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[29833] 旅のパートナーは囚人(異世界ファンタジー)
Name: No.145363◆b1c7f986 ID:8dd20925
Date: 2011/10/03 23:52
 第一話 『旅立ちの理由は唐突に 前篇』



 昔の事は良く覚えてはいなかった。
 覚えているのはまるで岩をくり抜いた様な場所の中で、太陽を拝む事もなく、僅かな光をその目に受けながら何もせずに生きていた事。
 たったそれだけの記憶でも、脳には焼きつけられていた。だが、ただ憶えているだけ。そう、憶えているだけ。

「ねぇ! 起きてよ!」

 遠い場所で誰かが呼んでいる。だが、どうにも意識がハッキリとしない。まるで浮き沈みを繰り返しているかのような感覚に囚われ、脳が全く機能しない。

「起きてってば」
「いつっ」

 ガツっという音と共に頭に鈍い痛みを感じ、やっとの事でその意識が覚醒した。

「あっ、起きた?」

 目を開き、すぐに視界に入ったのは幼い男の子の顔。その顔は毎日見ていると言っても過言ではない程、彼と男の子は身近な仲だっだ。

「ええ、起きましたよっと」

 体を起き上げて、自分がいるベッドのすぐ傍にある窓から外を見る。最後に見た太陽は確か昇っている途中だったが、今目に見える太陽はその場所も高さも変えており、位置的には地平線の向こう側へと向かって下りてきている時間帯だと予想される。

「もう、夜久はこんな時間から寝てて、大丈夫なの?」

 腰に手を当てて、問いかける。

「最近仕事が無くてですね。寝ているしかないんですよ」

 欠伸しながら男の子の返答に応えると、その男の子が呆れたような表情を見せる。

「ほぼ毎日暇そうにしているよね。でも、ちゃんとママに家賃払っているのが不思議だよ」
「一回の仕事が大きいんです。まぁ、それでも足りなかった時は料金跳ね上げて、家賃と生活費だけは稼いでいるんで」
「極悪人だね。だから、町の人達は滅多に夜久に依頼をしないんだよ」
「それが生活難の理由かも知れませんね。ちょっと考えないと」
「“ちょっと”なんだね…」

 呆れた表情を見せる男の子を余所に、夜久はその体をゆっくりと伸ばす。ポキポキという恒例の音が背中から鳴り、それを聞くと本格的に起きたと感じる事が出来る。
 多分これは夜久だけの特徴だろう。

「それで、テック。何か用ですか?」
「あっ、そうだ」

 夜久の質問に何かを思い出したかのような表情を見せ、テックが身を乗り出す。

「何か、貴族の人からの伝言が来ているよ」
「伝言?」
「うん」
「で、その伝言ってのは?」
「知らないよ。その伝言を知っている人が下の店に来ているの」
「ああ、そういう事ですか」

 そもそも、テックが言う貴族からの伝言を、こんな小さな子供に託すわけがなった。だが、なぜこんな都市の中心から離れた場所に住んでいる一般市民でしかない夜久の下に、そんな使者が来ているのだろうか。
 手紙ではなく、わざわざ使者を寄こす辺り、ちょっとやそっとの事じゃないと思える。

「テック、その伝言を知っている人は下のお店にいるんですね?」
「うん。椅子に座ってお茶も飲まずにジッとしてる」
「そうですか。なら、私は大丈夫ですから外に遊びに行ってなさい」
「えー、俺も一緒に行く」
「大人の話ですよ。それに怖い話かもしれませんよ」

 使者を寄こすほどの事だ。余り子供に聞かせたくない話に決まっている。それに、怖い話ってのも案外外れていないのかもしれない。色々な意味で。

「まっさかー」
「もしかしたら、聞くと呪われる話と言うのが貴族の間で流行っていて、その調査をしてくれとか…」
「え?」
「夜な夜なこの国を徘徊する骸骨の幽霊を退治してくれとか」
「あ…あ、あはははははっ。遊びに行ってくるねー」

 話をしている最中も後ずさりをしていて、話が終わると同時に外へと駆けだしていくテック。その姿を見送ると、もう一度体を伸ばしてから夜久はベッドから降りた。
 そこで自分の恰好を見たのだが、夜久が今着ているのはいつも着ている普段着。貴族の使者の前で失礼に値するだろうか。

「さて…」

 そんな事を考えても、貴族の使者の前に出ても失礼に値しないかもしれない服なんて持っていない。なので堂々とこれで行くしかないだろう。
 自分の部屋から出て、外の廊下へと足を踏み入れる。そこはもう既に外で、古い木で出てきた床と手すりだけの小さな廊下だ。最初は床が抜けないか心配したものだが、今はもうそんな事を気にしなくなっていた。

「ふあぁ…まだ眠い…」

 自分の頬を撫でる風を見送りながら、夜久は大きな欠伸を見せ、すぐ横にある階段をゆっくりと下りていく。

「よぉ! 夜久、またずっと寝てたのか?」

 階段を下り終えると、少し離れた場所から一人の男性が笑いながら話しかけてくる。

「いやぁ、仕事が無くてですね。どうですか? 部屋の掃除とかもしますよ。割増しで」
「他を当たってくれ。それじゃあな」
「ええ、お仕事頑張ってくださいな」

 たった一言二言、笑顔で交わされた会話。それだけでも二人がそれなりに親しい間柄だという事は感じる事が出来る。
 自分の仕事へと戻って行く男性の姿をしばらく見てから、夜久はゆっくりと階段のすぐ横にあるドアへと目を向ける。そのドアには営業中と記された小さな板が張り付けてあり、ドアノブを掴んで引いてみれば、簡単にそのドアは開いた。

「あっ、夜久」

 ドアを開けて中に入ると、すぐに店の奥にあるカウンターの中にいた女性がその存在に気が付く。
 その反応を見ながらも、夜久は一直線にカウンター席へと向かっていき、椅子に座るとカウンター内で立っている女性を見上げた。

「おはようございます。ローズおばさん」
「夜久、あんた…」
「お腹が空きました。サンドイッチを一つ下さい」
「いや、その前にさ…」
「おばさん、サンドイッチを」

 笑顔のまま注文し続ける夜久を前に、ローズも押し切られてサンドイッチの調理を始める。
 その作業姿を夜久は嬉しそうに眺めていたが、その顔が一瞬険しい顔になる。

「君が夜久だな」

 すぐ後ろから掛けられた声。その声を聞きながら夜久は顔を笑顔へと戻し、後ろを振り返る。

「そうですが、何か?」

 振り返った先で視界に入ったのはマントで体の殆どを覆い、フードで顔の大部分を隠している人。声からして男だとは思われるのだが、少々気味が悪い。

「君に仕事の依頼をしにきた」
「仕事の依頼…ですか?」

 久しぶりの仕事の依頼。だが、意気揚々と“いらっしゃいませ”で迎えられる相手と依頼内容ではなさそうだ。

「その前に、貴方の名前は?」
「名乗るまでのない者だ」
「名前を言いたくないっと。ヤバい仕事なのでしょうが、依頼主の名前位、知っても良いと思いますが?」
「依頼主は私じゃない。私はただの仲介役。本当の依頼主はモックレート。モックレート・ハーバストだ」

 モックレート・ハーバスト。夜久の記憶が正しければこの都市に住む貴族の中でも一位二位を争うほどの財力を持つ名の通った貴族の事。
 この国を治める皇帝とも親交が深く、かなり信頼されているようだが、詳しくは夜久も知らない。

「そのモックレート・ハーバストさんが、私に何を依頼したくて貴方を寄こしたのですか?」

 ローズが差し出したサンドイッチを受け取り、それを頬張りながら夜久が話を続ける。
 この夜久の対応に男性はどんな反応をしているのかは、そのフードからは見えない。夜久にとってはやり難い事この上なかった。

「ここで話せる事ではない」
「大丈夫ですよ。ここにいるローズおばさんは口が堅いで有名ですから」

 冗談のつもりで行ったのだが、目の前にいる男性は何も言わずにそのフードの向こう側から夜久を見詰めているだけ。
 だが、その沈黙が息苦しかった。それに加えてフードの向こう側からは突き刺すような視線も感じる。

「解りました。外で話せば良いんですね」
「外も駄目だ。誰が聞いているのか解らない」
「ならどうしろと? 私の部屋でも来ますか? とても良い見晴らしですよ」
「いや、ちゃんと場所は用意してある。そこまで付いてきて欲しい」

 今まで数々の依頼を受けてきて、夜久は色々と学んできた。いや、そんな知識を破棄しても誰にも聞かれたくない依頼内容だからと、別の場所を用意し、そこに一緒に来て欲しいと言われたら警戒するだろう。
 その誰もいない場所でサクッとやられないかと。

「場所を? それは何処ですか?」
「それは言えない」
「貴方は、相手を少しでも信頼させる気にさせないつもりですか? 言えないや話せないばかりじゃ、私も警戒しますよ」
「すまない。どうしても言う事が出来ないのだ。君以外の誰にも聞かれたくない事でな」

 表情は全く見えないが、声のトーンが少し下がり、申し訳なさそうに聞こえる。だが、それでは何も解決はしない。ここで言えない事は変わらないし、話を聞くにはその用意した場所に行かなければならない。

「これじゃあ、伝言を伝えに来た使者ではなく、迎えに来たって感じですね」
「そういう事になる」
「まぁ、良いでしょう。ですが、サクッとやる気なら、私も容赦しませんから」

 サンドイッチが乗っていた皿をローズへと返し、椅子から立ち上がりながら夜久がポケットへと手を入れる。すると、後ろからキーンという金属音が鳴り、夜久の顔のすぐ横をコインが通り抜けていった。

「おっと」

 それをローズが危なげに受け取り、手の中のそれをしばらく眺める。その手の上に乗っていたのは金で出来たこの世界の通貨だった。

「目的の場所までの手間賃だ」

 そう言い、男性は振り返ってドアの向こう側、外へと向かって歩いていった。
 その後ろ姿を茫然と眺めていた夜久とローズだが、姿が見えなくなるとお互い顔を見合わせる。

「あ、お釣りどうしようかね?」
「良いんじゃないですか? 凄いとこに仕えているみたいですし、彼にとっては大した事じゃないんでしょうよ」

 自分のポケットから出した銅の通貨をまたポケットへと戻し、ドアへと向かって歩いていく。

「それじゃ、行ってきます」
「ああ、気を付けて」
「そうですね。気を付けないといけないですね」

 そんな事を言い残し、夜久は店から外へと出ていく。
 店から出ると、すぐに男性の姿がその目に入った。男性は店のドアからほんの少し離れた場所で腕を組んで立っており、夜久の姿をその目で確認すると組んだ腕を下ろす。

「ここから少し歩く。付いてきてくれ」

 男性は一言そう言うと、一人で勝手に歩きだす。
 夜久は特に何も言わず、その男性へと付いていき、その姿を後ろから眺めている事にした。
 二人は夜久が住んでいる街外れの場所、この都市を守る城壁から一番近い場所からどんどん上へと続く長い坂を上がって行き、その上にある家が立ち並ぶ道へと出た。
 普通の人が住んでいるのはここまでなのだが、男性と夜久はそのままそこからまた続く階段を上がって行き、その上へとどんどん昇って行く。

「この先は貴族街ですが、まさかそこで話をすると?」
「そういう事になるな」
「豪華な場所を用意したものですね」

 貴族街は普段、普通の市民が立ち入らない場所ではあるが、解放されてはいる場所。
 この都市では特に貴族だから平民だからという差別は無く、貴族と平民はただ金を持っている人達とそうじゃない人達という分け方となっている。それでも普通の市民にとってはちょっと立ち入り難い場所であり、立ち入る理由が殆ど無い場所だ。

「貴族街なんて、最後に立ち入ったのはいつでしょうか? われわれ平民にとっては立ち入る理由も無ければ、立ち入り難い場所でもあるので」
「立ち入る理由が無くてもただの散歩でここに来れば良い。立ち入り難いのはその考えを改めれば良い。我々はここを解放しているのだから」
「まぁ、そうなんですけどね」

 自分たちが勝手に思い、勝手に立ち入らない。それ分かっているのだが、貴族街に入るのに引け目を感じてしまうのはなぜだろうか。やはり、目上の人達と言う印象があるからだろうか。
 その入るのに引け目を感じる貴族街へと入り、夜久と男性はしばらくその中を歩いていく。

「ん? ちょっと待ってください。このままじゃ貴族街を通り抜けてしまいますが?」

 貴族街を歩いているうちに夜久はある事に気が付く。
 貴族街はそもそも人口が少ないのでその規模はそれほど大きくは無い。全ての家を回ろうとして、複雑な小道へと入り込まなければ数分も掛からずにそこを越えてしまう。そして、その貴族街の先にあるのはこの都市を治める国のトップが住む大きな城。

「ああ、あそこだ」
「あそこって、城ですよ」
「そうだな。あそこの一室で話す事になってる」

 目の前に聳え立つ城を見上げながら、男性がサラッと言う。

「これはある意味で覚悟が必要でしたね…」

 城に行くなんて思ってはいなかった。それを知らされていれば心の準備も出来ただろうに。

「いやぁ、大丈夫なんですか? 一般市民がこんな所に入って」
「普通は招かれた者や、地下牢へと放り込まれる犯罪者しか入れない」
「私は招かれた者ですね。今更“お前は犯罪者だ!”とかビックリ発言しないでくださいよ」
「安心しろ。それは無い」

 そう言いながら、城の正面入口へと続く階段を上がっていく男性と、城を見上げながらもそれに付いていく夜久。
 階段を上り切った先にある大きな扉、その両端には警備の者と思われる兵士が二人立っている。その二人共体を鎧で包んでおり、その腰には剣を下げていた。

「私だ。通してもらうぞ」

 男性はその二人の兵士の前で一瞬だけフードを脱ぐと、その顔を見た兵士が敬礼をし、二人掛かりで城の中へと続く大きな扉をゆっくりと開けていく。
 顔を見せただけで入れるとは、このフードを被った男性は何者なのだろう。
 扉が十分人が通れるほど開くと、男性はその扉を通り抜け、夜久も急いでその後に続いていった。

「おお…」

 城の中に入ると玄関ホールと言うのだろうか、かなり広い部屋が現れた。
 所々にとても高級そうな装飾が施されており、その中で一つ位持ち帰っても気付かれないような数だ。しかも、たった一つでもしばらくはお金に困る事のない程の物だろう。

「城の中は広くて複雑だ。逸れるとどうなるか分からんぞ。誰かに見付けられても、侵入者として捕らえられるかもしれん」
「それは御免被りたいですね」

 玄関ホールから伸びる三つの道の中から、一番右の道へと入って行く男性に夜久は付いていく。
 その先は長く、複雑だった。所々にあるドアはどれも同じような形をしていて、何処まで行っても変わり映えのしない廊下が距離感や方向感覚を鈍らせる。

「ここだ」

 ここまでの道順をちゃんと覚える前に、男性があるドアの前で立ち止まる。

「まず、入って待っていてくれ。依頼主を呼んでくる」

 ドアを開き、夜久にその中を見せながら男性が言う。
 その時、夜久の目に映っていたのは自分の部屋の三倍以上ある広さの部屋と、中央に向かい合って置かれている大きなソファー。そのソファーの間には奥ゆかしくもその存在を主張しているガラステーブル。
 目を少し動かして壁を見れば、ここも高そうな絵が飾られており、一般市民には縁もゆかりも無い城の部屋はまたもや縁もゆかりも無い部屋だった。

「ソファーに座って待っていてくれて良い。少々時間が掛かるからな」
「飲み物とかあります? ちょっと喉が乾いちゃって」
「使用人を寄こそう。それまで待っていてくれ」
「ありがとうございます」

 夜久は開かれたドアを通り、後ろでそのドアが閉まる音を聞きながらソファーへと向かって歩いていく。
 特に何もする事は無い。ドカッと全体重を掛けてソファーへと座り、その座り心地を味わうが、何となく悲しくなるだけだった。
 しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえた。

「失礼します。お飲物をお持ちしました」

 ドアを開き、その姿を見せたのはあの男性ではなく女性の使用人。彼女は手早く夜久の目の前にあるガラステーブルへと冷たい飲み物が入ったコップを置くと、営業スマイルを浮かべながら部屋を出ていく。
 この時、夜久と彼女が交わした会話は一言二言。しかも、夜久は“ありがとうございます”としか言っていない。
 声を掛けずにいたのはちょっと、惜しかっただろうか。
 
「失礼する。依頼主を連れてきた」

 夜久の目の前に行かれたコップの中の飲み物が全て飲み干された頃、男性が戻ってきた。しかも、その後ろにはまた二人の男性が立っており、二人共部屋の中で座っている夜久の姿を見ると、ゆっくりと夜久が座っているソファーの向かい側にあるもう一方のソファーへと座った。

「初めましてだね。私はモックレート・ハーバスト」

 夜久から見て左側に座った男性。歳はもう三十半ば過ぎといったところだろうか。

「いきなり迎えを寄こしてすまない。だが、君にしか頼めない事なんだ」

 何処でどうやってこの男性の信頼を得たのか、その記憶はない。

「それは良いですが、なぜ城の中で依頼の話を? 他人に聞かれたくなくても、もっと手頃な場所があったでしょうに」

 例えば、どこかの家の裏とか。捜せば、それなりに誰もいない場所なんてある。
 そういう所で話していれば、庶民と王族の差を目の当たりにする事は無かった。

「それはね。僕の隣にいる人がここから出られないからなんだ」
「ここから出られない?」

 その言葉を聞いて、夜久は自分から見て右側に座っている男性へと目を向ける。
 歳はモックレート・ハーバストとさほど変わらないだろう。だが、もし二人に年齢差があるのなら、こっちの方が年上と言う印象が強い。その男性は妙に眼力があり、夜久を見詰めるその目からは強さしか感じられない。肉体的な強さではない。人間としての強さだ。

「えっと、何処かで見たような…」

 夜久はその顔に見覚えがあった。見覚えがあるとは言っても話したりした記憶は全くなく、遠巻きに見たという感じだ。

「だろうね。彼は現皇帝、ガイア・ローレンスだから」
「現皇帝、ガイア・ローレンス? 現皇帝ガイア・ローレンス!?」

 驚いて立ち上がりそうになる足は抑えたが、その顔は驚きに満ちている。なんせ、今目の前にいるのはこの国、この世界を治める皇帝なのだ。つまり、人のトップと言って良い程の方が目の前にいるのだ。

「あっ、いやぁ、すいません。こんな話し方で。性格なんですよ。なんていうかその…無礼だとは思いますが…」
「良い。わしは自分がお主より偉いとは思っておらんし、他の市民も同じ。対等な態度で話しても構わぬ。ただ、わしは市民の代表というだけだ」
「いやぁ、それで済んだら皇帝なんて呼ばれない訳でして…」

 この国をたった一言で動かしてしまうほどの力を持つ人物だ。そんな偉大な人と対面している。夜久は立ちあがった方が良いのではないかと考えたが、その目を見ると立ち上がる事が出来なかった。

「モック、話を進めてくれ」
「おいおい、彼の目の前でその呼び名は止めてくれ」
「おお、すまない。つい癖でな」

 夜久の目の前でとても親しそうに話している二人だが、その二人の目の前にいる夜久は落ち着かない。二人から目を放してドアの方へと目を向けても、夜久を迎えに来た男性がドアを塞ぐように立っており、逃げられそうにもない。

「さて、夜久君。君は依頼主が僕だと、インシェントから聞いているね?」
「インシェント? 誰ですか?」
「聞いてないのかい? インシェント、自己紹介くらいしないと駄目だよ」
「申し訳ありません。ですが、あそこで私の存在を明らかにするのは少々拙いと思いまして。なんせ、今回はモックレート様の使者として、あそこに行ったのですから」
「ああ、そうか。名前を言ってしまえば、君が皇帝の護衛隊の隊長だと周囲に知られてしまうね。これは失敬」

 夜久の目の前で意味の解らない会話が交わされる。
 夜久を迎えに来た人物はインシェントという名前で、それがモックレートの使者として着ていた。だが、その名前を言えば皇帝の護衛隊の隊長だと知られてしまう。この三つの気になる言葉を並べても大して解る事はない。

「あの……どう言う事ですか?」
「ああ、すまない。勝手に話を進めてしまったね。さて、前提として、君はこの僕、モックレート・ハーバストの依頼だと聞かされ、ここに来た」
「ええ、そういう話でした」
「だが、その前提が間違っている。いや、嘘だ。本当は僕の隣にいる皇帝陛下の依頼なんだ」

 モックレートのこの言葉。事情が全く解らない夜久は一瞬混乱したが、これ位はすぐに理解する事が出来た。
 何を考えての判断かは知らないが、皇帝の依頼と言う事ではなく。モックレートの依頼という嘘をつき、夜久をこの場に呼んだ。それは皇帝の依頼だと言えば夜久が憶すとでも思ったのか、それとも何か他に理由があるのか。どちらにしても、少々回りくどい。

「確かに皇帝直々の依頼となれば、私でも驚きます。ですが、いちいちそんな事をしなくても私は来ますし、皇帝の依頼が来たと言いふらしはしませんよ」
「その件については心配していない。君は皇帝の名を出してもちゃんと来ると思っていたし、そもそも依頼主の情報を安易に言いふらす様な人間の名前が、僕の耳に届くとは思わないからね」

 夜久の仕事は信頼が第一だ。例え、依頼主の名を吐けと拷問されても吐く事はないだろう。もちろんその目的も経路も。

「だが、他の人はどうだ? 皇帝が一般市民の君に極秘の依頼を任せる。それだけの情報が漏れても不信感を生み、その情報はまちまち広がっていく。あの皇帝は裏で何かをしている。信用なんてできないと思う人も少なくはないだろう」
「確かに、単純な思考回路の人間は少なくないですからね」
「あははっ、単純な思考回路ね。まぁ、そういう訳で皇帝の依頼という事と、その皇帝の護衛隊長、インシェントの名前を伏せさせてもらった。彼の名前を伏せたのは、インシェント自身の判断だけどね」

 モックレートにインシェントと呼ばれる男性へと目を向ける。相変わらずマントを羽織り、フードを深くかぶっている為その容姿は見えない。皇帝の護衛隊長だというのだから、皇帝が主人のような存在なのだろうが、その主人の前でその恰好は失礼でも何でもないのだろうか。

「おや? インシェントに興味があるのかな?」
「いいえ、男に興味を持つ趣味はありませんよ」
「そういう意味で言った訳じゃないんだけどね。そういえば、インシェントはいつまでその恰好でいる気なのかな? 客人に失礼だよ」

 夜久が疑問に思っていた事、それが解決しそうなモックレートの発言だったが、インシェントは微動だにせず、そのフードの下にある口を動かすだけ。

「すみません、モックレート様。私はこの男を完全に信頼した訳ではありません。皇帝の護衛隊長として、その顔を晒す訳にはいかないのです」
「皇帝、つまり君の主人がこうやって出てきている客人を、信頼できないと?」
「皇帝陛下には許可を得ています。自分が信頼できない相手なら、顔を出さなくて良いと」

 このインシェントの言葉を聞くと、モックレートは現皇帝、ガイアへと厳しい目を向ける。

「本当なのかい? ガイア」
「ああ。インシェントがあの座に着く時に、そういう約束をした」
「そうかい。すまないね。インシェントの事は気にしないでくれ。あれも、彼の仕事なんだ」

 護衛隊長と言うのはその素性を知られると何かしら拙いのだろうか。色々と疑問は残るが、夜久はインシェントから目を放し、モックレートへと目を向ける。

「いえ、大丈夫です」
「それでは、仕事の話に戻ろう。このガイアが本来の依頼主と言う所までは話したね?」
「ええ、聞きました」
「で、依頼内容なんだが、この国に、つまり前皇帝、前々皇帝とずっと受け継げられてきた宝剣を探してきて欲しい」
「宝剣?」

 皇帝に代々伝わる宝剣。その存在を夜久は知らない。いや、知らなくて当たり前なのかもしれないが、どうしてそれを探すのだろうか。

「ああ、とても貴重な物なんだが、先日盗まれてしまってね」
「盗まれた? 私はその宝剣の事を知らないのですが、それは有名な物なんですか?」
「いや、世間には公表していない物なんだ。ただ、先代から大体受け継いできた家宝みたいなものであり、ずっと大切にしてきた物でもあるんだ」

 宝剣と呼ばれるものなのだから価値があるのは確かだが、こうなれば盗んだ主がどうやってそれがあるかを知り、それが何処にあるのかどうやって調べたのかが気になる。

「で、それが盗まれたと」
「そういう事。で、我々も総力挙げて探したい訳だが、そうもいかない」
「なぜです?」
「先にも言ったとおり、あれは公表していない。いや、余り世間に公表したくない宝剣なのだ。我々が総力を挙げて探せば、皆が騒ぎ始める。もちろん、我々の目的を知ろうとする者も出てくるだろう」
「その結果、その宝剣が世に知れるのを防ぎたいと」
「そういう事だね。物分かりが早くて助かる」

 笑顔でそう言うモックレートだが、解らない事がまだ多い。特になぜ世間に公表したくないのかという疑問が一番最初に思い浮かぶが、世間に公表したくないのなら夜久にも言いたくないはず。その質問は避けた方が良い。

「だが、なぜ私にその依頼を?」
「先程も言ったとおり、世間に知れる可能性を無くすためにできるだけ我々は動きたくはない。ならば、我々以外の者、この国の政治に関わっていない者。そういう人に頼むしかない」

 国が動けないのなら、動いてはいけないのなら、そうするしかないが、夜久にはある疑問があった。それはなぜ夜久が選ばれたのかという事。

「そこから、どうやって私を選んだんです? 私はそれほど有名じゃないと思うのですが?」
「いや、君は有名だよ。隠密に行動し、依頼は必ず成功させる。それがどんな依頼でもってね」

 ニッコリと笑顔を浮かべるモックレートの顔を見て、夜久の背筋に寒気が走った。どうやら夜久の事は全て知られているらしい。目の前の人物、いや、この部屋にいる者達全員、夜久の全てを知っている。

「それを知って、私に依頼を?」
「それを知ったからこそ、君に依頼をしようと思ったんだ」

 モックレートは笑顔のままで、その隣にいるガイアは鋭い眼光を夜久へと向けている。ドアの方から感じる視線がもっとも鋭く、その主が夜久の事を信じられないのも何となく分かるような気がした。

