お詫びと訂正

2011年10月29日のブログ記事は誠に勝手ながら諸処の理由の為削除させて頂きます。

たくさんのコメントを頂き、感謝しております。
頂いておりますコメントには後ほどゆっくりとお返事を書かせて頂きます。

これからも「社長の感じた事ノート」を宜しくお願い致します。

2011年10月29日 16時35分 ノート コメント0件 トラックバック0件

秋祭り

皆さん、こんにちは!

このところ、随分肌寒くなって来ましたね。

私はようやく昨日で、地元の秋祭りが終わり一段落ついたところです。

これが終わると秋も終盤かなと思います。

祭りは9月から準備が始まりますが、特に10月に入ってからは、9日・16日だんじり曳行、20日は地元神社の秋祭り、またその前後は準備がありますので、毎年忙しく楽しい日々を、この時期は過ごします。

ただ家族がいる東京には暫く戻れませんので、淋しい思いをさせているとは思いますが……。

この週末はやっと東京に戻れそうなので、息子と2人で飲みに行くことにもなっていますし、また、みんなを食事にでも連れて行こうかと考えているところです。

しかし、毎年のことですが、常々この祭りというのは、みんなの協力がないと成り立たないと改めて思います。

当然ながら、2ton以上もある「だんじり」を1日中引き回す訳ですから、まずは若い人達を中心に、大勢の人達がいないと「だんじり」は動きません。

更に、お囃子をする人達、屋根に上がる人達、テコを入れる人達、綱を引く子ども達、その世話をして頂く子ども会の役員の人達、指揮誘導をしてくれる人達、かじ取りをしてくれる人達、祝儀を集めてくれる人達、その祝儀を心よく出して頂ける大勢の地域の方々、炊き出しをして頂く方々、先導車や後方車に乗ってくれる人、子どもにお菓子やジュースを配る人、食事や支払いの段取りをする人達、雑用をしてくれる人、防犯の方々、神社関係者の方々、そして、華を添えてくれる若い女の子達などなど………。

最低でも100名位の人達が集い、これらの分担をしてもらわなければ、祭りは成り立ちません。

誰か欠けても、駄目なのです。

会社も同様に各々が様々な役割分担をして、意識・スキルの温度差はあるものの、しっかりとした結果を出すことで成り立っています。

会長がまた、社長が出来ることは、たかが知れていると思うのです。

私が双方において、心がけていることはただ1つです。

会にあっては、会員の人達、地域の方々にとって、如何に祭を楽しんで頂ける環境を造ってあげることが出来るのか?

会社にあっては、社員の人達にとって如何に働きやすい環境を造ってあげることが出来るのか?

私がしなくてはならないことは、これに尽きるのだろうと思います。

まだ双方とも、実際にはそこまでには至っていないとは思いますが、私に任のある期間は少しでも近づく様、みんなと力を合わせ頑張って行きたいと考えています。

地元の秋祭りは長丁場ではありますが、老人ホームの前で、椅子を並べて「だんじり」が来るのを、今か今かと楽しみに待って頂いている、おじいちゃんやおばあちゃん、子ども達の笑顔、会員の人達や地域の人達が楽しんでいる姿を見ると、私自身も嬉しくなり、それまでの疲れもふっ飛んでしまう感じがします。

幸い今年は晴天に恵まれ、無事祭りを終えることができ、ご協力頂いた会員のみなさん、地域の方々には心より感謝致します。

2011年10月21日 10時16分 ノート コメント0件 トラックバック0件

六然(りくぜん)

皆さん、こんにちは!

一段と秋の気配が深まって来た感じがします。

私達の会社の本社工場は奈良県の香芝にあり、目前には、歴史的にも由緒のある二上山(にじょうざん)を仰ぎ、その麓には田畑が広がるというロケーションにあります。

その眼下の田畑では、いま正に収穫の時を迎え、稲刈りが行われています。

更に、11月頃になると二上山の木々が色づき見事な紅葉を見せてくれます。

東京や都会では、なかなか味わえませんが、この10月から11月にかけて、秋の深まり行く景色が、日本においては一番美しいと思うのです。

皆さんも一度、秋を味わいに出かけて見てはどうでしょうか?

