。

「実は……。明日、お祖母様が学園に視察にいらっしゃいます」

 クローゼは、それを見てヨシュアの手を握り締めると、少年の瞳を直視して続ける。

「お祖母様は、帝国の貴族の方との縁談を私にするつもりのようです。この学園に来るとき、一つだけ縁談を破談にできる条件を私はいただきました」

「そうか……それが学園で彼氏を見つけるって事?」

「いいえ、彼氏では駄目です……」

「ど、どうして?」

「――私の家は厳しいので、彼氏、婚約者、旦那様は同義です。そ、その……男性は生涯で一人のみと決められています」

 クローゼは、ヨシュアを直視していた視線を逸らし恥ずかしげに言う。

「……」

 ヨシュアは、心の中で物凄いリアクションで頭を抱える。

「で、ですから、ヨシュアさん」

「い、いや待ってよ。一日だけでも本当にそんな役に僕を選んでいいの?」

 と言葉に出して、少年は咄嗟に息を呑む。昨日の告白を考えれば、この少女にとって頼れるのは自分だけなのだと悟ったのだ。

「っ」

 そのヨシュアの言葉に、クローゼは大粒の涙を溜めて絶句した。

「……ごめん……分かったよ、クローゼ。泣かないで。上手くできるかどうかはわからないけど、僕、君の婚約者になる」

「あ、あんですってぇーっ!?」

 刹那。生徒会室の壷の中からの叫び声だった。

「だ、だれだっ!?」

 ヨシュアは庇う様にクローゼの前に立つ。

「こ、この浮気者ー!」

 ドッカーン

 ――壷が大爆発する音。 

 入るは良いが、出ることは出来なかったのだろう、壷を破壊して中から現れたのは栗毛のツインテール。エステル・ブライトが両手を腰に当てて、ヨシュアとクローゼの前に立ちはだかる。

「ああ……やっぱり、エステルさん」

 クローゼは片手で目を覆って俯く。

「エステル……どこから聞いていたんだい?」

 ヨシュアはこの展開に目眩を覚えながらも問う。

「”エステル、女神より美しい君……。僕は……悪い学園のアイドルを倒す!”まで読んだわ」

「いやいやいや、そんな事言ってないから……」

「…………クローゼを尾行して、生徒会に進入しそこの壷の中でウトウト〜としていたら、良くは覚えていないけど、なんか物凄く衝撃的なセリフを聞いた気がするんだけど、もしかして、あたしの気のせい?」

 エステルは長く間を置いて、ポリポリと頬を掻きながら言う。

「えっと……エステルさん、実は」

 クローゼは、大きく肩を落とし、ゆっくりと切り出した。











王立ジェニス学園第二話「クローゼのお見合い」










「よし、HRを始めるぞ、全員いるな?」

「はーい」

 一方、中等部一年生の教室では、HRの時間が始まっており、教室には20人ほどの 生徒が机を並べ、教師の声に応える。ガクランにハチマキという格好で教壇に立つその男――かつて重剣の異名をとった剣士アガットである。

「今日は、転校生の紹介をする。おい、入れ」

 ガラガラ

 アガットの声に呼応し、教室の扉が開かれる。教室に入ってきたのは――明らかに他の生徒よりも幼い顔。肩まで伸びている柔らかな紫色の髪、そして他の学園のものであろう白いセーラー服。

「ほら、自己紹介」

 アガットはそう言って、白いセーラー服の少女の背中をポンと叩く。

 ニコっと不適に笑うその少女は教室の中を一瞥すると、これから机を並べる同級生達に会釈をして言葉を奏でる。

「レンです。よろしくね」

「あー、こいつは所謂飛び級入学だ、確か11歳だったか?」

「ええ。レンはロボット工学の天才なの。だからまだちょっと早いんだけど中等部に入学させてもらえたのよ」

「へー」

教室の中がザワめく。そして一番大きな声でレンの言葉に反応し目を輝かせている少女が居た。――ティータである。

「ロ、ロボットですか?」

最前列に座っていたティータはガタっと椅子を鳴らして立ち上がると、目を見開いて問う。

「ええ、ロボットよ。こーんなに大きなロボットを作ったり操縦したりするのよ」

 ティータの問いに、レンは両手をいっぱいに開くとロボットの大きさを命一杯表現して微笑む。

「す、すごいですっー。あ、あのあの、実はロボット部っていうのがあって、今部員さんを大募集しているんですっ! よ、良かったら入りませんか? サテライトシステムとか、オーブメントを使った光学兵器とか研究してるんです」

