2011年11月2日水曜日

Y君への手紙

  私の大切な友人へだいぶ以前に出した手紙をそのママ転載します。 

1000万「票」から1000万「人」へ!
※注 …は、省略。    は、重要なので追記した。
■新・人間革命7巻「操舵」より
昭和38年(1963年)3月・公明会(=公明党の前身)国民大会での山本会長の訴え
…“政治を監視せよ!”というのが、戸田先生の指導であった。
 学会は、民衆の幸福と世界の平和を実現するために、各政党の在り方にも厳しく監視の目を向けていくが、それは公明会に対しても同様である


■聖教新聞2006/08/28号  東京・関東・東海道合同研修会でのスピーチ
…戸田先生は、権力をもつ者には、それはそれは厳しかった。…民衆が主人なのだ。権力者は“僕(しもべ)”だ。なのに威張って、ふんぞり返っている。今、民衆が覚醒しなかったら大変だ
 極悪に対して、黙っていたら、こちらまで悪になってしまう。手厳しく、声をあげるのだ。
 意気地なしであってはならない。
 ずるい人間であってはならない。
 今こそ、新しい学会をつくる時である


■聖教新聞2006/08/29号  信越最高協議会でのスピーチ
…権力との攻防戦
また、戸田先生は言われた。「広宣流布の道程は、権力の魔性との熾烈な攻防戦とならざるをえない」


■聖教新聞2006/09/12号  第43回本部幹部会での名誉会長のスピーチ
…権力は必ず腐敗する。だからこそ、民衆が、もっと強く、もっと賢明にならねばならない。
 (戸田)先生は喝破された。
権力の魔性という怪物は、信心の利剣でしか打ち破ることができない。それは、深く人間の生命の魔性に発しているからだ。この見えざる『魔』に勝つものは『仏』しかない」  ここに永遠の指標がある。


■聖教新聞2006/09/14号  山梨最高協議会でのスピーチ・下
…「何のため」の原点を忘るな
「破邪顕正」こそ、日蓮大聖人の仏法の魂である。学会精神の柱である。…
 「貪欲・(怒り)・(愚か)という酒に酔っているから、臣下が主君に敵対し、子が親を軽んじ、弟子が師を侮ることが、めずらしくないのである」(御書P1090、通解)
 現代の世相を見ても、まさに、この通りだ。
 なかんずく、心して注意すべきは、“権力の毒酒”である。“権力の魔性”である。…


■聖教新聞2006/09/25号  全国最高協議会でのスピーチ・上
…「三代」に流れる学会精神を守れ
為政者は、民衆によって支えられている。
 ゆえに、民衆を心から尊敬し、民衆の幸福のために尽すのが当然である。
にもかかわらず、“自分が一番偉い”と勘違いして、民衆を見下し、犠牲にする。これが「権力の魔性」である。
 この横暴を断じて放置してはならない。戦わなくてはいけない。「民衆が主役」の時代を切り開いていくのだ--それが学会の三代の会長の決心であり、実践であった。…


■聖教新聞2006/09/26号  全国最高協議会でのスピーチ・下
…中国革命の父・孫文は訴えた。
 「第一に人民をして主人たるの地位を恢復(かいふく)せしめ、一切の公僕をして其の能を尽して人民の為に服従せしめざる可(ベ)からず」
 まったく正しい叫びである。民衆こそが主人公である。すべての指導者は、民衆に仕えるためにいる。…


■聖教新聞2006/11/08号  ウィリアムズ会長と会談
池田「…政治の役割について、何が重要だとお考えですか。」
 
ウィリアムズ「政治家は、選出された後にこそ、『学校』に行くべきです。権力を獲得した人間はその権力を乱用しがちです。だから、政治家になった人はまず、政治家のための特別な学校に入れるべきだと考えます。」


池田「おっしゃる通り、政治には魔力がある。毒がある。それに狂わされると、謙虚に人の意見を聞けなくなってしまう。不可思議な世界です。だからこそ、国民が厳しく声をあげていかねばなりません。…」 
    …
池田「では、一般的に、男性の政治家に対して戒めたいことは何でしょうか。」


ウィリアムズ「…『殺戮を止めよ!』という一言です。わたしたち女性の責任として、悪い人物が政治家に選ばれないようにしなければなりません。そのためには、何が必要でしょうか。それは、教育と、教育と、教育です。」
 
池田「…牧口初代会長も、同じ信条を持っていました。そして国家主義と戦ったのです。私たちもまた、教育に最大の力を入れています。共感します。合致します。」




■西日本新聞2001/12/04号 「論」対談2001 創価学会名誉会長 池田大作氏・下
『「九条変えてはいけない」 中国抜きの世界はない』より
    …
玉川「憲法論議のほかに教育基本法改正が諮問された。『拙速は慎むべき』と発言されているが。」
 
池田「私が心配するのは、これを突破口にして憲法改正に入ろうという考えがみえることだ。基本法の見直しを改憲につなげようという政治的思惑には絶対反対する。教育を国家主義的な方向へと逆行させることはあってはならない。
  教育のあり方を、国家が規定してゆこうという発想そのものが間違いだ。政治主導や官僚主導の形で、子どもたちを何か鋳型に押し込むようなやり方には限界がきており、早急に改める必要がある。
教育の問題は、単に基本法の文言を変えるといったような“上からの改革”で解決できるものでは決してない
  …「社会のための教育」ではなく「教育のための社会」という抜本的な発想の転換が、何ようりも先決問題であると、私は思っている。」…


