週刊文春・特別報道(2010.10.21)
鹿野道彦農水大臣(山形1区選出・当選11回)
政策担当秘書吉村公尋と暴力団2名を含む計8名が事件取り下げ強要
鹿野農水大臣制作担当秘書・吉村公尋の
暴力傷害事件のもみ消し強要を報道した週刊文春
九州ジャーナル社は暴力団2名が関与していたことも把握している。
大手週刊誌週刊文春が10月14日(木)発売で鹿野農水大臣政策担当秘書吉村公尋と詐欺師天野雅博達の「強要事件」を特集で報道した。本誌がネット新聞で報道すること数週間遅れの報道であったがその反響の大きさと、本誌に対するアクセスの多さと電話・メール・ファツクス等の多さに驚かされ、現在も止むことはない。
多くの事案を抱えリアルタイムに報道する週刊誌で発売前の土日から連休を挟んだ制約の中での取材報道に漕ぎ着けた週刊文春の優秀な記者と豊富な情報力とに改めて驚きを隠し得ない。
昨年の政権交代以来、国民の多くは我が国が抱える制度疲労の改革と実行を民主党に託し期待してきたが、その期待は泡沫と成って消え去ろうとしている。
本年6月5日、1本のメールが本誌に届き、飲食店「居酒屋革命」の取材を開始したが、まさか今回の取材が、暴力団・民主党政権下の農水大臣政策秘書の登場は、当初は想像しなかった。大臣大臣ともて囃される政治家が自分の分身とも思える公設秘書NO.1の政策担当秘書が今回起こした犯罪をどの様に理解し、また、国民に説明していくのか興味を持って眺めたい、公設秘書の給与は国民の血税で賄われている。
強要事件発生「2010.2.1(月)」
現場、旧・居酒屋革命新宿店、現・旬菜美膳 義
強要事件の舞台と成った「居酒屋革命」旧・新宿店、現・旬菜美膳 義=新宿区西新宿
「暴力と嘘」に懲りない面々
加害者高橋智将(「居酒屋革命」役員、現在執行停止中)
詐欺師天野雅博の偽名刺
本年1月28日、02:00大山店と新宿店経営者を交えた飲食会が新宿のラウンジで開かれた。出席していた「居酒屋革命」
大山店の料理責任者で最高経営執行責任者高橋智将が、大山店社長A氏を馬乗りになって酒瓶で顔を暴打して鼻骨を骨折さす傷害事件が発生した。この時、「居酒屋革命」関係者達は誰1人止めることはなく寧ろ被害者のA社長に対して天野雅博は‥「上から物を言うから殴られるのです」とクールに言い放っている。
事件発生4日後の本年2月1日、新宿署に「暴行傷害」の被害届を提出したA社長を天野雅博達8名は旧・新宿店に呼出、A社長に対して「被害届取り下げ」を脅したり空かしたりしながら迫り、多勢に無勢の中でのA社長から詐害届け取り下げの「覚書」を書かせた。
この時、暴力団住吉会関係者と極東会関係者と一緒に大きな役割を果たしたのが、鹿野農水大臣政策担当秘書吉村公尋である。詳しくはもくじに従ってこの後、報道する。
■はじめに。
人間は考える葦でありまた夢多き生き物でもある。両親から授かった尊い命と英知とは、人々のため、公共の福利のために使うことで授かっている。嘘をつく為に授かった英知ではないはずである。また、困っている人を見つけたならば駆け寄って手を差し伸べ、人を敬う心の持ち主が政治に携われる基本であろう。自分の見栄を追い求めることが政治ではない。
吉村公尋はその基本を持ち合わせず、己の見栄と欲望だけで政治の道に携わっている愚かな若者の1人にしか過ぎないことが今回の事件で発覚した。吉村公尋は今回の事件をどの様に理解しているのが機会があれば尋ねてみたいと思って成らない。彼は、政治の世界で学んだ饒舌と開き直りとを常に兼ね備えて生きている愚かな若者である。
