第一話 『旅立ちの理由は唐突に 前篇』
昔の事は良く覚えてはいなかった。
覚えているのはまるで岩をくり抜いた様な場所の中で、太陽を拝む事もなく、僅かな光をその目に受けながら何もせずに生きていた事。
たったそれだけの記憶でも、脳には焼きつけられていた。だが、ただ憶えているだけ。そう、憶えているだけ。
「ねぇ! 起きてよ!」
遠い場所で誰かが呼んでいる。だが、どうにも意識がハッキリとしない。まるで浮き沈みを繰り返しているかのような感覚に囚われ、脳が全く機能しない。
「起きてってば」
「いつっ」
ガツっという音と共に頭に鈍い痛みを感じ、やっとの事でその意識が覚醒した。
「あっ、起きた?」
目を開き、すぐに視界に入ったのは幼い男の子の顔。その顔は毎日見ていると言っても過言ではない程、彼と男の子は身近な仲だっだ。
「ええ、起きましたよっと」
体を起き上げて、自分がいるベッドのすぐ傍にある窓から外を見る。最後に見た太陽は確か昇っている途中だったが、今目に見える太陽はその場所も高さも変えており、位置的には地平線の向こう側へと向かって下りてきている時間帯だと予想される。
「もう、夜久はこんな時間から寝てて、大丈夫なの?」
腰に手を当てて、問いかける。
「最近仕事が無くてですね。寝ているしかないんですよ」
欠伸しながら男の子の返答に応えると、その男の子が呆れたような表情を見せる。
「ほぼ毎日暇そうにしているよね。でも、ちゃんとママに家賃払っているのが不思議だよ」
「一回の仕事が大きいんです。まぁ、それでも足りなかった時は料金跳ね上げて、家賃と生活費だけは稼いでいるんで」
「極悪人だね。だから、町の人達は滅多に夜久に依頼をしないんだよ」
「それが生活難の理由かも知れませんね。ちょっと考えないと」
「“ちょっと”なんだね…」
呆れた表情を見せる男の子を余所に、夜久はその体をゆっくりと伸ばす。ポキポキという恒例の音が背中から鳴り、それを聞くと本格的に起きたと感じる事が出来る。
多分これは夜久だけの特徴だろう。
「それで、テック。何か用ですか?」
「あっ、そうだ」
夜久の質問に何かを思い出したかのような表情を見せ、テックが身を乗り出す。
「何か、貴族の人からの伝言が来ているよ」
「伝言?」
「うん」
「で、その伝言ってのは?」
「知らないよ。その伝言を知っている人が下の店に来ているの」
「ああ、そういう事ですか」
そもそも、テックが言う貴族からの伝言を、こんな小さな子供に託すわけがなった。だが、なぜこんな都市の中心から離れた場所に住んでいる一般市民でしかない夜久の下に、そんな使者が来ているのだろうか。
手紙ではなく、わざわざ使者を寄こす辺り、ちょっとやそっとの事じゃないと思える。
「テック、その伝言を知っている人は下のお店にいるんですね?」
「うん。椅子に座ってお茶も飲まずにジッとしてる」
「そうですか。なら、私は大丈夫ですから外に遊びに行ってなさい」
「えー、俺も一緒に行く」
「大人の話ですよ。それに怖い話かもしれませんよ」
使者を寄こすほどの事だ。余り子供に聞かせたくない話に決まっている。それに、怖い話ってのも案外外れていないのかもしれない。色々な意味で。
「まっさかー」
「もしかしたら、聞くと呪われる話と言うのが貴族の間で流行っていて、その調査をしてくれとか…」
「え?」
「夜な夜なこの国を徘徊する骸骨の幽霊を退治してくれとか」
「あ…あ、あはははははっ。遊びに行ってくるねー」
話をしている最中も後ずさりをしていて、話が終わると同時に外へと駆けだしていくテック。その姿を見送ると、もう一度体を伸ばしてから夜久はベッドから降りた。
そこで自分の恰好を見たのだが、夜久が今着ているのはいつも着ている普段着。貴族の使者の前で失礼に値するだろうか。
「さて…」
そんな事を考えても、貴族の使者の前に出ても失礼に値しないかもしれない服なんて持っていない。なので堂々とこれで行くしかないだろう。
自分の部屋から出て、外の廊下へと足を踏み入れる。そこはもう既に外で、古い木で出てきた床と手すりだけの小さな廊下だ。最初は床が抜けないか心配したものだが、今はもうそんな事を気にしなくなっていた。
「ふあぁ…まだ眠い…」
自分の頬を撫でる風を見送りながら、夜久は大きな欠伸を見せ、すぐ横にある階段をゆっくりと下りていく。
「よぉ! 夜久、またずっと寝てたのか?」
階段を下り終えると、少し離れた場所から一人の男性が笑いながら話しかけてくる。
「いやぁ、仕事が無くてですね。どうですか? 部屋の掃除とかもしますよ。割増しで」
「他を当たってくれ。それじゃあな」
「ええ、お仕事頑張ってくださいな」
たった一言二言、笑顔で交わされた会話。それだけでも二人がそれなりに親しい間柄だという事は感じる事が出来る。
自分の仕事へと戻って行く男性の姿をしばらく見てから、夜久はゆっくりと階段のすぐ横にあるドアへと目を向ける。そのドアには営業中と記された小さな板が張り付けてあり、ドアノブを掴んで引いてみれば、簡単にそのドアは開いた。
「あっ、夜久」
