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愛の旅人

阿部定事件
»〈ふたり〉へ阿部定と石田吉蔵―東京・尾久/浅草

 月下の公園でたったひとり、ベンチに腰かけていると、70年前に逃亡者でありながら、ここで孤独に放心していた女の残留思念をたぐり寄せられないものかと願わずにいられなくなる。

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愛欲の渦巻く花柳街のあった尾久を都電荒川線が走る。事件当時はひと目、定を見ようと群衆が殺到、電車を止めた=東京都荒川区で

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阿部定のおにぎり屋「若竹」の跡。建物は当時のままだという=東京都台東区で

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偽名で仲居勤めをした勝山ホテルは廃業して更地に=千葉県鋸南町で

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 隅田川べりにある東京・日本橋の浜町公園かいわいは、かつてはしっとりと華やいだ花街だった。美貌(びぼう)の芸妓(げいぎ)お梅の箱屋殺しを基にした新派の悲劇「明治一代女」の舞台でもある。

 1936(昭和11)年5月18日、30歳の阿部定(さだ)は、あまりに過剰な愛情に突き動かされて手をかけた石田吉蔵(きちぞう)の「魂」を懐に抱いたまま、この公園のみすぼらしいベンチに座っていた。

 吉蔵の形見の褌(ふんどし)を腹に巻き、そこにハトロン紙でくるんだ吉蔵の肉体の一部をはさみこんでいた。手ずから包丁で切り離したそれは、魂の交接する高貴な器官でもあったからだ。

 罪を償い、変名でひっそりと暮らしていた定は、戦後間もなく上梓(じょうし)した手記に、事件直後の逃走中、浜町公園で「伸び伸びとした嬉(うれ)しさで生まれて初めて野天で夜を明かした」と記した。ベンチに腰かけて、「あの人はモウ誰の手にも触れられない。遠い所に逝ったのだもの。モウ安心だ」と無上の安息の境地を漂っていたらしいのだ。

 全身全霊を傾けて愛した男をついに霊魂の領域で独占した女の押し殺された狂喜を物語るエピソードはしかし、裁判の前に予審判事の尋問に供述した事実を改変したフィクションだった。

 料理屋、待合、芸者置屋のひしめく荒川の尾久三業地(おぐさんぎょうち)にあった待合「満佐喜(まさき)」に吉蔵と約1週間も流連(りゅうれん)(居続け)して愛欲の限りを尽くした定は5月18日未明、帰るそぶりを隠さなくなった吉蔵を「殺して永遠に自分のものにする外ない」と決意する。

 首を腰ひもで絞めた吉蔵の亡きがらに、股間からのおびただしい流血を指ですくい取って「定吉二人キリ」と血文字を残し、市中へ逃走した。

 古着屋で着替え、眼鏡を買って変装すると、もう一人の情人の名古屋市議を呼び出し、今生最後の契りを交わして別れを告げる。夕暮れの浜町公園に立ち寄ったのは確かだが、吉蔵に追随する自死の覚悟が固まらないまま浅草の旅館に投宿した、と定は供述していたのだった。後年、手記に編集者の独断の創作とも思えないフィクションを織り交ぜた理由は不明である。

 逃亡3日目、定は品川の旅館で逮捕された。朝日新聞は「妖婦お定遂(つい)に就縄 刑事に笑で応待」と報じている。尾久署へ移送される定を待ち受けていた群衆は忘我の興奮に包まれていた。二・二六事件の記憶も生々しく、鬱屈(うっくつ)した大衆の心理は、定を希代のトリックスターに祭りあげようとしていた。

 定はその運命を潔く引き受けたかにみえた。だが、手記に透かし見える虚実あいまいな内面の真実は、死にきれなかった「殉愛」の聖なるヒロインに人知れずなりきることだったようだ。

「駄目な女」と書き残し失踪

 なまめかしく和服の襟元をくつろがせた、母親ほども年長の熟女の着こなしをはしたなく思いながらも、女剣劇の座長の浅香光代さん(75)は、勘所を押さえた彼女の客あしらいの手練手管に感心することしきりだった。

 「ちょっとホーさん、こちら浅香光代さんよ。チップを差し上げて」と、ほろ酔いの彼女がしなだれかかると連れの男は目を細めてうなずくばかり。

 東京・浅草の浅草寺裏で浅香さんは1960年代後半、料亭「芝居茶屋」を経営した。そこへ阿部定が、客としてしばしば現れたのだという。

 芝居茶屋は、桟敷で会席の弁当をつつきながら、舞台で浅香光代一座の剣劇名場面集のショーを観劇するという趣向だった。定はいつも、夜10時から始まる最後のショーに、紳士然とした初老の男と同伴でやって来た。

♪  ♪  ♪

 そのころ定は、60歳を過ぎてから吉原に近い台東区竜泉でおにぎり屋「若竹」を開店し、カウンターと土間にテーブルが一つしかない窮屈な店をかいがいしく切り盛りしていた。