さて、以前のブログで論語を読んでいますとお話しましたが、先般も雑誌を読んでいますと、中国故事が紹介されていました。

流石に中国4000年の歴史というだけあって、様々な先人の方々が、心に沁みる「教え」を残されているのがわかります。

今日はその中で書き留めた「教え」をご紹介させて頂きたいと思います。

それは、中国古代学者の崔銑(さいせん)の「聴松堂語鏡」に記述されている言葉です。

これは、先人が教える心の指針として紹介されていました。

それには「六然(りくぜん)」と呼ばれる6つの指針があるそうです。

六然

自処超然(じしょちょうぜん)
処人藹然(しょじんあいぜん)
有事斬然(ゆうじざんぜん)
無事澄然(ぶじちょうぜん)
得意淡然(とくいたんぜん)
失意泰然(しついたいぜん)

この意味合いは、自分に対しては物事にこだわらないようにし、人に対しては穏やかに好意を持って接する、何か事があるときはきびきびと取り組み、事がないときは水のように澄んだ気持ちでいる、うまくいっているときは淡々としており、失意のときでもゆったりと構えている、という意味だそうです。

これを読んで、自分自身に照らし合わせて見ると、出来ていない部分が沢山あると気づかされます。

特に、自処超然や失意泰然という境地には程遠い感じがします。

しかし、考えるにどんな先人の方々も、一足とびにその境地になったわけではないと思うのです。

若い時は、人一倍、大いに苦しみ、哀しみ、怒り、楽しみ、喜び、悩みながら人生を歩んで来たのだと思うのです。

その結果、年を重ね様々な経験を積むと共に「六然」という境地に達したということなんだろうと思います。

論語もそうですが、これらの「教え」を学ぶことは、私達が人生を歩んで行くうえで、大きな道標となるでしょう。

しかし、私はこの様に思います。

人生において、順風満帆で一生を終えることはあり得ません。

勉学として理解することも大事ですが、かの先人達がそうだった様に、実際に人生に躓き、悩み考え、回りの人達の助けを受け、そしてそれを乗り越えて行く。

更に、様々な経験を重ねて行く中で、いつしかその言葉の意味や意図が心底理解出来る、その様な生き方こそ趣があると思います。

2011年10月14日 8時18分 ノート コメント0件 トラックバック0件

かけがえのない一生

皆さん、こんにちは!

今日は秋晴れの爽やかな1日ですね。

週末、土曜日がお休みの方は3連休になるわけですが、いい天気が続くということなので、絶好の行楽日和になるのではないかと思います。

私は、週末、地元のお祭りがありますので、地域の方々と大いに盛り上がりたいと考えています。

皆さんも、秋らしい一時をどうぞお楽しみ下さい。

さて、今週は私にとって印象に残る又、考えさせられる出来事がありました。

それは、妹の50回忌です。
もうそんなに年月が流れたのかと思うと感慨深いものがあります。

彼女は、私のすぐ下の妹で、昭和37年1月1日、新しい年の幕開けと共に、この世に生を受けました。

名前を恭代(やすよ)といいます。

写真で見る限り、珠のように可愛い赤ちゃんでした。

下の妹2人は恭代が亡くってから生まれていますので、当然ながら、記憶はありません。

私もまた、2才位でしたので、記憶の彼方に、ばあちゃんと乳母車を押してる場面や葬式の場面が脳裏の片隅にかすかにある位です。

しかし、短い時間だったかもしれませんが、紛れもなく一緒に暮らしていたのです。

恭代は生まれた時から、首にできものがあったらしく、命には別状ないものの、月に1度電気治療を行って、1年位すれば完治するということだったそうです。

しかし、生まれた年の10月4日、その日も電気治療の為、病院で治療を受けていたところ、医師が誤って大量の電気を幼い身体に流してしまい、ショック死からその短い生涯を閉じたのです。