ドアを開けて中に入ると、すぐに店の奥にあるカウンターの中にいた女性がその存在に気が付く。
その反応を見ながらも、夜久は一直線にカウンター席へと向かっていき、椅子に座るとカウンター内で立っている女性を見上げた。
「おはようございます。ローズおばさん」
「夜久、あんた…」
「お腹が空きました。サンドイッチを一つ下さい」
「いや、その前にさ…」
「おばさん、サンドイッチを」
笑顔のまま注文し続ける夜久を前に、ローズも押し切られてサンドイッチの調理を始める。
その作業姿を夜久は嬉しそうに眺めていたが、その顔が一瞬険しい顔になる。
「君が夜久だな」
すぐ後ろから掛けられた声。その声を聞きながら夜久は顔を笑顔へと戻し、後ろを振り返る。
「そうですが、何か?」
振り返った先で視界に入ったのはマントで体の殆どを覆い、フードで顔の大部分を隠している人。声からして男だとは思われるのだが、少々気味が悪い。
「君に仕事の依頼をしにきた」
「仕事の依頼…ですか?」
久しぶりの仕事の依頼。だが、意気揚々と“いらっしゃいませ”で迎えられる相手と依頼内容ではなさそうだ。
「その前に、貴方の名前は?」
「名乗るまでのない者だ」
「名前を言いたくないっと。ヤバい仕事なのでしょうが、依頼主の名前位、知っても良いと思いますが?」
「依頼主は私じゃない。私はただの仲介役。本当の依頼主はモックレート。モックレート・ハーバストだ」
モックレート・ハーバスト。夜久の記憶が正しければこの都市に住む貴族の中でも一位二位を争うほどの財力を持つ名の通った貴族の事。
この国を治める皇帝とも親交が深く、かなり信頼されているようだが、詳しくは夜久も知らない。
「そのモックレート・ハーバストさんが、私に何を依頼したくて貴方を寄こしたのですか?」
ローズが差し出したサンドイッチを受け取り、それを頬張りながら夜久が話を続ける。
この夜久の対応に男性はどんな反応をしているのかは、そのフードからは見えない。夜久にとってはやり難い事この上なかった。
「ここで話せる事ではない」
「大丈夫ですよ。ここにいるローズおばさんは口が堅いで有名ですから」
冗談のつもりで行ったのだが、目の前にいる男性は何も言わずにそのフードの向こう側から夜久を見詰めているだけ。
だが、その沈黙が息苦しかった。それに加えてフードの向こう側からは突き刺すような視線も感じる。
「解りました。外で話せば良いんですね」
「外も駄目だ。誰が聞いているのか解らない」
「ならどうしろと? 私の部屋でも来ますか? とても良い見晴らしですよ」
「いや、ちゃんと場所は用意してある。そこまで付いてきて欲しい」
今まで数々の依頼を受けてきて、夜久は色々と学んできた。いや、そんな知識を破棄しても誰にも聞かれたくない依頼内容だからと、別の場所を用意し、そこに一緒に来て欲しいと言われたら警戒するだろう。
その誰もいない場所でサクッとやられないかと。
「場所を? それは何処ですか?」
「それは言えない」
「貴方は、相手を少しでも信頼させる気にさせないつもりですか? 言えないや話せないばかりじゃ、私も警戒しますよ」
「すまない。どうしても言う事が出来ないのだ。君以外の誰にも聞かれたくない事でな」
表情は全く見えないが、声のトーンが少し下がり、申し訳なさそうに聞こえる。だが、それでは何も解決はしない。ここで言えない事は変わらないし、話を聞くにはその用意した場所に行かなければならない。
「これじゃあ、伝言を伝えに来た使者ではなく、迎えに来たって感じですね」
「そういう事になる」
「まぁ、良いでしょう。ですが、サクッとやる気なら、私も容赦しませんから」
サンドイッチが乗っていた皿をローズへと返し、椅子から立ち上がりながら夜久がポケットへと手を入れる。すると、後ろからキーンという金属音が鳴り、夜久の顔のすぐ横をコインが通り抜けていった。
「おっと」
それをローズが危なげに受け取り、手の中のそれをしばらく眺める。その手の上に乗っていたのは金で出来たこの世界の通貨だった。
「目的の場所までの手間賃だ」
そう言い、男性は振り返ってドアの向こう側、外へと向かって歩いていった。
その後ろ姿を茫然と眺めていた夜久とローズだが、姿が見えなくなるとお互い顔を見合わせる。
「あ、お釣りどうしようかね?」
「良いんじゃないですか? 凄いとこに仕えているみたいですし、彼にとっては大した事じゃないんでしょうよ」
自分のポケットから出した銅の通貨をまたポケットへと戻し、ドアへと向かって歩いていく。
「それじゃ、行ってきます」
「ああ、気を付けて」
「そうですね。気を付けないといけないですね」
そんな事を言い残し、夜久は店から外へと出ていく。
店から出ると、すぐに男性の姿がその目に入った。男性は店のドアからほんの少し離れた場所で腕を組んで立っており、夜久の姿をその目で確認すると組んだ腕を下ろす。
「ここから少し歩く。付いてきてくれ」
男性は一言そう言うと、一人で勝手に歩きだす。
夜久は特に何も言わず、その男性へと付いていき、その姿を後ろから眺めている事にした。