「解りました。請け負いましょう。ですが、手掛かりか何かはないのですか?」

 請けるしかなかった。請ける以外の選択肢が無い。いや、それ以外の選択肢を選ぶ事は出来るが、選んだらどうなるか分かったものではない。

「それは良かった。で、手掛かりなんだけどね…宝剣が飾られた場所にこんな物が置かれていてね」

 そう言ってモックレートが夜久へと差し出したのは一枚の羽根。白と黄、青と赤が交互に並んでいるカラフルな羽根だが、こんな羽根色をした鳥なんて見た事が無い。つまり、これは人工的に作られた羽根であるという事だ。

「これだけ…ですか?」

 モックレートから差し出された羽根を受け取り、それを眺めながら問う。

「そう。手掛かりはそれだけ」
「ずいぶん、小さな手掛かりで」
「だからこそ、君に頼む。だが、手掛かりというか、情報はまだある」
「情報?」
「もう既に、犯人はこの都市の外へと逃亡している。宝剣が無くなったと気付いた前夜、城壁の門を警備していた兵士が深夜外へと出る不審者を引きとめた。だが、その兵士は殺され、連絡を受けて駆けつけた兵士達にはもうその姿は見えなかったらしい」

 最近、城壁の門番をしている兵士が殺されたという話を聞いた。だが、それは城壁の外に住む魔物が原因と公表されたはずだが、どうやらそれは違うらしい。

「宝剣が盗まれ、城壁の門で殺人が起きた。これを偶然と思えるほど、我々の頭はお気楽ではないのさ。同一人物とみているが、その人物がどの街へと行ったかなどは調べたくても調べられない」
「情報を得るには少なからず人と関わる必要がある。だがそれをすると、自分達の目的が知られ、この国を統べる者が探している宝剣という物が知られる可能性があるという事ですね」

 物や形跡などから情報を得るのには限界がある。稀にそれらが動かぬ証拠になる時もあるが、人からの情報はそれ以上の証拠になる。そもそも、逃げた犯人を捕まえるには目撃者から話を聞くのが早い。だが、皇帝関係者が人にそれを聞くとなると事が大きくなる。事が大きければ、それを嗅ぎつける人間が出てくる。

「我々が調べる。それだけで大きな動きを生んでしまう。その動きがあの宝剣を世に知らせてしまうのが拙いのさ。だが、君なら隠密に行動してくれると信じている。もちろん、依頼の成功もね」

 そう言って、夜久へと向かって片手を差し出すモックレート。その手を数秒眺めてから、夜久はゆっくりとその手を握り、二人は握手を交わした。

「さて、そろそろ時間だ。報酬の話や、旅支度に関しては明日話そう」
「明日?」
「ああ、私やガイア、つまり皇帝がいつまで公務をすっぽかして一般市民と話している訳にはいかない。君に依頼する事自体を、ここの関係者に知られるのも拙いのさ」
「徹底した隠密ですね」
「これは我が国の将来を担う事件なのだが、少々厄介なのだ。だから、これを君に頼む事は我々三人しか知らないし、宝剣が盗まれた事もごく少数しか知らない」
「そこまで…ですか」
「国とは、何処から崩れていくのか解らないものなのさ」

 意味深な発言をすると、モックレートは立ちあがり、ガイアもそれに伴ってソファーから立ち上がる。その二人の姿をソファーに座りながら眺め、ドアへと向かっていく二人の姿と、インシェントがドアを開く姿を確認すると、夜久は自然と口を開いていた。

「なぜ、貴方方が言う宝剣が世に知られてはいけないのでしょうか?」

 この言葉が外へと出た瞬間、モックレートが足を止めて夜久へと振り返る。

「国には何個か秘密がある。その秘密を知りたいのなら、覚悟をするべきだと、君は思わないかい?」

 そう言い残し、インシェントが開けたドアからモックレートとガイアの二人は出ていった。
 残されたのはソファーに座っている夜久と、ドアのすぐ目の前に立っているインシェント。だが、しばらく二人は動かず、口も動かさなかった。

「明日だ」

 この沈黙を破ったのはインシェントだった。フードのその向こう側から、夜久へと向かって話す。

「明日の昼。正面の扉の前に来い」
「明日の昼…ですね」
「そうだ。だが、それまでに覚悟をしておくんだな。お前は少なからず、影の部分に片足を踏み込んだ」
「いやぁ、そもそも日の光の下なんて、歩いた事はありませんよ」

 夜久はゆっくりとソファーから立ち上がり、開いているドアへと向かって歩き始める。どうやら夜久はとても面倒臭い依頼を受けてしまったらしい。



 城を出るともう既に太陽は沈んでいた。テックに起こされた時間がもう夕方に近い時間であった為、城に着く時にはもう夕方直前。だが、それでも夜になるまで城の中で話していた覚えはないのだが、実際外は夜へと変化していた。
 その夜の街を歩いていき、自分の家がある場所まで辿り着くと夜久は自分の部屋には入らず、すぐ下にあるテックの両親が経営している店へと入っていった。

「ただいま」

 そう言いながら店の中に入ると、店の中は繁盛していた。テーブル席で酒を飲む者、カウンター席で静かに夕食を食べる者、人がたくさんいれはそれぞれの目的が存在するこの店。その店の中にあるカウンターの中、そこにいるテックの母親、ローズは店の中に入ってきた夜久の姿を見つけると、すぐに駆け寄ってきた。

「大丈夫だったかい? 夜久」
「ええ、大丈夫でしたよ。ですが、お腹が空きました」
「まったく、なんかヤバそうな仕事の依頼だったからさ、心配していたんだよ」

 そう言いながら、ローズは夜久を空いているカウンター席へと誘う。そして、夜久が椅子へと座った事を確認してから、カウンター内に入ると水の入ったコップを、夜久の目の前に置いた。

「で、どんな依頼だったんだい?」
「いつも言っているしょう? そういう事は言えないと」
「試しに聞いてみただけさ。で、何が良いんだい?」
「ハンバーグを」
「あいよ」

 注文をすると、すぐにローズはカウンター内で調理に取り掛かる。その姿を眺めながら、夜久が小さな溜息を吐くと、後ろから軽い足音だが、走ってくるような音が聞こえてきた。

「夜久! 夜久じゃん! 遅かったね! 何処行っていたの?」

 後ろから走ってきたのはテックだった。その姿を確認すると、夜久はほんの少し考えるような素振りを見せ、口を開く。

「ちょっとお出かけをしていたんですよ」
「へぇ。で、仕事は決まったの?」
「ええ、今回は大きな仕事ですよ」
「ふぅん、ならまた外行っちゃうの?」

 ほんの少し、寂しそうな声だった。だが、実際明日城に行ってから、すぐに外へと出る事になるだろう。なんせ、国のトップからの依頼だ。モタモタしている暇はない。

「そうですね。今回の仕事も外に出ないと駄目な仕事ですね」
「なら、また会えなくなっちゃうね」
「一か月以内には帰ってこれるでしょう。まぁ、私次第ですが」

 実際、今回受けた依頼がどれくらいの期間で終わり、帰ってこれるかなんて夜久にも解らない。運が良ければ一週間前後、悪かったら数カ月や数年。だが、多分依頼主は何年も待ってはくれないだろう。下手したら、数カ月も怪しい。

「仕事内容は、教えてくれないんだよね」
「すいません。こればっかりは言えないんですよ」
「そうだよね。でもさ、ちゃんと帰ってくるんだよね」

 帰ってくる。テックのこの言葉にはとても重い何かを感じる事が出来た。だからこそ、夜久はちゃんと応える。

「ええ」
「うん! ならオッケーだよ!」

 嬉しそうに答えるテックのその表情を見詰めていると、コトッと夜久が座っているカウンター席に何かが置かれる音がした。
 その音の主を確認すると、それは夜久が注文したハンバーグで、カウンター内にいるローズへと目を向けてみれば、ローズは笑みを浮かべている。

「あんた、本当にテックに好かれているね」
「子供とは言え、男に好かれる趣味はありませんけどね」
「口が減らないね。ああ、そうそう。外に出るなら今月の家賃の事、忘れないでくれよ。貰ってないからね」
「……まだ記憶力は健在ですか」
「ああんっ? 何か言ったかい?」
「いいえ、空耳じゃないですか?」

 ナイフとフォークを取り出し、それをハンバーグへと向ける。その時、隣の空いている席がガタンと音を立て、テックがその椅子の上に座った。

「ねぇ、夜久。知ってる?」
「何をです?」
「今日さ、凶悪犯がこの都市に来たみたいだよ」
「凶悪犯?」
「うん。お城のちかろーって所に入るんだってさ。城壁の門番さんが言ってたよ」

 少々誤解され易い話し方だったが、要するに他の街から犯罪者がこの都市に連行され、収容されただけの事。この周辺では裁判で犯罪者を裁くという行為はこの都市でしかできない。小さな犯罪ならば、その場その場で罰を与える事が多いが、この辺りで大きな犯罪を犯した連中はここに集められるのだ。

「まぁ、それは良いですが。余り城壁の門には近づいちゃ駄目と言っているでしょう?」
「魔物がやってくるかもしれないから、でしょう? でも、門番の人は魔物でもこうやって大きな街を襲う馬鹿は少ないって言っていたよ」

 城壁に囲まれ、守られているこの街を襲おうと考える魔物は確かに殆どいないだろう。それこそ何百、何千という魔物が束にならなければ門前で八つ裂きにされるのがオチだ。だが、魔物の中でも馬鹿はちゃんといる。

「まぁ、そうですが、万が一という事もあります。門番の兵士の人と仲が良いのは解りますが、控えなさい」
「分かったよ。でさ、その凶悪犯なんだけどさ。シルア港からアーナ港へと向かう途中の船の中で、乗客全員を殺しちゃったんだってさ」
「乗客全員? それは大罪ですね。ここに連れてこられるのも解ります」

 多分、その犯罪者は死刑となるだろう。乗客全員が何人かは知らないが、そもそも他の街からこの都市に連れてこられる時点で、罪はかなり重い。

「でもさ、すっごい強かったって事だよね? だって、乗客全員を殺しちゃったんだよ」
「確かに、並大抵の力量では出来ないでしょう。ですが、テック。強さはそういう方向に向けるものではないのです。言ってしまえば、それは強さではなくただ力を持っていただけ。強いという訳ではありません」
「いけない事だってのは判ってるよ。でもさ…」
「でもさも、これさも、あらさっさもありません。そういう人間に憧れを抱くと、貴方もそうなってしまいますよ」
「ならないもんね。俺はかーちゃんを守れる男になりたいだけだい!」

 テックのこの言葉は良く聞いていた。だからこそ、夜久はテックに言い聞かせている事があるのだが、テックはまだ子供だ。理解できない事も沢山ある。だが、理解できるかどうかではない。言い聞かせる事が大事なのだ。そう、心の中で闇が産まれた時に、その時に夜久が言っていた事を思い出してくれるように。

「ならば、力だけに憧れを抱いてはいけませんよ。人間として強くならなければ」
「また始まった。夜久はいっつもその話だ」
「それ程、重要な事だという事ですよ」
「もう良いよ。俺はかーちゃんの手伝いしてくるー」
「あっ、まったく…」

 椅子から飛び降り、小走りでカウンター内へと入っていったテック。まだまだ言いたい事はあったが、その姿を見ると夜久は大きく息を吐いて、小さく切ったハンバーグを口へと入れた。

「ねぇ、夜久」

 口の中に広がる肉汁を味わっていると、カウンター内にいるローズがその夜久へと声を掛けた。

「んっ、何ですか?」
「また一人で、外へと行くつもりかい?」
「ええ、そのつもりですが?」

 確かに外はとても危険な場所だ。いつどこで何が起きても不思議ではないし、魔物に食い殺される可能性だって都市や街の中にいる時よりも何倍、何十倍も高い。だが、今回の依頼は外に出ないと依頼の成功はない依頼だし、そもそもここに夜久と一緒に外に行こうなんて思う奴はいないはずだ。

「大きな仕事なんだろ? なら、誰かと一緒にやるってのも良いんじゃないかい?」
「うーん。確かにその方が良いんですがね。なかなかそうはいかないんですよ。依頼主はあくまで私に依頼している訳でして、そこに他人を入れるのは……」

 ここで夜久の言葉が止まり、その手が顎へと当てられて夜久が何かを考え始める。

「どうしたんだい?」
「あっ、いえ。誰かを連れていくのもありだと思いまして」
「その方が良いに決まっているじゃないか。一人旅より、二人の方が良い」
「なんですけどね。そこらの人じゃ駄目なんですよ。ですが、一人妥当な人間を知っています」

 こう言っている時も夜久は難しそうな顔を見せている。その顔を正面から見ているローズは夜久の発言とその表情で、少々混乱していた。

「なら、その人を連れていけば良いんじゃないかい?」
「んー、そうなんですけどね。もしかしたら、一人旅よりも危険になるかもしれません」
「ん? 全然理解が追いつかないんだけど」
「とりあえず、明日依頼者に掛けあってみますよ。多分、断られるんじゃないかと思いますが、私にしてみればいてくれた方が助かるので」

 そう言いながら水の入ったコップをその手に取り、口へと傾けた。





 次の日の昼、夜久は約束通り城の門の前にやってきた。
 そこには既に昨日と同じ格好のインシェントの姿があり、インシェントは夜久の姿を確認すると、その夜久を招き入れ、昨日と同じ部屋へと夜久を通した。

「やぁ、来たね」

 昨日と違う点は夜久が部屋に通された時、もう既にモックレートとガイアの姿があった事。モックレートはともかく、ガイアは皇帝なのだからここにいても大丈夫なのかと思うのだが、夜久はその疑問を口に出す事はしなかった。

「待たせて、しまいましたかね?」
「いや、だが話は手短に済ましておきたい。昨日の内にこの事に感付いている連中が何人かいた」
「そうですか、なら手短にしましょう。報酬と旅支度についてですね」

 感づいた人たちはどれだけ勘が鋭い人間なのかと思ったが、この国を支える人間たちだ。人の動きに敏感で、その行動の意味を探るのは得意なのだろう。

「ああ、報酬は…一応君がしばらく働かなくても済む額を払おう。だが、これは成功報酬だ。失敗したらこちらからは何も支払わないし、何が起きても後始末はしない」
「結構です」
「あと、旅支度に関してだが、こちらから武器や防具、必要な道具一式を支給しようとしたが、先程も言ったとおり感付いている連中が現れた。よって、それらはできない。だから、僕のポケットマネーからいくらか支払おうかと思ってね。持ってきた」

 そう言って、取り出した袋をガラステーブルの上へと置く。置いた時に重々しい金属音が鳴り、その中に相当の量が入っているという証拠が周りに響く。

「良いんですか?」
「ああ。だが、この都市の中でこれを寛大に使うのは止めてくれ。一般市民の君がそれだけの量の金額を使ったとなれば、怪しまれる。その金の元は何処かってね。この都市では次の街に着くまでの最低限の買い物をし、その次の街で一式を買い揃えてくれ」

 徹底した隠密。だが、それでも嗅ぎつけている人間はもういるというのだ。夜久は考えていたよりも覚悟しないといけないのかもしれない。

「ありがとうございます。有難くいただきます」
「我々からは以上だ。君から何も無ければ、依頼成功のその時まで僕らは会わない事になるが?」

 この言葉を聞いた時、夜久は唾を呑んだ。そして、絞り出すような声でモックレートへとその言葉を吐く。

「一つ、良いですか?」
「何かな?」
「頼みごとがあるのですが…」



[29833] 旅立ちの理由は唐突に 後篇
Name: No.145363◆b1c7f986 ID:8dd20925
Date: 2011/09/22 22:04
 それから少し後、夜久はインシェントと一緒に地下へと続く長い長い階段を下りていた。
 もう既にその階段から余り良い雰囲気ではなく、環境も良いとは言えない。ジメジメしており、何より息苦しかった。

「大罪者には、相応しい場所ですか…」
「別にそうではない。脱走が困難になる構造を追及していったら、こうなっただけだ」
「まぁ、地下牢ですからね。そんなに快適な場所だとは思っていませんでしたよ」

 インシェントに連れられ、夜久が向かっていたのは地下牢だった。この街で犯罪を犯した者、他の街で大罪を犯した者が収容されるその場所。なぜ、その地下牢に夜久は向かっているのだろうか。

「しかし、こんなに早く事が進むとは思いませんでした。事が素早く進むとしたら、断れる時だけだと思っていたので」
「我々には時間が無いのだ。いや、時間はあるが、その時間を使うと自分で自分の首を絞める。判断も行動も素早くしなくてはならない」
「まぁ、そうでしょうね」

 あの場であの発言をしてから、モックレートと皇帝は五分も経たずに結論を出した。危険だが、君の頼みなら仕方がないという言葉を添えて。

「この先だ。離れるなよ」

 階段を下り終え、真っすぐに伸びる通路を二人は歩いていく。もう地下牢へと入ったのか、通路の所々には鉄で作られたドアがあり、そこには覗き穴のような物があったが、夜久はそれを覗こうとは思わなかった。

「ここだ」

 しばらく歩いていくと、鉄のドアと鉄のドアの感覚が段々広がっていき、その中のあるドアの前でインシェントが止まる。

「特殊な囚人だ。身動きは取れなくしているが、油断はするな」
「ええ、私もその方が良いですよ」
「開けるぞ」

 鍵を取り出し、インシェントがその鉄のドアの鍵を開ける。そして、ゆっくりとそのドアを開いた。
 中は通路よりも薄暗かった。ギリギリ部屋の構造やそこにある物を認識できる程度で、夜久はしばらくその光の量に慣れなかったが、段々と部屋全体が見えるようになる。

「誰だ」

 部屋の奥、そこからそんな声が聞こえてきた。その声を聞き、夜久がその声が聞こえてきた方向へと目を向けてみると、そこには赤い瞳があった。

「ユリア・ルージュ。船で大虐殺をした犯罪者だ。もう既に死刑の執行も決まっている」

 インシェントが夜久の隣に並び、同じようにそこにある赤い瞳へと目を向ける。
 夜久とインシェントの目の前にいるその赤い瞳の持ち主は、手と足を鎖で繋がれており、一切身動きが出来なくされている。服はボロボロで所々から覗く肌からは無数の傷が窺えた。

「さて、インシェントさん。私は今からこの人と交渉します。席を外してもらえませんか?」
「…私はドアの外にいる。何かあったら、叫べ」
「死ぬのは御免ですからね。そうさせてもらいますよ」

 夜久がそう言うと、インシェントは静かにドアの外へと出ていき、そのドアを閉める。ここでやっと夜久の目がこの暗い部屋に慣れ、やっとユリア・ルージュと呼ばれるこの大罪者の全身を捉えた。

「まさか、大虐殺をした人物が女性だとは。これは予想外ですね」

 夜久の目の前にいる人物。それは女性だった。てっきり屈強な男性をイメージしていた夜久には少々予想外だった。

「えっと、ユリアさんですね。ちょっとお話があるんですが」
「…貴様と話す事などない」

 考えていた通りの反応だった。

「そう言わずに。というより、派手にやられてますね。大虐殺をした時か、それとも捕まった後の拷問か」

 夜久がユリアに近づき、その体に刻まれた傷へとその手を触れる。

「触るな!」
「まぁまぁ、何もしませんよ。もちろん、襲ったりもしません」

 自分の体に触れる夜久の手を、体を動かせるだけ動かして払おうとするが、それは叶わない。
 その間に、夜久の手はユリアの体の傷を撫でるように触れる。すると、触れた所から傷が消え、痕すらも残らない程に綺麗に傷が治っていた。

「貴様、治癒術師か。死刑執行の前に、見苦しくないように私の傷を癒しにきたのか?」

 処刑する人間に見苦しいも何もないが、傷が癒えた肌は白くて綺麗だ。

「はははっ、残念ながら違います。私は治癒術を使えますが、治癒術師ではありません。それに、傷を癒すのはついでです。さっき、聞こえませんでしたか? 私は貴方と交渉をしにきたと」

 そう言うと、夜久はユリアの体から手を放し、少し離れてからゆっくりと語り始める。

「まぁ、簡単に言いますと。私と一緒に来ませんか? 来るのなら、ここから出られます」
「……私を金で買うと言うのか? はっ! お前は最低な男だな!」
「貴方みたいな美人をお金で買えるのなら、買いたいのですが、残念ながら違います。私が貴女をここから出す理由はまだ言えませんが、良い事を教えてあげましょう」

 夜久はポケットの中へと手を入れ、その中から小さな鉄製の鍵を取り出す。そして、それをユリアへと見せながら、再度口を開いた。

「これは貴女の手や足に着いている鎖を外す鍵で、私には貴方をそれらから解放する権利が与えられている。貴女が拒めば、明後日、貴女の処刑は執行される。斬首だそうですよ。痛みを感じる間もなく逝けますが、それで終了です。ですが、私と一緒に来れば…そうですね。少なくとも一カ月くらいは生を満喫できるでしょう」
「結局、殺される訳か」
「そうですね。ですが、私と一緒に来れば逃げるチャンスの一つや二つはあると思いますよ。なんせ、その鎖から解放され、外に出れるわけですから。まぁ、その時には私を殺さないといけない訳ですが、今更一人や二人、殺しの罪が増えても貴女には微々たるものでしょう?」

 夜久が言っている事は無茶苦茶だった。この地下牢に収容され、明後日にも死刑が執行される予定のユリアに、一緒に来ればここから解放してやると言い、その際少なくとも一カ月は生き延びる事が出来るが、結局死刑は執行される。だが、その間に逃げる事が出来るかもしれない。自由の身になる可能性がある。
 だから、一緒に来ないかと言っているのだ。

「お前のメリットが見えないんだが」
「私のメリットですか? 旅の道連れが出来るってだけですね」
「旅?」
「ええ、ここから貴女を解放したら、すぐに旅支度をしてこの都市の外に出ます。もちろん、貴女も一緒に来てもらいますよ。そして…まず最初はユールの街ですね。まぁ、これ以上は貴女の返答したいで話しますが、どうします?」

 鍵を見せながら、夜久が問う。すると、ユリアは黙り、そのまま動かなくなった。
 沈黙が流れる。何も音がしない牢獄の中で、夜久は鍵を持ちながらユリアの返答を待ち続ける。だが、なかなかユリアは返答を返さない。それもそうだろう。これは彼女の人生の中で最も重要な選択肢だといって良いほどの、重い選択だ。

「分かった」

 やがて、小さな声でユリアが応える。

「その言葉を待っていましたよ」

 ユリアの返答を聞くと、夜久は早速その鍵でユリアの手や足に繋がれている鎖を解く。すると、ユリアは解放された手と足をしばらく眺め、それがちゃんと動く事を確認してから、夜久へと向き直った。

「逃げるチャンスがあると言ったな?」
「ええ、あるかもしれませんね」
「ならば、今そのチャンスを作ろう」
「ん?」

 夜久がその言葉の意味を理解する前に、ユリアは自分が着ている服の一部を破り、捻じって紐状にすると、それを夜久の首に素早く巻いて、そのまま夜久の後ろに回り込む。
 瞬間、作った紐で思いっきり夜久の首を締め始めた。

「ぐっ!」

 ギリギリで紐と首の間に指を入れた夜久は指の力だけでそれを解こうとするが、やはり相手の方が有利だった。
 紐は解けずに余計に締まっていく。そして、それと同時にユリアが夜久の腰の辺りを触れ始めた。

「護身用のナイフ一つ位は持っていると思ったが、丸腰か」
「その…必要は…ない…ですからね…」
「なら、このまま死ね」

 夜久の首を絞める紐を引く力を一層強くするユリア。それに夜久も抵抗するが、このままでは本当に首が閉まって殺されかねない。

「良いの…ですか? ここからは…脱出は困難…ですよ」
「お前はその心配をしなくて良い。ここで死ぬのだからな」
「あと…ですね。先程…私の…とな…隣にいた人…彼は…けっ…結構の実力者…みたいです…よ…」
「それがどうした?」
「彼は…い…イン…インシェント…皇帝の…護身を任された…隊の…頭です…丸腰の貴女が…勝てるとは…到底、思えない」

 ここまで言うと、ユリアに迷いが産まれたのかその力が緩んできた。ここぞとばかりに、夜久は畳みかける。

「私と…一緒に出れば…彼は貴女に何も…しない。私を殺すのは…ここを出てからでも…遅くはな…ないと思いま…思いますが?」
「ちっ!」

 ユリアが力を緩め、やっと夜久がその紐から解放される。
 解放された瞬間、夜久は一気に空気を吸い、深呼吸のように大きく息を吐く。そして、少しせき込みながら、ユリアへと向き直った。

「まったく、いきなり殺しに来るとは思いませんでした」
「黙れ」
「まぁ、良いでしょう。では、ここから出ますので大人しくしているように。城内では、後ろからの不意打ちも駄目ですよ。騒ぎはあっという間に広まりますので」

 息を整え、何度か喉を摩ってから夜久はユリアに背を向けてインシェントがすぐ外にいるドアへと向かって歩いていった。
 後ろからユリアが付いてくる足音はちゃんと聞き、少々気に掛けながらもドアへと手を掛け、一気にそれを開く。

「終わったか」

 ドアの外に出ると、インシェントは出てきた二人を見てそう言う。もちろん、二人で出てきた時点で交渉の結果も分かっただろう。

「ええ、一緒に行く事になりました」
「そうか。なら、裏口に案内する。今日はそこから出てくれ」
「解りました。ユリア、行きますよ」
「馴れなれしく呼ぶな」

 これから三人は地下牢から城内へと続く階段を上がっていき、そこからまた複雑な通路を通って裏口へと歩いていった。インシェントがいなかったら確実に迷っていた道のりだが、裏口に辿り着き、そのドアを開くとインシェントは二人を押し出すように、外へと出す。

「これからはお互い不干渉。決してこの城には戻ってくるな。戻ってくる時は、依頼成功時だ」
「了解です」
「健闘を祈る」

 形だけの言葉を言い残し、インシェントはそのドアを閉めた。それを確認すると、夜久は今自分達がいる場所を見渡す。どうやらここは城の真後ろに当たる貴族街の裏路地。とても細い道だが、少し行けば貴族街の中央を走る大きな道に出れる。
 そこへ向かって歩き出そうとした所、夜久の耳にユリアの声が飛び込んできた。