■毎日新聞2001/09/25号  池田大作・創価学会名誉会長インタビュー
    …
〈世相・教育〉
    …
池田「一番大事なのは、教育です。不幸、戦争、恵まれない‥‥。その人と同苦する。同じ目線でどのように擁護するか、また平等に扱うか。その点、日本は遅れています。」


岩見「歴代政権は教育改革と必ず言う。実際に政府機関で議論しても妙案が出てこない。そこでお聞きしたいのは教育基本法です。返るべきじゃないかという意見の人もいますが、名誉会長は慎重と聞いています。」


池田「国家主義に持っていく色彩が見え見えですから。もっと斬新な展望を持てる学者に、議論してもらいたい。
何でも政治の機関でやらせるのは、政治至上主義です。人間至上主義ではありません。
長らく日本の教育は、その時々の国家目標に振り回されてきました。軍事優先や経済優先だった国家目標に沿って、役割を狭められてきたのです。
教育基本法は『人格の完成』を教育の目的として掲げていますが、私は『子供の幸福』と読み換えたらどうかと訴えたい。
『教育は子供の幸福ためにこそある』。これは、私の敬愛する、戦時中に獄死した教育者の言葉です。」
    …
〈 憲  法 〉
    …
池田「…私は絶対に9条だけは変えてはいけないと思います。その他は、やむを得ない場合があるかもしれないが。」
岩見「憲法を見直すこと自体はいいと。」
池田「その通りです。論議は結構だ。9条は変えてはいけない。」


〈 創価学会 〉
    …
池田「…私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間対人間の心の連帯です。もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰まる。あくまでも人間です。人間のための、人間による宗教活動を、私たちは進めていきます。」




※ 今国会では、いわゆる共謀罪法案(=平成の治安維持法)や、憲法を骨抜き(投票資格に現憲法99条違反がある)にする憲法改正国民投票法案は、ひとまず見送られつつあるが、防衛庁の「省」への昇格が具体化されようとしている。また、現政権は、教育基本法改正に血道を上げている。
 初代牧口先生は、宗門から国家権力への迎合を勧められた際、「今こそ国家諌曉のときではないか。何を恐れているのか!」「一宗の亡びるのを憂う( ※ママ → 嘆く )のではない一国の滅びることを憂う( ※ママ → 嘆く )のである」と叫ばれ殉教した。


 『日蓮御房は師匠にておはせども余(あまり)にこはし(剛) 我等はやはらか(柔)に法華経を弘むべしと云んは 螢火が日月をわらひ 蟻塚が華山を下し 井江が河海をあなづり 烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべしわらふなるべし。(佐渡御書  P 961)』この精神のままに私たちの屋根となって師弟の道を貫かれたのが二代、三代である。


今こそ、民衆が、弟子が、声を大にして政府与党に叫ばなければならない秋(とき)が来ました。
世界平和即広宣流布のために!
奄美市○○ ○○○○  携帯090-○○○○-○○○○ ○○○○


参考:公明1000万票ではなく、1000万人の何ものをも恐れず叫ぶ勇者(弟子)・善の連帯へ!
7・3の和歌 
○ 忘れまじ 七月三日の歴史をば  一千万の同志と祝さむ  (2006/07/03)
○ 七月の三日は断じて千万の   同志の胸に焼きつき光らむ (2006/07/03)


「創立の日」を祝賀して全同志に句、和歌
○ 創立の 祝賀の同志は一千万          (2006/11/07)
○ 燦々と 朝日を浴びて陣列は 一千万の創価の地涌と  (2006/11/09)


創立の月を記念して、全同志に和歌
○創立の記念日祝さむ一千万 無敵の創価は勝者で賑やか(2006/11/11)


                                                                

2011年10月18日火曜日

『 お手紙拝見いたしました 』 


真の道徳は、踏みしめられた道を行くことではなく、
自分のために真の道を探し出し、勇敢に進んで行くことにある
マハトマ・ガンジー 
Mohandas Karamchand Gandhi

2005年4月20日、私は秋谷会長(当時)宛てに手紙を出しました。
翌日に(今はほとんど更新されていない)サイト「同時代を考える会」に同内容を実名でアップしました。下記に転載します(不快な言葉を連ねております、ご容赦下さい)。秋谷会長(当時)からの返事は一番最後に記しました。




05/04/21(Thu)12:17  投稿タイトルのんびりいこうぜ!

昨日(※2005/04/20・18:00頃)、「接遇センター」を通じて出した手紙です。
誤字、脱字はそのままです。
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秋谷会長殿

「それでも、飲尿プレー親子丼男に我が国の平和を託すのでしょうか?」

初めて手紙を差し上げます。奄美大島在住の地区部長で○○○○と申します。長年公明党の党員も努めております。よろしくお願い申し上げます。

『君たちは、思うと思わざるにかかわらず、池田門下生である!』私が創価班時代、会長から会合の折指導していただいた言葉です。その後の私の人生に大きな希望となって今に至っております。大変に感謝しております。ありがとうございます。


会長、お願いがあります。4月24日予定の、衆議院議員福岡2区補欠選挙に立候補している山崎拓氏の支援に関してですが…。
公明党は、既に推薦を決定しておりますが、学会としては、あくまで自主投票にしていただけないでしょうか!?

