私の大切な友人へだいぶ以前に出した手紙をそのママ転載します。
昭和38年(1963年)3月・公明会(=公明党の前身)国民大会での山本会長の訴え
…“政治を監視せよ!”というのが、戸田先生の指導であった。
学会は、民衆の幸福と世界の平和を実現するために、各政党の在り方にも厳しく監視の目を向けていくが、それは公明会に対しても同様である。
■聖教新聞2006/08/28号 東京・関東・東海道合同研修会でのスピーチ
…戸田先生は、権力をもつ者には、それはそれは厳しかった。…民衆が主人なのだ。権力者は“僕(しもべ)”だ。なのに威張って、ふんぞり返っている。今、民衆が覚醒しなかったら大変だ。
極悪に対して、黙っていたら、こちらまで悪になってしまう。手厳しく、声をあげるのだ。
意気地なしであってはならない。
ずるい人間であってはならない。
今こそ、新しい学会をつくる時である。
■聖教新聞2006/08/29号 信越最高協議会でのスピーチ
■聖教新聞2006/09/12号 第43回本部幹部会での名誉会長のスピーチ
…権力は必ず腐敗する。だからこそ、民衆が、もっと強く、もっと賢明にならねばならない。
(戸田)先生は喝破された。
権力の魔性という怪物は、信心の利剣でしか打ち破ることができない。それは、深く人間の生命の魔性に発しているからだ。この見えざる『魔』に勝つものは『仏』しかない」 ここに永遠の指標がある。
■聖教新聞2006/09/14号 山梨最高協議会でのスピーチ・下
「貪欲・(怒り)・(愚か)という酒に酔っているから、臣下が主君に敵対し、子が親を軽んじ、弟子が師を侮ることが、めずらしくないのである」(御書P1090、通解)
現代の世相を見ても、まさに、この通りだ。
なかんずく、心して注意すべきは、“権力の毒酒”である。“権力の魔性”である。…
■聖教新聞2006/09/25号 全国最高協議会でのスピーチ・上
ゆえに、民衆を心から尊敬し、民衆の幸福のために尽すのが当然である。
にもかかわらず、“自分が一番偉い”と勘違いして、民衆を見下し、犠牲にする。これが「権力の魔性」である。
この横暴を断じて放置してはならない。戦わなくてはいけない。「民衆が主役」の時代を切り開いていくのだ--それが学会の三代の会長の決心であり、実践であった。…
■聖教新聞2006/09/26号 全国最高協議会でのスピーチ・下
…中国革命の父・孫文は訴えた。
「第一に人民をして主人たるの地位を恢復(かいふく)せしめ、一切の公僕をして其の能を尽して人民の為に服従せしめざる可(ベ)からず」
まったく正しい叫びである。民衆こそが主人公である。すべての指導者は、民衆に仕えるためにいる。…
■聖教新聞2006/11/08号 ウィリアムズ会長と会談
池田「…政治の役割について、何が重要だとお考えですか。」
ウィリアムズ「政治家は、選出された後にこそ、『学校』に行くべきです。権力を獲得した人間はその権力を乱用しがちです。だから、政治家になった人はまず、政治家のための特別な学校に入れるべきだと考えます。」
池田「おっしゃる通り、政治には魔力がある。毒がある。それに狂わされると、謙虚に人の意見を聞けなくなってしまう。不可思議な世界です。だからこそ、国民が厳しく声をあげていかねばなりません。…」
…
池田「では、一般的に、男性の政治家に対して戒めたいことは何でしょうか。」
ウィリアムズ「…『殺戮を止めよ!』という一言です。わたしたち女性の責任として、悪い人物が政治家に選ばれないようにしなければなりません。そのためには、何が必要でしょうか。それは、教育と、教育と、教育です。」
池田「…牧口初代会長も、同じ信条を持っていました。そして国家主義と戦ったのです。私たちもまた、教育に最大の力を入れています。共感します。合致します。」
■西日本新聞2001/12/04号 「論」対談2001 創価学会名誉会長 池田大作氏・下
玉川「憲法論議のほかに教育基本法改正が諮問された。『拙速は慎むべき』と発言されているが。」