二人は夜久が住んでいる街外れの場所、この都市を守る城壁から一番近い場所からどんどん上へと続く長い坂を上がって行き、その上にある家が立ち並ぶ道へと出た。
普通の人が住んでいるのはここまでなのだが、男性と夜久はそのままそこからまた続く階段を上がって行き、その上へとどんどん昇って行く。
「この先は貴族街ですが、まさかそこで話をすると?」
「そういう事になるな」
「豪華な場所を用意したものですね」
貴族街は普段、普通の市民が立ち入らない場所ではあるが、解放されてはいる場所。
この都市では特に貴族だから平民だからという差別は無く、貴族と平民はただ金を持っている人達とそうじゃない人達という分け方となっている。それでも普通の市民にとってはちょっと立ち入り難い場所であり、立ち入る理由が殆ど無い場所だ。
「貴族街なんて、最後に立ち入ったのはいつでしょうか? われわれ平民にとっては立ち入る理由も無ければ、立ち入り難い場所でもあるので」
「立ち入る理由が無くてもただの散歩でここに来れば良い。立ち入り難いのはその考えを改めれば良い。我々はここを解放しているのだから」
「まぁ、そうなんですけどね」
自分たちが勝手に思い、勝手に立ち入らない。それ分かっているのだが、貴族街に入るのに引け目を感じてしまうのはなぜだろうか。やはり、目上の人達と言う印象があるからだろうか。
その入るのに引け目を感じる貴族街へと入り、夜久と男性はしばらくその中を歩いていく。
「ん? ちょっと待ってください。このままじゃ貴族街を通り抜けてしまいますが?」
貴族街を歩いているうちに夜久はある事に気が付く。
貴族街はそもそも人口が少ないのでその規模はそれほど大きくは無い。全ての家を回ろうとして、複雑な小道へと入り込まなければ数分も掛からずにそこを越えてしまう。そして、その貴族街の先にあるのはこの都市を治める国のトップが住む大きな城。
「ああ、あそこだ」
「あそこって、城ですよ」
「そうだな。あそこの一室で話す事になってる」
目の前に聳え立つ城を見上げながら、男性がサラッと言う。
「これはある意味で覚悟が必要でしたね…」
城に行くなんて思ってはいなかった。それを知らされていれば心の準備も出来ただろうに。
「いやぁ、大丈夫なんですか? 一般市民がこんな所に入って」
「普通は招かれた者や、地下牢へと放り込まれる犯罪者しか入れない」
「私は招かれた者ですね。今更“お前は犯罪者だ!”とかビックリ発言しないでくださいよ」
「安心しろ。それは無い」
そう言いながら、城の正面入口へと続く階段を上がっていく男性と、城を見上げながらもそれに付いていく夜久。
階段を上り切った先にある大きな扉、その両端には警備の者と思われる兵士が二人立っている。その二人共体を鎧で包んでおり、その腰には剣を下げていた。
「私だ。通してもらうぞ」
男性はその二人の兵士の前で一瞬だけフードを脱ぐと、その顔を見た兵士が敬礼をし、二人掛かりで城の中へと続く大きな扉をゆっくりと開けていく。
顔を見せただけで入れるとは、このフードを被った男性は何者なのだろう。
扉が十分人が通れるほど開くと、男性はその扉を通り抜け、夜久も急いでその後に続いていった。
「おお…」
城の中に入ると玄関ホールと言うのだろうか、かなり広い部屋が現れた。
所々にとても高級そうな装飾が施されており、その中で一つ位持ち帰っても気付かれないような数だ。しかも、たった一つでもしばらくはお金に困る事のない程の物だろう。
「城の中は広くて複雑だ。逸れるとどうなるか分からんぞ。誰かに見付けられても、侵入者として捕らえられるかもしれん」
「それは御免被りたいですね」
玄関ホールから伸びる三つの道の中から、一番右の道へと入って行く男性に夜久は付いていく。
その先は長く、複雑だった。所々にあるドアはどれも同じような形をしていて、何処まで行っても変わり映えのしない廊下が距離感や方向感覚を鈍らせる。
「ここだ」
ここまでの道順をちゃんと覚える前に、男性があるドアの前で立ち止まる。
「まず、入って待っていてくれ。依頼主を呼んでくる」
ドアを開き、夜久にその中を見せながら男性が言う。
その時、夜久の目に映っていたのは自分の部屋の三倍以上ある広さの部屋と、中央に向かい合って置かれている大きなソファー。そのソファーの間には奥ゆかしくもその存在を主張しているガラステーブル。
目を少し動かして壁を見れば、ここも高そうな絵が飾られており、一般市民には縁もゆかりも無い城の部屋はまたもや縁もゆかりも無い部屋だった。
「ソファーに座って待っていてくれて良い。少々時間が掛かるからな」
「飲み物とかあります? ちょっと喉が乾いちゃって」
「使用人を寄こそう。それまで待っていてくれ」
「ありがとうございます」
夜久は開かれたドアを通り、後ろでそのドアが閉まる音を聞きながらソファーへと向かって歩いていく。
特に何もする事は無い。ドカッと全体重を掛けてソファーへと座り、その座り心地を味わうが、何となく悲しくなるだけだった。
しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえた。