「おいっ」
「ん? 何でしょうか?」
「お前、さっきから私に背を向けているが、警戒していないだろ」

 確かに、位置的にはユリアは夜久の後ろに立っている事となり、もう既に城から出ている。しかもここは裏路地で滅多に人が入らない場所だと思われるので、サックリとやるには都合の良い場所だ。
 そこで、夜久は特に気にせずにユリアへと背を向けている。躊躇もせずに。

「ああ、そういう事ですか。それは私だって、ずっと警戒できる訳じゃありませんよ。ですが、次は地下牢のようにはさせてあげません。私も抵抗しますよ。これでも一応、そこらの人間よりも強いつもりです」

 顔だけをユリアへと向け、ほぼ背を見せている体勢だった夜久が歩き始める。もちろん、先に歩きだしたのでユリアに背を向けたままであり、しかもポケットに片手を突っ込んでいた。
 その行動がユリアには気に食わないのか、少々眉を顰めたが、そのまま夜久を追いかけるように、付いていった。

「まずは、貴女の服装をなんとかしないといけませんね」

 大きな道に出ると、夜久が顎に手を当てながらそんな発言をし始める。

「服装?」
「自分の服装を見てください。所々ボロボロで、しかも上着を千切ったから、胸の下ギリギリまで見えているじゃないですか。どう見ても事後ですよ。ありがとうございました。いやっ、ごちそうさまです」

 手を合わせる夜久へと、怪しい者を見るような目を向け、ユリアが口を開く。

「馬鹿馬鹿しい事を言うな」
「まぁ、最後の方は冗談ですが、そのままの格好でいられると不都合です。付いてきてください。ああ、本当に事後って事はないですよね?」
「黙れ。殺されたいのか?」
「おおっ、怖い怖い」

 冷ややかなユリアの目から逃れるように小走りで離れ、そのままある方向へと向かって歩いていく。ある方向とは貴族街から出て、下に行った所にある夜久の家の方向。ただ道なりに歩いていき、途中にある坂を下るだけなのだが、坂を下った後が少々大変だった。

「おおっ、夜久。彼女でもできたか?」
「いやぁ、貴族街で拾っちゃったんですよ」
「ははははっ、こりゃ良い拾いもんをしたな! 大事にしろよ!」
「もちろんですよ」

 今現在の時刻は昼過ぎ辺り。街の中を歩いている人は多く、夜久の家に近づくにつれて、夜久の近所の人達と出会う確率が多くなってきた。しかも夜久がユリアという女性を連れているものだから、みんながみんな興味を持って話しかけてくるのだ。

「いやぁ、今ので何人目でしょうね」
「七人目だ」
「色々と言われてますねぇ」
「夫婦だとか彼女だとか、愛人だとかな」
「怒ってます?」
「知るか」

 人と会う度に、声を掛けられる度にユリアの機嫌が悪くなっていくようだった。だからと言って、“話しかけないで下さい”と書いたプラカードを掲げ、主張しながら歩く訳にもいかず、結局家の前に辿り着くまでに合計十人に話しかけられ、色々と言われてしまった。

「機嫌を直してくださいよ。これから、私がお世話になっている人と会うんですから」
「黙れ。誰の所為だと思っているんだ」
「まぁ、余り行儀が良いとかそういう事の言えないやり取りでしたが。まぁ、相手も冗談ですよ。忘れてください」
「ふん」

 機嫌の悪い表情を崩さず、そのままでそっぽを向くユリア。旅の道連れを増やした事が失敗だったかもしれないと今更ながら思い始めた夜久は、小さな溜息を吐いてからローズの店のドアを開く。

「ただいま」
「ああ、おかえ―って、あんた…」

 想像していた通りの反応だった。ローズは夜久の後ろにいるユリアの姿を見ると、驚いた表情を見せた。

「その子どうしたの? 服がボロボロじゃないか」
「色々とあったんですよ。あっ、ちなみに私じゃないですよ」
「知ってるよ。あんたに女を襲う度胸なんて、ありゃしないじゃないか。ささっ、こっちおいで」

 手招きをするローズの姿を見て、ユリアが夜久へとその目を向けた。その行動が示している事は夜久にも解る。いきなりこっちにおいでと言われて、戸惑っている訳ではないが、対応に困っているのだ。

「大丈夫ですよ。いきなりサクッとはやりません」

 そう言うと、ユリアは夜久を睨んでから夜久の横を通ってローズの下へと行こうとする。だが、夜久はユリアがすぐ横を通る時に、小さく呟いた。

「あの人に変な事をしたら、許しませんよ」

 その言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか、ユリアは何も言わずに夜久の横を通り過ぎ、ローズの下へと歩いていった。

「こっちこっち、まずはシャワーだね」

 ユリアの背中を押し、ローズがカウンターの奥にある居住スペースへと入っていった。
 その二人の姿が見えなくなると、夜久は誰もいないカウンター席へと座り、何となく店内を眺めている事にした。
 どれくらい待っただろうか、十分かもしれないし二十分かもしれない。どちらにしても、店内を眺めていたはずの夜久がカウンター席で勝手に作ったサンドイッチを頬張っていると、奥からローズが戻ってきた。

「それで、あの子どうしたのさ?」

 戻ってくると同時にローズはユリアの話題を持ちかける。だが、その時の夜久はすぐに応えられる状態ではなく、口に含んでいたサンドイッチを飲み込んで、一息置いてから口を開く。

「どうしたのって、彼女が今回の依頼の道連れの人ですよ」
「だけど、服はボロボロだし。体の所々に傷があったよ」
「そうですね。服がボロボロなのは置いといて、傷は治してあげたかったんですが、自主規制しました」

 地下牢の中で一部の傷は治したが、服を脱がして体全体を見て、傷を全て治すという行為はしていない。というより、出来ないと言った方が正しいだろうか。

「あの子の事も、秘密って事かい?」
「ええ。ですが、あのような格好になる事はしないつもりであり、誰にもさせないつもりですよ。一緒に旅をする以上、彼女は仲間ですから」

 夜久は彼女がしてきた事を知っている。だが、何十人と言う人を殺し、死刑を宣告された彼女だからこそ、一緒に旅をする事、仲間となる事を選んだのだ。
 明後日、彼女は処刑された事になるはずだ。公開処刑でも何でもない、ある特別な部屋で、数人の兵士のみで行われる処刑だ。皇帝やモックレートの力があれば、どうとでも処理できる。
 結果、表向きには死人となった彼女は隠密行動に適した存在となる。しかも、余り良い事ではないが数十人と言う人間を殺した腕を持つ彼女は、魔物相手にもかなりの戦力になるはずである。

「まったく、初めて女の子を連れてきたと思ったら、あんな状態で驚いたよ。あんた、ちゃんとあの子を守るんだよ」
「そのつもりです。まぁ、最悪二人で食い殺されるかもしれませんがね」

 笑顔を浮かべながらそう言うと、夜久はサンドイッチの最後の一切れを口に含んだ。その夜久の行動を見たローズは呆れたような表情を浮かべ、カウンターの上に置かれているパン屑が乗った皿を取った。

「またあんたは、勝手に店の食材使って…」
「代金は払いますよ。あと、今月の家賃も」
「あと、旅支度の分もだね」
「はい?」

 夜久が疑問の声を上げると同時に、何処から取り出したのかとても大きなリュックサックをドンっというかなり重そうな音を立てて、ローズがそれをカウンターの上に置く。

「どうせ、ここから行くとしたら。ユアルの森を抜けた先にあるユールの街だろ? あそこに行くまでにかかる約二日間の食料と水、あと着替えを詰め込んでおいた」
「確かに、ここから一番近いユールの街に行こうと思っていましたが、これ…何キロあるんですか?」
「知らないよ。水だけで十キロ近くあるからね。全て合わせると二十キロって所じゃないかい?」
「…これを背負えと?」
「そういう事」

 ローズの返答に大きな溜息を吐いてから、夜久はリュックサックへと触れる。鞄の生地はとても感情で有名なハルクの綿の繊維で作られた奴だ。一本の繊維で五キロの重量を支えられると聞いたので、二十キロ程度では小さな穴すらも空かないだろう。
 次にリュックサックを開けて、中を覗き込んでみれば食料やそれを調理する道具、水や衣類、旅に必要なテントなどの道具が一式揃っている。特殊な油が染み込んであり、何時間も火を維持できる燃料、ルーパーの触手も入っている辺り、かなり念入りだ。
 だが、夜久がリュックサックの中を漁っていると、奥の方から不思議な物が沢山出てきた。それは女物の衣類。その他には夜久にも良く解らない女性の何かが入っており、夜久は苦笑いを浮かべる。

「あの、ローズおばさん。これは…」
「あの子の分だよ。女の子は色々と大変だからね」
「それに比べて、私用の衣類とかが少ないような気がするんですが…」
「三日分もあれば充分だろ。ちゃんと洗って乾かして、使いまわすんだよ」
「…はい」

 理不尽を感じたが、せっかくローズが準備してくれた物。文句も言えずに夜久はリュックサックに入っていた物を丁寧に戻して、リュックサックの紐を閉じた。

「それでは、これを…」

 夜久はポケットの中へと手を入れると、そこから何かを取り出してローズへとそれを渡した。それは銀で作られた通貨六枚。一般市民にとっては結構な額である。

「今月の家賃と、旅支度の料金と…サンドイッチ代です」
「まぁ、ちと足りないが、残りは帰って来てから取り立てるよ」
「あははっ、酷いですね」

 これはローズの絶対に帰って来いという言葉なのだろうが、夜久はそれに苦笑いで返す。もちろん、帰ってこない訳ではない。逆に帰ってくる気は満々だが、夜久とローズの二人はあえてそれを言葉に表す関係ではない。

「ちなみに、武器と防具は自分で調達してくれよ。そこまでは面倒を見切れない」
「そのつもりです、城壁の門近くにある武器屋に行こうと思っていますので」
「そういえば、最近剣とか扱っていないみたいだけど、大丈夫なのかい?」
「まぁ、大丈夫でしょう。剣豪と戦う訳ではないんですし」

 外に出て、人と戦うなんて事は殆どないだろう。あるとすれば盗賊に襲われた時などで、戦うならば相手は大抵魔物だ。魔物相手ならば、剣の腕を競うのではない。戦いの感覚。それさえ失っていなければ、勝てる。

「おっ、来たね」

 しばらく夜久とローズが世間話をしていると奥からユリアが姿を現す。
 ボロボロだった服は新しい服へと代えられ、少々汚れていた肌も元々の白色を主張している。小汚かったという表現は余り良くはないが、お世辞にも綺麗とは言えなかった状態から、体全体が磨かれた感じだ。
 ただ一つ、変わっていないのは夜久へと向けるその目だけだろうか。その赤い瞳は相変わらず睨むように夜久を見詰めている。

「どうでしたか? シャワーは。傷に染みましたか?」
「どうって事はない」
「でしょうね。それでは、早速行きますか」

 カウンターの上に置いてある大きなリュックサックを背負う。

「おっと」

 二十キロはあるんじゃないかと言うローズの言葉は間違いではないようで、背負った瞬間よろけた夜久の体の半分以上が、後ろから見るとリュックサックで隠れてしまう。
 
「これ、本当に重いですね」
「つべこべ言わない」
「それじゃあ、また会いましょう」
「ああ、帰ってこなかったら、承知しないからね」
「ええ。ユリア、行きましょうか」

 ローズと夜久から少し離れた場所に立っているユリアへと声を掛け、夜久はドアへと向かって歩いていく。そして、ドアノブに手を掛けてからもう一度ローズへと振り返ると、笑顔を見せた。

「いってきます」

 そう言って、ドアの外へと出ていった夜久。
 その夜久に続いて、ユリアも同じように外へと出ようとすると後ろから、小さな声が聞こえた。

「あの馬鹿を、よろしく頼むよ」

 心からの言葉だったのだろう。その言葉を聞いた瞬間、ドアノブを掴んでいたユリアの手に力が入り、ギリッという音を立てたドアノブを捻って、外へと出ていった。
 外へと出るとユリアを迎えるかのように夜久が立っていた。

「さて、今度は武器屋ですね。武器を揃えなくては」
「本当に二人で外に出る気なんだな」

 改まった言葉だった。

「言ったでしょう? 旅に出ると」
「旅の目的はなんだ?」
「言っていませんでしたっけ?」
「お前、頭がどうかしてるんじゃないか? いや、私を連れだした時点でそれは解っていた事か」 

 少々酷い言葉だったが、何も返さずに困った表情を浮かべる夜久。そして、しばらく周囲を気にしてからユリアへと再度口を開く。

「冗談です。旅の目的は話しますが、外に出てからで良いですか? 誰かに聞かれると拙いので」
「……解った」
「おや? 素直ですね。私はそっちの方が好きですよ」
「お前は馬鹿か?」

 冷たい返しもなんのその。特に気にせずに笑顔のまま、夜久は進行方向へと体を向ける。

「さて、武器屋はこっちです。さっさと済ましちゃいましょう」

 この都市では、武器屋はこの都市とその外を隔てる城壁、そこに作られたいくつかの門。その近くに作られている事が多い。その門から夜久の家がある場所、つまりローズの店は近く、数分も掛からずに武器屋へと辿り着く事が出来るのだ。

「この武器屋はですね。良く利用するんですが、店のお爺さんはなかなか私の顔をですね…」
「んなことどうでも良い。入るぞ」

 武器屋の前に辿り着き、その武器屋について少し話そうとした夜久を余所に、ユリアはさっさと武器屋の扉を開けてその中へと入っていってしまった。
 その行動を見た夜久は小さな溜息を吐き、背負っているリュックサックを背負い直してから、武器屋の扉に手を掛け、ゆっくりとその扉を開いた。

「いらっしゃい」

 店の中に入ると同時に、カウンターの中にいる老人が夜久へと目を向ける。その顔を見ると、夜久はゆっくりとカウンターへと近づいていって、リュックサックを床へと下ろした。

「お久しぶりです。お爺さん」
「あん? 誰じゃ、お前さん」
「また忘れちゃったんですか? 夜久です。夜・久。いつも買いに来ているじゃないですか」
「おー、夜久か」

 このお爺さんは顔を見ても夜久の事を思い出さないが、夜久が自分の名前を言うと思いだす。困ったものだが、夜久という存在を覚えてくれているだけでマシかもしれない。

「いっつも質より量と言って、買っていく夜久じゃな」
「まぁ、そうですよ。あと、連れがもう先に入ってきたと思うんですが…」
「連れとはあのべっぴんさんかい? あのべっぴんさんなら、ほれ」

 お爺さんが指差した方向。店の奥の一角で、ユリアは剣を眺めていた。だが、眺めているのは普通の剣ではない。彼女自身の大きさほどある大剣だ。

「あそこの剣は、あのべっぴんさんには似合わないと思うんじゃがの」
「武器選びは個人の趣味ですし、それが扱えるのなら別に良いんですが、あれらって、結構高いですよね?」
「普通の物より、使う材料が多いからの。まぁ、あのべっぴんさん次第じゃ。それに、数を揃えればお前さんの方が高くなるだろうて」
「今回は結構お金がありますので、大丈夫なんですがね」

 そう言い、床に置いたリュックサックをそのままに夜久は店内を歩き始める。店の中には様々な武器がある。様々の大きさの剣や、ナイフ。斧や槍、弓の類など沢山ある。だが、夜久は斧という武器は自分の趣味ではないので扱わず、槍はその技術が無いので扱わない。もちろん、弓なんて槍以上に扱えず、曳き方すら知らない。結果的に、剣を扱う事になるのだが、そもそも武器を持つのは数カ月ぶりだったりもする。
 手近にある剣を持ち、それを鞘から抜いて刀身を眺めてもどれが良いのか良く解らない。夜久の基準はやはり刀身の長さやその重量、つまり扱いやすさにしかない。切れ味がどうだとか、刀身が美しいだとか、そんな事はどうでも良かった。
 結局、夜久は刀身の長さが少し違う剣を二本と、同じ作りをした小さなナイフ二本を選ぶ。

「ベルトは用意するかの?」
「四本も掛けられるのあるんですか?」
「あるさ。ちょっと待ってなさい」

 カウンターの奥に入っていくお爺さんの背中を見てから、夜久は自分が持ってきた二本ずつの剣とナイフの中から、一本の剣を取って、それを鞘から引き抜く。
 片手で持てるほどの重量。柄を合わせた剣の長さは七十cm位だろう。片刃であり、刀身の幅が十センチ程度。だが、厚さはそれ程ではないので、斬る分には大丈夫だろうが、重量のある物を防ぐとすぐに折れそうだ。
 一方、ナイフは殆ど全て剣の三分の一程度。だが、剣よりも軽くて、切れ味と丈夫さを兼ね備えている。だが、リーチが短いので剣以上に敵の懐に潜り込まないといけない。それは危険を伴うので、二本の剣が使えなくなった時しか使わないだろう。

「持ってきたぞー」

 店の奥から帰ってきたお爺さんはその手にベルトを持っており、剣を鞘に仕舞ってカウンターの上へと再度置いた夜久のすぐ傍まで寄ってきた。
 そして、早速そのベルトを夜久の腰に固定すると、カウンターの上の剣とナイフを一本ずつその手に取った。

「剣の場合、これは鞘に結び付けるタイプじゃ。手をダランと下げたら、ちょうど当たる所、そこに皮で作った輪っかがある。本来は右か左、どちらか一方にしかないのだが、これは左右どちらにもある。それに鞘に入ったまま刀身を入れて、鍔が引っかかった所で輪を思いっきり締める。これで固定するんじゃ」

 腰のベルトに剣を掛けながら説明するお爺さん。そして、今度は持っているナイフを夜久へと見せる。

「今度はナイフじゃ。元々ナイフにはそれを納める鞘が付いてくるがの、これはそれを必要としない。腹の辺りに二つ、ナイフを入れられる所を付けておいた。刀身は裸のままでここにいれ、閉じるだけじゃ」

 ナイフを入れる為の所に、そのナイフを入れ、柄だけを出してボタンが付いた布で飛び出さないように固定する。
 あと一本ずつの剣とナイフも同じように腰に掛け、夜久は感心した。

「これで、状況に応じて素早い対応が出来ますね」
「じゃろう? だが、代金はちゃんといただくよ」
「…でしょうね。ですが、料金は一気に全部払いますよ」

 その夜久の言葉が言い終わるか終らないかというところで、ガタンという音を立てながら、重い何かがカウンターの上に置かれた。

「これをくれ」

 カウンターの上に置かれたのはその持ち主となる人物の肩ほどもある大剣と、小剣だった。
 それを見た時、夜久はモックレートとガイアからもらった袋の中身をチラリと見る。どうやら、半分ほど減ってしまいそうだ。




 それからしばらくして、夜久とユリアは城壁に造られた門。そこに併設するように造られた関所のような施設を訪問していた。

「ええ、これから外へ。そうですね。出来るだけ他の街や都市を自由に出入りできるようにしたいのですが……」

 夜久はかなり大きな荷物を背負いながら、その施設の窓口で職員と話している。一方、ユリアはその夜久から少し離れた場所、そこで外へと出る為に通る大きな門を眺めていた。

「ありがとうございます。え? 在住証明? ええ、私は持っていますが、彼女が。え? 夫婦なら大丈夫? あっ、夫婦です。ええ、新婚でして…」

 職員と話している夜久はある事ない事を上手くまとめあげようと、四苦八苦しているというのに、ユリアは目も向けずに門を眺めているだけ。その背中には鞘に括られた紐で体に固定された大剣があり、腰には小剣がぶら下がっている。

「お金? ですか? ええ、持ってますよ。結構高いですね。え? 期間で変わる? えっと、それじゃあ二年で。あっ、そうです。二人共です」

 ユリアが眺めている門。その両側には一人ずつ兵士が立っており、その近くに建てられた高台にも二人の兵士が控えている。もちろん、その周辺にも数人の兵士がいるし、近くにある施設の中にも待機している兵士が沢山いるだろう。さすがにこの都市の出入り口となると、警備が厳しい。
 強行突破となると、ここから出るのは難しそうだ。

「はい。ありがとうございます。ええ、ええ。どうもー…ふぅ」

 やっと職員とのやり取りも終わり、貰った小さな紙を持って夜久がユリアの下へと戻ってくる。
 その姿に気付いたユリアが夜久へと体を向けると、背中の大剣が揺れた。

「やっと終わったのか」
「ええ、終わりましたよ」

 そう言って、夜久が差し出したのはその手に持っている一枚の紙。その紙を受け取り、眺めると、ユリアの眉が顰められる。

「おい、ここに私達の関係が夫婦って書いてあるんだが?」
「仕方がないでしょう。この都市の在住証明書が無い貴女を含めるとなると、そういう関係にしないといけないんですから」
「悪かったな。で、そもそもこれは何だ?」

 受け取った紙を返しながら問うユリア。すると、夜久はその紙を背中のリュックサックに仕舞いながら、こう答えた。

「通行証です。これがあれば、どの街、どの都市、どの関所でも簡単に出入りする事が出来ます。いちいち、身分を証明する事もない」
「そんな物、聞いた事がないぞ」
「そうでしょうね。この国の皇帝が直接治めるこの都市でしか、発行されていません。同時に、この都市に住んでいる人にしか発行されませんが」

 リュックサックの中に通行所を仕舞い、もう一度リュックサックを背負い直してから、夜久はもう一度、ユリアへと向き直る。

「それじゃあ、行きましょうか。あの門を潜れば、外です」

 先に夜久が歩き始め、兵士達が見詰めている中、二人は門を潜る。そして、その先に見えたのは殆ど何も無い草原。道はあるが、その道はただ地面が露出しているだけで、特に整備されているという訳でもない。だが、その道はいくつかに分かれて、それぞれの方向へと延びていた。

「何も無い所だな」
「城壁の外には何も手を付けていませんからね。まぁ、道はあります。えっと、こっちです。最初はユアルの森を抜けた先にあるユールの街に向かいます」
「そうか」

 ユールの街へと向かう為の道やその方角を知っている夜久を先頭に、二人は早速歩き始める。
 壮大な外の世界。殆ど何も無く、地平線の向こうまで見渡せるのではないかと思われるが、やがて山や木が少しずつ見えてきて、その表情を変えていく。
 その中を時に休憩しながら歩いていくのだが、早くも夜はやってきた。

「いやぁ、あっという間ですね。今日はここら辺でキャンプしますか」

 暗くなった空で、何千何万という星々が輝き始めた頃、一本の木の下で夜久が背負っているリュックサックを下ろした。

「さすがに、魔物には会いませんね。やはり、森が遠いと出会いませんか」
「何だ? 会いたいのか?」
「いいえ、でも会った時は任せますよ。私は荷物を持っていますので」

 戦いにおいて、仲間がいる場合はその役割分担も必要だ。二人は事前の話し合いで、魔物に会った時に真っ先に戦闘をするのはユリアだと決めていた。理由は夜久が二十キロ近くもある荷物を背負っており、出会ってもすぐに戦闘に入れないからであると同時に、夜久の場合は後方からの援護もできる。
 前衛がユリアで後衛が夜久という役割となっている。

「少し、周囲を見てくる」
「それじゃあ、その間にテントを建てておきますから」
「ああ」

 周囲の警戒に行ったユリアと、早速リュックサックからテントの道具を取り出して組み立て始める夜久。
 一見、ここでユリアは逃げるチャンスがあると思われるが、ユリアは食料や水を一切持ってはいない。こんな所で逃げだせば、道中で餓死する確率の方が高いだろう。逃げ出すとすれば、夜久の荷物を奪って逃げるしかない。その為には、夜久を殺さないといけないだろう。
 なので、夜久には周囲の警戒に行ったままユリアが逃げると言う心配は無く、特に気にせずにテントの設置に集中した。
 そして、周囲の警戒をしに行ったユリアが戻ってくると、もう既にテントの設置は済んでおり、そのテントの目の前で夜久が火を起こす準備をしていた。

「火か?」
「そうですね。ですが、ルーパーの触手がありますので簡単です」

 一見、夜久の目の前にあるのはちょっと青い木の枝の束にしか見えないが、これがルーパーの触手で、火を付けると数時間燃え続ける便利アイテムだ。

「そこらに落ちていた燃料になりそうな物を拾っておいた。使え」

 ルーパーの触手の目の前でしゃがんでいる夜久のすぐ横に、ユリアが乾いた木の枝や可燃性の高い植物を置いていく。

「おっ、ありがとうございます」

 それを見た夜久は笑顔で隣に立っているユリアを見上げ、お礼を言う。それでも、ユリアはいつも通りの冷たい目で夜久を見詰めるだけだったが、そのままその場を離れるのではなく、ルーパーの触手の束を挟んで向かい側、そこにユリアは大剣を置いて座った。
 
「それで、火はどうするんだ?」
「こうするんですよ」

 ユリアの目線の高さまで上げられた夜久の片手、その手がゆっくりと開かれるとその掌の上に炎が産まれる。それにユリアは少し驚いたような表情を見せ、その表情を見た夜久は笑顔を浮かべて、手をゆっくりと傾けた。
 手が傾けられると、まるで支えを失ったかのように火は落ち、ルーパーの触手の上へと落ちた。すると、火は一気に全体に燃え移り、大きく育った。

「お前、魔術も使えるんだな」
「専門ではありませんが、少しは扱えます」

 火の中へと、ユリアが持ってきた物を少量投げ込み、夜久はゆっくりと体を伸ばしてから、首を鳴らした。

「そういえば、お前夜久って言うんだな」

 スッキリした様な顔を見せる夜久へと、ユリアが唐突にこの話題を出す。

「あれ? 名前、言っていませんでしたっけ?」
「あの地下牢からここまでの言動を思い出せ。お前は私に名前なんて言っていない」

 この言葉を聞いて、夜久は自分の言動を振り返ってみる。が、確かに名乗った覚えは全くなかった。

「なら、なぜその名を?」
「ローズと言う人から聞いていたし、あの都市を出る時に見た通行所にもそう書いてあった」
「そうですか。いやぁ、忘れてました」
「別に良い。だが、変な名前だな」
「良く言われます。私は、極東の街出身なんですよ。そこでは、こういう名前を付けるのが当たり前で、私はこういう名前を付けられました」