池田「私が心配するのは、これを突破口にして憲法改正に入ろうという考えがみえることだ。基本法の見直しを改憲につなげようという政治的思惑には絶対反対する。教育を国家主義的な方向へと逆行させることはあってはならない。
教育のあり方を、国家が規定してゆこうという発想そのものが間違いだ。政治主導や官僚主導の形で、子どもたちを何か鋳型に押し込むようなやり方には限界がきており、早急に改める必要がある。
教育の問題は、単に基本法の文言を変えるといったような“上からの改革”で解決できるものでは決してない。
…「社会のための教育」ではなく「教育のための社会」という抜本的な発想の転換が、何ようりも先決問題であると、私は思っている。」…
■毎日新聞2001/09/25号 池田大作・創価学会名誉会長インタビュー
…
池田「一番大事なのは、教育です。不幸、戦争、恵まれない‥‥。その人と同苦する。同じ目線でどのように擁護するか、また平等に扱うか。その点、日本は遅れています。」
岩見「歴代政権は教育改革と必ず言う。実際に政府機関で議論しても妙案が出てこない。そこでお聞きしたいのは教育基本法です。返るべきじゃないかという意見の人もいますが、名誉会長は慎重と聞いています。」
池田「国家主義に持っていく色彩が見え見えですから。もっと斬新な展望を持てる学者に、議論してもらいたい。
何でも政治の機関でやらせるのは、政治至上主義です。人間至上主義ではありません。
長らく日本の教育は、その時々の国家目標に振り回されてきました。軍事優先や経済優先だった国家目標に沿って、役割を狭められてきたのです。
教育基本法は『人格の完成』を教育の目的として掲げていますが、私は『子供の幸福』と読み換えたらどうかと訴えたい。
『教育は子供の幸福ためにこそある』。これは、私の敬愛する、戦時中に獄死した教育者の言葉です。」
…
池田「…私は絶対に9条だけは変えてはいけないと思います。その他は、やむを得ない場合があるかもしれないが。」
岩見「憲法を見直すこと自体はいいと。」
池田「その通りです。論議は結構だ。9条は変えてはいけない。」
池田「…私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間対人間の心の連帯です。もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰まる。あくまでも人間です。人間のための、人間による宗教活動を、私たちは進めていきます。」
※ 今国会では、いわゆる共謀罪法案(=平成の治安維持法)や、憲法を骨抜き(投票資格に現憲法99条違反がある)にする憲法改正国民投票法案は、ひとまず見送られつつあるが、防衛庁の「省」への昇格が具体化されようとしている。また、現政権は、教育基本法改正に血道を上げている。
初代牧口先生は、宗門から国家権力への迎合を勧められた際、「今こそ国家諌曉のときではないか。何を恐れているのか!」「一宗の亡びるのを憂う( ※ママ → 嘆く )のではない。一国の滅びることを憂う( ※ママ → 嘆く )のである」と叫ばれ殉教した。
『日蓮御房は師匠にておはせども余(あまり)にこはし(剛) 我等はやはらか(柔)に法華経を弘むべしと云んは 螢火が日月をわらひ 蟻塚が華山を下し 井江が河海をあなづり 烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべしわらふなるべし。(佐渡御書 P 961)』この精神のままに私たちの屋根となって師弟の道を貫かれたのが二代、三代である。
今こそ、民衆が、弟子が、声を大にして政府与党に叫ばなければならない秋(とき)が来ました。
世界平和即広宣流布のために!
参考:公明1000万票ではなく、1000万人の何ものをも恐れず叫ぶ勇者(弟子)・善の連帯へ!
○ 七月の三日は断じて千万の 同志の胸に焼きつき光らむ (2006/07/03)
○ 燦々と 朝日を浴びて陣列は 一千万の創価の地涌と (2006/11/09)
1000万「票」から1000万「人」へ!