今でいうところの完全な医療ミスでした。

その時の両親の気持ちを考えると、胸が張り裂かれる思いです。

あれからかなりの時が流れ、50回忌を迎えるにあたり、もし今、生きていたら、どの様な女性になって、どの様な人生を歩んでいるのだろうなどと考えたりもしましたし、「人の生き死に」や「世の諸行無常」について改めて考えさせられました。

しかし、輪廻転生というのでしょうか?
昭和61年10月5日、私に長男が誕生します。

更に、一番下の娘には、恭代から1文字もらい「紗代」と名付けました。

今後もこの2人が恭代の想いを受けて、しっかりと人生を歩んでくれると思います。

その想いを引き継いで行くことで、人は永遠の命を手にするのかもしれません。

50回忌というのは、今後は永代供養として法要を切り上げるという、一つの大きな節目でもあります。

万感胸に迫る思いがしますが、恭代が生きた証を刻み込んでおきたいと思い、このブログに記述させて頂きました。

今週、皆さんには私の心情を吐露しただけのブログになり申し訳ありませんでした。


合掌

2011年10月7日 13時09分 ノート コメント0件 トラックバック0件

部・課長会

皆さん、こんにちは!

随分と涼しくなり、秋らしい感じになってきましたね。

今週は、晩のお付き合いが続きましたので、不摂生から少し風邪気味な感じです。

皆さんも、朝晩肌寒くなりましたので、体調管理にはご留意下さい。

今週の食事会で最も有意義だったと感じたのは、弊社の管理職達と開いた食事会です。

それまでは不定期ながら、会社で食事会をしたり、忘年会をしたり、ということは行っていましたが、部長・課長だけを連れて食事会を行うことは初めてです。

現在、弊社では営業に関するコンサルタントの先生に約6年お世話になっていて、事業の変遷、管理者達の成長など時系列で理解して頂いていますので、その人にも同席をしてもらい、7人で食事会をしたのです。

この食事会を持ったには理由があります。

実は「koshioka ビジョン」なるものを盆休みから約1ヶ月掛けて作成していました。

これは、タイトルの通り、これからのコシオカ産業在り方、方向性、目標を明確にしたものです。

今までも、折に触れ様々な話しをしたり、書面にして伝えたりということは行ってきました。

しかし、今回の様な壮大なビジョンとして書面にするのは初めてで、改めて活字にすることで、私自身確認作業にもなりましたし、潜在意識まで刻み込まれました。

やはり、何事もインプットされたものを、そのままにしておくのではなく、アウトプットをしていくことで、自身の確認や知識・情報として、本当の意味で自分の物になるのだと思いました。

今回の「koshioka ビジョン」は、社長方針、経営知識、10年間の検証、短期計画、中・長期計画から成り全21ページに及びます。

その中で、社長とは、限られた経営資源である「人」「物」「金」「情報」を活用し、恒久的に売上、経常利益を増加させ続け、職場環境の向上を構築し続けなければならない。
又、管理者とは経営課題に関わり結果を残すと共に、社長の考えを具現化させなければならない。
と定義付けました。

得てして、営業は粗利益が少しでも出れば、利益が出ていると勘違いしがちです。

少し考えが及ぶ人でも、営業利益が出ればOKという感じです。

最低限として経常利益を増加させ続けなければ、内部留保が出来ませんので、当然ながらしてあげたいことや要求も叶えてあげれませんし、会社として将来の投資すら出来ないのです。

弊社は、過去10年間において事業変換に伴い、様々な制度設計、又、次の継続成長へと繋がるシステムやツールの構築、そして人材育成をして参りました。

お陰様で、閉塞感のある時代にも関わらず、現在においては大きな憂いがなく、前に進んで行ける状態にあります。

折角、成長路線に乗ろうという大事な大事な時期ですので、ここで手綱を緩めるわけにはいかないのです。

今まで行って来たことを加速させる為には、もはや1人の力だけでは不可能です。

その食事会においても、「みんながいないとやれない自信がある」と話をしました。

その為には今一度、私の考え、方針、目標をまとめ、管理者達と共有することが肝心であると考えたのです。

加えて、経営知識も共有することで、経常利益までの意識やそれぞれの勘定科目にたいする認識と改善方法にも考えが及ぶ人達が増えれば増えるほど、管理という概念が身に付くと思うのです。

