第一回葬送デモ~Yさんの感想

故郷に帰れないかもしれない。原発の事故で、その覚悟を自分に問い続ける事になり。

原子力発電所を無くすのはもちろん、いまあの地に残っている親や友人たちの命、そのものの問題だという思いから、この葬送デモをやろうと思ったのでした。
放射能はこどもから影響が出始める、それをこの形にする悔しさ、罰当たりだという思い。
話をした相手にも、否定される日々が続き。

やめようかと何度も思いながら、チェルノブイリの時の記録と現東京の数値を見比べた時。
やはりこの形で、大阪にいる方に問いかけようと、あらためて決めました。

野次や罵倒を覚悟しながら歩き始めた結果は、そのような反応はまったくなかったのですが、全然別のことで想像以上に辛いものでした。

空の棺には孕んだ事もない私のこどもが入ったかのような錯覚すらありました。
沿道の方の受けとめ方も、何を訴えようとしているかを知ろうとしてくれたように感じられました。

誰彼かまわず話続けると、知れば怒り、こころが動く方が多いのを感じます。

ひとりでも多くの命を守る、この棺がずっと空でありますように、また歩きます。