「失礼します。お飲物をお持ちしました」
ドアを開き、その姿を見せたのはあの男性ではなく女性の使用人。彼女は手早く夜久の目の前にあるガラステーブルへと冷たい飲み物が入ったコップを置くと、営業スマイルを浮かべながら部屋を出ていく。
この時、夜久と彼女が交わした会話は一言二言。しかも、夜久は“ありがとうございます”としか言っていない。
声を掛けずにいたのはちょっと、惜しかっただろうか。
「失礼する。依頼主を連れてきた」
夜久の目の前に行かれたコップの中の飲み物が全て飲み干された頃、男性が戻ってきた。しかも、その後ろにはまた二人の男性が立っており、二人共部屋の中で座っている夜久の姿を見ると、ゆっくりと夜久が座っているソファーの向かい側にあるもう一方のソファーへと座った。
「初めましてだね。私はモックレート・ハーバスト」
夜久から見て左側に座った男性。歳はもう三十半ば過ぎといったところだろうか。
「いきなり迎えを寄こしてすまない。だが、君にしか頼めない事なんだ」
何処でどうやってこの男性の信頼を得たのか、その記憶はない。
「それは良いですが、なぜ城の中で依頼の話を? 他人に聞かれたくなくても、もっと手頃な場所があったでしょうに」
例えば、どこかの家の裏とか。捜せば、それなりに誰もいない場所なんてある。
そういう所で話していれば、庶民と王族の差を目の当たりにする事は無かった。
「それはね。僕の隣にいる人がここから出られないからなんだ」
「ここから出られない?」
その言葉を聞いて、夜久は自分から見て右側に座っている男性へと目を向ける。
歳はモックレート・ハーバストとさほど変わらないだろう。だが、もし二人に年齢差があるのなら、こっちの方が年上と言う印象が強い。その男性は妙に眼力があり、夜久を見詰めるその目からは強さしか感じられない。肉体的な強さではない。人間としての強さだ。
「えっと、何処かで見たような…」
夜久はその顔に見覚えがあった。見覚えがあるとは言っても話したりした記憶は全くなく、遠巻きに見たという感じだ。
「だろうね。彼は現皇帝、ガイア・ローレンスだから」
「現皇帝、ガイア・ローレンス? 現皇帝ガイア・ローレンス!?」
驚いて立ち上がりそうになる足は抑えたが、その顔は驚きに満ちている。なんせ、今目の前にいるのはこの国、この世界を治める皇帝なのだ。つまり、人のトップと言って良い程の方が目の前にいるのだ。
「あっ、いやぁ、すいません。こんな話し方で。性格なんですよ。なんていうかその…無礼だとは思いますが…」
「良い。わしは自分がお主より偉いとは思っておらんし、他の市民も同じ。対等な態度で話しても構わぬ。ただ、わしは市民の代表というだけだ」
「いやぁ、それで済んだら皇帝なんて呼ばれない訳でして…」
この国をたった一言で動かしてしまうほどの力を持つ人物だ。そんな偉大な人と対面している。夜久は立ちあがった方が良いのではないかと考えたが、その目を見ると立ち上がる事が出来なかった。
「モック、話を進めてくれ」
「おいおい、彼の目の前でその呼び名は止めてくれ」
「おお、すまない。つい癖でな」
夜久の目の前でとても親しそうに話している二人だが、その二人の目の前にいる夜久は落ち着かない。二人から目を放してドアの方へと目を向けても、夜久を迎えに来た男性がドアを塞ぐように立っており、逃げられそうにもない。
「さて、夜久君。君は依頼主が僕だと、インシェントから聞いているね?」
「インシェント? 誰ですか?」
「聞いてないのかい? インシェント、自己紹介くらいしないと駄目だよ」
「申し訳ありません。ですが、あそこで私の存在を明らかにするのは少々拙いと思いまして。なんせ、今回はモックレート様の使者として、あそこに行ったのですから」
「ああ、そうか。名前を言ってしまえば、君が皇帝の護衛隊の隊長だと周囲に知られてしまうね。これは失敬」
夜久の目の前で意味の解らない会話が交わされる。
夜久を迎えに来た人物はインシェントという名前で、それがモックレートの使者として着ていた。だが、その名前を言えば皇帝の護衛隊の隊長だと知られてしまう。この三つの気になる言葉を並べても大して解る事はない。
「あの……どう言う事ですか?」
「ああ、すまない。勝手に話を進めてしまったね。さて、前提として、君はこの僕、モックレート・ハーバストの依頼だと聞かされ、ここに来た」
「ええ、そういう話でした」
「だが、その前提が間違っている。いや、嘘だ。本当は僕の隣にいる皇帝陛下の依頼なんだ」
モックレートのこの言葉。事情が全く解らない夜久は一瞬混乱したが、これ位はすぐに理解する事が出来た。
何を考えての判断かは知らないが、皇帝の依頼と言う事ではなく。モックレートの依頼という嘘をつき、夜久をこの場に呼んだ。それは皇帝の依頼だと言えば夜久が憶すとでも思ったのか、それとも何か他に理由があるのか。どちらにしても、少々回りくどい。
「確かに皇帝直々の依頼となれば、私でも驚きます。ですが、いちいちそんな事をしなくても私は来ますし、皇帝の依頼が来たと言いふらしはしませんよ」