年若き吉村公尋は36才にして本年1月、鹿野道彦衆議院議員政策担当秘書と成った。数多くいる国会議員秘書達の中でも羨望の眼差しで見られている1人でもある。その吉村公尋は、事もあろうに詐欺師天野雅博とは10年来の付き合いで友人の1人ですと誰、憚ることなく豪語している。
特に本年2月1日、暴力団2名立ち会いで飲食店「居酒屋革命」社長A氏に「暴力傷害事件被害届」取り下げの「覚書」を強制的に書かせた席でも居並ぶ暴力団関係者の前でハッキリと述べている。詐欺師との関係を10年来の付き合いで友人の1人ですと豪語する吉村公尋の思い上がりと、政治家秘書としての「自覚と責任」とは何かをこれから問う。一方、鹿野農水大臣にも同様に問い掛けたい。
政治に携わる人間はいつの時代から人を敬う心を忘れ、悪の道だけを選ぶ人間になったのだろうか。詭弁・方便だけで世渡りする人間に成ったのだろうか。日々の政治活動に緊張感を失い「カネ・カネ・カネ」だけを追い求める詐欺師と政治秘書、天野雅博・吉村公尋2人と鹿野農水大臣とに九州ジャーナル社ネット新聞を通してこれから問い掛ける。同時にネット新聞愛読者達にも訴えたい。
■無責任極まりない鹿野農水大臣発言。
国会議員秘書‥「あの事務所には秘書が居るんですか」
鹿野道彦農林水産大臣経歴。
1942年1月24日(68才)山形県山形市で衆議院議員鹿野彦吉の次男として生まれる。父親彦吉は当選5回、落選5回。
1964年学習院大学政治学科卒業。
1976年衆議院議員当選、党内では福田赳夫率いるC和会に所属、運輸族として活動する。
1989年第一次海部内閣で農林水産大臣就任。
1992年宮沢改造内閣で総務庁長官就任。
1994年自民党離党、新党みらい代表就任。
〃 12月新進党に参加。
1997年新進党首選に立候補、善戦したが小沢一郎に敗れる。
1998年反小沢系議員を集め国民の声を結成、代表就任。
〃 民政党結成、幹事長就任。
〃 4月27日民政党が民主党に合流、副代表就任。
2002年2月秘書給与流用で民主党離党。
2003年9月民主党復党。
2003年11月9日衆議院選挙比例復活。
2005年9月11日衆議院選挙落選。
2009年8月30日衆議院選挙当選(11回)。
2010年9月17日管改造内閣、農林水産大臣就任。
3度目の秘書問題が発覚、鹿野農水大臣
2002年2月、元秘書が経営するコンサルタント会社「業際都市開発研究所」の口利き・斡旋関与で元秘書が逮捕、この会社に秘書給与を肩代わりさせていたことが発覚、離党する。同年、9年間にわたり親族企業に秘書3人分3390万円を肩代わりさせていたことも発覚した。
秘書問題では懲りない御仁、これで3度目
衆議院予算委員会で、鹿野道彦議員に対して、元秘書による贈収賄事件関連をめぐる参考人質疑が行われた(2002/04/08)。
1.「業際研」設立と運営に関する関与疑惑について。
2.親族企業による総額3390万円に上る秘書給与肩代わり事件。
3.「業際研」(代表者、元秘書・尾崎光朗)による秘書給与肩代わり事件。
4.2010年9月14日週刊文春で政策担当秘書吉村公尋が、暴力団2名と一緒に警視庁新宿署に提出されている「暴行傷害事件」被害届取り下げを強要して、「覚書」を書かせ取り下げさせたことが特集で報道された。
2002年2月、元秘書の贈収賄事件逮捕で民主党副代表(当時)離党。同年にも親族企業から3390万円の秘書給与肩代わりが発覚。翌2003年9月に復党している。11月9日の衆議院選挙では辛うじて比例復活当選を果たし議席を得た。
政策秘書吉村の友人は入れ墨者、庇う鹿野農水大臣
〃 〃 は過去ブログ主宰者を恐喝
‥‥‥週刊文春の報道では鹿野農水大臣は、政策秘書吉村公尋の今回の行為に対して答えている。
「承知しておりませんでした。聴取したところ友人の立場で仲裁したとのことで、特に問題にされることはないと考えます」。