私達の会社は、今、ロケットエンジンに積み替え、一気に加速しなければならない時期です。

そういった意味合いから、部長・課長だけで開いた食事会でしたが、当然ながら、お酒も入るので、仕事の話を中心に色々な話ができたことは良かったと思います。

6時過ぎから始めましたが、気がつけば11時になっていました。

また、折に触れ行いたいと思います。

2011年10月1日 17時40分 ノート コメント0件 トラックバック0件

孔子の教え〜その1 〜

皆さん、こんにちは!

今週も台風が日本列島を直撃してしまいました。

皆さんは大丈夫だったでしょうか?

今回の台風は首都圏においても、雨・風が酷く、一時ほとんどの電車が運行を中止して、多くの帰宅者に影響を及ぼしました。

私の家族も現在は東京におり心配しましたが、大きな影響はなかったみたいで一安心でした。

今回の台風は3・11の大震災と同様に大都会の危機管理に一石投じた様です。

話は変わりますが、今日東京にいます。
台風一過で少し肌寒く、空は雲一つない位の晴天で、正に秋晴れといった感じです。

スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋など秋という季節は、何をしても気持ちが穏やかな季節なのかもしれません。

私は、秋というと「祭りの秋」という感じです。

10月の本番に向けて、この9月から様々な準備が始まりますので、忙しい日々を毎年送っています。

これが終わると秋も終わりという感じなのです。

その合間を縫って、読書の秋ということで先週紹介しました論語に関する本を読んでいます。

早速ですが、今日はその中から一つ。

「仁者は難きを先にして獲るを後にす」
じんしゃはかたきをさきにしてうるをのちにす
という言葉があります。

これは、仁の人は難しいことを先にやり、自分の利益を後回しにするという意味だそうです。

この「仁者」とはどういう人かというと、ブレがなく、懐が深く、落ち着いていて穏やかな人を指すそうです。

この心構えは、色々な場面で有効だと考えます。

ここで、皆さんに質問です。
今の時代、就職は非常に困難です。
あなたは面接官です。

面接にあたって、給料面、休日面、待遇面など、こと細かく質問をする学生がいます。
今の時代、生活や将来のこともあるし、当たり前かもしれません。

また一方で、細かい質問はせずに「報酬はいりません。勉強になるので是非仕事をさせて下さい」と、いう学生がいます。

さて、あなたは面接官として、どちらを採用するでしょう?

おそらく、多くの場合、後者を選ばれると思います。

また、新規開拓の営業をする際においても、「報酬はいりません。一度仕事をさせて下さい」と言えば、どうでしょう?

私も含めて人は、損得勘定を先にしてしまう傾向にあります。

その結果、最初の信頼関係を築くのに時間を要し、なかなか前に進まないといったことが多いと思うのです。

当然ながら、信頼関係が構築されれば、互いにしっかりとした交渉がなされます。

特にこの教えは、一番最初に信頼関係を構築することが最も重要だと説いているわけです。

ブレることなく、この教えを理解し、ありとあらゆる場面で活用して頂き、少しでも自分の道を切り開くきっかけにしていきましょう。

2011年9月24日 19時36分 ノート コメント0件 トラックバック0件

論語

皆さん、こんにちは!

この週末は又台風の影響で、天候が思わしくない様です。

先週、台風被害があったばかりということでもありますので、進路にあたる地域の方々は、充分な注意が必要ですね。

話は変わりますが、今私は「論語」に関する本を読んでいます。

「論語」に関する本は沢山あるわけですが、世の名のある経営者の多くは、この「論語」を経営の、また、考え方のバイブルとして、絶えず勉強されています。

私も以前、挑戦しましたが、漢文が難し過ぎて一度断念しましたが、今回非常にわかりやすい論語に関する本を入手出来ましたので読みはじめているというわけです。

何故、誰もが論語に興味を持ち、学ぶのでしょう?