会長が、学会の選挙支援一切の最終・最高責任者であることは、昨年の自民党青木参院幹事長の選挙支援要請、それへの受諾の報道等で十分に存じ上げております。

この手紙のハレンチな表題は失礼とは思いましたが、候補者の人格の一端をそのまま書き表わしました。愛人を持ち、その愛人から欲望をコントロールできないことを暴露された彼です。「親子丼」という言葉は、ご存知でしょうか?下半身に由来する隠語です。現宗門が、若干上品に思える程の所業です。

福岡2区の婦人部幹部が前回衆院選で、彼の名を投票用紙に書く際「ブルブルと手が震えた」と言っておりました。このような惨めな思いを婦人部に、二度とさせないようにお願い申し上げます。

また、彼が国防族であり、憲法9条改変に積極的であることは、ご存知の通りです。はたして、自身の下半身のバランスも執れぬ彼に、国家の安全保障政策を委ねる事ができるのかどうか…私のお願いの理由のひとつです。

最大の理由は、彼の我が国の安全保障政策(持)論です。冷戦時代に肥大化した軍事力を、何ゆえアメリカの現政権の世界戦略に迎合し、強化しなければならないのでしょうか?北朝鮮には、軍事上優位に立っております。アジアがもっとも恐れているのは、小泉政権の先の大戦での「反省のなさ」でしょう。
(映像報道される中国の反日デモの横断幕に、「打倒!日本軍国主義」とありました。デモ者の心情を端的に物語っていることがうかがえます。)

また、彼のイラク戦争への積極的な加担や、いわゆるネオ・コンへの同調も、許す事はできません。
(ところで会長、聖教新聞紙上でもネオ・コンの論陣がここ数年、度々張られておりますが、現場の活動者として非常に不愉快な思いをしております。)

憲法9条に関して、私は造語をつくりました。
「追憲」です。「憲法を目標に(実効性を持たせるべく)現実を受け入れ、そして改革していく」という意味です。
(ちなみに山崎拓氏のように、(前)政治家が、国家権力の足枷である憲法を云々するのは論外です。憲法99条違反です。為政者側が改変したいこの憲法は、それだけ権力に少なからず影響を与えている証拠でもありますが…)

それは、下記の「小説・人間革命」を読んで賛同したからです。

『…(憲法)第九条は、いまのところ空文である。しかし…
…この理念(色心不二の生命哲学)にもとづいて、新しい政治形態が実現した時、憲法はなんの無理もなく、全民衆が心の奥から納得するであろう。同時に絶対平和主義の憲法として、広く世界に宣言しきることができるだろう。その時、地球の一角は、劫初いらいの悪夢から醒め、現実に永遠の平和を知って、希望に燃え安堵に満ちるにちがいない。広宣流布とは、まさしく永遠の平和を地上に具現することであり、それは王仏冥合の実現によって達成されるのだ。
いま、日本国に、空文とも見えるこの一条が、忽然と現出したことは、戸田城聖の心に、なにものかを呼びかけていた。
広宣流布を、まずこの国に実現する証拠なのだ。…(人間革命・第2巻「序曲」)』

いかがでしょうか?多くは語りません。「大阪の戦い」で有名な昭和31年の第4回参院選で学会は、3議席を獲得しました。結果として憲法改正を阻止した歴史の真実は、今回の補欠選挙にも活かさなければなりません。

余談ではありますが、一昨年の統一地方選前半戦で私ども名瀬市の公明党支持母体は、公明候補がいないという事で、当初自主投票を打ち出しておりましたが、九州書記長の来島を機に自民党候補の支援を積極的に展開するようになりました。

書記長は会合の折、あろうことか、その自民候補の対立候補が「共産党と手を結んだ。」「共産党が学会に牙を剥いてきた」と私どもに指導したのです。懇意にしている、対立候補の後援会幹部に聞いてもその事実はなく、名瀬市の共産票は体勢に影響はなく、「牙」どころか「爪を切った」が適格な表現です。当時数の上で、もっともその動向が注視されたのは、「自由連合」票です。

あまりにバカバカしいのと、打ち出しの急変更で人間関係を失い、寝込んだ婦人部の方も居り、私は、書記長にその理由を尋ねましたが、答えて戴けませんでした。

今回の補欠選挙でも、再びこのような支持の変更などがあれば、現場はたまったものではありません。どうか、ご配慮下さい。


最後に御書と指導を確認させて下さい。

◯「大悪法を尊まるる故に理不尽の政道出来す(御書p351)」

◯「国主は理を親とし非を敵とすべき人にて・をはすべきか
(御書P1524)」
指導者は、人数の多さとか、時の勢いとか、ましてや自分の利害などを”親”として従ってはならない。それが正しい道理にかなっているかどうか、それを根本として、現実を見きわめ、判断していくべきである。誰が何と言おうとも、非は非とし、「敵」として排除すべきである。絶対に従ってはならない、との指導者論である。
ここには、重大な意味がある。しなわち「民を親とする」民主主義の原則も、たんなる”数の暴力”や、”権利の乱用””自由の乱用”におちいっては、衆愚の社会となり、崩壊していく。社会の根底に、「正しき道理に従う」という大原則がなければ、”民主”を貫くことすらできなくなる(1989年/11月・指導)。