 ティータは専門用語を並べてヲタ仲間になってくれそうな少女に問う。ティータの言う内容はどう考えても学生レベルの活動ではなかった。レンが飛び級で入学してきた天才なら、このティータも類まれな天才である。

「へー、面白そうね? 入ってあげてもいいわよ」

 レンは得意そうに鼻を鳴らして言う。

「わぁっ、部員が私一人しかいなくて。あ、顧問はアガット先生です、でも先生は工学とか全然分からないから、ずっとお友達が欲しかったんですよぅ」

 ティータはレンの返事に心底喜んで応える。

「おい、その辺にして、後は休み時間にでも話せ。授業を始めるぞ。レンは空いてる席に適当に座れ、特に俺のクラスでは決まった席は決めてねぇ」

 ティータの言葉を無骨に遮ってガクランを着ている教師は、黒板に一時間目の科目である保健体育の課題を書き始める。レンは軽い足取りで教壇を降りると後ろ方にトコトコっと駆けて席に座った。

「あ、あのぅ」

「なんだ?」

「体育って字のスペルが違ってると思います」

「う”っ」

 アガットは小声で最前列から指摘したティータの方を振り返る。

「……えっと……」

 困った顔で固まるアガットの為に、ティータは自分のノートに正しいスペルを書いてアガットに見せる。

 ティータのノートを写して振り返り、目で”こうか?”と確認するアガット。

 ティータはニコっと笑って首を縦にふる。

「ねえ……あの二人、出来てるの?」

 その一部始終を後方で見守っていたレンが、意地悪な笑みをこぼし、隣に座っていた女子生徒に問いかける。

「ええ、レンちゃんも気をつけてね。先生はハードロリだから」

 その答えでクラス中が爆笑の渦に呑まれる。

「あうあう……ア、アガット先生はロリコンじゃないですよぅ」

 慌てて否定するが、ティータがそれを言ったら元も子もなかった。少女は目元と頬を真っ赤に染めて、困った顔してアガットの方に視線を向ける。

「おら、ガキども、いい加減しろーっ!」

 そのクラスの反応にアガットもたまらず、教卓をバンと叩き叫んだ。





 クローゼ達3人がクラブハウスを出て、授業の時間に合わせ校舎へと向かっていたその時。路地の草の茂みから、ヒョイと若い軍服を着た女性が顔を出し、クローゼに向かって目で合図する。

「姫様、申し訳ありません。お話が……」

「……ユリア?」

 エステルとヨシュアを先に行かせて、クローゼは茂みの方によって従者の名を口にする。

「は、はい。あの陛下が視察にいらっしゃるという話ですが」

「中止になったのですか?」

「い、いえ、なんとか申しますか……予定を繰り上げて、先ほど到着なさいました」

「……え……ええっ!?」

 クローゼは軽い目眩を覚え、ヨシュアとエステルの方に視線を移す。

「分かってるわね、ヨシュア、あくまでフリよフリ! 本気でラブラブする必要なんてないんだからねっ!!」

 エステルは10度目だろうか、同じ内容の台詞を念入りに少年に吹き込む。

  「分かってる。明日一日だけだというなら、予めセリフとか考えておけば平気だと思うよ」

 ヨシュアは眠い目をこすってエステルに微笑む。その刹那だった。

 ガターンと乱暴に扉が開かれる音と共に、校舎から中年の男が物凄い勢いで飛び出し、校門の方へと疾走していく姿が飛び込んでくる。

「父さん?」

 エステルとヨシュアの声が被る。

「何かあったのかしら?」

「父さんが、あんなに慌てているなんて珍しいよね」

 そんな会話をしながら、3人が学園の中央にある広場に差し掛かった時だった。

「……」

 エステルとヨシュアは、”それ”を見て目を剥いた。

 全身を漆黒のロープで包み、顔もフルフェイス型のマスクで覆っている人間(?)が、こちらに向かって歩いてくる。その後ろに青い顔で続くのは、学園長――カシウス。

「どういう経緯でダースベーダーが入学してきたのかしら?」

 エステルは真っ青な顔で言う。

「……いや、違うと思うけど」

 エステルとヨシュアは、そそくさと、仮面を付けている人物に道を明ける。が、その威圧感を周囲に振りまいている仮面の人物は、作り笑いをしながら手をスリスリさせて後ろに続くカシウスに目をやると、その場で立ち止まる。