 ユリアに返答しながら、夜久はリュックサックの中を漁り、その中からリンゴを取り出すと、それをユリアへと向けて投げる。
 放物線を描いて自分へと飛んできたリンゴを掴み、夜久がリュックサックからもう一つリンゴを取り出すのを見てから、ユリアはリンゴを齧り始めた。

「聞いた事がある。東には私達の文化とは、全く違うそれを持つ人達がいると」
「その人達の血を引いているのが私です。まぁ、文化は名前しか継いでいませんがね」
「そうか」

 会話が止まり、沈黙が訪れる。その中で、二人はリンゴを齧り、それぞれがそれぞれの方向へと目を向けていた。
 その沈黙の中で、夜久はある事を思い出す。それは、ユリアにこの旅の目的を話していないという事。

「そういえば、この旅の目的を話していませんでしたね」
「ん? 今更か?」
「まぁ、その今更でも共有しておきましょう。旅は長くなるでしょうから」

 こうして、夜久は初めて他人に今日から今日に掛けて起きた事を話す。もちろん、宝剣の事も全て話し、どうしてユリアを旅の共にしたのかも正直に話した。
 話を聞いたユリアは深く考えるような素振りを見せ、夜久の話が終わるとその口を開く。

「お前、良く昨日今日でそんな事が起きて、昨日今日でこんな行動が出来たな」
「今までも急な依頼と言うのは沢山ありましたし、今回もその一例です。ただ、今までとはスケールが違うと言うだけで」
「スケールが違うだけ、ね。普通ならそれは大きな違いなんだがな」
「そうかもしれませんね。ですが、その程度であたふたしていたら、仕事は務まりませんから」

 実際、昨日から今日に掛けて、何もかもが早送りで進んでいるようだった。だが、その中で適切な判断をして、適切な行動をする、夜久にとってそれは当たり前の事であり、やれなければ今まで生活できていなかった。もしかしたら、もう既に魔物に食い殺されていたかもしれない。

「さて、話す事も話しましたし、交代で休みますか。どうぞ、最初は私が見張りをしますので」

 ここで無防備に二人共眠る事は出来ない。ならば、交代制で眠るしかなく、まず最初にユリアがテントの中で眠るように、夜久が促す。

「後で良い。まだ、眠くはない」

 だが、ユリアはすぐにそれを断った。考えてみれば、二人はここまで旅をしてきたが、ユリアにとって夜久は見ず知らずの男という領域を出ないだろう。その男の傍で寝れる訳が無いのかもしれない。

「そうですか? なら、先に眠りますね。眠くなったら起してください」

 ユリアの言葉を聞いた夜久は遠慮なく自分の傍にあるリュックサックを持って、テントの中へと入っていった。
 テントの中に入ると、夜久は早速その場に寝転がり、そのまま目を閉じる。だが、そのまま眠ると言う事はしない。目を瞑ってはいるが、そのまま体を休めるだけ。決して眠らない。


 そのまま時間が流れ、夜も一層と深くなるとテントの入り口に垂れ下がっている布が捲れるような音が目を瞑っている夜久の耳に届いた。
 最初は見張りの交代だと思った夜久だが、少々様子がおかしい。仰向けになっている夜久の腹の上に何かが乗り、そのままそれが夜久の喉に冷たい何かを突きつけたのだ。
 薄眼を開けて確認してみれば、夜久の上にユリアが乗って、そのユリアが夜久の喉に武器屋で買った小剣を突き付けていた。
 夜久が起きているという事、その事自体にはユリアは気付いていないようだが、夜久の喉に小剣を突き付けたまま止まっている。
 迷っているのだろうか。それとも殺すと決めていても、その小剣で喉を斬り裂く覚悟がまだ足りていないのか。どちらにしても、ユリアのその腕は小さく震えていた。
 どうしてだろうか。夜久の上に乗っているユリアからは、あの地下牢で夜久の首を絞めていた時のユリアのような殺気を感じられなかった。
 あの時のユリアは夜久を本当に殺そうとしていた。もしかしたらあの時、夜久がナイフなどの刃物を持っていたら、そのままそれで殺されていたのかもしれない。だが、今自分の上に乗っているユリアからは何も感じない。感じるとしたら、その手から伝わる戸惑いと迷いだろう。
 そのまま寝た振りをしていると、喉に突き付けられていた冷たい感覚が離れ、何かが乗っていた感覚も離れていく。そして、またテントの出入り口に垂れている布が捲れる音が聞こえ、テントの中には夜久だけが残った。
 それを感じ取ると、夜久はゆっくりと目を開けて、そのままの格好で頭を掻く。そして、テントの入り口をしばらく眺めてから小さな微笑みを浮かべ、また仰向けに横になるとそのまま目を閉じ、今度は本当に眠りに入る体勢になった。
 だが、結局その後眠る事は無く、しばらく時間が経ってから、夜久はテントの外へと出ていった。
 外へと出ると、火の前にユリアは座っていた。大剣をすぐ隣に置き、ジッと火を見詰めているように見えるユリアへと後ろから近づき、夜久はその肩の上にポンっと手を置く。

「交代しますよ。朝になったらすぐに出ますので、それまで…」

 そこまで言った所で夜久は気付く。ユリアがその目を閉じ、座りながら眠っているという事に。
 これでは見張りにはならないのだが、考えてみれば彼女にとってこうやって眠れるのは数日ぶりなのかもしれない。捕まった後はずっと牢獄の中だったと本人も言っていたし、牢獄の中ではゆっくりも眠れなかっただろう。
 夜久は起こさないようにユリアを抱きかかえ、その軽さにちょっと驚きながらもテントの中へと移動し、そこにユリアを寝かすと、リュックサックの中から毛布を出して、それをユリアに掛ける。そして、自分はテントの外へと出て火の前に座り、火を眺めながら朝になるのを待つのであった。



 次の日の朝、早くに支度をして既に歩き始めていた二人の目の前に広大な森が現れる。だが、森とはいってもその入口には関所のような施設があり、そこには数人の人の姿があった。
 その数人の人の中の一人、その人の前に夜久はおり、その人と話していた。

「今は通れないよ。ほら、見てみな」

 その人、行商人だと思われる男性が森の入口に設けられた門を指差す。そこには数人の傭兵が立っており、誰も通さんとその目を光らしていた。

「何処かの貴族様が、この森の中で魔物狩りをしているんだそうだ。それに伴って、森は封鎖されてるよ」
「封鎖? そんな事が出来るんですか?」
「膨大な金があれば、閉鎖出来るんじゃないか。実際、この森を抜けるには中央に作られた一本道を行くしかないし、そこを塞げばもう封鎖に近い状態だ。こちらは迷惑しているがね」

 今夜久達の目の前にある森はまず最初の目的地、ユールの街に行く為には通らないといけないユアルの森。その森は深くて広大な森だが、その中央にはその森を抜ける為に作られた一本道があり、そこを通るだけで向こう側に抜けられる。
 だが、その一本道の入り口を封鎖されたとなると、ここを抜ける手段は断たれたと言っても過言ではない。
 森の中に作られた一本道。それを無視して森の中を歩いていこうとすれば、森の中は魔物の巣。大勢の魔物に襲われる可能性が高く、危険だ。
 だからといって、森を迂回して行こうと思っても、この森は山脈と山脈の隙間にできた森、その先に抜けようと思ったらその山脈を越えないといけない。森を抜けるよりも過酷で、厳しい。

「いつから、あのような状態に?」
「もう、一週間じゃないか? この森の主を狩らない限り、この封鎖は解かれないだろうよ」
「そうですか。ありがとうございます」

 男性にお礼を言ってから、夜久は離れた場所で森の入口に作られた門へと目を向けているユリアの下へと戻る。

「で、どうだった?」

 その夜久に気付いたユリアが夜久へと顔を向ける。

「駄目ですね。どうやら、何処かの貴族が森の中で魔物狩りをしているようで、道を封鎖しているみたいです」
「貴族が魔物狩り? 何でそんな事をするんだ?」
「自分で狩った魔物を剥製にし、それを家に飾って自慢するんでしょう」

 一部の貴族の間では、自分で狩った魔物を剥製にし、それを家に飾って自慢する連中がいる。もちろん、自分で狩ったというのは建前で、実際は雇った傭兵が魔物を狩り、それを自分が狩ったと言い張るのだ。

「迷惑な奴らだ」
「困りましたね。この森を抜けないといけないのですが…」
「他に道は無いのか?」
「あの道を行く以外ですか? あとは、けもの道を行って森を抜けるしかありませんね」
「それで良いじゃないか。大体の方角は解るんだろ?」
「そう簡単に言われてもですね。森は魔物の巣みたいな所です。下手に行ったら遭遇率が高くなって、連続戦闘も避けられなくなるかもしれませんよ」
「別に平気だ。行くぞ」

 門から離れた場所、そこから森の中に入ろうとするユリアの後ろ姿を眺めながら夜久は大きな溜息を吐き、急いでそれに追いつく。

「危険ですよ。良いんですか?」
「ここで立ち往生するよりはマシだ」
「まったく、何が起きても知らないですよ」

 ユリアと並んで、夜久は森の中へと入っていく。
 やはり、何の整備もされず自然のままで育ってきた森。道と言う道は無く、ただ通れる場所を探してそこを通るだけ。大体の方角は夜久が知っており、旅の必需品のコンパスも使っているので迷うと言う事はなさそうだが、道のりは長い。

「いつ、何が起きるのか解りません。常に周囲を警戒していくださいね」
「解っている」
「なら、気付いています? もう、つけられていますよ」

 夜久とユリアの両横と真後ろ。近づきすぎず離れすぎない所で何かが動いている。しかも、二人の動きに合わせている所があり、完全二人の後をつけている。

「魔物だな。ウルフ系か?」
「習性としてはそうですね。集団で狩りをし、狩る前に獲物を観察する。多分、そうでしょう」

 ウルフ系の魔物とは、外見は狼そっくりで、群れで暮らしている魔物の事。狼と同じく、その強力な顎と鋭い爪、その体に備わった運動能力は侮れず、油断すればすぐに首を掻き切られてしまうだろう。

「いつ来る?」
「分かりません。ですが、戦闘の準備はしておいてください」
「分かっている」

 もう既に、ユリアは背中の大剣の柄に手を掛けていた。それを見て、夜久は腰に掛けてある剣の柄に手を掛け、いつでも引き抜ける体勢へと入る。
 瞬間、目の前にある木の枝がガサガサっと動いた。

「木の上です!」
「くっ!」

 なんと、木の枝の上からウルフがユリア目掛けて飛びかかってきたのだ。それを引き金に、左右と後ろからもウルフが現れてユリアと夜久へと駆けだす。
 夜久とユリア、二人共自分達が置かれている状況を瞬時に判断し、まずユリアが背中に背負った大剣を振るい、木の枝の上から襲いかかってきたウルフをなぎ払う。そして、そのままの勢いで左から襲いかかってきたウルフを大剣で叩き潰した。
 一方、夜久はほぼ同時に襲いかかってきた二匹のウルフを、一匹は剣で急所を斬り、もう一匹は魔術を操り、氷でできた刃で腹を突き刺す。
 一気に二人の周囲には四匹のウルフの死体が出来たが、なぜかこれ以上のウルフは何処からも出てこなかった。

「逃げた?」
「おかしいですね。あと数匹いてもおかしくはなかったんですが」

 お互い剣に付いた血を払い、鞘に収めながら周囲を見渡す。だが、先程まで感じられた生き物の気配や聞こえていた息遣いは消え、何もない森がそこには存在していた。

「まぁ、どちらにしてもウルフの縄張りの中にいるのは確かです。気を付けていきましょう」
「そうみたいだな」

 ある方向を見詰めながら、ユリアが言う。

「どうかしましたか?」

 ユリアの隣に並び、その視線の先に目を向けた夜久の目に飛び込んだのは食いちぎられた人の手。良く良く見てみればその周囲にはかつて人だった物が食い散らかされており、夜久は少々眉を顰めた。

「私達と同じ考えを持ち、実行した者の末路ですかね。ならば、この周辺に…」

 夜久は食い散らかされたそれを跨ぎながら、その周辺で何かを探し始める。一方、ユリは少し離れた場所で夜久からと言うより、その死体から目を離すように背を向けて、周囲を警戒していた。

「おっ、ありましたありました」

 何かを発見しユリアの下へと戻ってきた夜久の手には食い散らかされた死体の荷物だったであろうリュックサックがあった。

「それをどうするんだ?」
「使えそうな物を拝借します」
「…泥棒紛いの事を?」
「まぁ、ここに放置されて使えなくなるのを待つよりは、私達に拾われた方が良いでしょう。あっ、お金も結構入っていますね」

 拾ったリュックサックの中を漁り、使えそうな物を自分のリュックサックの中へと入れていく夜久。その姿を冷たい視線でユリアは見詰めていたが、ある音がその耳に入るとバッとその音の方向へと顔を向ける。

「夜久…」
「ええ、分かっていますよ。大物ですね」

 拾ったリュックサックから取り出した物を自分の方へと入れ終え、それを背負うと同時に夜久はユリアと同じ方向へと目を向ける。
 すると、その先から堂々と姿を現したのは先程よりも何倍も体の大きいウルフだった。

「参りましたね。親玉登場ですか」
「くそ、さっき逃げ出した奴が連れてきたのか」

 ユリアが大剣を引き抜き、夜久は地面に置いてある先程の死体のリュックサックをその手に取る。そして、自分の剣を一本引き抜いてから、手に持ったリュックサックをそのウルフの顔面目掛けて投げた。
 投げられたリュックサックはその前足によって弾き飛ばされたが、そのリュックサックで出来た死角で大剣を持ったユリアが既にその懐に潜り込んだ。
 その姿を見ると、夜久は背負っているリュックサックを下ろし、空いている手でもう一本の剣を引き抜いた。そして、横から襲いかかってきた小さなウルフをその剣でなぎ払う。

「ユリア! 援護は期待しないでください! 雑魚が湧いてきました!」
「話しかけるな! こっちはもう手一杯だ!」

 襲いかかるウルフの親玉の爪を避けながら、ユリアは攻撃の機会を窺っている。その姿をチラリと見ると、夜久は自分の目の前で威嚇しているウルフ達へと目を向けた。

「こっちも、手一杯になりそうですよ」

 両手に持った二本の剣の柄を強く握り、その感覚を確かめる。そして、姿勢を低くしながら足を踏ん張り、一気にその地面を蹴った。
 自分からウルフの群れに飛び込み、夜久はその両手に持った剣でウルフを斬り、時に魔術で焼き払ったり、切り刻んだりする。だが、それでもなかなかウルフの数は減らず、ただ時間が過ぎて体力が削られていくだけ。

「はぁ、はぁ、押されてるようだな」
「そっちこそ、息が切れてますよ」

 やがて、二人は徐々に追い込まれて、離れていたはずが背と背が付くのではないかという距離まで近づいていた。

「そっちはどうですか?」
「馬鹿みたいな腕力で剣を弾きやがる。その上、瞬発力も高い」
「こっちはただ単に数が多いですね。やってられません」
「それはこっちの台詞だっ」

 後ろにいるユリアが離れていくのを感じ、夜久も目の前で威嚇しているウルフの群れへともう一度飛び込む。だが、そのウルフを斬っていくうちに段々と剣が劣化し始めた。その刀身はボロボロになり、切れ味なんてものは殆どなくなる。斬ろうとしても棒で殴っているという感覚した手に伝わらず、実際斬れなくなっていた。
 一本目が駄目になり、やがてもう一本も駄目になる。だが、この状況でナイフに持ち替え、この場を持ちこたえる自信は夜久にはなく、そのまま二本の剣でウルフの急所を殴り、殺していった。
 斬れなくなった剣でも凶器には変わりなく、確実にウルフは殺せた。だがやはり、数が多すぎる。

「があっ!」

 飛びかかってきたウルフを持っている剣でなぎ払い、木に叩きつけた所で後ろから悲痛な声が聞こえてきた。その声を聞いて夜久が振り返れば、そこには岩に体を叩きつけられて、そのまま地面へと倒れ込んだユリアの姿があった。

「くそっ!」

 自分へと襲いかかるウルフ達を一気に斬り払い、夜久はユリアの下へと駆け寄った。

「ユリア! 大丈夫ですか! ユリア!」

 肩を揺らしてその名を呼ぶが、ユリアからの返事は全くない。頭を岩で強く打ってしまったのか、気絶してしまっている。

「こんな時に…」

 気絶しているユリアの肩から手を離し、後ろを振り返ってみれば目の鼻の先にはウルフの親玉の姿があり、その後ろではその子分達が周囲を包囲するように並んでいる。

「さて、どうしましょうか」

 ユリアは気絶し、自分がウルフの親玉へと向けている二本の剣はもう殆ど使い物にならない。だからと言って、ナイフに持ち替えてもあの大きさでは肉は切れても内臓には届かない。つまり、急所には届かない。
 魔物の場合、ちょっとやそっと傷ついても怯まない者が多いので、確実に急所を狙わなければ反撃されてしまう可能性が高い。もちろん、反撃されて、それをまともに受ければ夜久は死ぬ。
 選択肢は少ないが、どれもこれもが危険で死ぬ確率が高い。もうその覚悟で飛び込むか、それとも…。
 夜久は後ろで倒れているユリアへと目を向ける。そして、もう一度目の前にいるウルフの親玉へと目を向けると、ニヤリと笑った。

「それは、できませんよね?」

 一気に地面を蹴り、素早くウルフの親玉の懐に入る。これによって、ウルフの親玉は夜久の攻撃範囲の中へと入り、同時に夜久もその攻撃範囲へと入っていった。
 夜久がその両手の剣のうち、右手の剣をウルフの親玉の胸を狙って突きだす。それと同時に、ウルフの親玉もその前足を動かし、右前足で夜久をなぎ払う体制へと入った。
 それを見た夜久はすぐに左手に持った剣を防御に回し、それを受ける体勢に入った。そして、右手に持った剣のその先がウルフの親玉の胸に当たる。

「なっ」

 パキンという情けない音を立てながら、剣が折れた。
 折れた剣先が、まるでスローモーションのように、ゆっくりと地面へと落ちていく。敗北を夜久に知らしめるようにゆっくりと。
 そして、カランという音を立ててそれが地面に落ちると同時に、夜久の左半身に衝撃が走った。

「がはっ!」

 爪自体は剣で防いだが、その衝撃自体が夜久の体をまるでボールのように弾き、近くにある木に叩きつけた。
 叩きつけられた後、受け身も取れずに地面へと落ち、朦朧とする意識の中で夜久が左手に持った剣へと目を向けてみると、柄より先にあったはずの刀身がごっそりと削られていた。
 この時、夜久は死を覚悟した。自分が住んでいる都市を旅立って二日。たった二日で死ぬなんて情けなかった。帰ると言ったのに、帰れない自分が情けなかった。だが、現実は非情だ。なんせもう、その牙が止めを刺さんと夜久へと迫ってきているのだから。
 カチッと耳元で音がする。

「ガアアアアッ!」

 一瞬だった。夜久へと迫っていた牙、その口から悲痛な叫びが生まれる。そして、その巨体がグラリと揺らぐと、そのままウルフの親玉は地面に倒れた。
 その体からはおびただしい程の量の血が流れ、血の水たまりを作っていく。それを驚いた表情で眺めていた夜久だが、その巨体のすぐ横に立っているそれを見て、さらに驚いた。
 そこには大剣を持ったユリアが立っていたのだ。だが、その雰囲気はいつもと違う。まるで周りが凍りつくように冷たく、突き刺すような何かを全身に感じる。

「ユリ…ア…」

 その名を呼んでみても、そこに立っているユリアは何の反応も示さない。代わりに、手に持っている大剣を空高く掲げ、それをまるで回転するようになぎ払った。
 瞬間、ユリアの周りを包囲していたウルフ達が内側から爆発したかのように飛び散り、跡形もなくなってしまう。
 それを見た夜久は、とんでもない人を旅の共にしたと思った。

「どういう事でしょうか…ね」

 そう夜久が呟くと同時に、まるで役目を終えたかのようにユリアの体が地面に倒れる。それを確認すると、しばらく夜久は息を整えてから立ち上がり、折れた剣をその場に捨てると、ユリアの下へとゆっくりと歩み寄った。
 そこにいたユリアは先程の雰囲気を持ってはおらず、ただ眠っている女性にしか見えない。脈も正常で、熱もない。体はいたって健康だった。

「生きていますか? おーい」

 先程までの緊張感をぶち壊すかのような発言と、ユリアの頬を人差し指で突くと言う行動。だが、それでもユリアは目を覚まさず、夜久は仰ぐように空を見上げた。

「ああ、生きていますね。どうやら、枷が一つ、外れてしまったようですね。貴女も、私も」

 大きく深呼吸をし、夜久はユリアへと目を向ける。そして、近くに会った自分のリュックサックを背負おうとした。

「誰かいるのか!?」

 夜久がリュックサックを背負い終えるか終らないかという所で、木々の間から誰かがやってきた。
 その誰かとは後ろに沢山の傭兵を従え、その体を鎧で固めた青年。

「お前! こんな所で何をしている!?」
「何って、リュックを背負っているんです」
「そんな事を聞いているんじゃない! どうしてここにいるのか…」

 ここで青年が夜久達のすぐ傍で横たわっているウルフの親玉に気が付く。

「お前、あれはお前がやったのか!?」
「そうですね」
「ちっ!」

 夜久に聞こえるほどの大きな舌打ち。もしかしたら、この森に狩りに来ている貴族とは今夜久の目の前にいる青年なのかもしれない。

「お前、あれを俺に売らないか?」
「あれ?」
「あのウルフの死体だ」
「あれを?」

 少々信じられない言葉だったが、夜久はウルフへと目を向けたまま少し考えた後に、青年へと目を戻す。

「良いですよ。いくらで?」
「ちょっと待ちな。おいっ」

 青年は後ろにいる傭兵らしき人達の中でもちょっと高級そうな鎧を着た人を呼び、その人から袋を受け取る。そして、それを夜久へと向かって投げた。
 自分へと向かってくるその袋を受け取り、夜久が紐を解いて中を覗き込んでみれば一番最初にモックレート達に貰った額とほぼ同じ額がそこに入っていた。

「ほぅ、こんなに貰えるんですか?」
「交渉成立だな。さぁ、お前達、このウルフを運ぶ準備をするんだ」

 その声と共に、青年の後ろにいた傭兵達がウルフの死体の周りを包囲する。それを確認すると、夜久はリュックサックの中に貰ったお金を入れ、倒れているユリアの下へと歩いていき、まずユリアの大剣をその鞘に納め、その鞘に括られた紐を肩に掛けた。その後、ユリアの体を抱き上げる。

「ああ、一つ質問良いですか」
「何?」

 ユリアを抱えた夜久が青年に話しかけると、青年は不機嫌そうに言葉を返した。

「いや、森の向こうに抜けたいのですが、どちらに行けば良いでしょうか?」
「森を抜ける? それなら、俺らが来た方向を戻れば中央の一本道に出る」
「ありがとうございます」

 そう言って、青年の横を通り過ぎる夜久。だが、その足はすぐに止められる事となった。

「ちょっと待つんだ。その女、何処かで見た事ある」

 青年に呼び止められ、夜久の足は止まる。すると、すぐに青年が近づいてきて夜久が抱いているユリアの顔をマジマジと見始めた。

「やっぱり、何処かで見た事ある顔だ」

 もしかしたら、この貴族は何処かでユリアの事を聞いたのかもしれない。ならば、このユリアが大罪者だという事も知っているだろう。だが、それを今気付かれると、後が面倒だった。

「そんな事ないですよ。彼女は…いえ、私の妻はローレンスから出た事がないのですから」
「ローレンス? あの大都市のローレンス?」
「ええ。私達が住んでいた都市です。そこから一歩も出た事が無いのに、貴族様が知っている訳がありません」
「そうだな。似ている顔を見た事あるだけかもしれない。行けっ」
「失礼します」

 急いで青年から離れ、夜久はさっさとこの場から離れる。そして、森の木々の間を真っすぐ歩いて、青年が言ったとおり森の中央にある一本道へと歩いていった。

「また魔物に襲われなければ、良いんですがね」

 空へと目を向けても、木々の葉が邪魔して見えなかった。

 

 


 ~あとがき~

 どこかで読んだことがあると思う人は少ないと思いますが、その違和感を抱えていらっしゃる方は正常です。過去に投稿したものを再度編集して投稿しております。
 所々変わりますが、読んだことがある人のほうが珍しいので問題ないでしょう。ちょっとでも楽しんでくれたら、嬉しいです








[29833] パートナー
Name: No.145363◆b1c7f986 ID:93051e7d
Date: 2011/10/05 23:49
 空で輝く太陽が、地上の全てを照らしている。
 目を細め、その太陽を見上げたとしても、体に掛かる重量は減らない。目を背けたい事に対してもちゃんと見ろと光で照らしてくるにもかかわらず、何もせずに見守ってくれる空のお人好し。
 いや、太陽に対して、“お前を見上げてやったから俺の体に圧し掛かっているこの重量を軽くしろ”というのは酷なのかもしれない。所詮奴は照らすだけ、限界が近い夜久の助けになる様なお助けキャラじゃない。

「かっ、はぁっ、はぁっ」

 キンッという金属音と共に、歩いていた夜久の体が止まる。
 体の後ろから圧し掛かる約二十キロの重さ、これに関しては自然と体全体に重みが分散される形となっているし、旅での必需品が詰まっているので不満は言うまい。
 なら、その背中とは逆、腕に抱いている約五十キロ程度の重みはどうだろうか。お姫様抱っこという奴は、乙女は誰でも憧れると聞いてはいるが、やる方は辛いのだとこの短時間で何度思った事か分からない。しかもこっちは腕にだけかなりの負荷がかかる。
 元々夜久と殆ど背の高さも変わらないし、固定できない為に歩くだけで重心が左右上下へ微妙に変わる。しかし、こちらも背負っているリュックと同じ、いや、それ以上に尊重するべき者なので、そこらにポイっと捨てるわけにはいかない。
 ならば、肩に掛けてほぼ引き摺る形で持ち運んでいる大剣を捨てようか。これは重量が十キロ以上あるし、刀身の長さに対しての正確な持ち方が今は出来ないので、引きずるしかない。その引きずるという行為が、さらに体に負荷を掛ける。
 だがしかしだけどなれど(☓)、これはかなりの大金を叩いて買った物。これを捨てるという事はそのお金を捨てるという事になり、捨てればもちろん次の町で起きたユリアに新しい武器を要求される。それでまた同じくらいの大金を払うと考えると、これまた捨てられない。
 もちろん、自分の武器も同様だ。
 こんな状態で、魔物に襲われないのが幸いか、それとも神の助けか。どちらにしても、神がいるならば、誰か今すぐに『夜久体力を回復してくれ』と頼んで欲しかった。