民衆は愚にして賢です。福岡2区の有権者は、賢明な判断を下すでしょう。

まとまりのない文章になりました。お許し下さい。

『君たちは、思うと思わざるにかかわらず、池田門下生である!』会長のあの時の指導のままに今日まで生きてきました。不肖の門下生の私のお願いを、何卒、何卒おくみ取り下さい。

2005年4月20日

奄美光城<県>奄美大島圏 大島本部 旭日支部 朝日地区
○○○○
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この手紙を出してだいぶ経ってから(3週間?)、書記長から昇格したT九州長より秋谷会長からの伝言として私の留守中自宅に電話をいただきました。楽しみにいしていた返事は・・・




『 お手紙拝見いたしました 』  





It's Only !









※追加です。2004年の手紙です。
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山本副理事長・九州長殿

私は奄美大島の地区部長/○○○○と申します。FAXでのお手紙お許し下さい。
私はT九州書記長より昨年、アメリカのイラク攻撃を容認した公明党(2003/3/20神崎代表見解発表)、奄美でのNPO法人「そてつの実(なり)」設立等について種々ご指導を賜った者です。
このように突然不躾にもFAXさせていただいた理由は、現在イラクで拘束中の3人の日本人救出に是非山本九州長のお力をお借りできないかと思い立ったからでした。

神崎代表、東衆院国対委員長、木庭参院幹事長の選挙支援の最高中心者である山本九州長から是非とも党主脳のお三方へ「自衛隊の勇気ある一時撤退」を要請していただくようお願い申し上げます。
拘束されている中の一人、今井紀明さん(18才)は創価学会の平和主義の絶大な理解者だとも私は伺っております。

本日4月10日の聖教新聞「随筆・人間世紀の光」に、
「嫉妬に狂った人間には、何を言ってもわからないものだ。真正面からぶつかって傷を受けることは愚かだ。わが道を行け!わが道を開け!」とありますように、そうして支援してきた公明党です。
更に、「…今日は、権力を総攻撃するような言い方はしないほうが賢明だよ」…「最後は正義が必ず勝つ」という信念で立とう…ともあります。
「人命尊重を最優先に」との考えは、自衛隊撤退に躊躇する政府与党への絶好の「渡りに船」となるでしょう。最後は勝てばいいことだと私も決意しております。
1977年、ダッカ・ハイジャック事件で時の福田首相が「人命は地球より重し」との名言で世界の嘲笑を浴びる覚悟で、超法規的措置による勇気ある決断を下しております。

是非とも山本九州長のお力で生命尊厳・非暴力の大哲学を今回のテロリストからの威嚇に活かしゆけたら私の本望とするところです。

上記聖教新聞「正義と勝利の座談会」にもガンジーの言葉より、
「私の行動は、政治も、その他のすべての行動も、私の宗教から発しているのだ」
「宗教は政治とは何ら関係がないと言明する者は、宗教の何であるかを知らない者である」の記事を私も確認しました。何卒、何卒よろしくお願い申し上げます。

2004年4月10日

鹿児島県名瀬市○○○ ○○○○  携帯電話○○○-○○○○-○○○○
奄美光城<県>奄美大島圏 大島本部 旭日支部 朝日地区
地区部長/○○○○


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※(文中引用文は当時の状況をふまえてのことです。違和感ご容赦下さい)事態はひっ迫し時間に猶予がなく、やむなくFAXで九州文化会館へ送付しました。合わせてネットにも同じ内容で掲載しました。・・・返事は、





Nothing !






後年、山本武氏来島時、会合終了直後にバーター選挙の責任問題・SGI憲章逸脱発言について会場で直接ご本人に面談を求めましたが『忙しい』を理由に断られました。





Nothing !










2011年9月11日日曜日

文明の在り方・人びとの生き方を見直し、社会全体で、もう一度万全の備えを心していく時

 随筆〈 我らの勝利の大道 〉59・60 山本伸一  「信心錬磨の教学(上・下)」より


・・・日蓮大聖人は、「立正安国論」の中で、こう認められている。
 「世 皆正(しょう)に背き人悉(ことごと)く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人(しょうにん)は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り災(さい)起り難起」(御書P17)
 大聖人が戦われた「悪」の本質とは、何か。
 それは、人間の生命を蔑視して、現実から逃避させる諦めの思想であり、民衆を隷属させ、人間を分断する権力の魔性であったといっても過言ではあるまい。・・・


・・・科学技術によって発展してきた現代文明も脆く崩れやすいことを、今、皆が痛感している文明の在り方、人びとの生き方を足元から見直し、社会全体で、もう一度、万全の備えを心していく時であろう
 蓮祖は仰せになられた。
 「賢人は安きに居て危きを歎き佞人ねいじん=邪な愚者)危きに居て安きを歎く」(御書P969)
 重大な御聖訓である。
 指導者は、人びとの尊厳なる生命を断じて守り抜くため、「安きに居て危きを歎く」という透徹した責任感に立たねばならな
 創価学会が、ここまで発展を成し遂げたのも、御書の仰せに寸分違わず、三代の師弟が「一念に億劫(おくごう)の辛労」(御書P790)を尽くし抜いてきたからである。それを甘く考えて、慢心を起こせば、崩されてしまう。・・・