その答えは、論語にもある「温故知新」だと私は考えます。

この意味はご存知の通り、「古きを訪ねて新しきを知る」「昔のことをよく学び、そこから新しい価値観を得ることができるような人こそ、師にふさわしい」ということです。

また、「論語」は、孔子が弟子達との日々の暮らしの中で、気づいたことや話したことなどを、その教えとして弟子達が記録したものです。

そこには、孔子の私利私欲のない、「社会をよくしたい」「人生を十全に生き切りたい」という志が感じられます。

2500年経った現代でも、社会の本質、人間の本質はさほど変わらないのかもしれません。

この様なことから、「論語」に興味を持ち学ぶのだろうと思うのです。

その昔、日本においてはも「論語」をテキストとして学んでいた時代がありました。

現代教育では、ややもすると心の形成というところまでの教育が出来なかったのではないかと思います。

その結果、私達大人も含め、心がひ弱な感じがするのです。

人生には、様々なことが起こるわけですが、ちょっとしたことで心配事が膨らんだり、僅かなことでくよくよしたり、やる気をなくしたり、また、ちょっとしたことで切れたり、心が荒れたりと心のバランスを保ちきれない大人や子供が増えています。

これらは、時代の変化やその舵取りをする政治が悪いという側面もありますが、人の責任だけを追求しても何一つ変わることはありません。

私達に出来ることは、心のバランスを常に保つ、鍛える努力をし、事にあたるということなんだろうと考えます。

昨今、サッカー日本代表キャプテンの長谷部選手が書かれた「心を整える」という本がミリオンセラーになりました。

これは異例のヒットと言えるわけですが、その反面、そこに救いやヒントを求める人達が多くなっているということを意味しています。

孔子の「論語」もまた、その心のバランスを整える、鍛えるという一つのきっかけになるかと思います。

「論語」に関しては、また追々、私が感じたことをご紹介して行き、皆さんとともに、心のバランスを保つきっかけにして行ければと考えているところです。

2011年9月19日 11時31分 ノート コメント0件 トラックバック0件

忘れられない一言〜歓喜編〜

皆さん、こんにちは!


早、9月に入りましたね。

今週は、先週懸念申し上げた台風12号が四国、中国、近畿地方を中心に、日本を直撃し、甚大な被害をもたらせてしまいました。

被害に逢われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

しかし、今年は日本にとって予期せぬ災害の年になっています。

措置が遅れることで、二次災害、三次災害を引き起こしてしまうと、大変な事態になってしまいます。

そうなっては、もはや人的災害と言わざるを得ません。

新政府には、被災地及び被災者の方々の一刻も早い復興を実現すべく、措置を講じて欲しいものです。

さて、今日は「忘れられない一言」の続編をお話ししたいと思います。

以前は屈辱編ということで話をしましたが、今回は歓喜編ということで、嬉しかった一言について、話をさせて頂きたいと思います。

私にとって嬉しい一言というのは、今まで数限りなくあります。

振り返ると改めて、様々な人達に支えられ、見守られていたのだと実感出来ます。

今日はその中で、仕事において、きつい一言を頂戴し、その後、嬉しい一言を頂いたという経験がありますので、それについてお話し致します。

これは今から10年前、父親が他界して間もない時だったと記憶しています。

当時一番のお客様で、その社長の一言です。

長年のお付き合いですし、父親とその社長との信頼関係も厚かったので、事務的な関係ではなく、本当に親身になり考えて頂いていた社長です。

そんな中、まず忘れられない一言として、「おやっさんと全然違う!」と、お叱りを頂いたことがあります。

どのような内容でお叱りを受けたか?は、はっきり覚えていませんが、恐らく、結果は一緒でも、その順番が違ったことで、お叱りを受けたと記憶しています。

ただ、このきつい一言だけは、はっきりと記憶しています。

やはり、物事を進めて行くには、その順番・プロセスにボタンの掛け間違いのないように、又、その時々の精度・言葉・説明・報告・連絡・相談が充分尽くされたかが重要なのだと考えます。