「その件については心配していない。君は皇帝の名を出してもちゃんと来ると思っていたし、そもそも依頼主の情報を安易に言いふらす様な人間の名前が、僕の耳に届くとは思わないからね」
夜久の仕事は信頼が第一だ。例え、依頼主の名を吐けと拷問されても吐く事はないだろう。もちろんその目的も経路も。
「だが、他の人はどうだ? 皇帝が一般市民の君に極秘の依頼を任せる。それだけの情報が漏れても不信感を生み、その情報はまちまち広がっていく。あの皇帝は裏で何かをしている。信用なんてできないと思う人も少なくはないだろう」
「確かに、単純な思考回路の人間は少なくないですからね」
「あははっ、単純な思考回路ね。まぁ、そういう訳で皇帝の依頼という事と、その皇帝の護衛隊長、インシェントの名前を伏せさせてもらった。彼の名前を伏せたのは、インシェント自身の判断だけどね」
モックレートにインシェントと呼ばれる男性へと目を向ける。相変わらずマントを羽織り、フードを深くかぶっている為その容姿は見えない。皇帝の護衛隊長だというのだから、皇帝が主人のような存在なのだろうが、その主人の前でその恰好は失礼でも何でもないのだろうか。
「おや? インシェントに興味があるのかな?」
「いいえ、男に興味を持つ趣味はありませんよ」
「そういう意味で言った訳じゃないんだけどね。そういえば、インシェントはいつまでその恰好でいる気なのかな? 客人に失礼だよ」
夜久が疑問に思っていた事、それが解決しそうなモックレートの発言だったが、インシェントは微動だにせず、そのフードの下にある口を動かすだけ。
「すみません、モックレート様。私はこの男を完全に信頼した訳ではありません。皇帝の護衛隊長として、その顔を晒す訳にはいかないのです」
「皇帝、つまり君の主人がこうやって出てきている客人を、信頼できないと?」
「皇帝陛下には許可を得ています。自分が信頼できない相手なら、顔を出さなくて良いと」
このインシェントの言葉を聞くと、モックレートは現皇帝、ガイアへと厳しい目を向ける。
「本当なのかい? ガイア」
「ああ。インシェントがあの座に着く時に、そういう約束をした」
「そうかい。すまないね。インシェントの事は気にしないでくれ。あれも、彼の仕事なんだ」
護衛隊長と言うのはその素性を知られると何かしら拙いのだろうか。色々と疑問は残るが、夜久はインシェントから目を放し、モックレートへと目を向ける。
「いえ、大丈夫です」
「それでは、仕事の話に戻ろう。このガイアが本来の依頼主と言う所までは話したね?」
「ええ、聞きました」
「で、依頼内容なんだが、この国に、つまり前皇帝、前々皇帝とずっと受け継げられてきた宝剣を探してきて欲しい」
「宝剣?」
皇帝に代々伝わる宝剣。その存在を夜久は知らない。いや、知らなくて当たり前なのかもしれないが、どうしてそれを探すのだろうか。
「ああ、とても貴重な物なんだが、先日盗まれてしまってね」
「盗まれた? 私はその宝剣の事を知らないのですが、それは有名な物なんですか?」
「いや、世間には公表していない物なんだ。ただ、先代から大体受け継いできた家宝みたいなものであり、ずっと大切にしてきた物でもあるんだ」
宝剣と呼ばれるものなのだから価値があるのは確かだが、こうなれば盗んだ主がどうやってそれがあるかを知り、それが何処にあるのかどうやって調べたのかが気になる。
「で、それが盗まれたと」
「そういう事。で、我々も総力挙げて探したい訳だが、そうもいかない」
「なぜです?」
「先にも言ったとおり、あれは公表していない。いや、余り世間に公表したくない宝剣なのだ。我々が総力を挙げて探せば、皆が騒ぎ始める。もちろん、我々の目的を知ろうとする者も出てくるだろう」
「その結果、その宝剣が世に知れるのを防ぎたいと」
「そういう事だね。物分かりが早くて助かる」
笑顔でそう言うモックレートだが、解らない事がまだ多い。特になぜ世間に公表したくないのかという疑問が一番最初に思い浮かぶが、世間に公表したくないのなら夜久にも言いたくないはず。その質問は避けた方が良い。
「だが、なぜ私にその依頼を?」
「先程も言ったとおり、世間に知れる可能性を無くすためにできるだけ我々は動きたくはない。ならば、我々以外の者、この国の政治に関わっていない者。そういう人に頼むしかない」
国が動けないのなら、動いてはいけないのなら、そうするしかないが、夜久にはある疑問があった。それはなぜ夜久が選ばれたのかという事。
「そこから、どうやって私を選んだんです? 私はそれほど有名じゃないと思うのですが?」
「いや、君は有名だよ。隠密に行動し、依頼は必ず成功させる。それがどんな依頼でもってね」
ニッコリと笑顔を浮かべるモックレートの顔を見て、夜久の背筋に寒気が走った。どうやら夜久の事は全て知られているらしい。目の前の人物、いや、この部屋にいる者達全員、夜久の全てを知っている。
「それを知って、私に依頼を?」
「それを知ったからこそ、君に依頼をしようと思ったんだ」