秘書が秘書なれば、大臣も大臣である。それともこの御仁は、秘書の犯罪にすっかり慣れてしまっているのだろうか。背中に入れ墨を入れた秘書の詐欺師の友人を庇い立てしなければならない大臣の立場は哀れにも思える、それと68才にしては長寿社会の仲間入りを果たすには少々早すぎる感もしなくもないが。
‥‥‥一方、本誌の取材である国会議員事務所の秘書は。
「鹿野さんの議員事務所には秘書が居るのですか、居ないとばかり思っていました‥‥へえー‥‥居るのですか。」
私がよく知る国会議員事務所のベテラン秘書の回答であった。この保守系ベテラン秘書はあからさまに代議士鹿野道彦(当時)を見くびっている様子であった、そして‥‥「またあの事務所に秘書問題か」。この代議士余程人望がないようである。しかしながら9月17日の管改造内閣前後を挟んで鹿野代議士の名前が取り座さされるようになり、民主党幹事長候補に上がり最終的には農林水産大臣に落ち着いた。この起用を見ても如何に民主党内に人材が不足しているかが明らかになった。
前自民党政権以来続く農水大臣のスキャンダルが、今回も政策担当秘書と暴力団との関係が取りざたされるようでは鹿野農水大臣も前途多難と言わざるを得ない。現在吉村秘書と暴力団関係者2名、詐欺師天野雅博達に強要され被害届を取り下げさされた被害者A氏は、再度警視庁新宿署に被害届を再提出し受理され事情聴取を受けている。吉村公尋政策担当秘書の身に何かが発生すると世論は厳しく反応しその矛先は鹿野大臣を通り超え民主党にも及ぶであろう。
■政策担当秘書吉村公尋。
2度目の取材
二面性を持つ36才の男
吉村は2008年、前衆議院議員前田雄吉(愛知6区選出3回当選、ネットワークビジネス業者との疑惑で民主党離党以後議席を失う)の公設第一秘書を務めていた時に、ネットワークビジネスを批判したブログ主宰者を衆議院内からの接続メ
ールで脅迫した過去がある。若さ故かそれとも本来持っている乱暴な性格からか暫し人生で暴走するようである。自分の姑息な行動は全て正しいと信じている様であり、この事に当人は全く気が付いていない様子でもある。
‥‥2回目の取材を行った、この時の彼は私を一方的に批判した。
「前回の取材でこちらの主張は全て述べ問題なしと理解している。何故2回も取材をしなくてはならないのか、あなたはジャーナリストとしての体を成していない」、この様な批判を一方的に浴びせられた。暴力団と一緒に行動を共にした国会議員秘書から逆批判を浴びせられるほど私の取材は甘くはない。
‥‥再度天野雅博との関係を尋ねると。
「10年来の付き合いで親友の1人だ」。
‥‥暴力団と一緒に何故「覚書」を強要したのか。
「相手のためを思ってしたまでで何ら問題はない」
‥‥暴力団と一緒に行った事でもか。
「たまにはその様なこともある」
これ以上の会話は用をなさないと思い打ち切った。 この青年「先生に迷惑が掛かります実名報道だけはしないで下さい」と泣き落としをするや叶わぬし察すると今度は一転して、「あんたはジャーナリストとしては体を成していないと」と罵り後は脅したり空かしたりの挑発を繰り返す始末であった。弁解と開き直りに長けた男であり、政治の道を目指す36才の青年にしては人生の生き様を何か誤解している節のある男でもあった。この乙子現在の政権党民主党のそして鹿野農水大臣の政策担当秘書に携わっている現状を鑑みると民主党政権の体たらく振りが容易に想像出来る。
私は、脅されようと空かされようと真実を書くジャーナリストの1人であり、政治力にも・権力にも・況してや暴力にも屈することはない。以後、ネット新聞で報道を開始し週刊文春の特別報道を待って報道後、再度ネット新聞を再開した。