それが、仕事だけではなく、物事を進めて行くうえにおいて、潤滑油となり、安心感を与え、信頼に繋がって行くのだと思うのです。

結果が一緒でも、この順番を踏まなければ、疑心暗鬼になり、やがて信頼は失墜してしまうものだということを、その一言から学ばせて頂きました。

このことは、弊社においても、社員達に喧しく指導しています。

それから、幾年かの時が経ち、3年くらい前の事です。

いつもの様に、会社を訪れ、その社長と雑談をした後、帰りがけのエレベーターの中で、「社長とこは、早くに社長に変わってて良かったな」という、思いもかけない一言を頂戴しました。

この全てを言い尽くすかの一言は、私にとって、ここ数年で一番心に残る嬉しい一言となりました。

以前、よく叱咤激励を受け、事業家と尊敬する身近な人から、最大級の誉め言葉を頂戴し、やっと認められたとの思いも同時によぎった一言でした。

最近よくよく考えると、50を過ぎ、怒ってくれる人、誉めてくれる人が極端に少なくなったなぁと感じます。

これもまた順番で、今度は50を過ぎた私達が、若い人に叱咤激励をする番なのでしょう。

そう考えると、怒ってもらう事、誉めてもらう事は、若い人達の特権であるということが出来ます。

若い間は、その一言に一喜一憂するのでしょうが、言われているうちが華で、嫌なことを言われても出来るだけ前向きに捉え、一つ一つをしっかりと落とし込み、消化しながら階段を登って行って欲しいものです。

2011年9月9日 21時31分 ノート コメント0件 トラックバック0件

新首相誕生

皆さん、こんにちは!

今日は東京にいます。
また、日本に台風が近づいているとのことで、しかも今回は四国、中国、山陰、近畿地方に上陸しそうな感じです。

進路にあたる地域の方々は、充分な備えをされ、ご用心して下さい。

さて、今週は、ご周知の通り、野田新首相が誕生しました。

民主党が政権をとって3人目です。

今回の結果は予想したものと、違いましたが、あの5人の中では、野田氏かなぁとは個人的には思います。

聞くところによると、閣僚に入る前まで、毎朝24年間、駅立ちをしていたといいますし、育ってきた環境も裕福ではなかった様です。

そういったことを考慮すると、国民目線で物事を捉えられると思いますし、地に足がついていて、愚直で誠実という感じがしますので、今までの首相の様に、言動では失敗はしないかな?とは思います。

そして、野田新首相は松下政経塾の出身でもあります。

その創設者は、経営の神様といわれた、かの松下幸之助さんです。

今最も政治に欠けているところは、経営感覚だと思います。

従来のやり方だけでは、成長出来なくなった、この日本という会社を立て直さなくてはなりません。

その為には、保守的政治感覚だけでは困難で、政治感覚プラス革新的な経営感覚が、トップには必要だろうと考えるのです。

この閉塞感を打破し、再び成長路線に乗せるには、延長線ではなく、今一度、絵を書き直す必要があります。

まず何々をするというのではなく、こんな日本、会社にするという方向性をみんなが納得し、共有することが、一番だと思います。

そして、その為には、何々をいつまでにしなくてはならないという計画があり、経済でゆうところのPDCAサイクルを速やかに実行することで、前倒しをしながら、一つ一つ形付けてゆき、全ての課題が解決すれば、描いていた社会になっているという構図が大事です。

これらは、短期、中期、長期と絵を描いておかなくてはなりません。

今政治家達は一生懸命されているのでしょうが、ここ20年やってきたことは、方向性がなく、ただ目先で発生した事柄に対して、応急処置をしてきた程度にしか見えません。
だから、海外からの評価も国民からの評価も低いと思うのです。

応急処置をするのであれば、誰から見ても、早く、そしてその時には2度と起こらない様に是正処置まで、行わなくてはなりません。

しかし、ここまでしたとしても、まだ目先の事柄を処理したにしかすぎません。

本当の仕事は、その為の予防処置を、また、方向性に沿った課題解決を、そして、その結果、継続成長させる社会の仕組みを、この様な仕事を政治家にはしてもらいたいと思います。

