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【社会】

幻の交響曲 調べ再び 憲法施行記念 1947年演奏

2011年11月3日 07時10分

湯浅准教授の指揮で交響曲を練習する芸大フィルハーモニア=2月21日、東京都台東区の東京芸大奏楽堂で

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 日本国憲法が施行された一九四七(昭和二十二)年五月三日、東京・帝国劇場で開かれた記念祝賀会で演奏されて以来、歴史に埋もれていた幻の交響曲が今年初めて録音され、今月発売されることになった。東京音楽学校(現東京芸術大)教授だった作曲家・橋本国彦(一九〇四〜四九年)の「交響曲第二番」。四六年十一月三日の憲法公布から六十五年を経て、母校オーケストラの演奏で現代によみがえる。 (加古陽治)

 二月の下旬、東京・上野の東京芸大奏楽堂(コンサートホール)に、厚手の上着にくるまった男女が集まってきた。芸大卒業生のプロの演奏家らでつくる芸大フィルハーモニアの面々。英国など内外で活躍する同大の准教授湯浅卓雄さん(62)の指揮で、演奏が始まった。所々音を確認しながら、初録音に向けた作業が進んだ。

 橋本を研究している東京芸大研究助手の三枝まりさん(33)によると、「祝典交響曲」の別名もある交響曲第二番は、後に首相となる芦田均が会長を務めていた憲法普及会が、当時の東京音楽学校長らに曲作りを委嘱。橋本が選ばれて作曲した。手書きの楽譜に「1947年3月4日起稿、同年3月26日脱稿」とあり、この間に創作したとみられる。 

 初演は、同年五月三日。皇族や政府首脳らが出席した記念祝賀会で、橋本は自らタクトを振り、東宝交響楽団(現東京交響楽団)を指揮した。明るい曲調で「平和への願いを込めて作ったことが、プログラムに書いてあります」(三枝さん)。依頼されるままに戦時色の強い曲を作り、戦後、自ら教職を退いた橋本にとって、久々の晴れ舞台だった。

 演奏から二年後、がんを患った橋本は、神奈川県鎌倉市の自宅で他界する。四十四歳の若さだった。戦争協力者のレッテルを貼られたこともあり、橋本の曲は「アカシヤの花」や「お菓子と娘」といった歌曲を除き、やがて忘れ去られた。

 そんな橋本の交響曲を発掘したのは、名古屋フィルハーモニーの元コントラバス奏者で楽譜作成工房を営む岡崎隆さん(63)=愛知県知多市=だった。十年ほど前に、日本近代音楽館(現明治学院大図書館付属日本近代音楽館、東京)に残る楽譜を見つけ、湯浅さんが名古屋フィルを客演指揮した際に紹介。ナクソス・ジャパンの「日本の作曲家選輯(せんしゅう)」への収録が決まった。

 岡崎さんがパートごとの譜面も作成。二月の初録音も手伝った。「忘れられるには、あまりにも惜しい。先人の強い思いを現代に伝えたい」と話す。

 橋本は、矢代秋雄や黛敏郎、芥川也寸志といった日本を代表する作曲家を育てた。湯浅さんは「フィンランドはシベリウス、ハンガリーはバルトーク、チェコはドボルザークというように、それぞれの国を象徴する作曲家がいる」と指摘。「音楽史から消えた橋本らの音楽を日本人自らが検証し、世界の中に日本の音楽地図をつくりたい」と意気込む。

 交響曲第二番などを収めたCD「日本作曲家選輯 橋本国彦」は九日、発売される。問い合わせは、ナクソス・ジャパン=電03(5486)5105=へ。

(東京新聞)

 

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