※注 …は、省略。 は、重要なので追記した。
■新・人間革命7巻「操舵」より昭和38年(1963年)3月・公明会(=公明党の前身)国民大会での山本会長の訴え
…“政治を監視せよ!”というのが、戸田先生の指導であった。
学会は、民衆の幸福と世界の平和を実現するために、各政党の在り方にも厳しく監視の目を向けていくが、それは公明会に対しても同様である。
■聖教新聞2006/08/28号 東京・関東・東海道合同研修会でのスピーチ
…戸田先生は、権力をもつ者には、それはそれは厳しかった。…民衆が主人なのだ。権力者は“僕(しもべ)”だ。なのに威張って、ふんぞり返っている。今、民衆が覚醒しなかったら大変だ。
極悪に対して、黙っていたら、こちらまで悪になってしまう。手厳しく、声をあげるのだ。
意気地なしであってはならない。
ずるい人間であってはならない。
今こそ、新しい学会をつくる時である。
■聖教新聞2006/08/29号 信越最高協議会でのスピーチ
…権力との攻防戦
また、戸田先生は言われた。「広宣流布の道程は、権力の魔性との熾烈な攻防戦とならざるをえない」■聖教新聞2006/09/12号 第43回本部幹部会での名誉会長のスピーチ
…権力は必ず腐敗する。だからこそ、民衆が、もっと強く、もっと賢明にならねばならない。
(戸田)先生は喝破された。
権力の魔性という怪物は、信心の利剣でしか打ち破ることができない。それは、深く人間の生命の魔性に発しているからだ。この見えざる『魔』に勝つものは『仏』しかない」 ここに永遠の指標がある。
■聖教新聞2006/09/14号 山梨最高協議会でのスピーチ・下
…「何のため」の原点を忘るな
「破邪顕正」こそ、日蓮大聖人の仏法の魂である。学会精神の柱である。…「貪欲・(怒り)・(愚か)という酒に酔っているから、臣下が主君に敵対し、子が親を軽んじ、弟子が師を侮ることが、めずらしくないのである」(御書P1090、通解)
現代の世相を見ても、まさに、この通りだ。
なかんずく、心して注意すべきは、“権力の毒酒”である。“権力の魔性”である。…
■聖教新聞2006/09/25号 全国最高協議会でのスピーチ・上
…「三代」に流れる学会精神を守れ
為政者は、民衆によって支えられている。ゆえに、民衆を心から尊敬し、民衆の幸福のために尽すのが当然である。
にもかかわらず、“自分が一番偉い”と勘違いして、民衆を見下し、犠牲にする。これが「権力の魔性」である。
この横暴を断じて放置してはならない。戦わなくてはいけない。「民衆が主役」の時代を切り開いていくのだ--それが学会の三代の会長の決心であり、実践であった。…
■聖教新聞2006/09/26号 全国最高協議会でのスピーチ・下
…中国革命の父・孫文は訴えた。
「第一に人民をして主人たるの地位を恢復(かいふく)せしめ、一切の公僕をして其の能を尽して人民の為に服従せしめざる可(ベ)からず」
まったく正しい叫びである。民衆こそが主人公である。すべての指導者は、民衆に仕えるためにいる。…
■聖教新聞2006/11/08号 ウィリアムズ会長と会談
池田「…政治の役割について、何が重要だとお考えですか。」
ウィリアムズ「政治家は、選出された後にこそ、『学校』に行くべきです。権力を獲得した人間はその権力を乱用しがちです。だから、政治家になった人はまず、政治家のための特別な学校に入れるべきだと考えます。」
池田「おっしゃる通り、政治には魔力がある。毒がある。それに狂わされると、謙虚に人の意見を聞けなくなってしまう。不可思議な世界です。だからこそ、国民が厳しく声をあげていかねばなりません。…」
…
池田「では、一般的に、男性の政治家に対して戒めたいことは何でしょうか。」
ウィリアムズ「…『殺戮を止めよ!』という一言です。わたしたち女性の責任として、悪い人物が政治家に選ばれないようにしなければなりません。そのためには、何が必要でしょうか。それは、教育と、教育と、教育です。」
池田「…牧口初代会長も、同じ信条を持っていました。そして国家主義と戦ったのです。私たちもまた、教育に最大の力を入れています。共感します。合致します。」
■西日本新聞2001/12/04号 「論」対談2001 創価学会名誉会長 池田大作氏・下
『「九条変えてはいけない」 中国抜きの世界はない』より
…玉川「憲法論議のほかに教育基本法改正が諮問された。『拙速は慎むべき』と発言されているが。」