モックレートは笑顔のままで、その隣にいるガイアは鋭い眼光を夜久へと向けている。ドアの方から感じる視線がもっとも鋭く、その主が夜久の事を信じられないのも何となく分かるような気がした。
「解りました。請け負いましょう。ですが、手掛かりか何かはないのですか?」
請けるしかなかった。請ける以外の選択肢が無い。いや、それ以外の選択肢を選ぶ事は出来るが、選んだらどうなるか分かったものではない。
「それは良かった。で、手掛かりなんだけどね…宝剣が飾られた場所にこんな物が置かれていてね」
そう言ってモックレートが夜久へと差し出したのは一枚の羽根。白と黄、青と赤が交互に並んでいるカラフルな羽根だが、こんな羽根色をした鳥なんて見た事が無い。つまり、これは人工的に作られた羽根であるという事だ。
「これだけ…ですか?」
モックレートから差し出された羽根を受け取り、それを眺めながら問う。
「そう。手掛かりはそれだけ」
「ずいぶん、小さな手掛かりで」
「だからこそ、君に頼む。だが、手掛かりというか、情報はまだある」
「情報?」
「もう既に、犯人はこの都市の外へと逃亡している。宝剣が無くなったと気付いた前夜、城壁の門を警備していた兵士が深夜外へと出る不審者を引きとめた。だが、その兵士は殺され、連絡を受けて駆けつけた兵士達にはもうその姿は見えなかったらしい」
最近、城壁の門番をしている兵士が殺されたという話を聞いた。だが、それは城壁の外に住む魔物が原因と公表されたはずだが、どうやらそれは違うらしい。
「宝剣が盗まれ、城壁の門で殺人が起きた。これを偶然と思えるほど、我々の頭はお気楽ではないのさ。同一人物とみているが、その人物がどの街へと行ったかなどは調べたくても調べられない」
「情報を得るには少なからず人と関わる必要がある。だがそれをすると、自分達の目的が知られ、この国を統べる者が探している宝剣という物が知られる可能性があるという事ですね」
物や形跡などから情報を得るのには限界がある。稀にそれらが動かぬ証拠になる時もあるが、人からの情報はそれ以上の証拠になる。そもそも、逃げた犯人を捕まえるには目撃者から話を聞くのが早い。だが、皇帝関係者が人にそれを聞くとなると事が大きくなる。事が大きければ、それを嗅ぎつける人間が出てくる。
「我々が調べる。それだけで大きな動きを生んでしまう。その動きがあの宝剣を世に知らせてしまうのが拙いのさ。だが、君なら隠密に行動してくれると信じている。もちろん、依頼の成功もね」
そう言って、夜久へと向かって片手を差し出すモックレート。その手を数秒眺めてから、夜久はゆっくりとその手を握り、二人は握手を交わした。
「さて、そろそろ時間だ。報酬の話や、旅支度に関しては明日話そう」
「明日?」
「ああ、私やガイア、つまり皇帝がいつまで公務をすっぽかして一般市民と話している訳にはいかない。君に依頼する事自体を、ここの関係者に知られるのも拙いのさ」
「徹底した隠密ですね」
「これは我が国の将来を担う事件なのだが、少々厄介なのだ。だから、これを君に頼む事は我々三人しか知らないし、宝剣が盗まれた事もごく少数しか知らない」
「そこまで…ですか」
「国とは、何処から崩れていくのか解らないものなのさ」
意味深な発言をすると、モックレートは立ちあがり、ガイアもそれに伴ってソファーから立ち上がる。その二人の姿をソファーに座りながら眺め、ドアへと向かっていく二人の姿と、インシェントがドアを開く姿を確認すると、夜久は自然と口を開いていた。
「なぜ、貴方方が言う宝剣が世に知られてはいけないのでしょうか?」
この言葉が外へと出た瞬間、モックレートが足を止めて夜久へと振り返る。
「国には何個か秘密がある。その秘密を知りたいのなら、覚悟をするべきだと、君は思わないかい?」
そう言い残し、インシェントが開けたドアからモックレートとガイアの二人は出ていった。
残されたのはソファーに座っている夜久と、ドアのすぐ目の前に立っているインシェント。だが、しばらく二人は動かず、口も動かさなかった。
「明日だ」
この沈黙を破ったのはインシェントだった。フードのその向こう側から、夜久へと向かって話す。
「明日の昼。正面の扉の前に来い」
「明日の昼…ですね」
「そうだ。だが、それまでに覚悟をしておくんだな。お前は少なからず、影の部分に片足を踏み込んだ」
「いやぁ、そもそも日の光の下なんて、歩いた事はありませんよ」
夜久はゆっくりとソファーから立ち上がり、開いているドアへと向かって歩き始める。どうやら夜久はとても面倒臭い依頼を受けてしまったらしい。
城を出るともう既に太陽は沈んでいた。テックに起こされた時間がもう夕方に近い時間であった為、城に着く時にはもう夕方直前。だが、それでも夜になるまで城の中で話していた覚えはないのだが、実際外は夜へと変化していた。
その夜の街を歩いていき、自分の家がある場所まで辿り着くと夜久は自分の部屋には入らず、すぐ下にあるテックの両親が経営している店へと入っていった。
「ただいま」