・・・「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期ご)せん(御書P232)
 今こそ一国の罪障を消滅させ、人類の無明(むみょう)を断ち切るのだとの、御本仏の不借身命の大精神が胸に迫る。
 私も第三代会長に就任した日に、この御文を命の奥底(おうてい)に刻印し、広宣流布のために身を捧げてきた。そして、牧口先生、戸田先生の遺言の一切を実現した。
 牧口先生は軍国主義に立ち向かい、過酷な取り調べと劣悪な獄中生活を強いられた。しかし、入獄三カ月後の昭和一八年十月、クマ夫人と嫁である貞子さんに宛てた書簡で、こう綴られている。
 「一個人から見れば、災難でありますが、国家から見れば、必ず『毒薬変じて薬となる』という経文どおりと信じて、信仰一心にしています」
 「開目抄」には、「今(い)ま日蓮・強盛ごうじょう)に国土の謗法ほうぼう)を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生こんじょう)の護法に招き出だせるなるべし」(御書P233)等とある。
 この御文のままに、先師は、国土に充満する謗法と身命を賭して戦う覚悟であられた。そこに自身の宿命転換があり、その先に、平和な社会を展望されていのだ。
 「開目抄」は、大聖人が御命にも及ぶ流罪の佐渡で認められた重書中の重書である。
 三代の会長は死身弘法(ししんぐほう)の精神で、色読(しきどく)してきた。
 戸田先生は言われた。
 「法のゆえに、牢獄に入り、難を受け切ってきたからこそ、大聖人の仏法を本当に会得できた。ここに学会教学の原点がある。
 この魂を伝えていかねばならな。わが青年部は、時間を惜しんで、真実の師弟の教学を身につけよ!」・・・


                      聖教新聞2011年9月9日号、10日号にて連載





2011年9月7日水曜日

真実と虚偽の人生を詠う

長編詩 わが共戦の友のために
 真実と虚偽の人生を詠う
           山本 伸一

大詩人ヘッセは謳った。
「青年が
おとなしく
歩道を歩いていたら、
化石になってしまう」

彼らは
今は栄えている。
そして
多くの人々の噂に上り
幸せそうに見える。

しかし
その奥は
真実の幸福ではなくして
驕り高ぶった
もはや
敗北者の心に
なっていることを
見逃してはならない。

あの豪勢な邸宅の中は
一つも
誉められたものではない。
あの邸宅に住む人々の
内を見つめれば
複雑極まる
常識では考えられぬ
様々な痛みがあることを。

因果の理法が
突如と襲いかかる
恐怖の魂。
狂乱の如く
複雑な葛藤の上に倒れ
地を濡らしゆく
あの惨めな姿よ。

いつ襲い来るか わからぬ
狂暴な嵐に
常に怯えながら
明け暮れゆく
魂の破壊者よ。

彼らは
やがては
人生に失望し
破滅していくことを
知らないのだ。

正義が勝つのは
明々白々だ。
偉大なる奉仕をしゆく
人間の魂は
巨大にして
自由であり
偉大にして
目的を貫徹するものだ。

ホイットマンは謡い上げた。
「おお、楽しい、
大喜びの、
最高に達していく歌!
地上のそれより
豊かな活気が、
おまえの曲にはある、
勝利の行進曲――
解放される人間」

あの忌まわしき人間どもの
最終章の涙の粒は
嘆いても嘆き切れない
苦しみの粒だ。

あの恐ろしい
幾多の謀略をし抜いた
怪奇な生き物は
皆から潮笑されるだけだ。

毒のある花には
甘い蜜がある。
しかし
やがては
自分自身で自分自身を
血みどろに鞭打ち
哀れな泣き声をあげながら
満身に毒が回り
無残に死に倒れゆくのだ。

我らは
誇りも高く
栄光の名のもとに
多くの思い出の旅路を
気高い思いで
乗り越えながら
悠然と
勝利と勝鬨のゴールに
入るのだ。

あの悪逆の
邪教の信者は
あらゆる友が消え去り
親類そして縁者までも
呆れ果てて
見向きもしない。

彼の汚れ果てた陰謀(もくろみ)は
人殺しの厳しき報いを
受けていくような運命だ。
一生涯
楽しき思い出は
もうないだろう。

黒い涙の一粒一粒と
共にしながら
自らの心臓の血まで
乾いてしまった。
嘆きの啜り泣きをしながら
汚れの人生を
終末させるのだ。

そこには
恐怖の物語と
邪悪の物語と
鋭い繋獄に
鞭打たれる物語と
業火に焼かれゆく
苦しみの
哀れな姿しかない。

彼の目は
もはや死んでいる。
凍りついた敗北の目だ。

虚偽で
わが人生を偽り
裏切りながら
ある時には
檜舞台に上り
ある時は
洞窟の彼方に隠れ
そしてまたある時には
優雅な表舞台で
理性の人間らしく振る舞い
あらゆる人々を
乱し苦しめる。