松下幸之助さんは、経営に成功する3つの条件として、この様に言われています。

1つは絶対条件で、経営理念を確立すること。
これができれば経営は50%は成功したようなものである。

2つは必要条件で、一人一人の能力を最大限に生かす環境をつくること。
これができれば、経営は80%成功である。

3つは付帯条件で、戦略戦術を駆使すること。
これを満たせば経営は100%成功する。

野田新首相には、松下政経塾で学んだ、松下幸之助さんの教えを胸に、日本の会社を再び成長路線に乗せて頂きたいと思います。

日本に残された時間は、もうそんなに長くはありません。

2011年9月2日 15時56分 ノート コメント0件 トラックバック0件

引き際

皆さん、こんにちは!

一時は涼しくなった様に感じましたが、またここに来て、夏の暑さが戻った気がします。

ただ、朝晩は幾分か、過ごしやすくなり、確実に季節は進んでいる様に思います。

さて、今週は島田紳助さんが、芸能界を引退をするという、衝撃的なニュースが飛び込んできました。

現在、民主党の代表選があり、次期国のリーダーを決めるという有事があるにも関わらず、発表の翌日は、各スポーツ紙は1面トップ、5大紙においても1面掲載をしているところがある位で、正に社会的ニュースとなりました。

それだけ影響力が大きく、国民の関心事ということなんだろうと思います。

今回の引退劇については、賛否両論あると思います。

私はという、無双の才能を持っておられ、正直勿体なく、残念という気はありますが、今回の引退については、不可解で美学とは思えません。

何故なら、まず一つは、トラブルの解決方法です。

どれくらいのトラブルかは、本人しかわかり得ませんが、それが例え大きかろうが小さかろうが、一般人の私達には、その様なルートはなく、我慢強く、合法的に王道を持って解決して行くしかないんだろうと思います。

会社も長年やっていますと、嫌がおうなしに、そういった問題に大なり小なり巻き込まれることがあります。

弊社においても、この激流の時代にあって、数年前に約1年近く、よく似た問題を抱えてしまいましたが、幸い誰にご迷惑を掛けることなく、1人で解決することが出来ました。

まして、コンプライアンスがうるさくなった昨今において、大企業に成長をした吉本興業さんには、多くの顧問弁護士がおられると思いますし、吉本興業における紳助さんの位置付けから考えると、優先的に解決する為に動いてくれるのではないか?と考えるのですが……

会見からでは分からないですが、何か、会社に相談出来ない事があるのか?と勘ぐってしまいます。

また、辞め方についても、余りにも唐突で無責任、強引な感じがしました。

テレビ側、スポンサーにとっても、青天の霹靂だと思いますので、その対応に右往左往することになり、多大な損害を発生させてしまうことになります。

今は、島田紳助というネイムバリューや吉本興業という力関係から、双方で契約に載っとり、おとしどころを探ると思いますが、小さい会社なら、「あなたところのタレントは安心して使えない」とか「使ってもいいけど、ギャラを安くしないと…」など、その後輩の門を狭くする結果になります。

この様なことから、今回のことは不可解であり、美学と思えないのです。

実に、人の引き際とは難しいものです。

会社員は、決められた定年というものがありますので、一応のメドをつけることが出来るわけですが、芸能界、スポーツ界、など定年というものがない業界においては判断が難しく、自らがある年齢に達すると基準を作っておかなくてはならないかもしれません。

中小企業においては、社長業もこれにあたるかもしれません。

私も50才を過ぎ、残された時間が短くなって来たと、若干焦る気持ちになる時があり考えることがあります。

私自身の引退基準として、漠然と思っていることは、掲げたビジョンが達成されて、継続成長が成されると確信出来た時か、又は、会社や社員の成長に対する情熱がなくなり、先を見る目に誤りが生じ、具体的な対策が湧かなくなった時は、もはやその任にないなぁと考えています。

いずれにせよ、誰もが、いずれ通らなければならない道ではありますが、私は、出来るのなら、あとに続いてくる人達の為に、広い道を残してあげたいものだ思います。

2011年8月28日 15時07分 ノート コメント0件 トラックバック0件

 
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