池田「私が心配するのは、これを突破口にして憲法改正に入ろうという考えがみえることだ。基本法の見直しを改憲につなげようという政治的思惑には絶対反対する。教育を国家主義的な方向へと逆行させることはあってはならない。
教育のあり方を、国家が規定してゆこうという発想そのものが間違いだ。政治主導や官僚主導の形で、子どもたちを何か鋳型に押し込むようなやり方には限界がきており、早急に改める必要がある。
教育の問題は、単に基本法の文言を変えるといったような“上からの改革”で解決できるものでは決してない。
…「社会のための教育」ではなく「教育のための社会」という抜本的な発想の転換が、何ようりも先決問題であると、私は思っている。」…
■毎日新聞2001/09/25号 池田大作・創価学会名誉会長インタビュー
…
〈世相・教育〉
…池田「一番大事なのは、教育です。不幸、戦争、恵まれない‥‥。その人と同苦する。同じ目線でどのように擁護するか、また平等に扱うか。その点、日本は遅れています。」
岩見「歴代政権は教育改革と必ず言う。実際に政府機関で議論しても妙案が出てこない。そこでお聞きしたいのは教育基本法です。返るべきじゃないかという意見の人もいますが、名誉会長は慎重と聞いています。」
池田「国家主義に持っていく色彩が見え見えですから。もっと斬新な展望を持てる学者に、議論してもらいたい。
何でも政治の機関でやらせるのは、政治至上主義です。人間至上主義ではありません。
長らく日本の教育は、その時々の国家目標に振り回されてきました。軍事優先や経済優先だった国家目標に沿って、役割を狭められてきたのです。
教育基本法は『人格の完成』を教育の目的として掲げていますが、私は『子供の幸福』と読み換えたらどうかと訴えたい。
『教育は子供の幸福ためにこそある』。これは、私の敬愛する、戦時中に獄死した教育者の言葉です。」
…
〈 憲 法 〉
…池田「…私は絶対に9条だけは変えてはいけないと思います。その他は、やむを得ない場合があるかもしれないが。」
岩見「憲法を見直すこと自体はいいと。」
池田「その通りです。論議は結構だ。9条は変えてはいけない。」
〈 創価学会 〉
…池田「…私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間対人間の心の連帯です。もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰まる。あくまでも人間です。人間のための、人間による宗教活動を、私たちは進めていきます。」
※ 今国会では、いわゆる共謀罪法案(=平成の治安維持法)や、憲法を骨抜き(投票資格に現憲法99条違反がある)にする憲法改正国民投票法案は、ひとまず見送られつつあるが、防衛庁の「省」への昇格が具体化されようとしている。また、現政権は、教育基本法改正に血道を上げている。
初代牧口先生は、宗門から国家権力への迎合を勧められた際、「今こそ国家諌曉のときではないか。何を恐れているのか!」「一宗の亡びるのを憂う( ※ママ → 嘆く )のではない。一国の滅びることを憂う( ※ママ → 嘆く )のである」と叫ばれ殉教した。
『日蓮御房は師匠にておはせども余(あまり)にこはし(剛) 我等はやはらか(柔)に法華経を弘むべしと云んは 螢火が日月をわらひ 蟻塚が華山を下し 井江が河海をあなづり 烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべしわらふなるべし。(佐渡御書 P 961)』この精神のままに私たちの屋根となって師弟の道を貫かれたのが二代、三代である。
今こそ、民衆が、弟子が、声を大にして政府与党に叫ばなければならない秋(とき)が来ました。
世界平和即広宣流布のために!
奄美市○○ ○○○○ 携帯090-○○○○-○○○○ ○○○○
参考:公明1000万票ではなく、1000万人の何ものをも恐れず叫ぶ勇者(弟子)・善の連帯へ!
7・3の和歌
○ 忘れまじ 七月三日の歴史をば 一千万の同志と祝さむ (2006/07/03)○ 七月の三日は断じて千万の 同志の胸に焼きつき光らむ (2006/07/03)
「創立の日」を祝賀して全同志に句、和歌
○ 創立の 祝賀の同志は一千万 (2006/11/07)○ 燦々と 朝日を浴びて陣列は 一千万の創価の地涌と (2006/11/09)
創立の月を記念して、全同志に和歌
○創立の記念日祝さむ一千万 無敵の創価は勝者で賑やか(2006/11/11)