「はぁー、はぁー」

 立ち止まった体、今のうちに息を整えて少しでも体力の回復を。
 頑張らないといけない。時間が過ぎていくにつれて、魔物に遭遇する確率はあがっていくだけ。武器である二本の剣は折れて使いものにならない。予備として用意しているナイフでは、多数を相手するには心細い。
 一歩一歩、短い歩幅で進む距離は小さい。しかし、それでも頑張れる光景が目の前にある。

「やっと―ここまで―」

 目の前には、ユールの街を囲う柵が見えている。高く、頑丈に、隙間無く作られたその柵の合間には、街へと入る者を監視する検問所が設置されている。
 やっとここまで辿り着いた。あの戦いからもう既にかなりの時間が経ち、太陽は西の空の低い所で浮かんでいる。
 “この試練がやっと終わる”と、夜久は検問所へと向かって一歩一歩歩いていく。先程までとは違い、少しだけ早いその歩行スピード。それでも十五分という時間を掛けて、検問所へとやっと足を踏み入れた。

「お、おい。大丈夫か?」

 検問所の中にいる兵士が、その疲労困憊の夜久を見て声を掛ける。

「いえ、大丈夫です。すぐに手続きを」

 腕に抱いたユリアを壁に背を預けて床に座らせ、次にリュックを背から降ろして中から通行証を取り出した。

「通行証です」

 取り出した通行証を差し出し、兵士がそれを受け取る。
 受け取ったそれを眺めると、兵士は何かを記録用の本に書き込んでいく。

「あっちは?」

 目配せをしながら、兵士がまだ意識を取り戻さないユリアの事を問う。

「そこに書いてありませんか? 妻です」
「病持ちか?」
「いえ、先程魔物に襲われましてね。それでちょっと―面倒な事に」

 嘘は言っていない。
 喋る夜久の瞳をジッと見つめていた兵士は、傍らに置いてあった判子を何かを書き込んだ本のページへと押し、そのページを破ると通行証と共に夜久へと渡す。

「どうも」

 返された通行証と、数字や自分の名前などが書かれ、判子が押されたその紙をリュックの中へと仕舞い、再度それを背負う。そして、壁に背を預けて座らせたユリアをまた抱き上げる。

「ああ、そうだ。宿屋って、何処にありますか?」

 ここから離れる前にと、夜久が兵士へと問いかける。

「そこら中にあるぞ」

 複写された本を閉じながら、兵士が答える。
 確かに街には沢山の宿屋があるだろう。ならば、質問を変えなければ。

「それでは、一番近い宿屋は何処ですか?」
「前の道を少し行った先、右側だ」
「ありがとうございます」

 小さな笑み。それを向けた兵士へと背を向けて、検問所から出ていく。
 検問所の前にある道を歩き、少し街の奥へと入っていけば、すぐに道を行く人の数が多くなっていく。
 その中を、大きなリュックを背負い、腕に動かない女性を抱えている夜久が歩いていれば、目立たないわけがなかった。
 何か変な誤解をされるかもしれない。しかし、誤解をされたからといってあの通行証があれば、ユリアをどうこうした結果に持ち運んでいるという事件へと発展する事はないだろう。
 しかし、目立つのは良くない。事件へ発展しなくても、変な噂が流れるのはもっと良くない。ここでは街の人から色々と情報を聞き出さないといけないに、変な噂が流れればそれに支障が出る。
 周囲を見渡し、『inn』と書かれた看板を見つけると、夜久はそそくさとその看板が掛けてあった建物へと入っていった。
 扉を開けて中に入ると、ロビーには数人の人がいた。
 テーブルを挟んだ椅子にそれぞれ座り、談笑する者。また、椅子に座りながら新聞を広げ、テーブルの上に置いたコーヒーを啜る者。
 その人達が一斉に、宿屋の中へと入った夜久へと目を向ける。
 ロビーにいる殆どの者の視線が集まる中、夜久はカウンターへと歩いていく。

「はいはい。いらっしゃい」

 カウンターには一人の女性が立っている。

「すいません。泊まりたいのですが」
「一部屋で?」
「あっ―ふた―」

 二部屋と言おうとして、口を閉じる。

「ええ、一部屋で。でも、二人用の部屋でお願いしますね」
「分かった。何泊?」
「そうですね。彼女が起きて、回復するまでです」

 どれくらい時間がかかるかは分からない。看た所、外傷もないし内出血もなさそうなので、とりあえず今日は様子を見て、明日まで起きなかったら医者を呼ばないといけない。

「それじゃあ、先に三泊分の料金を貰うわ」
「そういうシステムなんですか?」
「ええ。一・二泊で済むなら払い戻し、三泊以上ならその都度追加」
「まぁ、問題は無いでしょう。いくらで?」

 提示された金額を払い、夜久は差し出された鍵を受け取る。

「二階の一番奥から二番目よ」
「ありがとうございます」

 ユリアを抱いている為、動きがほとんど規制された手でカギを握り、二階へと続く階段を見上げる。
 これからこれを上るのかと思うと気が滅入るが、この先ではやっとゆっくり休める。気合を入れるように溜め息を吐くという矛盾な行動を取りながら、夜久は階段へと歩みを進める。
 ギィ、ギィと階段を一歩一歩、上へと上がるたびに音が鳴る。それがまるで、自身の体の悲鳴のような気がしたが、それでも階段を上り切る。
 ここでもう息が切れていたが、そのままゆっくりと借りた部屋の前へと向かい、手首から先しか動かせない手でカギを開け、ドアを開いた。
 ドアを開いた先にある廊下を行き、二つ並んだベッドがある部屋へと入る。そこで、片方のベッドにユリアを寝かし、夜久は背負っているリュックと大剣を床に下ろした。

「はぁ」

 肩を動かすだけでパキパキ音が鳴る。
 これでもう、体の力を抜いて良いと勝手に体が判断したのか、力がどんどん抜けていく。このまま、ベッドへと倒れ込んでも良かったのだが、夜久はこのままベッドへと寝転がりたくない理由があった。
 リュックは二十キロ以上、大剣は十キロ程度。腕に抱いていたユリアは五十キロ程度としておこう。女性の体重をどうこう言うのは男としてやってはいけない事だ。
 合計八十キロ。体全体に掛かっていた重量をそのままに十数キロメートルも歩いてきた。
 体力が限界なのは当たり前として、尋常じゃないほど汗をかいた。服が汗を吸い、ハッキリ言って臭い。

「さて―」

 リュックの中にあった水を飲んでから、着替えを取り出す。
 大体、宿屋の部屋にはシャワー室が備えられている。そこで汗を流し、それなりにスッキリしてから新しい服へと着替え、更にスッキリする。
 肉体的にも気持ち的にもスッキリ。後は体力的にスッキリするだけなのだが、ユリアが起きた時に同室になった言い訳をどうしようか。ベッドの上に横になりながらそんな事を考えていると、すぐに眠りはやってきた。







 夢というのは、この歳になって余り見なくなっていた。
 子供の頃は毎日のように見ていたような記憶があるが、大人になると一週間に一度あるかないか。見た夢をただ忘れているだけだ。そう言ってしまえば終わりなのだが、もちろん憶えている夢だってある。
 いや、これは夢といえるのだろうか。夢も何もない暗闇の中で、何かの息遣いが聞こえているだけ。
 それしか無い暗闇の中で、やがてゆっくりと目を開く。

「んっ」

 あれは夢だったか、それとも覚醒前に眠っていた自分の息遣いを聞いていただけか、目を覚ました夜久は体を起き上げ、額に手を当てた。
 疲労感はもうない。完全とは言い切れないが、それなりに体力は回復したようだ。

「起きたか」

 声が聞こえてきた。
 今、夜久がいるのは宿屋の一室。声が聞こえてくるとすれば―。

「それはこっちのセリフですね」

 隣のベッドへと目を向けると、運んだ時とは違う服を着ているユリアがそこに座っている。

「どうやら私は、お前に助けられたらしいな」

 手に持っている鞘に収まった大剣。その剣先を床に付け、ユリアは言う。

「あのウルフを倒せるんだ。お前は私より強いだろう。逃げるのは、考えない事にする」

 この言葉を聞き、夜久には疑問が生まれた。しかし、それを口に出す事はしない。

「全てが終わるまで、お前に付いていこう。剣士として、誓う」

 目を閉じる。暗い、表情のまま、目を閉じてしまった。
 その行動を見て、夜久は少し考えた。

「まぁ、そうお堅く考えず、気楽に行きましょう。どうせもう人生共同体、死ぬも生きるも二人同じですから」

 そう言いながらも、思考は全く違う。
 ユリアは先の言葉で、夜久がウルフを倒したと言っていたが、実際それは違う。夜久の目の前で、その言葉を発した本人が倒した。
 こんな所で嘘を付く必要はない。それによって訪れるユリアのメリットが無い。ならどうして、夜久がウルフを倒したという結論に至ったのか。
 あの時の事を全て見ていて、憶えていたのならばもちろんその結論には至らない。完全に夜久は劣勢であり、あのままでは食い殺されていただろう。つまり、ユリアには一部記憶が削ぎ落とされているという事になる。多分、最初に気絶してからの記憶が。だからこそ、助かったという事は夜久がウルフを倒したという事だと判断した。
 なら、あの時動いていたユリアは何だったのか。確かに、あの時ユリアはその足で立ち、大剣を振るって必殺の一撃を放った。それは夜久が目の前で見ていたし、事実である。
 あのウルフを倒した時のユリアの脳は、物事を記憶するという事を、忘れていたのだろうか。酒に溺れて、翌日起きてみたら家にいたけれども、帰ってきた記憶が無いのと同じ。そう決めつければ―頭を強く打ったというそれを考えれば、無理矢理納得できるかもしれない。
 しかし、腑に落ちない。喉に何かが詰まっているような感覚。
 考えても何も答えは出てこないが、どうにしろ、余りこの事は口にしない方が良いだろう。

「それに、貴方は綺麗な人ですから、一緒に旅ができて光栄ですよ」

 疑問と本心を入れ替え、出てきた言葉が話題を逸らす。
 流れる様な金髪と、命が灯る赤い瞳。それなりに整った顔と綺麗な白い肌に、適度に筋肉が付いて引き締まった体。
 実際、夜久が今まで見た女性の中でも、ユリアは上位に入るほどの人材である。

「お前は―」

 そんなユリアが、剣先へと向けていた目を夜久へと向ける。

「優しい人間でしょう?」
「―本当に馬鹿だな」

 逆の意味の褒め言葉なのか、それともただ純粋にそう思っているだけなのか、どちらか良く解らなかったが、夜久は気にしない事にした。

「褒め言葉として、受け取っておきます。」

 寝癖で跳ね上がった自分の黒い髪の毛を摘みながら、夜久は話を続ける。

「さて、これからの事ですが。とりあえず今日は体を休めましょう。あんな事があった後です。全快していると思っていても、疲れは残っているもの。まずはそれを取り除きましょう」
「別に良いが、急ぐ仕事では?」
「そうですね。急いだ方が良いでしょう。でも、人間ヤル気というのが大切で」
「それが今は欠けていると」
「そうです。なんか今日は、もう動きたくなくて」

 かなりの重量を背負っての数時間耐久ハイキングを終えた後である。少し眠ったとはいえ、どうやら完全に疲れはとれていないらしい。

「体がだるいんです。少し、無理しすぎたからかもしれません」

 動こうとする度に、体に鉛の様な重い何かが圧し掛かってくるよう。動く事を拒否している体は、休めと訴えかけている。

「そう―か。すまない」

 少しは表情が戻ってきていたが、先の夜久の発言により、またユリアの表情が曇る。
 責任は自分にあると思っているのだろうか。そうではないのだが、言葉にはあまり自信が無かった。

「お互い様でしょう? 後頭部を強く打ったみたいでしたが、どうですか?」
「あ、そうだな。特に異常はない。思考は鮮明だし、少し動いてみたが麻痺している個所もない」
「まだ油断しないでくださいね。内出血しているかもしれません。目眩がしたり、平行感覚が鈍ってきたり、麻痺が出てきたらすぐに言って下さい」
「―ああ」

 治癒術には限界がある為、そういう症状を見逃さないのが仲間を失わない第一歩となるのだが、どうやらその心掛けがユリアには引っかかったようで。

「なん―なんだろうな。嫌な引っかかりがある」

 夜久の微笑みの前で、ユリアがまた視線を下げる。

「おや? 引っかかりですか?」
「いや―私は―」

 下げた視線が定まっていない。
 夜久へと顔を上げる事はせずに、床やベッドの脚などにうつらうつらと揺らめいている。

「大丈夫ですか? 安静にしていた方が―」
「大丈夫だ。ただ―」

 牢獄での生活の影響が今更になって心に現れたのか、それとも他の何かか。どちらにしても、夜久にはユリアの心は読めない。
 しかし、ユリアの心が乱れているのは判る。

「心が乱れているみたいですね。吐き出せるものならば、吐き出してください。大丈夫です。どうもしませんから」

 放っておけば、勝手に安定するだろう。ユリアはもう子供ではないし、自分自身で整理くらいは出来る。
 しかし、これから旅をする以上、体調の変化や心の変化、その他諸々に配慮しないといけないのは当たり前。それによって、魔物への戦いに支障が出ればその人が殺されるのはもちろん、そこから大崩れして二人とも死ぬかもしれない。
 それを防ぐために出来るだけ、話しあって相手の事は知っておきたい。

「すまない。変な気を使わせてしまって」
「いいえ。コミュニケーションは大切ですからね。何でもかんでもそれから始まりますよ。それに、夫婦仲も円満にしておかないと」

 ちょっとした冗談のつもりだったのだが―。

「……いいか。私とお前は夫婦という設定だが、あくまで設定だからな」

 ギッと大剣の柄を思いっきり握るような音が聞こえてきた。
 通行証を初めて見せた時は大人な対応で、こんな反応はしなかったが、なぜか危険な方へと向かっているみたいである。
 ゴゴゴッと地鳴りのような威圧感を感じながら、しばらくこの話題は避けた方がよさそうだと、夜久は思うのであった。

「ま、まぁ。冗談は置いといて。出来るだけ万全な状態を保ちたいのは事実です。迷いが生まれ、剣が鈍るのは避けたいですからね」

 これ以上変な事を言えば、迷いなく断ち切られそうなのも避けておきたかった。

「そうか」
「なので、言いたい事があれば言って下さい。それによって、相手を知る事が出来るかもしれません。」

 小さな間。
 何も言わず、待ったその間の後、ユリアが口を開く。

「お前は、私と一緒に旅をするのが怖くないのか?」

 その口から何が出てくるのかと思ったが、そんな事だった。

「今更ですか? 今までの対応を見ていれば、解ると思いますが」

 その言葉の通りだった。
 夜久はユリアを恐れるような素振りを全く見せてはいない。実際に恐れというそれは夜久の中の何処にもないし、これからも生まれる事もないだろう。

「私は、人を殺したんだ。それも一人や二人じゃない、何十、百単位でな」

 ユリアが犯したという罪は人殺し。
 ローレンスからいくつもの海を挟み、遠く離れた東にあるアーナ港、そこへと向かう船に乗船していた乗客を全員殺した。
 それが真実かどうかなんて夜久は知らない。実際にそこにいて、その現場を見たわけじゃない。ただ、殺したという話を聞いただけ。
 だが、実際にユリアは捕まり、牢獄へ入れられ、死刑が決まっていた。これを聞けば、世間一般的には残虐な人間という印象が付きまとうだろう。

「結果、今までそれ相応の対応を受けてきた。恐怖の顔を見せる者もいた。怒りの顔を見せる者もいた。だが、それは遠巻きに見えるもの。決して私に近づこうとする者はいなかった。兵士以外はな」

 本当に誰も近づかなかったら誰が牢獄に入れたのか、それとも自分から入ったのかというツッコミが思いついたが、そういう雰囲気でもないので夜久は口にするのを止める。

「ああ、捕まった私に色目を向けるバカもいたな。体の自由が奪われているからこその行動だったんだろうが、動いた足で何本か折ってやった」

 何を何本折ったのかは知らないが、なぜか股間が痛くなる言葉。
 “我々の業界ではご褒美です”というそれに属していない為、とっさに股間を押さえたくなったのは、男の本能である。

「それに加えて、拷問もあった。憂さ晴らしなんだろう。―いや、これは話しても意味はないか」

 ここで言葉を止め、ユリアは少しだけ鞘から大剣の刀身を覗かせる。

「こうしている間にも」

 十キロという重量がある大剣だとは思えないほど速い抜刀。
 鞘が床を転がり、大剣の刃が夜久の首を捉える。

「首を刎ねられたりしないかと、思わないのか?」

 本気ならば、鞘の横にはもう一つ転がる物が出来ていただろう。
 こちらを見詰めるユリアの瞳を真っ直ぐ見る夜久の首の横には大剣の刀身がある。少しだけ動かせば首が刎ねるというこの状況で、夜久の装備は二本のナイフだけ。この状況を本気で打破しようとするのならば、それを活用しないといけないだろうが、今ナイフに手を伸ばした瞬間、夜久の首は跳ぶだろう。
 この状況で、夜久は顎に手を当てて考える。

「んー、そうですね」

 自分の首を今にも狩ろうとしている大剣をそのままに、夜久は考える。

「最初は色々と覚悟がありましたが、今はそうでもありません。貴方には私を殺せない。いえ、殺す気が無いでしょう?」

 あの夜の出来事、殺そうと思えば殺せた場面でユリアは手を引いた。
 大きく動けないテントの中、夜久に馬乗りになった状態、喉元に付きつけた小剣。何も抵抗できずに喉を切り裂かれていたであろうあの状態で、殺されなかった。
 つまり、ユリアには夜久は殺せない。またはユリアに夜久を殺す気はないという事だ。

「それに、貴方が何人人間を殺そうが、私が知った事ではありません。そんな事で貴方に恐怖を抱く事はありませんし、こうして死刑執行を先延ばしにして貴方を生かす事に殺された人への罪悪感もありません」

 実際、殺された人の事なんて知らない。会ってもいないし見た事もない人間だから。

「貴方が誰かを殺したから貴方を憎め、怨め、殺せ。そんな事を言ってきた人間がいたら、私は鼻で笑いましょう。そして、貴方の味方でいましょう」

 知らない人が死んだ。だから悲しもう、殺した人を憎もう。そんな馬鹿馬鹿しい事を考える人間ではない。逆にそんな人間が目の前にいたら、鼻で笑う人間である。

「だが、それでも私は―犯罪者だ」

 夜久の首を捉えていた大剣を下ろす。
 それと同時に、夜久の目を見詰めていた目が、視線が下がる。

「仲間だと思って、気遣うべき人間じゃない。あくまで仕事上のパートナー、慈悲もなにもない関係を築くべきだ」

 そういう関係も良いだろう。後々が楽である。特に仕事が終わった後の夜久の感情を考えれば、それが最善だろう。
 しかし、そうさせないのがユリアという存在であり、夜久という人間の性格でもある。

「何を言っているんですか。私達は勇者様ご一行じゃないんですよ。正義じゃないんです。世間様の正義の味方でもないんです」

 そう、正義の味方じゃない。誰にも認められる正義の味方なんかじゃ、ない。

「分かるでしょう? 私は一つの国から極秘の依頼を任される身、平和でのほほんとして、正義に満ちた生活をしてきたと思いますか?」

 国から極秘の任務を受ける。つまり、裏で動く事が出来る人間として選ばれたのが夜久である。そんな人間が、正義だかなんだかを掲げているわけがない。元々、ここまでの過程が正義ではない事を示しているのだ。
 そう、夜久だって血をその身に浴びている。

「そんな人間が、人一人殺すのに戸惑う人間を恐れたりしません」

 それどころか、本当に何十人も殺したのかという疑問すら浮かぶ。

「結局のところ、私は貴方を選んで正解だと思っていますよ。だから私は、貴方が私の仲間である以上、貴方を守りましょう。どんな困難からも、どんな混沌からもね」

 この旅では、先のウルフ戦以上の困難や、大きな混沌、闇へと手を突っ込まないといけない事が多々あるだろう。
 その中で、死を目の前にする事も多いだろう。その死から、守る。せめて、こうして一緒にいる時間だけでも、死のそれから遠ざけてあげたい。

「これが、貴方と一緒に旅をすると決めた馬鹿の覚悟です。まぁ、後半は殆ど旅を始めてからの後付けですが、これを曲げたりはしません」

 言葉にした以上、曲げる事は出来ないだろう。言葉にしなくても、曲げる必要なんてなかっただろう。
 もう既に夜久という人間はユリアという人間を誰とも知らないそこらの人間よりも、大切に思っている。もし、ユリアを殺さなければ、他の人間を殺すと言われても、悩むことなくユリアを守るだろう。
 夜久という人間は、そういう人間なのだ。

「私は、お前と旅に出ない方が良かったのかもしれないな」

 床に転がっている大剣の鞘を拾い、刀身を鞘に納めながらユリアが言う。

「あのまま牢獄の中で過ごせば、何も考えずに死ねた。何も考えず、楽に―」

 鞘に納めた大剣を壁に立てかけ、ユリアは夜久の目の前に立つ。

「私は、自分の事を色々と考えなくちゃいけなくなるだろう。過去も、未来を全てひっくるめて、何もかもを考え、悩み、苦しまないといけない。未来なんて、あるわけがないのに」

 目の前にいるユリアが、夜久へと向かって手を差し出す。

「全部お前の所為だ。だから、私はお前に付いていく。無理にでもな」

 差し出されたその手を見て、夜久は少し考えた後、小さく微笑む。

「ええ。この方が良いです。誓いとかそういうのは苦手でしてね」

 差し出されたその手を握り、ここに改めて仲間が出来た。



[29833] レインボーウイング 前編
Name: No.145363◆b1c7f986 ID:93051e7d
Date: 2011/10/25 22:52
 手に持ったカラフルな羽根。これは、モックレートから貰った宝剣を奪ったという犯人の唯一の手掛かり。
 この小さな手がかりから情報を引き出すにはそれなりの苦労がいる。しかし、その苦労を怠けていれば、今後どうする事も出来なくなる。

「で、憶えはありませんか? 小さな事でも良いんです」

 苦労の割には成果が小さい、または少ないのも当たり前。何人もの旅人に、何人もの店の人にこの羽根について問いかけても、有力な情報は出てこなかった。
 今日はこれで最後にしようと、訪れたある武器屋。自分の武器を買うついでに、店主へと羽根を見せていた。

「ふーん」

 羽根を摘み、クルクルと回転させながら眺める店主の男。
 しばらくすると、夜久の方へと目を向けて羽根をカウンターの上へと置く。

「んまぁ、兄ちゃんうちで買ってくれたし、教えてやっても良いか」

 夜久の腰にベルトに新しく固定された二本の剣。ここで買ったこの二本の剣は、武器としてはまだだが、先に情報を引き出すことに役立ったらしい。

「という事は?」
「俺もちょっとしか知らねぇよ」

 という前置きをして、店主が話し始める。

「最近になってからだが、旅人の客から良く聞く様になった。いや、良く聞くとはいっても三人だがな、そいつらが言うには最近世界中の色々な物を盗んで回っている変な集団がいるんだと」

 まだ話は始まったばかりだが、これだけでも重要な情報が詰まっている。特に宝剣を盗んだ犯人が単独犯ではない事。これはとても重要な事である。

「その集団の名前はレインボーウイング。証拠も何も残さねぇプロの盗みの集団さ。ただ一枚、盗んだ物が置いてあった場所へと舞い降りる羽根を除いてな」

 カウンターの上に置かれた数種類の色のついた羽根。これを残していった事には理由があるとは思っていたが、やはり自分達がやったという事を主張するだけだったようだ。
 何世紀前の怪盗を真似したのか、それとも童話や物語の読み過ぎか。何も残していかなければ完全犯罪に近いというのに。

「一昔の怪盗の様な事をしている連中さ。だが、物語とかで語られるそれより残酷で、躊躇なく人も殺すそうだ」
「ははっ、やっかいですね」

 実際、ローレンスでは兵士が一人殺されている。
 夜中に街の外へと出ていこうとした人間を調べようとした所、容赦なく殺されたのだから、つまり邪魔をする奴を容赦なく殺すという事だろう。

「目撃者も、殺してしまうんでしょうね」
「どうだろうな。だが、情報が出回らないんだ。その確率が高いだろう」

 目撃者も殺していれば、確かに情報は出回らないだろう。限りなく少ない情報も、限りなく少ない人数からの情報の集合体だ。

「だが、気を付けろよ。もしかしたら、情報を持っている奴らすら殺すかもしれん」
「うーん。そうかも知れませんがそこら辺は大丈夫でしょう。馬鹿みたいに公言したり、貴方がレインボーウイングのメンバーじゃなければ」