そう言いながら店の中に入ると、店の中は繁盛していた。テーブル席で酒を飲む者、カウンター席で静かに夕食を食べる者、人がたくさんいれはそれぞれの目的が存在するこの店。その店の中にあるカウンターの中、そこにいるテックの母親、ローズは店の中に入ってきた夜久の姿を見つけると、すぐに駆け寄ってきた。
「大丈夫だったかい? 夜久」
「ええ、大丈夫でしたよ。ですが、お腹が空きました」
「まったく、なんかヤバそうな仕事の依頼だったからさ、心配していたんだよ」
そう言いながら、ローズは夜久を空いているカウンター席へと誘う。そして、夜久が椅子へと座った事を確認してから、カウンター内に入ると水の入ったコップを、夜久の目の前に置いた。
「で、どんな依頼だったんだい?」
「いつも言っているしょう? そういう事は言えないと」
「試しに聞いてみただけさ。で、何が良いんだい?」
「ハンバーグを」
「あいよ」
注文をすると、すぐにローズはカウンター内で調理に取り掛かる。その姿を眺めながら、夜久が小さな溜息を吐くと、後ろから軽い足音だが、走ってくるような音が聞こえてきた。
「夜久! 夜久じゃん! 遅かったね! 何処行っていたの?」
後ろから走ってきたのはテックだった。その姿を確認すると、夜久はほんの少し考えるような素振りを見せ、口を開く。
「ちょっとお出かけをしていたんですよ」
「へぇ。で、仕事は決まったの?」
「ええ、今回は大きな仕事ですよ」
「ふぅん、ならまた外行っちゃうの?」
ほんの少し、寂しそうな声だった。だが、実際明日城に行ってから、すぐに外へと出る事になるだろう。なんせ、国のトップからの依頼だ。モタモタしている暇はない。
「そうですね。今回の仕事も外に出ないと駄目な仕事ですね」
「なら、また会えなくなっちゃうね」
「一か月以内には帰ってこれるでしょう。まぁ、私次第ですが」
実際、今回受けた依頼がどれくらいの期間で終わり、帰ってこれるかなんて夜久にも解らない。運が良ければ一週間前後、悪かったら数カ月や数年。だが、多分依頼主は何年も待ってはくれないだろう。下手したら、数カ月も怪しい。
「仕事内容は、教えてくれないんだよね」
「すいません。こればっかりは言えないんですよ」
「そうだよね。でもさ、ちゃんと帰ってくるんだよね」
帰ってくる。テックのこの言葉にはとても重い何かを感じる事が出来た。だからこそ、夜久はちゃんと応える。
「ええ」
「うん! ならオッケーだよ!」
嬉しそうに答えるテックのその表情を見詰めていると、コトッと夜久が座っているカウンター席に何かが置かれる音がした。
その音の主を確認すると、それは夜久が注文したハンバーグで、カウンター内にいるローズへと目を向けてみれば、ローズは笑みを浮かべている。
「あんた、本当にテックに好かれているね」
「子供とは言え、男に好かれる趣味はありませんけどね」
「口が減らないね。ああ、そうそう。外に出るなら今月の家賃の事、忘れないでくれよ。貰ってないからね」
「……まだ記憶力は健在ですか」
「ああんっ? 何か言ったかい?」
「いいえ、空耳じゃないですか?」
ナイフとフォークを取り出し、それをハンバーグへと向ける。その時、隣の空いている席がガタンと音を立て、テックがその椅子の上に座った。
「ねぇ、夜久。知ってる?」
「何をです?」
「今日さ、凶悪犯がこの都市に来たみたいだよ」
「凶悪犯?」
「うん。お城のちかろーって所に入るんだってさ。城壁の門番さんが言ってたよ」
少々誤解され易い話し方だったが、要するに他の街から犯罪者がこの都市に連行され、収容されただけの事。この周辺では裁判で犯罪者を裁くという行為はこの都市でしかできない。小さな犯罪ならば、その場その場で罰を与える事が多いが、この辺りで大きな犯罪を犯した連中はここに集められるのだ。
「まぁ、それは良いですが。余り城壁の門には近づいちゃ駄目と言っているでしょう?」
「魔物がやってくるかもしれないから、でしょう? でも、門番の人は魔物でもこうやって大きな街を襲う馬鹿は少ないって言っていたよ」
城壁に囲まれ、守られているこの街を襲おうと考える魔物は確かに殆どいないだろう。それこそ何百、何千という魔物が束にならなければ門前で八つ裂きにされるのがオチだ。だが、魔物の中でも馬鹿はちゃんといる。
「まぁ、そうですが、万が一という事もあります。門番の兵士の人と仲が良いのは解りますが、控えなさい」
「分かったよ。でさ、その凶悪犯なんだけどさ。シルア港からアーナ港へと向かう途中の船の中で、乗客全員を殺しちゃったんだってさ」
「乗客全員? それは大罪ですね。ここに連れてこられるのも解ります」
多分、その犯罪者は死刑となるだろう。乗客全員が何人かは知らないが、そもそも他の街からこの都市に連れてこられる時点で、罪はかなり重い。
「でもさ、すっごい強かったって事だよね? だって、乗客全員を殺しちゃったんだよ」
「確かに、並大抵の力量では出来ないでしょう。ですが、テック。強さはそういう方向に向けるものではないのです。言ってしまえば、それは強さではなくただ力を持っていただけ。強いという訳ではありません」
「いけない事だってのは判ってるよ。でもさ…」