おまえは
脳髄から不幸者だ。
黒々とした
善悪の記憶もできぬ
頭脳だ。

おまえと語ることは
もはや言葉もなく
人間の脈拍も感じない。

よくぞ
人々を騙しに騙し
毒々しき虚偽を
黄金よりも貴重な頭脳と
錯覚してしまった
おまえよ。

おまえの胸は
傷だらけの
血が滴(したた)る姿だ。
そして
おまえの口は
苦悶の声よりも
痛めつけられた
装飾の声だ。

その溜息は
恐ろしい
怒りの業火の胸に
くすぶっている。

呪われた
憂欝な運命を辿った
おまえよ。
その心は
数え切れない
堕落の連続だ。
その生まれつきの敵意は
永遠に自分自身を
地獄の責め苦の中に
追いやっていくだろう。

ドイツの文豪
ゲーテは叫んだ。
「雷の一撃のような一言を
おまえたちに
見舞ってやりたい。
言葉は
詩人の武器である」

わが正義の友よ
来れよ
来れよ!
大きく
大きくなって
素敵な
正義の偉業を
飾りゆくのだ!
あの汚らわしき
どす黒き悪臭の蠢動を
叩き破るのだ!

そして
ここにも
あそこにも
広々とした
素晴らしき栄光と正義の
新しき時代を創り
飾ってゆくのだ。

おお
君も私も
断固とした信念を
持ち続け
汗まみれの
顔になりながら
「正義」と
「美」と
「遊楽」の
常勝不滅の
輝かしき創価を
建設するのだ。

いかなる
激怒する
狂気の悪魔が来ても
また
あの不吉な虚偽の亡霊が
来っても
我らの眼は
新しき世紀を開発しゆく
魂に燃えている。

そこには
輝かしき能力と
偉大なる人生の
経験を活用しながら
正義の魂が
炎と燃え上がっている。

あの残忍な行進は
断じて
止めてみせる。
あの虚偽の怪物の
鈍い罵声を
断じて
打ち破ってみせる。

世間の冷たい風も
真っ正面から
君よ!
乗り越え
勝ち越え
万朶の桜の下で
父母を思いながら
そしてまた
わが友を偲びながら
全生涯を
名誉と勝利で完結することを
誓いたまえ!

おお 君よ
見つめよ!
奥深き信念を秘めながら
賞讃と非難が
勝利と敗北が
幸福と不幸が
点滅しゆく
視線の彼方を。

我は
勝利者だ!
不成功を
すべて成功に変えゆく
正義の勇者だ! との
あの日の誓いを
忘れることなく
断じて
今日も進みゆくのだ!

智慧ある君よ
賢明なる君よ
勇気ある君よ
慈愛の君よ
父母を思う君よ
わが友を
勇気づける君よ!

君の前途には
常に
美しき水が流れるが如く
君は
勝ち栄えて
人生を飾ることだ!

正義の人生は
太陽の道。
虚偽の人生は
暗闇の道。
真実の人間は
幸福の歴史の輝き。
虚偽の人間は
暗黒の卑劣な嵐。

フランスの大哲学者
ルソーは叫んだ。
「つねに真実であれ、
そのために
どんなことが
起ころうとも。
正義そのものが
真実のうちにあるのだ」

おお 真実!
そこに
勝利と栄光が待っている。
そして
狡猾なる虚偽の輩には
三世永劫にわたる
火炎と毒流の川が流れる。

歴史上
正義と真実に生き抜き
戦った人が
牢獄に入れられ
射殺され
磔にされた。
なんと
矛盾極まる
人間の悪業の世界か。

痛ましくも
どれだけ多くの人が
虚偽の輩のために
苦しみ
倒されたことか。

正義は
厳然と
護らねばならない。
断じて
勝たねばならない。

底知れぬ
恐ろしき邪見と
傲慢な毒の虚偽を
ばらまく時代は
終わった。
そこまで
人々は愚かではない。

虚偽は
人々を不幸に狂わせ
人々を邪悪に狂わせ
正義を罵倒する輩と
変える。

真実は
勝たねばならない。
断じて勝ってこそ
真実は
永遠に光を放つのだ。

正義の者は
喜び勇んで
打撃を受け止める。
しかし
必ず最後は
天の光を浴びながら
穏やかな魂は
一段と光る。

そこには
悔やみも
彷徨い歩く姿もなく
幸福と平和と正義の
最善の音楽が
鳴り止まない。

真実を真実として
感嘆する世界!
邪悪を徹底して
暴きゆく世界!
これなくして
人類の幸福と平和は
証明されぬであろう。

ゆえに
戦わねばならない。
真実の正義のために
断固として
人間は
人間とともに
戦わねならない。
そして
断じて勝つのだ!
 二〇〇三年三月二十日
          世界桂冠詩人


※アメリカのイラク侵攻その日の作詩です。

 聖教新聞紙上にだいぶ遅れて(一週間前後?)掲載されたと記憶しております。
 

2011年8月20日土曜日

人類が「核の冬」を回避できているのは、第五福竜丸・乗組員の勇敢な行動があったからだ!