 ニッコリと微笑む夜久に対し、店主は苦笑いを見せる。

「冗談ですよ。冗談」

 カチャっと金属音を鳴らしながら、夜久はカウンターの上に置かれた唯一の手掛かり、羽根を手に取る。

「有力な情報、ありがとうございます。これで、一歩前進です」

 それなりの情報は手に入れた。
 同時に、この店主からはこれ以上の情報は手に入らないだろう。武器も手に入り、ここにはこれ以上いる必要がない。

「ユリア、ここから出ますよ」

 店内の武器を眺めているユリアへと振り返り、その名を呼ぶ。
 丁度、ユリアは自分が背負っている大剣と同じ種類武器がある棚の前に立っており。

「なぁ、夜久」
「買いませんよ」

 何かを言われる前に、釘を刺す。

「ケチだな」

 眉を顰めながらのその言葉。
 それに対し、夜久は厳格な態度で。

「そもそも、まだ背負っている武器が使えるじゃないですか」
「確かにそうだがな。こっちの方が扱いやすそうだ」

 一本の大剣を手に取り、鞘から刀身を抜く。

「それに、刀身の形も好みだ」

 夜久には今背負っているそれと、手に持っているそれに違いは良く解らない。だが、ユリアにはユリアなりの拘りというのがあるのだろう。

「何がどうであろうと駄目です。資金には、限りがあるんです」
「別に良いだろう? 一本や二本くらい」
「何処のお嬢様脳ですか。お金の有る無しでこれから先が決まるんですから、駄目です」

 断固とした拒否。
 すると、ユリアは不満そうな表情を見せた。

「ケチ」
「何とでも言って下さい。ですが、買いませんよ」
「分かったよ」

 鞘へと刀身を収め、持っていた大剣を元の棚へと戻す。
 ちょっとした不機嫌オーラを感じさせながら近づいてくるユリアに対し、夜久は最後の一刺し。

「お金は大切なんです。良いですか?」
「分かった」

 少し乱暴に店のドアを開き、外へと出て行くその後ろ姿。
 ユリアは、昨日から感情というそれをストレートに見せるようになってきた。しかし、その感情はユリアを扱うという事に関しては支障をきたす。

「それでは、また会えたら会いましょう」

 カウンターの向こう側にいる店主へと向かい、微笑みかける。
 それに対して、店主は何の反応も見せなかったが、特に気にする事もなく夜久は扉の向こう側へと出て行った。
 外へと出ると、ドアのすぐ傍でユリアが手を組みながら待っており、ドアから出てきた夜久の姿を見ると、手を下ろして口を開く。

「で、これからどうする?」
「宿屋に戻りましょう。ここで、この街でやれる事はやりました」

 ユールの街は皇帝が治めるローレンスへと行く為に立ち寄る最後の街。沢山の大陸、街から人々が集まり、交わる街でもある。
 それを活かし、道を行き交う一人一人に聞けば、まだ情報を得る事は出来るかもしれない。だが、そんな途方の無い事をしている暇は無い。

「まだ、何か知っている奴がいるかもしれないが?」
「そうかもしれません。ですが、宝剣を盗んだ奴は今も逃げています」
「だろうな」

 今もどこかへ向かっている事は確か。そう、どこかへ。

「逃げる際、この大陸を出るには港を経由しないといけません。この大陸は二つの港がありますが、一つはローレンスのすぐ近くにあるローレンス港。ここはローレンスの近くにある港湾で、ローレンス足元です。怪しい人間がそこに行けば、すぐに情報がいくでしょう」
「で、その情報は?」
「ありません。ならば、この先にあるワーディ港へと向かっている筈です。この大陸を出ると仮定して、その港に先に着き、待ち伏せをするのも良いと思いませんか?」

 これは、宝剣を盗んだ犯人が他の大陸へと逃げる事を前提としている。もし、この大陸にアジトがあり、そこに戻ったとすれば、ワーディ港で待ち伏せは無駄な事だろう。だが、その場合でも目標をこの大陸に絞る事は出来る。
 しかし、そうするには先にワーディ港に着かないといけない。もし相手が先にワーディ港に着き、既に大陸を出ていたとすれば、面倒な事になるだろう。

「荷物検査をする乗務員にも根回しをしないといけません。しかし、宝剣を持って大陸を出るとすれば、相手も根回しをしているかもしれませんね」

 大量のお金を払うか、それとも国家権力を使うか。出来れば後の方は避けておきたい。あくまで、極秘の任務。乗務員の口が固ければ良いが、軽いと更なる面倒を生む。
 もったいないが、やるとすれば金を使うしかないだろう。荷物検査自体は犯罪ではない。相手も抵抗無く協力してくれるはずだ。

「この街ではこれだけの情報が手に入ったのですから、もう充分でしょう」
「なら、昨日のうちに済ましておけば、もっと早くに出れたんじゃないか?」
「それもそうですが、ヤル気が無かったんですよ」

 ウルフとの戦闘、数時間耐久高重量ハイキング。そんな事をした後に、聞きこみなんて事をやる気にならないのは必須じゃないだろうか。

「それに、今日すぐに出発する訳じゃありません。もう日もそれなりに低いです。次の街に行くには少々、時間が遅すぎる」

 街の外へ出て、次の街に向かう時に気にするべき事は沢山ある。食料の準備や、武器の状態など、確認する事は沢山ある。
 その中には次の街へと向かう途中、何度夜を迎えるかというのもある。魔物の殆どは人と対をなして夜行性。昼は身を潜めて、夜に活動を開始する魔物が多い。
 夜に歩いたり、キャンプをしたりするとなると、その夜行性の魔物に襲われる可能性が高まる。同じ時間、外を歩くとしても、それが昼か夜かで危険性が高まったり低くなったりするのだ。

「逃げている奴も人間です。どこかで休憩したり、夜は動かないようにしている筈ですから、急ぎながらも慎重に事を進めましょう」

 事を急いで仕損じるよりも、慎重に行動しながら仕留める。
 基本、時間制限が無いこの依頼では、相手を遠くへ逃がしてしまうより、相手を捕まえる前に魔物に殺される事の方が避けなければならない事である。

「急いでいるのかどうか、良く解らない言葉だな」
「つまり、明日の朝までは準備期間ですよ。次の街に行く為には色々と準備が必要ですからね」

 ユールの街から北東へと行った場所に次に街はある。しかし、ローレンスからユールの街までの道とは違い、それなりに険しくて長い。
 準備は必要である。特に食糧や水に関しては、もっと買い足さないといけない。

「とりあえず、宿に戻って何を準備すれば良いのかを確認しましょう。鞄の中に何が残っているのか、イマイチ憶えていないんです」
「分かった」

 まずは宿屋に戻る為、二人並んで道を歩く。
 大剣を背中に背負ったユリア。二本の剣を腰の左右に下げている夜久。この二人が並んで歩いていると、どうも他人の目を惹くようで。

「見られているな」
「ええ、そうですね」

 真っ直ぐ前を見ながらも、見られている事を認識する二人。

「“絶世の美女が歩いてる!”って視線じゃないですか?」
「馬鹿が歩いているという視線かもな」
「どういう意味です?」
「なぜ私がここにいるのか考えろ」

 夜久は、少し考えてみる。
 ユリアがここにいる理由は夜久が誘ったからである。そこにはどこにも夜久が馬鹿だという証明をする様な所は無い。
 良く考えてみるが、答えは出てこない。なので、この話は切り捨てる事にした。

「んまぁ、実際美女が自分の体ほどの大きな剣を背負っているという、不釣り合いな姿から注目されていると思いますよ」
「そういうもんか?」
「前から聞きたかったんですが? 重くないですか? それ」

 ユリアの背に背負われている大剣。夜久が持った感じでは、大体十キロ程度。十五まで行くかもしれないが、二十はいかないだろうと判断している。
 それを軽がる持つユリアに対し、男としての威厳が無い様な気がしてならない。

「確かに重いが、それがこの武器の特徴だからな」

 ユリアの口から重いという言葉が聞けて、夜久は少しだけ安心する。

「そうですね。大剣は切るというより叩きつけて裂くといった印象です」
「叩きつけて肉を斬らずに骨を断つ。まぁ、斬る事も出来なくはないが、私の技量はまだまだだ」

 大剣にとって、どんな戦い方が一番威力を持つのか、それとも効率的なのか、夜久は良く知らない。
 斬るのが良いのか、その重量を活かすのが良いのか、夜久が考えるよりも前にユリアの方が良く分かっているだろう。

「お前は、双剣使いだったな」
「そういう事になりますね」
「私も聞きたかったんだが、両手に二本の剣を持って良く別々に操れるな」

 双剣を扱うようになったのは、剣の扱い方を教えてくれた人がそうであった為。
 戦いの中で、両手それぞれの武器を自在に操り、相手を翻弄するのはなかなかの技量が必要になる。しかし、その技量は天才では無くても月日が経てば自然と会得していくもの。
 夜久は、そう思っている。

「使いながら過ごしていけば、剣と手が同化したかのように、感覚が剣先まで伝わるようになります。それを操るのは、両手を扱うのと同じですよ」
「私には無理だ。その技量を会得する自信も、必要性もないしな」
「でしょうね。器用貧乏とは良くいったものです」

 少し身に覚えのある事ではあるが、夜久は笑顔で言う―が。

「そうだな。双剣を操って、魔術も使えて、治癒術も使える奴が言うんだから、説得力がある」
「あははー」

 全てを極めるにはそれ相応の時間が必要だというのに、最近怠けている為にその傾向があり、少々自覚していた所をグサッと刺された。
 改めて旅に出たのだから、そろそろ夜久は自分自身を鍛えた方が良いかも知れない。というより、鍛えないと駄目だろう。
 しかし、話を逸らさなければ更に現実を突きつけられる。

「今更ですが防具は着けてなくて平気ですか?」
「防具? 別に必要無いが」
「そうですか。ですが、それなりに防御力がある服は買った方がよさそうですね。あと、部分的に守る物とか」

 お金に余裕があったらの話ではある。

「とりあえず、私は手に嵌めるグローブくらいは欲しいところです。剣から伝わる衝撃は、長時間の戦闘を不利にしますから」

 特に夜久の場合は手数が勝負の双剣を使っているので、剣と物が触れる機会が多くなる。それが固くても柔らかくても、必ず手にはそれなりの反動が来る。それが大きくても小さくても数が多ければ、手が痺れ、剣の動きが鈍る。
 それを少しでも和らげる事が出来るとすれば、持っていて損は無いだろう。

「お金に余裕ができたらの話ですが」
「グローブなら、私も欲しい。手が痺れると、この重量を持つのは厳しくなる」
「お金に余裕ができたらの話ですよ」
「どうやったら金に余裕が出来るのかが知りたいな」

 確かにそうではあるが、稼ぐ方法が無いわけではない。
 運が良ければ、肉塊と共にそこらに落ちているし、そこらの街で魔物討伐の依頼でもあれば、それなりに稼げる。
 つまり、傭兵紛いの事をするという事になる。

「どうやって稼ぐかどうかは、宿屋で話しましょう。丁度、見えてきましたし」

 前方に見えてきたのは夜久達が寝泊りをしている宿屋。
 その宿屋に、二人揃って入り、ロビーにいる人たちの一瞬の注目を浴びながら、自分達の部屋へと戻ろうとした。

「ああ、そうだ」

 階段の目の前で夜久が思い出したかのように、ポケットからあの羽根を取り出し、ロビーのカウンターにいる宿屋の従業員へと話しかける。

「すみません」
「なに?」

 カウンターの中にいるのは昨日と同じ女性。多分、この人はここ担当なのだろう。

「ちょっと聞きたい事があるんですが。良いですか?」
「聞きたい事?」

 カウンターの台の上に開いていたファイルを閉じ、女性が身を乗り出す。

「何が聞きたいわけ?」
「ノリノリですね」
「ええ。こういうの、大好きなの。だから、ここの担当になったわけ」

 噂話や裏の情報などを好みそうな性格である。
 これならば、少しは期待できるかもしれない。

「レインボーウイングという集団を知っていますか? 色々と盗みまわって、こんな物を残していく集団なんです。先日、ローレンスで盗みを働きまして」

 そう言いながら、手掛かりの羽根を見せる。
 それを見て、従業員の女性は考えるような素振りを見せるが、釈然としない表情のまま。

「うーん。ごめんなさい。ちょっと分からないわ」

 情報を持っていない事を公言した。
 少し残念だったが、しょうがないだろう。あの武器屋の主人に辿り着くまでに色々な人に聞いたが、その誰もが知らなかったのだから。

「残念ですね」
「ねぇ、どうしてそのレインボーウイングってのを追っているの?」
「んー、企業秘密ですけど。大体分かりません?」

 色々な場所で盗みを働く集団を追っているとなれば、大体は分かるだろう。

「極秘任務ね」
「そんなものです」
「でもこれじゃあ、極秘任務じゃなくない?」
「極秘任務とは、何を極秘にするかが重要ですよ」

 例えば、雇い主の事とか、何を取り返そうとしているかとか。
 知られたくない情報は沢山あるが、それを口に出すつもりなんてない。

「いいなー。そういうの、憧れる」
「良いものじゃないですよ。明日には魔物の餌になっているかもしれません」
「あー、それがねー。私、非力だから」

 女性はそれで良いと思われる。
 何処の誰とは言わないが、表情一つ変えずに十キロ以上ある大剣をブンブン振り回す女性は、何かしらと大変である。

「あっ、でも色々と情報は持ってる」
「その中にレインボーウイングの事があれば良いんですがねー」
「うーん。あ、そうだ」

 何かを思い出したかのような言葉の後、女性は周囲を見渡してから夜久へと向かって小さく手招きをする。
 つまり、他の人間に聞かれるとちょっとまずい話なのだろう。少し期待しながら、夜久は女性へと顔を寄せる。

「夜、酒場に行ってみたらどう? 良く旅人が集まる所、教えるわよ」
「酒場、ですか―」

 酒場で情報収集というのはそれなりにマイナーだが、ガセネタを掴まされる事も多い。酒を飲み、気が大きくなった人間がその事について知らなくても適当に言葉を吐くのだ。
 明らかな嘘情報ならともかく、確証が取れない情報だと判断が難しい。つまり、酔っ払いは面倒臭い存在である。

「余り、行きたくないんですよねー」
「ふぅん。下戸?」
「別にそうではありませんが、酒場の人間は全員酔っているので、情報に信憑性が無いんですよ」
「あー、それあるねー。でも、それを考慮して行ってもそれなりに良い情報が手に入るんじゃない?」

 確かに、利点はある。出発は明日の朝なので、本日の夜に行ってさっさと帰ってくればちゃんと眠れるし、デメリットもない。

「うーん。あとは大人しくしていようと思っていたのですが、行ってみますか」
「良いと思うよ。せっかくこの街に来たんだから、楽しまないと」
「お酒では楽しめない性質ですがねー」

 夜久が右手を上げると、従業員の女性がパチーンとそれを叩く。
 かなりノリが良い人の様である。

「イエーイ。よっ、下戸男!」
「下戸じゃないですけどねー」
「それじゃあ、人生損男!」
「お酒を楽しめないってところでは、損しているとは思いますが、言い過ぎですねー」

 ペシペシペシっと手を叩いてくる女性に対し、夜久は笑顔で返していく。

「よしっ! お姉さんが楽しみ方を教えてあげる!」
「お姉さんって、多分歳はほぼ同じ位ですよね?」
「そっかなー。私は大人のお姉さんよ」
「それじゃあ、何歳で―」

 ポンっと夜久の肩に置かれた手。
 ギッと肩を力強く握るそれに、夜久は背筋に寒気が走るのを感じた。

「なぁ、夜久」
「は、はいっ!」
「私はもう、部屋に行って良いか?」

 ほったらかしにされた怒りか、ちょっと怖い声。

「あ、ごめんなさい。一緒に行きます」
「そうか」

 肩から手が離れると同時に、夜久は女性へと向かって苦笑いを向ける。

「待たせちゃ、駄目ですよね」
「そうだねー。こっからずっと見えていたけど、結構怒っているよ」
「いやぁー、悪い事をした」

 『むふふっ』っと、含み笑いを見せる女性へと小さく手を振り、夜久は改めて後ろにいるユリアへと体を向ける。

「さぁ、部屋に戻ってなんか食べますか」

 その夜久の言葉に対し、ユリアは何も答えずに階段へと向かっていく。
 それを『あははー』と苦笑いを見せながら夜久は追いかけるのであった。





 夜が訪れると、昼とは違った活気がユールの街を包み込む。
 少々尖った様な雰囲気の中、夜久はユリアと共に夜の街を歩いていた。

「なーんかあれですねー。気が進みませんねー」
「それはお前だけだ」

 酒場に行く事に余り気が乗らない夜久と、特に感情の起伏を感じさせないユリア。
 二人とも、主な武器である剣を携帯しておらず、夜久は腰の二本のナイフ、ユリアは小剣を装備している。

「あ、ユリア。面倒事は起こさないで下さいよ。あちらさんはちょっと挑発するだけで乗ってきますから」
「そのつもりはないし、そもそもメリットが無い」

 確かにメリットはないが、あっちがこっちの行動のどれを挑発と受け取り、逆上するか分からない。
 基本、酔っ払いが好きではない夜久にとって、絡まれるのが一番嫌なのだ。

「んまぁ、最悪気絶させて終わりにしますか」
「それは簡単だな。顔面に一発お見舞いしてやれば良い」
「顔面粉砕しないでくださいね」

 あの大剣を軽々振るう腕力である。その一発で顔面が粉砕するかもしれない。

「善処するさ」
「つまり、顔面粉砕が適切な処置だとすると―」
「そうなれば、善処するさ」

 面倒事は御免ではあるが、あらゆる選択肢を残しておくべきである。いや、あらゆる過ぎて駄目かもしれない。

「ああ、そういえば。着いたら飲みます?」
「酒か?」
「ええ」
「別に、そういう気分じゃないな。お前は飲まないんだろ?」
「そうですね。せめて情報の真否位はちゃんと判断したいので」

 酒場に行っても、飲まない宣言。
 夜久にとってはあくまで酒場は情報収集の場という事だろうか。

「なら、なおさら必要ないだろう。私も、それに至高の喜びを感じる性質じゃない」
「おや、同じですか」
「私は下戸じゃないがな」
「いや、私も下戸ではないですよ」

 何度この言葉を言ったのか、憶えていなかった。そんなに夜久は下戸のように見えるだろうか。弱々しく見えるのか。

「んまぁ、そんな事は置いておいて。そろそろですね」

 気付けば、何やら賑やかな音や声が聞こえてくる。
 宿屋の従業員、あの女性の言葉によると、もうそろそろおススメの酒場に着くらしいのだが。

「そういえば、おススメと言っていたのですが、お酒が美味しいという事でおススメなのでしょうか、それとも人が集まるという事でおススメなのでしょうか」
「お酒が上手いから人が集まり、人が集まるから酒が上手いんだろ」
「おおっ!」

 予想もしていなかったその言葉に感心するような声を上げる夜久だが、もうすぐそこに酒場は迫っていた。
 そこに入る前に気合を入れる必要なんてない。二人は自然な動きで、酒場の扉を開いた。

「うわはははははっ!」
「イエーイッ!」
「イケイケー!」

 一歩入っただけで、奇妙な光景がその目に見えた。
 何やら店全体で盛り上がっている様子で、店の中心に人が集まっている。

「うーん。選択を間違えましたかね?」
「いきなりだな」

 夜久とユリアは共に騒動の中心を確認する為、人だかりに近づく。人だかりを作っているのが殆ど屈強そうな男共なので、割り込むのには少し苦労したが、中央付近で夜久は人の隙間からそれを見る。

「いよっしゃー!」

 人だかりの中央にあるのはテーブル席。そこには一人の女性が座っており、天井へとむかってビールの入ったジョッキを掲げている。
 パッと見では何をしているのか良く解らないが、良く見てみれば、その正面の席にはぐったりとしている男性の姿も見える。

「ちょっと退い―あぁっ」
「いたっ!」

 後から夜久に付いてくるように人だかりを掻き分けてきたユリアが体勢を崩す。その時、丁度前にいた夜久へとユリアが倒れ込み、そのまま人ごみを掻き分けるように二人は人だかりの中央へと飛び出した。

「ふごっ!」

 テーブルに倒れ掛かるように人だかりの中央に飛び出し、夜久はテーブルの上に腹部から上を強く打つ。

「あ、スマン」

 背中から聞こえるユリアの声。
 色んな意味で泣きたかったが、夜久は背中に伝わる柔らかい感覚で我慢することにした。

「んあぁぁん?」

 丁度夜久の顔が向いている方、先程まで天上へとビールジョッキを掲げていた女性がその青い目を細める。

「なんだぁ? 次はオメェか?」

 グイっと夜久の顔へとその顔を近づけてくる。
 かなり酒臭い。

「次とは何の事か分かりませんが、これは事故でして―」
「ジコ? ああ―綺麗なネエちゃん連れているな。イロ男」
「どうも」

 余り嬉しくなさそうな返事をしながら、やっとユリアが夜久の背から離れ、立ち上がった。

「ヒュー、いきなり出てきたと思ったら、こっちの姉ちゃんも美人じゃねーか」
「おいおい。こいつら昼間見たぜ、姉ちゃんの方は大剣背負ってた」
「いえー! 銀髪姉ちゃんも飲み比べしようぜー!」

 銀髪姉ちゃんとは、多分ユリアの事だろう。銀髪は、ユリアの特徴の一つだ。

「んまぁ、とりあえずお楽しみの邪魔はしたくないので、私達はここでお暇を―」

 こんなに注目されている状態で、レインボーウイングの事を聞く気にはなれなかった。
 夜久はやっと倒れ掛かっていたテーブルから立ち上がり、人だかりに戻ろうとする。

「おい、マテよ」

 戻ろうとした夜久の手を、女性が掴んだ。

「良いじゃねぇか。一発、ヤっていこうぜ」

 ビールジョッキを掲げながらのこの言葉。その特徴的な金髪の女性へと目を向けながら、夜久はため息を吐く。

「ごめんなさい。私は、情報収集に来ただけなので」
「情報シュウシュウ?」
「ええ、レインボーウイングについてです」

 なんとなく言ってみた言葉だったが、その言葉で女性の目が変わった。

「レインボーウイングだと」

 何やら、知っているかのような反応。言ってみるものである。

「おや? 何か知っていたら、情報提供をお願いしたいのですが―」

 笑顔で尋ねてみる。
 しかし、女性はその言葉に対してすぐには答えず、しばらく間を開けた。

「良いぜ。その代わり、私と飲み比べでカッたらな」

 もう既にかなり飲んでいるように見えるが、そのハンデを背負いながらも飲み比べをするという事だろうか。
 しかし、夜久はそういう気分ではなかった。

「いやぁ、それはちょっと」

 他の取引を持ちかけようとし、一体その誘いを断る。

「ちっ、玉ナシかよ」

 この女性の言葉を口切りに、周囲に笑いが溢れる。
 それに対して、何の感情も抱かない夜久だが、この雰囲気では交渉が決裂へと近づいたと溜め息を吐く。

「私がやる」

 その中で、バンッとテーブルを叩き、名乗り出た人間がいる。
 それは夜久のパートナーであるユリアであり、飲まないと言っていたユリアだった。

「あっ、ユリア。余り無理はしなくても―」
「いや、私がやる」

 なぜかヤル気満々である。いつどこで対抗心を燃やし始めたのか良く解らなかったが、もう既に女性の正面にグダーっと座っていた男性を押しやり、椅子に座っていた。

「へぇ、オマエが?」
「ああ」
「別に良いぜ。だが、負けた方が酒代持ちだからな」
「別に良いぞ。負けないからな」

 勝負が近づくと、今まで言葉の一部の怪しかった女性の口調が直っていく。
 これは完全に飲み比べ勝負をする流れである。

「その代わり、私が買ったらちゃんとレインボーウイングの情報を寄こせ」
「負けねえけどな」
「せいぜい吠えていろ」

 ガンっと二人の前にビールジョッキが置かれる。持ってきたのはこの酒場のマスターらしき人物だが、なぜかグッジョブと親指を立て、夜久にキラーンと光る歯を見せる笑顔を向ける。
 それに夜久は苦笑いを見せるしかなかった。

「さぁ、一杯目だ!」

 ジョッキをテーブルの上へと置いたマスターらしき人の号令。それと同時に二人がジョッキを掴む。

「初め!」

 その掛け声と共に一気にジョッキを口へと傾ける二人。それと同時に、ボルテージが上がる外野の連中。もう既に収拾がつかない。
 どうしようもないこの展開に、夜久は頭を押さえて溜め息を吐いた。





 それからしばらく時間が経った。
 テーブルの上には空のジョッキが並び、数えてみれば軽く六十は超えている。完全に人の要領を超えているのだが、二人はまだビールの入ったジョッキをその手に持っている。

「ヤルなぁ。おい、銀髪」

 対戦相手である金髪の女性はまだ余裕そうに喋ってはいるが、顔色は悪く、手は小刻みに震えている。その事に、多分本人は気付いていないだろう。
 結構な重症だ。

「――金髪」

 ユリアに関しては余裕のない表情。
 口数はかなり減り、相手の挑発にも何も返す事が出来ない状況。
 しかし、夜久が見た所どちらも五分。治癒術を心得ている人間として、その人間が限界かどうか位は分かっているつもりだった。

「あの、お二人とも。そろそろ止めた方が良いんじゃ―」

 外野の連中もそろそろヤバいと気付いてきているようで、先程までの活気はない。だが、止めようとする人間はいないので、夜久がその役回りに。

「あぁん!」

 金髪の女性は明らかな敵意、一方ユリアは沈黙の敵意。
 止めるには、それなりの努力が必要だ。

「いやぁ、お二人とももう限界ですから―」
「私はまだゲンカイじゃねーよ!」
「いや、持っているジョッキからビールが零れていますよ」

 カタカタカタと震えるジョッキからビールが零れている。手にもビールが掛かっているのだが、感覚が無いのか気付いていない。

「ユリア、貴方もです。飲みすぎると体に悪いですよ」

 ユリアは何も返してこないが、その手に持っているジョッキを下ろそうとはしない。

「全く」

 そろそろ強制的に止めさせようかと夜久が一歩前に出る。
 瞬間、ガンという大きな音と共に目の前の二人がテーブルに倒れ込んだ。
 勝負が付いた。周りにいた誰もが安堵の息を吐く中、夜久はその二人へと目を向けてはいなかった。

「伏せろー!」

 叫ぶと同時にテーブルに倒れ込んだ二人の襟首を掴んで頭を上げさせ、テーブルを蹴りあげる。
 九十度回転したテーブルが、足を夜久達へと向けた瞬間、そのテーブルを突きぬけて何かが夜久の頬を掠める。 
 ガッとテーブルが盾のように夜久達の前に落ちると、夜久は二人を抱えたままそれを背に、出来るだけ姿勢を低くした。