「へ、陛下、何か問題でも?」

 カシウスの悲鳴に近い声だった。

「いいえ。問題などはありません。……クローディア、久しぶりですね」

 その仮面の人物の発した柔らかい女性の声――クローゼとよく似たそれ。

「……お祖母様……」

 クローゼは、道をその人物に譲ることもなく、正面から対峙して深々と礼をする。

「へっ?」

 と同時に、エステルの驚きの声があがる。理由は二つ、クローゼが仮面の女性(?)と知り合いであったこと。そして――自分が宙に浮いていることだ。

「え?ええっ?」

 状況が呑めず、地面が段々遠くなっていく展開にエステルは慌てる。襟首が引っ張られているのだ。

「ピュイ……」

 エステルが振り向くと白いハヤブサ――クローゼのペットのジークが申し訳なさそうな顔で自分を吊り上げているのだと知る。

「ちょ、は、放しなさいよ」

「ピュピュイ?」

 エステルの怒声に、ジークは”いいの?”と首を傾げる。すでに地面までは20メートル近く離れた空中にエステルはいるのだ。

「あ、やっぱいいわ……近くの屋上に降ろしてもらえる?」

 エステルは、下を向いて背筋を冷たくすると渋々そう応えた。

「今回、急いで視察に来たのは他でもありません。あなたにお話があって来ました」

 仮面の下にあるのは微笑みだろう。女性はクローゼに近づくと、その手をとって話しを続ける。

「急ではありますが、明日、あなたのお相手がルーアンを訪問するようです」

 ――それが、一日繰り上げて視察にきた理由なのだろう。

「その件ですが、お祖母様。……今、お付き合いしている方がいらっしゃいます」

 クローゼは双眸を閉じて静かに応える。

「まあ……それは本当ですか?」

「はい。……あなた、こちらへ」

 紫の君は、祖母に強く頷くと。視線はヨシュアの方へ向け、右手を差し伸べる。ジークを呼ぶときのように。

「――え?」

 エステルが宙に消えるシーンを他人事のように見過ごして、父親がペコペコと頭を下げる姿に少なからず、夢と現実の区別がつかなくなってきていたヨシュアは、今度こそクローゼの言動に完全に混乱した。

「どうなさいました? あなた?」

 クローゼは微笑んでヨシュアに近づく。次にその手を優しく引いて仮面の女性前へ連れて行く。

「お願いします」

 クローゼは、ヨシュアの襟首に両手を回しそれを整えると、小さくそう耳打ちする。それでヨシュアを混乱は多少収まるが、何も準備なしに突然、恋人を演じろといわれても、そんな経験もない少年には無理な話であると言えた。

「はい、あなた、お祖母様に自己紹介を」

 が、そんな狼狽するヨシュアを意に介せず、クローゼは両目を閉じてやや厳しい面で続ける。

「ヨ、ヨシュア・ブライトです」

 ヨシュアには名乗るのが精一杯だった。

「ブライト?」

 仮面の女性は、そう言って振り返るとカシウスを一瞥する。

「クローディア。貴族の師弟ではなく、英雄殿の子息を選んだのですね」

 今度は、仮面を付けていても明らかに分かる笑みを溢し続ける。

「……しかし」

 突然、笑みを閉じ、口調を強める仮面の婦人。

「その話が、ただの縁談逃れではないのか。そして本当に、このヨシュアさんが、あなたに相応しいのか、確かめる必要があります」

「ええっ!?」

 クローゼとヨシュアの声が重なる。

「今日一日、私は学園を自由に散策させてもらう予定です。あなた達二人が、本当に愛し合っているのかどうか。その際に見極めさせていただくことにしましょう」

 厳しい口調に加え、視線も硬化させて仮面の女性は言葉をそう締める。そしてカシウスに何かを伝えると体を翻し校長室のある校舎の方へと足を向けた。





 ”クローゼちゃんが、告白したって本当だったんだ……マジへこむな……”

 ”で、こうして二人でお昼ご飯を食べているって事は、ヨシュア君OKしたのね……マジで鬱だわ”

 ”ここまで派手にラブラブされたら、盗撮する気なくなるわ。もう勝手にしとけって感じやね”

 ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ

 ――昼休み。校舎の屋上には、ほぼ全校生徒が集結し、明らかに温度差が違う。少なくとも2月とは思えない空間にいる二人に視線を集中させていた。

「はい、あなた。あーん?」

 紫の髪の少女が卵焼きをフォークにとって、漆黒の髪の少年の口元に運び微笑む。

「あ、あーん」

「美味しいですか?」

「あ、うん」

 ――木製の屋上の床には、花柄のシートが敷かれていて、その上には二人――。ヨシュアとクローゼが座って、お弁当を広げていた。

「あまり時間がなくてこんなものしか作れませんでした」

「い、いや、君の手作りを食べられるなんて感激だよ」

 クローゼの方は本当に頬まで真っ赤に染めて、視線を落として恥ずかしそうに喋っているが、ヨシュアの方はどこか棒読みにチックな言葉を奏でる。――その理由。

 二人を取り巻くギャラリーの一角でハンカチを噛み締めて目に怒りと嫉妬の炎を灯している少女、エステルの存在である。

「キィィィィィィィィィィィ、憎々しい」
栗毛の少女は金切り声を上げて周囲に殺気を放つ。




「くす……ご飯粒がついてますよ」

 そんなエステルをよそにクローゼは、ヨシュアの頬についたご飯物を取って自らの口に運ぶ。

 ブチッ

 ギャラリーの一角で何がキレる音。――と同時に、数人の生徒が空中に吹き飛ばされる。誰が八つ当たりしたとは言わないが、野次馬の一角は修羅場と化していた。





 放課後――校舎の時計塔は15時を指して、西に日暮れの太陽を臨んでいた。

「ヨシュアさん、お疲れ様です。今日はずっと眠たそうで……大丈夫ですか?」

 校舎二階の教室には、最後の授業を終えた生徒達がまばらに残っているだけである。ヨシュアは、冷たい汗を掻いて机に頬を埋めながらクローゼを迎えた。

「たしかに少し大変だった……でも、これで帰るから。とにかく問題なく一日を過ごせたみたいで良かったよ」

 ヨシュアは力なく微笑むと、机の上の教科書を鞄に入れながら応える。

「はい、これもヨシュアさんのおかげです」

 クローゼもにっこりと微笑んで、ヨシュアの身支度を待つ。

「今日は一緒に帰りませんか?」

「……そうだね」

 あくびをかみ殺したヨシュアは強く目を擦ると、改めて厚手のコートを着たクローゼを見据えて、差し伸べられた手をとった。





 ヨシュアとクローゼの二人は校舎から出て、周囲の好機の視線を浴びながらしばらく一緒に歩くと、女子寮と男子寮を分に分かれる三叉路で立ち止まる。そして無言で微笑み合うと、今日、最後になるであろう言葉を交わす。

「では、これで失礼します。ヨシュアさん」

「――今日はお互いに大変だったね」

 ヨシュアの労いの言葉は、未だ背後に感じる好機の視線に向けられたモノだった。

「……ヨシュアさん、大変でした?」

 その言葉にクローゼは、不安げな表情を浮かべ問う。

「え?」

「私は……学園に来て、いえ人生で一番幸福な日でした」

 ヨシュアの反応を寂しそうに見送るとクローゼは、両手を胸に当ててそう告げる――。

「……クローゼ」

 ヨシュアは、その言葉に胸に暖かい感情が沸くのを感じる。と当時に、彼を唐突に襲った感触、それは悪寒。

「っ!?」

 ヨシュアは目を剥いて、背中に刺さる強い視線の正体を探る。

「なるほど、クローディアの騎士殿は、腕に覚えがあるようですね」

 ヨシュアがその視線の主を補足すると共に、その感覚は消え去った。そしてその冷たかった視線は、クローゼと同じような春の暖かい微笑みに包まれる。――仮面の女性。今日一日、姿を見ることはなかったが、ヨシュアは悟った。姿はこちらに見せなかったが、おそらくずっと見られていただろう、と。視線だけで殺気を感じられるか否か、試したのだろう。

「久々にクローディアと一緒に夕食をいただこうと迎えにきたのですが。二人とも私の泊まるホテルに招待したいと思います。都合はつけられますか?」

 そして、ここでヨシュアも誘う、ということは、この仮面の女性は少なくても今日一日のヨシュアに及第点をつけたことになる。

「……あなた、何かご予定がありますか?」

 クローゼはその言葉に即答することなく、ヨシュアを傍によって再びその手を取ると瞳を覗き込んで尋ねる。

「……いいや」

 クローゼの声は優しく彼の耳を撫でるが、仮面の女性の視線は少年を鋭く観察している。言い訳を考える動作さえも見透かされそうで、ヨシュアは、観念したように両目を閉じて首を横に振った。

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