 〈 毎日新聞 2011年2月21日号 大阪夕刊 〉転載
 今、平和を語る:詩人、アーサー・ビナードさん


 ◇水爆暴いた「福竜丸」の勇気--アーサー・ビナードさん(43)


米国が南太平洋・ビキニ環礁で行った水爆実験で、静岡県焼津市のマグロ漁船
「第五福竜丸」が「死の灰」を浴びて間もなく57年を迎える。
中原中也賞詩人のアーサー・ビナードさん(43)は「第五福竜丸は被害者の物語ではなく、勝者の大叙情詩」と語る。3・1ビキニデーを前に、ビナードさんに聞いた。


 ◇「核の冬」防ぐため世界へ伝えよう


 ――まず、第五福竜丸との出会いから。
ビナード: 英語でラッキードラゴンと呼ばれるこの船について、米国の一般市民の多くは何も知りません。だけどベン・シャーンという画家は第五福竜丸の連作を描き、うちの父親はベン・シャーンが好きだったんです。
ラッキードラゴンシリーズの絵も掲載された画集がわが家にありました。幼い頃のことなので、僕は船の名前が記憶に残っている程度でした。
でも、その記憶があったので、来日してから第五福竜丸のことを少し調べ、百科事典などの解説を読みました。納得できなかったですね、正直言って。


 ――なぜ、納得できないのですか。
ビナード: 第五福竜丸は水爆という軍事機密に触れて「死の灰」を浴びたのだから、米国防総省が証拠隠滅の一環として、撃沈を考えるはずです。
つまり第五福竜丸は海底に沈められる可能性が高かったのに、2週間かかって焼津に戻ってきた。消されないで生還を果たしました。これは特筆に値します。
しかし、このことに触れる解説は少なかった。23人の乗組員が放射能症に苦しみ、半年後には無線長の久保山愛吉さんが亡くなったと、みんな悲劇だけ語るわけです。
かわいそうな久保山さん、気の毒な乗組員という被害者の物語、犠牲者の物語でした。そうした一面はあっても、本質はそこでないと僕は思った。本当は英雄の物語だと。


 ――少し説明を。
ビナード: 一言でいえば、無防備の木造船が軍事大国に勝ったのです。
乗組員は「死の灰」を浴びただけでなく、その灰を持ち帰った。
彼らが採取したサンプルのおかげで、水爆実験だったことが判明した。それは偶然ではなく、乗組員の知恵と行動があったからです。
経験豊かな久保山さんは即座に、米軍の軍事機密に遭遇してしまったと察知して、仲間に指示します。「船や飛行機が見えたら知らせよ。その時は焼津に無線を打って、自分たちの位置を知らせる。そうでなければ無線は打たない」。


米軍に無線を傍受されたら攻撃目標にされるとわかっていたのですね。もし発見されてしまったら、焼津に無線を打って最後の抵抗として足跡を残すつもりだったのでしょう。
戦時中、徴用船に乗った経験もあった久保山さんならではだと思います。生き残るために何をしなければならないか心得ていました。
さらには生き証人として、証拠品の「死の灰」を持ち帰り、その結果、ビキニ事件が広く伝わり、原水爆禁止の動きが世界的規模で湧き起こったのです。


それでも核実験は繰り返され、核保有国は増えました。だから核兵器廃絶運動は行き詰まって失敗に終わったと結論づけるのは、単純すぎます。失敗ではなく、今まさに継続中なのです。
つまり負けてもいないが勝ってもいない。本当に失敗したら「核の冬」がきて、人類は生き残れません。住めない地球になってしまう。そうならないための抑止力として、核兵器廃絶運動はあり、だから今後も続けていかねばならない。
人類が「核の冬」を回避できているのは、第五福竜丸の乗組員の勇敢な行動があったからです。


 ――ベン・シャーンが描いたラッキードラゴンシリーズの絵に、ビナードさんが文を寄せて絵本にしたのが「ここが家だ--ベン・シャーンの第五福竜丸」(集英社、07年に日本絵本賞)です。ビナードさんはこう書いて警告しました。「ひとびとは 原水爆を なくそうと 動きだした。けれど あたらしい 原水爆を つくって いつか つかおうと かんがえる ひとたちもいる」
ビナード: 核兵器がなぜなくならないのか、とよく聞かれますが、答えは簡単です。もうかるからです。こんなおいしい商売は他にありません。
米国防総省は核兵器をなくすことなど全く考えていないはずです。米政府は「国防のために必要だ」という呪文を唱えて、国民をだまし続ける魂胆でしょう。


チェンジを掲げて当選したオバマ大統領だけど、一番チェンジが必要だった国防総省に関しては、一切チェンジできませんでした。大統領でも国防総省のトップの首を切ることはできないようです。
オバマ大統領は本気で核兵器を手放そうとは考えていないが、核兵器が使われたら困るなと思っているはず。だから意地悪くみれば、プラハ演説はテロ対策の一つの陽動作戦だったのではないかといえる。


 ――核廃絶の主役は。
ビナード: 世界の市民です。国防総省も防衛省も予想できない市民レベルの地道な草の根運動を工夫しながら繰り広げていき、世界の核肯定論に小さな穴をあけるのです。
僕は「蟻(あり)の一穴」という言葉が好きだけど、蟻みたいに働いて、国防のウソで固めた堤防に、核兵器でぼろもうけしている軍需産業のPRの堤防に、小さな穴をあける。巨大な組織は、そういう地道な真実の戦いに弱いはずです。