「ああぁぁぁぁっ!」
「逃げろー!」

 ガッガガガガガッっと店の外へと向いたテーブルを突きぬけていく白い何か。その範囲は店全体にも及び、店の外から壁を突き抜けて襲ってくる白い何かが、人々を貫いていく。
 多分、魔術の一種だろう。人を貫いた白いそれは何も残さずに消えていき、目標物のみ貫く。
 完全に、この酒場にいる人間全員を殺しにかかっている。

「うっ、うおえぇぇぇ」
「うぷっ。はぁ、はぁ、はぁ」

 両脇に抱えている女性陣はまた違うそれと戦っているようだが、それに構っている暇はない。出来るだけテーブルを盾に自分達の位置を把握されないよう、姿勢を低くするだけ。

「まったく―」

 多分、酒場の外にはこれの術者がいるだろう。
 酒場にいる人間を一人でも多く助けるのならば、店の外から飛んでくるこの魔術を掻い潜り、そこにいる術者を殺すのが確実だろう。しかし、夜久の視界にはもう動いている人間はおらず、足元にまで血が広がってきていた。

「うーむ」

 まだ生きている人間もいる。もちろん、夜久と抱えている女性陣を含めないでだ。だが、その誰もがカウンターの裏に隠れていたり、夜久と同じくテーブルを盾にしている為、その姿は見えない。ただ、そこから見える恐怖の色はシッカリと視界で確認できる。

「おいおいおい、なんだこりゃー!」
「止めてくれ! 止めてくれよぉー!」

 数人、心が折れそうだ。いや、もう折れているか。
 恐怖からすぐに脱してあげても良いのだが、夜久も夜久で女性陣二人をこの場に捨て置いて突っ込むわけにはいかない。

「うええええぇ」
「ううっ、うえっ、うええっ」

 いや、この場合は突っ込んだ方が夜久の方の被害は防げるのかもしれない。いつまで耐えられるのか知らないが、女性陣二人のものとはいえ、汚物にまみれるのは嫌だった。

「二人共、平気ですかー?」

 一応聞いてみるが、二人共自分との戦いで忙しいらしい。返事という返事はなく嗚咽だけが返ってくる。
 嫌なBGMに眉を顰めながら、夜久は腰の二本のナイフに手を掛ける。
 酒場に行くだけだからと、剣を置いてきたのは完全なミスだった。街の中は安全だからと、完全に油断していた。

「はぁ、これじゃあすぐに警備兵が掛けつけてきますね」

 街の中でこんな事をすれば、そういう事になる。だからこそ、油断を生んだのだろうが、今はそんな事を後悔している場合じゃない。

「ユリア、このまま姿勢を低くしていられますか?」

 ナイフを抜き、柄を握る。
 ユリアからの返答はなかったが、どちらにしても飲み過ぎで動けないだろう。

「さて―」

 機会を窺う。もうそろそろ、この魔術もいったん収まるだろう。こんな事、ずっとやっているわけにはいかない。
 その一瞬で店の外へと突っ込んで、術者を殺る。不安要素は馬鹿みたいに沢山あるが、対人戦ならば夜久にもそれなりの自信がある。

「いち」

 ゆっくりと息を吐いて、心を落ち着かせる。鼻に入る血の匂いは、完全に無視する。

「に」

 本来のプライマリ武器とのこのナイフの違いを把握。いや、思い出す。

「さん」

 術者の気配を探る。
 失敗。

「よん」

 店内の構造を思い出す、突撃進路を決める。

「ご」

 魔術が止み、店の中に静寂が訪れる。
 瞬間、夜久はテーブルの盾から出て、走り始めた。
 視界に入るのは惨劇。もう既に酒場だったそこは廃墟と化している。
 酷いとは思うが、心は痛まない。一瞬見えた店の現状を無視し、壊れかけた扉を蹴破った。
 ゴオッという音と共に蹴破られた扉が飛び、店外のそれが見える。
 店の外で立っていたのはローブで全身を隠した人間、五人。そして、倒れている数十人。どうやら、目撃者を逃さないように外にいた人達も標的にしていたようだ。
 とことん、外道な人間である。

「さて、殺す前に質問ですが」

 その五人を目の前に、夜久は余裕の表情を見せる。
 終わったと思っていたのか、緩んでいた五人の意識が張る。

「貴方達は、レインボーウイングの一味ですか?」

 その問いかけに答える人間はいない。
 それどころか、次の攻撃の準備を始めた。

「うむ、そうだったら一人くらい生かしても良かったのですが―」

 最小限の動きで、左手に持ったナイフを投擲する。

「ガッ―ァ―ァ……」

 投擲したナイフが五人のうち一人の喉に突き刺さる。
 舞い散る血。それを見て、他の四人が怯んだ瞬間、夜久はもう一人の懐に踏み込んだ。
 手に感じるのは、ナイフが人体を貫いた感覚。何か声が聞こえるが、関係ない事だろう。彼に訪れるそれを確実にする為に、より深く、強くナイフを突き刺す。

「貴様!」

 あと三人のうち、一人が剣でこちらに斬りかかる。
 獲物が一本しかないのは不便だと感じながら、突き刺したナイフを一気に抜き、斬りかかってきたそれを防いだ。
 右手のナイフで剣を防いだまま、斬りかかってきたそれの胸に左手を当て、集中力を上げる。

「ぐっ! かはぁっ」

 斬りかかってきたその胸から背中に突き抜けたのは氷の刃。赤い液体をその身にまとわせながら、月光にその身を輝かせるそれは、すぐに砕けて消えていく。
 口から血を流しながら、崩れゆくその体を自分から離す様に押しのけ、残りの二人へと目を向ける。
 その目に、光は宿っていない。

「ひぃっ!」

 一瞬で三人が殺られ、戦意を喪失した一人が逃げ出そうとする。
 士気が低いのが窺える。

「待て! 逃げるな!」

 もう一人が呼び止めようとするが、その横を投擲したナイフが通り抜け、逃げて背を向けている奴の首に後ろから突き刺さった。
 こうなれば、脊髄を切断されて即死。まるで、糸を切られた操り人形のように、そいつは地面に倒れた。

「くそっ」

 それを見た瞬間、残りの一人が夜久をその視界で捉えようと視線を戻すが、先程まで立っていた場所に夜久はおらず、真後ろで不自然に大きい足音がした。

「ああ、動いちゃ駄目ですよ。二本投げましたが、一本回収したので、それが貴方の脊髄を捉えています」

 まだ血が付いたナイフを、首の後ろ、脊髄がある所に押し付ける。

「もう一度聞きます。貴方達は、レインボーウイングの一員ですか?」

 再度問いかける。
 今度は、その命を握りながら。

「殺れ」

 しかし、相手はこの程度では口を割ってくれないらしい。

「おやぁ、強がっちゃって。まだ人生半ばにもなっていないでしょう? まだ生きたいのでは?」

 背中に指を這わせ、無意味になぞる。

「我々は、常に死を覚悟している」
「それにしては、先程殺った人は情けなかったですねぇ」

 沈黙。

「もう一度聞きますよ。貴方達はレインボーウイングの一員ですか?」
「この者に! 必ずや鉄槌を!」

 その叫びを聞いた瞬間、夜久はナイフを深く突き刺した。
 力なく、地面に倒れるその体。結局何も残らなかったこの光景を見て、夜久は大きくため息を吐いた。

「まったく」

 倒れた奴のフードを取り、顔を確認する。
 それを見た瞬間、夜久は少し眉を顰めた。

「これでは、情報収集もままなりませんね」

 もう一度フードを被せ、顔を隠すと同時に夜久は一人の首の裏に突き刺さったままのナイフを回収する。
 ついでに、そいつのフードで血を拭った。

「えっと―」

 周囲を確認する。
 外にいる人間の殆どが死んでいる。あの五人に目視されていたのだから、確実に殺されたのだろう。
 しかし、僅かだが息をしている人間がいるのも確か。死んでしまった人間を生き返らせる事は出来ないが、瀕死程度ならば繋ぐことは可能。

「さて―っと」

 一人一人、看て回っている暇はない。
 両手に持ったナイフを腰のベルトに納め、意識を集中する。すると、足元から光の線が生まれ、それが何か模様を描いていく。
 描かれた模様は、酒場や周囲の建物にも及び、大きな魔方陣へと変わった。瞬間、魔方陣が温かな光を放ち、魔方陣の上にいる生きる者たちを包み込んだ。
 それを確認すると、魔方陣に意識を集中しながら酒場の中へと戻っていく。
 酒場の中もそれなりの惨劇だ。死体もそれなりに転がっている。しかし、こちらは相手に目視されなかった分、外よりその数は少ない。

「大丈夫ですか?」

 まだ息がある者に声を掛けてみる。もう治癒術は発動しているので、これ以上悪化する事はなく、傷は癒えるだけだと分かってはいるが―。

「あ、あんた。治癒術師か?」
「ええ、もう大丈夫ですから。動かないでくださいね」

 良く見てみれば、この人はわき腹と足を貫かれていた。治癒術でもう既に血は止まり、傷口も徐々に塞がっている。

「す、スマン」
「いえいえー」

 こういう状況でなければ、ちょっとくらいお礼が欲しい所だが、今日は止めておく事にする。
 というか、警備兵が駆け付ける前にこことはおさらばしたかった。

「ユリアー」

 テーブルの裏で倒れているその姿に声を掛ける。

「うっ―あー」

 治癒術は傷を治すだけ。いや、もっと高度になれば色々な事が出来るが、夜久の場合は傷を癒すだけである。つまり、酔いを醒ます効果も摂取したアルコールを抜く事も出来ない。
 ユリアも、対戦相手の金髪の女性もまだ悶絶している。

「歩けますかー?」

 ツンツンっと頬を突いてみるが、反応はない。更に、わき腹を突いてみるが、それに対する反射を見せても、反応はない。

「はぁ」

 溜め息を吐きながら、ユリアを抱えようとするが、その時ふと金髪の女性が視界に映った。
 この女性とはレインボーウイングの情報提供の約束をしている。実際は、飲み比べに勝ったらという条件付きではあったが、今更そんな事は関係ないだろう。
 ここに放置すれば、警備兵が駆け付けて勝手に保護してくれる。しかしそれでは、もう一度会うのに手間がかかり、明日の朝出発する夜久にとっては不都合だった。
 うーむと悩んだ結果、夜久はユリアとその金髪の女性、二人を抱える。

「おもっ」

 普通ならば、言ってはいけない言葉だが、思わず口から出てしまった。しかし、二人とも泥酔しているので、耳には入っていないだろう。

「マスター、命を助けてあげたので、飲み比べのお代はタダでお願いしますー」

 生きているか死んでいるか分からない酒場のマスターへと向かっての言葉と共に、一気に治癒術の出力を上げる。
 急激な癒しは体に悪影響を与える事もあるが、そうこう言っていられない。時間が無いのだ。

「さてと―」

 出力を上げた治癒術はしばらく発動し続ける。
 術者である夜久はその場から離れ、その力の供給を断った。
 運が良い事に、まだ警備兵が駆け付ける気配はない。この辺りの人間は死んだか、夜久の治癒術にお世話になっているので、警備兵を呼ぶ人間がいないのかもしれない。
 それはそれで好都合だった。よっこらせっこらと泥酔した二人を抱えながら、宿屋の方へと向かって歩いていった。



[29833] レインボーウイング 後編
Name: No.145363◆b1c7f986 ID:93051e7d
Date: 2011/11/03 02:24
 宿屋への道のりは険しかった。
 泥酔している二人の女性を両脇に抱え、歩く男がどんなに怪しい存在か、想像しただけでもゾッとする。
 そのまま普通に歩けば、『ちょっと』と呼び止められる可能性は高い。そうなると先程の件も絡み、面倒な事になるのは目に見えている。
 闇に隠れて人の目に触れず、目的の場所へ行く。一人ならばそれなりの難易度で済む事ではあるが、人二人抱えているとなるとそれなりに難易度が跳ね上がる。
 しかし、それを成し遂げてみせるのが夜久という人物であり、この極秘任務を実行するに相応しいと任命された人物でもある。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 体中に緑色の葉っぱや、小枝を引っ提げ、所々に小さな切り傷を負った夜久の姿が、宿屋のロビーにはあった。

「あっはー、大変だったみたいだねー」

 ロビーのカウンターでは、夜遅いというのにあの従業員の女性の姿がある。

「いやぁ、色々とありましてね。特に帰り道」

 まるで酒場では何もなかったかのような口ぶりである。実際、体中のそれは帰り道のそれで付いてきたモノだが。

「でも、収穫はあったみたいねー」

 夜久が抱えているそれを見て、女性がニヤリと笑う。

「銀髪美女の次は金髪美女? ふふーん、やるねこの色男っ」
「あー、なんか因果を感じますねー。でもそれは違います」

 抱えている二人は、何も知らずスヤスヤと眠っている。あの酒場での出来事や帰り道での夜久の苦労など知らずに。

「でもあれよ。酔っ払って意識の無い女の子をお持ち帰りなんて、下種のやる事よ」
「いや、確かにお持ち帰りという表現が当てはまる行為ですが、言葉の意味が違うと思います」
「ん? それじゃあ、アフター?」
「遠回り過ぎてどっちが近いのか良く解らないですねー」

 よいしょっと抱えている二人を抱え直し、そろそろ限界が近くなってきた両腕に休暇を与える為。

「それでは、部屋に戻りますね」
「はーい。おやすみーって、寝ないっか」
「いや、寝ますから。すぐに」

 苦笑いを見せながらも、階段を上がって部屋へと向かう。
 その間、物凄く良い笑顔を向けながら手を振っているあの女性の姿がチラチラと視界に入り、とても釈然としない気分だった。
 部屋に入る際、色々と考えたが、結局靴を脱いで足の指でドアを開け、中に入る事に。その際、親指を攣りそうになったのは本人しか知らない事実。
 中に入ると、また問題が持ち上がる。それは、この部屋にはベッドが二つしかない事。夜久とユリアだけならば何も問題ないのだが、今は名も知らぬ金髪女性も脇に抱えている。つまり、今ここにいるのは三人。ベッドが一つ足りない。

「ふむ―」

 部屋をもう一つ借りればベッドは補充されるだろう。しかし、そんな余裕は懐に無い。ならば、どちらかと添い寝―をしたら朝が怖い。
 こういう場合、男が取るべき行動は一つだろう。

「感謝の一つでも、して欲しいですねー」

 言葉にしても、多分それは聞こえていないだろう。
 まず、ユリアを元々使っていたベッドへと寝かす。これで右手は解放された。次に、左に抱えている金髪女性を自分が使用していたベッドへと寝かすのだが、その作業中に女性の呼吸が腹式呼吸から胸式呼吸へと変わった。

「んあ?」

 同時に開く目と口。丁度、ベッドに座らせ、首の後ろに手をまわしてこれから寝かせようとしていたところだったので、色々と拙い体勢だった。
 目と目が合う、瞬間思考が廻り廻って何を話して良いのかどうやってこの状況を誤魔化そうか、せめてユリアが起きていればいきなり誘拐でタイーホという事は起きないだろうけれども何も知らないユリアのこの光景を見られればもの凄く拙い様な気がしてたまらない。
 どうすれば良いのか、何をすれば良いのか。考え始めてからコンマ一秒、夜久は笑顔を見せる。

「騒がないでくださいね」

 駄目な言葉が出ていってしまった。
 捉えようによっては色々な犯罪への想像へと発展する言葉ではあるが、金髪女性はそうでもないらしく。

「ちょっ」

 夜久の首に手を回すと、グッと眼前へと引き寄せた。

「私はタケェぞ」

 違う意味で物凄い勘違いをしているようだ。

「いや、そういう訳じゃなくてですね」
「ナンダァ? ここまで来てそれはないんじゃね?」

 こちらを誘うような言葉と、その容姿。男として嬉しい事ではあるがなんにしろ―。
 ―酒臭い。

「さぁっ、こいよっ」

 どうやってこの場を収めようか考えていると、首に回された手から解放されると同時に、視界にベッドの上で大の字になる人の姿が見える。

「完全マグロ宣言―ですと!?」

 驚愕と共に、訪れたのは安堵。
 その両方の感情はどちらもベッドの上で大の字になっている金髪女性からのものなのだが、その人自身はもう大の字になった瞬間に眠りへと誘われていた。
 ふぅっと息を吐きながら腰に手を当て、その姿を眺める。

「夜久」

 朝起きたらどう説明しようかと考えていると、聞こえてきたのはユリアの声。
 意識が戻ったのかと、いやこの場合は意識が戻ったと表現して良いのかと、一人で考えながらもう一つのベッドへと目を向けた。

「いやー、ちょっと困っていましてね。その困っている理由はまた説明しないといけないんですが―いいっ!?」

 やっと相談相手になりそうな人が起きたと思ってその姿を目に納めると同時に、夜久は一歩引いた。
 なぜならそこには、ベッドの上に座りながら泣いているユリアの姿があったのだ。

「私は―私は―」

 涙を流す女性の対処法なんて、それに対する経験値が低すぎる夜久にとって、どうしたら良いのか全く分からない。
 いや、そんな経験値は低くて良いのかもしれない。

「い、いや―なんにもしていませんよ。わ、私はほら、泥酔した女性を部屋に連れ込んで一発ヤル様な外道がするような事はしない人間ですよ。折り紙つきです」

 なにがどうして折り紙つきなのか全く分からない言葉だが、この言葉を前にしても、ユリアは泣きやまない。
 いや、この言葉を前にしているからこそ泣きやまない。

「なんで―なんでこんな事になって……」
「だから、何もしていませんって」
「私はっ、綺麗な体でいたかった!」
「いやいやいやいや、何もしていませんって」

 噛み合っているようで噛み合ってない会話。
 そもそも、片方が酔っ払いで泣き上戸の気がある人間である以上、会話成立は難しいのかもしれない。

「夜久っ!」
「ごふっ」

 いきなり抱きつかれた。
 同時に夜久の腰と腹部に走ったのは苦痛。

「私はもう、やっていけないっ」

 ギリギリギリっと腰へと回された腕で締め上げられる。

「やっていけます! やっていけますから! 放して―」

 腹部に顔を埋める様な形のユリアの頭を掴み、引き離そうとするが、もちろん力は夜久<ユリアである。
 勝てるはずがない。

「ああ―」

 目の前に川が見える。
 聞こえるのは川のせせらぎや小鳥の鳴き声ではなく、背骨の悲鳴。これが聞こえなくなった時、多分夜久は川の向こう側へとブン投げられるのだろう。

「あー」

 グルンと視点が反転し、床から足が離れるような感覚と自分の体が空気を切る様な謎の感覚。ああ、今自分は飛んでいると判断出来た時にはもう、ボフンとベッドに叩き付けられていた。

「夜久ぅ―」

 相変わらず、腰に手を回しながら腹部に顔を埋め、泣き続けるユリアに対し、完全マグロ状態の夜久。
 もうどうにでもなれと、遠くの壁を見ながら自分の人生を振り返っていた。

「ああ、地獄に墜ちるんでしょうね」
「夜久―っ」

 回想終了まで五分も掛からなかったと思われる。
 いつの間にか腰に回された腕の力の弱まっており、顔を埋められていた腹部の方からは安らかな寝息が聞こえてきていた。
 下へと目を向ければ、ユリアが目を瞑って眠っている。それを見て、安堵の息を吐くと同時に小さな微笑みを見せ、頭の上に左手を乗せると、右手で腰に回された手を解く。
 少々音を立てても起きそうにない気配ではあるが、静かにベッドから降りて、旅の必需品などが入ったリュックの中から小さな毛布を取り出すと、ベッドから離れた所の壁に背を預け、床に座る。
 今日は色々とあったが、なぜかこの一時間程が一番疲れ、体へのダメージも多い様な気がする。
 しかし、考えるべき所はそこではないだろう。レインボーウイングの事について、考えなくてはならない事は沢山ある。
 特に、あの時の刺客が本当にレインボーウイングの手の者なのか、違うとしたらなぜあそこで酒場を狙ったのか。拷問してでも吐かせておくべきだったかもしれないが、あの時はいつ警備兵が来るかという中で時間が無かった。
 最後の一人は四番目に殺った奴にしていれば、すんなりと情報を聞き出せたかもしれない。色々と反省する所も踏まえながら、整理していく。
 しかしそこには五人も人を殺めてしまったという後悔のそれは無く、葛藤のそれも無かった。もう既に心も何も、殺しというそれに反応を示さない。

「はぁ」

 頼りはベッドで眠っている金髪女性の情報だけだろう。それが有力であっても、そうでなくても出発を変えるつもりはないが、少なくとも交互の行動には影響する。
 特にまたああいう刺客が送り込まれるかどうかは重要なところだ。

「ふあぁ―」

 流石に眠くなってきたようだ。
 毛布に包まり、コロンとその場に寝転がる。
 決して快適と呼べない所ではあるが、久々の安全地帯に心穏やかに夜久は目を閉じる。




 グルグルと体が回る感覚。
 ガンっと体の側面が何かに当たり、夜久は眠りの園から無理やり引っ張り上げられた。

「おいっ、イモムシ」

 まるで揺り籠の様に揺れる視界の中、夜久はその顔を視界に納める。

「ああ、どうも」
「起きたか色男」

 夜久が起きた事を確認すると、金髪女性は夜久の体を揺らしていた足を退かし、腰に手を当てる。

「いやー、起きてくれましたか。昨日は色々と―」

 体を起き上げようとした時、何もかもが動かない事に気が付く。
 手足はもちろん、体全体がガチガチに固められているような。

「って! 何ですかこれは!」

 毛布にくるまって眠っていた夜久だが、その上からグルグルと巻き付けられたロープの存在は予想外のそれでしかない。
 力を込めても足の踏ん張り様がなくて思うように力が出ないし、その度にもじもじと動く自分が一番最初のイモムシという言葉のそれに該当するようでなんとなく嫌だった。

「なぁ、色男。誘拐ってのは、犯罪だと思わねぇか?」

 腰に手を当てながら、芋虫のように毛布に包まり、その上からロープにグルグル巻きにされた上、床に転がっている夜久を見下ろすその姿。
 どう考えても―。

「多分ですね。この状況を見たら、私が誘拐された方でしかないと思いますっ」
「なぁ、知ってるか―?」

 金髪女性の満面の笑み。

「こういう場合、女の方が色々と都合が良いんだ」

 色んな意味で男尊女卑ならぬ女尊男卑な現実が目の前にある。

「ダークサイドに堕ちましたか! 目を覚ましてください! 貴方は素直な良い子のはずです!」
「うっせーよ。お前の彼女さん公認だ」
「なん……ですと……」

 ユリアのベッドの方へと目を向けると、大剣を鞘から引き抜いて肩に乗せているユリアの姿が見える。
 その目にはメラメラと燃えるモノがあり、この時点で嫌な予感がゾワゾワっとした。

「ユ、ユリア。なんか、ご立腹ですね」
「ああ、泥酔した女を部屋に連れ込んで強姦した奴をどうしようか考えていてな」
「あははっ、何処の小説の物語ですか? ちなみに、主人公の結末は?」
「ああ、強姦Aの最後は斬首だ」
「強姦A!? 斬首!?」

 このままでは人生が終了する。しかも、限りなく不名誉な濡れ衣を着せられた上で。

「ちょ、ちょっと待ってください! なぜ私が強姦を!?」
「ああ、それはこっちだ色男」

 金髪女性の発言。

「あっちの彼女は憶えていないみたいなんだけどな。私は昨夜の事を断面的に憶えているんだわ」
「なら!」
「お前とヤル直前まで憶えているんだ」
「そうです! 直ぜ―」
「で、多分そのままヤッたんだろ?」
「ちがーう!」

 完全マグロ宣言を体全体で表していた人がなに手慣れている感たっぷりの余裕を見せているのか、そこんところ少しムカッとしたが、相手を逆なでするような言葉は今は言うまい。

「多分って、完全に記憶ないじゃないですか」
「そうだなー」

 下腹部に手を当てる金髪女性。

「分からねぇな」
「分かってたまりますか!」

 なにも無かった事をあった事にされたら堪ったもんじゃない。特にこの状況では、あった事にされれば死神の大剣が迫ってくる。

「そもそも、昨夜は大変だったんですよ! 酒場が変な集団に襲撃されたのは憶えていますか!?」
「ん? おーい、色男の彼女、憶えているか?」
「知るか。今の今までの記憶がないんだ」
「だとよ。ちなみに、私も無い」

 泥酔していた人間に記憶を求める方が愚かな行為なのだろうか。しかしそれが原因でこうなっている節もある。

「ローブを羽織った魔術師が五名、酒場に向かって魔術を放ったんです。死者は数十人規模、やっとの事でその五人を倒し、ここまで泥酔した貴方達を運んだんですよ。感謝してほしいものです!」
「んで、その感謝を意識が戻る前に貰った訳か。忙しいな、色男」
「ちっがーう!」

 なんだかもう、言い逃れができないような気がしてきていた。
 完全に二対一、しかも主導権はあっち。どうしようもないのは、最初から決まっていた事なのかもしれない。

「んまぁ、気にスンナ色男。私は別に気にしてねぇしな」
「あー、なら解いてください」
「それはあっちの彼女さんが決める事だからよ」

 ユリアを指差す金髪女性。
 ブンブンと大剣を振り回しているその姿。体全体から真っ黒なオーラが滲み出ている。
 相手は完全に殺る気だ。
 どうしたものかと考えるが、全く良い案は浮かんでこなかった。

「ユリアさん。本当に何もしていないので、縄を解いてください」
「ふぅん―」

 完全にこっちを信用する気の無い返答と、まるでドブを歩くネズミを見る様な眼。
 縄で縛られているという条件をプラスすると、ある業界ではご褒美と謳われそうであるが、夜久の場合はそれに当てはまらない。

「私がそんな事をする人間だと思いますか? というか、ヤルのならば、ここに泊まった初夜にまずユリアを襲っていますって」
「ほぉう……」
「前言撤回。つまり、私は何もしていません。昨日は色々と疲れたので、運んでからすぐにこうやって寝てました」

