2011年11月4日 2時30分 更新:11月4日 3時12分
たまっていく排せつ物の中で動けなくなった牛たちが、じっと飼い主を見つめている。東京電力福島第1原発から70キロ離れた福島県中島村。原発事故により野菜農家が作付けをあきらめ、肉牛農家が堆肥(たいひ)の提供先を失って大量のふん尿を抱えたまま行き詰まっている。放射性セシウム汚染による肉牛の出荷停止が解除されて2カ月余り。福島の農業が崩れつつある。【井上英介】
「耕作農家が行き詰まれば、ドミノ倒しでうちも立ちゆかなくなる」。肉牛約600頭を飼う水野谷一徳さん(51)が、暗い表情で牛たちを眺める。ふん尿を保管する堆肥舎はすでに満杯であふれ出し、牛舎内でも70センチ近くたまっている。牛たちは足が完全に埋もれ、時折もがくように巨体を震わせる。
牛はきれい好きで、衛生状態の悪い環境にいると強いストレスを感じ病気がちになる。水野谷さんの牛舎ではすでに半数近くが体調を崩している。
一帯はブロッコリーやトマト、キュウリの産地。耕作農家が肉牛農家に堆肥をもらい、代わりに餌となる稲わらを提供するという循環が成り立っていた。33歳で肉牛を飼い始めた水野谷さんは、20年近くかけて近所の10戸と関係を築き、毎年堆肥1500トンを無償で提供。10戸は春野菜向けの3月と夏野菜向けの7月、計30ヘクタールの畑に施してきた。土作りに熱心で、冬前に3度目の堆肥を入れる専業農家もいた。
ところが今年は原発事故で、農家の多くが春野菜の作付けを見送った。さらに風評被害も重なって耕作意欲を失い、夏野菜の作付けをあきらめた農家も多い。水野谷さんの元へ堆肥を取りに訪れた農家は今春ゼロ、夏も2戸にとどまる。
堆肥について農水省は1キロ当たり400ベクレルの暫定許容値を設定。福島県は9月以降、肉牛や乳牛を飼う県内農家約3400戸を対象に線量検査を進め、許容値を下回れば耕作農家へ出すよう指導している。水野谷さんは汚染された稲わらを牛に与えておらず、堆肥の検査でも問題なしとされた。それでも耕作農家の間には、地元の堆肥を敬遠する空気も生まれているという。
県からはふん尿を牛舎の外に出し、別の場所で適切に保管するよう助言されているが、「周囲に住宅が多く、無理に野積みすれば公害になりかねない」と頭を抱える。県によると、同じような状況に追い込まれている畜産農家は少なくない。
福島県では8月25日に肉牛の出荷停止が解除された。水野谷さんの牛は9月上旬に検査で安全性が確認され、出荷を再開。しかし福島牛はなかなか買い手がつかず、震災前の半値にとどまる。運転資金が不足し、金融機関から1億円以上の融資を受けている。
「BSE(牛海綿状脳症)の時は借金をしても何とか乗り切った。今回は風評被害が強まるばかりで、東電がいつ何をどこまで賠償してくれるのかも分からない」
水野谷さんは最近めっきり酒量が増え、仲間から心配されている。