日本にいる僕らは第五福竜丸というレンズを通して核兵器を見つめることができる。これからは他国の言語でも、第五福竜丸事件のレンズを磨いていくべきです。
勝利の物語として、その本質を語っていけば、大叙事詩並みのインパクトが伝わる可能性は十分ある。そうなれば世界の人たちの意識に影響します。


 ――心がけることは。
ビナード: 一般市民は、軍事や国際政治に精通しているわけではないので、専門家の話に負けることがあります。専門家が集まって作業部会を組むと、それなりに説得力があったりする。
しかしノーベル賞物理学者のスティーブン・ワインバーグは「専門家」をこう定義づけました。「専門家とは、小さな間違いを器用に避けながらも大きな間違いへと進んでいく人」。


軍の政策を軍の専門家に任せると、僕らは「核の冬」に向かっていくのです。経済も経済学者に任せてはいけない、政治を政治家に任せたら大変なことになる。
そういう意識を持って、専門家たちがコントロールする領域にも、市民の僕らが突っ込んでいく必要があるのです。(専門編集委員)
■人物略歴 ◇Arthur Binard
1967年、米・ミシガン州生まれ。ニューヨーク州コルゲート大学で英米文学を学び卒業後の90年に来日、日本語で詩作を始める。01年に詩集「釣り上げては」で中原中也賞、08年に詩集「左右の安全」で山本健吉文学賞を受賞。文化放送のコメンテーターとしても活躍し、著書多数。近著にエッセー「亜米利加ニモ負ケズ」(日本経済新聞出版)。


Song Dedicated to Mr.and Mrs.Kuboyama
by さん 22/10/2009


Reference 参考動画です・・・
Castle Bravo Thermonuclear Device (15 megatons)
 by  on Apr 8, 2011

NHK News Top 10 -1954
by   Feb 18, 2009

 母親たちの反核運動/3000万人の署名、大国を揺るがす
by  on Apr 13, 2011


福島で被曝体験語る第五福竜丸元乗組員大石又七さん

・福島原発大事故は、ビキニ事件の原点にさかのぼり考えなければ正しい答えは出ない

 ・誰が何故核兵器にも匹敵する危険な原発を地震大国である日本に導入したか?

2011/07/31放送

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第五福竜丸 元乗組員・大石又七さん Matashichi Oishi
2008/09/23/第五福竜丸展示館にてさんインタビュー
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Godzilla /original 1954 Japanese trailer
by  on Sep 2, 2011
With the bombings of Hiroshima and Nagasaki and the Daigo Fukuryū Maru incident still fresh in the Japanese consciousness, Godzilla was conceived as a monster created by nuclear detonations and a metaphor for nuclear weapons in general.


※この投書が契機になり第五福竜丸の保存運動が起きたそうです。
『 沈めてよいか、第五福竜丸 』  武藤 宏一 朝日新聞 1968/03/10「声」欄より

第五福竜丸。
それは私たち日本人にとって忘れることのできない船。
決して忘れてはいけないあかし。
知らない人には、心から告げよう。
忘れかけている人には、そっと思い起こさせよう。
今から14年前の3月1日。太平洋のビキニ環礁。
そこで何が起きたのかを。

そして沈痛な気持ちで告げよう。
いま、このあかしがどこにあるかを。
東京湾にあるゴミ捨場。人呼んで「夢の島」に、このあかしはある。
それは白一色に塗りつぶされ、船名も変えられ、
廃船としての運命にたえている。
しかも、それは夢の島に隣接した15号埋立地に
やがて沈められようとしている。
だれもがこのあかしを忘れかけている間に。

第五福竜丸。
もう一度、私たちはこの船の名を告げあおう。
そして忘れかけている私たちのあかしを取りもどそう。
原爆ドームを守った私たちの力でこの船を守ろう。
いま、すぐに私たちは語り合おう。
このあかしを保存する方法について。
平和を願う私たちの心を一つにするきっかけとして。

2011年8月13日土曜日

《朝鮮の核問題》 京都大学原子炉実験所 小出裕章 14/06/2003

京都大学原子炉実験所・小出助教による(遺伝子を切断し種の変異、または絶滅につながる)《 核分裂 》を操るものへの告発文です。
 核関連エネルギー施設  核兵器 が、いかに一体であるかが簡潔に記されています。
米国を中心とする軍産複合体・Military-industrial complexへの言及が米国家の枠内に留め置かれていることと、『たかが3000人が死んだからといって』の言い回しに不備を感じますが、大いに私たちへの反省と啓発につながります。
リンク先  http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/KoreanN.pdf 


Reference 参考動画です・・・
1945-1998 (by Isao Hashimoto, Japan, © 2003)
by  さん   2010/8/8

2011年8月10日水曜日

SELF


S:秘密主義は独善性Solipsismを生み


E:閉鎖社会は常軌を逸し(Eccentric)させ


L:指導構造により検討や実現出来ることが制限(Limited)され


F:組織は分断され(Factionalized)全体像が崩壊する
         ――《新・米国安全保障研究所長/リチャード・ダンズィグ Richard Danzig》