 「阿部定の店」という触れ込みでほどほどに繁盛しており、浅香さんも返礼に一度だけ訪ねたことがあった。

 「しらふのときはシャキッとしているけど、酔うと口調が甘ったるくなるんです。茶屋に来た男も常連客で、他人とは思えないなれなれしさがあったから、できてたんでしょうね」

 戦後ほどなくして、事件直後の鬱々(うつうつ)とした熱狂をよみがえらせる第二の阿部定ブームともいうべき社会現象が、突発性の熱病のように起きている。

 石田吉蔵殺しで懲役6年の判決を受けた定は皇紀2600年の恩赦で残りの刑期を半減され、41年に出所した。

 変名で俗世にかえるとやがて、手記によると「真面目(まじめ)で意固地なくらい曲がったことが嫌いな」男と同棲(どうせい)することになる。戦時下は茨城県下妻市へ疎開し、戦後は埼玉県川口市へ移住、誰にも素性を知られていない安穏な日常に慰められていた。

♪  ♪  ♪

 ところが世間は、猟奇事件の「妖婦」を寛大に忘れてはくれない。

 47年に「昭和好色一代女 お定色ざんげ」と題した暴露本が出版された。戦前、地下出版物となって好事家(こうずか)にひそかに出回っていた定の供述調書を下敷きに、性愛描写を官能的に潤色して架空のざんげ録に仕立てた俗悪なエロ本だった。憤慨した定は名誉棄損で版元を告訴、それが新聞で報じられたために同棲生活も破局してしまった。

 このとき傷心の定は、つきまとう悲運を逆手に取って一世一代の開き直りをやり遂げてしまうのだから、底知れない反骨心を秘めていた。

 変名を捨て、作家坂口安吾と月刊誌で対談し、事件を舞台で再現する「阿部定劇」で「本人実演」の主演女優となって全国巡業の旅に出た。その後、10万円の契約金でスカウトされた浅草清島町(現台東区東上野)の料亭「星菊水」で12年間も看板仲居を勤めた。

 定が「若竹」のおかみだったころの肉声と容姿は、69年に公開された石井輝男監督の映画「明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史」にとどめられている。

 女の欲望をめぐる猟奇殺人事件の実録とうたったこの映画に、定はたった一シーンだけ出演し、浅草の吾妻橋に立って事件を追想しているのである。

 「あの人は喜んで死んだんだからね……人間、一生のうち一人じゃないかしら、好きになるのは……」

 この映画で定役を演じた女優の賀川ゆき絵さんはクランクインの前、新橋の料亭で本人と差し向かいで座談する機会があった。「気づいたら死んでしまっていたけれど、けっして後悔はしていないの」と不変の心情を吐露する小柄な老女の濡(ぬ)れた瞳がまるで童女のように澄み切っていたために、思わず抱擁したくなったというのだ。

♪  ♪  ♪

 映画公開の翌年、定は唐突に「若竹」を畳んで消息を絶つ。翌々年に千葉・内房の「勝山ホテル」に「こう」という名で仲居に雇われたが、約半年後、「ショセン私は駄目な女です」と書き置きを残して失跡してしまった。

 取材に4年半を費やして定の生涯をたどったルポルタージュの大著「阿部定正伝」(情報センター出版局)を書いたフリーライターの堀ノ内雅一さんは、彼女のあまりに一途な人柄を見過ごせないパトロンに恵まれて、晩年は手厚く庇護(ひご)されたはずだと夢想する。

 「星菊水」時代の同僚の証言に、切なく胸に染みる逸話があったという。

 泥酔した定をおぶって長屋の住まいに送り届けると、正体を失っていたはずの定はやおら押し入れを開けた。見ると位牌(いはい)と吉蔵の写真が隠されていた。定は同僚には目もくれず、つぶやき声で一心不乱に遺影に語りかけているのだった。――定吉二人キリ。

文・保科龍朗 写真・内藤久雄
(06/10)
〈ふたり〉

 粋で見えっぱりな気風の職人街だった東京神田の新銀(しんしろがね)町(現千代田区神田司町)で1905(明治38)年、江戸時代から続く畳屋「相模屋」の末っ子に生まれた阿部定は、派手好みの母親に溺愛(できあい)され、学業より三味線などの芸事に身を入れていた。ところが14歳のとき慶大生にレイプされて捨て鉢になり、浅草で自堕落に遊び歩く不良少女へと変わり果てる。逆上した父親は女衒(ぜげん)に頼んでわが娘を娼妓(しょうぎ)へ売ってしまった。

 花柳界を流浪する娼婦に落ちぶれた定は35年、商業学校長でもある名古屋市議(当時46)と巡りあい、情を通じる。ストイックな物腰の紳士だった市議に苦界から脱して小料理屋を始めるよう勧められた定が翌年、見習いの奉公先に紹介されたのが東京・中野の割烹(かっぽう)「吉田屋」。男っぷりのいい多情多淫(たいん)な主人・石田吉蔵(同42)にひきつけられた定は、いつしか待合で吉蔵と流連の身となり、性愛の絶頂と破滅のときを迎えた。



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