「でもさも、これさも、あらさっさもありません。そういう人間に憧れを抱くと、貴方もそうなってしまいますよ」
「ならないもんね。俺はかーちゃんを守れる男になりたいだけだい!」
テックのこの言葉は良く聞いていた。だからこそ、夜久はテックに言い聞かせている事があるのだが、テックはまだ子供だ。理解できない事も沢山ある。だが、理解できるかどうかではない。言い聞かせる事が大事なのだ。そう、心の中で闇が産まれた時に、その時に夜久が言っていた事を思い出してくれるように。
「ならば、力だけに憧れを抱いてはいけませんよ。人間として強くならなければ」
「また始まった。夜久はいっつもその話だ」
「それ程、重要な事だという事ですよ」
「もう良いよ。俺はかーちゃんの手伝いしてくるー」
「あっ、まったく…」
椅子から飛び降り、小走りでカウンター内へと入っていったテック。まだまだ言いたい事はあったが、その姿を見ると夜久は大きく息を吐いて、小さく切ったハンバーグを口へと入れた。
「ねぇ、夜久」
口の中に広がる肉汁を味わっていると、カウンター内にいるローズがその夜久へと声を掛けた。
「んっ、何ですか?」
「また一人で、外へと行くつもりかい?」
「ええ、そのつもりですが?」
確かに外はとても危険な場所だ。いつどこで何が起きても不思議ではないし、魔物に食い殺される可能性だって都市や街の中にいる時よりも何倍、何十倍も高い。だが、今回の依頼は外に出ないと依頼の成功はない依頼だし、そもそもここに夜久と一緒に外に行こうなんて思う奴はいないはずだ。
「大きな仕事なんだろ? なら、誰かと一緒にやるってのも良いんじゃないかい?」
「うーん。確かにその方が良いんですがね。なかなかそうはいかないんですよ。依頼主はあくまで私に依頼している訳でして、そこに他人を入れるのは……」
ここで夜久の言葉が止まり、その手が顎へと当てられて夜久が何かを考え始める。
「どうしたんだい?」
「あっ、いえ。誰かを連れていくのもありだと思いまして」
「その方が良いに決まっているじゃないか。一人旅より、二人の方が良い」
「なんですけどね。そこらの人じゃ駄目なんですよ。ですが、一人妥当な人間を知っています」
こう言っている時も夜久は難しそうな顔を見せている。その顔を正面から見ているローズは夜久の発言とその表情で、少々混乱していた。
「なら、その人を連れていけば良いんじゃないかい?」
「んー、そうなんですけどね。もしかしたら、一人旅よりも危険になるかもしれません」
「ん? 全然理解が追いつかないんだけど」
「とりあえず、明日依頼者に掛けあってみますよ。多分、断られるんじゃないかと思いますが、私にしてみればいてくれた方が助かるので」
そう言いながら水の入ったコップをその手に取り、口へと傾けた。
次の日の昼、夜久は約束通り城の門の前にやってきた。
そこには既に昨日と同じ格好のインシェントの姿があり、インシェントは夜久の姿を確認すると、その夜久を招き入れ、昨日と同じ部屋へと夜久を通した。
「やぁ、来たね」
昨日と違う点は夜久が部屋に通された時、もう既にモックレートとガイアの姿があった事。モックレートはともかく、ガイアは皇帝なのだからここにいても大丈夫なのかと思うのだが、夜久はその疑問を口に出す事はしなかった。
「待たせて、しまいましたかね?」
「いや、だが話は手短に済ましておきたい。昨日の内にこの事に感付いている連中が何人かいた」
「そうですか、なら手短にしましょう。報酬と旅支度についてですね」
感づいた人たちはどれだけ勘が鋭い人間なのかと思ったが、この国を支える人間たちだ。人の動きに敏感で、その行動の意味を探るのは得意なのだろう。
「ああ、報酬は…一応君がしばらく働かなくても済む額を払おう。だが、これは成功報酬だ。失敗したらこちらからは何も支払わないし、何が起きても後始末はしない」
「結構です」
「あと、旅支度に関してだが、こちらから武器や防具、必要な道具一式を支給しようとしたが、先程も言ったとおり感付いている連中が現れた。よって、それらはできない。だから、僕のポケットマネーからいくらか支払おうかと思ってね。持ってきた」
そう言って、取り出した袋をガラステーブルの上へと置く。置いた時に重々しい金属音が鳴り、その中に相当の量が入っているという証拠が周りに響く。
「良いんですか?」
「ああ。だが、この都市の中でこれを寛大に使うのは止めてくれ。一般市民の君がそれだけの量の金額を使ったとなれば、怪しまれる。その金の元は何処かってね。この都市では次の街に着くまでの最低限の買い物をし、その次の街で一式を買い揃えてくれ」
徹底した隠密。だが、それでも嗅ぎつけている人間はもういるというのだ。夜久は考えていたよりも覚悟しないといけないのかもしれない。
「ありがとうございます。有難くいただきます」
「我々からは以上だ。君から何も無ければ、依頼成功のその時まで僕らは会わない事になるが?」
この言葉を聞いた時、夜久は唾を呑んだ。そして、絞り出すような声でモックレートへとその言葉を吐く。
「一つ、良いですか?」
「何かな?」
「頼みごとがあるのですが…」