 芋虫のようにモジモジと体を動かしながらの発言。
 実際、寝るときは縄で巻かれてはいなかったが。

「本当に、何もしていないんだな?」

 ここで初めて、何やら希望が見える様なお言葉。
 しかし、ここで事を仕損じては意味が無い。夜久は観念したような口調で―。

「はい」
「本当だな?」
「イエス マム」
「そうか―」

 腰に下げてる小剣を抜き、ユリアが夜久へと近づいていく。
 それを持ちながら、夜久の目の前に屈むその姿はとどめを刺さんとする誘拐犯のそれだが、ユリアは縄だけをその小剣で切断する。

「あー」

 やっと自由に動けるようになった自分の体を確認しながら、目の前に立つ二人を見上げる。

「とりあえず、先程までの話は不問という事で、解決で良いですね?」
「彼女さん、どーするんだ?」
「別に構わない」
「だそうだ。良かったな、色男」

 ポンポンっと笑顔で肩を叩く金髪女性。しかし、その言葉の中にはずっと違和感を憶えていたそれがあった。

「ところで、色男というのは止めてくれませんか?」
「ん? 嫌か?」
「当たり前です」

 物凄く女遊びに長けているろくでなしと思われるかもしれない呼び名は、誰だって嫌だと思うだろう。

「夜久と呼んでください。皆には、そう呼んでもらっています」
「夜久? また変な名前だな」
「東方出身なんです」
「ああ、あの変な国か。どうりで、その容姿か」

 夜久へと顔を近づけて、マジマジとその顔を見る。
 それを引く事もせずに真正面に捉えながら、夜久は呆れたように目を閉じる。

「変な国で悪かったですね」
「んまぁ、どーでも良いか。私はリリー・ヴァンハイム。家族からはリヴと呼ばれていた。ちなみに、ローレンス産まれローレンス育ちだ」

 最後の最後の都会っ子自慢が入っている。
 もちろん、そんな事は無視だ。

「それでは、リヴさん。ユリアの事は聞きましたか?」
「ユリア・ルージュだろ? ああ、彼女さんという呼び名は止めた方が良いか」
「そういう事です」
「んじゃ、ユリで良いな。よろしくな、ユリ」

 なぜそこをユリと省略したか分からないが、ユリアが気にしないのならば何も言う事は無いが―。

「ユリ?」
「ああ、ユリ」
「……まぁ、良いだろう」

 本人は気にしないようである。ならば、何も言わないでおくべきだろう。

「ところで、リヴさん」
「リヴで良い。夜久」
「―それでは、リヴ。貴方は昨日の酒場で私がレインボーウイングについて話したのを憶えていますか?」

 早速話を進める為、ここへと彼女を連れてきた目的であるレインボーウイングについて問いかける。
 瞬間、先程まで笑顔だったリヴの顔からその笑顔が消えた。

「そーいう事だったな。ちっ」

 舌打ちをしながら、ベッドへと近づき、それへと座る。

「残念だが、あれはお前たちを誘う為の餌。私自身、情報は無い」

 これだから酒場は嫌だったんだと喉まで出かかったが、それは呑み込んだ。

「餌? 目的は?」
「こっちがそのレインボーウイングについての情報が欲しかった」
「その可能性は考えていませんでした」

 ここでやっと夜久は床から立ち上がり、ユリアの隣に立つ。

「しかし残念ですね。私達もレインボーウイングがどういった組織なのか位しか知りません」
「お互い情報はほぼ同じかよ。んまぁ、しゃーないな」

 これでは、あの酒場に行った事も、あの戦いを切り抜けた事も、全て無駄骨となってしまう。
 というか、確定的だろう。

「はぁ、これだから酒場は嫌なんです」
「お前がどんな苦労したのかは知らんが、しょうがないだろ」
「ユリアは余裕ですね。まぁ、そうでしょうね」

 何も苦労しておらず、酒飲んで眠っていただけなのだから。

「さて、次の街に向こう準備をしましょう。ああ、リヴさんは自分のご予定に戻られて良いですよ」

 物凄くさっぱりとした切り具合である。
 しかし、まだリヴは何かいだいているようで。

「ちょっと待て。お前ら、レインボーウイングを追っているんだよな?」
「ええ」
「まさか、ローレンスから派遣された秘密部隊ってのは、お前たちか?」

 ちょっとした思考停止。
 夜久の頭の中での超高速処理はそれでもすぐに起動して情報を処理する。

「おや? 知っているんですか?」

 とりあえず、出方を見る。

「ああ。ローレンスで起きた兵士の殺害。その犯人を追っている部隊がいると。そして、犯人はレインボーウイングだと」
「うーむ」

 ローレンスで起きた兵士の殺害。これは、モックレートが言っていた宝剣が消えたと気付いた前夜に城壁の門の番をしていた兵士が殺されたというあれだろう。
 しかし、なぜその犯人がレインボーウイングだとリヴは知っているのか。いや、証拠は見付かっていないので、夜久自身もそれを確定する事は出来ないが、夜久はもちろんモックレートも関連性は高いと考えてはいた事。
 だがその時はレインボーウイングの情報は全く手に入れていなかったはず。まさか、後からモックレートが手に入れたのか。そうだとしたら、それはダダ漏れではないか。極秘任務が危うくなる。
 だとしても、まだそれが確定した訳じゃない。ここは慎重に話を進めなくては。

「へぇ、そんな部隊が。どこでそんな話を?」
「私はローレンスの兵士に顔が利く。それなりの情報を聞き出すのは得意だ」
「その兵士からはレインボーウイングの情報は?」
「無い。だが、殺された兵士の遺留品にこれが混じっていたんだ」

 リヴがポケットから取り出したのは、夜久が持っているあれと同じカラフルな羽根。
 つまりは、それを元に情報を誰かから聞きだしたという事なのだろう。

「おやまぁ」
「知り合いの兵士から犯人を追っている部隊があると聞いて、こうしてやってきた。レインボーウイングに関しては後から知った。私の情報はこれだけだ」

 リヴの口から出てきた纏めの言葉。
 つまり、これは宝剣の事については知らないという事なのだろう。極秘任務とは、なにを極秘にするかという所に重点を置くが、それはこの場合宝剣が盗まれたという事、その宝剣を夜久達が取り戻そうとしている事、そもそも宝剣の存在の事。
 まだその事について知らないとは断定出来ないが、こちらからその事について口にするような事はしない。

「うーん。で、その兵士を殺害した犯人を追っている部隊が私達だと知ったら、どうするんですか?」
「付いていく」
「それは唐突な事ですね。兵士一人が殺された。貴方にとってはそれだけでは―?」

 情報は間違ってはいるが、共通の人物を追う夜久達を追いかけてきたのだから、それなりの理由があるのだろう。

「殺されたのは、兄貴だ」

 結構ヘビーな理由だった。
 その言葉がリヴの口から出た瞬間、隣のユリアに腰を肘で小突かれた。
 確かに、不毛な事を聞いてしまった。

「それは―また……」

 どう言葉にして良いのか分からなかったが、夜久が何かを言う前にリヴが続いて口を開いた。

「だから、私は仇討をする。その為に、ここまでやってきた訳だ」

 夜久へと向ける目には決意がある。
 自分の兄を殺した奴を殺してやるという負の決意。

「仇討―ですか」

 顎に指を当てながら、夜久はユリアへと目を向ける。
 多分、仇討という言葉に一番敏感なのはユリアだろう。それを気遣っての視線なのだが、見えたユリアの横顔からは、何も窺えない。

「お前―」

 ユリアが口を開く。

「兄を殺した人間が、そんなに憎いのか?」
「ったりめぇだ! 家族を殺されたんだぞ! ぜってぇ殺してやる。この私の手で、苦しませて殺ってやる! 必ずな!」

 グッと拳を握るその姿を見て、ユリアは目を閉じた。

「そうか―」

 その言葉を受け止めるように、噛みしめるように口を閉じる。
 しかし、それは間違っている。夜久は、人差し指でユリアのこめかみを小突いてから、リヴへと口を開く。

「恨み辛みを吐くのは本人の目の前だけにして下さい。で、結論から言うと、私達は確かに兵士を殺した犯人を追っています」

 正確にはその犯人が同時に犯した窃盗、盗まれた宝剣を追っている。

「なら! 一緒に―」
「甘いですね。こちらは極秘任務。大事には出来ないのです」

 レインボーウイングを追いかける理由が仇討ならば、それを目の前にした時に暴走する可能性がある。
 目の前にしなくても、仇討に関しての大きな行動は人の目に触れる。昨夜の酒場での出来事もある。ちょっと人の目に触れるだけでも、刺客が来る可能性だってある。

「それに、私達の目的は殺人ではありません。あくまで犯人の確保、連行です」

 前半は本当だが、後半は嘘である。犯人ではなく、宝剣の確保と返上。だが、これに関しては口に出さない。

「貴方の仇討の助けにはなれそうにありません」

 仇討の手助けなんてしても、碌な事にならない。そんな事は誰もが知っている事であり、誰もが避けるべき事だろう。
 出来るだけ、拒否の意を伝えたつもりだったのだが。

「大丈夫だ。お前たちには迷惑をかけねぇ。私は、私一人で仇討をする。牢獄に入れた後でもなんでもな」

 色々と駄目だった。

「いや、別に私達と一緒に行かなくても―」
「恥かしい事なんだが、ローレンスから外に出たのは初めてでなぁ。右も左も良く解らねぇままここに辿り着いたんだ」

 考えてみれば、ここまで来たという事はローレンスからそれなりの日数を掛けてユールの街までやってきたという事になる。
 慣れている夜久にとっては別にどうってことは無い道のり――はずだったが、初めての旅ならばそれなりの苦労があっただろう。

「殺すのは後で良い。頼みこんで、死刑執行人にしてもらえれば良いだけだしな。だが、兄貴を殺した奴が、今ものうのうと逃げて笑っていやがると考えると居ても立ってもいられねぇ」

 仇討の一環として、そういう事をしているとは聞いた事があるが、後半は完全にリヴの性格の問題である。

「頼む! 旅の途中で魔物に襲われて死んだら元もこうもねぇ。プロであるお前たちについていかせてくれ!」

 手を合わせて頼みこんでくるリヴ。

「そういわれましてもねぇ」
「戦闘なら大丈夫だ! これでも、それなりに出来るぜ!」

 シュッシュッとジャブの素振りを見せるリヴ。
 しかし、なぜジャブなのか。

「外に出てきたのならば、それなりに自信があるのは分かりますが―」

 旅は道連れ世は情けというが―いや、世の情けなんて微塵も感じた事は無い。
 とにかく、この場合はどうしたら良いのだろう。

「ユリア、どうします?」

 隣にいるユリアに問いかけてみるが、ユリアはこめかみを手で押さえたまま固まっていた。

「ユリア?」
「え? あ、ああ。なんでもない」

 どうやら、話を聞いていなかったらしい。
 こうなると、夜久が判断を下さなければならない。
 メリットは同行人が増える事。これによって魔物との戦闘のよる死亡率は下がったり、それなりに賑やかになったり、色々とある。
 デメリットは人が人と付き合うという事。なにが生じるか分からないそれは、あらゆるものがデメリットになる可能性がある。さらに、勝手な行動をされると総崩れになる可能性もあり、信頼が持てるまではそれなりの監視も必要となる。
 こういった感じで、頭でただメリットデメリットを並べていっても、埒が明かない。どちらも沢山あり、差し引きでどうこう考えられるようなことではないのだ。

「はぁ、別に良いでしょう。ですが、情報収集は私の仕事です。新たな街では、勝手にレインボーウイングについて聞いて回らないでくださいね」
「いよっしっ」
「あと、仇討の件も口に出さないように。それと同時に、それに関しての大きな行動にも出ないように」
「わーってるって」

 返事からして、どこか信用できない。
 いや、ここはリヴが仲間に加わる事によるメリットを考えなくてはいけない。

「そういえば、戦闘にはそれなりの自信があるんですよね?」
「ああ。この拳でローレンスの兵士を二百人はのしてやった」
「それは良い戦力ですねー」

 つまり、魔物との戦闘経験は浅いという事だろう。メリットどころか、デメリットが目立つ。

「夜久、決まったのならば早く出発の準備をするぞ。もう朝というより、昼の時刻に差し掛かっている」

 このユリアの言葉で、初めて夜久は窓の外へと目を向ける。
 言われてみれば、朝というのには日が空高く昇りすぎている。

「もうこんな時間ですか。ではリヴ、すぐに準備をして検問所の外で待ち合わせをしましょう」
「了解。待ってろ、すぐに行くっ」

 早速部屋を出ていくリヴの姿を見送り、夜久は大きなため息を吐く。

「溜め息を吐く位ならば、断れば良かっただろ」
「そうは言ってもですね。断って旅先で死なれると後味が悪いです」
「そんな事、私達が知る機会なんてないだろうに」
「それもそうですが、ローレンスに帰ればなんとなく分かるかもしれませんしね」

 早速リュックの中身を確認しながら、夜久は後々の事を色々と考えるのであった。






 それから十分も経たない間に、夜久とユリアはそれなりの武装をし、宿屋のカウンターの前に立っていた。

「どうも。ありがとうございました」

 借りた物は返さないといけない。宿屋で部屋を借りた場合は、その部屋の鍵だ。
 カウンターにいるのは、いつもの女性従業員。

「まいどー。ベッド汚してない?」
「汚していません」
「後で確認だねー」

 何を期待しているのかは知らないが、多分その期待に添える事は無いだろう。

「それでは、またお会いする事があれば」

 またここを訪れる時が来るのならば、それはいつになるのか分からない。一期一会とはよく言ったものだが、旅をすればそれが当たり前になる。
 寂しいと感じるのはその人次第ではあるが、夜久でもこの別れは少々後ろ髪を引かれるものがあった。

「あっ、ちょっとお待ちなさいな。お兄さん」

 リュックを背負ったカウンターへと向けようとした時、呼び止められる。

「ちょっとマズイ事になってるよ。ねっ、昨夜の事―」

 にこやかに言うその顔。
 しかし、夜久の表情は穏やかのそれではない。

「おや? もうここまで届いていますか?」
「もちろん。で、警備兵からこんな物が届いているの」

 ピラピラと白い紙を揺らしながら、女性従業員がそれに目を向ける。

「黒髪、灰色の目をした男と銀髪赤目の女を見付けたら連絡を―」

 どうやら、先手を打たれたらしい。
 あの酒場で夜久とユリアを目撃した人間は沢山いる。しかも、律儀に夜久は全てを終えた後に息があった一人に平然と話しかけている。それらの人の証言を取り、夜久とユリアの事を警備兵は嗅ぎつけたのだろう。
 犯人だとは認識されてはいなくても、重要なカギを握る人物だとは認識されているだろう。

「どうしよっかなー。ちょうど目の前にそれっぽい二人がいるんだけどー」

 ワザとらしい言葉。
 しかしそれに対し、夜久は笑顔で対応する。

「貴方と私の仲じゃないですかー。見逃して下さいよ」
「でもー、これに背くと色々と面倒だしなー」
「そんなこと言わずに。ねっ」

 ここで通報されたりしたら、数日はこの街を出られないのは確実である。そうならないようにしたいのは当たり前だが、街中にこれが広まっている今、この場を凌いでもまだまだ困難はある。

「ふふっ、冗談。大丈夫、通報なんてしないから」

 ペラペラと揺らしていた紙を両手で持ち、それをビリビリと真っ二つに破ると、カウンターの上にそれを置く。

「でも、このままじゃ街から出られないよ。検問所にも、これと同じものがいっているだろうし」

 それが一番の問題だった。
 ここにもあの紙が渡っているとすれば、もちろん検問所の兵士たちにも情報は伝わっている筈。死傷者数十人という大事件が滅多に起きる事は無いユールの街の兵士とはいえ、目の前にやってきた情報と同じ特徴である夜久とユリアをそのまま街の外へと出す事はしないだろう。
 ならば、検問所を通らずに外へと出ないといけないのだが、見付からずにそれをやるのは困難であり、見付かった場合はさらに面倒な事になる。

「しかし、こうなった以上はどうにもなりません。強行突破然り、街を囲う柵を乗り越えてでも外へと出なければ」
「駄目だよそんなことしちゃ。捕まった時、君の罪は重いよ。彼女も巻きこむ事になるしねー」

 女性の目がユリアへと向けられ、ほんの少しだけ細められる。
 それを受け、ユリアの目が鋭くなった。

「なら、どうしろと?」
「お兄さん達が昨夜、あの酒場に行っていない。そして、この宿屋から一歩も出ていない事を証明すれば良いんだよ」

 確かにそうである。
 だが、その嘘を証明できるものが無いから困っているのだ。

「その証明する物が無いんですが?」
「ダイジョーブ。お姉さんに任せなさいな」

 トンっと胸に拳を当てながら、得意げに言う女性。
 なにを任せて良いのか、物凄く不安だった。

「証拠というより、証人ね。大丈夫、私が言い包めてあげるから」

 つまり、この女性が検問所の兵士に夜久とユリアは昨夜何処にも出歩いていないので、あの紙の二人とは別人。だから外に出してやってくれと交渉する様だ。
 物凄く不安だ。

「大丈夫なんですか?」

 少し呆れ口調。
 しかし、女性は。

「まっかせなさーい! これでも私、色々と顔が広いのよ」

 確かにその口調と態度で他人と接していれば、顔が無駄に広くなるのは当たり前と言える。
 不安しか残らない言葉ではあるが、何事も丸く収める旅立ちをするには彼女に頼るしかないだろう。どうにしろ、捕まるのならば捕まってしまうのだ。

「おい、大丈夫か? 夜久」

 ユリアの声が横から聞こえる。

「まぁ、賭けてみるしかないでしょうね」
「博打は嫌いだ」
「奇遇ですね。私も、博打は嫌いです」

 はぁっと大きなため息が漏れる。
 どうして、こんな事になってしまったのだろうっと。

「それじゃ、行こうかお二人共」

 カウンターから出てきた女性が声を掛けると同時に二人の間を通って外へと通じるドアへと向かっていく。
 今の夜久達にはそれに付いていく事しかできない。ユリアは腕を組み、小さくため息を吐きながら、夜久は背負っているリュックを背負い直しながら女性に付いていく事にする。

「ところでさー」

 外に出ると同時に待ち受けていた女性の言葉。

「二人ってさ、どういう関係?」

 外に出ていきなりそんな話題が振られるとは思ってもみなかったが、ここはテンプレートに答えておく。

「夫婦です」
「ええ!? 夫婦ぅ!?」
「そうです」

 既にリュックから取り出していたローレンス発行の通行証を見せる。

「うわっ! 本当だっ」
「そんなに意外ですか?」
「うーん。夫婦っていうか、まだ付き合いたての男女って感じ?」
「あー、それはあるかもしれませんねー」

 なんせ、まだ出会ってから一週間も経っていないのだから。

「でも惜しいなー。お兄さん、それなりに好みだったのに」
「それなりにって―」
「でも、結婚してなくても私じゃ無理かな。お姉さんには勝てそうにないや」

 ユリアを見る目は笑顔である。

「まぁ、この話は置いておいて、本当に大丈夫なんですか?」

 女性に渡した通行証を返して貰いながらの問いかけ。

「大丈夫大丈夫」
「いや、物凄く不安なんですけど」
「大丈夫だって。失敗したら、私だって危ういんだから」

 確かに、指名手配手前までいっている夜久達を外へと逃がそうとした事は罪になるだろう。
 それを考えれば、偽のアリバイを立証する事に名乗り出たのだからそれなりの自信があるように思える。

「ふんふんふーん」

 しかし、前を歩くその姿からは緊張感というそれを全く感じる事が出来ず、不安は募るばかり。
 そうこう言っている間に、検問所の前へと三人は辿り着く。

「ああ、そうそう。それなりに口裏は合わせてよ」
「合わせなければ、デメリットしかありませんよ」
「それもそっか」

 納得しながらドアを開き、中に入っていく女性に続いて夜久とユリアも中へと入っていく。
 そうなると当然、そこにいる兵士が夜久達へと目を向ける事となり、その目が細くなる。

「おい―お前た―」
「やほー、おはようっ」

 夜久達の特徴があの紙に書かれていたそれと合致していると気付いたであろう兵士が何かを言おうとしたが、途中で女性が割り込む。

「宿屋『フェザー』の女主人、プルマ・レゼンボーデン。お客さんの潔白を証明しに来たよ」

 いきなり本題を話し始めたプルマ・レゼンボーデンと名乗った女性。そもそも、あの宿屋の名前がフェザーだという事も、目の前にいる女性が女主人だという事も、その名前も夜久達は初めて知った。

「レゼさん、こういう事は―」
「なに? 私が言う事が信じられないの?」
「しかし―」

 資料が沢山のっている机をバンッと叩き、その先にいる兵士に詰め寄る。

「どこかの馬鹿が暴れた所為で、同じ特徴を持つうちのお客さんが迷惑しているから来たわけ。ねぇ、分かる?」
「そこの二人はレゼさんとこの客?」
「そう。あの二人は昨夜何処にも出かけてないわけ。部屋の中でにゃんにゃんしていただけなのに、あんなのが出回って迷惑極まりないの」

 にゃんにゃんなんてしていないというツッコミは心の中で、夜久はプルマに全てを任せる。

「しかしこちらも仕事で―」
「仕事は、昨夜起きた酒場での出来事の究明でしょ? うちのお客さんを拘束する事じゃない」
「それはそうだが―」
「私が証言します。この二人は昨夜、部屋でにゃんにゃんしていただけで、一歩も外に出ていません」

 だからにゃんにゃんしていないと、心の中で突っ込む。
 出来るのならば、それ以上に喜ばしい事は無いが。

「レゼさん―」
「ん? なに?」
「我々は―」
「んー? 聞こえなーい」
「はぁ、分かった。そこの二人、こっちへ」

 どうやら一歩も引かないプルマに対して、兵士が折れたらしい。
 夜久とユリアを呼び、街の外へと出る手続きを始めた。

「お前たちも運が良かったな。たまたま泊まった宿屋がレゼさんの所で」
「ええ、助かりましたよ。色々と」

 感謝しないといけない事ではあるが、色々と引っかかるのも確か。
 正直に喜べないのも、人間の汚い所を見過ぎてしまったせいか。

「うん。これでオッケーだね」

 手続きを終え、検問所の外へと出るとプルマが振り返って、満足げに言う。

「ええ。ありがとうございました」
「いいよいいよ。お礼なんて、またここに来た時には私の宿屋に泊ってね」
「そうします」

 またここに立ち寄るかどうかは約束できないが、その時が訪れればまたあの宿屋に泊るのも良いだろう。

「んじゃね。また、会えたら良いね」
「そうですね。それでは―」
「またね」

 笑顔を見せてから、宿屋の方へと向かって歩いていくその姿を眺めながら、夜久は考える。

「ユリア」
「なんだ?」
「こう親切にされると、疑いが生まれるのは私の欠点でしょうか?」
「さぁな」

 目を閉じながら答えるユリアは良いとも悪いとも言ってはくれなかった。
 結局のところ、そんなのは時と場合によるのだ。

「んで、あいつを待つのか?」

 ユリアの言うあいつとは、リヴの事だろう。

「ええ。そのつもりですが?」
「あいつの方は、大丈夫なのか? あの酒場にいたんだろう?」
「それもそうですが、あの紙には私達の特徴しか書かれていないようですし、大丈夫では?」

 プルマが紙を持ち、口にした言葉の中には二人分、夜久とユリアの特徴しかなかった。それならば、リヴが検問所で止められる事は無く、すんなりと出てくるだろう。

「おーい」

 実際、夜久達が街の外へと出て二十分もしないうちに検問所の前からこちらへとやってくるリヴの姿が見えた。

「ほら、大丈夫でしたよ」

 目の前へとやってきたリヴの姿を見て、夜久が微笑みを見せる。

「早かったですね」
「いや、ちょっと遅かったくらいだ。ちーっと、苦労してな」

 ニシシっと笑うその姿を見て、夜久の脳裏にあるモノが浮かぶ。

「ところで、背負っているのは荷物ですか?」
「ん? ああ、一応着替えとか食糧とか色々と」
「それは良かった。三人分は用意していないので、貴方が何も持ってこなかったらどうしようかと、考えていたんです」

 そうは言っているが、夜久が注目しているのはリヴの両手に嵌められた籠手。普通、防具として扱うそれだが、リヴが嵌めている物は、防御はもちろんであると同時に、攻撃力を増す鋭利な形をしている。

「それに、拳で兵士をのしてやったと、言うほどはあるようです」
「ん? ああ、この籠手な。私は武術で戦うから、必需品なんだ」

 手を開いたり、握ったりを繰り返しながらの言葉。その言葉を聞きながら、夜久がリヴの足へと目を向けてみれば、ブーツに鉄板が張り付けてあり、こちらもそれなりの耐久性を持っている事が窺える。

「武術ですか。珍しいですね」
「ああ。剣やらなんやらを使うより、私にはこっちの方がしっくりくる。なんでかは良く分からねーけど」

 金髪で武術に長けた女性。
 脳内に浮かぶそれと嫌な共通点を持つリヴに対して、夜久は微笑みを向ける。

「まぁ、良いでしょう。これからの戦闘の事は歩きながら話しましょう」
「おうっ! 前衛は任せろ!」
「はははっ、頼もしいですね」

 確かに、武術ならば前衛が確定的だろう。
 しかし、これで気遣いもまた増える事となる。一緒に旅をすれば、また何かが増えるだろう。
 それでも仲間にすると決めた以上、全てを受け入れなくてはいけない。

「なんというかこう―難儀ですね」

 一緒に旅をする女性陣を眺めながら、夜久は呟いた。

「どーいう意味だ?」
「どういう意味だ?」

 二人同時に言葉に対し、夜久は顎に手を当ててキリッとした表情で。

「美女二人を満足させるのは大変だという事です」

 一人と二人の間を、冷たい風が通り抜ける。

「ところでリヴ、武術とは具体的にはどういったもんなんだ?」
「一応、それなりに歴史がある道場で鍛えていたんだけどよ。ちょーっと私には合わなくて、大体自己流だぜ」
「我流か」
「つーことで、気になった所は教えてくれ。第三者の目から見た意見も参考になる」

 夜久を完全無視して歩き始める二人に対し、止まっていた夜久の時間がやっと動き始める。

「ああっ、待って下さいよ!」

 急いで二人を追いかける。
 こうして、三人の旅が始まった。


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